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2006年9月

2006年9月22日 (金)

行ってきます

《マリア・ストゥアルダ》よりも《ロベルト・デヴリュー》の方が断然私の好みである、と思っていたのですが、《マリア・ストゥアルダ》も何度か聴いてみますと、だんだんと良さが分かってきました。それまでの苦悩や、人を恨む気持ちから解き放たれ、「清らかな心で旅立つのです」と言われてこの世から去っていく。そう、最期はそれが大事ですね。

そういうわけで私は、ヨーロッパ9日間・魅惑のベルカントオペラ・ツアーに行ってまいります。旅行中にコメント・トラックバックをいただいた場合、すぐには公開されず、一旦保留されますのでご了承ください。(また最近、商業目的のトラックバックをお寄せいただくことがありますが、こちらの判断で削除させていただく場合があります。)

では!

2006年9月20日 (水)

9月文楽公演・第3部

2006年9月20日6時30分 国立劇場小劇場

今日は文楽公演『仮名手本忠臣蔵』の第3部を観てきました。「シシキガンコウガカイレイニュウキュウ」というサラリと聞き流すような言葉が、国立劇場の字幕に漢字でバーンと表示されると、やはり凄いパワーでありました。「紫色雁高我開令入給」、な、何をお願いしてるんですか…。

若い二人ではなく、親たちのドラマなんですよねぇ。観る側も、歳を取るたびに面白さが増していくのでしょうね。

2006年9月18日 (月)

また9月歌舞伎座・夜の部

2006年9月18日4時30分 歌舞伎座・夜の部

今日も歌舞伎座・夜の部に行ってきました。昨日は3階席で今日は1階席だったせいかもしれませんが、『籠釣瓶』は昨日より更にコッテリしているような気がしました。登場人物の心の動きを、声で、表情で、体の動きで、全部おもてに出してやろうという強い意志の力を感じました。この作品は「生世話物」に分類されると思うのですが、全然写実ではなく、せりふも本当に歌うような感じ、「歌う」と言っても勿論メロディーがあるわけでなし、感情の動きが声の抑揚となって拡大されている、まあそこが演劇の面白さですね。相手のせりふを聞いているときの表情の雄弁さ、なども。

今月、私が『籠釣瓶』を観るのは今日で最後。本当は千秋楽も観たいのですが、海外旅行に行ってしまうので…。

今日は『鬼揃紅葉狩』も観ました。1等席ですし。何でずっと常盤衣なんでしょうね…。重たそう。

2006年9月17日 (日)

カバリエ主演《ロベルト・デヴリュー》

数日前、カバリエ&カレーラス主演《ロベルト・デヴリュー》の映像を観ました。1977年エクサンプロヴァンス、ルーデル指揮。CDで出ているものとは別の日の収録ではないかと思います(たぶん)。暗く滲んだ画像、少し歪んだ音。油絵が動いているみたい…。マニア向けですね。with occasional French subtitlesというので、フランス語の字幕が付いているのですが、要所要所しか翻訳されていません。ふくきちが痛く気に入ったフレーズ「イングランド女王の涙は誰にも見せられない」という件りも訳されていない…。この程度の字幕で分かるのかなぁフランス人。

カバリエは、例の信じられないくらいのピアニッシモを駆使。「弱音でも響く」というのは、どういう仕組みなのでしょうね。もちろんフォルティッシモのパワーもすごい。やっぱり私は、「声の強さの落差が激しい歌手」が好みなのかも。視覚的な演技は、シルズに比べると大雑把な印象ですが、さすがに風格は備えている。このエリザベッタという役は、「プリマドンナの風格を女王の威厳にダブらせる」みたいな役ですかね…。ああカラスにも歌ってほしかった、「私の涙を見たとは誰にも言わせない」って…。

9月歌舞伎座・夜の部

2006年9月17日 歌舞伎座 夜の部

文楽公演の第2部終演後、歌舞伎座へ。見染めには間に合いませんでした…(立花屋見世先の途中から拝見)。主役から脇役まで、これまでよりも更にコッテリした演技になっていました。セリフもタップリ、柝が入るタイミングも遅くなっている、吉右衛門劇団らしい濃い演技。また福助さんの声が絶好調でした。45歳であんな声が出る奇跡。カウンターテナー級の超高音で毎日舞台を勤めているのですから、いやはや…。海老反りも、時間が止まりそうなくらいタップリでした。

『鬼揃紅葉狩』は観ないで帰ってきてしまいました。そういう気分じゃなかったんです。

9月文楽公演

2006年9月17日10時30分&2時30分 国立劇場小劇場

文楽公演の第1部と第2部を観てきました。9月の文楽は『仮名手本忠臣蔵』を3部制で通し上演。第1部の開演が10時30分で、第3部の終演が9時30分くらい。1日で全部観る方も多いと思いますが、私は第3部は別の日に取りました。通しで観たかったのですが、平日の方が良い席が取れたので。

相変わらず配役変更が多く、特に嶋大夫さんの休演は、事前に知っていたものの大変ショックでした。でも、国立劇場の文楽公演は、常にオールスターキャストですから仕方ありませんね。

とにかく、簑助さんの由良助、勘十郎さんのおかるが絶品。勘十郎さんは襲名してから本当にスターになった、素晴らしい。

第2部終演後は歌舞伎座へダッシュしました!ワシもまだまだ若いのう。

2006年9月16日 (土)

