1 歌舞伎あれこれ

2019年9月 1日 (日)

市川海老蔵展

日本橋高島屋で開催されている「市川海老蔵展」を見てきました。
衣裳、舞台写真、舞台映像、インタビュー映像が主に展示されていました。
代々の市川團十郎ゆかりの品などがもっと展示されているのかと思っていましたが、そういうものは少なめでした。十代目團十郎関連の品がいくつか見られたのが珍しい感じでした。

むかし、国立劇場の資料展示室で「市川団十郎展」をやったことがあると思いますが、代々の團十郎の書や画が展示されていて、俳優でありながら書や画にも秀でているという「文化人としての多面性」を感じることができました。むかしの国立劇場の資料展示は豪華だったんですよね。いまは予算を削られ、すっかりしぼんでしまって・・・。

むかし、江戸東京博物館で十二代目市川團十郎丈の講演会があったのですが、代々の團十郎が書、画、俳句、漢詩などの英才教育を受けていたという話題になり、聞き手が「そんなにたくさん、大変なんですね」と言ったところ、團十郎丈は「そんなのは普通じゃないですか」と話していらっしゃいました。團十郎が大変なのは普通のことなんですね。

ところで、いまの海老蔵さんも、そのような英才教育を受けたのでしょうかねえ?

展示会場で流された映像の中に、花火を借景として海老蔵さんが立ち廻りをする野外公演の映像がありました。次々と打ち上げられる花火の中に、市川家の紋である「三升」をかたどった花火があって、驚きました。四角い花火って、どういう仕組みになっているのだろう?しかも、四角形の一角からその対角に向かって色を変えながらキラキラと輝いていくという、見事な花火でした。すごい。

展示会場に掲出されていた代々の團十郎の錦絵は、複製画に見えたのですが、どうなのでしょうか。

2019年8月29日 (木)

花外の酔奴

尾上右近さんの自主公演「研の会」のチケットが、キャンセル待ちで入手できました!良かった・・・。
席は花外〔はなそと〕でした。
私は平成4年から歌舞伎を見ているのですが、花外で歌舞伎を見るのは今度で2度目になると思う。
花外は、「芸裏〔げいうら〕」とも言い、幕内の符丁では「ドブ」とも言う。
なぜ同じ料金なのか私には理解しかねるところですが、意外と見やすいという話も聞いたことがあります。芸裏からしか見えないものも確かにあるわけなので、この際、2度目の花外を楽しみたいですね。

上演演目の「弁天小僧」はお馴染みですが、『酔奴』は初めて見るので、詞章をチェックしておこうと思って日本舞踊社『日本舞踊全集』を開いてみたら、何と掲載されていないではありませんか。
国立劇場の主催公演では、平成25年に花柳寿太一郎さんが1度だけ踊っています。
よほど珍しい演目なんですね・・・。

2019年8月24日 (土)

紀尾井町夜話

歌舞伎座ギャラリーで行われた「紀尾井町夜話〔きおいちょうやわ〕」第四夜に行ってきました。

松緑さんのトークショーには何度か行ったことがあります。国立劇場で織田紘二さんを聞き手として出演したのが最初だったでしょうか。この時は聞き手がかなり年上だったこともあり、わりと大人しい感じでした。その後、気心の知れたゲストを迎えたりして、ずいぶん弾けた内容になってきました。(夜話ではお酒が入ってますし)

今回は、まず松緑さんの服装に衝撃を受けました。黒地に花模様のスーツ?こんな服を着ている人は見たことがない!写真撮影オーケーの時間もありましたが、私のガラケーではボケボケ写真しか撮れませんでした。

ゲストは梅枝さん。ハワイから帰りたてで、日焼けしていました。

国立劇場の7月歌舞伎鑑賞教室では、「車引」と『棒しばり』が上演されたわけですが、演目の決定にずいぶん時間がかかったのだそうです。『夏祭』が候補に挙がっていたのですが、親殺しの内容が鑑賞教室に相応しくないということでボツ。(お父様の初代辰之助さんが、むかし鑑賞教室で『夏祭』を上演したことがありましたが)
『文七元結』も挙がっていたのですが、吉原へ身を売るという内容が相応しくないということでボツ。『身替座禅』も不倫の話で論外。
国立劇場の歌舞伎鑑賞教室は、高校生が主な客層なのですが、7月は後半が「親子向け」になるので、6月よりも更に演目の幅が狭まるのですね。親が子供に説明できないんですね。
そうすると、本当に上演できる作品が限られてしまいますね・・・。

