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2006年7月

2006年7月30日 (日)

ロッシーニ《セミラーミデ》

ロッシーニ《セミラーミデ》の映像を見ました。1990年メトロポリタン歌劇場ライヴ。この作品、セミラーミデのアリア「麗しい光が」は何度も聞いていますし、セミラーミデとアルサーチェの二重唱(1幕目の)も知っていましたが、全曲を見るのは今回が初めてでした。いやぁ傑作、しびれました!

一番感動したのは、セミラーミデとアルサーチェの二重唱(1幕目)でした。何て美しいメロディー、そして残酷な言葉。こんな内容を歌っていたのか…と驚きました。

アッスール役のサミュエル・レイミー、素晴らしい。レイミーというと、私はこれまで《オン・ザ・タウン~踊るニューヨーク》の映像くらいしか見たことがなかったのですが、すごい歌唱力ですね。どうでもいいですが、なんで上半身ハダカなんだレイミー…。歌っても、あんまり腹は動かないものなのか…。そういえば、新国開場記念の《アイーダ》で、クーラ演じるラダメスもハダカになったのでした(皇太子殿下のご臨席があった日だけは服を着ていましたが)。アッスールのような難役、いま歌える歌手っているんだろうかと思ってCD屋をのぞいてみたら、あのイルデブランド・ダルカンジェロが歌っているCDがありました。グルベローヴァ、フローレス、超強力キャストじゃありませんか。でも、7,000円強という値段を見て、とりあえず買わずにおきました。買ったのに聞いていないCDも他にたくさんあることですし…。

セミラーミデ役のジューン・アンダーソンも良かったです。アルサーチェ役のマリリン・ホーンは、声に感情が乗らないタイプながら、技巧が優れていてムラがないので、まあ当たり役なのでしょう。

難役ぞろいのこの長大な作品、そのうち日本でも上演されるでしょうかねぇ。

あれこれ

●「好きなテノール」はたくさんいますが、マルチェッロ・ジョルダーニも大好き。《ラ・ボエーム》のロドルフォ、これまで私が生で見た中では、ジョルダーニが一番良かったです。(声の荒れが気になるときもありますが…。)

フィレンツェ歌劇場来日公演の《トゥーランドット》に出演するというのでチケットを取ろうかと思ったのですが、私はトゥーランドット役のアレッサンドラ・マークが苦手ですし、値段も張るので、迷った末に止めておきました。

ところが、完売した後になって「絶対に行きたい!」という気分が盛り上がってきてしまい(だってカラフって満足できないことが多いですし)、もう、いくら払ってもいいからチケットを手に入れるぞ!!と思っていました。

先日、ふとNBSのホームページを見たら、マルチェッロ・ジョルダーニ降板のお知らせが!「フィレンツェ歌劇場側の都合により」だそうです。そんな理由でみんな納得するのでしょうかねぇ?チケット取らなくて良かった!!

●マキシム・ミロノフ君が出演している《ラ・チェネレントラ》のDVD、チェンバロではなくフォルテピアノが使われていました。とても綺麗な音でした。音じたいが魅力的です。

●何気なく佐藤美枝子さんのオフィシャルサイトを見ていたら、《ルチア》のピアノ伴奏ハイライト上演=《幻想のルチア》のページがありました。そういうことをなさっているのは知っていましたが、詳しいことは知りませんでした。そこに何と、「ピアノ&エンリーコ:河原忠之」と書いてあって目が釘付けに!!ピアノ&エンリーコ…??ピアニストの河原さんがエンリーコも歌うってこと?それとも、ピアノが奏でるエンリーコのメロディーを相手に佐藤さんがルチアを演じるってこと?…何にしても見たい!!と思ったら、9月16日に藤沢市民会館で上演されることが分かって、さっそく予約してしまいました。演出は、びわ湖ホールの《ミニヨン》を演出した岩田達宗〔たつじ〕さんだそうです。すっごい楽しみ!

オフィシャルサイトで「狂乱の場」の一部が見られるようになっているのですが、ひと昔まえの佐藤さんよりも、更に進化している感じです。全曲上演で見てみたいなぁ。…いえ、ご本人だって歌いたくて歌いたくて仕方なくって、それが《幻想のルチア》なのですよね。

2006年7月28日 (金)

松竹大歌舞伎・東コース

●私は大学生のころ、歌舞伎研究会というサークルに入っていました。それまで歌舞伎を見たことは一度もありませんでしたが、友人に誘われてフラッと部室に行き、そのまま入会してしまったのでした。入会したからは歌舞伎を見に行くことになるのですが、最初の数回は「ふーん、歌舞伎ってこういうものか…」という感じで、特に強い感動はありませんでした。

●「歌舞伎を見て泣くことがある」という先輩がいて、「まさか歌舞伎で泣くなんて」と俄かには信じられなかったのですが、あれは5回目の歌舞伎座、『義経千本桜』の通し(平成4年8月)。「すし屋」でボロ泣きしてしまいました。権太は勘九郎さんでした。

●あの時のお里は福助さんでした。弥助に稽古をつける場面で、「男(福助)が女(お里)を演じ、更にその女(お里)が男(理想の弥助)を演じる」という複雑な演技術に衝撃を受けました。その後、他の方のお里もいろいろ見ましたが、他の方はそういう演技はしないので、面白くありません。一代限りの当たり役でした(もう、なさらないでしょう)。

●勘九郎さんが平成中村座で「すし屋」を出したとき、珍しく私は両親を連れて行ったのですが、1列目の席(平場)で母と一緒にボロ泣き。あー、これって遺伝なのだと思いました。(父は居眠りしていて恥ずかしかった。)

●今日は仕事を休み、勘三郎襲名披露公演を見によこすか芸術劇場に行ってきました。横須賀があんなに遠いとは思いませんでした。横須賀って鎌倉より遠いんですか…(爆)。

●劇場に入ると、壁や絨毯の色合い・質感が本当に美しくなくて、ウンザリでした。新しい・古いは関係ないのですね。そういえば大宮ソニックシティも美しくなかった。日本の建築のレベルの低さはイヤになります。兵庫県立芸術文化センターはうまいこといって良かったです。

●さて、勘三郎襲名披露ですが、ご自分で口上を述べられていたのが少し寂しい印象でしたが、右京と権太という、当たり役中の当たり役を勤めるとあって、充実した公演でした。

●しかし、地方巡業に「十種香」を出すのは、どうなんでしょうね。もちろん私は「十種香」大好きですが、巡業向きの演目ではないと思いますが…。今回の「十種香」は、黒塗り瓦燈口、かささぎの衝立。池はナシ。勝頼をはさんで仲立ちを頼む形。「勤めする身はいさ知らず」も語らせていました。クドキの振りは、(東の)成駒屋の型とはずいぶん違いますが、柱巻きの部分はだいたい同じ。

