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2006年8月

2006年8月30日 (水)

《ウエスト・サイド・ストーリー》

2006年8月30日 オーチャードホール

バーンスタインの《ウエストサイド・ストーリー》を観にいってきました。前から3列目のセンターブロック、見づらい…。

映画で観たときより楽しめました。歌ってる時間と踊ってる時間と、どっちが長いのかな…。主役級の人も踊らなければならないので大変ですが、もちろん声楽的にはオペラに遠く及びません。まあ「そっちを選んだ」ということなわけですが。

トニーが死んだ後の、マリアの「初めて人を憎んだ」「あと何発残ってる?全員殺せる?私の分もある?」というような重要な言葉が、歌ではなく単にセリフによって表現されていたのが印象的でした。ちょっと幕切れが締まらない感じ。

オペラは、時代を下るにしたがって、「芝居の流れを止めるアリアは排除」という方向に向かったわけですが、ミュージカルは「アリア数珠つなぎ状態」ですよねぇ。番号がふれてしまいそう。でも、そちらの方が大衆向きだとは思います。「アリア数珠つなぎ現代オペラ」なんていう素敵な作品は登場しませんかね。何でバーンスタインはオペラを作曲しなかったんでしょうね。

2006年8月29日 (火)

南條年章オペラ研究室コンサート2

8月29日 津田ホール

今日は、南條年章オペラ研究室・研究発表コンサートの2日目に行ってきました。仕事の都合で8曲目から。

《キャンディード》のアリア「きらびやかに美しく」を歌った平井香織さんが素晴らしかったです。さすが南條年章オペラ研究室のプリマ・ドンナ!

平井さんを別格とすると、私が良いと思ったのは、《エフゲニー・オネーギン》の「我が青春はどこに」を歌った琉子健太郎さん。音の切り方、息の引き方がうまいと思いました。

えーっと、あとは備忘録的に…、

・「花から花へ」の山崎浩美さんは3点変ホ音を出していました。

・先週の公演で歌詞を飛ばしてしまった河野順子さんの歌いなおしアリ(「歌に生き恋に生き」)。それを告げるため南條さん登場。

・《アンナ・ボレーナ》のアリアは、途中カットを施しながらも、「あなた方は泣いているの?」から幕切れまで歌いました。

・「恋は薔薇色の翼に乗って」は、「ミゼレーレ」をカットしてカバレッタへ。

・「勝ちて帰れ」だけ別なピアニストでした(プログラムに載っていない)。

・「イヤーゴの信条」は、最後に笑いナシ。笑わないこともあるんですね。

・ピアニスト3名はやはり素晴らしかった。でも椅子を引きずる音は勘弁してほしい…。

2006年8月28日 (月)

「もう逆らうのはやめろ」に賭ける!

私は《セビリアの理髪師》が大好きなものですからCDもよく買うのですが、買うときは何だか「賭け」をしているような気になります。つまり、アルマヴィーヴァ伯爵の大アリア「もう逆らうのはやめろ」が入っているか入っていないか、それが私にはとても重要で、入っていないともうガックリ。他にも好きな場面はたくさんあるのですが、やっぱりこのアリアが入っていないなんて、ねぇ?同様に、《椿姫》のCDを購入して3点変ホ音を出していなかったときも、「やられた…」と思ってしまいます。

そんなわけで、ちょっとばかりドキドキしながら購入した《セビリアの理髪師》、アルマヴィーヴァ伯爵はローレンス・ブラウンリー。2枚組だから怪しいなと思ったのですが、ちゃんと歌ってました!少し強めのビブラート、そして少しロックウェル・ブレイクに似た声質。いやあ立派!新国立劇場で今度アルマヴィーヴァ伯爵を歌う予定なので、すっごい楽しみです。このアリアを生で聴けるのは本当に嬉しい。もう無条件に嬉しい。歌いますよね…?

2006年8月27日 (日)

こんにゃく座《フィガロの結婚》2

●こんにゃく座の《フィガロの結婚》のプログラムを買って(500円也、安い!)、読んでみたんですけどね。訳・演出を担当した加藤直〔ただし〕氏の聞き書きが載っていて、「支配する体制とされる側。植民地に西洋の本国から領主として赴任してきた伯爵と伯爵夫人。それに対する現地の庶民の筆頭が、フィガロやスザンナたち。」と書いてあるのですね。「えっ?あの舞台って、そうだったんですか?」って感じ…。

それでもって、その文章では「同時代性」という言葉が強調されているのですが、「植民地政策」のどこが「同時代」なのか、よく分かりません。

「権力で恋(性欲?)を成就させる」といいますと、《トスカ》のスカルピアや《アンドレア・シェニエ》のカルロ・ジェラールなどがパッと思い浮かびます。私は、この2つの役は自然に受け止められるのですが、《フィガロの結婚》のアルマヴィーヴァ伯爵は、よく分かりません。こういう人って現代には存在しないと思う。「自分より身分の低い奴が私の欲しいものを手に入れるなんて許せない」というアリアを聴いていると、この人は何?と考えてしまいます。「過去にはそういう人もいた」と思うしかありません。…それではダメなのでしょうか?

●日本語の歌詞がちゃんと聞き取れる、というのは、すごいことだったのかも…と思いました。びわ湖ホールで《ミニヨン》の日本語上演を観たときは、こんなには聞き取れませんでした(日本語字幕が出たので問題はありませんでしたが)。

でも今回は、バリトンやメゾが中心に活躍するオペラだったので、音域的に聞き取りやすかったのかもしれません(?)。

2006年8月26日 (土)

こんにゃく座《フィガロの結婚》

オペラシアターこんにゃく座の《フィガロの結婚》を観てきました。六本木の俳優座劇場、6時30分開演。

こんにゃく座の公演ということで、小さな子供連れの方がいたのですが、子供に《フィガロの結婚》を観せる親心って分からないなぁ。「ねぇお母さん、初夜権って何?」って子供から訊かれたら、何て答えるのでしょうね?

オーボエ、クラリネット、ファゴット、ヴァイオリン、ピアノ各1名、舞台下手・前方にて演奏。ただし、序曲には楽器は参加せず、20人弱の声だけで表現(歌詞あり)されていました。

日本語上演でした。重唱以外は、だいたい歌詞が聴き取れました。なかなか良い日本語訳だったのではないかと思います。日本語上演、悪くないですね。訳の出来次第ですけれど。ただ今回、意味もなく「ウンコ・ウンチ・つんつくつん」という言葉が全編に散りばめられており、『Dr.スランプ』を思い出して、何だかなぁ…って感じでした。うーん。

出演者の歌唱力にかなりのバラつきがあり、「音の美しさを楽しむ」という感覚は希薄でした。その分、演技は工夫されていた気がしますが、歌唱力が高くないと「声に感情を乗せる」というのは難しいのだと分かってしまいました。いちばん歌唱力があった伯爵夫人役の梅村博美さんが、いちばん演技力を発揮していたと思います。

それなりに楽しかったのですが、「興奮」「感動」は感じませんでした。モーツァルト好きへの道は遠い…。

歌舞伎座・第一部

歌舞伎座の第一部を観てきました。『慶安太平記』の立ち廻りに、咲十郎さんが何度も何度も出てきていたのが印象的でした。咲十郎さんのブログはいつも読んでいるので、何だか親近感があります。

それと、『近江のお兼』が良かったです。真女形の『近江のお兼』って、あまり観る機会がありませんしね。

『たのきゅう』は、三津五郎さんに、もっとたくさん踊っていただきたかった…。

2006年8月25日 (金)

パヴァロッティの演技力

見始めると止まらないYouTube、ご覧になってますか?パヴァロッティの「衣裳をつけろ」が見られるのですが、この演技がすごい。鳥肌が立ちます。

http://www.youtube.com/watch?v=VqgiYSltGJk

今まで不謹慎にも、このアリアって終わり方に締まりがない…などと思っていたのですが、こういう演技をする時間だったんだと目からウロコが落ちました。

パヴァロッティの「星は光りぬ」も見ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=lcZDfdOPQag

この演技も素晴らしい。記憶の中のトスカが近づいてくるかのよう(しかし、何でまだ指輪をしてるんだか)。例え一歩も動かなくても、画面中がパヴァロッティの「どアップ」になれば、その表情で全てが伝わってきます。

ある時代、声楽において世界の頂点を極めた人。やっぱりすごい。私は昔、パヴァロッティ・ファンクラブ(日本の)に入会していたのですよ。フフフ。

2006年8月23日 (水)

南條年章オペラ研究室コンサート

●今日は「南條年章オペラ研究室・研究発表コンサート」に行ってきました。仕事の都合で、客席に入れたのは3曲目からでした。(開演は6時30分、終演は8時50分ごろ。津田ホール)

●私が一番いいと思ったのは、「今の歌声は」を歌った村瀬美和さん。演技は少し硬かったものの、歌は素晴らしかったです。

●正直なことを申し上げると、今日はピアノの演奏にずっと感動していました。「世の空しさを知るあなた」を弾いた藤原藍子さん、エリザベッタがFrancia<フランスよ>とつぶやく直前のメロディーが最高に切なくて、私は泣いてしまいました。マジで。前奏はカットなしで聴きたかったです。それから、「友よ、今日は何て楽しい日」「おお、運命の贈り物」を弾いた江澤隆行さん、難しい曲想の変わり目を、美しく見事につないでいました。仲田淳也さんも良かった。ピアノって、こんなに表現力があるんだなぁと、しみじみ。

