2 文楽

2016年8月22日 (月)

時をかける香り

インターネットというものが現れて、一番変わったのは「調べ物」ではないでしょうか。「あれ?あの和歌、何だっけ?」「このオペラ歌手、誰?」などという場合に威力を発揮する。

『一谷嫩軍記』二段目「林住家の段」の中に、
「これもその人の形見と思へども なほ懐しき袖の移り香」という和歌が出てくるのですが、この和歌は出どころが不明なのだそうです。(いくら検索しても出てきませんよ)
この和歌の出典を見つけた人は、特別なご褒美がもらえるらしいです。(ウソ)

『一谷嫩軍記』の中には、「形見」がいくつか登場しますね。
・忠度の片袖
・敦盛の青葉の笛
・忘れ形見の姫君


生き残ってしまった敦盛の台詞に、こんなのがあります。
「ただ儘ならぬは世の習い、はかなき物は人の身の、一生は皆夢と思えば、さのみ迷いもあるまじ。さりながら、今を限りの別れといえば、誰しも名残惜しいもの。もしも恋しき折からは、心のいさめともならん、いでいで形見を参らせん」
しみじみと味わい深い台詞ですね。
人は死んだ後に何が残りますかねえ・・・。

「これもその人の形見と思へども なほ懐しき袖の移り香」
この歌の意味が分かりますでしょうか?
「これ」が何を指すのか示されていませんが、「もう会えないのであれば、形見にもいろいろあるけれど、この形見ではなく、あの人の香りのする袖が一番ほしい」という意味でしょうか。
匂いが一番「あの人」を思い出させるものですかねえ。

国立劇場の絨毯が20年ぶりに張り替えられたのですが、20年も張り替えなかったなんて、日本もずいぶん貧乏な国ですね。
ロビーへ出る廊下を歩いていると、ずいぶん手前から絨毯の匂いがしてきて、私は突然20年前を思い出した。

あれこれ

桃や葡萄が美味しい季節ですねえ。

NTTは、儲けた金を何に使っているのでしょうかねえ。
何のために民営化したのだろう?
みんなが必ず利用するもので何の苦労もなく自動的に儲けて一部の人だけがウハウハ?
昔、3分10円だった通話料が、
今、1分10円で、
携帯からだと20秒で10円?
全然競争してないみたいですけど・・・?
(NTTに早く天罰が下りますように)

読み人知らず
読み人知れず
詠み人知らず
詠み人知れず
読み人しらず
よみ人しらず
読人知らず
etc
『一谷嫩軍記』に登場するこの言葉、どう表記するのが良いのでしょうかねえ?
床本の中に2回出てくると思いますが、調べると、同じ書き方をしていないのね。
作者がわざと変えたのか、意図せずに何となく変わってしまったのか・・・。
(義経が言ったことを六弥太が勝手に言い変えるなんてことが、あるのだろうか)
「知らず」のほうは、「誰が詠んだ歌なのか不明」という事実だけを表しているのに対して、「知れず」のほうは、「知りたいと思っていろいろ調べてみたけれど、どうしても分からなかった」というような悔しさが加わっているような気がする。

今度の国立劇場の9月文楽公演では、おそらく、2回とも「よみひとしれず」と語られるのではないでしょうか。(予測)

ちなみに、文楽の語りというものは、いつも必ず同じというわけではなく、太夫によっても変わりますし、公演によっても変わります。どの場面をカットするか、など、太夫だけが決定権を持っているとは限らず、公演直前に決まることもある。

床本の原稿は、国立劇場の公演制作担当者が用意して、編集係へ渡す
(台本の決定は制作の仕事であって編集の仕事ではない)
公演制作担当者と太夫は連絡を取り合っている
公演制作担当者と編集係は連絡を取り合っている
編集係と太夫は連絡を取り合っていない
床本の編集は編集係が行っている
床本は公演制作担当者も校正する
太夫の床本を劇場の職員が見るということは一切ないし、不可能

公演プログラム(番付)に付いている床本は、翻刻ではありません。
底本はないです。
編集方針も明確には決まっていません。
過去の例にならって、編集しています。
すなわち、
地の文とセリフは区別する、
登場人物が切り替わったら改行する、
ルビは現代仮名づかい、
平仮名は漢字になおす、
など。
送り仮名の送り方は、10年前に比べて、ずいぶん現代的になってきましたね。
編集する人が若くなったからではないでしょうか。
送り仮名は、60代と40代とで全く感覚が異なりますから。
私は個人的に、もう「ゑ」「ゐ」の文字を使うのは絶対にやめたほうが良いと思っているのですが、そこまでの決定権は持っていない。
繰り返し記号もやめたほうが良いと思う。
表記はなるべく現代的なものにしたほうが良いと思う。
(私には決定権がなく、決定する権力を持っている人はそういうことを欲しない)
国立劇場の邦楽公演、舞踊公演のプログラムは、すでに詞章が現代的表記になっています。
NHK
で伝統芸能を放送する際の字幕も、ずいぶん前から現代的表記になっていますね。