《幻想のルチア》

2006年9月16日3時 藤沢市民会館大ホール

佐藤美枝子《幻想のルチア》を観に行ってきました。以下ネタばれになります。

●舞台には、白い薄手の布が掛けられていて、ちょうどマリア・カラスのルチアの「あの」衣裳を舞台美術にしちゃった雰囲気(お分かりいただけますか?)。照明の当て方で影が映って、まあ確かに「幻想の」って感じでした。

●歌手は2人しか出演しませんので、喉の負担を考えたり、やっぱり最後は狂乱の場で終わらせたいなどの配慮もあってか、曲順の入れ替えがありました。エドガルドの最後のアリアの、カバレッタに相当する部分を全体の冒頭に。カヴァティーナに当たる部分を狂乱の場の前に。全編がエドガルドの回想のようになっています。そして、あいだに「僕たちの愛は呪われていた」みたいな感じのナレーション入り(あらかじめ録音されたもの)。当然ながら、このナレーションが作品の雰囲気を大きく変えていました。私にはイマイチ。演出を担当した岩田達宗さんの台本でした。

●私の頭の中では、望月哲也さんと望月光貴さんと有銘哲也さんがゴッチャになっていたのですが(!)、今日のエドガルドは望月哲也さん(もう間違えないと思う…)。クセのない美声。でも、ここぞというときにグワーと盛り上げるパワーが足りない印象でした。二重唱の最後の高音も出ていませんでしたし…。あの高音って、出ない場合の別の音って用意されていないのですね…?

●エンリーコはピアノによって表現されていました。ピアニストの河原忠之さんが、ルチアに手紙を渡したりもしましたが、基本的には「ピアノの音で」エンリーコを演じていて、ルチアがそれに反応するというスタイル。

●佐藤美枝子さんのルチアは、登場から何かに憑かれたように目を見開き、ずーっと狂乱してるみたいな感じ。弱音を多用して、たっぷり歌っていました。チャイコフスキー・コンクールで優勝したときのような鬼気迫る歌唱ではなく、もっと余裕を持って歌っている。素晴らしかったのですが、「大興奮!!!」というようにはなりませんでした。私も年を取ったかな…。

2006年9月14日 (木)

《ドン・カルロ》

●新国立劇場の《ドン・カルロ》の感想を、インターネットで幾つか読んでみますと、人によって全然違いますねぇ。私の感想もかなり偏っているかも知れませんが…。

《ドン・カルロ》の中で一番好きな役は何ですか?って訊かれたら、私は迷わずエリザベッタですが、一般的には「派手なエボリ公女の影に隠れて損な役」ということになっているようです。ちなみに、主役級6人を私の好きな順に並べると、エリザベッタ→ドン・カルロ→ロドリーゴ→フィリッポ二世→エボリ公女→宗教裁判長、となります。昔は「カルロはタイトルロールのくせに単なる狂言まわし!」と思っていたのですが、ルイス・リマの映像を観てから、考えが変わりました。リマのカルロは素晴らしい、ちょっと神がかっているとさえ思います。フィリッポは、自分も年を取ったなら、もっと良さが分かるんじゃないか…という予感がしますが、それはそれでチト怖い。エボリ公女は、音楽的には親しみやすさがありますが、何を考えているのかよく分かりません。クルクル感情が変わるし…。シラーの原作を読むと、もっと細やかな描写があって、カルロに好かれていると勘違いするのも納得できるらしいのですが…(私は読んでいません)。しっかし「呪わしき美貌」だなんて、本当に美貌のせいなの?

●マリア・カラスは、オペラの舞台を遠ざかってから、ジュリアード音楽院のマスタークラスを受け持ったことがあります。その時の授業がCDになっているのですが、手本に少し歌ってみせているのですね。その「ヴェールの歌」の表現力がスゴイ。ヴェールが風になびく様が目に浮かぶようです(もう全然声は出ていないのに)。なぜエボリを歌う歌手は、あのように歌わないのでしょう?

●私の記憶が正しければ、昨日(13日)の大村さんは「世の空しさを知る神」の終盤で、si piange in cieloと歌うところをsi piange ancorと歌っていました(日曜日に観たときは、ちゃんとsi piange in cieloと歌っていたと思います)。緊張して間違えた…のではない、たぶん。私が思うに、わざとそう歌ったのではないか。歌手というものは、自分の歌唱に「印」をつけたがります。装飾音を工夫するとか、ブレスの位置を変えるとか、ポルタメントをやめるとか。例えば「世の空しさを知る神」であれば、Il riposo profondoの部分は歌う人によって全く違う。でも、歌詞に工夫をするのは珍しいし、どうなんでしょう?単なる間違いだったのでしょうか?NHKは、何日か収録してベスト・テイクを放送するのでしょうか?さてさて、放送に「大村印」が付いているか、楽しみに待つことにしませう。(マニアックな話題で恐縮。私の勘違いだったら本当にごめんなさい。)

sakag510様、ブログリストへの追加ありがとうございます。

2006年9月13日 (水)