●私がオペラを見始めた頃は、「ガラ・コンサートのピアニストといえば江澤隆行」という感じだったのですが、ずいぶんお姿を見かけず、今日は本当に久しぶりに演奏を聴きました。何年ぶりだったのかな…。素晴らしい演奏でした。

●アレ?江澤さんが先頭に出てきた…と思ったら、それは青柳さんでした。そっくり…。

●歌声の方では、美しいピアニッシモはついぞ聴かれませんでした。「ずっとフォルテで歌い続ける歌手」…不思議です。

●《コリントの包囲》のアリアと《カプレーティとモンテッキ》のアリアを続けて出すのって、どうなんでしょうねぇ…。何か意図があったのかな。

●さまざまなタイプの歌を聴けて、楽しかったです。29日にも同様の公演があります。

■来年の4月22日に津田ホールで、《泥棒かささぎ》を出すそうです。ピアノ伴奏演奏会形式。

2006年8月20日 (日)

歌舞伎座・第三部

今日は、歌舞伎座・第三部『南総里見八犬伝』を観てきました。染五郎さんの立廻りが綺麗でした。染五郎さんは本当に動きが綺麗です。あとは、亀蔵さんに大笑いしました。ああいう役は無類ですねぇ。

それから、いつも思うのですが、ちらし裏や筋書には登場人物に「ふりがな」を振ってほしいですね。もう十年以上歌舞伎見てるんですけど、『八犬伝』の役名なんて読めないっす。読めない人向けに作ってるんじゃないの?

歌舞伎座・第二部

昨日は歌舞伎座の第二部を観てきました。夏ですねぇ。

『吉原狐』も面白かったですが、染五郎さんの『玉屋』が愉快でした。『玉屋』といいますと、2松緑さんのモノクロ映像か何かがボンヤリ記憶に残っているのですが、生の舞台は色づかいがポップな感じで、衣裳はもちろん、傘などの小道具も洒落のめしています。「江戸の洒落ごころ」、いやあ愉快、愉快。詞章が全部分かったら、もっと楽しめただろうなぁ。

2006年8月19日 (土)

新国立劇場《ドン・カルロ》

新国立劇場の新シーズンは《ドン・カルロ》で幕を開けるわけですが、それが4幕版上演なのですね。《ドン・カルロ》は絶対に5幕版で上演すべきだと私は思うのですね。

▼理由

・タイトルロールであるドン・カルロの独唱が削られ、役が小さくなる。

・エリザベッタは、フィリッポ二世との結婚を断る権利を持っていた(そして、その権利はフィリッポ二世が与えたものだった)が、スペイン×フランスの戦争を終わらせるため、自らフィリッポ二世と結婚する道を選んだ…という、のちのちまで関係してくる重要な伏線が消えてしまう。

・終幕の「世の空しさを知る神」で歌われる「永遠の愛の誓いも1日で終わってしまった」という言葉で、観客はオペラの冒頭を回想するはずであるのに、その「回想先」がなくなってしまう。

・始まり方が唐突になる。

つまり、この公演で初めて《ドン・カルロ》を観る人には、作品の面白さが充分に伝わらなくなってしまうと思うのです。新国が前回4幕版で上演したときのプログラムにも、「政略結婚のいきさつ」など解説されていませんし…。繰り返しになりますが、「和平のために自ら結婚する道を選んだ」という点が、決定的に重要なのです。5幕版を1度でも観た経験がある人なら分かっていることですけれども。

《ドン・カルロ》の第1幕がカットされる理由って、「上演時間が長くなるから」ということしか思い浮かばないのですが、ほかに何か理由があるのでしょうか?フランスの長大なグランドオペラをイタリアに持っていった時、どこかを削らなければならなかったという経緯は分かるのですが、現代の日本で、「5幕版ではなく4幕版を上演する意義」って、何なのでしょうね?上演時間が長いと集客に影響するのでしょうか?あーあ…。

2006年8月17日 (木)

《ロベルト・デヴェリュー》日本語訳

ドニゼッティ《ロベルト・デヴェリュー》

台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

日本語訳:ふくきち 

第1幕

第1場 ウエストミンスター宮殿の大広間

■婦人たち:

見て、彼女を

何て青ざめた顔

ひどい悲しみが心を埋め尽くしているのね

〔サラに近づいて〕

サラ、侯爵夫人、そんなに悲しまないで

なぜ悲しんでいらっしゃるの?

■サラ:

悲しんで…?

■婦人たち:

泣いているのでしょう?

■サラ:

(ああ、いつの間に…)

ロザムンドの悲劇を読んでいたものですから

■婦人たち:

そんな本を読むのはおよしなさい

あなたの悲しみが増すばかりよ

■サラ:

私の悲しみ?

■婦人たち:

そう、私たちに打ち明けてみて

■サラ:

それでは、あなたたち本当に…

■婦人たち:

さあ、信用して

■サラ:

私が?いいえ、私は悲しんでなどいないわ

■婦人たち:

(無理に笑った顔は泣き顔より痛々しいわね)

■サラ:

<ロマンス>

「涙の甘美」

(涙の甘美、それは

苦しむ者に残された唯一の慰め

今の私には泣くことさえも許されない

私の運命はあなたの運命より残酷よ、ロザムンド

あなたは処刑されたけれど

私は死んだまま生きていくの)

〔エリザベッタの登場〕

■エリザベッタ:

あなたの夫の強い要望で

もう一度、伯爵に会うことにしました。ついに…

でも、彼に会うのはこれが最後だとか

彼の裏切りを知ることになるとか

そんなことは信じません

■サラ:

彼はいつでも女王陛下に忠実でしたが…

■エリザベッタ:

女王陛下に忠実?

それは確かなの?サラ

私には、彼が忠実だという確証が必要なのよ

■サラ:

(恐い…)

■エリザベッタ:

あなたには全て話しましょう

強い疑いに苛まれているのです

私の命令で、彼はアイルランド沿岸に行きました

私は彼をロンドンから遠ざけたかったのです

…彼は反逆の罪でここに戻ってくる

でも、私が恐れているのは彼の別の罪

もし彼が他の女を愛していたら

ああ、何てこと、ああ!

絶対に許さない

■サラ:

(消えてしまいたい)

■エリザベッタ:

私からロベルトを盗むのは

この王冠を盗むのと同じ罪よ!

<カヴァティーナ>

「愛の贈り物」

彼の愛が救いだった

天からの贈り物のような

愛することは、王座よりも偉大な喜び

ああ、もし裏切られていたとしたら

あの心がもう私のものでないとしたら

人生の喜びは全部、悲しみと苦しみに変わるのだわ

■セシル:

議会を代表して参りました

■サラ:

(体が震える!)

■エリザベッタ:

聞きましょう

■サラ:

(女王陛下のお顔に憎悪の影が!)

■セシル:

反逆の罪でエセックス伯を捕らえました

女王陛下があまりにご寛大なので裁判が進みません

判決を申し渡すこと

裏切りの計画を阻止すること

これは議会の権限です

この権限の行使に女王陛下のご同意を

■エリザベッタ:

議員、彼の罪には別の確かな証拠が必要です

■召使い:

エセックス伯が謁見を願っております

■セシル、グァルティエーロ、サラ:

彼が…

■セシル、グァルティエーロ:

(ああ、怒りがこみ上げる)

■エリザベッタ:

通しなさい。聞きたいことがあります

■サラ:

(耐えられない)

「あの頃のあなたのままで」

■エリザベッタ:

(ああ、ふたり幸せだった頃のあなたのままで戻ってきて

そうすれば何も恐れることはないのよ

この国が、いえ全世界があなたに死刑を求めたとしても

あなたが私を愛してくれるなら

必ず無実に翻してみせるわ)

■サラ:

(もし天が彼の味方をするなら、それは私にとって悲劇です)

■セシル、グァルティエーロ、廷臣たち:

(彼の運命はまだ決まっていない)

■エリザベッタ:

(来て、来て、早く

ああ、ふたり幸せだった頃のあなたのままで戻ってきて

そうすれば何も恐れることはないのよ

この国が、いえ全世界があなたに死刑を求めたとしても

あなたが私を愛してくれるなら

必ず無実に翻してみせるわ)

■ロベルト:

女王陛下、お足元に馳せ参じました

■エリザベッタ:

ロベルト!

伯爵、立ちなさい

〔セシルに向かって〕

議会への返事はすぐにします

皆さん、一旦退出を

〔ロベルト以外、全員退出する〕

疑わしい人、私の前に戻ってきたのね

それで、お前は私を裏切ったの?

この頭の、由緒ある王冠を奪い取るつもり?

■ロベルト:

傷だらけの私の胸をご覧ください

女王陛下の敵が残した剣の痕跡

これでお分かりいただけるはずです

■エリザベッタ:

しかし告発が…

■ロベルト:

告発とは何のことです?

