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2007年5月

2007年5月30日 (水)

コスタス・パスカリス

●自分でも信じがたいのですが、コスタス・パスカリスの「悪魔め、鬼め」を聞き直していたら、泣いてしまいました。胸をえぐられるよう。これだけ声で演技ができるオペラ歌手は稀少だと思います。

●パスカリスの《リゴレット》ライヴ録音は、1966年11月19日フィレンツェ、指揮はジュリーニ、共演はパヴァロッティとスコット。パヴァロッティが目当てで買って「女心の歌」しか聞いていなかったので、今回改めて全曲聞いてみたのですが、大変に素晴らしい。名盤である。第2幕のマントヴァ公爵のカバレッタがカットされていたり、ちょっとナニな部分もありますが、とにかくパスカリスが最高。パスカリス万歳。

●リゴレットって、第1幕でモンテローネに向かって「娘をさらわれたくらいで云々」とか言っていて、嫌なヤツ、自業自得、などと思ってきたのですが、いやしかし、心の中のマイナスの感情を自分ではどうしても消し去れないことってあるのではないだろうか、特にリゴレットのような、特別なポジションにいる人にとっては…。パスカリスのリゴレットを聞きながら、そう思って、泣いた。みなさんも、機会があったなら、ぜひ聞いてみてください。(注:指揮はジュリーニなので、当然、ちょ~スローテンポです。)

2007年5月29日 (火)

「悪魔め、鬼め」聞き比べ

●CDを引っ張り出してきて、アリアの聞き比べをすることって、ありますよね?「悪魔め、鬼め」の聞き比べをしてみました。《リゴレット》は、大好きというほどの作品ではないのですが、それでも6種類ほど持っていました。

■ピエロ・カンポロンギ 指揮:ウンベルト・ムニャーイ 1952/1/17メキシコ(ライヴ)

■コーネル・マクニール 指揮:ニーノ・サンゾーニョ 1962?(スタジオ)

■コスタス・パスカリス 指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ 1966/11/19フィレンツェ(ライヴ)

■ピエロ・カップッチッリ 指揮:マリオ・ロッシ 1967/12/12トリノ(ライヴ)

■イングヴァール・ヴィクセル 指揮:リッカルド・シャイー 1981/12(スタジオ・映像)

■レオ・ヌッチ 指揮:アンジェロ・カンポーリ 1987/2パルマ(ライヴ・映像)

6人の中で、私が満足したのはパスカリスだけ。リゴレット歌いとして評価の高いカップッチッリは、表現が単調な感じがして、私には面白くありませんでした。レオ・ヌッチは大変に立派なのですが、どうも感情移入できません。カンポロンギのメキシコ・ライヴは、「こんなにいい加減でも昔は許されてたのね」っていう、グズグズの歌唱で驚きます。あとのは、特に感想も思い浮かばないほど印象が薄い…。

●パスカリスは、低音がきついですが、名唱だと思います。ジュリーニの指揮も絶品。しかし、6つ聞いて1つしか満足しないなんて、私も好き嫌いが激しいなぁ…と自分で思います。でも仕方ありません。何を好きになるか、考えて決めているわけではないので。

●もう1つ、マリア・カラスがジュリアード音楽院で教鞭をとった時の録音「カラスのマスタークラス」で、「悪魔め、鬼め」が収録されています。これは、たくさんあるカラスのマスタークラスの録音の中でも、特に面白い授業だったのではないかと思います。生徒に合わせて、断片的にではありますが、カラスが「悪魔め、鬼め」を歌ってるんです!「マルッロ」っていう呼びかけのすごさ。生徒には全然真似できない。カラスは、「このアリアを歌うときは野獣のようになるべき」と言っています。「廷臣達を殺してやりたいと思いながら、自分の娘を取り戻すためにその相手に懇願しなければならない自分を憎んでいるわけですから、彼は獰猛になっているはずなのです。」

●このアリアは、ただ綺麗に歌っても面白くない、演劇性の強い曲だと思います。曲調がさまざまに変化して、歌手の演技力が問われますね。声とオーケストラの絡み方も絶妙。でも、コンサートでこのアリアだけ取り出して歌ったりするのは、ちょっとナニかも…。

今後の予定

●今後予定されている来日オペラ、パレルモ・マッシモ、ドレスデン、ベルリン、チューリッヒ、マリインスキー、プラハ、パリ・オペラ座、私は行きません。チケット代に見合うだけ感動できる自信がないんです。貧乏人ですし…。私は「少しでも舞台の近くで見たい」というタイプなので、「安くて遠い席」も食指が動きません。スポレートとプラハはチケット代もリーズナブルで、絶対に楽しめると思うので、行きます。

●しかし、≪ホヴァーンシチナ≫S席5万円とか、≪モーセとアロン≫4万9千円とか、≪アリアーヌと青ひげ≫5万8千円とか、びっくりしてしまいますね。その作品のことを、日本のオペラ・ファンが、どの程度知っているのでしょうか。主催者が、「この作品は、それだけの金額を払う価値がありますよ」っていう啓蒙、啓蒙っていうとアレですけども、宣伝?してます?でも、興行が成り立つんですから、日本はお金持ちがたくさんいるんですね…。

●来年のグルベローヴァ主演≪ロベルト・デヴェリュー≫は、ちゃんとお客さん入るのかな?この作品を知っている人って、あんまりいないでしょうし。グルベローヴァが出ればOKなのでしょうか。偉大なりグルベローヴァ。

●来日ラッシュのチケット売れ行き状況を見てみると、売り切れ公演はほとんどありませんね…。日本のオペラ・ファン人口って、どのくらいいるものなのでしょうね。クラシック・ファンよりも更に少ないわけでしょう。どんな小さなCD屋にもクラシック・コーナーはありますが、オペラ・コーナーはよほどデカイ店でないとありませんし。

●私ちょっとショックなんですけども、デセイの来日リサイタルがまだ全然売り切れになっていないんですね。予定曲目も申し分ないのに、残念です。私は3公演とも行きます。何とか、デセイの素晴らしさを多くの人に伝える方法はないものか…。

2007年5月28日 (月)

蝶々夫人は人種差別的

うまくリンクできるかな…。↓こんな記事がありました。

■「蝶々夫人は人種差別的」、オペラ専門家が批判

http://www.afpbb.com/article/1337830

どのあたりの表現が差別なのか、具体的に書かれていないので分からないんですけれども、私には全然理解できないんですよね~。この作品で差別されているのは、絶対にアメリカ人だと思うんです。すごく馬鹿にしてます。「『ヤンキーは世界中どこへ行っても』はアメリカに対する侮辱だから《蝶々夫人》は上演するな」って、もしアメリカ人が言い出したら、それは確かに問題かもしれないけれど…。

「ゴッド・ファーザー」ぶっ通し!

●渋谷Bunkamuraのル・シネマで、「ゴッド・ファーザー」3作品の一挙上映があるというので、チケットを取ってみました(1度も見たことないんです)。1日通し券、朝10時30分から夜9時すぎまで(!)。体力的に大丈夫なんだろうかと心配ですが、通し券も結構売れているみたいで、同士がいるんだから大丈夫でしょう、きっと。

●オペラも、感動できればいいんですけれども、感動できなかったら何も残らないですし、ギャンブルみたいなものだよなぁと思うんですね。ある程度は予想して行くわけですが、ハズレも多い。映画だったら値段が安いのでハズレても許せるような気が。最近、全然映画を見ていない…。当然見ておくべき名画でも、見ていない作品がいっぱいあります。今後は、もう少し映画も見るようにしようかな。

2007年5月27日 (日)

《リゴレット》藤原歌劇団2

ヴェルディ《リゴレット》藤原歌劇団

2007年5月27日(日)15時 東京文化会館

リゴレット:アルベルト・ガザーレ

マントヴァ公爵:エマヌエーレ・ダグアンノ

ジルダ:高橋薫子〔のぶこ〕

スパラフチーレ:彭 康亮

マッダレーナ:森山京子

指揮:リッカルド・フリッツァ

東京フィルハーモニー交響楽団

演出:ニコラ・ジョエル

●高橋薫子さんのジルダが素晴らしかった…。本当に健気で、天使みたいな子だねぇと思いました。こんな心の綺麗な子には天国から迎えが来るに違いないよ…と思ったら、弦のトレモロに乗って光の階段が降りて来るのが見えました私には。ええ。

●オーケストラが、本当に昨日と同じメンバーなの?というくらい良くって、第1幕でリゴレットが家に帰ってきた時の気の変わり方とか、娘がさらわれたと気づくまでの緊迫した雰囲気とか、興奮しました。「慕わしい人の名は」の冒頭のフルートや、「悪魔め、鬼め」の出だしの弦のうねり&終盤のチェロの音なんかも素晴らしかったです。あと、歌手の最後の決めどころの音に、途中から急激に音をかぶせていく具合なんぞ、もう最高。イタオペ野郎の血が騒ぐ!本当に昨日と同じメンバーなの?