新国立劇場《ドン・カルロ》2

2006年9月13日6時30分 新国立劇場

●「同じ公演を何度も観に行くのは、もうやめよう」と年に何度か固く誓いながら、すぐに破ってしまうワタクシ。日曜日に《ドン・カルロ》を観た翌日、「ハッ、なぜ2回分買ってしまったのだろう」と我に返り、「払い戻しをしているんだから払い戻してもらおう、そうだ、本当にロドリーゴが好きじゃなかったんだし」と思って、職場を定時キッカリに飛び出し、新国のボックスオフィスへ。チケットを差し出すと、「申し訳ございません、セット券でお求めの方は払い戻しできません」!!!ええ~っ、そんな~。仕方がないので今日も観て来ました…。

●赤絨毯に燕尾服のお兄さんは、今日はナシ。初日と、賛助会のパーティがあった日曜日だけだったのだそうです。あと、バレエのオープニングに1回予定されているとのこと。

●で、肝心の公演がどうだったのかと申しますと、生でも録音でも、これまで私が聴いた《ドン・カルロ》の中で最高の出来でした。日曜に観たのとは大違い。きっと、今日はNHKの収録が入っていたからだと思う。フィリッポとエボリは「まあ、これ位なら及第かな」という程度には良くなっていましたし、何と言っても大村博美さんのエリザベッタが素晴らしかった。日本人歌手にとって、自分の歌唱を映像記録に残す機会はそう多くないはず。そりゃあ気合いも入りますよね。あまり素晴らしいので、「世の空しさを知る神」から後、私はずーっと泣いていました。あの名唱がNHKに収録されたのは実に嬉しい。別に詳しくもない私が言うのも何ですが、古今東西、記録に残る世界最高のエリザベッタだったと思います。大村さん記録に残せて本当におめでとうございます。

●役柄の身分の高さを表現できていたのは、大村さんだけだったのではないでしょうか。

●やっぱりオケの演奏も私の好みでした。特に「ひとり寂しく眠ろう」の前奏、チェロのソロにゾクゾクしました。あの美しいメロディーを新国立劇場のピットで演奏するのは、チェリストにとって最高級の誉れである…だろうと思います。フィリッポ役のコワリョフの歌唱が、言葉を持たぬチェロの表現力に位負けしていました。それから「世の空しさを知る神」の前奏の、管の弱音の美しさ。指揮も良かった。

●宗教裁判長は、良くても悪くても私には分からない、それを分かる能力が私には欠如している。仕方ありません。

●行く前は「しぶしぶ」って感じだったのですが、観られて本当に良かったです。大村さんの名唱に、終演後しばし呆然。2度目だったので、演出の気に入らないところも脳内消去できましたし…。セット券が払い戻しできなくて良かった…。

2006年9月12日 (火)

シラグーザ・リサイタル

2006年9月12日7時 紀尾井ホール

アントニーノ・シラグーザ-テノール・リサイタルに行ってきました。前半は間髪入れずにオペラアリアを6曲。ひぇ~すごい~。弱音の美しさに陶酔しました。

今回の公演は、とにかく《セミラーミデ》のアリアを聴くのが楽しみで楽しみで。いま生で観てみたいオペラNo.1なんです。マッテウッツィとフローレスの録音で予習しておいたのですが、やはり生の迫力はものすごい。素晴らしかった。

後半は歌曲。歌曲になると急速に興味が薄れてしまう私。バルトリが来日したとき歌曲の魅力に目覚めたと思ったのですが、あのときは、ちゃんと予習しておいたのでした。今回は予習もしませんでしたしね。でも何か聴いたことある…、似てる曲が多いしなぁ…、なんてうちに終わってしまいました。

アンコールに《連隊の娘》のアリア。「そうだった、私はシラグーザのCDでこの歌詞を覚えたんだった」なんて思いながら聴いていると、なぜか前半は歌詞がメロメロで、すっごい適当に歌っていました。もうヒヤヒヤ。緊張して間違えた…のではない、絶対に。《真珠採り》のアリアもイタリア語で歌っていましたし、なぜこの人は歌詞を覚えないんだろう…。いいですけど…。

アンコール→《連隊の娘》→《セビリアの理髪師》ギター弾き語り→カルーゾー→グラナダ→オー・ソレ・ミオ

シラグーザのような世界的な歌手が毎年来日してリサイタルを開いてくれるのは本当に嬉しい。最初の来日リサイタルのときは、私は彼のことを何も知りませんでしたが、「この予定曲目はただごとじゃない」と思って2日とも聴きに行き、帰りにはちゃんとサインも貰い、一緒に写真を撮って、翌年の年賀状にプリントして、友人に「何これ?」と言われたのでした。懐かしい…。

2006年9月11日 (月)

《ロベルト・デヴリュー》の現代演出

オペラって、知らない演目をいきなり生で観るよりも、多少なりとも予備知識を仕入れて行った方がいいと思うのですね。それで、何を予習の素材に選ぶか、というのは微妙な問題です。観に行く予定の公演に比べて極端にハイレベルな映像で予習してしまったりすると、実際の舞台の出来栄えにガッカリ、なんてことにもなりかねません。また、全く同じプロダクション、同じ歌手の映像を観てしまうと、新鮮味が失われてしまう可能性もありますね。

そういうわけで、現在グルベローヴァ主演の《ロベルト・デヴリュー》のDVDが発売されているにもかかわらず、私は購入していません。ウイーンの舞台を観た後に買おうかなと思っています。ひょっとしたら日本語字幕つきのDVDもそのうち出るかもしれませんし。

