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2007年2月

2007年2月25日 (日)

2月文楽 第3部

2月文楽 第3部『妹背山婦女庭訓』

2007年2月25日(日)

●嶋大夫さん&簑助さんの「金殿」は、これまでにも見たことがありますが、今日の舞台は最高でした。神が降りてきたかのようでした。お二人とも大病をされたにもかかわらず、それを乗り越えて、以前にも勝る高い芸格を示され、本当にありがたいと思いました。

●清介さんの三味線も良かったです。血を笛に注ぐあたりの表現力。何か、この世のものじゃない感じでした。

●「疑着の相〔ぎじゃくのそう〕」って、この物語でしか聞かない言葉ですよね?この世に存在しない感情を台本に書いてしまう近松半二もすごいけれど、それを舞台に出現させてしまう芸の力のすごさ(残念ながら、誰が演っても出現するというわけでは勿論ないのです)。ただの嫉妬なんかではない、「疑着の相」という以外に表現する言葉がない、唯一無二の絶対的な(架空の)感情、観客としてそれを追体験する興奮、もう何と表現したらよいのやら。ああ日本人に生まれて良かった。(だって外国人には分かりっこないもの。)

2月歌舞伎座 昼の部

歌舞伎座 昼の部

2007年2月25日(日)

●口上人形って、開演前にやるものかと思い込んでいたのですが、11時からでした。だったら何も腰元まで読み上げなくても…。聞く側としては、長すぎて、かなり気分がダレてました。ひょっとして、途中で声が入れ替わってますか?う~む。あと、古典での露骨なPAは勘弁してほしいんですけどね…。口上人形だけでなく、全体的に拡声しすぎな感じの今月。

●信二郎さん、左團次さん良かったですね。役柄を十全に表現していて。

●大序の顔世御前って、何で裸足(足袋)なんだろう…?

●今さらですけど、大序の色彩感覚は本当に素晴らしい。全体のバランス、役柄に相応しい色の振り分け、主役と脇役の違い。色が語っている。(オペラの現代演出にも見習ってほしいくらい。)

●師直が、「殿中だ」で変にオドオドしないのがいいですね。富十郎さんの声の素晴らしいこと。

●歌舞伎の入れ事(浄瑠璃本文にはないセリフや演出)は、優れたものも多いのですが、私は四段目の入れ事がとても苦手~。九太夫の長いセリフとか、諸士が二列になって相談するところとか、耐えられない…。「ご遺言を忘れたか」でしたっけ?聞いていられない。「ご料簡が若い若い」などのおいしいセリフは捨てがたいですけどね。まあ、幸四郎さんが歌舞伎座で由良之助をやるとなったら、変えるわけにもいかないでしょうけど…。

●幸四郎さんが、目いっぱい演じていて良かったです。

●芦燕さん…、お役目ご苦労に存じます。

2007年2月24日 (土)

《ラクメ》

●マリボール歌劇場の来日公演で《ラクメ》が上演されるので、予習として映像を見てみました。ジョーン・サザランド主演、リチャード・ボニング指揮。

●唐突なストーリー展開。あまり共感できる部分がありません。特にジェラルドは何を考えているのか理解不能。まだ見ぬ人(=ラクメ)に、どうしてそんなに急に憧れてしまうのやら?

●ソプラノがずーっと歌っているオペラかと思ったら、意外とテノールの出番が多いのですね。音域も高め。(マリボール歌劇場が連れてくるチェルソ・アルベロは大丈夫なのかな?)

●有名な「鐘の歌」の内容は、ストーリーと関係あるような、ないような。ラクメとマリカの「花の二重唱」も、え?こんな早い場面で歌われるんですか?前後のストーリーとどういう関係が?って感じ…。ちょっと台本が弱すぎな気が…。

●今回見たシドニーオペラの映像は、それなりに楽しめたのですが、と言って「大感動!」というほどでもありませんでした。でも綺麗な音楽ではありますし、だんだん好きになるかも?

