1 歌舞伎あれこれ

2017年7月31日 (月)

衣裳負けしないように

きのう、玉三郎さんのディナーショーで、「ひとりぼっちのローマの泉」という歌を聞いたのです。ネットで検索すると「ひとりぼっちの愛の泉」と引っかかるのですが、玉三郎さんは「ひとりぼっちのローマの泉」と言っていたと思います。そして、そのタイトルのほうが歌の内容に相応しいように思います。世界中の恋人たちがここにやって来て、異国の言葉で愛を囁き、再び二人でここに来ようと約束する、そうして私はひとりぼっちでそれを眺めている・・・というような内容の、とても洒落た歌でした。

玉三郎さんが初めて人前で歌ったのは、およそ30年前、衣裳負けしないようにと言ってミンクの毛皮のコートを買ってくれた人のために、年末の帝国ホテルの奥の方で歌ったのが最初と仰っていました。
玉三郎さんのトークの中で「衣裳負け」という言葉を聞いて、私はこの言葉を初めて聞いたような、いや遠い昔から知っていたような、不思議な気持ちがしました。
美しい衣裳には、それに相応しい芸格が必要。
玉三郎さんは、美しい衣裳を着ることに、すごく執着心があった人だと思う。自分の稼いだお金を衣裳の製作につぎ込み、またパトロネージュしてくれる人もいたのでしょうね。私はフランコ・ゼッフィレッリ演出の豪華なオペラが好きなのですが、舞台衣裳の美しさは玉三郎さんのほうが数段上でしょう。図案、配色、織り、染め、刺繍、箔、他の興行では衣裳にあれだけの手間をかけられない。持っているお金や時間や才能をもっと別のことに使ってしまう。日本にはちょうど玉三郎さんのキャリアと重なるように「バブル経済」というものがありましたから、歴史上でも稀有な美を私は見ていたのじゃないかと思ったのです。

以前、玉三郎さんの衣裳をガラス越しながらも間近で見られる展示があって、政岡や富姫の衣裳を見た時は本当に衝撃的な美しさでした。
美しい衣裳を着るための努力と、その衣裳に見合うだけの芸を積み重ねてこられたのでしょうね・・・。

毛皮のコートを着てヴェネツィアのゴンドラに乗る感覚が飛び過ぎていて私にはよく分かりませんが~~。

2017年7月12日 (水)

『一條大蔵譚』あれこれ

私は国立劇場に勤めていますので、仕事の都合上、文楽の床本を読む機会が多いのです。ところが『一條大蔵譚』は、歌舞伎では頻繁に上演されるのに、文楽では全く上演されないので、台詞を活字で読む機会がない。その点で、他の義太夫狂言と異なる特別な演目です。いつも見ていて不思議な感じがするのです。

文楽太夫の豊竹咲太夫師匠は、50年前の国立劇場開場記念公演で咲太夫の名跡を継がれました。その時の披露狂言が「菊畑」でした。(復活上演)
昨年、国立劇場開場50周年記念として咲太夫師匠にインタビューする機会があったので、なぜ文楽では一條大蔵卿のくだりが上演されないのか質問してみたのです。
師匠曰く、あの場面は歌舞伎で工夫され、歌舞伎で上演されてこそ面白いと聞いている、文楽で上演しても面白くない、文楽で『鬼一法眼』を上演する時は「菊畑」を最後まで出すから、そこまでの時間がない、と仰っていました。

今月、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で『一條大蔵譚』が上演されています。
台本を読んでみますと、こんなことを言っていたんだなあと改めて新鮮に感じますね。

常盤御前の台詞の中に、和歌が出てきます。
世の中の 人の心の 竹なれば 割りてや君に 見せましものを

出典は不明ですが、意味は「私の心が竹だったならば、割って中をお見せするところですのに」「もしも心の中が目に見えたならば、私の心が竹のように真っ直ぐで中に何のやましさもないことがお分かりいただけますのに」「あなたに疑われて悔しい、けれど私は潔白です」ということでしょう。
おそらく「世」には「節〔よ〕」という言葉が掛けられています。「節〔よ〕」というのは竹の「ふし」のことで、竹の縁語ですね。

また、大蔵卿の台詞の中に、次の和歌が出てきます。
子〔ね〕の日する 野辺〔のべ〕に小松〔こまつ〕のなかりせば 千代〔ちよ〕のためしに 何〔なに〕を引かまし

こちらは『拾遺集』に採られた壬生忠岑〔みぶのただみね〕の歌です。
その昔、正月の最初の子〔ね〕の日に、若い松を根から引き抜く雅な遊びがあったのだそうです。松というのは大変に長命で、私の生まれるずっと前から生えている松が、私の死んだずっと後にも生き続けるという、羨ましい長寿の代表のようなものです。若い小さな松の中にも、すでにそれだけの生命力が予め備わっている。「子の日の遊び」は、小松を引き抜いて飾ることによって、約束された長命にあやかっていたのではないでしょうか。「予祝」というものですね。
「何を引かまし」というのは、「松と肩を並べるくらい長命な生物はいない」「松の代わりは存在しない」「松が一番、松が最高(他はまるで比較にならない)」という、松の長寿を賞讃する言葉ですね。
ところで、平清盛の長男である平重盛〔たいらのしげもり〕は、小松谷〔こまつだに〕というところに住んでいたので、「小松内府〔こまつのないふ〕」とか「小松殿〔こまつどの〕」と呼ばれていました。
壬生忠岑の和歌の「小松」の部分を「平重盛」に置き換えると、「平家の中で優れた人物は重盛しかいない、他は取るに足らない」という意味になります。
大蔵卿はこの和歌を鬼次郎に託して、源氏の公達(頼朝や義経)に伝えてほしいと言います。つまり伝言というのは、途中で誰か別の人の手に渡ってしまう危険があるので、暗号でなければならない。何も知らない人が読むとただの古歌に見えるけれども、その奥に隠れたメッセージが潜んでいるわけですね。「重盛以外は取るに足らない」「いくら兵力を整えても、重盛が健在のうちは戦ったら駄目」、それは誰にでも分かる情報ではなく、大蔵卿の地位でこそ見える状況であり、「兵法の極意の伝授」という本作の作意にも関わることなのでしょう。
和歌の意味が分からないと、なぜ一條大蔵卿がこの場に出てきて本性を表すのか、分からなくなってしまいます。