そのグルベローヴァ主演のDVDを店頭で手に取ってみたところ、これがいわゆる「現代演出」、つまり時代設定が現代になっているらしく、登場人物はスーツ姿、どこかの大企業のオフィスといった舞台写真が載っています。大企業の社長(?)だなんて、エリザベス一世もずいぶんお安くなったものです。

歴史ドラマを作るとき、史実を調べ尽くして極力忠実に再現する場合と、史実を離れてたくさん想像を織り込む場合があります。《ロベルト・デヴリュー》は明らかに後者ですね。その史実との乖離っぷりが、おかしいと思ったらトコトンおかしい。「私からロベルトを盗むのは、この王冠を盗むのと同じこと」「その女の名前を言えば命だけは助ける」など、もう絶対にありえない名セリフの数々、一度笑いのツボにハマったら笑いっぱなしかもしれません。特にイタリア語を母国語にしている人や、エリザベス一世の生涯に詳しい人にとっては、馬鹿馬鹿しくて観ていられないかも(?)。

日本でも明治時代に、歌舞伎があまりにも史実と乖離していているというので「演劇改良運動」が起こり、「歴史に忠実な芝居=活歴物(かつれきもの)」という一連の作品が生み出されましたが、「やっぱり、つまらないね」ってんで、ほとんど廃絶してしまいました。今も稀に上演されるのは「北条高時が天狗に化かされる」という内容の『高時』1作のみ(どこが「歴史に忠実」なのかサッパリ不明)。昭和に入ってから、『元禄忠臣蔵』のような骨太の歴史ドラマも作られるようになりましたけどね。

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc_dic/dictionary/dic_ka/dic_ka_11.html

さてさて、そこで「現代演出」の登場です。エリザベス一世がお洒落なスーツ姿で現れたら、それはもう「歴史上の人物」にあらず、ハリーポッターとかスーパーマンなんかと同じ「架空の人物」になるのですね。「身近に感じてもらうために現代へ設定変更」というのではないと思います。エリザベス一世が現代のオフィスに蘇えるはずがない、つまり、歴史ドラマからファンタジーへと質的に変換されている。架空の人物ならば何を言っても笑わずにすむ。「史実との大幅な乖離を中和するための装置」なのではないか、と、睨んだのですが…。どうでしょう?

しかし《ロベルト・デヴリュー》の台本は、「エリザベス一世がこんなことを言ったら面白いだろう、いや、言わせてしまおう」という欲求によって出来上がっているので、エリザベス一世ではない人物がそのセリフを言っても、魅力半減なのではないかと思う。私は、シルズ主演の王朝再現演出がめっぽう面白かった、で、やっぱり自分は日本人なんだなぁと思いました。だって日本は、曽我五郎が「吉原で」喧嘩売ったり、曽我入鹿が「鹿の生き血で誕生」しちゃったりする素敵な国なんですからね。

2006年9月10日 (日)

新国立劇場《ドン・カルロ》1

2006年9月10日 新国立劇場

《ドン・カルロ》を観てきました。以下、これからご覧になる方はお読みにならない方がよろしいかと…。

●シーズンオープニングということで、正面入口に赤絨毯が敷かれ(!)、シルクハットをかぶった燕尾服のお兄さんが立っていました(!)。まあ、いろいろ試してみるのもいいんじゃないですかね…。

●新国立劇場のオペラは、場面ごとに大道具を替えるのがもう予算的に厳しいんですかね。別に《ドン・カルロ》でなくても、使おうと思えば何の演目にでも使えてしまう抽象的なセット&衣裳。セットはグレー、衣裳はほとんどの人が黒か白かグレー。もう、陰気なんです。シンプルで陰気。霊廟とか牢獄の場面はそれでも良いのですが、「ひとり寂しく眠ろう」で豪華な部屋に一人眠る寂しさ、みたいなものが表現できないのですね。火刑の場面のスペクタクルも、しんみりしちゃって。王族の豪華な悲劇を全て観客の想像力に任せるのはしんどい…。「限られた予算で効果的な演出ができる才能」求む。

●とにかく、演出が私の好みではありませんでした。「呪わしき美貌」のときにエリザベッタが残っていたりとか、その場面に関係ない人がフラフラ~と出てきちゃったりするの、とってもイヤなんです。その歌を誰に向かって歌っているのか、それは直接話しかけているものなのか、心の中で言っているだけなのか、変わってきてしまうので。(かといって、何か新しい発見があるわけでもない)

●「世の空しさを知る神」は、カルロ五世に語りかける歌ですが、全ての言葉がカルロ五世に向けられているのではありませんよね。Carlo qui verra!<カルロはここに来るでしょう>と言うときは、カルロを来させるために命を投げ出すロドリーゴのことを考えていてほしいし、「ロドリーゴがそれだけのことをする一方で、私は?」っていうんじゃないと、歌が先へ流れないのです。修道士と手を握っちゃったりして、何の意味があるのでしょう?