実際の舞台となるべく同じになるように床本を編集しています。
例えば千歳太夫さんが語る場合は、過去の千歳太夫さんの録音を聞き、
千歳太夫さんが初役で勤める場合は、越路太夫さんの録音を聞き、
舞台と床本が同じになるように編集。
そこに、番付の付録としての意義があると思うわけです。

(ちなみに舞台に出る字幕は、編集係は関与していません)

私は現在、編集係の係長なのですが、9月公演の床本の校正は一切しなかった。
その前の公演まではしていました。かなり熱心に。
時間が捻出できなかったのね。他のことで精一杯だったのです。
もう3人で校正すれば充分じゃないかと思う。
私が大阪で編集をしていたときは、1人で床本の校正をしていた時期もありました。
いいでしょう編集係3人で。制作担当者2人も校正しているし。
私が大阪で編集をしていたときは、制作担当者は校正していなかったし。
時間がなさすぎですね。
何もかも時間がなさすぎ。

2016年6月13日 (月)

写真で覚えている

写真の存在によって昔の物事を記憶している、というケースがあります。
子供の頃の旅行など、写真があるから覚えている(写真がなかったら覚えていないかもしれない)ということがあるものです。
舞台写真にも、そういう効果があるのではないかと思うのです。
写真があることによって覚えている、ということが。

文楽公演のプログラムに、なるべく多くの舞台写真を掲載したいと思っているのですが、5月公演プログラムの最後のページに「さつきと夕顔の鉢」の写真を掲載したところ、実際の舞台にその場面がなくってビックリでした。
普通は、鉢に夕顔の花、そして夕顔棚のほうには花が咲いていなくて実だけがなっている、という上演が多いと思います。
5月公演では、夕顔棚に花と実が同時に付いていました。
これは、さつきを遣う人形遣いによってやり方が異なり、舞台稽古になるまで周囲の人々には分からない、ということのようでした。

棚に付いた実は、「久吉の印である瓢箪を切り落とすことによって光秀が久吉を倒す決意を見せる」という場面がありますから、どうしても必要なものですが、そこに花があるかないかというのは公演によって違うんですね・・・。
うり科の植物は、花が咲いてから実がなるまで期間が短いので、こちらでは花が咲き、その隣で実がなる、という状態でも不自然ではないと思いますが・・・。
(私は5月公演のやり方のほうが詞章に合っているのではないかと思いました)

去年の9月公演で『鎌倉三代記』が上演されましたが、プログラム8ページ上段右の写真は、9月公演では演じられませんでした。この写真に相当する場面はなかった。
そして8ページ下段のあらすじに「藤三郎は慌てて庭先の井戸の中へ逃げ込みました」とありますが、9月公演では藤三郎は井戸の中に逃げず、下手へ消えていきました。これも、人によってやり方が変わるそうです。

2月公演では、表紙のおとわの衣裳が舞台と違っていて驚きました。第2部で、同じような話が続くので、いつもと違う衣裳に変更したそうです。

文楽も、その公演ごとにやり方がずいぶん違うので、過去の写真と異なる場合があるものなんですね・・・。

2016年5月16日 (月)

よもやま

先月、清介師匠のインタビューを担当させていただいたのです。
大阪弁で1時間半のマシンガントーク。
私は関東育ちで、大坂弁で原稿を書くことはできませんでしたが・・・。

インタビューの中で四柱推命の話が出てきましたけれども、清介師匠の占い好きは私のような下っ端職員も聞き及んでおりまして、占いによって清介師匠のお弟子さんの名前は「2文字目が4画」と決まっているのだとか・・・。

清介師匠にゲラをご確認いただいた時に、「駄目」とか「寂しい」とか、何気なく入っているマイナスの言葉を、同じ内容を表すプラスの言葉に全て置き換えていらしたのが印象的でした。
そういう工夫が幸運を呼び込むのかもしれませんね。
私には真似できませんが・・・。
(私の心の中には綺麗な花だけが咲くわけではありませんから)

インタビューページに掲載した床の舞台写真は、奇跡の1枚で、あんなに素晴らしい三味線の写真は滅多にお目にかかれません。
文楽のカメラマンは、どうしたって人形を中心に撮影するので、床の写真は少ないのです。今回のインタビュー用にカメラマンにお願いして特別に撮っていただいたのです。
本当は去年の12月にインタビュー記事を掲載しようと思っていたのが、清介師匠は鑑賞教室のほうに出演されたので延期になり、2月に載せようと思ったら嶋太夫師匠の引退記事が入って延期になり、やっと今月掲載できた。その間も写真撮影は続けていたので、あの写真が撮れたト。あの写真、最高でしょう?すごくないですか?高貴な有徳の僧みたいに、後光が射しているもの。どうしちゃったんだろう・・・。

