10 美術

2019年3月10日 (日)

筆も及ばぬ

私も何度か海外旅行をしたことがありますけれども、たいていはオペラを見るのが主目的の旅でした。オペラは夜なので、昼間は観光をするわけですが、美術館や教会をめぐることが多いです。

ドイツのベルリン旅行でも美術館に行きましたが、ヨーロッパの他の都市と比べると、著名と言えるような美術館がありません。
私が行ったベルリンの美術館では、草間彌生展が行われていて、私はこの時はじめて草間彌生の存在を知ったのでした。なんでドイツに行って日本人画家の作品を見る羽目になったのだろうと思ったものでした。

ドイツで有名な画家というと、デューラーとクラナッハくらいでしょうか?肖像画家はたくさんいるようですが・・・。

ドイツにはこんなに美しい音楽が溢れているのに、美術はパッとしないんだなあとその時に思ったのでした。

本屋で実際に手に取って、綺麗だなあと思って買った写真集が何冊かあります。そのうちの3冊が期せずして同じ三好和義さんというカメラマンの写真集でした。『楽園全集』という本では、南の島の写真が集められ、タヒチの写真も入っています。
それで思ったのですが、ゴーギャンの絵は全く南国の色を再現できていない気がするのです。もちろん、写真のように見たままを再現するだけが絵画ではありませんし、ゴーギャンにはゴーギャンなりの美しさがあるでしょうけれども、「実際のタヒチはこんな色じゃないなあ」と私は感じたのでした。

三好和義さんの『楽園全集』には、沖縄の風景写真も入っています。ハワイ、モルディブ、タヒチ、マーシャル諸島などの南国写真が並ぶなかにパッと沖縄の写真が混じっていて、区別がつかないくらい美しいのです。

日本は島国で海に囲まれており、海は季節や天気や時刻によって様々な表情を見せると言いつつも、たいていの日本の海はそんなに綺麗じゃないと感じます。写真に撮りたいと思うほどじゃないことが多いです。
ところが沖縄の海の青さ美しさときたら、タヒチの写真と並べられても分からないほどです。
その希少な美しい海を破壊してアメリカ軍に基地として献上してしまう感覚が分からないではありませんか。「こういう理由でどうしてもそれが必要です」という説明もない。

沖縄県立博物館・美術館に行ってきたのです。比較的新しい建物でしたが、美術館に展示されている作品も戦後のものばかりで、江戸時代や明治・大正あたりの作品が全然展示されていませんでした。沖縄は染色の豊かな文化がありますし、絵画もいろいろな作品があるのだろうな、私が知らないだけなのかなと思っていたのですが、県立の美術館に展示されていないのですから、あまり存在しないのではないでしょうか。

毎日毎日、美しい風景に囲まれていると、それを絵画の中にとどめておく必要もないのかなあと思いました。

南国の美しさを絵画で表現するのは、技術的な難易度が非常に高そうですね。
童謡『浦島太郎』で、竜宮城のことを「絵にもかけない美しさ」と歌っていますが、「美しすぎるものは絵にかけない」ってことは、きっとありますよねえ。

田中一村〔たなかいっそん〕は栃木に生まれ、東京や千葉にも住んでいましたが、昭和33年(1955)、数え年51歳の時に奄美大島に移り住み、日本画の技法によって奄美の絵画を多数、残しました。当時、沖縄はアメリカに占領されており、移り住むことのできる日本最南端が奄美大島(鹿児島県)だったそうです。

田中一村の「アダンの海辺」は、南国の美しさを描くことに成功した数少ない絵画の1つだと思います。以前、千葉市美術館で「田中一村展」が開催された時、たくさんの展示作品の最後にこの絵が飾られていて、その展示構成も素晴らしかったのですが、私はこの「アダンの海辺」を見て、描かれた海の向こうに神がいるということを本当に感じたのでした。

2018年11月 8日 (木)