反逆軍を戦場から逃がしたのは、敗者に情けをかけただけ

それが私の罪なのですか

女王陛下のご命令で断頭台が用意されたというわけですね

この私のために

■エリザベッタ:

女王陛下のご命令…

ぶしつけな男、言葉に気をつけなさい

私の命令があるから、お前はこうしていられるのよ

けれど、断頭台とは何のことかしら

厳しい法の裁きも、お前を死へ追いやることはできません

私の軍隊がカディスに攻め込む

その知らせのラッパが鳴ったとき

お前は遠くで、嫉妬や怒りをかって

失脚させられることを恐れていたのね

〔ロベルトの指にはめられた指輪を見て〕

私があげた、その指輪!

あげたときに言ったわね

その指輪を差し出せばいつでも

王家の加護を保証するって

ああ!指輪を見たらよみがえったわ

希望に満ちた甘い日々

ああ、思い出すわ

<二重唱>

「人生は愛の夢」

■エリザベッタ:

優しい心が私を幸せにした

言葉にならない喜びがあることを知った

人生は愛の夢

でも、その夢は消え去り、心は変わっていく

■ロベルト:

(王座なんてどうでもいい

人生は私に微笑まなかった

世界は静かで空しい

王冠の宝石も輝きをなくしている)

■エリザベッタ:

黙ったままなの?

〔優しく叱るように〕

それでは、あれは本当なのね

あなたは変わってしまったのね?

■ロベルト:

いいえ、何を仰っているのですか!

女王陛下の一言で軍隊は立ち上がり

すぐさま敵と戦います

私の服従と勇気の証しをご覧にいれます

■エリザベッタ:

(それは愛の証しではないわ!)

〔平静を装って〕

戦いが好きなのね。でも教えて

お前はその目を涙に濡らしたことはないの?

■ロベルト:

(ああ、どういうことだ?)

■エリザベッタ:

危険に身をさらすとき

胸の高鳴りを感じたことは?

■ロベルト:

胸の高鳴り?

■エリザベッタ:

誰かとの愛に燃えた、その胸の

■ロベルト:

ああ!それではご存じなのですね?

(しまった、私は何を言っているんだ)

■エリザベッタ:

それで?続けて

打ち明けてみて

何を遠慮しているの?さあ、さあ

愛する人の名前を言ってごらんなさい

私が二人を取り持ってあげましょう

■ロベルト:

誤解です

■エリザベッタ:

(ああ、恋敵め!)

〔恐ろしいまでの威厳を持って〕

お前は恋していないの?さあ!

■ロベルト:

私が?いいえ

「恐ろしい閃光」

■エリザベッタ:

(閃光、恐ろしい閃光が目をかすめる

罪深い女を逃しはしない

不実な裏切り男は死ぬのよ

彼は苦しんで死ぬの

その苦しみを通じて、自惚れ女を処刑してやるわ)

■ロベルト:

(隠して、鎮めて、胸の高鳴り

哀れな私の心臓よ

涙だけに濡れた報われぬ愛

疑いの犠牲はどうか私だけに…

秘密の愛が、私の死を見守るだろう)

女王陛下!

■エリザベッタ:

それで?続けなさい

伯爵!

■ロベルト:

女王陛下!

■エリザベッタ:

恋していないの?

■ロベルト:

私は恋などしていません

(隠して、鎮めて、胸の高鳴り

哀れな私の心臓よ

涙だけに濡れた報われぬ愛

疑いの犠牲はどうか私だけに…

秘密の愛が、私の死を見守るだろう)

■エリザベッタ:

(死刑!

その苦しみを通じて、自惚れ女を処刑してやるわ)

〔エリザベッタは自分の部屋へ去る〕

■ノッティンガム:

ロベルト!

■ロベルト:

君か

■ノッティンガム:

顔が青いぞ!ああ、もしかしたら…

聞くのが恐い

■ロベルト:

女王陛下はまだ処刑を決めていない

でも、その恐ろしい目をみたら

私の血を求めているのが分かった

■ノッティンガム:

やめろ、僕は不安で一杯なのに

■ロベルト:

ああ、もう放っておいてくれ

彼女とふたり幸せに暮らして

不幸な私のことなど忘れるのだ

■ノッティンガム:

何を言ってる?

ああ、どうぜ僕は君の親友にもなれず

幸せな夫にもなれないんだ

■ロベルト:

何だって?

■ノッティンガム:

僕には分からない悲しみがサラを苦しめている

彼女はもう死にそうなんだ

■ロベルト:

(彼女は私を裏切った、でも可哀相だ)

■ノッティンガム:

昨日は静かな日だった

いつもより早く眠りについた

ふと目を覚まし、彼女がよく使う部屋の前を通った

すると抑えた泣き声が聞こえてくる

彼女は、青いスカーフに金の糸で刺繍していた

でも、泣いて手を止める、そして呟くんだ「死にたい」って

恐くなって僕は逃げ出した

何が何だか分からない、気が狂いそうだ

<カヴァティーナ>

「涙のわけ」

彼女は泣いている方が普通なんだ

あまりにも感じやすくて

その悲しみと一つになりたいと思った

苦しくて僕も泣いたよ

けれど分からない、彼女の涙のわけ

ときどき「ひょっとしたら」と疑う

けれど、すぐに消えてしまう

天使の心の中までは

誰も見ることができないのだから

■セシル:

来たまえ、侯爵

女王陛下が議会を招集された

■ノッティンガム:

議題は?

■セシル:

延ばされすぎた判決について

■ノッティンガム:

すぐに行こう。友よ!

■ロベルト:

君の目が涙に濡れている

私のことは放っておいてくれ

■セシル:

来たまえ

「聖なる声(サンタ・ヴォーチェ)」

■ノッティンガム:

君を助けたいんだ

みんなが君を裏切り者と言う

恐ろしい運命に取りつかれた君

けれど僕は信じよう

天も地も味方してくださる

命も名誉も僕が守る

神よ、この唇から聖なる友情の声を!

■ロベルト:

(わたしほど苦しんでいる者はいない)

■廷臣たち:

(高慢な男は罪を償うことになる)

来い、侯爵、来い、来い

第1幕

第2場 ノッティンガムの館公爵夫人の居間

■サラ:

静かだわ…、この心の中にだけ、私を責める声が!

でも私は無実、分別があります

愛ではありません

ロベルトの危険が私の危険を忘れさせる…

誰か来たわ

あなたね!

■ロベルト:

ひどい人だ、あんなに愛し合っていたのに

嘘だったのか!裏切り者!浮気者!

どんなになじっても足りやしない

■サラ:

聞いて。あなたが遠くに行ったあと

父が亡くなったの

「孤独になったお前には、守ってくれる人が必要ね」

女王陛下が仰ったわ

「私が良い縁談をまとめてあげましょう」

■ロベルト:

それで君は?

■サラ:

断ったわ。無理やり連れて行かれたのよ

初夜のベッドへ…いえ

死のベッドよ!

■ロベルト:

ああ神様!

■サラ:

私は幸せじゃないけれど、あなたには幸運だった

女王陛下を愛するのよ、ロベルト

■ロベルト:

ああ、言うな!

死ぬほど君を愛してるんだ

■サラ:

あなたのしている指輪

王家の愛の印ね

■ロベルト:

愛の印?何も知らないくせに

これで疑いも晴れるだろう

〔指輪をテーブルに投げる〕

君のためなら千回でも命を投げ出すよ

■サラ:

ロベルト、サラの一生のお願いよ

■ロベルト:

それならいっそ私の血を望んでくれ

全て流そう、君のために

■サラ:

海から逃げて、そして生きていて

■ロベルト:

それは本気なのか?

ああ、信じられない

■サラ:

私を愛しているなら

もう会わないで、永遠に

■ロベルト:

永遠に!

サラの心がこんなに変わっていたなんて

私のことが嫌いなのか

■サラ:

ひどい人!

死ぬほど好きよ

<二重唱>

「焼けぼっくいの二重唱」

■サラ:

あなたが戻ってから、惨めだった

弱虫なこの心

消えかかった炎が再び燃え始めた

ああ、行って!ああ、遠くへ!ああ、私を捨てて!

どんな運命が待っていても

生きていて

もう私を傷つけないで

■ロベルト:

ここはどこだ?おかしくなりそうだ

生死をさまようみたいに…

君は私を愛してる

そして私は君を失う

偉大なる力よ、私に強さを与えてくれ

人の心には始めから

そんな強さはありはしないから

もう涙を拭いて

分かった、逃げるよ

■サラ:

誓って!

■ロベルト:

誓おう!

■サラ:

いつ逃げるの?

■ロベルト:

静かな闇が訪れたら

夜のとばりに紛れて

今は駄目だ

夜明けの光が…

■サラ:

ああ、危ないわ、早く

誰かに見つけられたら!

■ロベルト:

恐ろしい

■サラ:

最後に

不幸な愛の印

これを持っていって

〔スカーフを渡す〕

■ロベルト:

ああ、ここに

この傷づいた心の上に掛けていこう

■サラ:

行って!神様に祈るときだけ私を思い出して

さようなら!

■ロベルト:

永遠に!

■サラ:

ああ、さみしい

■ロベルト:

ああ、残酷な運命

「最後の最後のさようなら」

■サラ&ロベルト:

この「さようなら」が最後の最後

悲しみの水底

心をひたす灼熱の涙

ああ!私たちはもう二度と会わない

もう二度と

死んでいくような気持ちがする

別れの言葉に、一生分の悲しみをこめて

第2幕 ウエストミンスターの大広間

■廷臣たち:

時は過ぎ、夜が明けた

議会は続いている

女王が助けぬ限り

彼の破滅は確定する

■婦人たち:

静かに、みなさん。エリザベッタは

復讐に取りつかれ

焦り、さまよっています

何も聞かず、何も言わず

■廷臣たち:

哀れな伯爵!