●エリザベッタが、Francia<フランス>と呟く前に、花の匂いを嗅いだりする演技がついている。「私の人生には早くも黄昏が訪れました」と言い、それでも生きていくこの後の時間を思うとき、どうしようもなくフランスが恋しい…という「Francia」の呟きが、「花の匂いで思い出したFrancia」という別の感情に変化して、それまでの歌の流れから分断してしまう。そのような演出って、役柄の感情とは関係なく、要するに、何か目先の変わったことをしないとその場面がもたない、という程度の「思いつき演出」ではないでしょうか。歌の力を信じていない感じ。

●ロドリーゴが死ぬ場面で、エリザベッタが登場してるんですよね。フランス語5幕版でもエリザベッタが登場するみたいなんですけど(そういう映像を観たことがある)、お願いですから出てこないでください。

●歌手陣では、ドン・カルロ役のミロスラフ・ドヴォルスキーが良かったと思います。あんまり王子っぽくありませんでしたけど…。フィリッポ、ロドリーゴ、エボリは私の好みにあらず。フィリッポは声に深みがなく、国王らしい風格も不足。ロドリーゴは、カルロへの愛情が感じられず(どこ見て歌ってるんだか…)、死に方も下手でした。エボリ一本調子ぎみ。

●オケと合唱は良かったです。やっぱり生で聴けるのは嬉しい。

9月歌舞伎座あれこれ4

●『籠釣瓶花街酔醒』の巻

『籠釣瓶』の八ツ橋は何を考えているのか分からない、という話をよく聞きます。その「分からない」ところが魅力なわけですけど。

殺される直前に八ツ橋が「これには深い訳のあること」と言い、その訳を話さぬうちに斬られてしまいます。私の友人が「殺される前に、その訳を言ってくれればいいのに」とボヤいていました。

でも「深い訳」といっても、別に目新しい理由なんてないだろうと思うのです。

八ツ橋は次郎左衛門のことを気の毒に思っている、だからといって「じゃあ次郎左衛門のことを好きになろう」というのは無理なわけです。それは彼がアバタ顔だからっていうのじゃなく、そういうことは出来ないわけです。頭で考えて好きになれるわけではない、それは自分で決めることではなくて、「決まり事」なのですね。

ですから八ツ橋が決めるのは「どちらを好きになるか選ぶ」ではなく、「好きな人か好きじゃない人かどちらか選ぶ」であり、そんなのは「好きな人を選ぶ」に決まっています。「人を好きになったのなら、あなたも、それは分かっているはずでしょう?」ってことです。縁切り場の最後に、門口で泣き上げて去っていく、それはだから「好きな人を選びます」という見せ場中の見せ場なので、6歌右衛門がこの演技を拡大したのも、むべなるかなという感じがいたします。

それで、次郎左衛門も「断られても仕方がない」と言っているように、それくらい分かっていたと思うのです。八ツ橋を不思議と言うなら次郎左衛門も不思議な人で、こんなことを書くのは何ですが、ああした顔をしていて、恋愛のことなんかもうきっと諦めて生きてきて、突然八ツ橋を見染める、そして「金で買えるから」「ここが吉原だから」八ツ橋に会えるんだっていう、そのことをいつの間にか忘れてしまう。彼は「なぜ始めから好きじゃないって言ってくれないのか」と恨んでいるわけですが、「なぜ」と言ったって、「ここは吉原だから」という以外ありません。ここは「好きでもない人の相手をするところ」で、「好きじゃない」と言って客に離れられたら自分はそこに存在できないのです。ですから八ツ橋は、自分が悪いなんて思っていないはずで、ただ「申し訳ないけれど仕方がない」んです。私は、八ツ橋の「つくづく嫌になりんした」というセリフの気持ち、よく分かりますよ。吉原ゆえの悲劇ですよね。

縁切り場の終わりに次郎左衛門が「事によったら」と呟きます。これは「事によったら、こんなことになったのは、妖刀・籠釣瓶を所持していたせいかも…」という意味だ、と、何かで読んだ気がするのですが、どうなのでしょう?九重に「必ずまた来てください」と言われた次郎左衛門が、「もう一度来て、その時に八ツ橋を殺してやる」って、初めて殺意を感じる「事によったら」なんじゃないかと、今回の公演で思ったのですが…。

幕切れに次郎左衛門が、蜀台の前で妖刀・籠釣瓶をジッと見つめる、刀の下から上へ動くその視線が、切っ先より更に上にフッと離れて中空で止まる。「どこ見てるんだこの人」と思ったら、好きな人に好かれなかった人間の闇、異次元みたいなのが視線の先に漂っていて、怖かった。でも、いい芝居です。「あの笑いさえなかったら」の笑いの凄さ、いい芝居。

2006年9月 9日 (土)

シルズ主演《ロベルト・デヴリュー》

海外旅行の予習用に私が買った《ロベルト・デヴリュー》のCDは、

●1994年ストラスブール・ハイダー指揮・グルベローヴァ

●1972年ヴェネツィア・バルトレッティ指揮・カバリエ・Gライモンディ

●1977年エクサンプロヴァンス・ルーデル指揮・カバリエ・カレーラス(ボーナストラックとしてゲンチェル主演の抜粋つき)

●2002年ロンドン・ベニーニ指揮・ミリチョウ・ブロス・ガナッシ・フロンターリ

そしてDVDは、

●1975年ニューヨーク・ルーデル指揮・シルズ

と、これだけ揃えたのですが、時の過ぎゆくままに聴く時間もなく、やっと!シルズのDVDを観ました。(聴いてもいないのに翻訳始めちゃって、どうなってるんだか…)