さて、高校生に和歌が聞き取れているでしょうか・・・?

2017年7月10日 (月)

KABUKI by KISHIN

先日、篠山紀信さんのトークショーに行ってきたのです。
KABUKI by KISHIN』という歌舞伎の写真集(5万円)を出版した記念の会でした。
紀信さんは、これまでにも玉三郎さんや仁左衛門さんの写真集を出していますが、今回は50数名の歌舞伎俳優の写真をまとめたもので、出版の規模からしても、これだけの写真集は今後出せないだろうということでした。
写真の点数は、もちろん玉三郎さんの写真が一番多く掲載されています。
『演劇界』や『和楽』などで見たことのある写真も多いですが、とにかく本が大きいので迫力があります。

私は5年ほど前に、木之下晃さんの講演会に行ったことがあります。
舞台の写真撮影は、まず「撮りたい」と思った人が全員撮れるわけではない。
そして、上演中にシャッター音がしてはマズいので、必然的に遠くからの撮影となる。
たくさんの制約があります。
木之下さんは、駆け出しのころマリア・カラスの来日コンサートの公式カメラマンに抜擢され、当時開発されたばかりの高価な望遠レンズを特別に借りることが出来たのだそうです。他の人と条件が違ったわけです。なぜ、そのような特殊な立場になれたのかというと、ご本人の話によれば「ギャラが安かったから」とのことでした。(本当かどうか知りませんが)

ところが!
紀信さんは、自分は他の人と同じ条件で撮影している、ということを強調されていました。カメラの機材も普通に市販されているものだし、撮影も舞台の本番を普通に撮影したもので、特別な扱いはされていないそうです。
では、なぜ篠山紀信の写真が特別なのか?
それは、ご本人の話によれば、未だに「やっぱりカメラはライカじゃないとね」とか、「デジタルの写真は味わいがない」などと言う人がやたら多くて、その古い固定観念が駄目なんだとのことでした。紀信さんはその逆で、「今の写真は今の機材で撮る」という主義(?)だそうです。

しかし、私がかつて平成中村座で勘三郎さんの『お祭り』を拝見していた時、最前列で見ていた私の隣に紀信さんが突然やって来てパシャパシャ音をさせながら写真を撮り始めたことがあり、かなり特別扱いされている感じでしたけどね・・・。
そして、売れている人ほど機材を更新しやすいとか、名前の出ている人ほど取材しやすいという特権は、やっぱりあると思いますよ。まあ自分でその地位を築き上げてきたのですから、立派ですけれども。

5万円の写真集を買おうかどうしようか迷っていたのですが、結局買ってしまいました。サイン、握手もしていただきました。もう重くって重くって、帰りの道が大変でした・・・。

2017年5月 4日 (木)

清元『保名』詞章解釈

清元『保名〔やすな〕
 (深山桜及兼樹振
〔みやまのはなとどかぬえだぶり〕

恋よ恋 われ中空
〔なかそら〕になすな恋
恋風
〔こいかぜ〕が来ては袂〔たもと〕にかい縺〔もつ〕
思う中をば吹き分くる

(両想いの二人の仲を引き裂いていく)
花に嵐の狂いてし
心そぞろにいずくとも
道行
〔みちゆ〕く人に言問〔ことと〕えど
〔いわ〕〔せ〕く水と我が胸と
砕けて落つる涙には
片敷
〔かたし〕く袖〔そで〕の片思い

姿もいつか乱れ髪
〔がみ〕
〔た〕が取り上げて言う事も
(掛詞:言う・[乱れた髪を]結う)
菜種
〔なたね〕の畑〔はた〕に狂う蝶
(掛詞:菜・ない)
つばさ交
〔か〕わして羨〔うらや〕まし
野辺
〔のべ〕の陽炎〔かげろう〕春草〔はるぐさ〕
素袍袴
〔すおうばかま〕に踏みしだき
狂い狂いて来たりける

なんじゃ 恋人がそこにいた ドレドレドレ エエまた嘘言うか
わっけもないこと 言うわやい

アレあれを今宮〔いまみや〕
(掛詞:宮・見や[=来山翁の例をごらんなさい])
来山翁
〔らいざんおう〕が筆〔ふで〕ずさみ
土人形
〔つちにんぎょう〕の色娘〔いろむすめ〕
(土の人形で作った理想の女性)
高根
〔たかね〕の花や折る事も
(それは実際には手に入れることができない女性)
泣いた顔せず腹立てず
(人形だから泣きもしないし怒りもしない)
悋気
〔りんき〕もせねばおとなしう
(嫉妬もしないおとなしい女性)
アラうつつなの妹背仲
〔いもせなか〕
(現実には存在しない夫婦仲)