怒れる空から

たれこめる黒雲

運命は決まった

沈黙の中で

死が口を開く

■エリザベッタ:

それで?

■セシル:

被告の運命について

長く議論されました

友情からなのか

伯爵は熱心に彼をかばいました

しかし無駄

伯爵自身が判決文を持ってきます

■エリザベッタ:

それで判決は?

■セシル:

死!

■グァルティエーロ:

女王陛下

■エリザベッタ:

議会をもう一度

ここに召集しなさい

〔グァルティエーロとエリザベッタを残し一同去る〕

遅かったわね

■グァルティエーロ:

夜明けまで彼が

邸宅へ戻らなかったのです

■エリザベッタ:

続けて

■グァルティエーロ:

彼は丸腰でした

秘密の手紙など隠していないか

調べているうちに

部下が彼の胸から

絹のスカーフを見つけました

没収を命じると

狂ったように怒り

「この心臓を裂いてからにしろ」

…しかし抵抗も無駄でした

■エリザベッタ:

そのスカーフは?

■グァルティエーロ:

ここに

■エリザベッタ:

(許せない

愛の証し…)

私の前に引き連れよ

千の怒りがこの胸に!

<二重唱>

「助命の二重唱」

■ノッティンガム:

こんなに悲しい気持ちで

拝謁するのは初めてです

不幸な任務により

〔証書を手渡す〕

エセックス伯の判決です

臣下ではなく彼の友人として

申します、彼に代わって

「お慈悲を!」

断れますか

エリザベッタの御心が?

■エリザベッタ:

この心はすでに

彼の死刑を決意しました

■ノッティンガム:

何てお言葉!

■エリザベッタ:

まだ知れぬ恋敵の家へ

行っていたのよ彼は

そう、まさに今夜

私を裏切って

■ノッティンガム:

何を仰って…

それは間違いです

■エリザベッタ:

もうやめて

■ノッティンガム:

誰かの罠だ

■エリザベッタ:

いいえ、間違いないわ

裏切りの

確かな証拠が

〔死刑宣告にサインする〕

■ノッティンガム:

何を!お待ちください…お聞きを

どうか怒りの炎を彼に落とさないでください

これまでの私の忠義にお応えください

泣いてお願いします

陛下の足元にひれ伏して

■エリザベッタ

お黙り。慈悲、情け、

いいえ、不実者には無用だわ

裏切りは明白となった

死刑、

慈悲を乞ううめき声さえさせずに

<三重唱>

「死刑宣告の三重唱~死は首の上に」

(来たわね軽薄者)

近くへ

高慢な顔をあげなさい

お前に何と言った?思い出して

「恋していないの?」言ったわね、伯爵

「いいえ」応えたわね、「いいえ」「いいえ」

裏切り者、卑怯者、大うそつき

私の沈黙の告発者よ

見るがいい、死の恐怖が

彼の心臓を捕らえるわ

〔スカーフを見せる〕

■ノッティンガム:

何!

〔気づいて〕

(恐ろしい光が!

…サラ)

■エリザベッタ:

やっと分かったか!

■ロベルト:

(神よ!)

■エリザベッタ:

不実な魂、醜い心

逆鱗に触れたわね

地獄の炎に焼かれる前に

畏れ多きエンリーコ八世の

娘に背信する前に

生きながら墓に埋まればよかったのよ

おお、裏切り者

■ノッティンガム:

嘘だ…狂ってる

恐ろしい、悲惨な夢

いいや、人の心が

こんなふうに裏切れるはずはない

なのに彼は青ざめていく

ああ!何て目で見るんだ

百の罪が透けて見える

その目に、その顔に

■ロベルト:

過酷な運命に終わりはないのか

だが自分のことはいい

あの不幸な女の危険が

私の勇気を挫けさせる

彼の険しい眉毛に

殺意が走っている

ああ、あのスカーフは死の印

愛ではなかった

■ノッティンガム:

悪人め!心の奥に

そんな悪意を隠していたのか

そこまで裏切れるものなのか…

女王陛下を?

■ロベルト:

(地獄の苦しみ!)

■ノッティンガム:

剣、剣だ今すぐに

臆病者を引き渡せ

奴の体を引き裂いて

その血で罪を清めてやる

■エリザベッタ:

おお我が忠臣よ、お前にも分かるのか

この身を震わす屈辱が

〔ロベルトに〕

よく聞ききなさい

処刑台は用意済み

その女の名前を言えば

命ばかりは助けてやるわ

言いなさい、言うのよ!

〔一瞬の沈黙〕

■ノッティンガム:

(運命の一瞬!)

■ロベルト:

いっそ死刑に!

■エリザベッタ:

頑固者!いいわ

〔女王の合図で、

議員、婦人、従者、護衛たちが入ってくる〕

皆の者、聞きなさい

私は議会からその男の

死刑宣告を受け取り

同意しました

よいか、

昇り始めた太陽が

天頂に達したとき

大砲の音を響かせて

それを処刑の合図とせよ

■廷臣たち:

(悲しみの日、唐突な死)

■エリザベッタ:

行け!

行け、死は首の上に

恥は名前の上に

墓は私が用意しよう

誰も泣きには行かせない

罪人どもの遺灰の中に

お前の遺灰を撒いてやるわ

■ロベルト:

斧はこの血に塗られても

恥にまみれることはない

女王の怒りが奪えるものは

名誉ではなく命だけ

■ノッティンガム:

いいや、剣では殺さない

不名誉な悪人は

断頭台に消えるのだ

そんな苦しみくらいでは

胸の怒りは納まらないが

■セシル&グァルティエーロ:

斧がその首の上に…

お前の名前も呪われた
■廷臣たち:

墓の中でさえ罪人は

安らぐことはできないだろう

〔エリザベッタの合図でロベルトは取り囲まれ、

連れて行かれる〕

第3幕

第1場 ノッティンガムの宮殿

■サラ:

夫はまだ帰ってこない

■召使い:

奥様!

近衛兵がひとり訪ねてきました

かつてロベルトの配下だった者です

手紙を持っていて

奥様に手渡したいと

■サラ:

通して

〔兵士が黙って夫人に手紙を渡す。

そして兵士と召使いは去る〕

〔彼女は急いで手紙を読む〕

■サラ:

ロベルトからだわ

何てひどい

死刑判決が下された

でも私は知っている、この指輪の力を

彼の命を約束するはず…

こうしてはいられない

今すぐエリザベッタの許へ

■サラ:

(侯爵!

何て怖い顔)

■ノッティンガム:

手紙を受け取ったな?

■サラ:

(神様!)

■ノッティンガム:

サラ!見せろ

■サラ:

あなた

■ノッティンガム:

あなた、か

命令だ、手紙を出せ

■サラ:

(終わりだわ)

■ノッティンガム:

〔手紙を見て〕

ではお前には

奴の命を救う手段があるな

宝石を受け取ったのか!いつだ?

昨夜、愛の印として

金の刺繍のスカーフを

奴の胸に掛けた時か?

■サラ:

ああ何てこと

全部知っているのね

■ノッティンガム:

そうだ、全部だ

お前は知らなかったのか

裏切られた者には復讐の神がついている

罪びとの悪は全て暴かれる

嘘つき女、恐れるがいい

ここにいる復讐の神を

■サラ:

ああ、殺して

■ノッティンガム:

まだだ、裏切り者

ロベルトが生きているうちは…

友のためにこの胸に

温めていた甘い愛

まるで神聖なもののように

ああ、私は妻を愛していた

奴らのために死ぬほどの苦しみ

裏切り者は誰だ?ああ惨めな!

友と妻だ!

馬鹿な女!泣いても無駄だ

流すのは血、涙じゃない

■サラ:

過酷な運命はこんなにも

私たちを責めるの

無実の人が罪びとになるなんて

この心をご存じの神様

友は悪人ではないと夫に教えて

そして私の心も体も

裏切ってはいないことも

〔処刑の行進が聞こえる〕

死を告げる音?

〔警護に囲まれたロベルトが遠くに見える〕

■ノッティンガム:

奴が処刑台へ連行される

■サラ:

震えが血管を流れていく

断頭台が立てられた

時が近いわ

神様、助けて

■ノッティンガム:

待て!

どこへ行く?

■サラ:

女王陛下の許へ

■ノッティンガム:

まだ奴を助ける気か

■サラ:

行かせて

〔振り払おうとして〕

■ノッティンガム:

馬鹿な!それほど!…おい!

〔侯爵邸の衛兵たちが来る〕

館をこの女の監獄にしろ

■サラ:

ああ神様!

許して

私を壊す悲しみを見て

一瞬だけ許してください

誓うわ、逃げません

すぐに戻ります

その時にお望みならば

百回でも私を刺して

私を刺すあなたの手に感謝するわ

■ノッティンガム:

汚された私の誇りが

恐ろしく燃える、吼える

お前の言葉の全て

お前の涙の全てが罪

ああ、苦痛が短すぎる

奴が死ぬだけでは

神よ!私を裏切った魂に

永劫の苦しみを!