で、これがまあ、素晴らしい!ベルカント炸裂!!!ちょっとヴェルディを思わせる力強い音楽に、きらめくコロラトゥーラ、もうガンガン盛り上がって興奮のるつぼ。この重唱の激しさは何??シルズも強靭な喉を駆使して高音かっ飛ばしてます。ジャケット写真の化粧がコワイのですが、映像で見る限り、全然きつくありません。シルズっていうと、悲しい歌でもニコニコしながら歌う人、みたいな勝手なイメージがあったのですが、この映像では、「エリザベス一世とは、このような人物である」という演技を造形していて、スゴイ。私なんか「エリザベス一世がどんな仕草をするか」って言われても何もイメージできませんが、例えば日本人が何百年も前の秀吉だの家康だのの仕草を何となくイメージできるように、エリザベス一世の立ち居振る舞いにも、自ずと共有イメージがあるのでしょう。あちらの国々には。エリザベス一世が登場する演劇やテレビドラマなんかも一杯あるのでしょうし。

詞章を読んだ私のイメージでは、ノッティンガム侯爵はもっと若い(ロベルトと同年代くらいの)人なのかと思っていたのですが、この映像ではかなり老けた感じ。

登場人物それぞれに見せ場がありますが、やっぱり女王の出ている場面が楽しい。歌唱面だけでなく、演劇的な見せ場が一杯あるんですね。激しい激しい。すっごい好きだなぁ、この作品。

予習の一環として、詞章の日本語訳をしてみているわけなのですが、難しいですねぇ。始めのうちはスラスラーッと出来たのですが、「何となく分かる」というのと「一通り訳す」というのは全然違うんですね。分からないところがあると完全に止まってしまう。リブレットの英語訳を主に見ながら訳しているのですが、伊語→英語→日本語と、伝言ゲームのように別物になってしまっていて、翻訳を生業にしている方が読んだら激怒されてしまうかも…。対訳つきのCDが出ていれば何の問題もないのに、何で出ないのでしょうねぇ。需要が少ないのかなぁ…。傑作だと思いますけどねぇ。

さて、旅行前に全部聴けるかな…。

魅惑のベルカントオペラ・ツアー

9月下旬に海外旅行を計画しているワタクシ。全てをお任せしている旅行代理店のご尽力で、どうやら希望どおりの公演を観られるみたいです。

2006年ヨーロッパ9日間 魅惑のベルカントオペラ・ツアー(勝手に命名)

●23日ウィーン国立歌劇場《シチリア島の夕べの祈り》ヌッチ・カサノヴァ・スカンディウッツィ

●24日ウィーン国立歌劇場《ロベルト・デヴリュー》グルベローヴァ・フロンターリ・ガナッシ・カレヤ

●25日パリ・オペラ座・バスティーユ《ルチア》デセイ

●26日パリ・オペラ座・ガルニエ「パリ・オペラ座管」

●27日パリ・オペラ座・ガルニエ《椿姫》(バレエ)

●28日ベルリン・ドイツ・オペラ《夢遊病の女》マシス・フローレス

●29日ベルリン州立歌劇場《マリア・ストゥアルダ》

●30日~1日ひたすら帰国の途

うーん、本当に夢のような演目ぞろい。「女王三部作」が2つも観られる奇跡!信じられん!

私は海外旅行経験は過去4回、そのうちオペラが主眼の旅は3回、一人旅だったのは1回。いま思えば、オペラ主眼の旅に同行してくれる友人がいたのは奇跡的なことでした。今回は2回目の一人旅。強力な方向オンチの上に粗忽者、引っ込み思案、語学力ナシのこのふくきちが海外へ一人旅というのは、正直なところ相当プレッシャーでして、何だか今から緊張しているくらいなのですが、もう、こんな演目が揃ったら仕方がない!ああ誰か全く同じ旅程を組んでいるベルカント好きな日本人はいないか知らん。いらしたらぜひ友達になってください。まあ、きっと行った先には日本人は大勢いるでしょうけれど…。いざとなったら助けてくれるかな…。予習も進んでいないしさ…。いやいや、世界4大歌劇場でオペラを観ることは、ふくきち一生の夢なので、気合入れて頑張ります!!

9月歌舞伎座・夜の部

2006年9月9日 歌舞伎座

今日は夜の部を観てきました。吉・福の『籠釣瓶』は、前回の松竹座で2回観たときも、今回の公演も、1階席でしか観ていないので、今日は3階席からにしました。上から観る福助さんの海老反りはまた格別。見染めも、劇場中に圧倒的なオーラが満ちているのが分かって感激しました。

昔だったら絶対にそういうことはしなかったのですが、『鬼揃紅葉狩』は観ないで帰ってきてしまいました。ワシも年を取ったのう…。

2006年9月 8日 (金)

字幕装置

国立能楽堂で、各座席の背中に字幕装置がつきます。日本初だそうです。国立劇場の文楽公演では、舞台脇に字幕が投影されるようになりましたし、時代は移り変わっていきますねぇ。

http://www.ntj.jac.go.jp/topics/news060901.html

9月歌舞伎座あれこれ3

●『菊畑』の巻

『菊畑』で、鬼一法眼は「虎の巻」を所持していますが、清盛から「虎の巻を差し出せ」と言われており、仮病を使って引き渡しを先送りにしています。でも、もうごまかせないところまできていて、何とか虎の巻を牛若丸に渡したいと思っている。牛若丸とは現在、敵と味方に分かれた間柄ですから、虎の巻を渡すことは今の主人・清盛に対する裏切りになるので、自分はもう死ぬ気でいるわけです。実際、通常は上演されない次の場面で、鬼一法眼は切腹してしまいます。(鬼一法眼は元は源氏の家来筋ですが、平治の戦の後、不本意ながら平家方に仕えているのですね)

