1 歌舞伎あれこれ

2018年5月19日 (土)

阿古屋の判決と胡弓の音色

今度Eテレで玉三郎さんが阿古屋の話をなさるそうですね。何をお話しするのでしょうか。楽しみです。

私が阿古屋の舞台を初めて生で見たのは、国立劇場開場30周年記念公演の時でした。この演目は長く6世中村歌右衛門だけが上演してきて、継承者がなく、このまま消滅してしまうのかなと思っていたところに、まるで夢のように奇跡的に玉三郎さんの初演が行われたのでした。(ご本人は長い間ずっと準備をなさっていたわけですが)
多くの歌舞伎ファンの期待も最高潮となり、チケットが完売で追加公演まで出て、それでも見られなかった人もいましたが、私は幸いにも見ることができました。その時、私はすでに働いていたものの、若くて貧乏だったので3階席で見るのが当然のことと思い込んでいて、その阿古屋も3階席から見ていました。阿古屋が花道を出てくる時の早く、一瞬でも早く阿古屋の姿を見たいという熱望と緊張感、「いっそ殺して」ときざはしに身を投げ出す時の、時間の感覚がねじ曲がったかのような信じられないくらい美しい完璧な運び、三曲の演奏を客席中が固唾を飲んで聞き入っている時のかすかな空調の雑音、3階から見下ろしていた舞台の様子を今でもはっきりと覚えています。こんなものが見られるなんて夢みたい、と思ったものでした。(今振り返ると、国立劇場の30周年は本当に豪華な公演でした)

しかしその時、私はこの作品のことをよく分かっていなかった。
芝居を観終わった後も、阿古屋は本当に景清の行方を知らなかったのかな、本当は知ってたんじゃないのかなと疑っていたのです。
玉三郎さんの阿古屋を見ていて、「景清のことをすごく愛している」ということは分かったのですが、「愛しているがゆえに知っているけれど知らないと言い張っている」「知らないと言い通すことが景清への愛」ということもあるんじゃないのかな、演じる阿古屋の愛が強いほどに、そんな疑いがずっと消えなかった。
その後、何度も何度も玉三郎さんの阿古屋を拝見し、いろいろな劇場で、そして念願の1等席でも見ましたが、その疑いはずっと消えなかった。

しかし重忠は阿古屋を可哀想と思って同情して解放してやるわけではなく、あくまで裁判官として、阿古屋が景清の行方を知らない事実を確信したから許してやるわけですよね。
私も何度も見ているうちに、阿古屋は景清の行方を本当に知らないんだって、確信したんです。重忠と同じように確信した。何年もかかって、やっとそういうことが分かるようになったんですね。そういうことが分かってから聞く胡弓の音は、玉三郎さんの演奏する胡弓の音は、もう本当にすごいですよ。宇宙とか、無常とかいうことを感じます。初役の時から何度も見て、何度も夢中になって、段階を踏んで、そのような心の状態にまで行ったというのは、本当に有り難いことでございました。

2018年4月28日 (土)

かさねジャポニスム

フランスで日本文化を紹介するジャポニスム2018という催しがあるそうです。その中の企画の1つとして歌舞伎が上演され、獅童さんと七之助さんが『かさね』を踊るのだそうな。お2人とも初役だって。初めて演じる役をいきなりパリで!!ずいぶんと剛胆ですね。
パリでは、海老蔵さんと今の猿之助さんも『かさね』を踊りましたよね。フランス人は本当に『かさね』が好きですよね。だってむかしパリでは孝玉の『かさね』が上演されたことがありましたでしょう。孝玉の『かさね』を見ちゃったら、「もう一度あれが見たい!」と思って、同じ演目を何度も呼んじゃうんでしょう。でも孝玉の『かさね』はもう二度と見られないの。

私は仁左衛門・玉三郎による『かさね』を生で見たことがあります。お金がなかった貧乏な私は、いつものように3階B席で見ていたのだけれど、あまりのすごさに幕見で3回追加した。何度でも何度でも見たかった。怪談だから怖い。けれど美しい。あんなに怖くて美しい体験は初めてで最後だった。他に比べる物は世界中どこにも存在しない。仁左衛門・玉三郎という組み合わせは歌舞伎の奇跡、その中でも『かさね』は特殊な輝きだった。劇場中が体験したこともない霊気に包まれ、見終わった後には周りの人がみんな深いため息をついてどよめいていた。思い出すだけでも鳥肌が立つ。でもそれはもう二度と起こらない奇跡。日本人でも見られない奇跡をフランス人が見られません。

