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2007年6月

2007年6月28日 (木)

《セビリアの理髪師》スポレート歌劇場

イタリア・スポレート歌劇場 日本公演

ロッシーニ《セビリアの理髪師》

主催:(財)埼玉県産業文化センター/コンツェルト・ハウス・ジャパン

2007年6月28日(木)18時30分 大宮ソニックシティ大ホール

●公演が近くなってから半額チケットが発売されてショックでした。《ラクメ》の時も半額チケットが出てショックでした。もう、そのような主催者の公演は、なるべく行きません。もちろん、そうは言っても行きたい公演は行くのですが、「行こうか行くまいか迷うような公演には行かないようにする」「半額チケットが出ても悔しくない公演だけ行く」ということにします。

●なぜ平日の大宮公演のチケットなど買ってしまったのだろう…と思いつつ、職場を早退して会場へ。着いてみたら1列目中央の席でした(席番としては7列目)。そう、いつだったか東京文化会館のホワイエでチケットを販売していて、席の位置につられて買ったのでした。忘れてた…。

●指揮もオーケストラも思っていたより良くって、歌手もなかなかでした。特にアルマヴィーヴァ伯爵役のエンリーコ・イヴィッリア、最後の大アリアも歌ったのですが(ほんの少しカットあり)、これが素晴らしかった!こんなに素晴らしい大アリアが聞けるとは思いませんでした。彼はイマイチ声量の変化に乏しく、1幕目のアリア2曲にはそれほど感銘を受けなかったのですが、音符が1つ1つ粒立つ高度なレガートの技術を持っており、大アリアにはうってつけ。客席も大いに盛り上がり、拍手が鳴り止みませんでした。私も最高に満足。いい公演でした。

2007年6月27日 (水)

研究発表コンサート2

南條年章オペラ研究室 研究発表コンサート第2部

2007年6月27日(水)6時30分 津田ホール

●本日も遅れて行って、3曲目の「恋は薔薇色の翼に乗って」から聞きました。

●今日は何と言いましても、平井香織さんの「偉大な王女様」が圧巻でした。私は《ナクソス島のアリアドネ》を1度も見たことがなくて、このアリアだけしか知らないのですが、ツェルビネッタをこれだけ歌える歌手は世界的に見ても稀なのではないかな…。

●《ドン・カルロ》の「ロドリーゴの死」が始まったら、「おお、私はイタリア語が分かるようになったのだろうか」と錯覚するくらいに聞き取れたんですね。すぐ分からなくなりましたが…。何て言うんでしょう、「よこはま、たそがれ、ホテルの小部屋…」みたいに、ただ単語を並べただけなんじゃないの?って感じの、削ぎ落とされた歌詞。これで通じるイタリア語はスゴイ。ひょっとして、台本を作るときに、非イタリア語圏の客層も念頭に置かれていたのかな?いや、そんなこともないだろうけど…。イタリア・オペラの歌詞って不思議~。

●《ルチア》の「先祖の墓」。イタオペの歌詞って、本当に「墓」が頻出しますね。詞になりやすい言葉と、なりにくい言葉があるのですね。日本語の「墓」は詞になりにくいですけどね。

●《ルチア》のエドガルドって、「プリマドンナ・オペラの刺身のツマ」だと長いこと思っていました。カラスの《ルチア》のCDを知人に勧めたことがあるんですけどね。「このCDお願いだから聞いてみて、このトラックだけでいいから、狂乱の場って言ってね、恋に破れた主人公が狂って歌いまくる聞かせどころなわけ、絶対すごいからさ、ね、ね」ってんでCDを押しつけると、数日後にその知人が「全部聞いてみたんですけど、男の人の歌の方が良かったです」などと言いやがって、ああ、他人というものは何を考えるか分からない、と思ったものでした。

●私は、「こんなに素晴らしい歌の良さが分からないなんて」とか、「この程度の歌を素晴らしいと思うなんて」とか、他人の感じ方について批判的になる気は全くありません。何でも好き好きで、分かったから偉いなんてものではないですし。世間一般から見れば、オペラ好きの私の方が変わってるんでしょうし…。