花道から鬼一法眼が出てくると、満開の菊。彼がこの世で見る最後の花…、そう思って観ていると、「この花開いてのち、さらに花なし(=一年で最後に咲く花)」なんていうセリフも、いっそう味わい深いですね。

もう死ぬことが決まっていて最後に見る花の色。普通の菊とは違うのです。鬼一法眼を勤める役者には、芸の力でそれを舞台に現していただきたいし、観客にも、それを見る想像力が必要なのではないかと思います。(この場面だけ観せられても、それは無理な気もしますが、何度も観ていると、だんだん分かってくるのではないかと…)

2006年9月 7日 (木)

9月歌舞伎座あれこれ2

●『引窓』の巻

『引窓』のお婆さんが、与兵衛に「絵姿を売ってくれ」と言って差し出すお金は、「永代経〔えいたいきょう〕を読んでもらおうと思って貯めていたお金」なんですね。「永代経」というのは、「故人の供養のため毎年、永久に、決まった時期にお経を上げること」で、お布施を出すとお寺でやってもらえるわけです。(現在も、そういう制度はあります。「永代経は故人の供養のために上げるものではない」と力説しているお寺もあるようですが、少なくともこの物語の中では、そういう設定になっています。)

「死んだ後の世界がどのようなものか」という不安も、今の感覚とは違うものだったのではないでしょうかね。

よく分からないのですが、子供のいる人は自分で永代経をお願いしたりしないと思うのです。それに、ふつう永代経のお布施は、遺族が出すものなのです(たぶん)。自分の永代経のためにお金を貯めていた婆さん、それを我が子を助けるために差し出す婆さん、その金を受け取る継子の与兵衛、それを2階で聞いている実子の長五郎、それぞれの気持ちを考えると、「今の思いには替えられぬ」というセリフでもうボロ泣きしてしまうわけなのでした。

でもそれは、私が「永代経」というものを知っていたからであって、知らないと分からないんですよね。昔はみんな知っていたことでしょうけれど(と言っても、それほど遠い昔ではないと思いますが)。

きっと、イヤホンガイドを借りると、その辺りのことも解説しているのでしょうが、私はイヤホンガイドって使わないのです。以前、「何回か観るなら、そのうちの1回はイヤホンガイドを使ってみようかな」と思って借りたことがあるのですが、これが俳優の声も一緒に聞こえるのですね。せっかく生で聞ける俳優の声を、なぜイヤホンの電気的な音で聞かなければならないの?…というわけで、2度と使いません。

『引窓』を充分に楽しむためには、他にも「放生会〔ほうじょうえ〕」という言葉や、江戸時代の時の数え方(九つ=午前0時ころ)も知っておいた方がいいでしょう。

何かを楽しもうと思ったら、ただ受身でいるだけでなく、自分で調べたりとか、能動的に行動しなければならないこともありますよね。私は本当に無精者なので、面倒くさいと思って怠けてしまうのですが、インターネットでいろいろ見ていると皆さん本当に熱心なので、私もボーッとしていてはイカンなと思うのでありました。

2006年9月 6日 (水)

理想のドン・ジョヴァンニを捜せ!

よそ様のブログで話題になっていたのですが、マッティラ&ホロストフスキーの「お手をどうぞ」の映像が見られるのですね。

http://www.youtube.com/watch?v=7UXhop4w4Lg

これ、メチャ面白いです。ホロストフスキーのイヤラシイ目つきが最高。うん最高。マッティラの演技も素晴らしい。ホロストフスキーのドン・ジョヴァンニ、見てみたいなぁ。

イタリアン・パッションの夕べ

9月6日 紀尾井ホール

今日は、パルマ・オペラ・アンサンブル&マルコ・ベルティ&砂川涼子「イタリアン・パッションの夕べ」に行ってきました。7時開演。B席3,000円。舞台が半分以上見えない…。一番はじっこの席だったので、思いっきり身を乗り出して見てました。

ちらしの曲目に《ノルマ》と書いてあったので、てっきり砂川さんが「清らかな女神よ」を歌うのだと固く信じ込んでいたのですが、歌いませんでした…。パルマ・オペラ・アンサンブルが《ノルマ》序曲を演奏したので、まあ嘘ではなかったのですが、うーむ。

「パルマが誇るレージョ劇場の精鋭たちによって結成された室内楽アンサンブル」だそうですが、やっぱりヴェルディを小編成で演奏すると違和感がありました。なんだか、CIN CINレーベルを聴いているみたいな感じ(よく分からない譬えで恐縮)。小編成なりの面白さもありましたけどね。しかし不思議なことに、《フィガロの結婚》の序曲はわりと普通に聴けました。

そういう訳で、オペラの序曲・前奏曲・間奏曲がたくさん演奏されたので、歌手の曲目は少なめでしたが、楽しい公演でした。砂川さんのミミは本当に素晴らしかった。藤原歌劇団の《ラ・ボエーム》に行こうか、いま迷っているのですが、どうしようかな…。《ルイーズ》の日本初演とどちらを取るか、決められません。もう少し悩むことにします。