でも七之助さんの『かさね』は結構いいかもね。清元はどなたなのでしょう。日本で凱旋公演があるのかな。凱旋っていうのは勝った時に行われるものですけど。

2018年3月29日 (木)

奥役という仕事

もう終了してしまいましたが、国立劇場の歌舞伎公演のプログラムに、織田紘二〔おりたこうじ〕さんの連載記事がありました。私は編集企画室でこの連載の担当でしたので、織田さんとはたびたびお会いいたしました。
織田さんは国立劇場で歌舞伎公演の制作を長く担当されていました。制作担当というのはプロデューサーのことであり、昔の言葉では「奥役〔おくやく〕」と言うそうです。松竹では「制作」ではなく「製作」と書きます。そう言えば、松竹では「芸文」と書くところを国立では「文芸」と書いたりしますが、どう違うのかよく分かりません。
さて、織田さんの書いた文章に、このようなものがありました。

「奥役という仕事」
よくプロデューサーというとやりたがる人が多いけれど、実際にやってみると、こんなわりに合わない仕事はありません。まず役者、表方、裏方の皆さんと全部時間を合わさなければならない。役者さんの舞台がはねた真夜中に打合せが始まる場合もあって、私的な時間はまったくとれません。それでいて皆に文句や苦情を言われて、隅の掃除人みたいなものです。そして目立ってはいけない。誰よりも利口に見えてもいけない。奥役の十訓というのがあるんですが、これを見ると、現代の芸能界などでいうところのプロデューサーという、格好いい仕事とは大分違います。
たとえば、同じ問題に関して、役者さんからはAと言われ、表方からはB、裏方からはCと言われたとき、そこでお手上げになってしまったら芝居は開きません。初日を開けるためには、どこかでそれを調整してDを割り出してこなくてはいけない。Aの要素もB、Cの要素も持っているDを割り出して皆が満足するように、それで皆が自分の意見が通ったと思うように配慮する仕事です。ひとつの仕事というのは平面体でも球体でもなくて、六面体、八面体と幾つもの面を持っていて、ある面では役者さんが自分の希望が叶ったと思い、ほかの面では表方も満足する、けれどそれは一面にすぎなくて統合されてひとつの仕事が成り立っていくわけです。幾面にも、ものを考えられなくてはいけないし、なおかつ考えているように見えてもいけない。芝居を成り立たせるために、必要に迫られて考えだされたのが、奥役という仕事だったのではないかと思います。

そして次の文章は、八世市川団蔵の書いた『七世市川団蔵』という本の中に書かれていた逸話です。奥役の話かどうかは分かりません(「知恵者」ということになっている)。

大坂の稽古場で、俳優の持ってくる、座布団の置く所が非常にやかましく、頭取が指図してきめるのですが、もし隣の人の座布団との間が、少しでも多いと男衆は物差しで計り、「内の親方と○○屋とは、そんなに身分が違わぬに、なんでこの間を多くあける」と立腹したり、そのまま座布団を持って男衆が帰ったりするので、稽古の流れる日が度々あり、はなはだしいのは、下駄箱に屋号を書いて張るその順が気に入らぬといって、初日が延びたこともあるくらいなので、父が「楽屋で威勢争いをせずに、舞台の芸で何故争わぬのだ」と笑っていた。(中略)
この座布団について聞いた話ですが、橘三郎、我当、時蔵などの芝居で、三人が座布団の置場所で争い、幾日も稽古ができないのです。そこで知恵者が考えた末、正面へ屏風を立て回し、我当、時蔵、橘三郎という順に、三枚の座布団を置き、松嶋屋へは「お家柄ですから一番上座に致します」、播磨屋へは「松嶋屋と伊丹屋を両端に置き、正面の真ん中に致しました」、伊丹屋へは「一番御先輩ゆえ、座頭どころに置きます」といったので直ぐ納まったのも滑稽です。
このときに「忠臣蔵」が出て、播磨屋の師直に松嶋屋の判官で、初日に三段目で、薄縁〔うすべり〕が敷いてあるのを、松嶋屋が「あの場は座敷ではない、松のお廊下だ、畳があってはいかぬ」といって二日目には薄縁をとらせたのです。すると播磨屋が「なんで敷かぬのだ」と苦情を出したので、訳を話すと「それはいかぬ、刃傷のあった所は、お廊下かは知れぬが、そこが芝居だ、第一板の間へ座るのが、よっぽどおかしい」といって三日目に敷かすと、また松嶋屋から小言なので、係の者も困じ果てて前の知恵者に相談すると、「こりゃ私にも工夫がない、殊に双方の立者をへこますこともできないから、苦情の出た方の顔を立て、翌日からその通りにしたら好かろう」といい、毎日小言の聞き役ができ、とうとうその興行中、一日置きに薄縁があったりなかったり。