第3幕

第2場 ロンドン塔の監房

■ロベルト:

そしてまだ扉は開かないのか

恐ろしい予感が!

いや、あの使者は頼れる奴

指輪で助けてくれるはず

戦場でもあの指輪があれば怖くなかった

サラの潔白を明かすまで私は死ねない

私から最愛の女を奪った君よ

君の剣にかかって死のう

私を斬るのは君しかいない

<アリア>

「監獄のアリア~天国の涙」

泣きながら君に言おう

死神に抱かれて…

天使の魂のように

君の彼女は清らかだ

誓う、私の血潮を証しにして

この唇の最後の言葉を信じてほしい

いまわの言葉に嘘はつけない

〔足音が近づいてくる

鍵を回す微かな音〕

鍵の音

そうだ扉が開く

ああ!許しが出たのか

■番人:

来い、伯爵

■ロベルト:

どこへ?

■番人:

死へ!

■ロベルト:

死へ!死へ!

不幸な女、あなたの望みが消えた

でも諦めてはいけない

神様が聞き届けてくださる

血と涙に濡れて私は

走る、飛ぶよ

あなたの救済を神様へ頼みに

天使づたいに悲しみを届けよう

天国で流される初めての涙で

■番人:

来い、首を洗って待つがいい

第3幕

第3場 ウエストミンスターの大広間

■エリザベッタ:

(そしてサラはこのようなときに

私を見捨てるのね?

侯爵邸へと急いで

サラを連れてきてグァルティエーロ

彼女の友情の安らぎが欲しい

結局私もただの女ね

怒りの炎は消えたわ)

■婦人たち:

(お顔に苦悩が滲んでいる

いつもの威厳も色を失くして)

■エリザベッタ:

(まだ望みはある

死が近づいていても

彼は指輪を差し出すわ

後悔の証しとして

でも…時が過ぎていく

時を止めてしまいたい

その女を守るため、彼が死を選んだら?

恐ろしい予感!

いまごろ断頭台へ向かっていたら

ああ、ひどい!やめて)

<ファイナル・アリア>

「女王の涙」

生きていて、恩知らず、誰かのそばで

もう許しているのよ

生きていて、ろくでなし、私を捨てて

永遠のため息の中へ

ああ、溢れるな涙

この世の人々に

イングランド女王の涙を見たとは言わせない

■エリザベッタ:

何か?

■セシル:

あの男は断頭台へ向かっています

■エリザベッタ:

(神よ!)彼から女王へと

何か預かったものは?

■セシル:

何も

■エリザベッタ:

(馬鹿な人!)

誰か来るわ

ああ、通して

■セシル:

侯爵夫人です

〔サラは指輪を女王に渡す〕

■エリザベッタ:

この指輪をどこで手に入れたの?

ふるえて、青ざめて

怪しい、一体誰が?

まさか…ああ!言いなさい

■サラ:

恐ろしい…

全て…申します…私が!

■エリザベッタ:

続けて

■サラ:

あなたの恋敵…

■エリザベッタ:

ああ!

■サラ:

お裁きください

でも、伯爵の命はお助けを

■エリザベッタ:

〔議員たちに向かって〕

ああ!行け、ああ!飛べ

生きて彼を戻したら

この王冠を望むがいい

■廷臣たち:

神よ、彼にもまだ希望が…

■ノッティンガム:

彼は死にました!

■議員たち:

恐ろしい

■エリザベッタ:

〔サラに近づき、怒りに震えて〕

この愚か者

お前が彼を殺したのよ!

なぜもっと早く指輪を持って来ないの?

■ノッティンガム:

私が、女王陛下、私がしたことです

私の名誉は傷つけられました

だから血で清めたのです

「女王陛下狂乱の場」

■エリザベッタ:

〔サラに〕邪悪な魂!

〔ノッティンガムに〕冷酷な心!

飛び跳ねた血が天まで届く

正義を欲し、復讐を求め

怒れる死の天使が降りてくる

聞いたこともない苦しみが待つ

このような裏切り、罪悪は

恩赦にも慈悲にも値しない

最期の時に神に祈れば

もしや許されるかもしれないが

■一同:

お静まりください、王家の義務を思し召し

その人生はご自身のものではありません

■エリザベッタ:

お黙り。国も人生もないわ

下がりなさい

■一同:

女王陛下

■エリザベッタ:

静かに。見よ

〔幻影に恐れるように〕

断頭台が血に染まる

この王冠も血まみれ

死刑官が走っていく

手には彼の生首

その叫び声がまだ

空にこだましている

陽の光まで青ざめて

私の王座が墓標に変わる

降りていくわ、私を待っているのよ

離して、そうしたいの

イングランドの国王はジャコモに!

〔エリザベッタは王座に座り、

指輪に口づけして目を閉じる〕

-終わり-

《ロベルト・デヴリュー》

私、9月末に海外旅行に行く予定です(名づけて「ヨーロッパ・魅惑のベルカントオペラツアー!」)。グルベローヴァの《ロベルト・デヴリュー》も観てくるつもりで、予習をしておこうと思ったのですが、この作品の日本語訳が見当たらない…。そこで、もういっそ、自分で訳すことにしました。断片的にUPしていきます。9月下旬の出発までには、なんとか完成させたいと思っています。普段このブログで、オペラの字幕の悪口ばかり書いているので、ちょっと困りますけど…。

・私はイタリア語も英語も喋れませんので、「何となくこんな感じ」という想像力で訳しています。間違っていても怒らないで!

・かなりの意訳です。

錦織健プロデュース・オペラ《ドン・ジョヴァンニ》

●錦織健プロデュースの《ドン・ジョヴァンニ》。日本最高のドン・ジョヴァンニは大島幾雄さんなのか、ふーん。…と、ちらしは気にしていたものの、全く行く気がありませんでした。しかし、最近《ドン・ジョヴァンニ》という作品に俄然興味が出てきて、「この値段なら行ってもいいかな」と思いなおし、チケットを取ってみました!やっぱり「日本オペラ界最高のキャスト」という、ちらしのキャッチコピーも気になりますし(商売上手だなぁ)。

●それで、バカヤロウ、俺こそが日本最高のドン・ジョヴァンニだ、なんて言い出す別のバリトンさんは現れないわけですね…?

2006年8月16日 (水)

ベッリーニ《夢遊病の女》

《夢遊病の女》のCDはいろいろ買いましたが、エルヴィーノ役をマッテウッツィが勤めているハイライト版も持っています。

以前は、「《夢遊病の女》のCDはハイライト版で充分」と思っていたのですが、それには第1幕のコンチェルタートが収録させていないのでした。急に、マッテウッツィがどんなふうに歌っているのか聴きたくなってしまって、全曲版を買い直すハメに…。(オペラって、長い全曲のうち、だんだんと好きな部分が広がっていきますよね…。)

そうして、いま聴いてみたのですが、さすがマッテウッツィ!コンチェルタートの最後に超高音を出しています。やっぱり、このコンチェルタートの最後には、ソプラノの高音よりテノールの高音が一層好ましい。血湧き肉躍る怒涛のコンチェルタート!「自分も歌ってみたい!」と思ってしまうところが、ワタクシの普通と違うところ…。

2006年8月15日 (火)

期待

●会場で貰ったちらしをパラパラ見ていたら、岩城宏之さんが指揮するはずだった東フィル公演のちらしが入っていて、代役を勤める若杉弘さんが寄稿していました。若杉さんが音大生だった頃、交通事故で入院した岩城さんの代わりに、プロンプターの若杉さんが急に指揮をすることになり(ブリテン《ねじの回転》の日本初演)、それがきっかけで指揮者への道を歩き出した、とのこと。そういう縁って、あるんですね。

●最近、歌手と指揮者の関係についてボンヤリ考えていたんですけどね。それぞれに「やりたいこと」があって、でも歌手には「やりたくても出来ないこと」もある。また、歌手は他の楽器よりも、自分でテンポを決定する裁量が(いくらか)与えられている気もする。指揮者は作品全体に関わっているけれど、歌手は自分の出ている部分にしか関与できない、などなど。

●「歌手の時代」とか「指揮者の時代」という言われ方をしたこともありましたが、結局は、いちばん人気のある人が、いちばん自分のやりたいことを実現できるのかな…。

●別に改めて書くほどのことではありませんが、1つのプロダクションにおいて、一番の権力を持っているのはプロデューサーなんだなぁと、ここ数日しみじみ実感しました。歌手も指揮者も演出家も、プロデューサーが決めるんですからねぇ。あとは、その団体が、プロデューサーのやりたいことを実現する力をどれだけ持っているか。

●フィレンツェ歌劇場来日公演で、「フィレンツェ歌劇場側の都合により配役変更」という旨のお知らせを見るにつけ、海外の歌劇場の引越公演は「あちらの国のもの」という気がしてきます。日本から見れば「引越公演」ですが、あちらから見れば「出張公演」ですわな(当たり前)。

●そういうわけで、新国立劇場オペラ部門の次期芸術監督・若杉弘さんには、本当に期待しています。「芸術監督が替わると、こんなに公演が変わるのか!」って、みんな痛感しましたからね。また新たに変えてほしい。そして、「新国立劇場の芸術監督=日本クラシック音楽界のトップ」という日が、いつか来てほしい…。どうでしょう?ねぇ?うーむ。