叫びとフェルメール

このあいだの土曜日に東京都美術館で「ムンク展」、日曜日に上野の森美術館で「フェルメール展」を見てきました。

ムンクの「叫び」は、同じ構図で5枚の絵が存在するそうですが、私は数年前にニューヨークに行った時にMoMAでパステル画の「叫び」を見たことがあります。

高校生の時に、部活は美術部に入っていたのですが、部室の扉にムンクの「叫び」のポスターが貼られていて、初めて見た私は強い衝撃を受けました。「美しい」とか「上手い」とかいう従来の自分の基準と異なる絵画。こんな絵でいいのか~と呆然とする感じでした。
何歳の時に見たのかによって、感じ方もずいぶん違うのではないかと思います。あまり小さいうちに見てしまうのは、もったいない気がするのです。

フェルメールは、個人的にはそれほど好きな画家ではないのですが、技術的には緻密ですごいと思いますし、一度に8点も見られる貴重な機会なので、混んでいるのは嫌だと思いつつも行ってきました。
時間指定なのに入場するのに30分くらいかかりました。同じ時間指定制のローマのボルゲーゼ美術館は、待たずに入れたのに・・・。
しかし、日曜の夜に行ったので、7時くらいから急速に人が減り出し、最後の30分間はフェルメールの部屋に20人くらいしかおらず、じっくり見ることができました。(「牛乳を注ぐ女」を私だけで見ている時間もありました)

東京にいながらフェルメール8点とムンクの「叫び」が同時期に見られるなんて、すごいことですね~。

私の好みとしては、ティントレット、ヴェロネーゼ、ブロンズィーノや、ブーシェ、フラゴナールなどの展覧会も開催されると嬉しいんですけどね。

2018年6月24日 (日)

出光美術館

出光美術館「歌仙と古筆」を見て来ました。
思っていたより空いていて静かで「これはいいぞ!」と思ったら、しばらくして学生の団体がぞろぞろ入ってきてガッカリ・・・。あの学生団体がいなければ都会の小さな天国となっていたはずなのに。
学生は思っていたより静かだったのですが、引率の先生らしきおじさんがずっと生徒に説明し続けていて、「それは他の場所で出来ないの?」と思いました。
海外の美術館に行くと、学校の先生が生徒に作品解説している場面に出くわすことがありますが、広いのでそのあいだ私は別室の作品を見に行きます。しかし日本の美術館は狭いので、やめてほしいんですよね。

出光美術館は、部屋の中がうるさいと係の人が注意しに来てくれるので、いいですね。
出光と五島はうるさいと注意されますね。根津はあまりにうるさいので、もう行かないかな・・・。

それはともかく、展示内容は素晴らしいものでした。
国宝「見努世友〔みぬよのとも〕」を見るのは何回目になるのか覚えていませんが、今回の展示では菅公の書が見られました。「菅公」と書かれているからといって、本当に菅原道真が書いたものなのか分かりませんが、能書には違いありません。ちょっと感激。

伝 岩佐又兵衛の三十六歌仙図「凡河内躬恒」と「僧正遍照」が綺麗でした。岩佐又兵衛の絵って、人物のアゴがデカすぎて今ひとつ好きになれないんですが、この2つ(作品番号58、59)はもう本当に綺麗。こんなの欲しい。

歌仙絵をパッと見ただけで「ああ、これは●●だね」なんて誰だか分かるようになったらいいなあ。でも私も人麿、遍照、業平、斎宮女御くらいなら分かるかな。
古筆も多少は読めるようになりました。

出光は素敵な美術館であり続けてほしい。

2018年4月13日 (金)

春の院展

先日、日本橋三越で開催されていた「春の院展」を見て来ました~。
本当にたくさんの絵が展示されていて、それぞれに良いのですが、その中から抜け出て、見る人の記憶に残る絵を描くのは大変なことですね。
でも、こんなに大勢の人が絵に時間と情熱を注げるのは素晴らしい。

