2 文楽

2019年2月19日 (火)

あれこれ

2月の文楽公演で「帯屋」が上演されていました。「帯屋」は人気演目で、わりとよく上演されますけれども、ここで言う帯屋が「帯を売る店」ではないってこと、知っていましたか?長右衛門は、預かった刀の研ぎを差配していますでしょう。客の注文を受けて、何かを調達したり、調整したりする店だったそうです。

繁斎の重要なセリフに、「油は繁斎、灯心は長右衛門」「暗いと言うては掻き立て」というのがあります。いま、行灯を使ったことのある人はいないでしょう。でも油や灯心は知っているでしょう。しかし、「掻き立て」という行為は、説明しないと分からないと思うんですよね。プログラムに、そういうことを解説してくれるページがずっと欲しかったんですよね。毎回同じ解説でもいいと思うんですけどね。(必要な説明が入っているならば)

ところで、くどいようですが、国立劇場の
5月文楽公演は必ず見てくださいね。必ず第1部・第2部を通してご覧いただきたいのです。片方だけ見るというのは残念な選択です。必ず両方、絶対に見逃さないでください。見せ場は第2部に集中していますが、第1部も頑張って見てください。名作『妹背山婦女庭訓』が、このように整った形態で上演されるのは、今回が最後なのではないかと私は思っております。どうか絶対に見逃さないでください。心よりお願い申し上げます。

2019年2月 3日 (日)

2月文楽公演・第3部

国立劇場の2月文楽公演・第3部を見てきました~。素晴らしかった~。
中将姫はあまり上演されませんが、千歳太夫さんの語り、富助さんの三味線、簑助さんの中将姫がものすごい迫力で、面白かったです。千歳さんの顔を見ているだけで楽しい。あの声は千秋楽までもつのかしらん。
阿古屋は、寛太郎さんの三曲が素晴らしかったですね。また、国立劇場の小劇場は音響が良くて、邦楽の演奏には最高です。
空席があるのがもったいない。ぜひ多くの方に見ていただきたい公演です。

国立劇場小劇場の客席の絨毯があまりにも古くなっていると感じていたのですが、張り替えられていました。「張り替えられていた」と言いますか、古い絨毯の上から部分的に継ぎ張りされていたという感じ?こんな張り方があるんだ・・・と思いました。そして、新しいのに早くも汚れている感じ?絨毯にもいろいろありますからねえ。国立劇場は本当にお金がないんですね。
平成15年に独立行政法人になってから、毎年1%ずつ運営費が削減されていますしね。劇場の建て替えの話がずっと止まったままで、施設の整備もしていませんし、本当に貧乏くさくて、外国人には恥ずかしくて見せられない感じですね。

2019年1月23日 (水)

文楽研修

いま、ウチの組織で文楽の研修生を募集中なんですけど、なかなか応募者がいないみたいですねえ。
しかし、選考試験の日程が
平成31年 2月下旬予定(日程が決まり次第、応募者にお知らせします。)
というような告知では、応募者がいるほうが不思議だと私などは思うのですが、どうなのでしょう?選考日が分からないのに応募する猛者がいるものなのでしょうか??

2019年1月13日 (日)

必死のお願い

国立劇場の「5月文楽公演」の演目が発表になりました。『妹背山婦女庭訓〔いもせやま おんなていきん〕』の通し公演です。第1部と第2部に分けて上演されますが(別料金)、午前10時30分開演で午後9時終演予定、10時間以上の公演となります。

ここで、このブログをお読みいただいている方々に、私からお願いがあるのですが、5月文楽公演『妹背山婦女庭訓』は、どんなことがあっても絶対に見逃さないでいただきたいのです。そして、絶対に「通しで」見ていただきたい。
(時間がないとか、お金がないという理由で、「第2部だけ見る」という選択はあるかもしれませんが、「第1部だけ見る」というのはあり得ない選択です。話が尻切れトンボになりますので。)