●アルベルト・ガザーレのリゴレットも良かったです。「悪魔め、鬼め」の中の曲調の変化を、よく表現していたと思います。

●エマヌエーレ・ダクアンノは、スチール写真より二枚目でした。歌はイマイチでした。でも軽薄な感じは出ていました。

●モンテローネ伯爵は、マントヴァ公爵とリゴレットと2人に呪いをかけたわけですが、片方にしか効かないんですね。どちらかというと、マントヴァ公爵の方を憎んでいたはずなんですけども。リゴレットは、モンテローネの呪いをずっと恐れていて、幕切れにも「伯爵の呪いだ!」とかって呪いのせいにしていますが、そうじゃないと思う。自分の心の中の人を憎む気持ち、マイナスの感情がマイナスの結果を呼び寄せたってことなのではないでしょうか。今日はジルダの「許してあげてください」という歌を聞いていて、私の心の中まで洗われるような気分でした。

●昨日のBキャストを見たときは、全然面白いと思えなくて、それは私がこの作品をあまり好きではないからだと思ったのですが、今日見たら大興奮で、舞台って難しいものだなぁと思いました。私もいろいろ好みがうるさいですからね…。

2007年5月26日 (土)

《リゴレット》藤原歌劇団

ヴェルディ《リゴレット》藤原歌劇団

2007年5月26日(土)15時 東京文化会館

リゴレット:堀内康雄

マントヴァ公爵:平尾憲嗣

ジルダ:佐藤美枝子

スパラフチーレ:南 完

マッダレーナ:鳥木弥生

指揮:リッカルド・フリッツァ

東京フィルハーモニー交響楽団

演出:ニコラ・ジョエル

●《リゴレット》を生で見るのは本当に久しぶりでした。もっとも、DVDやCDを買い漁ったりするわけでもないので、それほど好きな演目ではないんですね。あんまり共感できる登場人物もいないですし。まあ、「共感」が楽しみの全てではありませんけど…。ジルダは健気でいいんですが、死ぬならその前にアリア一曲歌えよ!などと思ってしまいます。

●場面が変わるたびに装置の転換があるのですが、転換しても変わり映えがしなくて、面白味に欠けました。(照明も)

●モンテローネの「呪われよ」という言葉は、他の部分と決定的に違う調子で歌われなくてはいけません。

●「女心の歌」のなかには、「羽根が風に舞うさまを声で表現する」という部分があると思うんですが(2・3回目のMuta d’accento E di pensier)、平尾さんは、そういうことを表現しようという気が全くないようでした。

2007年5月25日 (金)

《ロベルト・デヴェリュー》あれこれ

■どうも、ロベルト・デヴェリュー普及委員会・委員長のふくきちです(ウソ)。来年、グルベローヴァが≪ロベルト・デヴェリュー≫を持って来日するということなので、これから盛り上がっていけばいいなと思っております。

●エリザベッタの最後のアリアは非常に長大で、曲趣がさまざまに変化します。Vivi, ingratoの部分は、「恋を失う女の弱さ」と「女王の威厳」とを交互に描くのが眼目。ロベルトの死の知らせを挟んでQuel sangueからは、通常のアリアの形式であれば、細かい音符で歌手の技巧を聞かせる「カバレッタ」に相当する部分ですが、全然細かくないんですよね。コロラトゥーラの超絶技巧を期待すると、ちょっと肩透かしを食らってしまいます。ここには、別の種類の楽しみがあると思うんです。(コロラトゥーラの技巧は第1幕に見せ場があります。)

●最後のアリアの後半で歌われる内容は、喜怒哀楽や愛憎など人間の普遍的な感情ではなく、非常にユニークな、他では見られないものです。「女王」という、ただでさえ特別な立場にいる人が、更に「狂乱」して見る幻。具体的な言葉を使いながら非現実的、ある種、絵画のような面白さがあります。

●「狂乱の場」は一般的に、「あなたと私」というような閉じた世界の中で歌われることが多いですけれども、エリザベッタの狂乱は独特で、対話形式ではありません。視点のぶっ飛び方にスケールの大きさを感じます。歌われる内容はグロテスクとも言えるもので、観客の共感を呼ぶようなものではなく、「まだ見たことのない異次元」が展開される感じ。そういうのも演劇の楽しみの1つですね。ですから、このアリアを楽しむには、歌詞の内容をよく把握していることが大事だと思います。

●オペラには、人によって、いろいろな楽しみ方がありますね。私の知り合いで、オペラ公演に字幕は必要ない、あると邪魔だって言う人がいます。そういう人は、純粋に音楽として楽しんでいるんだと思うんです。私は逆に、意味が分からないと楽しめないタイプ。あらすじを読んだくらいでは駄目で、べつに1語1語分からなくてもいいんですが、この部分でこの内容が歌われているって、知りたいんです。エリザベッタのアリアなんかは、意味が分からないと、あんまり面白くないのではないかと思います。

2007年5月24日 (木)

《ロベルト・デヴェリュー》サン・カルロ劇場

オペラ・映像の感想

ドニゼッティ《ロベルト・デヴェリュー》サン・カルロ劇場(ナポリ)

エリザベッタ:レクサンドリーナ・ペンダチャンスカ

デヴェリュー:ジュゼッペ・サッバティーニ

侯爵:ロベルト・セルヴィレ

侯爵夫人:イルディコ・コムロジ

指揮:アラン・ギンガル

演出:アルベルト・ファッシーニ

●ペンダチャンスカが体当たり演技!メイクも仕草も凝ってます。嬉しい~。最初、ちょっとヴィブラートが強くて線が細いかな…と思ったのですが、最後のアリアが素晴らしくて、釘付けになりました。幕切れが秀逸。

●第3幕の夫婦対決、そしてロベルトのアリアが盛り上がってます。何だか、みんな第3幕に一番ちからを注いでるみたい…。

●自分では、あまりオーケストラの出来にはこだわらない方だと思っていたのですが、最近「そうでもないのかも」と感じることが多い…。この映像のオケは私の好みではありませんでした。緩急、強弱に変化が足りない気がします。

●この作品は、いま日本語字幕つきで見られるのはバイエルンの映像だけだと思いますが(グルベローヴァ主演)、これが読み替えというやつで、設定が現代になっているんですね。女王ではなく、女社長なんです。しかしこの作品は、「エリザベス一世を素材にして詩を書いた」というものなので、女王でなかったら意味がないと思うんです。女王が「私の涙は誰にも見せられない」と言えば詩になるけれど、女社長だったら「好きに泣けばいいのに…」って感じがしてしまいます。ファースト・チョイスとしては厳しいですね…。

●ペンダチャンスカのエリザベッタの演技、こういう演技法って、他のオペラではあまり見かけないですね。なりきりエリザベッタ。楽しい。

●カーテンコールの順番は、エリザベッタ役のペンダチャンスカが最後から2番目、ロベルト役のサッバティーニが最後でした。どう見てもエリザベッタが主役なのに…。この作品、なんでタイトルが《ロベルト・デヴェリュー》なんだろう…。

2007年5月22日 (火)

私の名はミミ

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《ラ・ボエーム》より

「私の名はミミ」

ええ、みんな私をミミと呼ぶの

でも本当の名はルチア

私の話は簡単

刺繍をして暮らしています

穏やかに静かに

楽しみはユリやバラを育てること

私の好きなものといえば

甘い魅力を持ち

愛や、春や、

夢や、幻を語ってくれるもの

それを詩と言うのでしょう

分かるかしら?