〔ぬし〕は忘れて ござんしょう
しかも去年
〔きょねん〕の桜時〔さくらどき〕
植えて初日〔しょにち〕の初会〔しょかい〕から
〔お〕うての後〔のち〕は一日〔いちにち〕
便り聞かねば気も済まず
うつらうつらと夜
〔よ〕を明かし
〔ひる〕寝ぬ程に思いつめ
たまに逢
〔お〕う夜〔よ〕の嬉しさに
酒事
〔ささごと〕やめて語る夜は
いつよりも つい明けやすく
〔い〕のう 去〔い〕なさぬ 口説〔くぜつ〕さえ
月夜烏
〔つきよがらす〕に騙〔だま〕されて
(まだ夜にもかかわらず月の光に浮かされて鳴いている烏に騙されて
もう朝が来たのかと怯えてしまった)
(「帰らせない」という女の言葉にほだされて)

いっそ流して居続〔いつづ〕けは
(いっそ、もう一日延長してしまおうか)
日の出るまでもそれなりに
寝ようとすれど 寝
〔ね〕いられねば
寝ぬを恨みの旅の空
〔よ〕さの泊〔とま〕りはどこが泊りぞ
草を敷き寝の肘枕
〔ひじまくら〕肘枕
一人
〔ひとり〕明かすぞ悲しけれ悲しけれ
葉越〔はご〕しの葉越しの幕の内〔うち〕
昔恋しき面影〔おもかげ〕や 移り香〔が〕
その面影に露ばかり
似た人あらば教えてと
振りの小袖
〔こそで〕を身に添えて
狂い乱れて伏し沈む


踊りを見ているあいだに清元を聞いているだけでは、この詞章の意味を理解するのはちょっと難しいと思うんです。
特に①の部分は、知らないと何も分からない内容です。
「来山翁〔らいざんおう〕」というのは(舞台の清元では「らいざんのう」と発音されると思いますが)、日本舞踊社の『日本舞踊全集』で次のように説明されています。

来山翁
大坂の俳人。小西来山のことである。十万堂、湛々翁と称した。始めは平野町に住んでいたが、晩年は今宮村に移ったので、今宮の来山翁といった。享保元年(一七一六年)に六十三歳で没している。家は貧しかったが、大変な酒好きであったので、よく飲んでいたと伝えられる。土の女人形を愛玩(あいがん)して、常にそばにおき、一生を無妻で過ごした奇人である。

また、詞章の中に出てくる「筆ずさみ」というのは、同じく『日本舞踊全集』に、

来山翁の書いた「女人形の記」をいう。

と書かれています。
小西来山〔こにしらいざん〕の書いた『女人形の記』は、下記のアドレスで読むことができます。
(短いです)

http://www.kyosendo.co.jp/essay/106_konishi_1/

現代で言えば、漫画・アニメのオタクや、フィギュアのコレクターのようなものでしょうか?

私が子供の頃、イギリスにカルチャー・クラブという名のバンドがあり、『君は完璧さ』という歌を歌っていました。まあ西洋人というものは、何と直球の表現をするものであろうか、「そのまんま」というか、こういうのを「曲がない」と言うのではないだろうか。同じことを、別の素敵な言い方で表現するのが詩というものなのではないか。・・・などとずっと思っていたのですが、この度ちょっと検索してみたところ、この邦題はオリジナルのタイトルとは全然関係ないものを日本人が勝手に付けたものなのだそうな。原題は“Do You Really Want To Hurt Me”、旧邦題は「冷たくしないで」だって。(おお・・・)
この「完璧」という中には、「向こうもこちらを愛している」という点が含まれていると思うのです。そういう人ってなかなか存在しないから、フィギュアとか、アニメとか、アイドルとか、完璧を求めると架空の存在に傾斜してしまうのでしょう。架空でならば、完璧な人はいますよ。現実にはなかなか見つからないでしょう。見つかった人は運が良かったのでしょう。
『日本舞踊全集』には「一生を無妻で過ごした奇人」と書かれていますが、現在の日本では、およそ5人に1人は生涯独身と言われています。さらにパンダなんか、ほとんど番わないって聞きますよ。完璧な相手じゃないと嫌なんじゃないですか。みんな同じ顔に見えますけどね・・・。

同じ毛色の白と黒 人目にそれと分からねど 親と呼び また夫パンダと 呼ぶは生ある習いぞや

モーツァルトのオペラでは、「相手は誰だっていい」というような人物が多く出てきますが、誰でもいいと思えるのなら保名も狂いはしないでしょう。
『旅情』という大昔の映画の中に、「肉がなければラビオリを食うんだ」という忘れ得ぬ名ぜりふがありましたが・・・。
一度、強力な不細工キャストで《コジ・ファン・トゥッテ》を上演したらどうなるか、試してみたらどうでしょうか?

「ピグマリオン」や「コッペリア」を知っていて、「小西来山」を知らないなんて、全く馬鹿馬鹿しいことでございます。
『マイ・フェア・レディ』というミュージカル映画がありますが、「自分の理想の女性を、自分で作り出してしまう」というお話ですね。漫画やフィギュアではなく、現実の女性を自分の理想に合わせて変形させていく。「それは女性蔑視です!」と言われないために、後半は「イライザ(理想の女性)の悩み、反抗」が描かれ、ちょっと暗い感じになっています。(後半、いらなくないですか・・・?)