※新国立劇場のオペラ鑑賞教室では、娼婦の話《椿姫》や、強姦の話《トスカ》、領主の初夜権の話《フィガロの結婚》なども上演していますが、こちらは観客を高校生に限定しています。オペラは強姦の話がやたら多いですね。《フィガロの結婚》も、スザンナは嫌がっているのですから、伯爵は強姦を狙っているわけですね。新婚の花嫁の。

他に出た話では、
「金閣寺」で碁を打つ場面がありますが、本当に碁を打っているのだそうです。「本当に碁を打っている」という話は私も聞いたことがありましたが、松緑さんは碁が強いので、大膳なのに毎回勝ってしまうのだそうです。勝っているのに「兄者が負けた」と言われているのだそうですよ。
ちなみに開演前、舞台に碁盤を用意する時は、お弟子さんが新聞の囲碁欄などを参考に本格的に碁石を置いておくのだそうな。

『傾城反魂香』の修理之助が虎をかき消す時、筆で「龍」の字を書きますが、「竜」の字の場合もあるそうです。「辰」の字はないそうです。(梅枝さんが「竜田揚げの竜」と言っていました)
梅枝さんのお話では、「金閣寺」の雪姫は爪先鼠の場面で、ひらがなの「ぬ」の字を書いているのだそうです。最後に目を入れるところでは、「ぬ」の字の真ん中あたりに入れているそうな。全然知りませんでした。「ぬ」の字は鼠に似てますかね・・・?最後のクルッとしたところがしっぽなんですね。
「龍」の字も、知る前は何を書いているのかさっぱり分かりませんでしたが、話を聞いた後に見ると筆で「龍」の字を書いているのが見えてくる。次に「金閣寺」を見る時は、「ぬ」の字が見えてくるのでしょうか。

2019年3月18日 (月)

『傀儡師』あれこれ

今月の歌舞伎座で、清元の舞踊『傀儡師』が上演されています。私は平成4年から歌舞伎を見始めたのですが、『傀儡師』を見るのは今回が初めて。
個人的に、歌舞伎の公演では「この演目を見るのは今回が初めて」ということが大層少なくなってきているので、新鮮な心持ちがいたします。

『傀儡師』と言いますと、大和屋の踊りという印象が強いですが、松本流でも大事にしている曲なのだそうです。坂東流と松本流とでは、振付も演出も異なりますが、一番の違いは「唐子〔からこ〕が出るか出ないか」という点です。唐子というのは中国風の服装をした子供の人形(唐子人形)のことで、子役が演じます。先年亡くなられた十代目の三津五郎さんが、七代目三津五郎(曽祖父)に抱かれて初お目見得をしたのも、唐子の役でした。松本流では唐子は出さないそうです。(坂東流でも、大きな公演でないと出さないそうですが)
傀儡師の衣裳にもたいてい唐子が描かれています。

たくさんの役を1人で踊り分けるのですが、主題としては、世話物から「八百屋お七」、時代物から「源義経」の2つです。ボーッっと見ていると、何が行われているのか分からないうちに幕が閉まってしまいます。

『傀儡師』における「八百屋お七」は、歌舞伎でよく上演される人形振りの踊りとは全然違う物語です。
1.火事が起こって家が焼けてしまった
2.寺に避難した
3.寺の小姓・吉三郎に恋をした
4.やがて家が建て直ったので、家に帰ることになった
5.吉三郎に会えなくなった
6.もう一度火事になれば、また吉三郎に会えるだろうと思って、放火した
7.処刑された
そんな馬鹿な女が本当にいたの?と誰もが疑うわけですが、「私は信じますよ」というのが「奇妙頂礼どら娘」という詞章の意味だろうと思います。

弁長〔べんちょう〕という人物は、八百屋お七の物語に登場する定番の脇役ですが、『傀儡師』で描かれる弁長は、ちょぼくれ坊主となっています。ちょぼくれは浪曲の源流とも言われ、音楽に乗せていろいろな物語を語る大道芸ですね。
八百屋お七という人は、町の人々の噂の種であり、関心の的だったので、面白おかしく話をして人々から銭をもらう「事情通」がいたのでしょう。

ところで、あなたはお七を信じますか?そんな女が本当にいたのだという話を信じますか?実際にあった事件なのだそうですが・・・。(「八百屋お七」で検索してみてください)

2019年3月17日 (日)