みんな私をミミと呼ぶの

なぜか知らないけれど

ひとりで食事をしています

ミサには行かない、

でもお祈りは欠かしません

ひとりで生きているの

向こうの小さな部屋で

よく眺めているわ

屋根を、そして空を

でも雪解けになれば

最初の太陽は私のもの

四月の太陽のファースト・キスは私のもの

ファースト・キスが私のものなの

鉢のバラが芽を出すと

その葉を見つめます

花の香りは何て優しいの

でも私の刺繍の花は

悲しいけれど香りがないの

話はこれでおしまい

こんな時間に迷惑なお隣さん、

そんなところかしら

●このアリアは、「ただの会話の部分」と、「詩に憧れを持つ女性が歌った詩の部分」とが混ざっていて、「会話から詩へと飛翔する高揚感」が眼目となっています。「会話の部分」は本当にロドルフォに話しかけているように。「詩の部分」は、心ここにあらずといった感じで、別世界を描くのがポイントではないでしょうか。つまり、歌の途中で様式が変化しているわけです。

●ライナ・カバイヴァンスカのマスタークラスを聴講したことがあります。カバイヴァンスカが注意すると、生徒の歌が、本当にロドルフォに話しかけているみたいに変化していくのが面白かったです。

2007年5月20日 (日)

見たい

来シーズンのハンブルクバレエで、ジョン・ノイマイヤー振付の《ベニスに死す》が上演されるんですね~。そんな作品があるとは知りませんでした。すごい題材。見てみたい~。一体どんな振付なんだろう。内容を紹介しているサイトもあるみたいですが、いま知るべきか知らざるべきか…。

ノイマイヤーの作品、日本でもっと上演してほしいですよね。難しいのでしょうか。

《試金石》ピッコラ・スカラ

●日本ロッシーニ協会の例会で、《試金石》の全曲版映像を見てきました。1982年にピッコラ・スカラで上演されたもの。ダニエラ・デッシーが出演しているとのことだったので、デッシーのロッシーニって一体どんなふうなんだろうと楽しみにしていたのですが、ソロのアリアはなくて、いかにも脇役…。でも若くて綺麗でした。

●名前も知らない歌手が素晴らしい歌唱で驚きました。でも、こういう珍しい作品を上演するからには、勝算と言いますか、良い歌手が揃っていなければ難しいですものね。

●先日、唯一の日本語時幕付き映像と思われる《試金石》を見たんですけれども、今日見たものとはまるで別の作品のようでした。全曲を3分の1くらいにまとめたものだったのですが、絶対に外せないような重要なアリアがカットされていたり、レチタティーヴォがセリフになっていたり、話も繫がり方が不自然だったり…。「唯一の日本語字幕付き映像」には、その作品の価値を左右するほどの影響力があるのに、残念ですね。新しい映像が出るといいのですが。

●でも、全曲版を見てもやっぱり分からないところが一杯ありました。だいたい名前が覚えられない、登場人物が多くて、え?誰?誰?って感じ…。分からなくても楽しめましたけどね。

2007年5月19日 (土)

泣け、蝶々さん!!

●≪蝶々夫人≫を見ていて泣く場面って、何箇所かあると思いますけれど、私が一番泣くのは「愛の勝利」の直後の部分です。大砲の音が響いて、リンカーン号だと分かる、そして蝶々さんが愛の勝利を叫ぶと、オーケストラが盛り上がって、もうボロボロ泣いてしまう。

●一番泣けるポイントが、歌なしのオーケストラ部分であるということが、自分でも面白い。≪ラ・ボエーム≫も、私が一番泣けるポイントは歌がない場面なんですけどね。歌がない場面だけに、歌手には視覚的な演技力を望んでしまいます。

●≪蝶々夫人≫の「愛の勝利」は、その直後のスズキとの会話からすると、蝶々さんは涙を流しているはずなんですけれども、ふつうオペラ歌手って本当には泣かないんですよね。映画やテレビだったら、泣く役は本当に涙を流していないと話になりませんが、オペラだと泣かなくてもいいことになっている。「本当に泣いてしまうと、歌えなくなるから」って言って。それは分かるんですけれども、「でも、この場面では歌ってないじゃんか」などと思ってしまうのでした。

●例えば「悲しい」ってセリフを言うときに、役者が悲しみを感じていなかったら、その役者は「大根」ということになりますね。でもオペラ歌手は、心に悲しみを感じていなくても、音符どおり歌えていれば一応、舞台に立ててしまう。

●涙って、すごく悲しいとか、すごく嬉しいとか、心に何か感じていないと出ないでしょう。「ウソ泣き」って、「悲しくないけど泣く」っていうんじゃないと思うんですね。自分で悲しみの感情を作り出せちゃうんだと思う。演技も同じ。涙が出る状態に、心を持っていく。

●美空ひばりは、『悲しい酒』を歌うとき、本当に毎回泣いていたそうですね。私も何種類かの映像を見たことがあります。歌の半ばくらいから、ポロリ、ポロリと「絵になる涙」を流す。顔をグシャッとくずしたりせずに、テレビに映って美しいと思える分量の涙を流す。自分の心を、そういう状態に持っていけるんですね。

●昨年、新国立劇場の演劇公演『ガラスの動物園』(小劇場)を見たのですが、主演の中嶋朋子さんが本当の涙を流す場面があったんです。「この瞬間に」「この分量の」って、脚本が要求しているのとピッタリ同じ涙を、本当に流していました。中嶋さんは幼いころから『北の国から』に出演していましたから、大勢のスタッフが寒い中で待っている状態で、OKが出るまで何度も演技を繰り返す、そういう内に、「必要な感情を作り出す」っていう能力が鍛えられたんじゃないでしょうか。

●役者が流す本当の涙というのは凄いパワーがあって、それは、「そういう感情を心に持っている証し」なんです。たとえば歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さんが、菅丞相〔かんしょうじょう〕という役を演じると、1興行25日間、毎日本当の涙を流す。べつに私が25日間すべて確かめたわけではないのだけれど、絶対に毎日泣いていたのだと思う。「子鳥が鳴けば親鳥も」というセリフを言いながら、義理の娘の境涯を思って泣く、その涙を客席から見ていると、本物の涙を媒介にして、役者の心の中の悲しみと周波数が合う感じ。私はそれまでこの芝居をあまり面白いと思ったことがなかったのに、「役者が泣けば観客も」って言うか、仁左衛門と一緒に泣いていました。

●歌舞伎で、こんなエピソードがあります。6歌右衛門と、17勘三郎、それから5児太郎(=今の福助さん)が同じ舞台に出ていたのですが、児太郎が本当に泣くと、歌右衛門が「本当に泣いちゃいけない」って注意するのだそうです。翌日、泣かないようにすると、今度は勘三郎が「お前が本当に泣かないと俺が泣けないだろ」って怒るのだそうです。歌右衛門も勘三郎も大幹部の名優で、若い児太郎は間に立って大変困った、ということでした。歌右衛門が「泣いてはいけない」と言った理由は、「白粉が流れてしまうから」ってことなんですが、これは非常に歌右衛門らしい、女形の美意識だなぁと思いますね。人間は、心の中で泣いていても、顔では泣かないことができますね。だから、心の中で泣いていさえすれば、本物の涙以外の表現方法で、その感情を客席に届ける自信があったんでしょう、歌右衛門には。

●結局、福助さんは「本当に泣く勘三郎が好き」ってことで、今でもよく舞台で泣いています。歌舞伎俳優は、本当によく泣きますね。藤十郎さんなんか、女形の役でも、化粧を流しながら泣く。目のふちの紅が流れて赤い涙、そういうのは上方の美意識なんだと思いますけれども。

●ちなみに、文楽の大夫は、泣いてはいけないのだそうです。1人でいくつもの役を語り分けなくてはいけないので、1つの役に入り込んでしまうと駄目で、泣く手前で止めるのだと住大夫さんが仰っていました。私も文楽の大夫が舞台で泣くのは見たことがないですね。

●オペラ歌手は、あまり泣く人いないですね。私は、デセイが来日リサイタルで泣きながら歌っていたのしか見たことがありません。まあ、泣くと歌えなくなってしまうのでしょうし。

●マリア・カラスは、「本当に泣くと声に悪い」と言っていたみたいですが、《メデア》に出ているときは、本当に泣いていたそうです。たぶん、歌っていない場面で泣いていたんだと思うんですね。夫が裏切って別の女と結婚式を挙げるのを、メデアが黙って見ている場面。そこはもう、ただメデア役の歌手の、視覚的な演技しか見るものがないんです。そりゃあ本当に泣くしかないだろう、と思います。

●オペラの役には、歌っていない時の演技が見せ場になっている役がありますね。「カタログの歌」を聞いている間のドンナ・エルヴィーラの演技は1つの大きな見せ場ですし、「ぶってよマゼット」を聞いている時のマゼットの演技もそうです。

●話がだいぶ逸れましたが、《蝶々夫人》の「愛の勝利」のあと、「花の二重唱」までの間は、蝶々さんの「視覚的な演技」に感動が委ねられている。ここで本当に泣けないソプラノは、蝶々さんになりきれていないのだと思うんですね。だって、台本では涙を流していることになっているんですからね。

●演出家っていいますと、装置の転換を考えたり、歌手の立ち位置を決めたりするのが演出だ…みたいなイメージがありますが、「歌手に演技の指導をする」というのが最も重要な仕事ではないでしょうか。でも歌手に対して「あなた、ここで本当に泣きなさい」なんて注文をつける演出家、いないんでしょうね…。それとも、ただ歌手が対応できないだけかな?

●本物の涙を拭いながら歌い始める「花の二重唱」、いいだろうなぁ。誰か、やってくれませんかね?