保名は「完璧」を手に入れて、それをすぐに失ってしまったのですね。(これを「愛別離苦〔あいべつりく〕」と言う。反対語は「怨憎会苦〔おんぞうえく〕」)

ここで素晴らしい和歌を一首ご紹介いたします。
光なき 谷には春も よそなれば 咲きてとく散る 物思ひもなし
清原深養父(古今967


ともかく、「来山翁」のくだりは、「理想の相手はなかなか得られるものではない」ということを表現した部分であると思います。

保名は関西人であるにも関わらず、②の部分で吉原の恋人同士の描写となります。初演が江戸・都座、浄瑠璃が清元と来れば、ここの飛躍は「いつものこと」で、何の不思議もありません。

③「夜さの泊りはどこが泊りぞ」という詞章が、私は長いこと理解できないままでした。
「夜さ(よさ)」というのは、
よる。よ。夜さり。
「夜さり(よさり)」というのは、
 
《「さり」は来る、近づくの意を表す動詞「去る」の連用形から》
1 夜になるころ。夜。ようさり。
2 今夜。今晩。

だそうです。
ですから「今夜は、一体どこに泊ることになるだろう」という意味でしょう。
昔は、知り合いの家に泊るのでもなければ、どこに泊ることになるのか事前に分からない。夜になったら、その場で自分で必死になって宿を確保しなくてはならない。わりと良い宿に泊まれるかもしれないし、すごく酷い宿かもしれないし、最悪の場合は誰も泊めてくれずに野宿する可能性もある。夜になって、まだ宿が決まっていなくて、この先どうなるのか分からない、そのような非常に不安定な心理状態を、保名の心と重ね合わせているのでしょう。これは、旅先で何軒も宿を断られて途方に暮れた経験がないと、実感として理解できない詞章なのではないかと思います。その不安な心が保名とリンクするのです。
松尾芭蕉は次のように言っています。
東海道の一すじもしらぬ人、風雅におぼつかなし。 『三冊子』
(東海道の旅さえ知らない人は、俳諧に関わる資格がない。)
佐佐木幸綱著『芭蕉の言葉』p128
お芝居は架空の話、想像の世界ではありますが、年を取って、自分で経験してみて初めて分かる、ということがあるものです。何事も経験ですね・・・。

さて、ここで注目すべきは、完璧な恋人に会うことが出来ていた昔でさえも、保名は彼女に会えない時間を耐えることが出来なかった、という点です。恋人に会っていた過去の話から、そのまま、野辺をさまよう現在の保名に繋がっていくという時間処理の見事さ、素晴らしさ、この不思議な時間の感覚は、他の作品には見られないものです。

そして、
「主
〔ぬし〕は忘れて ござんしょう」は女のせりふ、
「いっそ流して居続
〔いつづ〕けは」は男の行動、
「去
〔い〕のう」は男、
「去
〔い〕なさぬ」は女、
そういうふうに、男と女がくるくると入れ替わったり、溶け合ってどちらなのか分からなくなったりする。
このような感覚も、海外の踊りには見られないものではないかと思います。

④「葉越しの葉越しの幕の内」の部分は、『日本舞踊全集』に次のように説明されています。
これは、原作の「芦屋道満大内鑑」の第二段で、榊の前の妹である葛の葉姫が、心に深い立願があって、腰元どもを引き連れ、産土神(うぶすな神)に参詣をし、父の信田の庄司や母を待ち合わせるために、道のほとりに幕を張らせて、散り残る花を見ることがある。葉越の幕とはこれをいう。そして、榊の前の妹であるから、幕の内から漏れるその声もほの見えるその姿も、保名にとっては榊の前の思い出になる。したがって「昔恋しき面影や 移り香や」であって、昔恋しさの保名の気持ちを叙したもの。
この部分は、「どこへ行っても、つい榊
〔さかき〕の前の姿を追い求めてしまう」ということが分かれば充分ですね。

「恋よ恋 われ中空
〔なかそら〕になすな恋」「夜〔よ〕さの泊〔とま〕りはどこが泊りぞ」は、中世歌謡から持ってきたものだそうです。
「恋よ恋 われ中空
〔なかそら〕になすな恋」というフレーズは、「わ中空に」という形で能『恋の重荷〔おもに〕』にも出てきますが、「1文字違うだけで、こんなに意味が変わるのか」と驚きます。『恋の重荷』は、ぜひ見ておくべき作品だと思います。

保名は、榊の前の着ていた小袖を持っていますが、平安時代、恋人同士は別れの朝にお互いの衣類を交換したのだそうで、次に会う時まで、その衣を恋人だと思って過ごしたのでしょう。別れの朝を「後朝〔きぬぎぬ〕」と呼ぶのも、衣を交換する「衣衣」から来ているのだとか・・・。
保名にとっての「榊の前の小袖」が、来山翁の「土人形」に相当するわけですね。

「その面影に露ばかり似た人あらば教えて」と保名は言いますが、「完璧」がもう二度と手に入らないことくらい、保名には分かっているでしょう。だから狂ってしまうのでしょう。
しかし!!その「完璧」が、葛の葉姫という形でもう一度保名の前に現れてしまうのです。
しかも!!知らないうちに狐に入れ替わってしまう・・・。
そんなことってあるのでしょうか・・・。
安倍晴明の持っていた不思議な力を解明しようとすると、こんな不思議な話が出来上がるんですね・・・。
不思議の原因は、さらに不思議。
その夜は、一体どんなふうだっただろう?