織田さんは結構楽しそうに仕事をしていたという印象がある。離れた部署から見ていた分には。
しかし総じて、劇場というのは常に誰かが不満を持っているというふうにも思う。

2018年3月25日 (日)

とんだ判じ物

昨日、今日と芝居を見に行ったら、2日とも客席の私の位置に冷たい風がずっとビュービュー吹き付けてきて、すっかり風をひいてしまいました…。

安倍政権はいつになったら退陣するのでしょうか…。

さて~、私が「お染の七役」を初めて見たのは平成5年(1993)12月の歌舞伎座でした。七役は中村福助さんでした。役ごとに、衣裳や鬘だけでなく、声やしぐさもガラリと変化するのがすごい!と思いました。「おおい、こっちのうちだよ」と言う台詞の声のデカさに驚いたことを今もはっきり覚えています。(歌舞研の部室で福助さんの声のデカさが話題になるくらいデカかった)
私は福助ファンなので、当たり役の「お染の七役」はたびたび拝見しています。「通らねえ煙管だの」なんていう台詞は見た最初から理解できていたと思いますが、「とんだ判じ物だの」という台詞の意味がずっと分かりませんでした。「判じ物」というのは謎解き、クイズのようなもので、『新薄雪物語』にも出てきますから、単語の意味は分かります。でも台詞の意味が分からなかった。それが今日やっと分かったのです。それも『於染久松色読販』を見ていて分かったのではなく、その後の『滝の白糸』を見ていたら分かったのでした。『滝の白糸』にも「判じ物」という台詞が出てくるんですね。
「お染の七役」を見ていて、いつも「その判じ物の答えって何なのだろう?」と思って、クイズの答えを探していた。
そうではなく、この台詞は、「夫婦で駕籠なんか担いでいたら、見た人たちがさぞ不思議に思って、そうしなければならなくなった原因を考えるだろうねえ(でも分からないだろうねえ)」と言っているのだと分かったのでした。
24年も経ってやっと謎の台詞の意味が分かって、なかなか感慨深いものがありました…。


2018年2月17日 (土)

判官御手〔ほうがんおんて〕

『勧進帳』は、「安宅〔あたか〕の関」をもじって「またかの関」などと揶揄されるくらい頻繁に上演されますし、歌舞伎の人気演目アンケートが行われると、たいてい1位になると思います。
歌舞伎ファンは、結構せりふを覚えていたりするでしょうけれども、かと言って、黙阿弥みたいに全てを暗唱できる人は少ないでしょう。
(九字の真言くらいは言えますかね・・・?)

わたくし、「時しも頃は如月の」という歌詞から、2月の話かと思っていた時代もございました(爆)。

ところで先日、『勧進帳』初演時の逸話を読んでおりましたところ、驚きの記述がありました。

しかし、かくして出来た勧進帳にも、ただ一所、唄の中に誤りがある。それは「ついに泣かぬ弁慶も一期の涙ぞ殊勝なる判官御手を取り給い」というので、家臣に対してつけた「御」の字、これは海老蔵も後で心付いたが、そのまま演じてしまったので、今もそれで唄っている。
「ついに泣かぬ」より「判官御手を取り給い」までの所は、当時美音をもって鳴った麹町の岡安喜代八(故の南甫の祖父)が唄う所なので、日々「ここなり」と俳優始め楽屋まで皆聞きに行くほど、人を惹きつけた妙所だから、今更文句を変えてぶち壊しになってはと、誤りと知りながらそのままにしたのだという、確かに喜代八が美音の誉れと言うべきである。
『近世文芸研究叢書』第二期芸能篇15「勧進帳考」より

「判官御手」と聞くたびに、何かがおかしい、何かがおかしいと半ば無意識のうちに思い続けてきたものが、「そうか間違いだったのか!!」と突然、腑に落ちたのでした。(「御手」でないならば、「判官その手を取り給い」とでもなるでしょうか)

しかし、すぐに私は思ったのです。この曲は、弁慶を初演した五代目海老蔵が作詞したのではない。作詞者の三世並木五瓶も、「御」の字をあとから振り返って「誤り」と思っただろうか?