私が初めて文楽を見たのは平成4年の『本朝廿四孝』、2度目が平成5年の『妹背山婦女庭訓』でした。自分でチケットを取ったのではなく、母親がチケットをくれたのでした。
私は貧乏学生で、見たい歌舞伎も満足に見られない状況でしたから、文楽のチケットを自分で買うことは考えたこともありませんでした。この2つの文楽公演を生で見られたことは、今でも感謝しています。

この時の『妹背山婦女庭訓』は本当に衝撃的なほど感動しました。こんなにすごい物語が日本にあったのかと驚きました。
「妹山背山の段」では、若い恋人が川越しに会話を交わす序盤から涙が止まらなくなり、そのあとずっと泣きっぱなし。体中の水分が全て涙になって流れ出るのではないかと思いました。見終わったらもう放心状態で、「カタルシスって、こういうことをいうんだなあ」と思ったものです。

「カタルシス」を実際に体験する機会というのは、そう度々あるものではないと思います。

この時の上演では、「妹山背山の段」は第1部で上演されました。今度の5月は、この段が第2部で上演されます。つまり、見せ場が第2部に集中しているのです。
そうすると第1部が売れなくなってしまうということで、平成5年の上演時は、話の順番を入れ替えて「妹山背山の段」を無理やり第1部に押し込んだわけなのです。でも研究者の方々からは原作からの改変を批判されていました。
今度の5月公演では、『妹背山婦女庭訓』が久々にやっと本来の姿を現すという記念碑的な公演となるでしょう。

文楽公演で、時代物の通し上演が減っていますけれども、やっぱり実現するのが大変なんですよね。お客様には分からないことでしょうけれども・・・。
平成5年の上演時とは、太夫の陣容もだいぶ変わり、この作品の本来の魅力をどの程度再現できるのかまるで予測がつきませんが、とにかく名作であり、貴重な機会なのですから、「絶対に見逃さないでいただきたい」と強くおすすめしておきます。

2018年12月13日 (木)

鎌倉三代記

国立劇場の12月文楽公演を見てきました。
『鎌倉三代記』が驚くほどの名演でした。こんな大舞台が見られるとは思っていませんでした。見る前は、「また鎌三か~」などと思って、切符を買うことを迷ったくらいでした。本当に見て良かった!
織太夫さんはすごい迫力でした。芸質的に高綱に重点が置かれているようで新鮮でしたね。日本人は「織太夫の初役を聞く」という新しい楽しみを手に入れたわけです。
そして玉志さんの遣う高綱が豪快でありながら細やかな表現力で、もう本当に驚愕の素晴らしさでした。去年、樋口を遣った時もすごいと思ったのですが、今回は「こんな人が出てくるものなのか・・・」と文楽の底力に驚嘆しました。
勘彌さんの時姫も良かったですねえ。

自分の勤める劇場の公演が素晴らしいということほど嬉しいものはありません。
皆様におすすめしたいところですが、もう完売なのでした。

『鎌倉三代記』に関する過去の記事
  ↓
『鎌倉三代記』あれこれ
『鎌倉三代記』あれこれ2
『鎌倉三代記』あれこれ3

2018年12月11日 (火)

阿古屋4連発

12月は歌舞伎座(東京)、1月は国立文楽劇場(大阪)、2月は国立劇場(東京)、3月は南座(京都)と、東西で『壇浦兜軍記』が連続上演されますね。文楽の阿古屋もぜひご覧いただきたいと思います。歌舞伎とはまた違った面白さがありますし、絶対に見てくださいね!

文楽の阿古屋と言えば、私が国立文楽劇場で3年働いていた間に1度上演され、平成16年1月のことでしたが、嶋太夫師匠、清介師匠、簑助師匠という配役で、もう本当に最高の上演だったんです。ああいうのを陶酔の極みと言うんですかねえ。