日本美術院同人の方々は、やはり一般枠の人とは格が違うように思いました。私は特に吉村誠司さんと大野逸男さんが好きなのですが、今回は中村譲さんの「朝の潮騒」と齋藤満栄さんの「秋暁」が印象に残りました。

しかし今回、私が一番好きだった絵は加藤厚さんの「叢風」でした。素晴らしい。人物画では王培さんの「尋芳」が良かったですね。

2018年3月11日 (日)

美の流行

東京国立博物館で本日3月11日まで「仁和寺と御室派のみほとけ」という特別展が開催されていました。私も先日行ったのですが、夜間だったにもかかわらず混雑していて、すごい人気でした。本当に千本(以上)の手を持つ千手観音像が展示され、360度から拝見できるという展示でした。その圧倒的な存在感は実に素晴らしかった。しかし私は、個人的には、同時期に別の建物でやっていた「総合文化展」で展示された『小倉色紙』のほうにより強い感銘を受けたのです。藤原定家筆の「これやこの」の色紙でした。「伝」と付いていなかったので、おそらく定家の真筆なのでしょう。

「これやこのゆくもかへるもわかれつつしるもしらぬも相坂のせき」

「わかれては」ではなく「わかれつつ」と表記していたのか・・・、興味深い。定家筆の『小倉色紙』、それもあの名歌「これやこの」が見られるなんて、なんと有り難いことだろう。
私は時空を超えた巨大な美の前に佇み、しばし動くことができなかった。

ところが、この定家の色紙を見ているのは私1人だけで、他の誰も気にかけていなかったのです。現在東博を訪れている多くの外国人観光客にこの美しさが分からないのは当然としても、日本人だって見に来ているのだから、もう少し注目されていい作品なのではないかと不思議に思いました。

人は美しいものに集まって来るものですが、それもマスコミによって操作されているという面がありますね。

20年前までは、伊藤若冲など誰も気にかけていなかった、などと言われます。

喧伝されていなかったために、私は『小倉色紙』の美しさをずっと独り占めしてしまいました。そういうところが、総合文化展の良さなのかもしれません。
(総合文化展という名称は本当にイヤなものですね)

作品そのものの美しさは変わらないのに、時代の流れによって人が集まって来たり来なかったり、不思議なものですねえ。


2015年12月27日 (日)

アエネアスとアンキセス

ローマには「ボルゲーゼ美術館」という素敵な美術館があり、名品が展示されています。特にベルニーニ作の大理石彫刻が夢のように素晴らしいのです。一番有名なのは「アポロンとダフネ」ですが、それ以外にも「プロセルピナの略奪」「アエネアスとアンキセス」の美しさ見事さに私も夢中になりました。
さて、アエネアスはローマ建国に関わる人物ですが、日本ではあまり知られていないのではないでしょうか?
非常に分かりやすい文章を見つけましたので、ここで紹介しておきます。