そも義経は弁慶の行為を「まさに天の加護」「弓矢正八幡の神慮」と言っているのだから、その手に「御」の字が付いていてもよいのではないだろうか?その手が神の手であるならば。

わたくしも、これまで46年間にわたって生きてきて、死んでもおかしくない時が何回かあったと思うのです。でも何とか生きてきたし、1度も飢えたことがないですし・・・。
自分は何かの力で生かされているんだなと思う時がありますよ。年を取ると特に。
その力に対して、ここでは「御」の字が使われているのじゃないかと思ったのでした。つまり、これまで「判官御手」のことを全然分かっていなかった、ということがやっと分かったのです。

2018年1月21日 (日)

『京鹿子娘道成寺』詞章解釈「山尽くし」

歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺』が上演されなくなって何年になるのでしょう・・・。

このブログでは、遠い昔、何回かにわたって『京鹿子娘道成寺』の詞章解釈を載せてきました。しかし、「鞠歌」「山尽くし(鞨鼓の踊り)」の部分はまだ書いておりませんでした。
この2つの場面は、「踊り地」に相当する部分でしょう。「踊り」の「地」、すなわち、「長唄はあくまで踊りのBGM」ということでしょう。「~尽くし」というのは、言葉遊びであり、あまりストーリー性を感じさせません。

謎の主人公・花子は、「私は白拍子です」と言って人前で踊りを披露するわけですから、白拍子の踊りを踊るのでしょう。
白拍子の舞というものは、『京鹿子娘道成寺』初演時より遥か昔に流行した舞で、初演時にはすでに消滅していて見られないものであったと思いますが、「男装した女性が舞う舞」ということは江戸時代の観客も知っていたのでしょう。
花子は男装はしていませんが、白拍子と名乗っているので、男性っぽい踊りを踊る場面があり、「金冠」と「山尽くし(鞨鼓の踊り)」の2箇所が男性っぽい踊りだと思うのです。
私の考えでは、鞨鼓というものは男性が打つものであり、あんまり女性が打ったりはしないと思うんです。
踊っているのは歌舞伎俳優という男性なのですが、演じている役は女性の役であり、その女性の役が男性っぽい踊りを踊るという、性別の重層性のようなものを感じさせる、非常に人工的・技巧的な、特殊な場面だと思います。

「山尽くし」の部分は、山の名前をたくさん織り込んだ言葉遊びの歌詞なので、分かるも分からないもない、といった感じですね。
しかし、私はずっと「歌の中山って何のことだろう?」と思っていたのです。
このあいだ、『竹田出雲並木宗輔浄瑠璃集』という本をパラパラと読んでおりましたところ、「新うすゆき物語 上巻」の脚注に「歌の中山清閑寺〔せいがんじ〕」の解説が書かれていました!!

歌の中山清閑寺〔せいがんじ〕
清閑寺は今は「せいかんじ」と澄む。京都市東山区山ノ内町にある真言宗智山派の寺。「歌の中山」は清閑寺から清水寺へ行く山道のあたりの通称。歌文に「歌の中山清閑寺」と言い連ね、清閑寺の雅称としても用いる。語源については寺記の伝説がある。
「歌の中山は滑谷道〔しるたにみち〕の北、清水より清閑寺へ行く路の西にあり。・・・清閑寺の寺記に云う、昔、この寺に真燕僧都という人あり。ある夕暮れ、門外にたたずみて行きかう人を見居たる折節、髪貌〔かたち〕めでたき女、ただ一人行くを見てたちまち染心おこりけれど
(綺麗な女が1人で歩いていたのですごく気になったけれど)、物いいかくべき便りなくて(話しかけるきっかけがなくて)、『清水への道はいずれぞ』と問いければ(知っているのに知らないふりをして清水寺への道を尋ねたところ)、女、『見るにだに まよふ心の はかなくて まことの道を いかでしるべき』(あなたは見ているだけでも煩悩だらけで頼りなくて、とても悟りを開けそうもないわね)といい捨て、やがて姿をみうしないけるとぞ。女は化人にて侍りけるにや。その歌よみし処をば歌の中山と云うとなん」(寛保元年序・謡曲拾葉抄・田村)

つまり、「歌の中山」は「山の名前」ではなくて、「名所の名前」なのであった!