双面トーク

お話会「双面トーク」

2007年5月18日(金)21時15分

新橋演舞場 地階ラウンジ「東〔あずま〕」

●(着席順に→)福助さん、芝雀さん、錦之助さん、染五郎さん。今月「双面」に出演している4人によるトークショー。自由席で、10時ごろまででした。

●客のほとんどが女性で、男性はほんの数人でした。何でこんなに男性が少ないんだろう…。歌舞伎公演の客席は、普通に男性も大勢いるけれど、こういうトークショーのお客さんは圧倒的に女性が多いですね。私なんぞ、ちょっと場違いだろうかと思いつつ、しっかり良い席をGETしたりして…。

●トークショーって、沈黙の瞬間を作るわけにいかないので、常に誰かが話しているんですけれども、福助さんが場を盛り上げようとして一杯話しているのに対し、他の方はあんまり…。ちゃんと取り仕切る人がいると良かったんですけどね。

●染五郎さんが幕内で「あーちゃん」と呼ばれていて、来月歌舞伎座で初お目見得のご子息・齋〔いつき〕くんが「いーちゃん」、じゃあ次は「うーちゃん」だね、っていう話が面白かったです…。初お目見えの準備、すごく大変みたいですね。それから、8月歌舞伎座の演目を教えてもらえたり。あと、福助さんが7月にお光を勤めるにあたって、成駒屋には成駒屋のお光があるけれど、この役はやはり六代目菊五郎のものが優れているので、それも取り入れて、芝翫さんの監修でやるという話。かなり細切れに、いろんな話が出ていました。

2007年5月16日 (水)

一応、完成

●ようやくドニゼッティ作曲《ロベルト・デヴェリュー》の翻訳が終わりました。

●対訳付きCDが発売されていないから仕方なく始めたのですが、このあいだ東京文化会館の音楽資料室に行ったら、対訳付きLPが所蔵されていて、何だかガッカリ…。何事にも先人はいるものですね。ベヴァリー・シルズ主演の全曲版LP(1977年発売)で、タイトルは《ロベルト・デヴェルー》となっていました。

●この作品はタイトルの表記がまちまちで、イタリア語読みだと《ロベルト・デヴェルー》になるらしいのですが、一般的には《ロベルト・デヴリュー》と書かれることが多いですね。来年のグルベローヴァ来日公演では《ロベルト・デヴェリュー》と表記されるようですので、グルベローヴァに敬意を表して、このブログでも《ロベルト・デヴェリュー》と書くことにします。

●私は加入していないのですが、スカパー!のクラシカジャパンで先月、グルベローヴァ主演の《ロベルト・デヴェリュー》を放送していました。だんだん盛り上がってきて…ますかね?

●私の翻訳は、

・基本的に、NIGHTINGALEから出ているグルベローヴァ主演盤CDのリブレットに基づいています。詞章の繰り返しは、CDでは演奏している部分も含めて、ほとんど省略して翻訳しています。

・かなりの意訳となっています。

2007年5月15日 (火)

5月文楽公演

5月文楽公演

『通し狂言 絵本太功記』第1部・第2部

2007年5月15日(火) 国立劇場小劇場

●『絵本太功記』を通しで見るのは初めてでした。第1部と第2部、別々の日にしようかとも思ったのですが、せっかく通しで上演されるのだからと、会社を休んで1日で見てきました。通し上演は平成5年以来14年ぶりだそうです。場割りは前回と同じみたいですね。

●文楽の「通し」ほど、観客に体力を強いる舞台芸術は他にないと思います。

(開演11時)

■1時間14分

休憩25分(食事時間)

■2時間4分

休憩5分

■47分

第1部と第2部の入れ替え25分

■1時間24分

休憩25分(食事時間)

■2時間3分

休憩10分

■28分

(終演8時30分)

第1部の5分休憩なんて、トイレに並んでいるうちに次の幕が開いてしまったのでした。一番困るのは食事。昼食は持参するとしても、夜の食事をどうするか。ロビー売店のお弁当は種類が少ないですし、内容と金額の釣り合いが取れません。今日は近くのコンビニに行って、パンを買って済ませました。わびしい…。舞台がよっぽど面白いのなら、それでも良いのですが。

●2階に無料の休憩所が出来たというので行ってみたら、とても安っぽいイスとテーブル。コピー用紙でプリントアウトされた「禁煙」の表示がセロテープで直接壁に貼ってあって、そのあまりの美しくなさに卒倒しそうになりました。若くてお洒落な人は、絶対に来ないと思います。

●十段目は見たことがありますし、大丈夫だろうと思って特に予習もしなかったのですが、話が全然分かりませんでした。いえ、光秀がらみのストーリーは分かったのですが、「長左衛門切腹」と「杉の森」が分からない。「あれは誰?」「この人なんの人?」「なんで死ぬの?」「なぜあの人が介錯しないの?」「なぜこの子は踊りだすの?」もう、おバカの私には理解不能。プログラムの登場人物紹介を読んでも全然分からない。史実を説明されても…。だいたい、いつ読む時間があるのだろう…。終演後にすじがきを読んでも分かりませんでした。

●今日はとにかく、勘十郎さんの光秀が良かったですね。良くって良かった…。襲名のときよりも更に良くなっていたと思います。

●大紋って動きづらそうで、「動きづらい」=「武士の礼装」ってことなんだなぁと思いました。大きな袖を後ろに払って太刀に手をかけると、「非常事態!」という特別な雰囲気が感じられました。でも、あまり何度も袖を払うので、効果が薄れるようでした。馬にまたがる場面も2回ありましたし、黒幕の振り落としも…。etc

●風呂に入ったら無防備になってしまうわけですし、敵地に乗り込んで行って風呂に入る馬鹿はいませんよね。さつきは、久吉が風呂に入らないことを知っていて、風呂を勧めたんですよね。初めから自分が死ぬつもりだった。最初に光秀と目を合わせたとき、それを決めたのでしょう。「年寄りに更湯は毒」「湯の辞儀は水」のあたりの会話の面白いこと。

●ところが歌舞伎では、光秀と皐月が目を合わせる場面がないのでした。光秀が最初にちょっとだけ出てきてしまうと、損だということらしい。「夕顔棚のこなたより」で初めて出てきた方が、客の受けがいいからということらしいです。(最近この演目、歌舞伎では上演されませんね。)

●プログラムに付いている床本に「先立つ不幸」と書かれていました。字幕でも同じでした。ずっと「先立つ不孝」だと思っていました。

●今回の公演と関係なく、文楽を見るたびに不思議なんですけれども。プログラムに付いている床本って、丸本の翻刻ではありませんよね?つまり、丸本に書かれている文字をそのまま活字に起こしたものではありませんよね?別の文字に置き換えて読みやすくしてあるわけですよね。なぜ「ゐ」とか「ゑ」とか使い続けているのでしょうか?どうせ原典のとおりでないのだから、全部、今の感覚で書けばいいのにと思うんですね。送り仮名にしても、一体いつの時代の表記法なのか、現状の表記が適切なものなのか、とても疑問。だって、読みづらいですよね?

●「妙心寺」と「尼ヶ崎」はとても面白かった。それと、普天坊の玉勢さんが良かったです。

2007年5月13日 (日)

事前にお知らせ

えーっと、いま使っているパソコンって、知人から貰ったものなんですけども、もう3年経ったかな。もし壊れたら、買いなおす予定がないので、このブログも終了になります…。

5月新橋演舞場 夜の部2

五月大歌舞伎

新橋演舞場 夜の部

2007年5月13日(日)

●やっぱり「金殿」を上演するときは、道行からやってほしいんですよね…。今回のような上演では、初めて見る人が内容を理解できないのではないかと心配です。三角関係とか、苧環の意味合いとか、鱶七のこととか、イヤホンガイドで分かるものなのでしょうか?「見たけど分からなかった」っていう人が増えて、義太夫狂言の上演頻度が低くなっていくんじゃないかって思うんです。他ならぬ福助がお三輪を勤めるという時に、このような形でしか上演できないなんて、とても残念。幕が開くといきなり花が萎れていて、見ているこちらまで萎え~って感じです。道行から上演すれば、「夜の闇をたどって、光かがやく金殿に行き着いた」という雰囲気も出るのに、もうそれは贅沢なことなのでしょうか。「双面」を染五郎さんが勤めたことも含めて、どうも中途半端な印象が残った公演でした。

●お三輪は技巧的にも大変難しい役だと思いますが、「恋しい」って言った時に、その場にいない人に恋していることが客に分かる、恋する気持ちを表現できることが一番大事ですね。今日も福助さんは最高でした。

●3日に見たときは、官女のいじめで、お三輪の表情がリアルすぎるなぁと思ったのですが、今日はだいぶ内輪になっていました。

●野分姫って、ヘンな名前ですね~。

●番頭長九郎は本当に難しい役。

●吉右衛門さんって、体が柔らかいんですね。白鳥のポーズしてました。ビックリ。毎日ちょっとずつ変えているのでしょう。

2007年5月12日 (土)