ヘレスポントス(現在のダーダネルス海峡)の沿岸に位置する小アジアの都市トロイ。そのトロイの勇者アエネアスは敵軍からさえ尊敬されていたが、トロイがギリシア人(アカイア人)に征服されたため、彼は逃亡をはかる。母親である愛と美の女神アプロディーテー(ローマではウェヌスまたはヴィーナスにあたる)に守られ、父アンキセスを背負い、幼い息子アスカニウスの手を引きながら、彼はトロイをあとにした。ヨーロッパ中をさまよったあげく、たどりついたのは西国、すなわちイタリアだった。ラティウムに落ち着いた彼は、国王ラティヌスの娘ラウィニアと結ばれ、そこで築いた町をラウィニウム(現在のラウィニオ)と名づけた。
成人したアスカニウスは、現在のアルバノ丘陵に自分の町をつくり、アルバ・ロンガと名づけ、自分の小国の新しい首都とした。それはラウィニウムが建設されてから30年後のことだった。以降、2世紀以上の間に、大ざっぱにいうと10人か20人の君主がアルバ・ロンガを統治したあと、ヌミトルとアムリウスという2人の兄弟が王位についた。しかしアムリウスは兄ヌミトルの王位を簒奪。しかも将来復讐されぬよう、ヌミトルの息子たちを全員殺害し、娘のレア・シルヴィアについては、ウェスタの巫女にさせ、処女を誓わせた。
伝説によれば、ある日、軍神マルスに犯されたシルヴィアは、やがてロムルスとレムスという双子を生む。アムリウス王は、その赤ん坊をかごに入れ、海で2人がおぼれ死ぬようテベレ川に流すことを命じる。ところが、川の湾曲部でかごもろとも弧を描いているところを牝狼
〔めすおおかみ〕に助けられ、双子は乳をもらう。この牝狼がロムルスとレムスに乳をあたえている彫像は、今でもいちばん有名なローマのシンボルである。ここでさまざまな話が加えられ、伝説はさらに厚みを増す。牝狼にかわり、道徳的にはふしだらだが、母性豊かな女性アッカ・ラレンティアが双子を養子にし、たくましく健康に育て上げる。そして、ついに復讐の時が来る。みずからの出生の秘密を知ったロムルスとレムスは、アルバ・ロンガにもどり、アムリウス王を殺害する。その後、祖父ヌミトルに王位を返還し、彼らが牝狼に助けられた場所にほど近いテベレ平原に町をつくることにした。
ローマの歴史は犯罪によって幕開いた。2人は町の建設予定地に正方形の枠をえがくやいなや、この境界線を許可なしにふみこえた者はだれであれ、殺すことを誓い合った。ところが、その後、町の名をどうするか話し合いがはじまり、決められた時間内に、より多くの鳥を数えたほうが自分の名を町の名にできることになった。結局、レムスはロムルスの半分しか数えられなかったため、町の名はローマとなる。しかし、これを不服とするレムスは、ロムルスに対してはげしく戦いをいどみ、えがいたばかりの境界線を足で消そうとして、先に枠の中に足をふみ入れてしまう。そこでロムルスは、2人で立てた誓いを守り、レムスを殺す。こうして町は生まれ、伝説は飛ぶように広まり、何世紀にもわたって、既存世界の中心となるのである。
NEWTONアーキオVOL2栄光のローマ』編集主幹:吉村作治、発行:株式会社ニュートンプレス

私もこれまで様々な彫刻を見てきましたが、ボルゲーゼ美術館にあるベルニーニ作「プロセルピナの略奪」「アエネアスとアンキセス」「アポロンとダフネ」には本当に心酔いたしました。「アエネアスとアンキセス」は、親・子・孫3代の男たちの年齢の彫り分け技術がすごいです。もう驚愕。「彫刻でここまで出来るものなのか」と感激しました。立体作品ですので、写真ではその素晴らしさの欠けらも伝わらないと思います。機会がありましたら、ぜひ生でご覧ください。

ちなみに、ロムルスとレムスが牝狼に乳をもらうブロンズ像「カピトリーノの牝狼」は、ローマのカピトリーノ美術館に展示されています。世界史の教科書にも写真が載っているのではないでしょうか。牝狼の部分は紀元前450~430年のもので、双子の部分はルネサンス時代に加えられたものだそうです。
(ロムルスがローマを建国したのは紀元前8世紀の中ごろと言われています)

2015年10月14日 (水)

永青文庫「春画展」

文京区の永青文庫で日本初の本格的な「春画展」が開催され、話題となっております。
私もきのう見てきました。ちなみに1人で行きました。
もともと私は芝居に行くのも美術館に行くのも1人で行くことが多いです。
一緒に行ってくれる人を探すのは難しいです。
夜だったので、思っていたよりはすいていましたが、それでもやはり混雑しています。

