2019年6月17日 (月)

MOA美術館

熱海にあるMOA美術館に行ってきました。
6月15日(土)、16日(日)と2日間にわたり、美術館内の能楽堂で玉三郎さんの舞踊公演があったのです。
(地唄三題)
私の席は、1日目は正面席(真正面)から、2日目は脇正面(真横)から見るという、誠に貴重な機会でした。
能楽堂は地唄舞にぴったりの親密な空間で、また大変良いお席で拝見することができ、本当に感激しました。
演目は『口上』『雪』『葵の上』『鐘ヶ岬』でした。

『口上』は2日で内容がだいぶ異なりましたが、2日目に「命ある限り、一つ一つの舞台を誠実に勤めていくことが、私の責務であると存じております」というようなお言葉がありました。私が歌舞伎を見始めたのは平成4年からですが、その頃の玉三郎さんは、「女形が年を取っても舞台に出るのは厳しいものがある」と仰っていたような記憶があり、惜しまれているうちに舞台を退いてしまわれるのではないかと、何となしに思っておりました。
「日本の古典がいつまでも続きますようご支援を」というようなお言葉もありました。
日本の伝統芸能がいつまで続くのか、どのように伝承されていくのか、甚だ心もとないことですね。

私が玉三郎さんの舞踊を能舞台で拝見するのは、今回が初めてではありませんでした。ちょっと当時の記録が出てこないのですが、たしか熱田神宮能楽殿という今は存在しない能舞台で、地唄『鐘ヶ岬』の素踊りを見ました。玉三郎さんの『鐘ヶ岬』はその時初めて拝見し、「衣裳付きだったら良かったのに」と思いましたが、女形の素踊りは大変珍しく、今にして思えば貴重な体験でした。笛の藤舎名生さんとの共演だったと思います。
玉三郎さんの舞踊は6枚のDVDになっていますが、この中で私が1番好きなのは「舞踊集3」に収録された『鐘ヶ岬』なのです。もう生で見たくて見たくて、玉三郎さんの『鐘ヶ岬』を見るために、鳥取まで行ったこともあります。特に引き抜きは息を飲む美しさで、『京鹿子娘道成寺』のパッと変わる引き抜きとはまた違った感じの、スッと変わる引き抜きです。『鐘ヶ岬』は「パッ」ではなく「スッ」とか「フワリ」なのです。今回、玉雪さんによる引き抜きを真横から見ることができました。

能でよく「離見の見」ということを言いますけれども、正面席から見たら何がどう見えていて、脇正面から見たら何が見えて何が見えないのか、脳内でマルチアングルな画面がシミュレーションできる状態のことなのかなと思いました。

今回の公演で私が最も感動したのは『葵の上』でした。『葵の上』は建て替え直前の御園座で拝見したことがありますが、今回は照明がものすごく良かったんです。最初、照明を真っ暗にして、ゆっくり明るくなっていき、いつの間にか六条御息所が座っている。そして最後に、御息所の白い着付が打掛の陰に隠れていって、照明がゆっくり消えていく。もう背筋も凍るほどに完璧。・・・と思ったら、客席からまさかのフライング拍手が!最後の三味線の一音が全く聞こえませんでした。みんな、なぜそんなに急いで拍手をしたがるんでしょうかね?2日とも、そうでした。曲の終わりを分からない人たちが見ているのかと思ってガッカリしました。しかし、それがために六条御息所の想念がずっと消えずに残っているような不思議な感覚にとらわれました。

地方の富山清琴さんも、素晴らしい唄声でした。この会場ならスピーカーはいらないのではないかと思いましたが、多少、拡声していました。『鐘ヶ岬』では、箏の清仁さんも唄う場面がありました。


目付柱とワキ柱は外されていました。口上も舞も正面席に向けて上演され、能舞台だから何かを変えるというようなことはなかったと思います。良い踊りはどこから見ても絵になるのだと感じました。

2019年6月15日 (土)

燦ノ会

先日、喜多流の中堅能楽師による公演「燦ノ会」に行ってきました。(6月1日)
「燦」という字は、「燦然と」「燦々と」などの言葉でお馴染みなので読めますが、「読めるけれど書けない」という部類ですね。こういう難しい漢字を会の名前に付けてしまうところがカッコいいではありませんか。志が高い感じがして。でも客がついてこられるのかな。

囃子がやたら気合いが入っていて、橋掛かりのシテの謡が全く聞き取れないんですよね・・・。歌舞伎でも「三味線の音でせりふが全然聞こえない!」という時がありますけれども、全体としての配分、音量のバランスを取れないものなんですかね?