国立劇場の文楽公演プログラムに出演者インタビューが載るのはたぶん今回で最後になると思うので、あんな写真が掲載できて本当に幸運でした。

清介さんの直接の師匠ではないので記事には書きませんでしたが、弥七師匠のお話が面白かったですね。弥七さんは、8代目の綱太夫師匠の相三味線だったのですが、先に綱太夫さんが亡くなり、そのあと気を病んで入水なすった人です。亡くなる前しばらくは、出番前に楽屋でずっと「弾けまへん~、弾けまへん~」ってブツブツ言っていて、今の寛治師匠が肩衣を着けていつでも代われる状態にしてあったそうです。(実際に代わったこともあったらしい)
しかし、いったん床に出たらすごい名演で、終わって床が廻った時、「背中から火が出ているように見えた」と清介師匠は仰っていました。

あとは「太夫の息」の話が面白かった。
太夫というものは、「音〔おん〕」と「息〔いき〕」と「間〔ま〕」が使えなければならない、という話を住太夫師匠から伺ったことがあるのですが、清介師匠の仰る「息」は、住太夫師匠の「息」とは違うようでした。
住太夫師匠の「息」は、声を客席の後ろまで届かせるための手段、というようなお話だったと思うのですが、清介師匠の「息」は、語りのテンションと言いますか、感情の激しさを表現するための手段、という意味のようでした。
太夫は語っているうちに息が下がってきてしまう、息は上げていかなければいけない、と仰って、息が上がっている語りと、下がっている語りを実演してくださったのですが、それはどうやってもインタビュー記事に盛り込むことができず、せっかく面白い話だったのに、申し訳ないことでした。
音楽を構成する要素には、
・音の高い・低い
・音の大きい・小さい
・音の長い・短い
という3つがあると思うのですが、
それ以外にも、いろいろな要素を盛り込むことが可能なのだなあと、
清介師匠のお話を伺いながら考えたところでありました。

インタビューのあとは、ご一緒に法善寺まで歩いていき、写真撮影。
贅沢な時間でした。

2016年4月29日 (金)

『菅原伝授手習鑑』あれこれ

玉虫厨子〔たまむしのずし〕をご覧になったことがありますか。日本史で必ず習いますでしょう。厨子と言うのですから、中に仏像か何か入っていたのでしょうけれど、その肝心の礼拝物が話題となることはなく、入れ物のほうが残って国宝になっているのですね。私は実物も複製も見たことがあります。
玉虫厨子の扉や側面には、いくつかの絵が描かれており、そのうちの1つに「捨身飼虎図
〔しゃしんしこず〕」がございます。お釈迦様の前世を描いたもので、飢えた虎の親子に自分の体を投げ出して食べさせるという絵です。

仏教では、自分を犠牲にする美徳が説かれることがありますね。沈みかかった船に救命ボートが近づいてくる、けれど全員は乗れない、その時に「私はいいから、あなた乗りなさい」と言えるのが仏の教えではないのですか。救命ボートに乗れるのが愛しい我が子であったなら、沈む船に残る母親はいるのじゃないだろうか。しかし、それが愛しい我が子ではなく、他人の子供だったらどうだろうか。あるいは、子供でさえなく、見知らぬおじさんだったらどうだろうか。見知らぬ婆さんだったら、どうだろうか。

「捨身飼虎図」は、馬鹿馬鹿しい絵だろうか。美しい絵だろうか。前世のお釈迦様が虎に我が身を差し出したのと同じような心で小太郎は源蔵に首を差し出したのではないか、と、私はその絵を見ながら思ったのです。にっこりと笑うて。

「寺子屋」が理解しがたい、という話をよく聞きます。「現代では全く理解できない話ですが」などとインタビューで話す歌舞伎俳優さんもいるくらいです。
亡くなった落語家の立川談志さんが、次のような文章を書いていました。

師匠、先輩に教わった落語をそれぞれの演者が自己流にアレンジして演じるのは当たり前のことだが、なかには教わった演者の芸風に惚
〔ほ〕れ、そのままに演ずる人もいる。一言半句〔いちごんはんく〕違わない演者もなかにはいるし、また教わった落語を自分でアレンジ、構成する技術を持たない落語家もいる。
ひと口にいえば、そんなのは落語家失格なのであるが、趣味人の対象にはなり得る場合も出てくるし、私もそのスタイルの芸人を追いかけたこともある。
ただその場合、私が見ず知らずの名人の面影を追う時は、懐かしきその演者、師匠の芸をオーバーラップさせてくれた時である。
それはそれでいい。
「伝統を現代に」のスローガンで落語を演じてきた私の具体的な話をする。