●勘三郎さんの権太は、「血を吐きました」を自分で言っていました。前からそうでしたっけ…?いいですね、あれ。勘三郎さんが勤めてきた役々の中で、私が一番好きなのは権太なんです。

●弥十郎さんの弥左衛門は、「聞こえぬぞよ権太郎」というセリフで、本当に悔しそうなのがいいです。

●権太が「冷てえ手だな」って言ったら、もう泣いてしまった。日本人に生まれて良かった、と思った1日でした。

2006年7月27日 (木)

マキシム・ミロノフ讃

●インターネットでオペラの放送を聞くことがあります。有名なサイトなので皆さんご存じでしょうけれど、「オペラキャスト」のお陰で、パソコンに弱い私も何とか録音することができます。(sakag510様、いつもありがとうございます。)

http://blog.livedoor.jp/sakag510/

●数ヶ月前に、マキシム・ミロノフ出演の《ラ・チェネレントラ》を録音して、「ああ、誓って見つけよう!」ばかり繰り返し聞いているのですが、せっかくDVDが出たので買ってみました。日本語字幕なし!

●DVDを見ていて、いよいよ「ああ、誓って見つけよう!」だぞ、と思ったら、いつも聞いている録音とは別テイクであることが判明。…DVDも良いけれど、インターネットで録音した方が私は好きだなぁ。信じられないほど技巧が冴えています。何人くらいの人がこの録音を楽しんでいるんだろう…、もったいない。「ああ、誓って見つけよう!」の録音は他にもいろいろ持っていますが、もう圧倒的にこのミロノフが素晴らしい。

●ドン・マニフィコ役のルチアーノ・ディ・パスクワーレやダンディーニ役のシモーネ・アルベルギーニも、取り立ててマズイわけではないのに、ミロノフと共演するとずいぶん聞き劣りがします。一度良いものを聞いてしまうと、もう後戻りできないのですね。そのようにして、時間をかけて磨き上げられてきたロッシーニ歌唱、いま最先端を走っているのがマキシム・ミロノフ、という気がします。若いときのフローレスより冴えているのではないかなぁ。それから、「私は恋をしています」というのを表情だけで観客に伝える演技力も備えている。そのうえ顔立ちも整っていて、いかにも品の良い王子なのですよ。心配なのは声量だけ。(でも、ロッシーニ歌唱に声量を求める気にはなりません。)

●しかし、ミロノフの素晴らしさというのは、少数の人しか知らないのですよね。10月に藤原歌劇団の《ランスへの旅》で来日しますが、もっと工夫して宣伝すればいいのに!とヤキモキしてしまいます。今どきペラペラのアート紙でちらしを作るなんていう感覚がよく分かりません。ホームページを見ても何の情報も載っていませんし…。あんまり歌手に比重を置いて宣伝すると、万が一休演したときに大変なのかも知れませんが、他の団体は平気で宣伝してますからねぇ。

●ミロノフ君の初来日、もう、本当に聞き逃せませんよ!!リサイタルなんかもやってほしいです。ミロノフ君が《セビリアの理髪師》に出演することになったら、私はきっと、世界中どこへでも飛んでいきます!

松竹座七月大歌舞伎

先週の金曜日、松竹座を昼夜見てきました。昼の部は私には今ひとつで、断然夜の部の方が楽しめました。

眼目は藤十郎さんの『京鹿子娘道成寺』。頻繁に上演される人気演目なので、これまでたくさんの「娘道成寺」を見てきましたが、踊り手によってずいぶん雰囲気が変わりますね。今回、道行では見たことのない衣裳で登場(言葉では説明できない色・柄…、藤十郎好みなのでしょうか?)。「ただ頼め」はカット。幕切れは赤と金のうろこ模様の衣裳。

鴈治郎時代の「娘道成寺」がテレビ放送されたことがありますが、今回の公演の方が充実していたように思います。驚異的にお若いです。

『一條大蔵譚』『魚屋宗五郎』は、すべての配役が万全というわけにはいきませんでしたが、なにしろ主役が強力でしたから、充分に面白かったです。

2006年7月26日 (水)

国立劇場10月『元禄忠臣蔵』

国立劇場の10月のちらしが出てますね。吉右衛門丈の内蔵助のアップ写真、この写真が最高に素晴らしい。『仮名手本忠臣蔵』の由良之助と違って、少し写実めの拵えで、日本人の1つの理想像、といった感じです。歌舞伎のちらしがこんなに美しいのは、1月の松竹座以来ではないでしょうか。国立劇場のホームページでも見ることができます。いわゆる「本ちらし」ではないので、早くしないと手に入らなくなってしまうかもしれません。

開場40周年記念の演目としては地味だとか言われているようですが、播磨屋びいきの私としては、10月の国立は非常に楽しみです。

「忠臣蔵」というとすぐに「復讐劇」をイメージしますが、真山青果の『元禄忠臣蔵』は、「何か起きたときに、どのように行動すべきか」を描いた人間ドラマだと思います。富十郎丈の井関徳兵衛ともども期待が膨らみます。

2006年7月25日 (火)

藝大オペラ『セヴィリアの理髪師』

10月8日・9日に、上野の東京藝術大学奏楽堂で『セヴィリアの理髪師』が上演されます。

こんな問い合わせをするのは絶対に私しかいないと思いますが、アルマヴィーヴァ伯爵が最後の大アリアを歌うのか歌わないのか、電話で訊いてみました。電話に出た男性は「そんな細かいことを訊いてくるなんて…」と言わんばかりに驚き、きっぱりと「分かりません」と告げられました。しょぼん…。

ちなみに、完売だそうです。そりゃあ、3,000円で『セヴィリアの理髪師』が見られるなら、大アリアがあろうがなかろうが完売するでしょう…。

『モーツァルトとサリエリ』&『レクイエム』

●今日はチェコ国立ブルノ歌劇場の『モーツァルトとサリエリ』&『レクイエム』に行ってきました。東京文化会館。

●リムスキー・コルサコフの『モーツァルトとサリエリ』は45分くらいの一幕もので、アリアもなく、非常に演技力が問われる作品。以前このブログにも書きましたが、これにはスゴイ見せ場があって、ともかくその、サリエリが泣く場面を見たくて行ったのです。

●いよいよ泣くぞ、どんなふうに泣くのかね、よっ、待ってました!と凝視していると、その場面では何だかサリエリよりモーツァルトにスポットライトが当たっているような感じ。サリエリは、うつむきながら肩を震わせて泣いています。か、顔が見えません。その顔を見たくて来たんですけど…、と思ったらもう泣き止んでしまった。ああ、見せ場が見せ場にならずに終わってしまいました。