能は『弱法師』と『昭君』が上演されました。前から言っていますけれども、能の場合、1曲だけ単独で上演するよりも、2曲、3曲と組み合わせて上演することによって、公演全体としての独特なテーマが見えてきたり、単独では目立たなかった側面に光が当たったりすることがあるものです。能だけに限りませんが、舞台の上演時間がだんだん短くなっていく傾向にあるのは残念なことです。

今回の公演では、「伝わる」「伝わらない」とはどういうことなのか、考えさせられました。
公演当日に無料配布された番組のあらすじに「高安通俊は他人の讒言を信じて我が子の俊徳丸を家から追い出してしまいますが、後悔の念にかられ天王寺にて七日間の施しを行います」と書かれていました。この「他人の讒言」とは、一説に「後妻の讒言」とされているそうですが、「讒言」とは「事実と異なる悪口を言って他人を貶めること」でしょう。後妻よりも父親のほうが息子について詳しく知っていて良さそうなのに、この父親には息子のことが分からないんですね。
どうでもいいですけど私は大学受験の時に「讒」って漢字を覚えていましたよ。これが書けないと日本史の試験で受からないんですから。今はもう書けないし、もう一度覚えようという気力もありませんが・・・。
「後悔の念にかられ」→「七日間の施しを行います」のつながりが現代人に理解できるでしょうか。私は分かりますけどね。ふふん。

俊徳丸は家を出た後に盲目となってしまいますが、西に沈んでいく太陽を観ずる「日想観」の場面があります。目が見えないのに見えるって、どういう心の仕組みなのでしょうかね。
子供の頃の風景が見えたり、むかし旅行に行った先の風景が見えたりすることは、誰にでもあると思いますけどね。
超能力でも何でもなく、普通のことですね。

私が『弱法師』を見るのは今回が初めてではありませんでしたが、詞章に「仏法最初の天王寺」とあって、「日本最初」じゃなくて「仏法最初」なんだと思ってびっくりしました。ここの詞章は「日本の仏法の最初」という意味かなとも思いましたが、前後の流れから言って、あくまで「日本が仏法の最初」と言っているように思えたのです。つまり、極楽浄土がはるか西にあるとして、「全ての人を苦しみから救いたい」という願いがあるならば、その思いは必然的に東へ伸びていき、東の最果ての国までやっとたどり着いた、伝わった、仏法の念願が届いた、その喜びが「仏法最初」という言葉に表されているのでしょう。日本にたどり着くまで、仏法は仏法と言えなかった。

『昭君』では、事実が間違って伝わっていました。美しいのに美しくないと伝わって、そんなこともあるんですね。逆はよくありそうだけれど・・・。
絵は描いた人の考えが入るから別な顔になってしまうけれど、鏡はそのまま映るんですねえ。本人の実際の顔よりも本人らしく。



2019年6月13日 (木)

永遠をお望みですか

祈っても駄目なものは駄目だと、人は何歳になったら気がつくのだろう。
見えざる手を待つよりも自分の手で何かを始めたほうが何ぼか早そうなものなのに。

ピンカートンは、日本式に結婚したつもりだった。
蝶々さんは、アメリカ式に結婚したつもりだった。
アメリカ式と言うよりも、キリスト教式に結婚したつもりだった?
しかし実際に行われたのは神前の結婚式だったようだ。(「神官」という役が登場する)
蝶々さんは事前にキリスト教に改宗したのに、なぜ神前で結婚式を挙げたのだろう?

蝶々さんは、なぜ永遠の愛を信じていたのでしょうか?

日本の結婚は宗教と結びついていないですよね。
花嫁が着たいのが着物かドレスかで選ぶみたいな?

イタリア人の結婚は宗教と結びついているので、離婚できないんだそうですよ。
法律的には離婚できるけれど、宗教的に離婚できないのだそうな。
教会で永遠の愛を誓ってしまっているために。
(最近はわりとさばけてきたらしいですが)

誓い。誓い・・・。裁判の前に、聖書の上に手を置くみたいな?

去年、職場の若い者の結婚式に参列したのです。
結婚式場の中にチャペル?があって、西洋人の神父さんがカタコトの日本語で式を取り仕切っていました。
「健やかなる時も、そでない時も」
「富める時も、そでない時も」
「そうでない時」ではなく「そでない時」と言っていた。
高師直みたいだなと思った。
2人は愛を誓い合った。
そばで日本人の歌手が「私を泣かせてください」の替え歌を歌っていた。(「ジョイアなんとか」って・・・)
声楽家にはこんな仕事もあるのかと思った。
後日、神父さんから事前に結婚の心構えを説明されたのか新婦に尋ねたところ、何も聞いていないと言っていました。

去年の暮れに、『別冊カドカワ』という小型のムック本が発売されました。「総力特集 新世代歌舞伎」というので購入してみたのです。そこに、こんなことが書かれていました。

(前略)
種之助 僕は結婚するつもりないけど。
新 悟 へぇ~。
種之助 死ぬときに一人は嫌だけど、今のところは結婚なんて全然したくない。もちろん、愛する人がいる人生は楽しいと思いますよ。でも、それだって別に結婚っていう形にしなくてもいいんじゃないですか? あんなの、紙に名前を書くかどうかだけじゃない。
新 悟 自由だねえ。
種之助 結婚しないと守られない愛なんていらなくない?
新 悟 そんなことはないでしょう。
(後略)p92

そんなことがあるか、ないか、どちらでしょう?
もう愛していなくなっても、まだ夫婦でいたいものでしょうか。

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