清元『傀儡師』

今月の歌舞伎座で上演されている清元『傀儡師』の詞章解釈を載せておきます。

野原に一本だけ生えている薄〔すすき〕は、穂が出て初めて「ああ、これって薄だったんだなあ」と分かる。(穂が出ないと何の草だか分からない)
野辺の露のように、誰にも気づかれず短い間に消えていくものもあるが、一方でこの薄のように、時を経てようやく本性を表すものもある。
「恋草」という草を見たことありますか。幼い頃には知らなかった恋というものが、年を経てどのような花を咲かせ、どのような実がなるのか。
「筑波嶺〔つくばね〕の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵〔ふち〕となりぬる」という有名な和歌があるけれど、いいえ、淵ではありません。恋がつもると花嫁になるのです。画策して手順を踏んで仲人を頼み、めでたく祝言をし、女の仕事をこなし、彼女は三人の子宝に恵まれた。
長男は遊び人になってしまい、とても家督を継げそうにない。次男は反動からか堅物になり、もう少し愛想があればいいのにと思うけれど、親の思ったようには育たぬもの。でもこの子が家業を継ぐのだろう。三男はもう家の中にポジションがないので寺へ見習いに出した。器量が良いから、きっと寺でやっていけるだろう。

(このあとの詞章は、読めばだいたい分かるでしょう・・・)

2019年3月11日 (月)

手占

狂言で、「有名なのに見たことがない曲」がいろいろあるのですが、このところ「花子」を立て続けに見る機会に恵まれました。同じ曲でも、演じる人によって全然違う印象になるものですね。同じ家でもずいぶん違います。

きのう、「菌〔くさびら〕」を見てきました。「菌」を見るのは2度目でしたが、この曲もいろいろなやり方があるようです。「茸」と書くこともあります。
家の中にやたらキノコ(くさびら)が生えてきて困るので、山伏に祈り伏せてもらおうとしたところ、余計たくさん生えてくる、という愉快な作品です。
この山伏の祈祷の最初のほうで、「てうら」というのをするのです。私はハッとしました。『鎌倉三代記』の高綱の「物語」の場面で、吉右衛門さんの演じる高綱がしていた手の動きと同じだったのです。
漢字で書くと「手占」で、占いのやり方の1つだそうですが、高綱のセリフに出てくるわけではないので、ずっと何のことだか分からなかったのでした。名前が分からないと調べられないのですね。ただ何か、すごく怪しい雰囲気が漂い始める、ということだけがひしひしと伝わってきました。
「菌」の山伏のセリフで「手占」という言葉を知ったのですが、名前が分かるというのは、すごいことですね。

2019年3月10日 (日)

京鹿子娘道成寺

5月の歌舞伎座で、『京鹿子娘道成寺』が上演されます。これは新しい歌舞伎座で初めての上演となります。福助さんの歌右衛門襲名で上演されるはずだったのが、流れてしまい、誰が踊ることになるのかなと思っていました。福助さんのご子息の児太郎さんが踊るのか、鷹之資さんが二十歳になった時に富十郎を襲名して踊るのか、などと考えていましたが、菊之助さんが踊るそうですね。

こんなに長く『娘道成寺』が上演されなかったのは、初めてのことではないでしょうか。まるで時が止まってしまったかのようでした。止まっていた時が、また動き始めるんですね。

『娘道成寺』は何度も見てきましたが、ずっと歌詞の意味が分かりませんでした。部分部分の単語の意味は分かっても、全体として意味が分からない。
ところがある時、突然、歌詞の意味が分かったのです。これは私にとって、たいへん衝撃的な出来事でした。

2010年に書いた記事を、少し手直しして、ここに再掲載しておきます。

『京鹿子娘道成寺』「道行〔みちゆき〕

〔つき〕は程〔ほど〕なく入汐〔いりしお〕の 煙〔けむり〕〔み〕ち来る小松原〔こまつばら〕 急ぐとすれど振袖〔ふりそで〕の びらり帽子〔ぼうし〕のふわふわと
しどけなりふり ああ恥ずかしや 縁
〔えん〕を結ぶの神ならで 花の御山〔みやま〕へ物好〔ものず〕き参り 味な娘〔むすめ〕と人ごとに 笑わば笑え浜千鳥〔はまちどり〕
君と寝〔ぬ〕る夜〔よ〕の後朝〔きぬぎぬ〕を 思えば憎〔にく〕や暁〔あかつき〕の 鐘も砕けよ撞木〔しゅもく〕も折れよ さりとてはさりとては 縁〔えん〕の柵〔しがらみ〕せきとめて
恋をする身は浜辺
〔はまべ〕の千鳥〔ちどり〕〔よ〕ごと夜ごとに袖〔そで〕〔しぼ〕る しょんがえ 可愛〔かあい〕可愛と引きしめて しょんがえ 交わす枕のかねごとも
〔た〕の面〔も〕に落つる雁〔かり〕の声〔こえ〕 ただ我〔われ〕をのみ追い来るかと 科〔とが〕なき鐘を恨〔うら〕みしも この罪科〔つみとが〕の数々〔かずかず〕を 読めども尽〔つ〕きじ真砂路〔まさごじ〕 急ぐ心〔こころ〕は花〔はな〕早き 道成寺にこそ着きにけり 道成寺にこそ着きにけり