●飲もうとするモーツァルトに「飲むな」と言う複雑な心理描写なんかも、全然描けていませんでした。また私の記憶が正しければ、字幕に「飲んじゃったの!?」と表示されて、いくら何でもヒドイと思いました。

●「天才と犯罪は両立しないのか?」という幕切れも、私には今ひとつでした。

●続けてモーツァルトの『レクイエム』を上演するのは、なかなか良いアイデアかと思いますが、何の予習もせずに臨んでしまい、あまり魅力が感じ取れませんでした。「怒りの日」とか、全然意味が分かりませんでしたからね…。

びわ湖ホール『ミニヨン』

●一生に一度は生で見てみたいと思っている稀曲(=滅多に上演されない作品)が幾つかあって、『ミニョン』『ディノーラ』『ラクメ』などが思い浮かびます。意外に早く『ミニョン』が見られることになり、びわ湖ホールまで行ってきました(7月23日公演)。

●やはり、最大の関心は「あの有名なアリアは、全曲の中で聞くとどうなるのか」というところでしょうか。数ヶ月前に『ミニョン』を映像で見たときは、「何だよ!『私はティターニア』って、ストーリーと全然関係ないじゃんか!」と思ったのですが、今回の公演を見てみたら、さにあらず。全曲を通して聞くと、盛り上がる場面があり、少しダレる場面もあり、そうしたうねりの中で、突出した見せ場としてバーン!!と登場する超絶技巧アリア。合唱を従えてフィリーヌが階段を降りてくると、もう最高に盛り上がってしまうのです。映像で見たときには分からなかった…。それが生の迫力でもありますし、今回は演出も優れていたのだと思います。

●S席7,000円という値段だったので、演出はきっと大したことないに違いないと予想していたのですが、大変立派な舞台装置で、大勢の合唱も生き生きとしており、相当お金と時間をかけているのが分かりました。この入場料では絶対にペイしない、おそらく兵庫県がかなり力を入れた公演だったのだろうと思いますが、非常に有意義で、かつ大きな成果をあげていました。

●日本語上演で、変な訳だったらどうしようかと心配だったのですが、杞憂でした。始めのうち、レチタティーヴォの部分に日本語が乗り切れていない感じもしましたが、全体にうまく訳されていて、とても良かったです(宮本益光〔ますみつ〕さんの訳詞)。訳詞さえ良ければ、「日本語上演・日本語字幕付」という上演スタイル、なかなか楽しめます。

●フィリーヌ役の安田享子〔ゆきこ〕さんは、演技はまだまだ硬い感じでしたが、とにかく技巧が優れていて、難しいアリアをばっちり決めていました。本当に素晴らしかった!

ヴィルヘルム役の喜納健仁〔きなけんじん〕さんも、演技が硬いものの、高音がスッと出ていて、貴重な逸材であると思いました(きっと、ベルカント系の役が似合う…)。

ミニヨン役の山本福久〔ふく〕さんは、今回の出演者の中では一番演技力があったのではないかと思います。容姿も役に適っていました。

ロタリオ役の萩原寛明〔ひろあき〕さんは、歌唱力と演技力のバランスが高水準でした。

●ロタリオが竪琴を壊す場面があり、「ハッ、これと同じものを前にも見たことがある!」とデジャヴを感じていたら、新国立劇場の『オルフェオとエウリディーチェ』と同じ演出家の名前(岩田達宗〔たつじ〕さん)がプログラムに載っていました(その『オルフェオとエウリディーチェ』でも、竪琴を壊す場面があったのです)。「あの演出家が、こんなに立派になられて…」としみじみしてしまいました。でも、カーテンコールでは目立ち過ぎでした。

●開演を告げるチャイムが、「君よ知るや南の国」「私はティターニア」のメロディで作られていて、洒落ていました。歌舞伎座や国立劇場の開演ブザーは、音が美しくありませんね。映画館から来ているのでしょうか。

●無料配布のプログラムの中で、「ミニヨン」と書いてあるかと思えば「ミニョン」と書いてあったり、「トマ」だったり「トーマ」だったり、一体どっちなんだよ!と思いました。

●卵の踊りってどんな踊りなのか、考えると夜も眠れません(ウソ)。

●ちらしやプログラムに「びわ湖の夏・オペラビエンナーレ」と書いてあり、ビエンナーレって何て意味だっけ?と調べてみたら、イタリア語で「2年に1度」という意味だそうです。再来年は何を上演するのでしょうかね。また意欲的な公演を期待しています。

2006年7月24日 (月)

兵庫県立芸術文化センター『蝶々夫人』

●昨年10月に開場した兵庫県立芸術文化センター。遠いのかと思っていたら、梅田から20分くらい、阪急・西宮北口駅からとても近く、便利なアクセスです。ところが!なぜかJR西ノ宮駅に降り立ってしまい、暑い中を延々と歩くハメに…。私は強力な方向オンチで、「目的地と反対の方向に歩き出す」というようなことも度々なのですが、今回の件で「自分には先天的に何かが欠けているに違いない」と確信しました。 

●新しい劇場は、コンクリート(表面に木目模様が刻まれている)と、こげ茶色の木材をベースにした造り。「綺麗」というよりも「洒脱」などの言葉が似合う感じでした。そう、「綺麗」というのとは違いますね。でも、悪くありません。 

●客席内は、床も壁も天井も木、木、木。ちょっと新国立劇場を彷彿とさせます。それで音響にも期待したのですが、新国のレベルには届きませんでした。(もっとも、オペラ公演よりもオーケストラ公演が主眼のホールなのかもしれません?) 

●直前にチケットを取ったので、席は良くなくて、1階最後列の右はじの席(でも値段は一番高いランク)。破格の12,000円だから仕方ないな…と席に着いたら、見知らぬご婦人が話しかけてきます。何でも、お連れの方が喘息持ちで、いつ咳が出始めるか不安がっているので席を替わってほしいとのこと。一気に10列くらい前方の席に移動することになりました。ラッキー!思い返せば、これまでにも私は、ずいぶんとラッキーな巡り合わせを経験しています。あの公演が見られなかったのが悔しいだの何だのと不満ばかり言っていてはバチが当たる、と反省しました。(頻繁に反省し、そしてすぐに忘れる、忘れっぽい天使ふくきち…。) 

●指揮の佐渡裕さんはすごい人気で、出てきただけでも客席が盛り上がっていました。芸術監督が地元の方々に愛されている様子を見て、羨ましく思いました。関西では異例の8回公演(うち2回は追加公演!)というのも、佐渡さんの人気によるところが大きいのでしょう。ちらしやポスターにも佐渡さんの名前が前面に出ていますし、実際、広報面でもかなり活躍していたようですね。その佐渡さん、これまでオペラを振る機会は少なかったのではないかと思いますが(私も聞くのは初めて)、大変ゆったりしたテンポ設定でした。遅めのテンポを好む私も唸るほどに…。 