2017年3月18日 (土)

政右衛門はなぜ我が子を殺すのか【再掲】

現在、国立劇場で歌舞伎の「岡崎」が上演されています。
国立劇場ならではの企画と言えるでしょう。
平成26年12月に、44年ぶりに国立劇場で復活上演され、それが歌舞伎における「岡崎」上演史の最後になるのではないかと思っていたのですが、ここでもう一度見ることが叶いました。
長く上演されなかった理由として、「子供を殺すのが残酷だから」という点があると思われますが、我が子を殺す芝居は他にもございます。むしろ「殺す理由がよく分からないから」という理由だったのではないかという気もするのです。
政右衛門が我が子を殺す理由について考えた過去の記事を再掲しておきます。前回上演された時に書いたものです。

【問題】政右衛門はなぜ我が子を殺したのか、理由を推察して述べよ。
という問題が出たら、何と答えますか。

歌舞伎を見ていて、「意味が分からなくても楽しめる」という舞台は確かにありますが、だからと言って「分からないままで良い」とは思わなくて、「分かりたい」と思う欲望が私にはあります。それは、他の人の解釈と違っていていいと思うんです。ただ、自分で納得したい。後になって考えが変わってもいい。

今月、44年ぶりに歌舞伎で「岡崎」が上演され、話題になりました。私が「岡崎」に接したのは、昨年9月の文楽公演が初めてでした。歌舞伎ほどではありませんが、本家の文楽でも「岡崎」の上演は珍しい。その時は予習をせず、「敵討ちのために我が子を殺す」という粗筋だけしか知らずに、いきなり舞台を見てしまったのでした。大夫は私の大好きな嶋大夫師匠で、素晴らしい語りでした。しかし、意味の分からない部分がたくさんありました。1度しか見なかったのも悪かった。
そして今月の歌舞伎では少し予習をしてから「岡崎」を3回拝見しました。12月4日(公演2日目)、20日、26日(千穐楽)でした。
4日は吉右衛門さんが元気なさそうに見え、あまり感動しませんでした。ところが20日に拝見した時は、まるで別の芝居のように舞台が白熱し、手に汗握る名演だったのです。国立劇場で働いていることを誇りに思える最高の舞台でした。そして26日は、「岡崎」が上演されるのも歌舞伎の歴史上これが最後かなあと感慨にふけりながら見ておりました。

これまでは漠然と、自分の素性を隠すために我が子を殺したのだと思っていました。お谷が邪魔だったのと同じように、我が子の存在が邪魔だった。
しかし考えてみますと、実際には、殺したことで逆に正体を見破られている。すなわち、作劇上、正体を隠すために殺したのではないことになる。
妻のお谷がこの場にいると、言葉にはしなくても、お谷の表情や態度から政右衛門の正体がバレてしまうかもしれない。(幸兵衛は、厚さ約9センチの俎板の裏側をも見通す眼力を持った男)
けれど息子の巳之助はまだ赤ん坊であり、巳之助の表情や態度から政右衛門の正体がバレることは絶対にない。その理由では殺す必要がない。

ところで、政右衛門が我が子を殺す理由は、2か所のせりふで説明されています。

政右衛門のせりふ(A)
この倅〔せがれ〕を留め置き、敵の矛先〔ほこさき〕を挫〔くじ〕こうと思し召す先生のご思案。お年の加減か、こりゃちと撚〔より〕が戻りましたな。武士と武士との晴れ業に人質取って勝負する卑怯者と、後々まで人の嘲〔あざけ〕り笑い草。少分ながら股五郎殿のお力になるこの庄太郎、人質を便りには仕らぬ。目指す相手、政右衛門とやらいう奴。その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが頼まれた拙者が金打〔きんちょう〕

幸兵衛のせりふ(B)
匿〔かくま〕う幸兵衛、狙うは我が弟子。悪人に与〔くみ〕してくれと頼むに引かれず、現在我が子をひと思いに殺したは、剣術無双の政右衛門、手ほどきのこの師匠への言い訳。さりとては過分〔かぶん〕なぞや

政右衛門は幸兵衛に対して嘘をついているわけですから、(A)のせりふは嘘である可能性が高い。
一方(B)のせりふは、もうお互いに隠し事もなく、全てをさらけ出している状態ですから、確実な情報と言えるでしょう。しかしこの(B)のせりふが、よく分からない。分かるのは、殺したのが「師匠への言い訳」であり、幸兵衛はその行為に感謝している、ということばかり。
仮に「師匠を騙していることが申し訳ないので、お詫びの印に我が子を殺した」とすると、「なぜ、そんな行為を幸兵衛が感謝するのか」が分からないではありませんか。(そんなことをされても、嬉しくないでしょう)

ここで、もう1度(A)のせりふを見てみます。

政右衛門のせりふ(A)
①この倅を留め置き、敵の矛先を挫こうと思し召す先生のご思案。お年の加減か、こりゃちと撚が戻りましたな。武士と武士との晴れ業に人質取って勝負する卑怯者と、後々まで人の嘲り笑い草。
②少分ながら股五郎殿のお力になるこの庄太郎、人質を便りには仕らぬ。目指す相手、政右衛門とやらいう奴。その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが頼まれた拙者が金打

(A)のせりふは2つに分けることができ、①は本当、②は嘘なのではないでしょうか。本当と嘘が混ざっている。
つまり幸兵衛が巳之助を人質にした場合、「股五郎を殺すと巳之助の命はないぞ」と政右衛門を脅すことになる。それは政右衛門だけにこっそり伝えることは不可能なので、多くの人の知るところとなる。幸兵衛は卑怯者であると人々の笑い草になる。政右衛門としては、我が子が人質に取られたからといって敵討ちをやめるつもりはない。結局、幸兵衛は巳之助を殺すはめになる。人質作戦は効果がない上に、汚名だけを残す。そのことを現時点で知っているのは政右衛門のみ。どのみち助からない命であれば、自ら巳之助を殺し、育ての親を卑怯者にさせぬほうが良い。→我が子を殺す
ということなのではないかと、12月20日に「岡崎」を拝見しながら、吉右衛門さんの(A)のせりふを聞きながら、私は思ったのでした。