上に記したのは、現行の竹本の詞章です。むかしは、家ごとに異なる曲を使ったそうです。十代目の三津五郎さんは常磐津で踊りました。しかし現在、大抵は上記の竹本の詞章で上演されます。

そもそも『京鹿子娘道成寺』は、『男伊達初買曽我
〔おとこだてはつかいそが〕』という長い芝居の、最後の部分の舞踊です。「法界坊〔ほうかいぼう〕」と同じ構成ですね。最後の部分だけ舞踊になっているのです。その前の芝居の部分は、残念ながら台本が残っていません。初演時の役名は、清姫ではなく「よこぶえ(横笛)」でした。しかしおそらく、清姫と同じように、鐘に恨みを残して死んだことは間違いないでしょう。何らかの形で鐘を恨みながら死んだことは間違いない。

初演時(宝暦期)の芝居は、ロングラン形式でした。客が入る限り上演し続けるわけです。千秋楽が決まっていない。終わる時は、みんなが見飽きた時。次の芝居には、何か別のものを上演しなくては客が入りません。清姫の話はみんな既に知っているので、別の話、横笛という新しいヒロインが登場します。残っている資料によりますと、初代中村富十郎が演じる横笛は、前の幕で身分の高い人に横恋慕して、嫉妬のあまり無茶をするので、殺されてしまいます。その亡霊が現れて踊るのが『京鹿子娘道成寺』です。

前の幕で殺されたはずの富十郎が出てきて踊り始める、「あれは何て言う役だい?」「さあ…?」観客には、彼女が何者なのか、よく分かっていません。

ところで、この「道行」の部分は、初演時の正本
〔しょうほん〕が残っています。現行の詞章と見比べると、かなり変化していることが分かります。
(正本をチェックしようと思ったのですが、そんなことをしていると、いつまで経っても記事が書けないので、文学部出身にもあるまじき孫引き!間違っていても怒らないで!!)

〔つき〕は程〔ほど〕なく入汐〔いりしお〕の 煙〔けむり〕〔み〕ち来る小松原〔こまつばら〕 急ぐとすれど恋風〔こいかぜ〕の 振袖〔ふりそで〕重く吹きたまり びらり帽子〔ぼうし〕のふわふわと
しどけなりふり おお恥ずかしや 縁
〔えん〕を祈りの神ならで 鐘の供養〔くよう〕へ物好〔ものず〕き参り 味な娘〔むすめ〕と人ごとに 笑わば笑え百千鳥〔ももちどり〕
君と寝〔ね〕し夜〔よ〕の後朝〔きぬぎぬ〕の 飽〔あ〕かぬ別れの悲しさを 思えば憎〔にく〕や世の中の 鐘も砕けよ撞木〔しゅもく〕も折れよ さりとてはさりとては 縁〔えん〕の柵〔しがらみ〕せきとめて 恋を知らざる鐘つきの 情〔なさ〕けないぞや恨〔うら〕めしと 忘るる暇〔ひま〕も涙川〔なみだがわ〕 恋の氷〔こおり〕に閉じられて 身を切り砕く憂き思い
恋をする身は浜辺
〔はまべ〕の千鳥〔ちどり〕〔よ〕ごと夜ごとに袖〔そで〕〔しぼ〕る しょんがえ 君に逢〔お〕う夜〔よ〕は梢〔こずえ〕の烏〔からす〕 可愛〔かあい〕可愛と引きしめて しょんがえ 交わす枕のかねごとに
〔また〕の御見〔ごげん〕はいつかはと 心〔こころ〕〔づ〕くしの年月〔としつき〕は 門〔かど〕に松〔まつ〕立つ旦〔あした〕より 梅〔うめ〕が香〔か〕〔にお〕う窓の内〔うち〕 桜も散りて早苗〔さなえ〕とる 蛍〔ほたる〕の夕〔ゆう〕べ五月雨〔さみだれ〕に 蚊遣〔かや〕りふすぶる軒〔のき〕のつま 秋風〔あきかぜ〕そよとおとずれて 田〔た〕の面〔も〕に落つる雁〔かり〕の声〔こえ〕〔げ〕に月〔つき〕ならば十三夜〔じゅうさんや〕 菊の下露〔したつゆ〕濡れ初〔そ〕めて 妻恋〔つまこ〕いかぬる小牡鹿〔さおじか〕や 鴛鴦〔おし〕の衾〔ふすま〕の薄氷〔うすこおり〕 これみな恋の色〔いろ〕と香〔か〕に 語り明かさぬ夜半〔よわ〕もなし 別れ惜〔お〕しめど暁〔あかつき〕の 鐘〔かね〕〔は〕や鳴りて鳥〔とり〕の声〔こえ〕 ただ我〔われ〕をのみ追い来るかと 科〔とが〕なき鐘を恨〔うら〕みにし この罪科〔つみとが〕の数々〔かずかず〕は 読むとも尽〔つ〕きぬ真砂路〔まさごじ〕 急ぐ心〔こころ〕かまだ暮れぬ 日高〔ひだか〕の寺にぞ着きにける