ちらしの裏側に紹介されていた「狐忠信と初音図」も出ていました。
鎧の草摺の部分がめくれるようになっていて、中がセックス描写になっていました。
ちなみにこの展示会の解説パネルでは、セックスのことを交合と書いていた?
(すでに記憶が曖昧に・・・)
この「狐忠信と初音図」の解説パネルで、女性のほうは佐藤忠信の妻の初音が想定されるとか何とか書かれていて、ちょっとメモを取るわけにいかないので正確な記述は覚えていませんけれども、そんな『義経千本桜』に出てこない人物が狐忠信と一緒に描かれるのは不自然ですし、しかもその名前が「初音」だなんてことがあるのかなあ・・・と疑問に思いました。大体、佐藤忠信の妻であったなら、あんな表情をするのはおかしくないでしょうか?私はあの女性は静御前だと思うのです。理由は「そのほうが面白いから」です。

春画自体は、生で見るのは初めてだと言っても、出版物はたくさん出ていますし、何となくパラパラと見たことはありました。蛸が女性にからみつく絵も先に知っていました。オペラ《イーゴリ公》の「ダッタン人の踊り」だって、知らないうちに知っていましたし、いつの間にか知っていることというのは意外と多いものです。
ところがこの展示では、奥に私の知らなかった世界が開けていて、強いショックを受けました。
例えば、おかると勘平の春画があるのは分かるんですけど、戸無瀬と本蔵の春画とか(お石が覗いている)、力弥と師直の?春画とか、ちょっと人智を超越した世界が広がっていたのです。「そういうことを思いつく」ということが衝撃的でした。

最もショックだったのは、『義経専犯枕〔よしつねせんぼんまくら〕』です。角書は「大物船饅頭/吉野腹矢倉〔だいもつのふなまんじゅう/よしののはらやぐら〕」でした。あまりに下品で、本当にビックリでした。
永青文庫は18禁でしたが、『義経専犯枕』はインターネット上で公開されています。
最近の若者は、こんなものをインターネットで見ているのだらうか・・・?
絵もすごいのですが、文章もすごいんです。私はどちらかと言えば文字のほうにより強い衝撃を受けました。あの静御前が伏見稲荷で言う「死ぬる、死ぬる」というセリフが、別のシチュエーションで使われていたりとか、次に芝居を見る時にこの春画を思い出してしまうのではないだろうか、それは嫌だなあ。

私は「変体がなを読めるようになりたい」と思ってから数年がたち、いま少しは読めるようになりました。高野切とか、藤原行成とか。
新たに「春画を読んでみたい」という欲望が芽生えて、困りました。

帰りにポストカードを数枚買ってみた。

2015年9月30日 (水)

狐忠信と初音図

現在、永青文庫で「春画展」が開催されて話題になっております。
ちらしの裏側に、「狐忠信と初音図」という春画屏風が写真で紹介されているのですが、
これは~~、狐忠信と静御前がまぐわっている図ですね??

これです、これ

なぜ静御前が鎧を着ているのか?
静御前というのは、義経の「便女〔びんじょ〕」だと思うのですが、

便女(びんじょ)というのは、文字通り「便利な女」の意味で、戦場では男と同等に戦い、本陣では武将の側で身の回りの世話をする(性的奉仕を含む)召使いの女。当時それらの役割は「寵童」と呼ばれる見た目の良い少年にさせる事が多かった。便女も見た目のよい女性が就く場合が多く、便女=美女という解説がなされる場合もある。
Wikipedia
「巴御前」より

昼は武士、夜は愛人。(恋と忠義はいずれが重い)
それゆえに、この「狐忠信と初音図」において静御前が鎧を着ているのではないかト。
「狐忠信と初音図」という作品名がまたスゴイではありませんか。
悦びの声を初めて上げしより→初音)

静御前と狐忠信はあくまで主従であり、恋人同士に見えてはいけない、とよく芸談で聞かされるわけですが、実際のところ、どうなのでしょう。
狐忠信は、義経の名前を賜った義経の身代わりですから、義経の代わりに静御前を抱くかもしれない。