2007年2月22日 (木)

冷たい手を

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《ラ・ボエーム》より

「冷たい手を」

何て冷たい手、 

僕に温めさせてください

探しても見つからないよ

こんなに暗い中では

けれど今夜はちょうど月夜で

ここは一番月に近い場所

ちょっと待って

少し話をしよう

僕が誰で

何をしているか

聞いてほしい

いいでしょう?

私は誰でしょう

誰?

私は詩人です

何をしている?

詩を書いて

こうして生きている!

楽しい貧乏暮らしの中で

愛の歌だけは惜しまず

夢や幻を追い

空に描いた城に住んで

心の億万長者

ときどきやって来ては

この心から宝石を奪っていく

美しい瞳の泥棒

今もふいに入って来て

僕の夢を

大事な夢を全部盗んでしまった

けれど少しも悲しくない

だって、だってこの部屋が

希望に満たされたのだから!

僕の話はおしまい

今度は君の番

どうか教えて、

君が誰なのか

話してくれますね

●ワタクシ、このアリアを聞いて泣くことがあります(たまに)。悲しくないのに泣ける不思議な曲。

●このアリアは、詩人のロドルフォが、自己紹介を兼ねて歌った即興詩です。しかし、全編が詩というわけではありませんね。「ただの会話」と「詩」が混ざっていて、「会話から詩へと飛翔する高揚感」が面白さとなっています。

●このアリアには、「陰」の言葉と「陽」の言葉が交互に出てきます。もちろん、「陰」と言っても深刻なものではありません。でも、これは曲に変化を持たせるために台本作家が意図的に行っていることですから、歌う人も意識する必要はあると思います。

●特に、Ma il furto non m’accora(けれど少しも悲しくない)の部分は、「陰」から「陽」への変わり目をくっきり鮮やかに描くことが重要です。つまり、ロドルフォはミミの気をひくために、「あなたは私の夢を全部盗んでしまった」という「マイナスの事柄」をわざと事前に提示しておいて、ここで「なんちゃって」と言っているわけです。そこがこの詩の命、それがしたくて歌っている。

Ma il furto non m’accoraと歌ったときに、バッ!と雰囲気を一変させられる歌手というのは、ごく一握りしかいません。パヴァロッティは、そういうことが出来る歌手でした。(この部分で、ニコニコ笑い出すんですよね…。)

●《アンドレア・シェニエ》のアリア「ある日、青空を眺めて」も、「陰」と「陽」が交互に出てきます。そういう変化を、表現できる歌手と、表現できない歌手がいる。何が違うのかというと、「そういうことを表現したい」という意志の力があるかないか、そこが違うだけだと思いますけどね。

2007年2月20日 (火)

誰も寝てはならぬ

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《トゥーランドット》より

「誰も寝てはならぬ」

誰も寝てはならぬ…

あなたもそうだ、姫

冷たい部屋から

星を見上げて

愛と希望におののいている

謎はこの心の中

私の名前は誰にも知れない、そう

あなたの唇にそっと告げよう

朝日が光を放つとき

そして口づけが沈黙をとかし

あなたは私のものに

夜よ消え去れ

星よ沈め

夜明けに私は勝つ

●同じ言葉の繰り返しは省略して訳してみました。このアリアに出てくる関係代名詞をちゃんと訳すのは至難の業…。

●全体のストーリーを知らないとワケが分からないアリアでありながら、なぜか「知らなくても楽しめちゃう」魅力がある、不思議な曲ですね。

●(このシリーズ、いつまで続のだろう…。)

私のお父さん

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《ジャンニ・スキッキ》より

「私のお父さん」

あのね、お父さん

私、彼のことが好きなの

ポルタ・ロッサへ行きたいの

指輪を買いに

そう、どうしても行きたいの

もし叶わないなら

ヴェッキオ橋に行って

アルノ川へ身投げよ

苦しくて切なくて

ああ神様、死んでしまいたい

お父さん、お願い

お父さん、お願い

●こんなに短くてシンプルな曲なのに、訳す人によって全然違う詞になってしまう。babbinoを「お父ちゃま」と訳している本もあって驚きました(直訳すると、そうなるらしい…。う~む)。