現行の詞章は、カットが多くて、意味が取りにくくなっています。正本の詞章を解釈してみましょう。

問1.彼女はなぜ急いでいるのか。
答1.急がないと、鐘が鳴ってしまうから。
問2.急いでいるのに、なぜ歩きづらい服装をしているのか。
答2.鐘供養のお祝いの場に相応しい、お洒落な格好をしていたいから。

「娘道成寺」に関する資料を読んでいますと、「どうすれば急いでいるように見えるか」という口伝
〔くでん〕はよく紹介されているのですが、「なぜ急いでいるのか」という口伝は載っていません。それを考えるのが個々の俳優の仕事であり、また観客の楽しみでもあります。「急いでいる」というのは、詞章に書かれているのですから、間違いのないところです。「なぜ急いでいるのか」それは詞章には書かれていない。そこを考えるのが「行間を読む」ということです。何を想像しても良いのです。数学と違って、間違いということはありません。

「いま何時なのか」時間を知る方法は、何通りかあるだろうと思います。汐が満ちてきたから何時ごろ、月があの方角なら何時ごろ・・・など。しかし、汐を読んだり月を読んだりするのには、相応の知識が必要です。彼女には、そのような知識がありません。鐘が鳴らない限り、まだ、時刻になっていないのです。時刻の狭間に永遠に漂う女。

こんなお洒落した姿で恥ずかしい。私くらいの年ごろの女だったら、恋愛成就祈願のお参りにでも行きそうなものだけれど、私がこれから行くところは、鐘ができたお祝いの会なの。物好きな女だなって、笑いたいなら笑えばいいわ。

百千鳥〔ももちどり〕」というのは、初代富十郎のライバルである初代瀬川菊之丞の踊った『百千鳥娘道成寺〔ももちどりむすめどうじょうじ〕』への当てつけです。「笑う人がいても、鳥が鳴いているのと同じ、私は気にしないわ」という花子の描写と、「先行の人気舞踊『百千鳥娘道成寺』なんて気にしないよ」という富十郎の描写が重ねられています。

好きなあの人と一緒に寝た日の朝、まだ一緒にいたいのに、別れの時刻を知らせる鐘が鳴って、あの人が帰っていく。世界中の鐘も撞木も壊れてしまえばいいのに。2人の縁を邪魔する鐘、そして鐘を鳴らすお坊さんが恨めしい。

恋を知らざる鐘つき」というのは、僧侶〔そうりょ〕のことです。僧侶は女人禁制なので、恋を知らないわけです。自分が恋を知らないから、そんな無慈悲なこと(=別れの時刻を知らせる鐘をつく)ができるのだろう、恨めしい、という描写です。

むかしは鐘の音で時刻を知ったのですが、現代の感覚と違って、5分や10分くらい平気でズレていただろうと思うんです。そのあたりは、鐘をつく僧侶に全部任されていたわけです。規則正しい生活をして、「これがこうなったら何時」と把握できる知識もあり、自分たちで時刻を作り出していた。鐘が鳴らないと、町の人々は何時だか分からない。任せてしまったら、自分では分からない。まして恋をして、好きな男と一緒にいる女だったら、鐘さえ鳴らなければ時間は止まったまま。鐘さえ鳴らなければ。