「君が情けと預けられ」
預けられた。
義経が静御前を狐忠信に預けた。
静御前=義経から狐忠信へのお情け。
忠勤に対する恩賞。
「家臣に女性を贈る」ということが、昔は行われていたようだ。
例:『一条大蔵譚』
能の「巴〔ともえ〕」「千手〔せんじゅ〕」なども参考となるでせう。

2014年9月30日 (火)

レクサス様

このあいだ、京都国立博物館に行って来たんです。
平常展示館のリニューアルオープンで、名品がたくさん展示されていました。
伝源頼朝像、宝誌和尚立像、天橋立図(雪舟)、早来迎、山越阿弥陀図、藻塩草、一品経和歌懐紙・・・。
ウヒョ~ ウヒョヒョ~
そのわりに、すいていましたけれども。
東京国立博物館、奈良国立博物館、京都国立博物館、九州国立博物館とあって、
年間の入館者数が1番少ないのが京都だそうです。
次に少ないのが奈良。(奈良は正倉院展があるので、京都より強いんですね。)
まあ、京都は博物館に行かなくても市内でたくさん美しいものが見られますからねえ。

京博の庭に車が1台停めてあって、何かと思ったらトヨタの広告でした。
「レクサス様」とかいう表示が出ていた・・・。
「トヨタはこんなところにまで広告を出すのか」という驚き。
「レクサス様」という看板のダサさ。

ん~~、どうなんだろう京博。

2014年9月13日 (土)

キュキュキュのキュレーター

月日の経つのは早いもので、Bunkamuraが今年25周年なのだそうです。私はコクーン歌舞伎を第1回から全て見ておりますし、今は別の会場になってしまいましたが中島みゆき「夜会」も第2回から全て見ていますので、Bunkamuraにはいろいろと思い出がありますねえ。

25周年記念の一環として、「オープン・ヴィレッジ」なる6回講座が行われています。私は6回連続参加に応募して当たったので、受講しているところです。(海外旅行のため1回行けませんでしたが)

先日は、Bunkamuraザ・ミュージアムのキュレーター(学芸員)のお話を聞いてきました。すごく自由に、やりたいことをやっていて、面白そうな仕事でした。う、羨ましい・・・。
学芸員の仕事は憧れる人も多いと思いますが、就職できても、やりたいことがやれるとは限らないそうですけどねえ。Bunkamuraは私立の美術館なので、かなり自由度が高いんですね。

Bunkamura
は、美術作品の輸送をずっとヤマト運輸に頼んでいるそうです。美術品の輸送と言えば、日通が最大手だと思いますが・・・。まあ、やりたいところとやるのでしょう。

公立の美術館の場合、取引業者を好きに選べないですからね。入札や見積もり合わせで価格競争をさせるわけです。そうすると、仕事が欲しい会社は値段を下げないと受注できないでしょう。次の入札の時は、前回落札額より更に値段を下げないと、受注できないでしょう。どんどん値段が下がっていって、入札参加者が減っていって、一番お安い会社と取引することになる。(官公需デフレスパイラル)
安くて良い会社って、あんまり存在しないと思うんですね。
入札のたびに取引相手が変わるので、お得意様というわけでもないし。(ノウハウの蓄積もない)
私も公立の施設に勤めておりますので、取引業者さんのあまりの質の低さに驚く、ということが間々あります。(差し障りがあるので具体的なことはお話しできませんけれど・・・)

だから東博の総合文化展なんかも、ダサくても仕方ないのかな~と思いますねえ。民間の綺麗な美術館と、どんどん差が開いていってね。

そういう制約のある中でも、やる気があって美しいものを生み出していく若い人が出てきたり・・・、ないか。

ちなみに、私が美術館に一番望むことは、「作品を間近でじっくり落ち着いて見させてほしい」ということです。(それは公立の美術館でも可能なはず)

より以前の記事一覧