【回答】武術の師匠であり育ての親でもある幸兵衛を、卑怯者とさせぬため。

ついでながら、「ちと撚が戻りましたな」と「まだお手の内は狂いませぬな」は対になっているせりふであり、どちらも本心から出た言葉であると思います。

さて、あなたなら何と回答なさるのでしょうか・・・。

2017年3月14日 (火)

助六の紫【再掲】

今月は歌舞伎座で「助六」が上演されていますので、関連した過去記事を再掲しておきます。自分で書いておいてアレですけど、この記事は面白いと思うんです。



紫色を、「ゆかり」「ゆかりの色」と表現することがあります。『助六由縁江戸桜』という外題〔げだい=タイトル〕にも入っていますね。なぜ紫のことを「ゆかり」と言うのか、その原因となったのが、次の和歌です。

■紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(詠み人しらず)

紫を「ゆかり」と言うのは、この歌のためであるとされています。しかし、歌の中に「ゆかり」という言葉は含まれていませんし、何が「ゆかり」なのか、いろいろ調べてみたのですが、分かりやすく説明してくれる文章は存在しないんじゃないかと思うんです。存在しないものは自分で作るしかない!ということで、僭越ながら私が分かりやすく解説させていただきます。

 

この歌は『古今和歌集』に収録されているのですが、その当時の武蔵野(現在の東京あたり)はたいへん辺鄙〔へんぴ〕な田舎でした。和歌を詠むのは京〔みやこ〕に住む上流階級の人々であって、田舎の人はふつう和歌なんて詠まないんです。この歌の作者も、もともとは京に住む人だったのだろうと思います。ところが、京に住む上流階級の人々には「除目〔じもく〕」と言われる人事異動があって、急に地方の役職に任命されることがあったんですね。地方に赴任することは、必ずしも左遷とは限らなくて、地方のほうが財源が潤っていたりして、田舎で財力をたくわえて京に戻ってくるというようなケースもありましたが、武蔵野がそのような土地であったかは知りません。ともかく信じられないくらいの田舎で、今で言えば海外赴任で開発途上国に行くような、心細い感覚であったろうと思います。赴任した男だか、随行した女だか分かりませんが、この歌の作者がいざ武蔵野にたどりついてみますと、気候も違うし、だだっ広い武蔵野の野原には、見たこともない・名前も知らない草がたくさん生えている。仕事とは言いながら、何だって私はこのような場所に来ることになってしまったのだろう…なんて、自分の身をつくづくはかないもののように思っておりますと、野原の中に1本(1種類)、知っている草が生えているのです。その草は「紫草〔むらさき〕」と言って、歌の作者は見たことのない草だったのですが、存在は知っていたのです。この草の根は「紫根〔しこん〕」という、紫の染料でして、まだ京にいたころ、紫根で紫に染めた布は身近に使っていたからです。紫草の花って、紫色ではなくて、白い花なんですね。根っこは紫の染料なのだけれど、なぜか花は白。どんな花なのか見てみたい…、でも誰も見たことがないんです。京には生えていない、武蔵野の草だからです。その、誰も見たことのない花をいま自分が見ていると思うと、こんなに辺鄙な田舎の風景であっても、ちょっと素敵に感じられました。そういう内容の歌だと思います。武蔵野に住むようになった作者にとって、紫だけが京との接点だった、接点すなわち「ゆかり」ということです。

この歌は、武蔵野に住んでいる人に向けて詠んだ歌ではないでしょう。いつも紫草を見ている人には、この歌の意味は分からないのです。この歌は、京に住む知り合いに向けて詠んだ歌、「よりによって武蔵野に赴任だなんて、あの人いまごろどうしてるのかしら?」なんて思っているだろう知人に送った歌だと思います。

「あはれとぞ見る」の「あはれ」は、「しみじみと趣き深い」などと現代語訳されます。プラスの評価の言葉なのだけれど、どこか淋しい、陰りのある言葉です。切ない美しさとでも言うのでしょうか。しかし、2代目團十郎が助六を演じていたころ、江戸はもう、そのような場所ではなくなった。政治の中心地となり、活気に満ちていた。道を整備したり、橋を架けたり、家を建てたり、新しい仕事がいっぱいあった。よし、江戸に出て新しい生活を始めるぜ!という人々が集まって、とてもエキサイティングな、憧れの場所となった。

その土地にしか生えない植物で染めた色なら、その色はその土地の色、イメージカラーであり、やがて「江戸紫」と呼ばれるようになった紫根染めの紫は、江戸を象徴する色となった。

「紫のひともとゆえに」の歌は、『古今和歌集』に収録された千首あまりの歌の中でも、取り分けよく知られた歌でした。『源氏物語』の主要人物である、紫の上の名前の由来となった和歌だからです。知識人は全員この歌を知っていて、武蔵野と言えば紫、紫くらいしか思い浮かばない場所、という強いイメージを持っていた。その紫も、時代とともに意味を変えていく。紫はもう淋しい色ではなく、活気のある江戸を象徴する格好いい色となった。今日も助六は、江戸の色の鉢巻をして、花道へおどり出て行くのだった。

2017年3月11日 (土)