2006年8月14日 (月)

たとえ忘れてしまっても

昨日アルフレードを歌ったテノールの名前「ジュゼッペ・フィリアノーティ」をキーワードにして、ネットで検索をかけてみた、ら、何と!私は過去にフィリアノーティのアルフレードを観たことがあったのでした!!2000年6月、モンテカルロ歌劇場来日公演、ヴィオレッタはゲオルギュー、ジェルモンはブルゾン、指揮はリチャード・ボニング。第1幕のカーテンコールで、下りてきたカーテンがゲオルギューにぶつかりかけてヒヤッとした、ということは鮮明に覚えているのに、アルフレードの記憶が全くありません。ブルゾンに関しては、「バリトンは荒れた声でもそれなりに聴けるんだなぁ」と思ったことを覚えています。

やっぱり、感じたことを何かに書き記しておく、ということは必要だなぁ…と思いました。

ペラでも、歌舞伎でも、落語でも、印象に残らなかった舞台はどんどん記憶の中から抜け落ちていきますねぇ。

でも、「忘れてしまった」ということが、イコール「無かったと同じこと」にはならないだろうと思います。

2006年8月13日 (日)

神よ才能を与えたまえ

何となくネットを検索していたら、シルヴィ・ギエムが言ったという伝説のお言葉「才能が無いのに努力している人がかわいそう」というのが目に入りました。アイタタタタ…。けだし名言…といいますか、いろいろ考えさせられる言葉です。言ったのがギエムだけに。

ラ ヴォーチェ《椿姫》2

●本日、ラ ヴォーチェ《椿姫》のAキャストを観てきました。昨日のBキャスト公演を観たときに感じた「昭和のにおい」は薄らいでいました(キャストの違いのせいか、2日続けて観たせいか分かりませんが)。

●今回の公演、オーケストラはAキャストに照準を絞って臨んでいる、完全な「Aキャスト仕様オケ」であると感じました。Bキャストは、どれくらいオケとリハーサルできたのやら…。AとBでチケット代もかなり違うのですから仕方ありませんが、Bキャストの出演者にはちょっとお気の毒。昨日の感想には、辛口なことを書いてしまいました。堀内さんが指揮者に念波を送っていたのも頷けます。

●今日は、ジョルジョ・ジェルモン役のレナート・ブルゾンが、非常に自由なテンポで歌っていたのが印象的でした。予測のつかない箇所で、急に早くなったり遅くなったり。何十人ものオケが、それに合わせるのは大変なことです。実際、合わせきれなくて、何か「不完全なもの」が提示されているような気持ちでした。確かに、のっぺりと一本調子で歌われるよりは面白味がありましたが、それほど極端な変化をつけなくても、役柄の感情を表すことは可能なのではないかと思います。挙句には、2幕2場のコンチェルタートにおいてさえ、「この場のテンポを決定するのは私だ」とでも言うように、1人だけ異なるテンポで音を切り込ませていました。協調性がないというか、もう独走態勢、「俺様ブルゾン」「帝王ブルゾン」「ア・ピアチェーレ国の国王」、参りました。ブルゾンが出演するとなったら、指揮は「誰でもよい」というわけにはいきません。ブルゾンの歌いたいようにテンポを合わせられる指揮者、伴奏指揮者、カンパネッラの出番となった。いや、ブルゾンは長いキャリアの間に、共演者を選べる権力を獲得したのだった、何て羨ましい、私もそれと同じ権力が欲しいくらいです。皮肉でなく。

●私はデヴィーアのヴィオレッタを一度観ているはずなのですが、全く記憶にないのですね。デヴィーアには「役と一体になれない冷静さ」を感じてしまって、何となく熱狂できないんですよねぇ。でも、やはり比類のない技巧を備えていることは間違いなく、《ルチア》を観たときは最高に感動しましたし、今回の《椿姫》でも、特に1幕には興奮しました。1つ1つの音符がキッチリ「立っている」、そして魅惑の3点変ホ音。「そはかの人か」に興奮したのは久しぶりでした。

●このプロダクション、ヴィオレッタの衣裳があんまり綺麗じゃない…。

●昨日の出口さんは、「そはかの人か」のカヴァティーナを高い音で終わらせていました。今日のデヴィーアは低い音でした。このアリアの、カヴァティーナとカバレッタの変わり目は、演技上の見せ場ですね。昨日は拍手で中断されることもなくアリアが進行したのですが、今日はブラボーを叫んで芝居を止めた人が1人いて、残念でした。同じ人が、別の箇所でも、歌手の声にかぶせてブラボーと叫んでいました(!)。映像を収録していたはずなのですが、記録に残ってしまうのでしょうか。記録に自分の声を残したかったのかな。マイナスの事柄をこの世に残しても仕方ないのに…。

●アルフレード役のジュゼッペ・フィリアノーティが素晴らしかった。「乾杯の歌」の直前に、「何て歌おうかな」って考える演技をしていたのですよ。自分が歌っていない間の演技も自然に出来る歌手。現代を生きる歌手に当然求められる資質ですね。もう、ヴィオレッタに証書を渡されてCiel!と驚くまでの演技を保てないジェルモンだとか、別れの手紙を書いているヴィオレッタの後ろ姿を眺めてChe fai?と訊くまでの演技が保てないアルフレードなどは、早く過去のものとなってほしい。私は実際にそういうのを見たことがあるのです。

フィリアノーティは、純朴というよりも少し遊び慣れているような雰囲気でしたが、若々しい清潔さがありました。細かい音符もキッチリ出ていましたし、声も伸びやかで、出色のアルフレードだったと思います。

●アンニーナ役の竹村佳子〔けいこ〕さんは、役の大きさに比べて、演技が大げさすぎると思いました。

●カーテンコール、出てくる人が多すぎます。何も、そういう形で賞賛を受けなくても良いのでは、という立場の人がぞろぞろ。

●客席には日本人指揮者や政治家なども見えていて、いつもより少し華やいだ雰囲気だったかな…。とりあえず、「記憶に残る名演」であったと思います。

2006年8月12日 (土)

ラ ヴォーチェ《椿姫》

今日はラ ヴォーチェ主催の《椿姫》を観に新国の中劇場に行ってきました。私は出口さんのヴィオレッタって好きなんです。1999年に藤原歌劇団の公演で観たとき、繊細なピアニッシモを駆使していて、特に2幕、3幕には大変感動しました。そのときのAキャストのルキアネッツより断然良かった。3幕で、目の下にキラキラした青い化粧をしていて、何か「美しい病気」といったメイクだったのを覚えています(今回はしていなかったのが残念)。

今回の出口さん、私の重要な鑑賞ポイントである3点変ホ音も出していましたし(99年より決まっていたくらい)、ピアニッシモも綺麗でした。「そはかの人か」のカヴァティーナの終結部なんて、「ピアニッシモなのに何故こんなに響くの?」っていう不思議な音。ヴィオレッタをこれだけ歌える日本人は、いま他にちょっと思い当たりません。でも、何故か99年のときほどは感動しませんでした。

とにかく、指揮がカッタルイ。私は「ゆったりめ」の指揮者が好きなのですよ。その私がイライラするほどノロい、音符にハエがとまるんじゃないかと思いました。

指揮のカンパネッラが、プログラムのインタビューで、「《トラヴィアータ》は…まだベルカントの名残りが濃厚ですから…演奏があまりにも前面に出すぎてはいけない」云々と述べています。伴奏、ただの伴奏ですよ、主体性なし。「ベルカントだから」とは何たる言い草でしょう。フローレスのロッシーニ・アリア集をお持ちの方は、CDを取り出して聴いてみてください。例えばアルマヴィーヴァ伯爵の大アリアの冒頭、このオケの音のうねり、躍動感。ベルカントであっても、オーケストラというのはこんなに輝くものなのだと感じると思います。私はとにかく「一本調子」というのが苦手で、「ゆったりめが好き」というのも「それだけ変化を差し挟む余地がある」という意味で好きなのです。ただノロいだけで抑揚のない演奏では、ドラマが停滞します。

演出は、「昭和の日本が夢想したフランスの1800年代」というような、何重にも屈折した美意識を感じました。とにかく「昭和」のにおいが充満している、舞台美術にも、脇役の演技術にも。良かった点は、2幕2場でバレエシーンが充実していたこと、でしょうかね。

アルフレード役の市原多朗さんは、2幕冒頭のアリアの途中で声が何度か裏返りかけて、ついに1オクターヴ下げて歌い始め(ほどなく元に戻りましたが)、絶不調のようでした。幕間に「扁桃腺炎だが歌う」旨のアナウンスが入り、以降それなりに歌っていましたが、ご本人も不本意だったのではないでしょうか。「市原さんが不調だ!!」となったときに、若い日本人テノールがパッと代役を勤めて「スター誕生」…とかっていうのは、ないのかしらん。

しかし、市原さんも、かなり一本調子な感じですよね…。例えば、ヴィオレッタに金を投げつけて「僕は何てことをしてしまったんだ」と歌うあたり。テンポ、音色、強弱、どれだけ変化をつけて歌うことができるか、その「変化を楽しむ」部分だと思うのですが、市原さんは、ほとんど同じ調子でした。

ジョルジョ・ジェルモン役は堀内康雄さん。堀内さんのジェルモン、高圧的な感じで好きです。声量もありますし、抑揚のつけ方もうまい。また、驚異的な肺活量で、普通ブレスをするところを繋げて歌っていたりしました。しかし、指揮の方をあからさまに見すぎると感じます。「指揮の合図を見ている」というより「指揮に合図を送っている」ような気迫でしたが、もう少しさりげなくしてほしいです。

日本語字幕は戸田奈津子さん。私は《椿姫》を観るときはもう字幕はほとんど見ないのですが、戸田さんの字幕ってどんなかなと思ってチラチラ見てみました。非常に簡潔な字幕でした。やはり言葉の省略のしかたが上手いですね。オペラの字幕は、本当にひどいものが多いので、才能のある人が新たに翻訳し直すというのは意義深いと思います。

何だかんだと文句をつけながらも、3幕ではホロリとしました。明日はデヴィーア組を観に行ってきます!