《試金石》映画版

オペラ・映像の感想

ロッシーニ《試金石》映画版

詩人ジョコンド:ウーゴ・ベネルリ

記者マクロービオ:アルフレード・マリオッティ

アズドゥルーバレ伯爵:クラウディオ・デズデーリ

クラリーチェ:ナターシャ・クリスコヴァ

指揮:ピエロ・ベルルージ

演出:フランク・デ・クエール 

1982年

●今度の日本ロッシーニ協会の例会で、《試金石》の舞台映像が上映される予定。私は全然知らない作品…。そこで、何か映像が出ていないかな~と思い、東京文化会館の資料室に行ってみました。検索カードを探すとLDが1つだけありました。

●3人いる恋人が本当に自分を愛しているのか、騙して試す…という伯爵のお話。自分を好きになってくれる人なら、誰でもいいわけ?うう~ん、何だかオペレッタっぽい雰囲気。恋愛ゲームっていう感じ?レチタティーヴォではなくセリフによってストーリーが展開していくのもオペレッタっぽい。恋愛を扱った内容でありながら、恋する気持ちが表現されたアリアは詩人ジョコンドの1曲くらいだったかな(←これは、なかなかいい曲でした)。ストーリー展開が不自然で、伯爵と新聞記者が決闘する場面は全く理解不能。

●歌手も演出も平凡な出来。特にどうということもありません。

●見終わって解説を読んでみたら、この映像は原作を3分の1くらいにまとめたものなのだそうで、唯一の日本語字幕つき映像が3分の1っていうのもナニですが、これに更に脇筋が加わるのかと思うと、うう~む。厳しい…。

《アルチーナ》シュトゥットガルト州立歌劇場

オペラ・映像の感想

ヘンデル《アルチーナ》シュトゥットガルト州立歌劇場

●7月に東京室内歌劇場がヘンデルの《アルチーナ》を上演します。友人が面白い作品だと言うので、チケットを購入してみました。そこで、唯一の日本語字幕つき映像と思われるシュトゥットガルト州立歌劇場の公演を見ました。

●DVDのジャケット写真を見たら、おお、私の苦手な現代演出ではありませんか。見るのやめようかとも思いましたが、これしかないんだから仕方がない。しかし、魔女が普通の女になって登場して、一体何が楽しいのだろう…。

●魔女が支配する島ではなく、広い部屋の中。古風な壁紙、大きな額縁。現代的な衣裳。ヘンデルのオペラって、歌手が次々に登場して順番にアリアを歌う形式だと思いますが、歌っていない歌手にも演技をさせているため、歌詞と関係ないことをするハメになっちゃってるんですよね…。それに、やたら脱いだり触ったり縛ったりほどいたり、お色気大作戦?まあ観客の気をひくためには一番いい手なのかも?

●数人の女性が男の役を演じているのですが、衣裳が男物ということ以外は何も演技の工夫をしていない人が2人いて、不思議でした。これで男を演じているつもりなのか…と思ったら、2人のうち1人は「実は男装した女でした」ってことになり、それはやっぱり衣裳によって表現されるのでした。他に何か方法はないのか…!?ずっとオバサンっぽいんですけど?

●字幕に「あなたが」「お前が」って出ても、それが誰のことを指しているのか分からないんです。演出のせいなのか歌手のせいなのか字幕のせいなのか作品のせいなのか…。(字幕はおそらく、頭のいい外人さんによって翻訳されたものかと思います。)

●あまりに面白くないので、途中で見るのをやめてしまいました。映像を途中でやめたのは《ジプシー男爵》以来2度目かな。友人から「第3幕が面白いんだよ!」と言われ、また今度見てみようかな、と思っていますが…。

脱力

ヘンデル《アルチーナ》の映像を見ようと思って、間違えて《女魔法使い》という作品を見てしまいました。ヘンデルのオペラから幾つかのアリアを引っ張ってきて再構成したもの。歌うのはキリ・テ・カナワただ1人、まるでキリのプロモーションビデオみたいな感じでした。私は、ずっと同じ声量で歌う人が苦手。

2007年5月11日 (金)

国立劇場 図書閲覧室・視聴室

●国立劇場の図書閲覧室・視聴室が、毎月第3木曜日、開室時間を延長するそうです。これまでは、平日5時まで、土日は開いていないということで、「社会人はいつ利用できるんだ?!」という感じだったのですが、やっと少し門戸が開かれますね。

●視聴室では、開場からの文楽公演の記録映像が見られますから、文楽ファンなら利用しない手はありません。また歌舞伎ファンも、6歌右衛門の玉手御前とか、17勘三郎&玉三郎の『吉田屋』なんかが見られるのですから、たまりません。芝翫さんの『京鹿子娘道成寺』の映像は最高に素晴らしい。6歌右衛門&芝翫&3左團次の「道行恋苧環」、これを見ずして歌舞伎を語るなかれ。

●図書閲覧室はフラッと入れますが、視聴室は前日までに予約が必要で、なおかつ30分50円だか100円だか(←忘れた)の視聴料がかかります。昭和52年ごろまでモノクロ映像です。

●土日も開室してくれないかな…。みんなで要望を出せば実現するのではないでしょうか。新国立劇場や東京文化会館の資料室を少しは見習ってほしいですよね。

2007年5月10日 (木)

METライブビューイング

●METライブビューイングの来シーズンのスケジュールが発表になっています。(それにしても、この読みづらい色の画面は何とかならないのだろうか…。)

http://www.shochiku.co.jp/met/0708.html

●「ライビューイング」と銘打ってしまった関係からか、「ルディ」とか「レイン」とか、「ヴ」の字を避けているようなんですけども、今どき「ベルディ」って書かれても…。(それでいて、何箇所か「ヴ」の字が使われていたりもする。)

●演目ごとの紹介文も、オペラのことを知らない人が書いているんだろうなぁと思うのですが、≪ラ・ボエーム≫のところで、

メトロポリタン歌劇場では12年ぶりの上演になる、演出家フランコ・ゼッフィレッリの代表作です。

って、…今シーズンも上演してましたけど?!

●私はMETライブビューイングにはまだ1度も行っていないのですが、わりと評判がいいみたいですね。細かいところまでハッキリ見えて、臨場感があるのだそうです。個人的な希望としては、「映像を上映するのに適した施設で、休日あるいは夜7時以降に」っていうのがいいんですけど…。ま、来シーズンはちょっと行ってみようかな。

2007年5月 7日 (月)

芸の真髄 鶴澤清治

芸の真髄シリーズ第一回「文楽太棹 鶴澤清治」

NHKエンタープライズ 芸の真髄制作委員会

2007年5月7日(月)18時30分 国立劇場大劇場

●清治さんは、国立文楽劇場の平成15年1月公演プログラムのインタビュー記事で、今後手がけたい曲として真っ先に「阿古屋」を挙げています。「究極に難しい曲」「義太夫としては最も音楽的」なのだそうです。三味線弾きであれば誰でも憧れる作品なのでしょう。でも、それほど上演頻度の高い演目ではありませんし、太夫との兼ね合いもありますから、本公演で弾ける人は限られていますね。こうして自分の芸力で、上演する機会を得るということは、素晴らしいことだと思います。

●「阿古屋琴責」の過去の配役は、インターネットで知ることができます。「文化デジタルライブラリー」で検索して、「公演記録」→「文楽」→「演目で探す」→「阿古屋琴責」と進みます。

●テレビ収録されていましたので、そのうち放送されるのでしょう。「阿古屋」の、三味線と胡弓の間の部分がカットされていましたが、このような名演奏が記録に残るのは嬉しいことです。

●清二郎さんの胡弓が、それはもう素っ晴らしかったです。今となっては、これも、このような機会でないと聞けない配役です。

●ずいぶん前に2ちゃん○るで話題になったんですけれどもね。13仁左衛門が亡くなったとき、6歌右衛門が、最も良かった役として重忠を挙げていたんです。17勘三郎が亡くなったときは「隅田川」の舟長だった。で、他に当たり役はいくらもあるというのに、自分がシンの芝居の脇役を挙げるなんて、歌右衛門も皮肉な人だよな…みたいな書き込みでした。私はその書き込みが不思議でした。今日の公演のプログラムの、住大夫さんの言葉を読んで、私は「やっぱり」と思いました。

「重忠は、阿古屋と同等かそれ以上の格の太夫の役で、戦前の番付では、時々阿古屋より先に名前が書かれてます。」

やっぱり、重忠が良くないと阿古屋なんてやっていられないし、舟長が良くないと班女の前なんてやっていられない。むろん歌右衛門はプライドの高い人でしたが、「重忠」「舟長」はそのプライドの高い歌右衛門からの最大の賛辞だったのだと思います。あの世の仁左衛門にも勘三郎にも、それは伝わったことでしょう。(←歌舞伎の話題で恐縮)

●「羽織の袖の綻びちょっと時雨のからかさ…」の、「ちょっと」の意味がずっと分からなかった。「綻びちょっと?」「ちょっと時雨の?」「は?」「何?」って、ずっと分からなかったんです。ところが今日、住大夫さんの語りを聞いていたら、意味が分かった。私の理解が正しいのかどうか知りませんし、住大夫さんの考えと合っているとも言えないのですが、突然分かってしまいました。語りって不思議。毎回、字面は同じことを語っているのに、ふっと分かったりする。

●「弥七の死」は、しみじみといい作品でした。照明も凝っていて良かった。自分のお父さんを演じるのって、どういう気分なのでしょうね。

●簑助さんのお園は以前にも見ていますが、本当に素晴らしいですね。技巧と感情がぎゅっと凝縮されている濃密な時間。堪能しました。

●「野崎村」って、最後に船頭が川に落ちて終わりってちょっとあんまりじゃないの?これまでの展開はどうなっちゃうの?などと思ってしまうのですが、今日は演奏だけだったので、また別の趣きがありました。(なぜ本公演ではあまり上演されないのでしょう…?)