歌舞伎名ぜりふかるた

何度も書いていますが、私は現在、国立劇場で編集の仕事をしております。国立劇場の主催公演のプログラムを編集しているのですが、そのほかに「国立劇場グッズ」も作成することになっています。
むかしは職員がグッズを作ることは少なかった。ほとんどなかった。数年に1回くらい、絵はがきや一筆箋を作る程度。
ところが!
10年くらい前ですか、国立科学博物館がグッズ販売ですごい収入を叩き出したのだそうで、国立劇場もグッズで収入を上げるという話が俄かに持ち上がったト。10年くらい前。
ええっ、うちって非営利団体じゃなかったの?
グッズはすでに売店で作っているのだし、別に劇場が作らなくても・・・とは思ったのですが、自己財源が増えればそのぶん芝居で好きなことができるのでしょうし、まあ決められたお仕事ですから、とにかく私も何かグッズを作ることにしたト。
いろいろと制約がありまして、まず食べ物は駄目なんです。それから、特定の出演者の舞台写真とか紋とか文様は使えないでしょう。
そこで私は文楽絵はがき(人形遣いは写っていない)を作ることにして、舞台写真の選定から出演者の承諾(人形遣いが写っていなくても承諾は必要)、印刷会社とのやり取りなどの作業を経て、5枚セットの文楽絵はがきを2種類作成しました。
これは、なかなか美しい絵はがきが出来上がったのでは?うーん、1公演で売り切れちゃったらどうしよう~~、ムハハハハハ、などと皮算用していたのですが、これがもう全然売れなくって逆にビックリ。在庫の山、大赤字!
ええ~、こんなに美しいのに、どうして~~、どうして~~。
5枚セットで税込み700円という価格設定が強気すぎたのだろうか・・・。
でもそのくらいの値段じゃないと収入が出ないじゃないの。
これが売れないなら、もう何も思い浮かばない!!
そうして私はグッズ作りからすっかり離れていたのですが、今年度は国立劇場開場50周年で、何か特別なグッズを作らなければいけないとか・・・。おお・・・。
うちの係の働き頭の
さんが、ぬいぐるみやクリアファイルやマグネットや、1人でいろいろなグッズを企画してくれたのですが、その50周年記念グッズの目玉が「歌舞伎名ぜりふかるた」でありました。
それって作るの大変すぎじゃない?とは思ったのですが、まあ50周年だし、面白い企画なので、私もいろいろ協力しましたよ。

まず前提として、絵札には国立劇場所蔵の錦絵を使うことにしました。本当は舞台写真を使ったほうが売れるのでしょうが、それは無理なので。
※ニューヨークのメトロポリタン歌劇場では、オペラ歌手の写真(ひょっとしてイラスト?)を使ったトランプを売っているようです。ドミンゴとかグレギーナとかアラーニャとか。どうやって人選したのだろう。後で揉めたりしないのだろうか?「どうして私が入っていないんですか」「どうして私がクイーンじゃないのかしら」とか。まあ民間なら出来るのかもしれません。でもオペラは、衣裳・鬘・メイクだけでは何の役なのか分かりませんね・・・。

錦絵を使うとなると、明治以降に書かれた作品は錦絵が存在しないわけで、いくら名ぜりふでも長谷川伸や真山青果のせりふは入りません。

なるべくいろいろな演目から入れたい、という前提で名ぜりふ選びがスタート。
しりとりと同じで、ラ行の名ぜりふがないんですよね~。
ラ行には本当に苦労しました。
「流人は一致」というのは私が提案したのです。
ところが、私は「流人は一致」にしたかったのですが、「流人は一致、我々も帰るまじ」のほうが分かりやすいという意見が出て、そうなってしまった。
わたくし、自分に決定権がない仕事からはどんどん手を引かせていただこうと思っているのです。ええ。

意外なところで、「す」で始まる名ぜりふが見つからない。
ありそうなのに、どうしても見つからない。
す、す、す、
・すらざぁ言って聞かせやしょう
・すがねぇ恋の情けが仇
・すかも正月十五日
・すんぞ火の用心が悪うごんしょう
・すすすんちゅうの虫とはおのれが事よな

「し」ならいろいろあったのに・・・。

うちの係だけでなく、国立劇場のご意見番
先生にも考えていただき、「す」の名ぜりふは『鬼一法眼三略巻』から「スワと言わば晴の草履」と決まりました。
ところが!
かるたを考えるだけでも大変なのに、せりふの解説書も作ることになり、私は「大変だからおよしよ」と言ったのですが、説明がないと何だか分からないというので、これもうちの係の働き頭
さんが考えたのです。1つの名ぜりふにつき303文字以内で説明。
ところが!
「スワと言わば晴の草履」のせりふがどうしても説明できないと働き頭の
さんが言うので、私が考えることになりました。(一応、係長なので・・・)
実際のところ、「スワと言わば晴の草履」を303文字以内で説明するのって、かなり難しいんですよねえ。物語の人物関係がちょっと複雑でもありますし・・・。