私は出来るかぎり、昔の「落語」から、現代に通用するテーマを引き出して、「伝統を現代に」という旗印で今日
〔こんにち〕までやってきた。歌舞伎と違って、落語は伝統芸に現代を主題に導入することが可能である。歌舞伎には現代に通用するテーマが少ない。例えば「寺子屋〔てらこや〕」のなかからあえてテーマを探すとすれば、“自分の主人のために我が子の首を斬〔き〕って差し出す忠義”ということになる。これを主題にし、客に訴えたら、大衆は怒るだろうし、主婦連はシャモジを持って歌舞伎座を取りまくかも知れない。
「我が子の首を主人のために斬るとは何ごとだ」
といきり立つだろう。または、バカバカしくて誰も相手にしないだろう。もし「寺子屋」から現代に共感を得られるテーマを求められたら、どうしよう。こんなくだらないテーマの芝居を、いい年をして演
〔や〕らねば食えない、歌舞伎が成り立たないというバカバカしさを演ったら、むしろ、この方が現代に通じる。つまり、上司の前で、我が女房に見せられないような、バカバカしいことを演じなければならない平社員の哀しさに通じるものがあるだろう。この歌舞伎役者のバカバカしさ、これなら充分現代に通用するかも知れない。
「寺子屋」で我が子を喪
〔うしな〕う悲しみは理解出来ても、その子を主人の子どもの身代わりにすることに共感はない。ないどころか、グロテスクであり、話題にもしたくない。仮にグロでもアナクロでも、それを見せ、感動させるのが芸だというなら私は感動しないからそれを芸とは認めない。なら仕方なくテーマは別として様式美でも見せるしか方法はあるまい。つまりファンタジーの世界である。幸いに、歌舞伎には広い舞台と音楽と花道に廻〔まわ〕り舞台、セリ上がり、屋台くずしに、宙吊〔ちゅうづ〕りと、派手な見せ場をつくる仕掛けがある。加えて、豪華な会場は、一流人たちの社交の場所であり、そこに集うきらびやかさは、客それぞれの生活の豊かさの証明でもあり、池袋演芸場とはまるで違う。
落語にも歌舞伎のように様式美があればいいのだが、残念ながら、それはない。何にもない。演者にもなければ、舞台や客席にもない。
現円歌
〔えんか〕のネタではないが、
「落語の方は、舞台に何もない。座布団
〔ざぶとん〕が一つだけ、ワキに戒名〔かいみょう〕がぶら下がってやがる。楽屋の方ではテケテンテンなんて太鼓が鳴ると出てくる、猿廻〔さるまわ〕しのエテ公とおんなじで……」
であり、故三平
〔さんぺい〕の、
「歌舞伎は凄いですヨ。舞台が廻るんですからァ、落語は廻らないんですヨォ。鈴本
〔すずもと〕の舞台を廻すと、福神漬屋が出ちゃうんですから……」
と隣の「酒悦
〔しゅえつ〕」という福神漬屋をギャグにしていたが、落語には歌舞伎ほど具体的な様式美がないから、芸もその語る内容に依存し、テーマも人間に絞り、「伝統を現代に」と演〔や〕ってこられたわけある。
『立川談志遺言大全集11 落語論二 立川流落語論』よりp5658

「様式美がある」ということは、すなわち「変化させにくい」ということであり、「様式美がない」ということは、すなわち「自分でいくらでも工夫できる」ということでありましょう。(ちなみに「酒悦」の福神漬は、6歌右衛門が好んで召し上がっていたそうですが、お醤油の味が濃い、他と一風違う福神漬です。)

さて談志にこき下ろされた「寺子屋」ですが、私は初めて見た時から感動しましたし、嫌な話だとは思わなかったのです。談志はアレでしょう、常々「落語とは人間の業
〔ごう〕の肯定である」と言い、色紙にも書いていました。(談志の書いた色紙に「死ね下衆野郎」というのがあるらしく、私はその色紙が最高レベルで欲しくて欲しくてたまらないのですが、どこかで手に入らないだろうか。)
「人間の業の肯定」というのは、「やりたいから、やっちゃいました」「やりたくないので、やりませんでした」という人間の煩悩を、笑って肯定できるのが落語である、ト。
『菅原伝授手習鑑』というのは正にその逆で、「やりたいけれど、やってはいけないことなので、やりません」「やりたくないけれど、やるべきなので、やります」という話です。どちらを理想とするか、どちらに憧れるか、それは人によって違うでしょう。江戸時代でも現代でも同じ、人によって違うでしょう。

そもそも「寺子屋」は、床本に「ここぞご恩を報ずる時」とあるように、「忠義の話」というよりも、「恩返しの話」であると思うのです。そして、三つ子が恩を返す場面はいろいろ描かれているけれど、恩を受けた場面は過去の出来事としてあまり描写がない。「返した恩」に対して、その大きさに見合うような「受けた恩」が描かれていないので、変な話だと思われるのではないでしょうか。

三つ子の恩人の菅原道真は、天神様、学問の神様ですから、知らない人はいないでしょう。しかし、「何をした人か」と問われると、「讒訴によって左遷させられた」という出来事と、2、3の和歌が思い浮かぶくらいではないでしょうか。
道真が「学問の神様」と言われるのは、漢学に精通していたからではないかと思うのです。道真は、和歌よりも漢詩で有名な人です。しかし、漢詩を楽しむという習慣が日本から消滅し、道真の作った漢詩も顧みられることがなくなりました。神様も、拝む人がいなくなったら力を失うのでしょう・・・。