2018年1月17日 (水)

玉藻前

このブログも、同じことばかり繰り返し書いているような感じですが・・・。

私は大学生の頃、歌舞伎研究会というサークルに所属していました。
歌舞伎研究会は多くの大学にありましたが、研究だけしている「研究校」と、自分たちで歌舞伎を演じてしまう「実演校」とがあり、私の行っていた法政大学は実演校でした。
集客の心配などせず、やりたい演目をやれば良いわけですが、いくつか制約がありました。
 
・子役が出ない演目
 
・場面転換がない演目
 
・「登場人物の人数」が「部員数の都合」と合致する演目
その上で、「綺麗な衣裳が着られる演目」が候補に挙がってまいります。
『玉藻前曦袂』の三段目「道春館」も上演候補に挙がったことがありました。
(『玉藻前曦袂』の三段目は「玉三〔たまさん〕」などと略称で呼ばれることもありますが、幕内では「外題を略称で言うのは下品なことである」とされております)
やはり振袖を着たい人が多いわけなので、「道春館」はぴったりの演目だったのですね。
(結果として上演されたのは「熊谷陣屋」でした)

私は、「『道春館』を生で見たい」という希望をずっと持っておりましたが、文楽では見ることができました。歌舞伎では見られなさそう。

「玉藻前は、なぜ玉藻前という名前なのか?」というのがずっと不思議だったのです。
「玉」というのは「宝石」とか「美しい」という意味でしょうから、「玉」の「藻」で「珊瑚」になるのかな?と思っていました。
ところが辞書を引きますと、玉藻は「藻の美称」であって、「美しい藻」のことではないらしい。

玉藻
たまも
水中に生える藻の古称で、特定の藻種をさす語ではない。「玉」は美称。『万葉集』に詠まれている「今日(けふ)もかも沖つ玉藻は白波の八重(やえ)折るが上(え)に乱れてあるらむ」(巻7)や「水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻の生ひ出(い)でずよしこのころはかくて通はむ」(巻11)などの玉藻はホンダワラをさすと考えられる。ホンダワラ類の体枝上にはたくさんの小形うきぶくろがあり、これによって玉藻の語が生まれたとも解されるが、なかには淡水域の水草と解される場合もあり、語の由来ははっきりしない。たとえば「勝鹿(かつしか)の真間(まま)の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児名(てこな)し思ほゆ」(巻3)の玉藻は、海草のアマモか汽水草のイトモ、エビモなどをさすと考えられる。
なお、タマモと片仮名表記する場合は淡水産緑藻植物のChaetophora elegans Agandhをさす。これは冷たい水域に産し、鮮緑色、寒天質の小塊状体となる。大きさは1センチメートル以内と小さいため、注意しないとみつけにくい。[新崎盛敏]
日本大百科全書(ニッポニカ)

私は藻を美しいと思ったことがない。
藻って美しいでしょうか?
水の中に生えている草ですよね、草。花じゃないですよね。
いくら美称で呼んでも草は草。
なぜこれを、帝を惑わす絶世の美女の名前にしたのだろうか?

その長年の疑問が、今朝、突然解けたのです。
「玉藻前」というのは、藻のことを言っているのではなく、「水底深く揺れる藻が見えるくらいに水が澄んでいる」という「透き通った状態」をさした命名なのではないでしょうか。
そうに違いないと思う。

それがなぜ今朝突然分かったのかが分からない。

2017年7月31日 (月)

衣裳負けしないように

きのう、玉三郎さんのディナーショーで、「ひとりぼっちのローマの泉」という歌を聞いたのです。ネットで検索すると「ひとりぼっちの愛の泉」と引っかかるのですが、玉三郎さんは「ひとりぼっちのローマの泉」と言っていたと思います。そして、そのタイトルのほうが歌の内容に相応しいように思います。世界中の恋人たちがここにやって来て、異国の言葉で愛を囁き、再び二人でここに来ようと約束する、そうして私はひとりぼっちでそれを眺めている・・・というような内容の、とても洒落た歌でした。