●佐渡さんの遅めのテンポは、ピンカートン役のアレッサンドロ・リベラトーレと相性が良かったようで、実にのびのびと歌っていました。しかし、シャープレス役のデヴィッド・オーカーランドは歌いづらそうで、何とか合わせて歌っているような雰囲気。 

●主演の浜田理恵さんは、小柄で可愛らしく、bambinoという言葉がぴったりの蝶々さん。この役としては理想の容姿を備えていて、本当にお人形さんのようでした。ところが、小柄なだけあって肺活量がなく(?)、長いフレーズをキープできないためか、蝶々さんが出てくる場面は総じてテンポが速くなっていました。誰が歌っているかによって、テンポが速くなったり遅くなったりしている感じ。 

●なおかつ、浜田さんは声量もない…。この役は、圧倒的なフォルティッシモを要求される場面が数ヶ所ありますが、声量のない歌手は厳しいですね。オーケストラも、浜田さんの声量から逆算して音量を組み立てていかねばならないので、思いきり鳴らせないわけです。おまけにピンカートン役のリベラトーレも声量がない。佐渡さんは、蝶々さんが坊やを連れてくる直前であるとか、「花の二重唱」の直前など、歌手の声量に束縛されない部分では思いっきり鳴らしていたものの、全体的に、表現の幅が狭い印象は拭えませんでした。 

●今回の公演を見ていて、「オペラは団体競技」なんだなぁと改めて感じました。そうした中にあって、一番の重責を担っているのは、やはり歌手、ですかねぇ。別の歌手が出演していたら、全く違うオケが聞けたのではないかなぁ。「これで佐渡さんの演奏が評価されちゃうのか…」と思いましたが、まぁプロデュースしたのも佐渡さんですから、何とも言えません。 

●舞台装置は、立派な桜の木を1本据えて、その他はごく簡素な作り。ピンカートンの帰りを待つ場面で、廻り舞台を使っていたのが印象的でした。 

●蝶々さんが「花嫁衣裳を着たい」と言う前に、スズキが打掛を持って出てきたのは疑問でした。確かにスズキは気の付く人かも知れませんが、そこまでするのは変です。それから、ケイト役に日本人を当てるのはどうかと思います…。 

●ロビーで「蝶々夫人オリジナルTシャツ」を販売していたのですが、Tシャツを着ている佐渡さんの写真(というより巨大カラーコピー)があちこちに貼ってありました。本当に人気者なんですね。 

●衣裳のデザイン画が展示されていたのですが、「坊や」のデザイン画に「ドローレ」と書き込まれていて、笑ってしまいました。幕内では本当に「ドローレ」って呼んでいるのかな…。 

2006年7月23日 (日)

国立文楽劇場『夫婦善哉』

●過去にも何度か文楽で『夫婦善哉』を上演していますが、今回は「新演出」ということで、従来と違う部分も多いそうです。特に調理場の場面は、「暗転させて声だけ聞かせる」という演出だったとのこと。今回の舞台装置は、かなり画期的だったのではないでしょうか。

●ああ、文楽でも、こんな表現ができるんだぁ…、という新鮮な驚きがありました。しかしそれも、嶋大夫師匠の力あればこそ、という気もしました。

●嶋大夫師匠の語りだしでワーッと拍手と笑い声、「何?何?」と訳の分からぬままの私…。あとで聞いたら、『道頓堀行進曲』という、むかし流行った歌がそのまま使われていたのだそうです。「関西人ならみんな知っている」「関西人でなくとも、ある程度より上の年齢の人はみんな知っている」歌なのだそうな。本当?

●電話の向こうの養子の声、録音されたものでしたが、ちゃんと嶋大夫師匠が語ったのだそうです。ちょっと別人みたいに聞こえますけど…(再生スピードが少し速めらしい)。大夫って、本当に何でも語るんですねぇ。

●上演前の「解説」で、文字久大夫さんが腕時計をしていたのが気になりました…。まあ、今回のような場合、時間は気になるところでしょうけれど…。…。

●とても新鮮で面白かったのですが、この作品、今後も上演できるのかな…と少し心配。

関西への旅

このあいだ休日に出勤したので代休をもらって、金・土・日と関西方面へ行ってきました。

金→松竹座 昼の部・夜の部

土→兵庫県立芸術文化センター『蝶々夫人』&国立文楽劇場第3部『夫婦善哉』

日→びわ湖ホール『ミニヨン』

少しずつ感想を書いていきたいと思います。遅筆なので、どうなるか分かりませんが…。留守の間にコメントやトラックバックをお寄せいただいた方、ありがとうございました。大須オペラは一度行ってみたいと思っています。

2006年7月20日 (木)

オペラサロン・トナカイ『夢遊病の娘』

今日は、オペラサロン・トナカイの『夢遊病の娘』に行ってきました。オペラサロン・トナカイというのは、千代田区岩本町にある、オペラと食事を楽しめる店。ブルーノート東京のオペラ版みたいな感じ(?)。通常は3名ほどのオペラ歌手が得意のアリアを歌い、幕間に食事をするのですが、年に数回オペラ公演も行っているのです(合唱なしピアノ伴奏)。今日は、バイキングで先に食事を済ます形でした。

私がオペラサロン・トナカイに行くのは8年ぶりくらいだったかな。オペラ公演は初めてでした。知らない歌手ばかりだろうと思っていたら、アレッシオ役の渡邊朋哉さんは見たことがありました。むかし、確か同じ役で…。

今日いちばん感激したのは、何といってもロドルフォ伯爵役の大井哲也さんの演技でした。登場した瞬間、髪をパッと払うようなキザな仕草をして、いきなりふくきちの心を鷲づかみ。自分が出ている場面を細かく区切っていき、「ここはこう、次はこう」というように、全て計算して手順を付けているのです。一挙手一投足おもしろい、ある種ブッフォ役として演じていたのだと思います(アリアと、2幕目以降は「真面目キャラ」でしたが)。こんな鮮烈なロドルフォ伯爵が見られるなんて…。「ああ、この景色は見たことがある」と口にすれば、彼の目の中にその景色が見えるような、格別な演技力のある人でした。素晴らしい。二期会会員だそうですから、今後もいろいろな公演で接する機会があるでしょう。

エルヴィーノ役の渡辺文智さんは、ほぼ全てのフレーズをずーっとフォルテ(またはフォルティッシモ)で歌っていました。なぜピアニッシモを出そうとしないのか、それとも、それで出しているつもりなのだろうか、と不思議でした。「ずっとフォルテで歌う歌手」って、本当に大勢いますね。なぜでしょうね?