菅原道真は優れた政治家でしたが、その業績で最も有名なのは、遣唐使の廃止を進言したことでありましょう。日本には古来より独自の話し言葉がありましたが、文字がなかったので、中国から文字を取り入れ、そこから平仮名が生まれます。漢学のできない人は政治家にはなれません。仏教、学問、音楽、舞踊、中国大陸からたくさんの文化を輸入していました。それに終止符を打ったのが道真です。遣唐使を廃止して、ほどなく唐は滅亡してしまいました。中国の情勢と日本の情勢と、非常に高い視点で物事を捉えることができる人物だったのでしょう。こののち、「ガラパゴス」とも言われる日本独特の文化が発展していくことになります。日本というのは不思議な国で、島国として、異国の文化に対する強い憧憬と、異国の文化に対する強い拒絶、昔からその振幅の激しい国なのではないかと思います。

『菅原伝授手習鑑』には、2つの時代が混ざっていますね。
・菅原道真の生きていた時代・・・平安時代(物語の時代設定はここ)
・日本で初めて三つ子が生まれたと話題になった時代・・・江戸時代(作者が生きていた時代)

平安時代には、芝居に出てくるような寺子屋は存在しませんでした。「時代考証」という考え方はなかったのでしょう。
この芝居では、「三つ子」が重要な題材となっています。作者がこの芝居を書いた時に、実際に日本初の三つ子が生まれて話題になっていたのを取り込んだト。

床本に、
「顔と心は変わっても着る物は三人一緒、ひょんな者産んだと親父が気の毒に思うた」
とあります。
「親父」とは三つ子の父親である四郎九郎
〔しろくろう〕、のちの白太夫のことです。この「ひょんな者」「気の毒」という表現は、一体どういう言い草なんだろうかと、ずっと不思議に思っておりました。「ひょんな者」「気の毒」という言葉には、「生まれてくれて嬉しい」という感情がありません。
当時、出産は母子ともに死亡率の高い一大事で、この芝居には母親の話題が出てきませんけれど、三人も産んだらそこで死んでしまったのかもしれない。
また当時は、貧しいながら7人も8人も兄弟がいるという家も多かったでしょうが、年が違えば「お古」「お下がり」という手がある。しかし三つ子だと、三人を同時に平等に育てなければならず、育てにくい、どうやって育てたらいいのか分からない、ということもあったでしょうか。

しかし、私も若い頃は気が付かなかったのですが、ここで一番重要なのは、「双子は縁起が悪いものとされていた」という事実です。現代ではそのようなことを言う人はいませんし、すっかり忘れられていますが、『三人吉三廓初買』の中にはっきりと描かれていますので、歌舞伎ファンならみんな知っているはずです。日本の悪い風習として消え去った考え方が、名作の中にだけ残ってしまったのですね。どのくらい縁起が悪いのかと言えば、『三人吉三』の中では片方の子を捨ててしまうくらい縁起が悪かったわけですから、よほど強く根深い因習だったのでしょう。
「ひょんな者」という言葉には、「双子が縁起の悪いものなら、三つ子も縁起が悪いのではないか」という父親の暗い心配が込められていると思うのです。しかし三つ子は日本では初めてのことだったけれど、中国に先例があり、縁起の良いものとされていた。そして、中国の事情に精通していた道真だけが、その先例を知っていたのですね。つまり、三つ子の誕生に祝福を与えてくれたわけでしょう。「生まれてくれて、ありがとう」と言ってくれた、それが、菅原道真が三つ子に与えた最大の恩なのではないかと私は思っているのです。その後の人生が全然別なものになるわけですから。自分で自分の命を肯定できるかということは、自分の力だけでは決められないでしょう。分かりますか。

床本の中には、道真が三つ子を烏帽子子
〔えぼしご〕にした、とも書かれています。烏帽子親になるということは、保証人になるということでしょう。
私は大学生のころ歌舞伎研究会というサークルに所属して、歌舞伎の実演をしていました。(今年、そのサークルは部員が集まらず廃部になってしまったそうですが・・・。)
歌舞伎俳優になったサークルの先輩がいて、私たちの学生芝居の稽古を何回か見てくださいました。小道具の扱い方や、後見のこと、衣裳のこと、ビデオを見ているだけでは分からないことをいろいろ教えていただきました。それで、指導ということでプログラムにお名前をお載せしましょうかという話になった時、「私に教わったなんて絶対に誰にも言わないで」と釘をさされました。教えるのなら、もっと最初の段階から本格的に教えないと駄目で、本番前に数回教えたくらいでは名前は出せない、とのことでした。