●プログラムも面白く出来ています。出演者の話がいろいろ載っているのが嬉しい。

●第二回は何をやるのでしょうか。楽しみです。

2007年5月 6日 (日)

5月新橋演舞場 昼の部

五月大歌舞伎

新橋演舞場 昼の部

2007年5月6日(日)

●『鳴神』は、演じる俳優によって演出も多少変化がありますね。今回は、まず絶間姫の髪飾りが派手なのが目を引きます。キラッキラ。あとは眉の描き方も違う。上人の「その先に、小さな取っ手のようなものがあった」というセリフがありませんでした。一番大きかったのは、酔いつぶれた上人が庵に上がらずその場で寝てしまい、緋毛氈に隠されていたこと。緋毛氈で龍の姿がよく見えなかった…。雨が降りだした後、絶間姫は「別れた夫の衣(←ウソ)」を被いて花道を引っ込みました。

●還俗して名を改めるところで「七代目市川染五郎」と言っていたのですが、話の流れとしては「七代目」と言わない方が良いのでは…。

●鳴神が引きちぎるお経って、毎日新しい小道具を用意しているのかな?

●絶間姫の計画って、一旦見破られてしまいますよね。なぜ上人がもう一度騙されてしまうのかというと、「絶間姫が本気で死のうとしたから」ですよね。失敗したら死ぬ気で来てるんですよね…。

●『鬼平犯科帳』はテレビでも見たことがなく、あまり期待していなかったのですが、もう笑えて泣けて素晴らしい出来でした。配役も揃っていました。歌六さんが名演。あの笑い方、最高ですね。吉右衛門さんの鬼平の大きさ、そう人間の大きさに惚れ惚れ。こんなに面白いとは予想していませんでした。それから松江さんは、今まで私が見た中では一番良い出来だったと思います。

●『釣女』は、まあ面白かったんですけれども、17勘三郎のビデオの印象が強すぎて…。

2007年5月 5日 (土)

5月歌舞伎座 昼の部

五月大歌舞伎

歌舞伎座 昼の部

2007年5月5日(土・祝)

●『泥棒と若殿』は、最初の書割に描かれた山にとても違和感が…。アルプス山脈?舞台美術、照明、音響は全くもって私の好みではありませんでした。散った桜の花びらの積もり方とか、信じられない…。三津五郎さんの若殿が良かったです。

●冒頭に泥棒が「何の騒ぎだ?」とかって言うんですけれども、その時に全然「騒ぎ」が描けていないんですよね~。芋の残し方とか、すごい不自然ですし、演出がゆるい感じ。

●團十郎さん、お元気そうでした。

●海老蔵さんの与三郎は、三越劇場の初役の時にとても良くて、「もう、この役はこの人のもの」と思ったものでした。強請りに入った相手がお富だと分かったときの驚き方。3年の月日が凝縮されているようでした。見ているこちらの気分がどんどん高揚していくほどに素晴らしかったんです。もちろん例の名セリフも最高でした。ところが、松竹座で再演した時は初役と全然違う与三郎になっていて、私は好きではありませんでした。今回見たら、更に別なものになっていました。でも、良かったとか悪かったとかっていうのは、人によって違うのですし、役者は自分が良いと思ったことをするしかありませんものね。初役の時は、与三郎に対する海老蔵さんの役づくりと、私の好みとがピッタリ一致して、最高の体験だったのでした。

●最近の蝙蝠安って、変にいい人っぽく見えるというのか、「あなた本当に悪人なの?」って感じのものが多いのですが、市蔵さんの安はわりと良いと思いました。やっぱり、「こんな人が家の中に入ってきたら嫌だな」っていう雰囲気がほしいですし、ドスを利かせたら本当に怖いっていうくらいじゃないと…。それから、「うまいものを腹さんざん」とか「柔らかな布団」なんていうセリフには、妬ましい気持ちをたっぷりと込めて、ネットリ言ってほしいわけなんですよね。何か、底辺の生活が見えてくるような。今の俳優さんって、飢えの感覚など知らないわけですし(私も知りませんが)、どうも現実感が薄い感じがしてしまって…。

●「源氏店」の終わり方は、最近ですと「与三郎が戻ってきてハッピーエンド」というパターンが多いですが、今回は普通に終わっていました。普通と言いましても、お富が「兄さんであったか、兄さん、兄さん…」っていうセリフを言わなかったので、幕が閉まるまで微妙な雰囲気が漂っていましたけれど…。

●「源氏店」の「普通の終わり方」って、初めて見たときはすごい不思議だったんですけどね。「これで終わりなの?次の場面はないの?」と思ったんです。

●「源氏店」って、「自分の方が上です」っていうのを、ずっと言ってる芝居なんじゃないかと思うんですね。蝙蝠安は、お富に対して下手に出ているけれど、でも金を出して当然だと思っているでしょう。楽していい生活しやがって、って見下している感じ。で、お富と安がうだうだ言い合っているところへ、与三郎が出ていって「ロイヤルストレートフラッシュ!!」、これが見たくって見ているわけなんですよね。それが終わっちゃったら、あとはどうでもいいんだけれども、最後の最後に「一番上は実は多左衛門でした」ってことで客が呆気にとられているうちに幕、ということなんでしょう。いい芝居だなぁ。「しがねぇ恋の情けが仇」なんてセリフは、歌舞伎好きならみんな言えますもんね。言えますよね?与三郎役者と一緒に心の中で言ってるんですよね。だから、理想のとおりの(それ以上の)名セリフであってほしいんですけどね…。

●芝翫さんの踊りは国の宝。

2007年5月 4日 (金)

5月歌舞伎座 夜の部

五月大歌舞伎

歌舞伎座 夜の部

2007年5月4日(金・祝)

●萬次郎さん、すごい声量ですね~。声量があるっていうのは、役者として強力なパワーではありますよね。『女暫』は、追善の演目として、萬次郎さんに合っていたと思います。

●『雨の五郎』は、迫上がりでした。引っ込みは花道。五郎の衣裳は白。松緑さんが使っている紅って、他の人のと色が違いますね。

●今日の私の席は、花道が見えなくて…。『女暫』の時は、上半身くらい見えたのですが、『三ッ面子守』の時は本当に何も見えませんでした。3階席…。

●「め組の喧嘩」は、見る前はそれほど期待していなかったのですが、見たら面白かったです。菊五郎さん当たり役、江戸っ子の神様。時蔵さんも素晴らしい。立廻りもとても良かった。脇役まで生き生きとしていて、菊五郎劇団の力が充分に発揮されていました。すごいチームワーク。橘太郎さん最高ですね。

坂東玉三郎×篠山紀信

写真展「坂東玉三郎×篠山紀信」

2007年5月4日(金・祝)和光ホール

●和光ホールに着くと、あれ?あ、入場無料だったのね…ってんで写真を見始めたら、奥の方で玉三郎さんの声がする。何かビデオでも流してるんだろう、と思ったのですが、何と玉三郎さんご本人と篠山紀信さんのトークショーが行われていたのでした。し、知らなかった…。いや知っていて忘れていたのかも…。なにせ私は、今日が初日だというのに昨日和光に行って、エレベーターのお姉さんに「玉三郎写真展は何階ですか?」と訊いた(実話)、というほどヌケた人間なので…。

●でも、ちょうど始まったところだったみたいで、ラッキーにも大部分のお話を聞くことができました。すごい人垣ができていて、ずっと背伸びしながら聞いていました。玉三郎さんのラブリーな後ろ頭ばかりが見えていたのですが、たまにこちらを向いてくださって、2回、目が合った気がしました。

●私は玉三郎さんのファンなんです。え?福助ファンじゃなかったのかって?いえ、どちらも好きなんです。「玉三郎と福助、両方好きなんて絶対おかしい」と言われることもあるのですが、私はわりとミーハーと言いますか、いろいろ楽しめてしまうお得な性分なのでした。海老蔵襲名の「助六」で、玉三郎揚巻と福助白玉がクロスして入れ違う場面なんて、この世の極楽って感じでした。もちろん他にも好きな役者さん、いっぱいいます。まあ歌舞伎が好きなんですね。