●で、刺身のツマのエドガルド君ですが、去年から一変して私の中の評価が急上昇、こんなに素晴らしいテノールの大役は滅多にない、とまで思うようになりました。「先祖の墓」は「狂乱の場」と同じくらいの比重で書かれています。なおかつオペラ全曲の最後の最後、プリマドンナよりも後に歌えるのだ!第一、こんなに長いテノールのアリアって他にあるだろうか?何だか知らないけれどテノールのアリアって短いのばっかりじゃないですか?《西部の娘》の「やがて来る自由の日」なんて2分?死ぬ前のアリア(死なないけど)がたったの2分?それに引き比べて「先祖の墓」は、このアリアのためだけに1場面もうけてありますし(←これってスゴくない?)。アリアの最中に割腹、その前と後の変化、これが演技の最大の見せ場。やっぱり死ぬ演技というのは見せ場ですよね。「死んだルチアが見えるような演技」とか。泣けるんです。

●でも今日の演奏では、割腹の繰り返しはカットされていました…。まあ、コンサートでは仕方ないですね…。

●狩野武さんは非常に恵まれた声の持ち主。村中恵美子さんは自然な演技でした。羽渕浩樹さんの《エロディアード》が良かったです。

2007年6月24日 (日)

《アルチーナ》シュトゥットガルト州立歌劇場

オペラ・映像の感想

ヘンデル《アルチーナ》

シュトゥットガルト州立歌劇場 1999年

●約2時間50分。眠気と戦いながら、何とか最後まで見ました。私がこれまで見たオペラ映像の中でも、屈指のつまらなさ。演出が酷すぎます。しかも歌手は総じて十人並み。

●男装の若い女性を演じるヘレーネ・シュナイダーマンは、最初から最後まで奇妙なおばさんに見えました。アリス・クートは二枚目っぽく見えて良かったかな。タイトルロールのカテリーネ・ナグレシュタットはとても美人でした。でも全員、歌が平板でした。

●この作品については予備知識がなかったのですが、ストーリーが強引すぎる感じがしました。

●駄目な演出家は、印象に残る絵面を作り出せない。場面や役柄の変化を描けない。ずーっと同じトーン。

●この映像は、《アルチーナ》の「唯一の日本語字幕つき映像」なのですが、この作品にとって不幸なことだと思いました。

2007年6月23日 (土)

コクーン歌舞伎『三人吉三』2

渋谷・コクーン歌舞伎『三人吉三』

2007年6月24日(土)12時 シアターコクーン

●またまた、いい加減な知識を披露したりして…。江戸時代は、今よりもずっと、幼児死亡率が高かったのだそうです。幼いうちに死んでしまう子が、相当多かったらしい。そりゃあそうですよね、医療ったって大したこともできませんし。で、女の子よりも男の子のほうが、ずっと死亡率が高いんです。そこで縁起をかつぐため、男の子に女の子の格好をさせて、無事を願った…ということが、実際にあったということです。お嬢吉三がそれです。

●私は大学生のころ、歌舞伎研究会というサークルに入っていたので、役者の声色〔こわいろ〕をする友人が周りに何人かいました。定番はもちろん團十郎と福助です。あとは歌右衛門、芝翫、前の仁左衛門、権一あたりかな。まあ、声に特徴のある人ですね。私はかなりの恥ずかしがり屋なので、人前でやったことはないのですが、福助の声色が得意でした。もう完璧と言っていいほどでした(自分で聞く声は実際の声と違うので、本当に似ていたのかどうか分かりませんが…)。コージー冨田がずーっとタモリのモノマネをしつづけられるように、私は全ての会話を福助の声色ですることができた、やろうと思えば。与三郎も蝙蝠安もお富も、全て福助の声色で1人でやる、などという遊びをしていたのでした。福助の声色でやる蝙蝠安は「女蝙蝠安」という悪婆で(←勝手に命名)、ふつうの蝙蝠安よりも面白いという自信があった。

●そのころはまだ、福助さんはお嬢吉三を演じたことがなかったけれど、私は当然「月も朧に~」の名セリフを福助の声色でよく言っていました(おとせは芝翫、お嬢は福助の声色で)。そして「福助のお嬢、やらないかな~」と熱望していたのでした。