住太夫師匠が素浄瑠璃で阿古屋を語るのも聞いたことがあります。
阿古屋の詞に「羽織の袖のほころびちょっと」というところがあって、私はずっと、どういう意味なんだろうかと不思議に思っていたのです。ほころびがちょっと?些細なほころびのこと?それとも「ちょっと時雨の」だろうか?よく分からなかった。
ところが、住太夫師匠の語りを聞いていたら、「ちょっと、袖がほころびてますよ、私が繕ってあげます」と景清に呼びかける「ちょっと」なのだということが私にも分かったのです。語りの力というのは偉大なものだなと思いました。住太夫師匠が本当にそのつもりで語っていたのか確かめようもありませんが、私はそう感じたのでした。

2018年9月27日 (木)

寺子屋

森下文化センターで、靖太夫さんと錦糸さんの「寺子屋」を聞いてきました。
どうでもいいですが、森下文化センターの公式サイトに掲載されている地図では森下文化センターにはたどり着けないと思う・・・。

「寺子屋」を一段まるまる語るのではなく、合間に解説を入れながら、いくつかに区切って演奏されました。かなりカットが入っていて、松王丸の泣き笑いが省略されてビックリでした・・・。
演奏後に質問を受け付けていたので、なぜ泣き笑いがカットなのか訊こうかと思ったのですが、国立劇場の職員がそんなことを質問しては悪いかと思って黙っていました。何か言うに言われぬ切ない事情があったのかもしれませんし・・・。誰か代わりに質問してくれる人はいないかと思いましたが、いませんでした。ひょとして質問があったら演奏してくれるのではないかと期待したのですが・・・。

やっさんが「寺子屋」を一段語るのは、いつのことになるのやら・・・。

それで、今日の会とは直接関係のない話ですが、
太夫だったら「寺子屋」だの「太十」なんて語れて当たり前だと思うじゃないですか。
でも若い太夫がそのような名作を語る機会は少ない。
人前で語りたいという欲望がないのかと不思議に思うわけなのですが、師匠から教わらないと語れないのだそうですよ。だから本人の意思より師匠の意向が大きいのだそうです。
それから、どんなに意欲があっても、自分で素浄瑠璃の会を主催することはなかなか難しいと聞きます。上演に向けて稽古すること以外に、会場を押さえたり、宣伝したり、切符をさばいたり、なかなか出来ないのだそうです。
逆に言えば、そういうことをやってくれる人がいれば、語ってくれるみたいですけどね。

2018年9月 6日 (木)

増補忠臣蔵

鶴澤寛治師匠がお亡くなりになりました。
寛治師匠と言えば、鶴澤寛治という大きな名跡を襲名する際の披露狂言が『増補忠臣蔵』でした。増補物で大名跡の襲名披露というのが私には不思議に思えたのですが、この時、孫の寛太郎さんが13歳で初舞台を踏まれています。初舞台が三千歳姫の琴だったんですね。琴で初舞台というのがすごいと思ったのです。三味線弾きですから三味線が弾けるのは当たり前、「それ以外に」これだけのことをすでに教えてあります、という特別なお披露目でした。ですから、お孫さんの初舞台という点に重きを置いて選ばれた演目なのかなと思っておりました。(私はこの舞台は拝見していませんが・・・)

しかし、講談や浪曲では外伝だの銘々伝だのたくさんの忠臣蔵物がありますけれども、文楽では『仮名手本忠臣蔵』という絶対的な名作がある状況で、1つだけ話を補うとすれば、やはりこの場面になるのかなあと思うのです。
『忠臣蔵』の九段目「山科閑居」で、加古川本蔵が「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心、推量あれ由良助殿」と言います。これは、「自分の命は忠義のためだけに捨てるつもりだった、しかしそれはやめて、娘のために命を捨てることにした」という意味だと思いますが、そうしたら当然、「忠義のほうは一体どうなったのか?」ということが気になるはずです。それに答えを与えたのが『増補忠臣蔵』なのでしょう。

人間は、やりたいことがあったとして、その全てを実行に移すわけではないでしょう。たとえば、「それをすると死んでしまう」ということには手を付けません。ところが武士というものは、死ぬことで出来る夢があるなら、やってしまう人々なのだと思います。死ぬのが怖いと戦えませんしね。

自分の命を何に使うか、それは誰にとっても大きな問題ですし、出来ることなら自分で選び取りたいものですね・・・。

2018年4月30日 (月)