●歌舞伎俳優の素顔を見る機会、テレビではなく生で見る機会って、楽屋口の出待ちとか俳優祭とかありますけれども、私は玉三郎さんの素顔を見たことがありませんでした。他の俳優さんはわりと生で見たことがあるのですが…。それで、ぜひ玉三郎さんの素顔を生で見たい見たいと思っていたのです。今日、図らずも拝見することができて、ああ何てありがたい、何だか秘仏のご開帳に立ち合わせていただいたような気分でした。

●トークショーを聞けなかった方のために、印象に残ったお話を…。(メモを取ったわけではないので、ニュアンスは変わってしまいますが。)

揚巻に関する名優の芸談で、「揚巻は、それに相応しい器量を持った役者でなければ勤まらない」というのがある。当たり前のことのようだけれど、それはつまり、揚巻は大勢の人を従えていて、それら1人1人を掌握している。あるいは、衣裳をこうしたい、道具をこうしたいと思った時に、実現できる状況に自分がいる。「いえ、それは出来ません」って言われてしまうのではなく、周りの人を納得させられる。そういうことも俳優の能力だ、というようなお話をしていました。玉三郎さんの写真を見ていると、本当に衣裳が見事で、これだけの衣裳を着ることができる玉三郎さんの格の高さ、俳優としての能力を感じますね。

歌舞伎俳優の写真というと木村伊兵衛の写真が評価されているけれども、それは木村伊兵衛が六代目菊五郎から「いつでも写真を撮っていい」という許しをもらっていて、いろいろ撮影した中から良いものを選ぶことが出来たのが大きいと思う、と仰っていました。で、篠山さんは玉三郎さんから「いつでも好きな時に撮影していい権利」をもらっているのだそうです。まあ当然ですけれど…。写真家の能力というのは、人物写真の場合、被写体にどこまで撮らせてもらえるか、それで大部分が決まってしまうのではないでしょうかね。篠山さんは、話が面白いんです。陽気なんですね。カメラマンは「陽気でせっかち」っていうのが良いのではないかと私は思うのですが。

今はデジカメなので、フィルムチェンジを気にすることなく、一度にバーッと400枚とか500枚とか撮ってしまう。で、玉三郎さんは篠山さんに任せないで、自分で写真を選ぶ。篠山さんが「これがいい」って言っても、駄目な場合がある。そういう時、玉三郎さんは「ここが駄目だから使えない」という理由をちゃんと説明してくれる。歌舞伎だけのルールというものがあって、お客の納得できるもの、自分の納得できるもの、他の役者から見て納得できるもの、そういうものでないと出せない。ルールから外れたものは、いくらドラマチックに見えても駄目で、ドラマチックというのはルールの中でするもの。

写真を選ぶのには時間がかかり、今回の写真集には10年かかった。もう1回撮り直した役もある。時間を置くうちに、どの写真を残すべきか決まってくる。他の役とのバランスを考えて、その役でしか出せないニュアンスを大切にした。1度外して復活させたものもある。

幕を開けるためだけに生きている。家ではマッサージをしたり、食べたり、休んだり、次の役の資料を読んだり、メンテナンスのためだけの生活。大きな役を2つ勤めたりすると、もう他に何も出来ない。

●ワタクシ、通常版写真集はもう購入したのですが、50万円の愛蔵版の購入は諦めました。私には分不相応だと思って。それよりも、玉三郎さんの舞台を良い席で見たい。人生、欲しいものが全て手に入るわけではないのですし(泣)。

●玉三郎さんが「もう、ただ舞台のためだけに生きている」というようなことを仰ると、本当にそうなんだろうなぁ…と思うのでした。むかし『AERA』に掲載された特集記事で、玉三郎さんが「もう疲れたなあ、と。ベストを尽くしてうまくあの世に行きたいなあというのしかあまりないのね」と仰っていました。何だか畏れ多いというかおこがましいのですが、私はとても、この言葉に共感してしまうんですよね…。私は玉三郎さんみたいに好きな仕事ができているというわけでもなし、たまに訪れる幸運にすがって今日まで何とか生きて参りました。今日は、図らずも素顔の玉三郎さんを見ることが出来て大変幸せな日でした。

●仁左衛門さんとの『桜姫東文章』『かさね』が見たいんです。どうしても。どうか、まだまだご活躍を。

■(トークショーの内容をブログに書いたりしたらマズイのかな…。)

2007年5月 3日 (木)

5月新橋演舞場 夜の部

五月大歌舞伎

新橋演舞場 夜の部

2007年5月3日(木・祝)16時

●私は福助さんのファンなんですけれども、役によって声が変わるところとか、特に好きですね。役によって声が変わる役者って、仁左衛門さんと福助さんが双璧じゃないかと思います。最初に見たときは、1日のうちに何役も勤めて、それぞれガラリと演じ分けていることに驚きました。「お染の七役」の早替わりなども、本当にすごいです。

●福助さん、昔はキンキン声だなんて言われていましたが、だんだん音域が下がってきていますね。お三輪よりも、定高の時期に来ているのではないかと思うんですけどね。私が今生で一番見たい芝居、それは福助さんの定高です。もちろん大判事は吉右衛門さんで…。

●今回、お三輪が官女にいじめられる件りは、「かわいそう」というよりも、何だか「痛ましい」って感じがして、「こんな話だったんだっけ…?」と思ってしまいました。

●でも「あれを聞いては帰えられぬ」からのパワーはやはり素晴らしい。お三輪は、娘役としては最も大きな役だと思いますけれども、福助さんのあと、やれる人は出てくるのでしょうかね。難しい役ですよね。女形の技巧、そして激しい感情表現…。義太夫の太夫が語るのとは違いますし、女形の声でフルヴォイス、バーンと感情を炸裂させられるのって、並大抵ではありませんね。

●お三輪のクライマックスは「疑着の相」でしょうけど、私が一番好きなのは落ち入りのところ。ここの福助さんは最高。今日も泣けました。

●「金殿」で独吟を入れるのって、成駒屋だけでしたっけ?音羽屋のお三輪は見たことがないのですが…。独吟が入るのって不思議な感じですね。別の時空に迷い込んだみたいな感じ(←意味不明)。入れない方がストレートですが、独吟が入って、行ったり来たり迷っているお三輪、好きですね~。この独吟についての評論をむかし読んだことがある気がするのですが、何に載っていたんだろう…。読んだんだっけ、忘れてしまいました。

●「法界坊」って、シュールな芝居ですよね。提灯とか桜餅とか、ありえない展開。素晴らしい。

●この作品は結局のところ、双面で男と女を交互に演じる、踊る、というのをやりたかったんだろうなと思います。こんな役、この世に他に存在するだろうか?!今回、双面は染五郎さんと聞いて、そんなのあり?と思っていたのですが、スッポンからセリ上がってくると、ああ、野分姫の霊だから野分姫役の染五郎さんでも一応は違和感ないのね、って感じでした。幕切れに乗ったのが二段だったのは、いつものことなのか、野分姫役の役者だからなのか…。

マリア・カラス~ジュエル展

マリア・カラス~舞台を飾ったジュエル展-女神が愛したスワロフスキー-

2007年5月3日(木・祝)三越日本橋本店

●カラスの舞台写真はよく見ますけれど、宝飾のことはあまり気にせずに見ていたような気がします。《ルチア》の三角形のティアラ(ティアラでいいのでしょうか)とか、イフィジェニーの三日月型のティアラなどは印象に残っていますが…。

●去年だったか、洋書屋さんで、カラスが着けたジュエルの図録を買ったのですが、やっぱり宝石ばかりはカラーで見ないと分かりませんね…。英文なので全然読んでませんけど、こんな色だったんだって、新鮮な感じでした。

●で、実物を見てみると、想像以上にキラッキラで、こんな派手なものを着けて歌ってたのか…と、ちょっとカラスに対する印象が変わりました。こんな宝石を着けて、負けてしまわないのって、すごいことだよなぁと思いました。

●クリスタルですし、近くで見るよりも、少し離れて見たほうが綺麗だと思いました。舞台用ですよね。今回の展示は、照明が真っ白だったので、舞台での見え方はまた違ったのではないでしょうか。実際の舞台でどう見えたのか、想像がつきません。

●展示の仕方があまり良くない、と思いました。並べる順番とか、照明とか…。それから、10分くらいの映像を流していたのですが、ぬる~い感じでした。でも、いつもと違う環境でカラスの「清らかな女神よ」を聞くのは、なかなかオツなものでした。

2007年5月 2日 (水)