●私の勝手なイメージ

・アンコールが「ムゼッタのワルツ」=ベルカント歌手

・アンコールが「私のお父さん」=ベルカントじゃない歌手

2007年2月18日 (日)

高橋薫子ソプラノリサイタル

高橋薫子 ソプラノリサイタル

2007年2月18日(日)14時 王子ホール

●前半は日本歌曲とモーツァルトのオペラアリア。私にとっては実はあまり興味がない曲だったりするのですが…。でも、日本歌曲は詞章がはっきりと聞き取れて、味わい深いものでした。やはり、ほかの言語の歌とは違う、特別な良さがありますね。「待ちぼうけ」って、詞も曲も本当にヘンな歌。

●後半はロッシーニとベッリーニ。ロッシーニの「フィレンツェの花売り娘」と《ランスへの旅》のアリアが、特に良かったです。

●河原忠之さんのピアノも、表現力があって良かった。アンコールの「ムゼッタのワルツ」なんて、ワルツの雰囲気が溢れていて。

●アンコールの曲名が張り出されておらず、タイトルが分からなかったのが残念でした。終演後、ロビーに挨拶に出てきたご本人に直接訊いてしまおうかと思ったのですが、さすがに訊けませんでした。不思議な子守唄でした。日本の歌って不思議な歌が多い…。日本人にしか分からないんじゃないかなぁ(?)。

《どろぼうかささぎ》

●私は常々「オペラは予習が大切である」と思っていますが、予習なしで楽しめる作品もたくさんあります。《西部の娘》《トスカ》《イル・トロヴァトーレ》などは、むしろ、事前にあらすじを読んだりしないほうが良いと思います。「この話、一体どうなっちゃうの?!」とハラハラしながら見られるのは最初の1回だけですからね。(これから《西部の娘》を初めてご覧になる方は、ご注意ください!)

●私の場合、「その作品に接する最初の1回は生の舞台であってほしい」という欲求はありません(オペラの場合は)。理想の1回目は「質の高い舞台映像を、良い日本語字幕つきで、予備知識ぬきに」というのがいいかなぁ。(なかなか理想どおりにはいきませんけれど。)

●私にとって、これからの1年はロッシーニ《どろぼうかささぎ》イヤー!なのです。

・4月 南條年章オペラ研究室(ピアノ伴奏演奏会形式) @津田ホール

・8月 ロッシーニ・オペラ・フェスティバル @イタリア・ペーザロ

・来年3月 藤原歌劇団 @東京文化会館

●今回はその魁として、日本語字幕つきの唯一の映像(←おそらく)を見てみました。ケルン・オペラ、指揮はブルーノ・バルトレッティ、演出はミヒャエル・ハンペ。もう最高に素晴らしい!役柄に相応しい声質と容姿を兼ね備えた、優れた歌手が脇役までビシッと揃ったスゴさ。必見です(と言ったって、もう日本語字幕つきのものは入手できませんが…)。

●字幕は武石英夫氏。私は武石さんの字幕がとても苦手(心の底から苦手)なのですが、この映像の字幕はわりと良かったです。しかし「俺の首はちょん切ってくれ」という1行が出てきたときにはズッコケました。あ~あ。

●こういった映像の場合、「長い序曲のあいだに何を映すか」というのは、制作者の腕の振るいどころかと思います。この映像では、あらすじが字幕で紹介されていました。で、普通はストーリーの途中まで紹介したら「あとは見てのお楽しみ」となるものですが、もうね、結末までバーンと出ちゃったわけです。私はボーッと結末まで読んでしまった。だって映ってたら読みますよね、ね?推理小説の最初のページに真犯人の名前が落書きしてあるみたいな、何て馬鹿らしい、もう愚の骨頂、ええ腹の立つ。バカバカ。最初の1回ならではの「ニネッタはどうなってしまうの…?」という楽しみが大きく損なわれてしまったのでした。この映像をこれからご覧になろうという方(あんまりいらっしゃらないと思いますが…)は、お気をつけください。