●ところがですね、ここからが本題なのですが、もう福助の声色は出来ないのですね。あんな高い声は出ない。私は福助さんより11歳年下なのですが、もうあんな声は出ません。見慣れているから、皆さんあれが普通だと思っているでしょうが、福助の声というのは非常に奇跡的なものなのです。そう思います。

●さて、9日以来2度目のコクーン歌舞伎。今日は前よりパワーアップしている感じがしました。特に「月も朧に~」の名セリフと、和尚の死に方。本当に、奇跡的な名演だったと思います。最後の場面では、雪が上から下に降ってくるのではなく、3人が下から上へ、天へと昇っていくような錯覚を感じました。

青ひげの謎

●≪青ひげ公の城≫の「青ひげ」って、「青馬」なんかと同じように、「白いひげ」の意味かと思っていたのですが、辞書を引いてみたら「ひげのそりあとが青々としているもの。」なのだそうです(『広辞苑』より)。つまり、ひげがないんですね。全く逆のイメージではないですか。え~、でも新国の公演記録写真を見ると、ひげが生えてますし、パリ国立オペラの宣伝用写真を見ても生えてる…。謎。

●でも、「ひげのそりあとが青々」のほうが、≪青ひげ公の城≫のストーリーから感じられるイメージに合っているかも(?)。

2007年6月22日 (金)

《ばらの騎士》新国立劇場2

●第3幕で、元帥夫人、オックス男爵、ファーニナルの3人は、「従来の考え方からすれば手に入れられるはずのもの」を諦めて去っていく。私は、≪ばらの騎士≫の最大の見せ場は「元帥夫人の退場シーン」だと思っていますが、今回の新国の演出では、元帥夫人の描き方にはあまり感心しませんでした。しかし、ファーニナルの描き方は見事だったと思います。(オックス男爵の描き方は、もう少し工夫の余地があったのでは…。)

研究発表コンサート

南條年章オペラ研究室 研究発表コンサート第1部

2007年6月22日(金)6時30分 津田ホール

●全20人が1曲ずつ歌うコンサート。職場を定時にダッシュ!会場に着いたのは4人目の「トゥーレの王~宝石の歌」から。

●今日、私が一番感動したのは、琉子健太郎さんの「目を閉じれば」。マスネ《マノン》のデ・グリューのアリアです。このアリアは、私の最も好きな曲の1つ。しかし、なかなか生で聞く機会がありません。自分の記憶が正しければ、私がこの曲を生で聞くのは今日が2度目でした。1度目は中島康晴さんのソロ・リサイタルの時です。新国で全曲上演された時は、チケットを取ってあったにもかかわらず、急に大阪に転勤することになり、サッバティーニの名唱を聞くことができませんでした(泣)。その後サッパリ上演されなくて…。超名作なのに、何で上演されないの?今日は琉子さんの歌が、砂漠の雨のように私の心に沁みました。素晴らしかった。

●トリの坂本伸司さんは、ちらしでは「祖国の敵」を歌うはずだったのですが、変更して「悪魔め鬼め」を歌いました。「悪魔め鬼め」は、単独で歌うのには向いていない曲なのではないか、しかもコンサートの一番最後に…と思いましたが、歌いたい、歌わせたいという熱意が感じられる、優れた歌唱でした。Ebben piangoの部分をEbben io piangoと歌っていたのですが、ioは入れなくても「私は」になるのでは…?なぜioを入れているのか、楽屋まで訊きに行こうかと思ってしまいました。

●小林秀史さんが、《フィガロの結婚》の「賭に勝っただと」を歌ったんですけど、このアリアをコンサートで歌いたいと思う気持ちが、私には分からない。歌っていて気持ちが良いものなのでしょうか?「悪魔め鬼め」を歌いたい気持ちなら私にも分かるのですが、この曲を歌いたい気持ちは本当に謎。「なぜこの曲を選んだのですか」って、楽屋まで訊きに行こうかと思ってしまいました。

●ピアニスト3人が非常に素晴らしい演奏をしていました。「悪魔め鬼め」は、歌手もさることながら、ピアニストにとっても難易度の高い曲。音符を間引いて弾けば難しくもないでしょうが、キッチリ弾こうと思ったら、これほど難しい曲はありません。江澤隆行さんが渾身の名演を聞かせてくれました。藤原藍子さんは「夢の歌」の弱音が切なくて最高でした。仲田淳也さんが「ある晴れた日に」を弾いたのですが、ピアノで大砲の音を表現していてビックリ!私には本当に大砲の音に聞こえたのです。どうやって出したのか、楽屋まで訊きに行こうかと思ってしまいました。