恋をする身は浜辺の千鳥 夜ごと夜ごとに袖絞る しょんがえ」というのは、「謎かけ」です。「Aとかけまして、Bと解きます、その心はCでございます」というやつです。AとBは一見すると何も関係ないように思えるけれど、Cという共通点がある。AとBは、かけ離れているほどいいし、Cは、ABそれぞれの核心を突く事柄がいい。「その心は」と言う前に「C」が思い浮かんでしまうようでは、いい謎かけとは言えません。「恋をする身とかけまして、浜辺の千鳥と解きます、その心は、夜ごとに袖を絞ります」という謎かけの歌となっています。「袖を絞る」と言ったら、それは「恋のために泣いて、拭いた袖が涙で濡れて、絞ったらビショビショ出てきたわ」という誇張表現です。むかしからの定番表現。「袖が濡れる」「袖を絞る」と言ったら「恋の涙」に決まっているのです。そういう和歌がたくさんあるので、聞いたらすぐにピンとくるものなのです。
「わが袖は 潮干〔しおひ〕に見えぬ 沖〔おき〕の石の 人こそ知らね 乾〔かわ〕く間〔ま〕もなし」私の袖は、潮が引いたときでさえ見えない沖の石と同じで、人の知らぬところでずっと濡れている…百人一首にも採られた二条院讃岐〔にじょういんのさぬき〕の歌です。「濡れた袖」という定番表現に、「沖の石」という意外性をぶつけています。これも謎かけの一種だと思います。
浜辺の千鳥はいつも羽が濡れている、私の濡れた袖と同じね、と謎かけしているわけです。

君に逢う夜は梢の烏 可愛可愛と引きしめて しょんがえ」これも謎かけです。梢の烏が「カアー、カアー」と鳴いているのと、恋人が「可愛い可愛い」と抱き寄せるのと、かあかあ同じだねと言っています。

『正札付根元草摺
〔しょうふだつきこんげんくさずり〕』という踊りがありますが、朝比奈〔あさひな〕が突然、遊女の踊りを踊り始めますね。なぜだか分かりますか。朝比奈と遊女と、「行こうとする男を引き止める」という点が同じだからです。「朝比奈とかけまして」「遊女と解きます」「その心は、行こうとする男を引き止める」という洒落なのです。AとBは遠いほどいいのです。CはABの1番大事な点を突いていなくてはいけません。(朝比奈を舞鶴〔まいづる〕に変更して踊る場合がありますが、洒落が弱まります。)
踊っている人物は朝比奈なのか遊女なのか?と言われれば、それは朝比奈に決まっています。踊っている内容は朝比奈のことなのか遊女のことなのか?と言われれば、それは遊女のことに決まっています。

同じ構造によって、横笛(現行では清姫)の亡霊は、遊女の踊りを踊るのです。踊っているのは生娘なのか白拍子なのか?と言われれば、生娘に決まっています。前の幕で死んだ富十郎が出てきて踊っているのですから。しかし、踊っている内容は生娘なのか遊女なのかと言われれば、それは遊女だと思うのです。「娘道成寺」の詞章を読んでいて、娘と解釈できる箇所は一箇所もないと私は思います。全て遊女の詞章です。でも踊っているのは娘なのです。だから「道成寺」なのでした。「生娘の清姫とかけまして」「白拍子の花子と解きます」「その心は、鐘に恨みがございます」という洒落です。生娘の清姫と白拍子の花子は別の人間なのですが、「鐘を恨んでいる」という共通点により、合体するのです。

これは、和歌の掛詞
〔かけことば〕から派生した、作劇の修辞なのではないかと思います。和歌を舞台用に立体化した、とでも言うのでしょうか。日常会話では使わない、舞台の上だけの、美のテクニックです。「関の扉」で、小町桜の精が遊女として登場するのも、「小町桜とかけまして」「遊女と解きます」「その心は、生まれた土地を遠く離れて」という洒落だと思います。

「娘道成寺」は、どの部分でも抜き差し自由、などと言われることがありますけれども、とんでもない話です。眼目(クドキ)をカットする人はいないでしょう。また、カットしたら意味が通らなくなる部分はカットしてはいけません。すなわち道行はカットできません。白拍子である花子が鐘に恨みを持っている理由は、道行でしか示されていないからです。清姫が鐘を恨んでいることは、観客全員が知っています。横笛は清姫のヴァリエーションですから、清姫を知っていれば問題ありません。しかし花子のことは、ここでしか説明されていないのです。六世歌右衛門も、歌舞伎舞踊として上演するなら道行はカットすべきでない、と常々主張していました。九代目福助襲名披露のとき、「娘道成寺」を歌右衛門が監修しましたが、「山尽くし」の後半と「ただ頼め」をカットし、道行を上演しました。それは一見、変則的な形態に見えますが、詞章の意味を考えたら納得のいく処理と言えます。「山尽くし」は、踊りとしては面白いけれど、カットしても詞章の意味は通ります。道行をカットしたら意味が通りません。道行をカットしたら、洒落にならない。