マルコ・ベルティは、良いテノールでした。高音フェチのふくきちとしては、「すみません、『誰も寝てはならぬ』の最高音はもう少し伸ばしてください…」って感じだったのですが、いい声を持っていますし、抑揚の付け方もうまいと思います。良いテノールというのは、それほど大勢いるわけではありませんからね。大満足。3,000円じゃ安いです。

2006年9月 5日 (火)

ノイマイヤー振付《椿姫》

ジョン・ノイマイヤー振付《椿姫》の映像を観ました。主演はマリシア・ハイデ。素晴らしい!ノイマイヤー天才!ドラマと技巧の溶け具合が最高に私の好みなのでした。またショパンの音楽の美しいこと(演奏も優れていると思います)。

映画仕立てなので、実際の舞台では出来ないような表現もしています。冒頭は既にマルグリットの死後、オークションの場面から。全編が回想なんですね。その後も随所にオークションの場面が差し挟まれています。歌劇《蝶々夫人》で「ヤンキーは世界のどこへ行っても」の後に歌われる「愛の二重唱」みたいな、《マノン》で「さようなら、私たちの小さなテーブルよ」の後に歌われる「夢の歌」みたいな、「あらかじめ失われた幸福」というのか、いえ「空しさ」とはまた違うのですが、幸せの蜃気楼、みぞおちの辺りがキューっと痛くなるような切なさ、もう最高ですね(って、なに言ってんだか…)。

劇中劇の《マノン・レスコー》との絡ませ方も上手い。こんなの、舞台でも出来るのかな…。うー観たい。舞台ではどうなるのか。9月末に予定している海外旅行で、パリ・オペラ座の《椿姫》も観ようと画策中のふくきちでございました…。

2006年9月 4日 (月)

9月歌舞伎座あれこれ1

●今月の『寺子屋』は、園生の前を福助さん、菅秀才を佳奈さんが勤めていらっしゃいます。役としては母と息子ですが、実際は父と娘なんだよなぁと思って、本当に歌舞伎ってヘンな芝居だとしみじみ感じました。不思議のご対面…。

●幸四郎さんの松王丸は、「でかした源蔵、よく討ったな」のセリフの始めの部分を、小太郎に言っているその言い方がうまいと思いました。

●『籠釣瓶』の見染めって、普段と違う特殊な照明を使ってますよね??

2006年9月 3日 (日)

《ノルマ》の映像

モーストリークラシックの付録DVDに、関西二期会が上演した《ノルマ》の映像が収録されているというので、思わず買ってしまいました。ところが見てみたら、ごく断片的な映像しか収録されておらずガッカリ。アリアまるごと、とはいかないまでも、もう少し長く収録してくれてもいいのに!まあ、おまけDVDですからね…。

9月歌舞伎座・昼夜通し

9月3日 歌舞伎座

今日は昼夜通しで観てきました。昼の部では『引窓』に感動しました。昔は『引窓』の良さが分からなかったんですけどね。平成6年9月の吉之丞襲名披露が『引窓』で、その時も吉・富共演(お早は松江さん)だったのですが、金を投げつけて黒子が取れるなんて、馬鹿馬鹿しい…などと思っていました。でも今回はボロ泣き。設定には理屈に合わない部分もありますが、やはり言葉が美しい、心にしみます。配役も揃っていましたし。

幕切れ近くの「縄先知れぬ窓の引縄、三尺残して切るが古例」というセリフの意味を知りたいのですが、どなたかご存じではありませんか?調べても載っていないんですよね。

夜の部の『籠釣瓶』は、昨日より更に感動しました。いつか吉右衛門さんと福助さんで「吉野川」を観たいです。

2006年9月 2日 (土)

9月歌舞伎座・夜の部

9月2日 歌舞伎座

今日は夜の部を観てきました。その前に、京橋のフレンチ・レストラン、シェ・イノでランチ。子羊のパイ包み焼きマリア・カラス風をいただく。たいへん美味。

今月は何といっても『籠釣瓶花街酔醒』。何はさておき『籠釣瓶花街酔醒』。もう、この辺の感覚は分かる人にしか分からないと思いますが、吉右衛門さんと福助さんが歌舞伎座で『籠釣瓶花街酔醒』を出すといったら、それはマリア・カラスがスカラ座で《ノルマ》を歌うのと同じくらいに特別なことなのです。特別。「神聖な」と形容してもいい、ただ拝んで見させていただく、そのような有り難いものなわけです。感想は言葉になりません。

観劇後は京橋のLA BOHEMEでりんごパイを食す。これまた美味。BGMに「薔薇色の人生」が流れていた。こんな贅沢していていいのかな、と思う。…まあ、いいでしょう、そういう人生なんだから。

2006年9月 1日 (金)

バーンスタインのオペラ

前回「バーンスタインは何故オペラを作曲しなかったのか」と書いてしまいましたが、ちょっと調べてみたら作曲してました。自分が知らないからといって「なし」にしてしまってはいけませんね。反省。《タヒチ島の騒動》という作品を1952年に作曲しているそうです。日本語字幕つきのDVDも発売されています。収録時間45分…。ネットで検索してみると、部分的に日本語訳が紹介されていたりするのですが、結構おもしろい感じ。

同じ人がミュージカルもオペラも作曲しているとなると、「ミュージカルとオペラの違いって何だろう?」なんて考えてしまいますね。

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