玉三郎さんが初めて人前で歌ったのは、およそ30年前、衣裳負けしないようにと言ってミンクの毛皮のコートを買ってくれた人のために、年末の帝国ホテルの奥の方で歌ったのが最初と仰っていました。
玉三郎さんのトークの中で「衣裳負け」という言葉を聞いて、私はこの言葉を初めて聞いたような、いや遠い昔から知っていたような、不思議な気持ちがしました。
美しい衣裳には、それに相応しい芸格が必要。
玉三郎さんは、美しい衣裳を着ることに、すごく執着心があった人だと思う。自分の稼いだお金を衣裳の製作につぎ込み、またパトロネージュしてくれる人もいたのでしょうね。私はフランコ・ゼッフィレッリ演出の豪華なオペラが好きなのですが、舞台衣裳の美しさは玉三郎さんのほうが数段上でしょう。図案、配色、織り、染め、刺繍、箔、他の興行では衣裳にあれだけの手間をかけられない。持っているお金や時間や才能をもっと別のことに使ってしまう。日本にはちょうど玉三郎さんのキャリアと重なるように「バブル経済」というものがありましたから、歴史上でも稀有な美を私は見ていたのじゃないかと思ったのです。

以前、玉三郎さんの衣裳をガラス越しながらも間近で見られる展示があって、政岡や富姫の衣裳を見た時は本当に衝撃的な美しさでした。
美しい衣裳を着るための努力と、その衣裳に見合うだけの芸を積み重ねてこられたのでしょうね・・・。

毛皮のコートを着てヴェネツィアのゴンドラに乗る感覚が飛び過ぎていて私にはよく分かりませんが~~。

2017年7月12日 (水)

『一條大蔵譚』あれこれ

私は国立劇場に勤めていますので、仕事の都合上、文楽の床本を読む機会が多いのです。ところが『一條大蔵譚』は、歌舞伎では頻繁に上演されるのに、文楽では全く上演されないので、台詞を活字で読む機会がない。その点で、他の義太夫狂言と異なる特別な演目です。いつも見ていて不思議な感じがするのです。

文楽太夫の豊竹咲太夫師匠は、50年前の国立劇場開場記念公演で咲太夫の名跡を継がれました。その時の披露狂言が「菊畑」でした。(復活上演)
昨年、国立劇場開場50周年記念として咲太夫師匠にインタビューする機会があったので、なぜ文楽では一條大蔵卿のくだりが上演されないのか質問してみたのです。
師匠曰く、あの場面は歌舞伎で工夫され、歌舞伎で上演されてこそ面白いと聞いている、文楽で上演しても面白くない、文楽で『鬼一法眼』を上演する時は「菊畑」を最後まで出すから、そこまでの時間がない、と仰っていました。

今月、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で『一條大蔵譚』が上演されています。
台本を読んでみますと、こんなことを言っていたんだなあと改めて新鮮に感じますね。

常盤御前の台詞の中に、和歌が出てきます。
世の中の 人の心の 竹なれば 割りてや君に 見せましものを

出典は不明ですが、意味は「私の心が竹だったならば、割って中をお見せするところですのに」「もしも心の中が目に見えたならば、私の心が竹のように真っ直ぐで中に何のやましさもないことがお分かりいただけますのに」「あなたに疑われて悔しい、けれど私は潔白です」ということでしょう。
おそらく「世」には「節〔よ〕」という言葉が掛けられています。「節〔よ〕」というのは竹の「ふし」のことで、竹の縁語ですね。