枕を交わした後、約束として、「次に会えるのはいつ?」と聞いてみるけれど・・・ここで彼女の心は、1年の四季をめぐっていきます。好きな人に会えない時間が長く感じられる、という気持ちを誇張して表現しているのです。むかしから「一日千秋」などと言いまして、時間の感覚は状況によって激変するのです。恋をしたことのある人なら分かりますね。

ただ我をのみ追い来るかと」・・・追い来るのは鐘の音であって、雁の声ではありません。
我をのみ」・・・遊女でなければ、好きな人とずっと一緒にいられるのに、どうして私にだけ別れがやってくるの?

罪のないものを恨んでしまう自分の愚かさ、罪の数々、それは分かっているけれど、…こうしてやって来てしまうのでした。道成寺は、現在の和歌山県日高郡
〔ひだかぐん〕にあるお寺です。

2019年2月 3日 (日)

坂東玉三郎トークショーその8

昨年11月14日、金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来たわけなのです。

客席からの質問を受け付けるコーナーがあったので、私も何か質問しようかなと迷いました。玉三郎さんと言葉を交わす千載一遇の、人生に一度の好機。でも恥ずかしいから質問できませんでした。
質問するとしたら何を質問しようかなと考えたのですが、「スマホはお使いになりますか?」というのが思い浮かんだ。
玉三郎さんがスマホを使っているところは、あまり想像できない感じがします。

私自身はスマホを使ったことがなく、絶滅寸前の(?)ガラケー派です。職場にパソコンがあり、家にもパソコンがあるのに、移動中までネットに繋がっていなくてもいいんじゃないかと思っているのです。独身で家族と連絡を取ることもありませんし。ここ1年で急速に老眼が始まって目がショボショボですしねえ。画面が小さすぎますよね。文字を打つのにも不便ですし。お芝居のチケットを取るのにスマホがあると便利かなと思うことが年に数回あるくらいでしょうか。

どんどん話が逸れて恐縮ですが、むかし、「歩きながら本を読んでいる人」「歩きながら新聞を読んでいる人」「歩きながら雑誌を読んでいる人」などがいたら、それは「あぶない人」「おかしな人」「近づいてはいけない人」と思ったものでした。私の頭の中では、「スマホを見ながら歩いている人」も同じカテゴリーに分類されています。つまり、現代では町中が「おかしな人」で溢れている状態です。
「歩きながら本を読んでいる人」は、ひょっとすると「おかしな人だけれどすごく頭のいい人」である可能性もあったわけですが、「スマホを見ながら歩いている人」には、その可能性すらない。

むかし、電車の中でスポーツ新聞を読んでいる人を見かけると、「この人は馬鹿なんだな」と思ったものでした。
いま、YAHOO!のニュースのトピックスなどを見ていると、内容はほぼスポーツ新聞みたいなもので、普通の大人が読むものではないと感じます。と言いますか、読んでもいいけれど、それだけでは困ります。
むかしは家に新聞があり、子供の頃は難しくて読めなくても毎日身近に置かれていて、大人になったらこういう内容も分かるようになるものなのだと思ったものでした。

しかし、時代の流れは誰にも変えられませんね。

トークショーに話を戻しますと、この催しには副題が付いており、「美とココロと歌舞伎と」というものでした。
玉三郎さんが仰いますには、現代はインターネットなどでいろいろな情報をすぐに得ることができるけれど、直接人に会って、そこから生まれる縁を大切にし、そうした縁から生まれる仕事に1つ1つ誠実に取り組んでいきたい、とのことでした。それがこのトークショーで一番重要なお話だったのではないかと私は思いました。

2019年1月23日 (水)

風呂場は丸裸

今月の新橋演舞場は『極付幡随長兵衛』が上演されています。主人公の幡随院長兵衛は、招かれた水野十郎左衛門の館で風呂に入ることになり、殺害されますね。水野は計略によって「風呂に入らなければならない状況」に長兵衛を追い込むわけですが、なぜ風呂なのかと言えば、風呂場では武器を所持できないからでしょう。裸になる場所ですからね。

源頼朝、義経兄弟の父親にあたる源義朝〔みなもとのよしとも〕は、入浴中に襲われて殺害されたそうです。ウィキペディアの「源義朝」のページには、次のように書かれています。
伝承によれば、義朝は入浴中に襲撃を受けた際、最期に「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだとされる。
ちなみに鎌倉幕府の第2代将軍・源頼家(義朝の孫)も、入浴中を襲われて暗殺されたそうです。風呂場は命を狙われやすい場所なんですね。
危険と知っていて風呂に入る長兵衛は「潔くてかっこいい」ということになるのでしょう。