エルヴィーノは、通常のテノールの音域よりも全体的に高いみたいですね。今日は、二重唱でソプラノがオモテのメロディーを取っていたのですが、テノールには音域が厳しいのだろうなと気づきました。

でも、エルヴィーノは本当にいい役ですよ。プリマドンナを従えてコンチェルタートのシンを取る、うーん、いいなぁ。今日は合唱なしでしたが、ちゃんとコンチェルタートも演奏してました!渡辺さんも頑張っていました。

アミーナ役の根来加奈さんは、歓喜のカバレッタが良かったです。

とても楽しい公演でした。

2006年7月17日 (月)

本日はロッシーニの日

3連休の最終日、自分で勝手に「ロッシーニの日」と決めて、見たことのなかった作品を2つ、映像で楽しみました。

まずは『イタリアのトルコ人』。スーザン・ロバーツ主演で、カーン歌劇場にて上演されたもの。どうも台本に無理があるような気がして、あまり楽しめませんでした。歌手も総じて今ひとつでしたし、演出も、違う文化が入り込んでくる面白さや、フィオリッラの強烈な個性を描ききれていない感じです。

しかし、フィオリッラとジェローニオの二重唱は、さすがに良くできていると思いました(そういえば先月、西山恵子&ブルーノ・プラティコのリサイタルで聞いたばかりです)。

バルトリ主演・シャイー盤の全曲CDを、買ったまま聞かずに眠らせているので、近いうちに聞いてみようと思います。

続いて、ロッシーニ協会のビデオ上映会で『シジスモンド』。日本語字幕や対訳の出ていない作品なので、こういった機会でもなければ接することもなかっただろうと思います。

解説を担当された千代田晶弘さんは、今日のために『シジスモンド』の日本語対訳をお作りになったのだそうで(!)、ひたすら頭が下がります。何だか、自分の怠け者っぷりが恥ずかしい。

こちらの作品も台本に無理がありますが、私は『イタリアのトルコ人』より数段楽しめました。出演していた歌手が良かったと思います。名も知らぬソプラノ、テノールの素晴らしいこと!

あらすじを読んで「めちゃくちゃだなぁ」と思っても、登場人物がその場その場で活き活きとしていれば、不思議と感動できるものですね。現代人には、このような台本はもう書けない(書かない)でしょうけれども。

メロディーの転用が多数あって、「素晴らしいメロディーは、素晴らしい歌詞に出会えるまで、何度でも転生するんだろうなぁ…(?)」などと思いました。『イタリアのトルコ人』からも転用されていたみたいです。

貴重な映像を見ることができて、大変嬉しく思いました。これをきっかけに、また別のCDなどで楽しみたいものです。

2006年7月16日 (日)

安養寺『椿姫』

今日は、お寺の地下にある小ホールで上演された『椿姫』に行ってきました。コンクリート打ちっ放しの不思議な空間(お寺としては)で、普段も器楽コンサートなどをやっているそうです。お客さんは100名弱くらい?檀家の方が多かったのかな…。

お目当てだった小山(おやま)陽二郎さんが体調をくずされて休演。それでも、とても楽しめました。

ヴィオレッタ役の江口二美(つぐみ)さんは、「花から花へ」の最後に3点変ホ音を付加せず、高音フェチのふくきちとしてはチト不満だったのですが、その代わり(?)、普通のソプラノがごまかしがちな低音(第3幕のsalvarmi e dato<救いは何もない>)に強烈にアタックし、その後の神様への語りかけの部分をグワーッと盛り上げたのが良かったです。それと、泣き方が上手かった。オペラでは、泣いていることを声によって表現しなければならないわけですが、「適度に泣く」というのは難しいですものね。

アルフレード役は「急遽代役」の大間知 覚(おおまちさとる)さん。すごい声量でした。「花から花へ」の中間に歌う部分で、Croceを高く上げていたのが嬉しかった。(あんまり「高音フェチ」なんて言うと、本当におバカみたいですね…。)

ジョルジョ・ジェルモン役の鹿又(かのまた)透さんは、この役には見た目が若すぎて(しかも超二枚目)、ヴィオレッタと並ぶと恋人のよう、アルフレードと並ぶと年下のように見え、妙におかしかったです。(でも、いい声でした。)

合唱なしピアノ伴奏ハイライト上演ということで、どのような構成になるのかなぁと思っていたところ、フローラを活躍させて第2幕・第2場を上手くつないでいました。久恒さんという方の演出だそうです。幕間に、演出家ご本人がテーブルを移動させたり裏方の仕事もなさっていたのですが、舞台うしろにあるカーテンのドレープの具合が気になるらしくて、何度も直していました。(「ああ、いかにも演出家だなぁ…」と思って見ていました。)

なぜか歌手というものは、強い声へ強い声へと力を入れるようですが、フォルティッシモに注ぐのと同じくらいの情熱を、ピアニッシモにも注がなくては、と思います。江口さんは強弱を付けていましたが、男声陣からはピアニッシモの陶酔は聞かれませんでした。今回のような小空間で、強い声を聞く快感というのも勿論ありますが、この空間ならではのピアニッシモも聞いてみたい。

終幕の最後の場面で、ヴィオレッタがアルフレードに、自分の絵姿を渡しますね。自分がいなくなった後のアルフレードのことを心配して、いつか結婚するように約束させるわけですけれども、「絵姿を彼女に渡してくれ」というのは、貰った彼女としては嬉しいのだろうか、と不思議に思っていました。

今日見ていたら、「天国で祈っている、彼女のために、あなたのために」とヴィオレッタが言う、その「彼女のために」の部分が心に響いてきて、そう、ヴィオレッタは本当に、アルフレードと結婚する彼女の幸せを祈ってるんだよなぁ、自分がそうなれなかったんだからなぁ、と思って、急に泣けてきました。

「それだけ強く愛されたことのある人」っていう証しですね。貰っても、いいんじゃないですかね。

(そんなことを考えたのも、上演前のビデオ予習会で、特にその部分を強調して解説されていたからかもしれません。)

●私は小山さんの大ファンなので、早い復帰を心から祈念しています。

2006年7月15日 (土)

海外オペラツアー

2007年の5月、ランカトーレとシラグーザが、ブリュッセルで『清教徒』を出すようです。

http://operabase.com/diary.cgi?id=none&lang=en&code=wbbrm&date=20070520

何だかもう、「夢の配役」って感じ…。

グルベローヴァが来日してエルヴィーラを歌った時は、最高に素晴らしかったけれども、アルトゥーロ役が全然歌えていなかったのが残念でした。

ああ、ブリュッセルが私を呼んでいる…。土日プラス2日休めば、この公演だけ見て帰ってこれるかな?しかし、一夜のオペラのためだけに海外にいくなんて、ちょっと酔狂が過ぎるのでは…、という気もします。

小学生の頃に聞いて、強烈に覚えている話。ある先生がハワイ旅行に行った時、日本人のお婆さんと知り合い、少し話をしたところ、そのお婆さんは「そこでしか買えないドレッシングを買うためだけに」ハワイに来た、と言っていたのだそうです。「ドレッシングのために海外旅行」、ああ金持ちのすることは不思議、と思ったものでしたが、貧乏人のこの私が、同じようなこと(?)をしてしまっていいの??