『菅原伝授手習鑑』の三つ子は、誰が長男で次男で三男か、という話題がよく出てきます。私は、この芝居は「三人同時に生れた」というところにこそ重点が置かれており、「誰が先か」ということは問題でないと考えています。
梅王丸の台詞に「おれを兄のお心でか、梅王丸とお呼びなされて」とあるところから、梅王丸長男説がありますが、それは梅王丸が道真の心を推量しただけなので、根拠にはならないと思います。
梅が桜より早く咲く「花の兄」だから梅王丸が長男だと言われますが、その基準だと常緑の松が早いのか遅いのか分かりません。
仕えた主人の格の順番で言えば、人間の胤ならぬ竹の園生の御所奉公をしていた桜丸が長男となるのでしょうか?
三人の生まれた順番を知っているだろう父親の台詞には、「一時に生れた倅
〔せがれ〕」とあります。
そして、三人の名前が出てくる場面が何回かありますが、名前の順番は同じにならないようランダムに仕組まれていると思います。

「現代には通じない物語」と言われますが、初演当時でも、分からない人はたくさんいたでしょう。理想は人によって違います。
子供は、親や先生の思うようには育たぬもの。けれど、ちゃんと育てたら三人ちゃんと育ちましたという、『菅原伝授手習鑑』は教育讃歌の物語なのではないかと私は思うのです。
同じ理想を同じように教えられたからこそ、松王丸は桜丸のために泣くのでしょう。

2016年4月 7日 (木)

『妹背山婦女庭訓』国立文楽劇場

国立文楽劇場で『妹背山婦女庭訓』(通し上演)を見てきました~。
私がこの演目を初めて見たのは平成6年5月の国立劇場で、こんなすごいものがあるのかと驚くくらい非常に感動したのです。
その公演の時には、「妹山背山の段(通称山の段)」の両床で、
心ばかりが、い




と一文字ずつ交互に語るあたりから泣き始め、もうずっと泣きっぱなし。
濡れタオルをきつく絞るみたいに、体中の水分が涙になって目から流れ出るのではないかというくらい泣いたものでした。

でも、この演目が上演されれば必ず感動するというわけではなく・・・、見ても感動しない公演もあったので、太夫の顔ぶれが新しくなった今回の公演で感動できるものなのか、ちょっと半信半疑なところもあったのです。
ところが、ここからまた新しい文楽が始まるのではないかと思うほど、私も新たに感動してしまいました。もちろん見た全員が感動すると決まったわけではない。現に私の隣の席のおじさんは半分くらい寝ていました。しかし私は針が振り切れるくらい心の限界まで感動して、ああ何て美しいのだろう、何て美しいのだろう、こんな美しいものは世界中を探してもなかなかあるものではない、この美しさをあと100年存続させるためなら私の命を人柱に立ててもいいのに、と思ったのです。
しかし、どうですかねえ、簑助師匠が雛鳥を勤めるのは今回が最後なのかなあと思いますし、何と言っても優れた太夫が4人いなければ上演することのできない「山の段」、しかもこの場面だけやるわけではありませんから、なかなか難しいと思いますねえ。(2人で掛け合うこともありますけど・・・)
そういうわけで、期間限定で日本に出現した美の奇跡を絶対に絶対に見逃さないでいただきたいのです。交通費や宿泊費に4万5万かかったとしても、それは巨大な感動を得るための必要経費というもの。日本人に生れて『妹背山』を見たことがないなんて、そんな勿体ないことがあるでしょうか。ズル休みをしてでも、親類に借金をしてでも、何としてでもご覧いただきたい。それが私からのお願いでございます。

2016年3月22日 (火)

『絵本太功記』あれこれ

国立劇場の5月文楽公演で、『絵本太功記』が上演されます。

読本
〔よみほん〕の『絵本太閤記』の初編が寛政9年(1797)に刊行されて、大評判となり、寛政11年(1799)に人形浄瑠璃『絵本太功記』が初演されたト。
「太閤記」と言ったら、太閤=秀吉の一代記のことでしょう。
「太功記」と言ったら、秀吉の一代記ではないのでしょう。
「太功記」の「功」は「功績」の「功」、すなわち「多大なる功績の物語」ということではないでしょうか。
では「多大なる功績」とは何なのか、
それは「光秀が信長を討ったこと」でしょう。(信長は物語の中では春長)

光秀は春長の家臣なので、家臣が主人を殺すことが「功績」と言えるのかどうか・・・?
物語の中で、光秀本人も悩んでいたようです。


光秀の辞世
順逆無二門
じゅんぎゃくにもんなし
大道徹心源 だいどうしんげんにてっす
五十五年夢 ごじゅうごねんのゆめ
覚来帰一元 さめきたっていちげんにきす

吉川英治の『新書太閤記』第8巻には、次のように解釈されているそうです。
たとえ信長は討つとも、順逆に問われるいわれはない。彼も我もひとしき武門。
武門の上に仰ぎかしこむはただ一方のほかあろうや。
その大道は我が心源にあること。知るものはやがて知ろう。
とはいえ五十五年の夢、醒むれば我も世俗の毀誉褒貶に洩れるものではなかった。
しかしその毀誉褒貶をなす者もまた一元に帰せざるを得まい。