●何曲か、アリアの前のレチタティーヴォの部分も付いていて、嬉しかった。

●次回の藤原歌劇団の公演で蝶々さんを歌う小林厚子さんが「ある晴れた日に」を歌いました。何だかとっても得した気分です。小林さんの蝶々さんは、ピンカートンの帰りを信じ切って、始終ニコニコしながら歌っていました。

●昔はこういうコンサートに行くと、「知らない曲ばっかりで分からない!」って感じだったのですが、だんだんと知っている曲の方が多くなり、楽しいです。

2007年6月21日 (木)

《ばらの騎士》あれこれ2

●「オックス男爵のワルツ」の原曲<デュナミーデン>は、<ディナミーデン>と表記されることもあるようで、メータ以外の録音もありました。(買ってませんけど。)

●今回の《ばらの騎士》のプログラムに関して

・2ページ目の右下と3ページ目の右下を見比べると、「演出」がadaptationと訳されています。演出とadaptationが同じ意味だとは初めて知りました。

・1956年《ばらの騎士》日本初演の際の演出は、千田是也だったのだそうです。日本人が演出する《ばらの騎士》って、どんな舞台だったのでしょうね。配役も気になります。

・16ページからのダゴベルト・グリンケ氏の文章は、おバカの私には意味がよく分かりません。「『ばらの騎士』の舞台は熱狂的に受け入れられたが、それは社会がこれまでまったく受け入れてこなかった題材、すなわち姦通を扱っていたからだった。」「オペラの舞台上でこのタブーが破られるということは、真にセンセーショナルな出来事だった。」とありますが、ジャック・オッフェンバックやヨハン・シュトラウス二世の、不倫を扱った作品がウィーンでも上演されていたと思うのですが…。劇場や客層が違うということなのでしょうか??

●その昔、元帥夫人のもとにも、素敵なばらの騎士がやって来たのかな。オクタヴィアンみたいな。

●オックス男爵は、初婚(の予定)だったのでしょうか。この後どうするんだろう…。また、オペラの中には登場しない年の離れた元帥も、初婚だったのでしょうか?

●ゾフィーが元帥夫人の二の舞になるところを、元帥夫人が救った、って感じ?二の舞っていうか、貴族の世界では、ずっとそうだったんですよね。「会ったこともなく、相手のことをよく知らないまま婚約」というような。ゾフィーとオクタヴィアンの関係って、新しい愛の形だったのかもしれませんね。好きな者同士で結ばれる、…今では普通のことだけれど(←そうでもない?)。

2007年6月20日 (水)

本能?

●ずいぶん前の話になってしまいますが、先月の雑誌「クロワッサン」に、鶴澤清治さんの特集記事が掲載されました。とても面白い内容でした。これほど突っ込んだ内容の記事は珍しいですね。文楽の技芸員の方は、舞台以外の姿を知る機会がほとんどありません。大阪の国立文楽劇場のプログラムでは技芸員インタビューが掲載されていますが、年4人しか掲載されませんし、若い人は出てこないんですよね。文楽の若手は、なかなか前面に出てくる機会がありませんね。東京公演のプログラムでも、インタビュー記事を載せてくれたら面白いのに、と思いますが…。

●で、その清治さんの特集記事の中で驚いたのですが、「切った爪をとっておいて、自分の爪をくだいて瞬間接着剤と混ぜて、爪を補整する」という文章がありました。すごい。「文楽の三味線弾きは、糸を押さえるために左手の爪が減ってしまう」ということは前から知っていましたが、「とっておいた自分の爪をくだいて」とは…!