ところで今月は歌舞伎座で『絵本太功記』が上演されていて、こちらも風呂が重要なポイントとなっています。
つまり光秀は母親を殺すつもりなどなかったのですし、母・皐月の「風呂場の計略」によって、光秀は母を刺し殺すように「追い込まれた」わけなのです。
①皐月は久吉に対し、風呂へ入るように勧める
②風呂場は危険な場所なので、久吉は敵地の風呂になどは入らない
③皐月は、久吉が風呂に入らず逃げることを見越して、自分が風呂場に潜む
(久吉が出て行けたのだから皐月が入ることも可能なはず)
④様子を窺っていた光秀は、久吉が逃げる可能性を考えないではなかったが、いま風呂場に人の気配がするならばそれは久吉以外には考えられず、外から竹槍を突き刺す
⑤刺されたのは皐月だった(皐月の計略どおり)

ところが、歌舞伎の光秀は、風呂場ではないところ(次の間)に竹槍を突き刺すという謎の演出になっています。(文楽の光秀は、ちゃんと風呂場を突き刺します)
歌舞伎のやり方は、おそらく、「そのほうが見栄えが良い」などの理由ではないかと私は考えています。仮に風呂場を突き刺すとなると、直前の光秀の移動距離がかなり長くなりますし、風呂場の前は狭くなっているので皐月がパッと出てこられないのではないでしょうか。つまり「戯曲上の必然性」よりも「役者の仕勝手」が優先された、ということなのでしょう。(意味が分からない)

2019年1月 6日 (日)

待たれた宝船

新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

吉右衛門さんの新しい写真集をめくりながら、数々の当たり役を生で何度も拝見できたことの幸せを感じておりました。
『松浦の太鼓』も当然、度々見ております。
この芝居の中に、
・年の瀬や 水の流れと 人の身は あした待たるる その宝船
という連句が出てきますね。
きのう、いま人気の講談師・神田松之丞さんの独演会に行って来たのですが、『大高源吾』がかかり、私はこの句の意味を全然理解していなかったという衝撃の事実が判明したのです。昨夜、講談を聞いて初めて分かったのでした。もう二十年以上も、意味が分からないまま、意味が分かっていないということさえも分からないまま、『松浦の太鼓』を見ていたのです。本当に驚きでした。

この句には、「表の意味」と「裏の意味」と、2つの意味があったのです。
「裏の意味」とは、もちろん、「明日14日は主君・浅野内匠頭の命日」「いよいよ討ち入りの日」「私は突然浪人となり、人の身というものは水の流れと同じように予測ができない、制御不能なものであるということをしみじみ実感したが、明日その苦労がやっと報われる」というような意味でしょう。この「裏の意味」は、私も『松浦の太鼓』を初めて見た時から、つまりこの句を初めて聞いた時から、分かっていました。ところが「表の意味」を分かっていなかった。

大高源吾は、煤〔すす〕払いのための笹を売り歩いていますが、江戸では煤払いが12月13日と決まっており、14日になるともう笹を買う人はいなくなってしまうのだそうです。それで14日からは、町ではお正月用品が売られるようになり、笹を売っていたような人は、今度は宝船の絵を売り歩くようなことがあったのだそうです。それで宝井其角は、「笹はあまり売れなかったけれど、明日から宝船の絵がたくさん売れるといいなあ」という意味だと解釈した、という講談でした。

つまり子葉(大高源吾)は、初めから2つの意味を持たせて付句〔つけく〕をしていて、今日は「表の意味」が分かり、明日になると「裏の意味」が分かるという「タイマー」をセットしていたわけなのです。そして、そのタイマーが機能する前に「裏の意味」を判読したすごい人が松浦侯ということなのでした。

其角は初め「表の意味」しか分からず、後から「裏の意味」を知ることになるのですが、私は逆に「裏の意味」しか分からず、20年以上も経ってから「表の意味」を知ったのでした。(まさかそんな人がいるとは、大高源吾も予想しなかったでしょう・・・)

松之丞さんは、この話は講談から歌舞伎に伝わったものと言っていました。きのう講談の『大高源吾』を聞かなかったら、私は一生「表の意味」を知らぬまま死んでいたに違いありません。

この句は、実在した大高源吾が詠んだものではなく、後世の創作であるらしいのですが、こんなにすごい句を創作で思いつく日本の話芸の神々しさを体験した特別な一夜でございました。電気で打たれたように痺れました。

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