●意中の女を権力で手に入れようとする、《トスカ》のスカルピア男爵みたいな役が登場してビックリ。ロッシーニのオペラにこんな役が登場するとは…。しかしまあ、こういう人って、身近な噂で聞いたりもするし、実際いるんだろうな…。(おお、いやだ。)

●主人公ニネッタのお父さんフェルナンド、何てカッコイイ役なんだろう!「娘を助けに行くぞ」という内容のアリアは、涙なしには聞けません。これぞ父性愛だと思いますね。《シチリア島の夕べの祈り》のモンフォルテとか《椿姫》のジョルジョなんて、ちっとも父性愛だと思わない、あれってただの自己愛でしょう?人間にそういう感情があるってことは分かりますが、私にとっては単なる引き立て役、別に感動するような内容ではありません。《どろぼうかささぎ》のフェルナンドは本当にいい役。このアリアを歌うためだけにバス歌手に生まれ変わりたいくらい素晴らしい(←ちょっと大げさか)。ブレント・エリスの歌唱も最高でした。

●台本が素晴らしいときのロッシーニは最高に素晴らしい。これからの《どろぼうかささぎ》イヤーが楽しみです。

2007年2月13日 (火)

妙なる調和

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《トスカ》より

「妙なる調和」

密やかな調和

さまざまの美

黒髪のフローリアは

私の熱き恋人

こちらの見知らぬ美人は

豊かな金色の髪

あなたの瞳は青、トスカの瞳は黒

芸術はその神秘で

異なる美を溶け合わせていく

それでも、この人を描きながらも

私の想いは一つ

私の想いは一つ、君だ

トスカ、君だ!

●マリア・カラスは、プッチーニの曲はあまり好きではなかったようですね。「私がベル・カントと認めるのはポンキエッリまで、プッチーニは入りません。」「プッチーニは、芸術を高めるために声楽をおとしめました。」「音域さえ合えば誰でも歌えます。」なんて言っているのを聞いたことがあります。確かに、技巧的には難しくありませんね。特に、「妙なる調和」って、本当に誰でも歌えそうな気がするんですけど…。歌えます?

星は光りぬ

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《トスカ》より

「星は光りぬ」

星が輝いていた

大地は香り、

庭の戸がきしむ

砂を踏む足音

彼女が入ってくる、匂いがする

そして私の腕の中へ

ああ、甘い口づけ、切ない手ざわり

私は震えながら

その美しさをほどいていく

愛の夢は永遠に消え去った

時は流れ

絶望して死んでいく

絶望して死んでいく

これほど命を愛おしんだことはない

●このアリアは、時空をすっ飛んでいって、また戻ってくるという、映画の回想シーンみたいな面白い歌です。いま夜空を見上げていながら、過去の夜空へトリップしてしまう。(トリップできる歌手と、トリップできない歌手がいますが…。)

●最近は「星はきらめき」というタイトルで表示されることが多いようですけれど、「星は光りぬ」の方が断然優れていると私は思います。

理由

・「きらめき」には時制がない。

・「きらめき」は、「陰」と「陽」に分ければ「陽」に分類される言葉で、この状況にそぐわない。

・「星はきらめき」は、アリアのタイトルとしてのユニークさに欠ける。

●このアリアは、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚と、五感を刺激していく詞になっていますね。そういうことを感じながら歌わなくてはいけませんね。

●以前にも書きましたが、1967年1月27日の《トスカ》の録音(パルマでのライヴ)は、コレッリのカヴァラドッシが最高ですから、是非ともお聞きください。お願いですから聞いてください。

2007年2月11日 (日)

ヴェッセリーナ・カサロヴァ

ヴェッセリーナ・カサロヴァ リサイタル2007

2007年2月11日(日)14時 サントリーホール

●カサロヴァって、歌い方に癖があって、私は「大好き」というほどではありません。極端に間を置いたり、音符と音符を切り離しすぎたり、急激に強弱をつけたりしますものね。演歌歌手が、自分の持ち歌を何年も歌っているうちに、だんだんと変形させていってしまうのに似た「歌い崩し」がある。そういうのが好きな人もいるでしょうけど…。(もちろんカサロヴァ本人は好きでやってるわけですしね。)