住太夫師匠

竹本住太夫師匠がお亡くなりになりましたね。
私はむかし国立文楽劇場で宣伝編集の仕事を3年間しておりましたので、住太夫師匠のインタビューには何度となく同席させていただきました。本当にお話が面白く上手な方でした。
それはやはり、薬師寺の高田好胤さんとご親交が深かったという影響も大きいのではないでしょうか。高田管長というのは、説法、法話の面白さで人気を呼んで薬師寺の伽藍を再建しちゃた人ですから、私は聞いたことがありませんが、よほど話に魅力のある人だったのでしょう。

関係ありませんが、つねづね私が思いますには、文楽はやはり仏教のことを知らないと分からない部分があると思います。

住太夫師匠の思い出は、以前このブログでも書いたことがあります。
 ↓
住太夫師匠のお話

私が初めて見た文楽は、平成4年の『本朝廿四孝』通し上演で、住太夫師匠は「勘助住家」を語っていられました。お種が極寒の中の我が子を助けようとする場面で私はグズグズに泣き、そしてそのあとの場面の急展開に興奮したものでした。
若い観客は『本朝廿四孝』を通しで見ることができず可哀想だと思っております。

住太夫師匠の語りで一番感動したのは、やはり「沼津」ですね。あんなに素晴らしいものが日本にあるということをほとんどの日本人が知らなくて日本は一体どうなっているんだろうと私は思うのです。
それから「山の段」の定高には本当に泣きました。体ぢゅうの水分が全て涙になって流れ出るのではないかというくらい泣きました。平成5年の『妹背山婦女庭訓』を通しで見られたことは、幸薄き私の人生で数少ない僥倖でございました。本当に有り難い体験でした。「カタルシス」という言葉は知っていたけれど、何のことだか分からなかった、それを自分自身で実体験した観劇でした。

私は若い頃「佐多村」の良さがよく分からなかったのですが、住太夫師匠の引退公演の時にしみじみとその浄瑠璃の良さがやっと分かったのです。師匠はこの「佐多村」がお好きでした。「こんないい浄瑠璃を語らせてもらっていて、お客さんが泣かなんだら、よっぽど太夫が悪い」とよく仰っていました。私はそのお話を伺っていて、自分が「佐多村」に感動しないのはどうしてなのかなとずっと思っていたのですが、年とともに分かるってこともあるんですね。

下っ端の職員だった私のような者にまで気さくに話しかけてきてくださり、日本の最高の宝である人間国宝と話をするなんて不思議な気持ちでした。

「大阪はもっと綺麗な街だったのに、銀座が羨ましい」と仰っていたことがありました。大阪と文楽の現状に不満で常に怒りに燃えていらっしゃいました。
あの太夫はここが駄目、この太夫はこうだから駄目、という話を私にも何度かされました。

「自分は幸運な星のもとに生れた」とよく仰っていました。実際には召集、敗戦、興行の不振、文楽の分裂、宿や交通手段の手配も荷物の持ち運びも全て自分たちでやっての全国巡業と、苦労続きだったはずなのに、「わしはそれを苦労と思わなかった」と仰っていました。苦労を苦労と思わぬほど文楽を愛していられました。

生前の偉大なご功績を改めて偲びたいと思います。

2018年2月26日 (月)

2月文楽

もう終わってしまったのですが、今月の文楽公演『摂州合邦辻』、素晴らしかったですね。語りの力で芝居の途中に客席から拍手が起こる、というのがすごく久しぶりの出来事のように感じられて、昔は普通に拍手が起こっていたところで最近は起こらないことが多かったので、何だか本当に目出度く、そして嬉しい公演でしたよ。咲甫さんは昔からスターだったとは思いますが、織太夫という大きな名前を継いで、それに相応しい力を示したということで、大輪の花がパッと開いたような、まさに見ものの公演でした。本当に目出度いですね。勘十郎さんの遣う玉手御前もゾクゾクするほどの面白さでした。良かった良かった。

より以前の記事一覧