ブリュッセル、遠いなあ…。大野さん、連れて来てくださいません?

ロッシーニ『ランスへの旅』

今日は、バルセロナ・リセウ大歌劇場で収録された『ランスへの旅』のライヴ映像を見ました。

ロッシーニ歌いを14人集めなければならない大作。歌手の歌唱力や演技力にも多少のバラつきがありましたが、高水準にまとまっていて楽しめました。中でも良かったのは、伯爵夫人役のマリオラ・カンタレロと、ドン・プロフォンド役のニコラ・ウリヴィエリ。こんなに素晴らしい歌手を今まで知らなかったとは!

伯爵夫人のアリアは、「そんな下らないことに、そんなに複雑なメロディーを当てはめるなんて…」というギャップがおかしくて大笑い。ドン・プロフォンドのアリアは、さまざまな国の「その国らしさ」を、発音と音色の違いで巧みに表現していく上手さに唸りました。

細かい音符を追いかけていく技術というのは、音程が低くなるほど難しくなると思うのですが、ウリヴィエリは良く歌えていました。すごい。他に録音はないのかな…。というよりも来日してほしい…。

『夢遊病の娘』『清教徒』と、TDKのオペラ映像で立て続けに見ているホセ・ブロス。奇妙な身のこなしに爆笑。こういう人だったの?と意外な感じでした。ロッシーニを歌うには技巧のキレが足りない気もしますが、まあ役に合っていたのではないでしょうか。

10月の藤原歌劇団『ランスへの旅』が本当に楽しみ。マキシム・ミロノフの来日に期待が膨らみます。私は最近、ミロノフ君の「ああ、誓って見つけよう」を毎日聞いているのです。最後の部分が合唱にかき消されていて、声量がチト心配ですが、技巧はほぼ完璧。もう、魔法を見ているようで、呆気に取られます。ロッシーニ歌唱って進化してるんだなぁと実感しますねぇ。

2006年7月13日 (木)

オッフェンバック『青ひげ』

そうして今日は、オッフェンバックの『青ひげ』のビデオを見ました。フェルゼンシュタイン演出。

私には、この作品の面白さが全然分かりませんでした。うーん。青ひげ役のハンス・ノッカーは、わりといい声だったかな…。

レオンカヴァッロ『道化師』

先日、『道化師』のビデオを見ました。フランコ・コレッリ、マファルダ・ミケルッティ、ティト・ゴッビ出演の、テレビ放送用(RAI)モノクロ映像。

トニオ役のゴッビは、コッテコテの「舞台用演技」。コンメディア・デッラルテの場面では、「更に」デフォルメされた演技をしているように感じました。私はこういうの好きですねぇ。

ネッダは「鳥の歌」を、空を見ながら歌うのではなくて、小さな子供を抱きしめながら歌うという、ちょっと不思議な演出。コンメディア・デッラルテの場面で、コロンビーナと素のネッダを行ったり来たりするような面白さは出せていません。

コレッリのカニオ!めちゃくちゃカッコイイです。鏡を見ながら「衣裳をつけろ」を熱唱。鏡に映った顔が「どアップ」で見られるのも映像ならではの楽しみですね。「喜劇は終わりました」と言った後、よろけてキョロキョロしながら舞台を下がっていく演技に痺れます(名演)。嫉妬に狂うイイ男。

私はこの作品を生で見たことがなく、映像で見るのは確か3回目。オケの出だしの数小節と、「鳥の歌」の終わりの部分、「衣裳をつけろ」くらいしかメロディーを覚えていません。覚えられないんですよねぇ…。

カニオは、「愛していないまでも、好意くらいは持ってくれていると思った」と言いますが、なぜ自分のことを「好かれて当然」と思うのか、そこのところが分からない。同じ「嫉妬に狂う」のでも、『メデーア』の場合はまだ、本気で愛を誓い合った時があったわけですし、いろいろな状況を考えれば、「ジャゾーネひどい!」と思えるのですが…。

●この方↓は、『道化師』大好きのご様子です。

http://blog.goo.ne.jp/delmonaco1915

中3の時からオペラ好きとは羨ましい。好きと言うだけあって、文章にも表現力がありますね(若いなぁ…)。クラスの友人と、オペラの話で盛り上がったりしているのでしょうか?

オペラ好きな友人を見つけるというのは、なかなか難しいことです。私もずいぶんと周りの人にビデオだのCDだの差し上げてみましたが、それがきっかけでオペラにハマる人はいませんでした…。

私の場合、職場の同僚に1人オペラ好きがいて、

「『夢遊病の女』って、やっぱり領主の初夜権とか関係あるのかね?」

「『フィガロ』とは時代も場所も違うし、関係ないんじゃないの?でも影響はあるのかも?」

などという浮世離れした話をしているのでした。『夢遊病の女』について話せる人が職場にいる、というのは、奇跡的なことだなぁと思います。

この間、普段は仕事の話しかしない上司に話しかけられて、「ふくきち君(仮名)、ボローニャ歌劇場の公演行ったんだって?いやあ私も行きたかったんだけどね、安い席が取れなくってね、『ノルマ』や『夢遊病の女』も行きたかったんだけどね」と言われました。「まさか『夢遊病の女』という言葉が聞けるなんて!」と思ってビックリ。まあ、「そういう職場」ではあるのですが…。

2006年7月11日 (火)

歌舞伎座・書き忘れ!