●てっきり字幕つきの公演だと思っていたのですが、ありませんでした。じゃあプログラムを買おうかと見本をめくると、簡単なストーリー紹介だけで、対訳は載っていません。しまった…、何も予習していないし、ヘンデル《アリオダンテ》とグノー《サフォー》は全く分からない。私は、詞章が分からないと楽しめないタイプなので、もうガッカリ。

●不安を抱きながら始まったリサイタル。カサロヴァは、板チョコの包み紙みたいな焦げ茶色のドレスでした。

●演奏は東フィルで、若手中心のメンバー。何と、古楽スタイルの演奏だったので驚きました。そんな一面も持っていたのですね…。でも、ピリオドは前半だけで、後半はモダンでした(それもまたスゴイ)。楽器のことは何も分かりませんが、実に素晴らしい演奏だったと思います。

●自分でも意外なことに、全く歌詞を知らない《アリオダンテ》にすっかりハマってしまいました。カサロヴァも、極端な癖を出したりせず、節度を保って丁寧に歌っていました。表情やジェスチャーに表現力があるので、視覚的に補われていた面もありますね。ああ私でも、初めて聞くアリアに、こんなに感動できちゃったりするんだなぁ…と嬉しかった。そのあと、私にも多少は馴染みのある《セミラーミデ》のアリアが始まって、興奮も最高潮!!《セミラーミデ》は、去年映像を見て大好きになりまして、「いま生で見たいオペラNo.1」なんです。なかなか聞くことのできないアリアを、素晴らしい歌唱で聞くことができて、大満足でした。

●しかし、後半の「今の歌声は」になったらカサロヴァ節が炸裂して、アクの強い歌唱になり、気分も冷めてしまいました。細かいヴィヴラートや強いブレス音なんかも気になりだしたりして。

●アンコールは《恋とはどんなものかしら》と《恋は野の鳥》の2曲。《恋は野の鳥》は、ルバートが極端すぎてオケとズレる場面が散見されましたが、まあ、派手に終わって良かった。

●とにかく今日は前半が最高でした。少し声量を抑え気味な気がしましたけれど、私は10列目でしたので問題ありませんでした。2004年の来日リサイタルより断然良かったと思います。年齢的にも、いまが一番充実しているのではないでしょうか。

2007年2月10日 (土)

2月歌舞伎座・夜の部 2

歌舞伎座 夜の部

2007年2月10日(土)

●今日は3階席で観劇。定九郎が死ぬ場所あたりに、グレーの線が引いてあったのですが、何なのでしょうね?

●こんなに素晴らしい七段目が見られる有り難さ。でも3階席からは、花道のお軽が全く見えないのでした。残念…。

2月文楽・第1部

2月文楽 第1部『奥州安達原』

2007年2月10日(土)11時 国立劇場小劇場

●国立劇場の前庭の梅が満開でした。実にいい香り。劇場近くの平河天満宮の梅は、まだ咲き始めなのに…。国立劇場の数本の梅のうち、2本は太宰府天満宮から贈られたもの。今から10年前、国立劇場開場30周年の記念に、玉男師匠が菅丞相の人形で植樹したんですよね。平成の飛梅なのです。

●国立劇場の小劇場は、間口や音響が文楽に最適で好きなんですけれども、エレベーターの案内表示がセロテープで貼ってあってゲンナリでした。トイレの表示が剥がれていたり、その場で気絶しそうなほど表示類が美しくない。もう勘弁してほしい。(こういうことを感じるのって、私だけなのでしょうかね。)

●さて、第1部は『奥州安達原』。歌舞伎では3公演ほど見ていますが、文楽でこの演目を見るのは初めてでした。歌舞伎では普通カットされるところが上演されます。その部分が逆に分からない…。まあ、全部を分からなくても楽しめるんですけどね。貞任と宗任が同じ動きをするところが特に面白かったです。