また、大蔵卿の台詞の中に、次の和歌が出てきます。
子〔ね〕の日する 野辺〔のべ〕に小松〔こまつ〕のなかりせば 千代〔ちよ〕のためしに 何〔なに〕を引かまし

こちらは『拾遺集』に採られた壬生忠岑〔みぶのただみね〕の歌です。
その昔、正月の最初の子〔ね〕の日に、若い松を根から引き抜く雅な遊びがあったのだそうです。松というのは大変に長命で、私の生まれるずっと前から生えている松が、私の死んだずっと後にも生き続けるという、羨ましい長寿の代表のようなものです。若い小さな松の中にも、すでにそれだけの生命力が予め備わっている。「子の日の遊び」は、小松を引き抜いて飾ることによって、約束された長命にあやかっていたのではないでしょうか。「予祝」というものですね。
「何を引かまし」というのは、「松と肩を並べるくらい長命な生物はいない」「松の代わりは存在しない」「松が一番、松が最高(他はまるで比較にならない)」という、松の長寿を賞讃する言葉ですね。
ところで、平清盛の長男である平重盛〔たいらのしげもり〕は、小松谷〔こまつだに〕というところに住んでいたので、「小松内府〔こまつのないふ〕」とか「小松殿〔こまつどの〕」と呼ばれていました。
壬生忠岑の和歌の「小松」の部分を「平重盛」に置き換えると、「平家の中で優れた人物は重盛しかいない、他は取るに足らない」という意味になります。
大蔵卿はこの和歌を鬼次郎に託して、源氏の公達(頼朝や義経)に伝えてほしいと言います。つまり伝言というのは、途中で誰か別の人の手に渡ってしまう危険があるので、暗号でなければならない。何も知らない人が読むとただの古歌に見えるけれども、その奥に隠れたメッセージが潜んでいるわけですね。「重盛以外は取るに足らない」「いくら兵力を整えても、重盛が健在のうちは戦ったら駄目」、それは誰にでも分かる情報ではなく、大蔵卿の地位でこそ見える状況であり、「兵法の極意の伝授」という本作の作意にも関わることなのでしょう。
和歌の意味が分からないと、なぜ一條大蔵卿がこの場に出てきて本性を表すのか、分からなくなってしまいます。

さて、高校生に和歌が聞き取れているでしょうか・・・?

2017年7月10日 (月)

KABUKI by KISHIN

先日、篠山紀信さんのトークショーに行ってきたのです。
KABUKI by KISHIN』という歌舞伎の写真集(5万円)を出版した記念の会でした。
紀信さんは、これまでにも玉三郎さんや仁左衛門さんの写真集を出していますが、今回は50数名の歌舞伎俳優の写真をまとめたもので、出版の規模からしても、これだけの写真集は今後出せないだろうということでした。
写真の点数は、もちろん玉三郎さんの写真が一番多く掲載されています。
『演劇界』や『和楽』などで見たことのある写真も多いですが、とにかく本が大きいので迫力があります。

私は5年ほど前に、木之下晃さんの講演会に行ったことがあります。
舞台の写真撮影は、まず「撮りたい」と思った人が全員撮れるわけではない。
そして、上演中にシャッター音がしてはマズいので、必然的に遠くからの撮影となる。
たくさんの制約があります。
木之下さんは、駆け出しのころマリア・カラスの来日コンサートの公式カメラマンに抜擢され、当時開発されたばかりの高価な望遠レンズを特別に借りることが出来たのだそうです。他の人と条件が違ったわけです。なぜ、そのような特殊な立場になれたのかというと、ご本人の話によれば「ギャラが安かったから」とのことでした。(本当かどうか知りませんが)

ところが!
紀信さんは、自分は他の人と同じ条件で撮影している、ということを強調されていました。カメラの機材も普通に市販されているものだし、撮影も舞台の本番を普通に撮影したもので、特別な扱いはされていないそうです。
では、なぜ篠山紀信の写真が特別なのか?
それは、ご本人の話によれば、未だに「やっぱりカメラはライカじゃないとね」とか、「デジタルの写真は味わいがない」などと言う人がやたら多くて、その古い固定観念が駄目なんだとのことでした。紀信さんはその逆で、「今の写真は今の機材で撮る」という主義(?)だそうです。

しかし、私がかつて平成中村座で勘三郎さんの『お祭り』を拝見していた時、最前列で見ていた私の隣に紀信さんが突然やって来てパシャパシャ音をさせながら写真を撮り始めたことがあり、かなり特別扱いされている感じでしたけどね・・・。
そして、売れている人ほど機材を更新しやすいとか、名前の出ている人ほど取材しやすいという特権は、やっぱりあると思いますよ。まあ自分でその地位を築き上げてきたのですから、立派ですけれども。

5万円の写真集を買おうかどうしようか迷っていたのですが、結局買ってしまいました。サイン、握手もしていただきました。もう重くって重くって、帰りの道が大変でした・・・。

より以前の記事一覧

2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