2006年8月10日 (木)

世界バレエフェスティバル・B

今日は、世界バレエフェスティバルのBプログラムを観てきました。仕事の都合で第2部からになってしまいましたが…。カレーニョの《海賊》は観てみたかった!

一番感動したのはデュポン&ルグリの《椿姫》第2幕。陶酔の極み。ああ全幕を観たい!

私が一番好きなダンサーはギエムとル・リッシュなので、今日の《椿姫》第3幕には期待していたのですが、Aプログラムのブーローニュ&リアブコのときほどは感動しませんでした。まるで別の作品のよう。ル・リッシュ、すごいハアハア音を立てて息をしていたみたいですが、持久力がないのでしょうか…?

あとは《三人姉妹》《マノン》が良かったです。やっぱりマクミランは良いなぁ。

《ドン・ジョヴァンニ》4

●ドン・オッターヴィオを主役に据えた新作オペラの脚本を書いてみました。というのはもちろんうそでございます。

●フルトヴェングラーの指揮は、どこが良いのか私には分かりません!

●チェチーリア・バルトリのアリア集に、ドン・ジョヴァンニとツェルリーナの二重唱「お手をどうぞ」が収録されていたので聴いてみました。これこれ、これですよ私が求めていたのは。「ちゃんと演技してるなぁ」って感じです。ドン・ジョヴァンニを歌っているブリン・ターフェルも良いです。私は、ドン・ジョヴァンニにもツェルリーナにも、共感する部分は毛の先ほどもないのですが、バルトリとターフェルのような歌唱であれば、演劇として楽しめる気がします。ひょっとしてモーツァルトにも、ルネッサンスとかってありました?

●しかし、「お手をどうぞ」というタイトルは、いかがなものかと思う…。内容とかけ離れているような。「カタログの歌」なんかも、実際に歌を聴いてイメージするものと違うタイトルだと思います。…あんまり露骨にするのは、ためらわれたのでしょうか。

2006年8月 9日 (水)

《蝶々夫人》

●《蝶々夫人》は日本人にとって国辱的な内容である、という話をよく聞きます。確か森英恵さんも、そのようなことを仰っていました。しかし私にはよく分かりません。日本人よりも、アメリカ人にとって国辱的なのではないかと思うのですね。「ヤンキーは世界のどこへ行っても」なんていう曲は、「アメリカ人男性はみんなピンカートンみたいに馬鹿なんです」と言っているかのようですし、America for ever という言葉の遣い方も、軽々しい感じがします。日本人側は、美しく描かれていますでしょう?「私たち日本の者は好みます、小さく慎ましいものを、そして大きく慈悲深いものを、そう、空や海のように」…。むかしは確かにあった日本人の心の美しさが、簡潔に描かれていると思います。それに引き替え、この作品、アメリカ人のことを馬鹿にしている感じがしませんか?

●しかし、ある調査によりますと、1998-99シーズンにアメリカ全土で最も上演回数が多かったオペラは《蝶々夫人》なのだそうです。アメリカ人は、「ヤンキーは世界のどこへ行っても」を聴いても、腹が立たないみたいですね。

●それで思い出すのは、ニューヨーク・シティ・オペラ(inニューヨーク)で《リゴレット》を観ていたときのこと。「女心の歌」の始まりの部分で、「あ、知ってるメロディーだ」ってんで、客席が大きくどよめいたのです。やっぱり、「知っているメロディーが組み込まれている」というのは、強いみたいですね。《蝶々夫人》には、アメリカ国歌が流れますから、超強力ですね。

●ちょっと疑問なのですが、アメリカ人が《蝶々夫人》を観るときは、ちゃんと蝶々さんに感情移入して観ているのでしょうか、それとも、ピンカートンに感情移入して観ているのでしょうか?

●このあいだ、兵庫で《蝶々夫人》を観るほんの数日前に、《ドン・ジョヴァンニ》の映像を観てしまったのですね。それで、頭の中は《ドン・ジョヴァンニ》のことで一杯だったのですが、《蝶々夫人》を観ていて、夜が明ける場面で、廻り舞台が反転すると、まだ蝶々さんがそこに立っている。「あああ…、まだ待ってるんだよなぁ、この人は」って、自分が少しピンカートン寄りの心持ちで眺めていることに気づきました。そんなことは初めてだったので、自分で驚きました。

●「作品の始めから終わりまで、ピンカートンに肩入れして観ている人」なんていうのも、いらっしゃるのかも知れません。

●いえ本当に、アメリカ人は、日本人とは全然違う《蝶々夫人》の楽しみ方をしているのかも知れませんよ。フフフ。

2006年8月 8日 (火)

《ばらの騎士》

2日かけて《ばらの騎士》の映像を見ました。1994年3月ウィーン国立歌劇場、カルロス・クライバー指揮。さすがに「伝説の舞台」というだけあって、感動しました。

お洒落な浮気の女王=フェリシティ・ロットが元帥夫人。もう、すっごい演技力。わずかな表情の変化だけで劇場中を圧しています。揃っている歌手の中でも1人だけ格が違う。この役のために生まれてきたのじゃないかしらん。

遅めのテンポが好きな私としては、カルロス・クライバーは「それほど好きじゃない」のですが、この《ばらの騎士》に関しては、私にも充分に良さが分かりました。それに、指揮姿も颯爽としています。

1幕の幕切れの絃の音が、奇跡のように美しい…。何か特殊な楽器を使ったんじゃないかと思うほどです。拍手も、いいタイミングで入っていて、邪魔していませんでした(日本じゃ無理かな?)。

オペラの映像としては珍しく、字幕も秀逸でした。「ばら」と「バラ」が混在していましたが、たぶん意図的なものでしょう。

前にも書きましたが、どうも私は浮気の話が苦手。浮気というのは要するに「1つ手に入れて、さてその次」ってなものですが、その1つ目も手にしていない私が楽しむ話ではありません。「私には関係ない話」と思ってしまいます。しかし、《ばらの騎士》のように、登場人物の描写がきっちりしていれば、ちゃんと分かるものですね。何たってもう、オクタヴィアンの歳よりマルシャリンの歳の方に近いんですからねぇ。オッサンですよオッサン。中味は変わっていないのに。

ところで、マルシャリンって、おいくつ?…あ、訊いちゃいけない質問でしたか。

2006年8月 6日 (日)

亀治郎の会

今日は「第五回亀治郎の会」を観に国立劇場へ行ってきました。「奥州安達原」では、普段カットされることの多い伏線部分をコンパクトにまとめ、導入部に付けていました。分かりやすい!

ぶっ返りや赤旗の投げ方など、吉右衛門さんの行き方とは随分違いました。

亀治郎さん以外では、浜夕の竹三郎さん、竹本三味線の慎治さんに強い感銘を受けました。

知らないうちに、国立劇場小劇場のロビー絨毯が変わっていました。うーん、どうなんでしょうね。

キング・オブ・ハイF

ウィリアム・マッテウッツィのアリア集『キング・オブ・ハイF』が中古CDショップにあったので買ってきました。で、《連隊の娘》のアリアを聴いてみたら、意外と力強い声、もう笑っちゃうくらいスゴイ。(「マリーのそばにいるために」はフランス語で、「僕にとっては何という幸運」はイタリア語で歌っています。)

マッテウッツィのハイFの音は、《清教徒》のライヴ録音で聴くと「軽く出している」感じがして、あまり特別なインパクトがないのですが、『キング・オブ・ハイF』で聴くと尋常ならざる雰囲気。終結部に向かってテンポを上げていって、グワーってF。FですよF。それも一晩のコンサートの最後にF。生で聴いた人は熱狂しただろうなぁ。(このCDは、1991年パルテノン多摩でのコンサートの記録なんですね。)

「マリーのそばにいるために」では、やっぱり巻き舌を使っているようですね。イタリア訛りのフランス語、でしょうか。それと、以前私がカタカナで書いた歌詞は、いま見返すと、全然違っています。何であんなに違っているのでしょうね(1行おきに韻を踏んでいることにも、いま気がつきました。情けない…)。勉強しなおして参ります。

2006年8月 5日 (土)