●プログラムのすじがき→「奥州平定後源義家は、鎌倉鶴ヶ岡で十羽の鶴の首に金札を掛けて放つが、未だ朝敵安部貞任・宗任兄弟の探索中である。」、この訳の分からなさに痺れました…。

●新大夫さんが良かったです。

2007年2月 8日 (木)

訂正

すみません、「注入したマカロニ、ロッシーニ風」に使われるソースは、「スペシャルソース」ではなく「ベシャメルソース」でした(←どうやったら読み間違えるんだか…)。

ベシャメルソースって何?と思ったら、ホワイトソースのことらしい…。

日本では扱っている店がないらしいのですが、何とか、どこかのメニューにのらないものか…。

2007年2月 7日 (水)

歌に生き、恋に生き

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《トスカ》より

「歌に生き、恋に生き」

歌に生き、恋に生き

悪いことなどしませんでした

貧しい人には、人知れず

施しをしてきました

いつも、心からの祈りを捧げ

祭壇には花を欠かしません

この苦しみのときに

なぜ、なぜ主よ

なぜこのような報いを私に

聖母像に宝石を

夜空に歌を捧げれば

星たちは微笑んでくれました

この苦しみのときに

なぜ、なぜ主よ

なぜこのような報いを私に

2007年2月 6日 (火)

《セビリアの理髪師》

ロッシーニ《セビリアの理髪師》ピアノ伴奏ハイライト上演

2007年2月6日(火)すみだトリフォニーホール小ホール

●オペラ上演の前に、日本ロッシーニ協会副会長・水谷彰良さんのお話がありました。テーマは「ロッシーニと美食」。ロッシーニの創作料理を食べてみたくなりました。フォアグラ、トリュフ、ヨークシャー・ハムを挽いて、スペシャルソースとあえて、マカロニに注入。「注入したマカロニ、ロッシーニ風」、いいなあ。

●これまでの行きがかり上、このブログには書かないわけにいかないのですが、アルマヴィーヴァ伯爵のアリア「もう逆らうのはやめろ」は今日は歌われませんでした。ハイライト上演ですから、さすがに私もそこまでは要求しませんけど…。けど…。

●簡素ながら舞台装置もあり、衣裳も綺麗でした。メイクも良かった。特にドン・バジーリオがお洒落な感じだったのが良。それから、ハイライト上演とはいえ、オペラ1演目を1人で演奏したピアニストは本当にスゴイ。

●アルマヴィーヴァ伯爵役の小山〔おやま〕陽二郎さんと、ドン・バジーリオ役の久保田真澄さんがもう面白くて面白くて。デフォルメの仕方がちょっと漫画っぽい感じがしましたが、私はそういうの好きなんです。作りこんである演技。オペラの演技って、この音符が来た時にこの演技、この音符が来たらこれ、この音符が来たら…というように、タイミングが決まっていると思うのですが、上手い人は、その周期が細かいんですよね。

●小山さん、次回はカヴァラドッシを歌うそうですが(7・8月)、イメージ湧きませんね…(チケット買いましたけど)。ああ、4月28日の《愛の妙薬》@テアトロジーリオ ショウワのチケットを取れなかったのが残念…。

2007年2月 5日 (月)

ある晴れた日に

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《蝶々夫人》より

「ある晴れた日に」

ある晴れた日に

ひと筋の煙があがる

水平線の彼方

やがて船が見えるの

その白い船は

港へ入り、礼砲を鳴らす

見える?来たのよ!

私は行かないの、いいえ

丘の上で待つの、待つの

何ともないの、

長く待っても

そして人々の中から

抜け出る一人の小さな影

丘に向かって来るわ

誰でしょう?誰でしょう?

ここに着いたとき

何て言う?何て言う?