●『山吹』で、段治郎丈演じる島津正の服装が格好良くって、「ああ、こういう服、好きだなぁ」なんて思っていたのですが、傘だけすごく安っぽい感じがしてガッカリでした。その時代に、そういう傘ってあったのでしょうか?とても重要な小道具だったのですが…。

●今月の鏡花のような作品は、笑って良い場面と悪い場面があると思うのですが、笑ってはいけない場面で笑い声が起こるのがイヤでした。自分のうちでテレビを見ているのじゃあるまいし…。

●『海神別荘』では、やはり2人で階段を上ってクルって振り返ってほしかった…。

●巨大スクリーンを使う演出は、今後の演劇で大きな位置を占めてくるのでしょうねぇ。まぁ、同じ舞台装置のままで次々と雰囲気を変えられるので、面白いことができそうです。

2006年7月10日 (月)

メデーア2

↓ここから、マリア・カラスの『メデーア』の映像を見ることができます。ほんの断片ですが、圧倒的な存在感。

http://www.youtube.com/watch?v=WN4G1wggI3Q&search=Callas

ついでに、マイ・ベスト・トゥーランドット=カバリエの映像も。

http://www.youtube.com/watch?v=jwVS9USEqNA&search=Caballe

不思議なサイト…。

2006年7月 9日 (日)

チェネレントラ

今日、『チェネレントラ』の映像を見ました。イタリア国営放送が、テレビ放送用に収録したスタジオ録画。モノクロ。

アンジェリーナ役のルイーザ・リバッキは、技巧的にかなり厳しく、「そんなんで最後のアリアを歌えるのか!?」と思いましたが、やっとこさ歌っていました。しかし、そんなレベルでいいのなら、私だってアルマヴィーヴァ伯爵の大アリアを歌えるぞ!!

ドン・ラミロ役のホアン・オンシーナは、リバッキよりよほど技巧を備えていましたが、3部構成の「ああ、誓って見つけよう」のうち1部と3部をカットしていました。何じゃそりゃ!!

ドン・マニーフィコとダンディーニは、ずっとニヤけたディフォルメの強い演技をしていて、そこが私の好みでした。(どういう好みなんだか…)

ルネッサンスまでには長い道のりがあったのですねぇ…。しみじみ…。

清らかな女神よ

「清らかな女神よ」カヴァティーナ始まりの部分のオーケストラは、雲の間から漏れ出づる月の光が目に浮かぶようですね。「音楽で月の光を表現する」というのは、作曲家の食指が動くモチーフだったのでしょう。

『ノルマ』1幕1場の演出で一番注目したいのは、やはり、「いつ、どのように月が登場するのか」ということではないでしょうか。ベッリーニ歌劇場の公演では、聖なる老木の枝の陰に、美しくない月が浮かんでいました。

私の希望としては、『ノルマ』1幕1場の月は、老木と重ならない位置に、流れる黒い雲を分けて、叙情的に登場してほしいのです。「叙情的」というのは、つまり「音楽の通りに」ということで、「出たら出っぱなし」というのではなく、見えそうで見えなさそうで、最後のnel cielという言葉に合わせてついに曇りのない姿を現す…、そのような演出が理想。

ホリゾント幕がそのまま使われているのを見ると、「おさらい会」という言葉が脳裏に貼り付いてしまう私…。ベッリーニ歌劇場の『ノルマ』では、ホリゾント幕が多用され、しかも照明が暗めで逆光となり、登場人物の顔がよく見えませんでした。(ノルマ役にはスポットライトが当たっていましたが、オロヴェーゾなんて全然見えなくて、何だか気の毒。西洋の感覚なのでしょうか。)

メトロポリタン歌劇場で見たゼッフィレッリ演出の『ラ・ボエーム』『トスカ』『トゥーランドット』では、雲の影を描いた吊り幕と照明の力で、信じられないほど美しい空が作り出されていました。その素晴らしさは、録画映像や写真では再現できないと思います。また『トゥーランドット』では、隠れていた月が姿を現す場面があり、演出上の見せ場の1つとなっていました。オペラの舞台美術には、美しさにドラマ(あるいは時間の推移)が込められているだけに、油絵などを見るのとはまた違った面白さがありますね。

しかし、単純に「美しい」と思える舞台美術には、なかなか出会えません。

「清らかな女神よ」の場面に登場する民衆はフル武装していてほしい…。戦場で平和の歌を歌う不思議さが、このアリアのポイントだと思います。

このアリアは、Ma punirlo il cor non sa<でも私にはそんなことはできない>という部分から、「心の中の声」に切り替わります。ベッリーニ歌劇場の公演では、民衆には聞こえていないことを視覚的に表すために、ノルマと合唱の間に紗幕が降りてきました。

しかし、民衆がいきり立つ真ん中でノルマがひとり愛を歌う、というところがこのアリアの面白さなので、余計な演出のように感じました。

マリア・カラスのパリ・デビューの映像を見ると、ちゃんと「ここから先は心の中の声である」という演技をしています。要は、そういうことを表現したいという意思が歌い手にあるかないか、それだけのことのように私には思えます。

歌舞伎座

土曜日に昼の部、日曜日に夜の部を見てきました。

●『夜叉ヶ池』…「1日3回、決まった時間に鐘を撞かないと里が洪水に沈む」のと「生贄の女を裸で牛にくくりつけ、里を走らせれば雨が降る」のと、どちらも信じがたい迷信であるのに、片方は善で片方は悪という紋切り型の描き方がイヤだった、と、一緒に行った友人が言っていました。ゴディバ夫人の逸話まで教えてくれて…。

http://www.kataoka.com/qa/06.html

返す言葉もありません…。

●『天守物語』…PAを使っていたのが残念でした(分からないように使うのはいいのですが)。自分の声の力で表現したいことを描く、というのが歌舞伎の良さだと思うので。

2006年7月 7日 (金)

メデーア

テオドッシュウ主演の『メデーア』の映像を見ました。メデーアが登場するまで「あまり面白くないかも…」と思って見ていたのですが、メデーアが出てきたら楽しめました。

テオドッシュウは、感情の変化を顔に出せる人で、手のひらの陰で表情を変えるところなど、演劇的な面白さがあります。やっぱり、うまい。

「あなたのために、こんなにしてあげたのに」という「こんなに」が超ヘヴィーですが、それでも、メデーアの怒りには納得できる部分もありますし、感情をドカン!と噴き出させる爽快感(?)を感じました。

カラスファンの私は『メデーア』の全曲版CDも持っているのですが、最初のアリアを数回聞いただけで、なかなか全曲に挑戦する気が起こりませんでした(耳に残るメロディーではないし、日本語の対訳もついていないし…)。演劇性の強いオペラだなぁと思います。本当に、メロディーが覚えられないんですよねぇ。まあ、それでも楽しめるということが分かって、良かったです。

2006年7月 5日 (水)

ノルマの嘘

マリア・カラスの当たり役はたくさんありますが、その筆頭に挙げられるのがノルマでしょう。テオドッシュウのノルマも素晴らしいですが、場面によって出来にムラがある気がしました。カラスのノルマは、全ての場面で最高の歌唱を聞かせていて、さすがだと思います。