●さらに、「昔の人は爪を強くするのに土いじりをするといいと言っていました」とも書いてありました。何だか、人間の本能みたいなものを感じて、たいへん興味深いですね。

●以前テレビで見たのですが、チョコレート菓子の職人さんは、何年か働いているうちに、自然と「手が冷たい人」になるのだそうです。手が温かいと、チョコレートが融けてしまって困りますよね。チョコレート職人が全員、手の冷たい人なのか分りませんけど…。そのテレビ番組では、「息子の顔を触ると、冷たいって嫌がられて困ります~」みたいなことを言っていました(一旦冷たくなったら、なりっぱなしなのですね)。

●6菊五郎は、「役者は体には汗をかいても顔にはかかないものだ」と言って、実際そうだったらしいです。「私にはどうしても、それが必要である」っていう理由で、どこまで自分の体をコントロールできるものなのでしょう。今でも顔にだらだら汗をかきながら熱演する俳優さんっていますけど、確かに見ていると芝居の内容と関係なく「お気の毒に…」なんて思ってしまいます。

●三味線弾きの爪の話に戻りますが、「三味線を弾いていると爪が強くなる」というんじゃなくて、「土いじりをしていると爪が強くなる」ってところが、なぜか妙に納得させられる話ではあります。

2007年6月19日 (火)

不満

●新国に行ったときに貰ったちらしの束を見てみますと、来日オペラの豪華なちらしが目にとまります。なんで、こんなにたくさん来るのでしょうね。こういう状況を「豊か」って言っていいのかな…。それは置いといて、歌劇場の美しい外観・内装写真を全面に押し出したちらしが何枚かありました。その美しい建物が日本にやってくるわけじゃないのに!何だかズルイと思いませんか?まさか、劇場の写真につられてチケットを買う人もいないでしょうが、もっと他に舞台写真や、出演者の写真など、実際に当日見られるもので勝負すればいいのに、と思うのでした。(来日バレエのちらしでは、劇場の写真を大きく載せたりしません。)

●NHKホール、オーチャードホール、東京文化会館、神奈川県民ホール、大宮ソニックシティ、横須賀芸術劇場。来日オペラ公演に使われるホールで、ちらしに載せられるくらい美しい劇場は日本には一つもありませんよね。新国立劇場、愛知県芸術劇場、びわ湖ホール、兵庫県立芸術文化センターは、悪いとは思いませんが、ちらしに載せたとき目を引くような美しさはない。特に外観は全く絵にならないように思います。先日、≪ゴッドファーザーpart3≫を見たのですが、シチリアにあるパレルモ・マッシモ劇場が撮影に使われていました。あのような撮影は、日本ではできないでしょう。

●日本の、オペラを上演する劇場の美しくなさ。実に残念です。もちろん、時代の異なるガルニエ宮などと比べることは無意味ですが、戦後出来たメトロポリタン歌劇場、パリ・オペラ座バスティーユなどの新しい劇場だって、モダンでありながら、ちゃんと美しいと思います。あるいは全壊して再建したウィーン国立歌劇場やフェニーチェ座はどうでしょうか。日本は、なぜ劇場を美しく建てないのでしょうか?総工費はかなりのものですよね?こんな不満を言うのは私くらいなのかもしれませんが…。

2007年6月18日 (月)

《ばらの騎士》あれこれ

●オックス男爵のワルツは、R.シュトラウスのオリジナルでないことは前から知っていましたが、今回の新国のプログラムに曲名が載っていたので、CDを買ってしまおう!と思って昨日CD屋に行きました。ところが売っていない!ヨーゼフ・シュトラウスの<デュナミーデン>という曲ですね。ネットで検索してみたら、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート2007(ズビン・メータ指揮)のCD、DVDに収録されているらしい。でも私はメータが好きじゃないし、どうしようかな…。こんなワルツを聞きながら生活していたら、人間が優雅になるんじゃないかと思うのだけれど。オックス男爵にはもったいない。

●私は、歌手の容姿が役柄の設定と離れていても大丈夫な方だと自分で思っていました。日本人歌手がフランス人を演じてもいいし、トゥーランドットが太っていても全然平気。しかし、《ばらの騎士》の元帥夫人は絶対に美しくなくては、受け入れられない。どうしてなのか、自分でもよく分かりません。でも、考えてみると、《蝶々夫人》のピンカートンやケイトが日本人歌手なのはイヤだと思っていましたし、各作品の様式によるのではないかという気がします。

●日本人ソプラノで、元帥夫人を歌ったことのある人って、いるのでしょうか。ネットで検索してみても、よく分からないのですが…。元帥夫人を日本人ソプラノが演じる舞台を見たときに、自分がどういうふうに感じるのか、想像がつきません。

●たとえば今回の新国の《ばらの騎士》を見て、「私いつか必ずこの劇場で元帥夫人を歌うわ!!」とかっていう野望に燃える若いお嬢さんなんかも、いたりするんですかね…?