吉川英治の解釈自体が難しい・・・。
吉川英治の解釈に解釈が必要・・・。

もう自分で考えることにします。
 ↓

順逆無二門
大道徹心源
「順逆」の「順」は「従順」、主人に付き従うこと。
「逆」は「反逆」、主人に逆らうこと。
「無二門」は「入口は2つはない」「入口は1つである」「選択することはできない」。
家臣の行動が「順」であるか「逆」であるかを、一体誰が決めるのか。
主人が気に入れば「順」で、気に入らなければ「逆」なのか。
家臣の行動を決めるのは主人なのか。
自分が取るべき行動は、自分で決められます。(=大道徹心源)
私は私の考えで行動しますから、
その行動が「順」であるか「逆」であるかは自分では選べない、
知ったことではないト。

五十五年夢
覚来帰一元
の部分は、仏教的な要素が感じられます。
つまり、いま生きている世界は「夢の世界」「仮の世界」なのでしょう。
「仮の世界」に対して、もっとはるかに長い「本来の世界」「元の世界」があります。
死んだ魂はみな「元の世界」へ帰っていく。
その「元の世界」で春長にもう一度出会っても、
私は何も恥じることはないト。
歌劇《トスカ》で歌姫トスカが最後に言い放つ「スカルピア、神の御前で」と同じようなことを述べているのではないかと思うのです。
すなわち、審判は下る、
私には自信がある、
他の人々にとやかく言われたくないト。

信長は、仏教を弾圧していたので、仏教徒である江戸時代の人々からは嫌われていたのかもしれませんね(?)。

辞世のある人生は、いいですねえ。憧れますね。
この光秀の辞世は本人が詠んだものではなく、のちの世の人の創作であるらしいのですが、格好良ければ、本人でなくても良いのではないかと思います。
光秀に相応しい辞世を考えついた才能に乾杯!

2016年1月17日 (日)

『玉藻前曦袂』解題~光るお姉さんは好きですか

知らない言葉に出会ったとき、辞書を引くか引かないか?
「玉藻」とはどういう意味なのか、むかし辞書を引いたとき載っていなかったように記憶しているのですが、改めて引いてみたら載っていました。
んん~?

たまも【玉藻】〔名〕
(「たま」は美称)美しい藻。

文字そのままの意味であった・・・。
玉は「美しい宝石のような」という意味だろうと思うので、ずっと私は珊瑚のことなのかなと想像しておりましたが、そのような硬いものではなく、水の中でキラキラゆらゆらと揺れているようなイメージでしょうか。具体的に何という名前の藻なのか、そんな藻が本当に存在するのか、よく分かりませんが・・・。
狐の九つのしっぽが揺れるイメージとダブらせてあるのかもしれません。

「曦袂〔あさひのたもと〕」というのは、玉藻前の体から光が発せられて、その光が袂の隙間から朝日のように差し込んできた、ということでしょう。
光を発する体。
それだけで妖怪っぽいわけですが、体から光を発する女性には先例がありまして、その昔「衣通姫〔そとおりひめ〕」という美女がいました。(詞章の中でも述べられていますが・・・)
衣通姫は、允恭天皇〔いんぎょうてんのう〕の寵愛を受けた人だそうですけれども、妖怪として恐れられることはなく、和歌三神〔わかさんじん〕の一柱として逆に崇められています。

衣通姫の詠んだ和歌
わがせこが 来べきよひなり ささがにの 蜘蛛のふるまひ かねてしるしも

歌舞伎が好きな方にはお馴染みの和歌ですね。

体から光を発する女、ねえ。

昨年は谷崎潤一郎の没後50年で、今年は谷崎作品の著作権が切れる年だそうですけれども、その谷崎潤一郎の小説の中に『鍵』というのがございます。(私もまだ読んでおらず、これから読む予定)
酒を飲んで酔った妻が風呂場で気を失い、夫が初めて明るいところで妻の全裸を見た、という記述があるそうです。
古風な貞操観念を持つ妻は、それまで暗闇の中でしか許さなかった、とか何とかムニャムニャ・・・。

さらに昔、電気のない時代、愛し合う2人を照らすのは、行灯か月明かりくらいだったのでしょうか・・・。
「闇の夜に 吉原ばかり 月夜かな」などと言いますが、月の光はそれほど明るいものではないような気がする。
和歌の中にもよく月が登場しますが、月を「愛する人を照らす明かり」として読み直してみると、なかなか味わい深いものがありますね。

光を発する女体、ねえ。
いつも光っているわけではなく、愛し合うとき光るわけですか。
夜でも朝のような女を、抱いてみたいですか?
・・・・・・。

2015年12月26日 (土)

『信州川中島合戦』人物関係図

きのう張った人物関係図が開けなかったようです。
今度は大丈夫でしょうか。
これです、これ↓

「kawanakajimax.pdf」をダウンロード

2015年12月25日 (金)