カラスの発言とされる文章を、どの程度信じてよいのか分かりませんが、「ベッリーニは私のために『ノルマ』を書いたのよ」と言っていた、と何かで読みました。

カラスに関する本は何冊か読んで、どのエピソードが何の本に書かれていたのか忘れてしまったのですが(学者にはなれませんな)、「一番好きな役はノルマ」とカラス自身はっきり言っています。しかし、「『清らかな女神よ』というアリアはあまり好きではない」とも言っていました。

その昔、『ノルマ』の全曲版CDを買っても、他の場面には目もくれずに「清らかな女神よ」ばかり聞いていた私としては、「ノルマは好きだけれど『清らかな女神よ』は好きではない」というカラスの発言は、まるで禅問答のようでした。

カラスはなぜ「清らかな女神よ」のアリアが好きでないのか、その記事の中では理由を述べていなかったと思いますが、いろいろな発言を総合すると、「民衆に対して誠実でない=嘘をついているから」ということのようです。

カラスは「潔癖」と言っていいほど嘘が嫌いでした。トランプをすることになり、「ダウト」のルールを説明されて、「なぜ私が嘘をつかなければならないのか」と本気で怒って帰ってしまった、というエピソードを読んだことがあります。

嘘が嫌いであるゆえに『ノルマ』という作品を愛し、同じ理由で「清らかな女神よ」はあまり好きではなかった…。いかにも「カラスらしい」という気がします。

ノルマは、ローマに捕らわれていたときに子供を産んだのですね(ずっと謎だったのですが、ベッリーニ歌劇場のプログラムに解説があってやっと納得)。それ以来、仲間を騙してきたわけです。それが、son io<それは私です>という言葉によって嘘から解き放たれ、やっと自分に帰ってくる…(命と引きかえに)。その姿を見て、ポッリオーネは「崇高」と言い、民衆は「裏切り」と言います。

嘘をついている自分は自分ではないので、愛してもらえないのです。このオペラの終わりに登場する「さらに清らかな、さらに神聖な、永遠の愛が始まる」という言葉は、飾りの言葉ではなく、本当にそういうことなのだろうと思います。

「清らかな女神よ」に出てくる「陰りのない姿を見せてください」という祈りは、自分の身と引き比べての憧れであったのかもしれません。

2006年7月 3日 (月)

清教徒

●昨日は『清教徒』のDVDを見ました。グルベローヴァ、ホセ・ブロス、カルロス・アルヴァレス出演。

●グルベローヴァの狂乱っぷりが良かったです。ボローニャ歌劇場の来日公演のときは、もっと内輪に狂乱していたと思うのですが、この映像では激しく狂乱していました。その分、声楽的には犠牲になった部分もあるような気がしますが、それでもスゴイ。見せ場を、真っ向から見せ場として演じているのがスガスガシイ。(狂乱から正気へ、また狂乱へ、という変化も素晴らしい。)

●エルヴィーラが登場すると、彼女が恋をしていること、その恋を失ったら狂乱してしまうほど恋をしていることが顔に表れていて、見事だなあと思いました。

●狂乱の場の中間あたりに、エルヴィーラとリッカルドの短いやり取りがありますが、そこのアルバレスの演技が切なくて、泣けました。

●ホセ・ブロスは、立派に歌っていたと思いますが、アルトゥーロの魅力を充分に体現できていたかというと、「まだまだ」な気がしてしまいます。例のFが出ないのはいいとしても、通常テノールが歌う部分をソプラノが歌っていたりして、変則的な感じでした(歌詞がもう何だか分からない、どうなっているのやら)。一度「完璧なアルトゥーロ」というのを聞いてみたい…。

●グルベローヴァがもっと若いときの映像だったら良かったのに、というような文章をどこかで読んだのですが、私はそういう外見のことは全く気になりませんでした。そして、気にならなかったことが嬉しい。もちろん私も、見た目は綺麗な方がいいと思っていますが、それよりも、その人の感受性の豊かさや想像力、積んできた努力、などを分かる人間になりたい、なかなか難しいことですが、それは私の願望なのです。(まあ、グルベローヴァは今でも充分綺麗だと思いますけど…。)

2006年7月 1日 (土)

夢遊病の娘2

●今日は東京文化会館に『夢遊病の娘』を見に行ってきました。あまり感動できませんでした。

●ボンファデッリのアミーナ、良かった点は、スミレの花を丁寧に扱っていたこと(フォルテは捨てていた)と、眠たそうな演技を頑張っていたこと。良くなかった点は、ベルカント歌手でありながら、陶酔を誘うピアニッシモがなく、声の強弱が平板だったこと、でしょうか。

●動きながら歌えるとか、たくさんジェスチャーをするとかいったことは、役の感情の表現力とは別の事柄だと思います。

Ah Non credea mirarti<ああ信じられない>というアリアは、狂乱物のヴァリエーションの1つですよね。カラスのことばかり引き合いに出して恐縮ですが、カラスの映像(テレビ用のコンサート)を見ると、「目は開いているけれど、視線は外の世界を見ているのではなく、自分の心の中を見ている」という、狂乱物の演技をしているのが分かります。ですから、手に花を持っている形をしながらも、花を直接見たりしないわけですね。狂乱物の特徴というと、そのように「別の世界を見ている」ということと、「感情がくるくる変化する」ことが挙げられます。泣いていたと思ったら笑い出す、というような。カラスも、「面影はこの心に刻まれている」という部分で過去の幸せを思い出して笑顔になり、「でも、お前は枯れてしまった」というところで急に悲しい顔に戻る、という感情の変化を見せています。役柄の感情の変化を的確に表現できる、そういうものがオペラの演技力だと思うのです。イタリアの歌劇場には、狂乱の演技法が連綿と伝えられているのではないかと思ったのですが、どうやら断絶してしまったようでした(?)。

●ボンファデッリは、「ああ信じられない」の終結部を、簡単なメロディーラインに変えていました。(ああ信じられない。)

●この作品を好きになったころ、エルヴィーノという役は「プリマドンナ・オペラの刺身のツマ」と思っていたのですが、ここのところ「本当にいい役だよなぁ」と感じるようになりました。だって、幕切れのコンチェルタートのシンを張れるんですよ!『椿姫』のコンチェルタートを聞いていると、音楽が回転しているような印象を持つことがあるのですが(お分かりいただけますか?)、同じような感覚を『夢遊病の女』のコンチェルタートにも感じます。本当にいい役です。

●不思議なことに、カーテンコールではボンファデッリはすごい人気。やっぱり、見た目が綺麗なので受けるのでしょうか?私は「トゥーランドットが太っていても平気」というタイプなもので…。…。

●『夢遊病の娘』というタイトルは、定着しないのではないかと思いました。だってもう『夢遊病の女』で定着してしまっている、そのように感じる今日この頃です。

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