すわといわば晴れの草履
虎蔵が皆鶴姫より先に戻ってきたのを咎め、鬼一が智恵内に杖で折檻させるくだりになる。「菊畑」の鬼一では唯一のしどころだ。ここの鬼一は、虎蔵を牛若とは前から知っているが、智恵内が鬼三太であるかどうかはまだはっきりしていないので、それを確かめてみようというのが肚である。従って、視線はあくまで智恵内のほうに注がれている。ただし、「すわといわば晴れの草履引っつかまんと思う性根はなく・・・」の台詞は牛若丸への暗示なのだから、そのつもりで利かせなければならない。ところが、こうした台詞や視線の意味は、「奥庭」が出てこそはっきり判明するのであって、通常の「菊畑」だけでは
観客にわかる筈がないのだから、せっかくの鬼一役者の演技も空虚になってしまうのだ。前にも述べたように本文の「奥庭」のくだりを読むと、鬼一の物語によって、智恵内に折檻を命じた理由が説明されてある。また、漢の張良〔ちょうりょう〕が黄石公〔こうせきこう〕の沓〔くつ〕を取ったのを認められて兵法を伝えられた故事にたとえ、牛若丸も虎の巻を伝授されるために草履取になったといって、鬼一はその奇縁を喜んでいる。つまり、「菊畑」で鬼一が「晴れの草履・・・」というのは、草履取を怠るようではなかなか虎の巻が手に入らないぞという教訓を含めているのである。

これは昭和39年11月の、たしか『演劇界』に載っていた記事です。(むかしの作品解説は読み応えがありました・・・)

すなわち、虎の巻を手に入れる極意が、このせりふに込められているのでありました。

草履取りというのは、低い身分ながら、貴人に接する機会の多い、特別なポジションだったのでしょう。取り分け、成り上がりを目論む人にとっては。
日本においては、草履取りから頂点に上り詰めた豊臣秀吉という実例がありましたから、特別な意味合いがあったのかもしれません。
中国では、張良という例があり、歌舞伎ではあまり出てきませんが、能では『張良』という「そのものズバリ」の作品が存在します。張良という人物が老人から兵法の極意を授かる物語ですが、いろいろ考えさせられる作品ですよ。

情報というものは、集めている人のところに集まってくるものでしょう。集めていない人には集まってきません。そして、収集には年月がかかるものです。
つまり情報はたいてい年寄りに蓄積されている。
そして兵法というものは、敵に知られてしまっては兵法にならないのですから、他の人には教えてあげないものなのです。
それを何とか得るための極意が「スワと言わば晴の草履」の名ぜりふに込められているわけですね。

「スワと言わば」の「スワ」は、いつ起こるかわからない、だから「いつも」そこにいなくてはいけない。たとえばカメラマンだったら、シャッターチャンスにその場に居合わさなくてはいけないのと同じように。
思えば勘平さんは、色にふけったから腹を切るのではなく、大事の場所に居合わさなかったから腹を切るのですね。
「侍」という文字が、「侍る(身分の高い人のそばに付き従っている)」であるのも、そういうことなのかなあと思うのです。

「い・色にふけったばっかりに」で始まり、「す・スワと言わば晴の草履」で終わる「歌舞伎名ぜりふかるた」。なかなか綺麗にまとまったのではないかと思います。
「む・昔を言やァ、ねぇ旦那(切られお富)」のような、「そんなせりふ、あったっけ?」という名ぜりふも混じっていますが、「昔、旦那と何があったのだろう・・・?」などと考えますと、実に味わい深いせりふであります。

先日、この「歌舞伎名ぜりふかるた」を使用して、かるた取り大会が開かれました。(あぜくら会員限定企画)
若手歌舞伎俳優の中村萬太郎さんが実際に札を読んでくださるという超ゴージャスな企画!
せりふを言い終わる前に札を取ってしまうケースが多く、せりふがかき消されがちでしたけど・・・。
萬太郎さんは、「舞台で言ったことがあるせりふは1つもない」「1つでも多く舞台で言えるように頑張ります」と仰っていました。
また山川静夫さんが、声色を披露したり、助六の長ぜりふを言ってくださったりして、会場も大いに盛り上がりました。

読んで楽しい、
取って楽しい、
国立劇場監修「歌舞伎名ぜりふかるた」。
国立劇場の売店で、どうぞお買い求めください。(税込み2000円)

2016年8月 9日 (火)

あれこれー

このあいだ、コクーン歌舞伎で『四谷怪談』を上演したじゃないですか。
スーツを着た人々が登場したので、いよいよ「登場人物が現代人である歌舞伎」が上演されるのか、そういう場面が創作されたのか、と思ったのですが、単なるモブでしたね・・・。

猿翁さんが昔、登場人物がスーツを着ている現代歌舞伎をやりたい、と発言していたことがあったと思うのですが、一向に実現しないですね・・・。
文楽では「お蝶夫人」を上演したことがありますから、ズボンを穿いた人物が出てきたことがありますけど・・・。

歌舞伎といえば、オペラと違って毎回同じ演出であり、多少の型の違いはあっても、同じ舞台装置、同じ衣裳、同じ照明、同じ音楽。それが全く形を変えて上演されるというので、コクーン歌舞伎にはワクワク胸を躍らせたものでした。
しかし、当初期待していたほどレパートリーが広がらず、同じ演目ばかり上演している印象ですねえ・・・。

2016年6月10日 (金)

今月の「吉野山」

今月の歌舞伎座の「吉野山」は、ノーカットで上演されるものと期待していたのですが、静御前の花道の出がありませんでした・・・。
でも「万歳」「やしょめ」のくだりは上演されました。
珍しいので、見逃さないでくださいね。

そして、詞章の解説はこちらをお読みくださいね。
(過去記事の再掲ですが)
 ↓

「吉野山」詞章解釈

2016年1月 4日 (月)

播磨屋情報

今日は新宿伊勢丹の「吉兆」で食事をしてしまいました。エヘ。

ところで、いま出ている「銀座百点」に、吉右衛門さんと山川静夫さんの対談が載っていますよ。要チェック!
吉右衛門さんは今年が年男だそうですよ。

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