『信州川中島合戦』あれこれ

わたくし本を読んでいて、意味が分からないところがあると、何度も何度も同じ行を読み返してしまうことがあります。
ところが文楽の場合、浄瑠璃のテンポでどんどん先へ進んで行ってしまうので、意味を把握する前に通り過ぎてしまう場合がある。
(意味の分からないところがあっても、感動できてしまえばそれで良いのだけれど)

『仮名手本忠臣蔵』の出だしは、「嘉肴
〔かこう〕ありといえども食せざればその味を知らず」という詞章で始まります。四書五経の中の『礼記〔らいき〕』に出てくるそうですが、昔の人はみんなこのフレーズを知っていたのでしょうか?「カコウ」という単語は、耳で聞いても理解できない言葉なのではないかと思うのです。でも目で見れば「美味しい料理のことかな」と分かります。つまり、義太夫節は語り物の芸能だけれども、聞く前とか後に文字で読んで楽しむことがセットになっているのではないでしょうか。

芝居というと、「1回見て全てが分かるように出来ていてほしい」と思いがちですが、それは映画とかテレビの文化なのではないかと思う。

例えばオペラの場合なら、昔は字幕がなかったので、事前に対訳を読み込んで、どの場面で何を言っているか頭に叩き込んでから見るものだったはずです。(私は海外でオペラを見る場合、旅行前に対訳を何度も読み返しておきます)
昔の能の観客は、詞章を全て諳んじている人ばかりだったと聞いたこともあります。
文楽も、特に時代物の場合、事前に詞章を読んでおいたほうが良いのではないかと思います。それは「面倒くさいこと」ではなく、「楽しみの幅が広がった」「楽しい時間が倍増した」とお考えいただければ幸いです。

さて、
来年2月に国立劇場の文楽公演で、近松門左衛門:作『信州川中島合戦』が上演されます。歌舞伎で最近「輝虎配膳」が何度か上演されましたが、今度の2月文楽では、「輝虎配膳」のあとの「直江屋敷」まで上演されます。これはやはり2場面続けて上演したほうが物語を堪能できるでしょう。

「川中島の戦い」wikipediaより
甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と、越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦い

近松の『信州川中島合戦』では、
長尾輝虎と武田信玄との最初の戦いにおいて、長尾は武田の倍以上の人数で攻めたのに、負けてしまったト。
長尾方が原因を調査したところ、武田方には優れた軍師がいて、特殊な戦術が用いられたようだト。
その優れた軍師・山本勘介には妹がいて、その妹の夫は長尾の家臣であるト。
その伝手を駆使して、優れた軍師・山本勘介を何とか味方に引き入れようト。
そのようなストーリーであります。

予習の素材としましては、
岩波書店『新日本古典文学大系』近松浄瑠璃集・下
が最適です。(この本を置いていない図書館は存在しないはず)
ただし、底本としては『大近松全集』第八巻のほうが優れているのではないかと個人的には感じています。(「細を顧みぬ大丈夫」「互に目礼礼」「軍兵の力堅くして」あたりの漢字の選び方)

2月に上演される『信州川中島合戦』三段目の冒頭
葉公
〔しょうこう〕龍を好んで画〔えが〕き刻めども、真の天龍を見て魂を失う、これ龍を好むにあらず、龍に似て龍にあらざる物を好むと言わん。将〔しょう〕の賢士〔けんし〕を好む、賢に似て賢にあらず、少ないかな才賢〔さいけん〕の臣。

これを耳で聞いてすぐ理解できますかねえ?
中国の春秋時代、楚に葉
〔しょう〕という県があり、そこの領主が龍を好んでいたト。よく龍を描いたり彫ったりしていたト。ところが、いざ本物の龍が現れたら、驚いて気を失ってしまったト。この領主は、龍を好きなつもりでいたけれど、本物の龍を見たことがなくて、頭の中で思い描いていた大好きな龍は本物の龍とは別の物であったト。
優れた軍師というのもその龍と同じで、武将は優れた軍師を好むものだけれども、優れた軍師は非常に稀な存在で、その辺にいるものではなく、また頭で思い描いていたものとは異なる想定外の生き物なのであるト。
では一体、どのような人物なのか?
優れた軍師・山本勘介は、右目が不自由で、右足も不自由。勘介の女房お勝は、口が不自由。もう差別用語がバシバシ登場します。でも、その差別をものともしないところに、この作品の持つ力があると思います。
・優れた軍師は希少価値が高い
・優れた軍師は、決して主を変えたりしない
長尾輝虎は、優れた軍師・山本勘介を味方に引き入れようとし、それが可能だと思っていた。
しかし、それは優れた軍師というものを誤解していたのであった。味方に引き入れられるような軍師は、優れた軍師ではないのであるト。

観劇日まで人物関係図をトイレに貼って、土性骨に刻み付けておきましょう。
「kawanakajima.pdf」をダウンロード

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