《蝶々夫人》映画版

オペラ・映像の感想

プッチーニ《蝶々夫人》映画版

蝶々さん:ミレッラ・フレーニ

ピンカートン:プラシド・ドミンゴ

スズキ:クリスタ・ルートヴィヒ

シャープレス:ロバート・カーンズ

ゴロー:ミシェル・セネシャル

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

演出:ジャン・ピエール・ポネル

●この映像を見るのは2回目でした。前回見たのはもう10年近く前で、だいぶ忘れてしまっていたのですが、それでも強烈に覚えている場面が何箇所もあります。画面のインパクトの強さがすさまじい。(一方、スカラ座の≪蝶々夫人≫の映像(浅利慶太:演出)なんて、見たことさえスッカリ忘れていました…。)

●先日ゼッフィレッリ演出の≪蝶々夫人≫を見たばかりで、いまポネル演出の≪蝶々夫人≫を見てみると、演出家によってこうも作品が変わるものか…と、上演に占める演出家のパワーのデカさに、改めて感じ入った次第です。

●ポネル独自の世界が次々と展開していきます。カメラの切り替えテンポが速い(舞台上演とは印象が違う)のですが、1つのシークエンスの中に「何かしらネタが仕込んである」って感じ。そういう意味では演劇的。発想の豊かさ、持ち駒の多さに驚きます。ポネルが≪蝶々夫人≫を舞台用に演出したら、一体どのようなものになったのか、ああ見てみたかった…。

●ピンカートンが猛烈にバカ。表情とか、衣装の着崩し方とか。ドミンゴって、わりと知的な人だと思うのですが、ここまで見事にバカを描ける演技力がすごい。「バカという形の悪人」って感じ。

●ピンカートンが、「よその国で作って捨ててきた現地妻」の写真を何枚も取り出して、シャープレスに見せるんです。その演出のせいで、「ヤンキーは世界中どこへ行っても」が、「カタログの歌」みたいになっている。「カタログの歌」を「本人が」歌っている感じで、すごく下品。歌詞を聞いていれば、それだけで「ああ、ピンカートンは、よそでも同じことをやってるのね」って分かるわけですが、比喩を用いて表現されたものを、わざわざオブラートを剥いで、あからさまに表現する演出が果たして「優れた演出」と言えるのかどうか、私には分りません。≪ルチア≫で、アルトゥーロを殺す場面を出しちゃったりとか、「意図的に隠されたものを、あえて表に出す演出」ってあるのかもしれませんが、観客が想像すればすむ部分を、演出家が視覚化してみせることが、「優れた演出」って言えるのかどうか…?

●ゴロー役の人、私は知らない歌手なのですが、おそらく「出っ歯型の入れ歯」をしてるんですよね(原口まさあきが明石家さんまのモノマネをするときに使うようなやつ)。外国の映画によく見られる「日本人→出っ歯」というイメージは、一体どこから来たものなのでしょうか。周りにそんなに大勢いますか?それとも、西洋人には出っ歯の人がいないのかな。出っ歯の日本人で、海外で有名になった人がいたとか?

●ピンカートンと蝶々さんは、始めから結婚に求めているがものが違う。その、異なる思わくの蝶つがい役=ゴローの、いやらしさ、いい加減さ、強欲さが余すところなく表現されています。こんなにイヤなゴローって、他では見ませんね。

●蝶々さんが涙を流して泣いている場面が何箇所もあるのですが、フレーニは本当に泣いているのでしょうか?あんまり、そういうふうに見えないんですけど、それは私の心が純粋じゃないからでしょうか?(何だか目薬っぽい…?)

●蝶々さんがピンカートンの帰りを待つ「夜明けまでの時間」って、演出家の腕のふるいどころだと思いますが、もうポネルのやりたい放題には脱帽。天才。「ピンカートンが帰ってきた後の世界」を蝶々さんが想像する、っていう演出なんですけども、ピンカートンの両親まで登場しちゃう。で、その「お義父さん」の服装がすごい。「日本人が想像するアメリカ」をファンタジックに描いています。普通の人間には及びもつかないポネル・ファンタジー、その独自性の強さがすごい。でも、かえってちょっと滑稽というか、私には「B級映画っぽい」と思えてしまうのでした…。

●第2幕の蝶々さんが洋装なのが珍しい。でも、その方がストーリーに合っているかも。日本人が演出する蝶々さんって、たいてい濃い紫の小紋を着ていますよね?なぜなのでしょう?そういう決まりでもあるのでしょうか?ちょっとオバサンっぽくないですか?

●「時代考証」など全く関係ない演出なのかと思って見ていたら、蝶々さんが自害する場面で、スズキが蝶々さんの膝を縛る場面があって驚きました。三島由紀夫の『憂国』という小説(夫婦で自害する話)に、たしか同じような描写があるんです。ポネルのぶっ飛んだ演出って、無知から来るものではなく、いろいろ調べた上で、自分の掴んだイメージだけを誇大させる能力なのではないかと思いました。独創性ぶっちぎり。

●初めて《蝶々夫人》を見たときって、蝶々さんが死を選ぶことが、ちょっとショックじゃありませんでした?「えっ?本当に死んじゃうの?」とかって思いませんでした?外国人には、相当ショックな展開だと思うんですよね。そこで忘れてならないのは、やはり蝶々さんが武家の娘だということですよね。親から死に方を教わっているんです。人生の選択肢に、常に「死」が加わっている。「向こうから来るのを待っているもの」ではなく、ある状況になったら、自分で選ぶ。それが普通。で、「死に方を知っている女」として、蝶々さんの自害にはある種の「儀式っぽさ」が必要だと思うんですけれども、さすがにポネルはうまく描いているなぁと思いました。

●この映像は1974年11~12月に収録されたようですが、同年1月に、主要キャストのうちピンカートンだけ違うという布陣でレコーディングされているんですよね~。ピンカートンはパヴァロッティなんですけども、つまり、「歌だけだったらパヴァロッティ」「映像だったらドミンゴ」っていうのが公になっていて、ちょっとナニなのでした。みんな分かってることだけど、そんなに大っぴらにしていいんだろうか、みたいな後ろめたさが…。しかし、さすがに、音だけ比べたらパヴァロッティ盤の方が圧倒的に出来が良いと思います。映像では、ドミンゴには全体的に音域が高すぎる感じ。フレーニの歌唱は、同じ年の収録なのにもう精彩がない。カラヤンもなぜかトーンダウンしているような。

●もうメチャクチャ面白い映像なんですけど、残念ながら私の好みじゃないんですよね…。リンカーン号が入港する場面で、蝶々さんは目をつぶっていて、海を見つめているのはスズキだけ。蝶々さんは、頭の中で船を見ている。その頭の中の船と同じでしょうスズキ?あなたには同じ船が見えているでしょう?はい奥様、その通りです…っていう演技が展開される。それはそれで分かるんですけれども、やっぱりここは自分の目で船を見たいだろうに、などと思ってしまうのでした。そういう私の思い入れとのズレ、感動ポイントを外している感じが、始終まとわりついているんですね。

●面白いけれど、これはどうも泣けないなぁ、と思っていたら、蝶々さんがケイトに「あなたは世界一幸せな方です、どうか私のことで悲しまないでください」とお辞儀をする場面で、やっぱり泣いてしまいました。「身を引く」というよりも、「自分ではどうにもならないことに対してジタバタしない」という感じでしょうか。この場面と、「好きと告げたら死んでしまいそうで(愛の二重唱の中ほど)」という場面が、一番日本人らしい描写なんじゃないかなと私は思います。今どきの日本人女性が見てどう思うか知りませんけど…。

●《蝶々夫人》を見るたびに思うんですけど、どうして好きな人って自分で選べないのでしょうね。

2007年5月 1日 (火)

どちらがいい?

・(1)技巧、演技力、ともに優れている

・(2)技巧は優れているが、演技力が劣る

・(3)演技力は優れているが、技巧が劣る

・(4)技巧、演技力、ともに劣っている

●友人と、「(2)と(3)ではどちらがいいか」という話をしていたんですけれどもね。私は最初(3)の方がいいって言ったのですが、友人は絶対に(2)だと言う。で、私も改めてつらつらと思んみるに、ピアノでもヴァイオリンでも、楽譜どおりに演奏できるのは「舞台に立つスタートライン」であって、評価できるのは「そこから先」の部分だよなぁ、という気になってきて、結局「(2)の方が上」に賛成したのでした。

●しかし、不思議と(3)の歌手って見かけませんね。たぶん、(3)の歌手というのは、すぐに(1)の段階へ移行してしまうんだと思いますね。そのために毎日レッスンしているのですし…。

●マリア・カラスの≪ルチア≫ライヴ録音で、1952年メキシコ(初役)と、1955年ウィーン(指揮はカラヤン)とを聞き比べてみますと、(3)から(1)への美しき転身が確認できます。もっともカラスが(3)だと言っても、他の歌手とはレベルが違うんですけども、まあ歌詞を間違えたりしてますし…。

●でも、うーん、やっぱり(2)より(3)の方が面白い気がするなぁ…。

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