世界バレエフェスティバル・A

シルヴィ・ギエムを見ると石田あゆみを思い出すふくきちでございます(似てないかな?)。今日は世界バレエフェスティバルのAプログラムを見てきました。

私はバレエや落語も好きなのですが、歌舞伎とオペラで手一杯、そこまで余裕がないのであまり見にいけません。年に数回といったところです。世界バレエフェスは初めてでした。4部構成で約5時間!正直なところ、第2部と第3部には面白くない部分もありましたが、やっぱりスゴかったです。特に《ドン・キホーテ》のヴィエングセイ・ヴァルデス&ロメル・フロメタに度肝を抜かれました。何じゃありゃ!他の若手が霞んでしまうほど、飛び抜けた技巧を備えていました。

それから、ノイマイヤーの《椿姫》、プティの《カルメン》、マクミランの《マノン》。技巧とドラマのバランスが、ちょうど私の好みでした。《椿姫》は初めて見たのですが、何て素晴らしい作品、ぜひ全曲を見てみたいです。

キリアンの《扉は必ず…》は、笑いそうになるのをこらえながら見ていました。あれって、笑っちゃ駄目な作品なのでしょうか。一応こらえておきましたが…。

ギエムの《TWO》は、光の当たる手先がキラキラして面白かったのですが、こういうリズム主体の作品は、私はそれほど好きでないかも。それはル・リッシュの作品も同様。(どうでもいいですが、リッシュは顔つきがちょっと恐かったです。)

新しい作品は、クラシカルな曲を使用するか、またはリズム主体か、どちらかになってしまうみたいですね。美しいメロディーはもう生まれないのかなぁ。

Bプログラムも見たくなって、帰りがけにチケットを買ってしまいました。良い席は残っていませんでしたが…。平日の6時開演なので、途中から見ることになりますが、ギエムには間に合うよう頑張ります!

ピンカートンの嘘

●昨年6月に新国立劇場で《蝶々夫人》が上演された際、プログラムの中で、演出の栗山民也さんが、「『ある晴れた日に』は狂気のアリア」というようなことを述べられていました。栗山さんが仰ることの真意は私にはよく分かりません。しかし、「現実から離れたイメージを強く信じ、そのイメージを再現してみせている」という点で、確かに狂乱の場っぽい雰囲気が漂っている…、蝶々さんの視線も現実を見ていないしなぁ…、と思いました。

●「ある晴れた日に」で蝶々さんが信じているもの、それは「ピンカートンとはこういう人」という、「蝶々さんにとってのピンカートン像」ですよね。周りの人が「それは違う」と説得しても、蝶々さんは強く信じています。一方ピンカートンは、まさか蝶々さんが待っているとは思わなかったのでしょう。ピンカートンには「ピンカートンにとっての蝶々さん像」があり、シャープレスが「それは違う」と言っても、受け流してしまいます。

一時的にせよ、本当に幸せな時間を共有した2人であっても、お互いのことが全然分かっていないのですね。

●しかしそれは「違う国の人だから」というよりも、大なり小なり、誰でも、誰に対しても、あることだろうと思います。

1人の人間のことを、どのくらい分かっているか?どれだけ長い時間を一緒に過ごそうとも、本当に表面上の付き合いしかない場合もあります。職場の上司とか。

でも、「お互いに好き」ということになったら、「私はこういう人間です」って、言葉なり、言葉以外のもので伝え合うことができます。その場においてピンカートンは、蝶々さんに、嘘の自分を愛させたのでした。蝶々さんはピンカートンの言葉を信じていたがゆえに間違えてしまい、ピンカートンは蝶々さんの言葉を信じていなかったがゆえに間違えた、というわけです。

●亡くなった伊丹十三さんが、「愛とは『情熱』ではなく『関係』である」とお書きになっていたのを思い出します。

●「自分が信じていた人と違っていた」と知ってもなお好きだと言う「あなたは世界一幸せな方です」というセリフが、切なくて泣けます。そして私は、「愛の二重唱」を聞いていても泣くことがあります。人間って、そういうものなんだなぁ、と思って。

2006年8月 4日 (金)

《ドン・ジョヴァンニ》3

●私はアンドレア・ロストは好きなのですが、今回見た映像のツェルリーナは全然良くありませんでした。ドン・ジョヴァンニとの二重唱に出てくるvorreie non vorreiを、同じ調子で歌うというのは、一体どうしたことでしょう。これが義太夫節だったら、この2つの言葉を同じに語るなどということは、絶対にありえません。ちょっと表現力がなさすぎます。vorreie non vorreiの間のブレス音でも、もっと演技が出来るはずだと思いました。モーツァルトって、ただ綺麗に、平板に歌われすぎている気がするのですが、どうでしょう?

●前回見たシエピのドン・ジョヴァンニに説得力があったので、見ながら「そう、別に1人しか愛しちゃいけないってことはないよなぁ」と思いました。しかし、そのような価値観の人は、同じ考えの人と付き合わなくては…ねぇ。そういう意味で、ツェルリーナとは、いいコンビだったのではないですかね。

フランス語講座

1日2時間×4回、フランス語を習ってみました(本当は5回のはずだったのが、残業で1回休み)。私を含む受講生4名は皆、フランス語を学ぶのは初めてだったので、本当に第一歩からの授業だったのですが、とても面白いものでした。

やっぱり発音が難しい。Rは発音できません。

でも、フランス・オペラを聴いていても、あまりRの音を感じないな…と思いました。空気が喉を通るような音なので、舞台向きでないのかもしれません(?)。

それから、巻き舌だと思っていた音は、舌を使うのではなく、喉を使って発音されていることが分かって、驚きました。先生が実際に聞かせて下さって、喉にも触らせていただいたのですが、一体どうなっているのやら。「フランス人でこれが出来ない人はいない」とのことでしたが…。

男性名詞・女性名詞の区別、冠詞や動詞の変化など、絶対に覚えられなさそう。でも、ともかく楽しい授業でした。

2006年8月 3日 (木)

《ドン・ジョヴァンニ》2

●2日かけて、ジェームス・コンロン指揮の《ドン・ジョヴァンニ》の映像を見ました。フルトヴェングラー指揮の映像ほどではありませんが、やはり長い!ちょっと、同じ詞章の繰り返しが多すぎる気がします。「なぜ繰り返すのか」を考えて、「考えても分からない」ので「長い!」。

●ドンナ・アンナ、いたされちゃってますね?フルトヴェングラー指揮の映像を見たときは、彼女自身は無事だったのかと思いましたが、そうではなかったんですねぇ…。字幕の違いでしょうか。なぜこの人があんなにウダウダしていたのか、やっと分かりました。1年の猶予をもらって、彼女はどうするのでしょう。「実はこれこれで」と、ドン・オッターヴィオに話すのか、話さないのか。「私はあなたに相応しい女ではありませんわ」なんて言って別れてしまうのか、それとも、そしらぬ顔で結婚するのでしょうか?そう考えますと、最後の6重唱も、なかなか味わい深いものです。それぞれの今後の境遇が思われて…。

●しかし、それにしてもドン・オッターヴィオという人は分からない。「私の恋人を慰めて」だなんて、「人に頼んでないで自分で慰めなさい」と私は言いたい。「君に何があろうとも、私は君のことを愛しているよ」とか何とか言ったなら、ドンナ・アンナはヨヨと泣き崩れて抱きついてくるであろうのに…。「騎士長の仇をとる!」という方にばかり気を取られていますが、でもドンナ・アンナが望んでいるのは、そういうことじゃないのです。たぶん。

●この「私の恋人を慰めて」というアリアを聞いていると、「ああ、ドン・オッターヴィオという人は、1年の間に、自分からアクションを起こしたりする男じゃないな」ということが分かり、要するに、ドンナ・アンナの苦悩を際立たせる「引き立て役」という気がしてきます。いい面の皮です。同じ「引き立て役」でも、ピンカートンだったら「私もあの愛の二重唱を歌ってみたい」なんて思ってしまう魅力がありますが、ドン・オッターヴィオは、どういう気持ちでいるのかサッパリ分からない。コンサートでこのアリアを取り上げる歌手は、何を思ってこの曲を選ぶのでしょうねぇ(って具体的にはシラグーザのことですが)。

●もし、ドン・オッターヴィオという役を魅力的に見せてくれる演出があったとしたら、ぜひ見てみたいものです。

2006年8月 1日 (火)

あれこれ

●《オン・ザ・タウン》くらいしか見たことがないと思っていたサミュエル・レイミー、《カルメン》の映像で見たことがあるのを思い出しました。他にもいろいろ見聞きしていたのかもしれません。忘れっぽい天使ふくきち…。

「低い声でコロがす技術」に、最近ちょっと痺れています。

●私は今年4月の人事異動で経理に配置換えになったんですけどね。年度替わりはメチャクチャ忙しい(らしい)のですが、今はわりと余裕があるんですね。それで、「平日夜、5日間集中フランス語講座」というのに参加してみているのですね。フランスオペラのリブレットなんか、意味は分からなくとも、発音くらい分かった方が楽しいかなぁと思いまして。昨日が第1日目の講座だったのですが、とても面白い講座でした。

ところが!!今日は突然ドカンと仕事が舞い込み、フランス語講座に行くことができませんでした。5日間のうちの2日目を欠席したら、もう付いていけない落ちこぼれですよ…。しょぼん…。なぜ仕事というものは突然忙しくなったり突然ヒマになったりするものなのか!!神よ適切な分量の仕事を与えたまえ!!

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