蝶々と呼ぶわ遠くから

私は応えずに

隠れているの

少しふざけて

ほんとは死んでしまわぬように

顔を見たとたんに

あの人は心配して

呼ぶわ、呼ぶわ

「小さい奥さん、美女桜の君」

あの人がつけた名前を

全部この通りになるわ、約束する

お前が泣いても、私は信じてあの人を待つわ

●このアリアは、遠くのものが形を変えながら近づいてくる、ヴィジュアル的な面白さがありますよね。海が、船が、ピンカートンが、蝶々さんには本当に見えているかのように、観客がそう思えるように、目いっぱい没入して歌っていただきたいアリアです。

picciol punto って、「ピンカートン」と韻を踏んでますよね…?

2007年2月 3日 (土)

2月歌舞伎座・夜の部

2月歌舞伎座・夜の部

2007年2月3日(土)

●いやあ、大歌舞伎ですねぇ。床もいいですしねぇ。

●吉之丞さんのおかやが素晴らしかったです。同じ吉右衛門劇団育ちだからか、ちょっと6歌右衛門に似ている気がしました。お軽が行ってしまったあと、勘平に話しかける前の思い入れ。与市兵衛が死んでいたと聞いたときの驚き。もう最高。こんな婆さん、今後も見られるのかな。

●七段目、役者が揃っていて実に面白かった!平右衛門は、ちゃんと花道から出てきました。

●東蔵さんと玉雪さんの江戸っ子ぶりが浮いていた…。

●出から死ぬまで一度も拍手の起こらぬ定九郎、それから七段目の独吟、十一段目の立廻りは、非常に残念な出来でした。十一段目は、台本にも感心しませんね…。師直の登場手順の不自然さ。

2007年2月 1日 (木)

あなたはどちら?

●今回は、いつにも増して怪しい知識をご披露したりして…(専門家からお叱りを受けるかも…)。

●ソプラノのアリアの最高音って、だいたい母音がaですよね?ところがテノールの最高音は、母音がeだったりoだったり、いろいろです。ソプラノの最高音は、たいてい叫び声として…と書くと語弊がありますが、詞章を離れて、母音歌唱の流れの中で登場する。言葉と関係ないんですよね。一方テノールの最高音は、たいてい詞章の一部として登場するので、母音がいろいろになる。

●「最高音の母音がe」のアリアというと、「冷たい手を《ラ・ボエーム》」「誰も寝てはならぬ《トゥーランドット》」「女心の歌《リゴレット》」「愛しい乙女よ、あなたに愛を《清教徒》」「ああ、誓って見つけよう《ラ・チェネレントラ》」など結構たくさんあるのですが、最初に聞いたときは不思議に感じました。例えば「ラスペランツァ」という単語の「ペ」に最高音を当てる感覚が不思議。(そう思いませんか?私だけ?)

●何の本で読んだのか忘れてしまいましたが、人の声には「ア喉〔アのど〕」の人と「イ喉〔イのど〕」の人と2種類あり、「ア喉」の人は「ア・ウ・オの母音が歌いやすく、イ・エが歌いにくい」、逆に「イ喉」の人は「イ・エが歌いやすく、ア・ウ・オが歌いにくい」のだそうです(←すごい曖昧な記憶ですが…)。

●自分で歌ってみると分かると思いますけれど、苦手な母音では高い音が出しづらく、細かい音符を追いかけるのも難しくなります。(私は「ア喉」なので、ieの母音は歌いづらいんです。)

●「細かい音符を追いかける技術」は、得意の母音でずっと転がし続けるのは比較的簡単であって、やっぱり一番難しいのは「歌っているあいだに母音がコロコロ変化する」というものだと思いますね。だから私は「一番難しいのはロッシーニ」だと思っています。

●たぶん、フランシスコ・アライサはア喉の人だと思うんですけど、最高音の母音がeのときに、言葉の(と言うより文字の)位置を変えて、aで歌ったりしてます。

●で、「ア喉の人のためのヴァリエーション」なんか、どこかに伝統として存在するのではないかと睨んでいるのですが…(特にロッシーニの場合)。

●「冷たい手を」で、「ラスランツァ」ではなく「ラスペンツァ」って歌っているのも聞いたことがあるような…(マイ・コレクションの全てを聞きなおして確認する気力なし)。

●そういうわけで、コロラトゥーラのレッスンをするときは、自分の苦手な母音で行いましょう。

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