2007年6月17日 (日)

《ばらの騎士》新国立劇場

R.シュトラウス《ばらの騎士》

2007年6月17日(日)14時 新国立劇場オペラ劇場

●インターネットに出ている感想などは、あまり読まないようにしていたのですが、「今回の新国の《ばらの騎士》は素晴らしい」という評判をたくさん聞いていたので、期待して出かけました。

●私は《ばらの騎士》を生で見るのは初めてでした。映像は2種類見たことがあります。アンナ・トモワ・シントウ主演盤と、フェリシティー・ロット主演盤。最初にシントウの映像を見た時は、一体どこが面白いんだか…という感想だったのですが、ロットの映像で、名作であることを実感。ロットの演技、クライバーの指揮、さすが伝説の舞台と言われるだけのことはあるなぁと思ったものでした。

●私は歌手の容姿はあまり気にしないのですが、《ばらの騎士》は別。不美人なトゥーランドットは許しても不美人な元帥夫人は許しません(笑)。やはり作品の様式というものがありますし…。今回の公演は、役柄に相応しい容姿の歌手が揃えられ、美しい舞台となりました。特に、元帥夫人とオクタヴィアンは理想的なヴィジュアルでした。

●ホフマンスタールはオクタヴィアンをテノール向けに書いた、とのことですが(新国ホームページの「オペラトーク」より)、オクタヴィアンがテノールだったとしたら、演じられるテノールはほとんどいないでしょう。まず、ヒゲが濃い人は駄目ですし…。

●第1幕の幕切れに、雨が降る影を壁に映して、素晴らしい効果をあげていました。演出の力を感じた瞬間でした。

●第3幕で元帥夫人が「私なりの形で彼を愛することに決めた(でしたっけ?)」と歌いだす三重唱のところから、もうボロ泣き。素晴らしい詞と音楽でした。自分は手に入れられなかったものを若い2人に贈る元帥夫人。切ない。「切ない」って言葉はドイツにもあるのだろうか。音楽に描かれているのだから、きっとあるのでしょう。

2007年6月16日 (土)

「ゴッドファーザー」通し

「ゴッドファーザー」 通し

2007年6月16日(土) Bunkamura ル・シネマ1

●このブログにも一応「映画」というカテゴリを設けていますが、私は映画をほとんど見ません。この1年を振り返ってみても、自分で驚くほど見ていない。もちろん「見たい」という気持ちはあるのですが、なかなか余裕がなくて…。しかし、生きているからには絶対に見ておきたい映画というものも確実にあります。「ゴッドファーザー」はその1つでした。映画館で見ることが出来て良かったと思います。

●3部作を1日で見て大変疲れました。朝10時30分から夜9時20分まで。入れ替えの時間が計1時間35分あるとはいえ、重い内容ですし、非常にハードでした。「こんな大作を1度に見るものじゃないな」と思ったり、「1度に見たからこそ良かった面もあったな」と思ったり。

●いまさら私が「ゴッドファーザー」の感想を書いても仕方ない気がしますが、自分の備忘録も兼ねて、いくつか書いてみます。まだ見たことがない方は読まないでくださいね。

●マーロン・ブランドの英語は全く聞き取れませんでした。あれを聞き取れるアメリカ人はすごいと思いました。

●3つの作品を比べると、本当に同じ人が監督したのだろうかと思うくらい雰囲気が違いました。物語の時代背景の変化も大きいのですが、それとは別に、作品の質感がそれぞれ違うように感じました。しかし、パート1のノリで最後まで突っ走られたら、私にはちょっと耐えられなかったかも。(パート1という言い方はしませんが、他に書きようがないので…。)

●もう、パート1はドキドキしっぱなしで、特にマイケルが単身で敵地に乗り込んで行く場面なんて、私の心臓はこれ以上は耐えられないよ~~って感じでした。ずっと「次は誰が死ぬんだろう…」ってビクビク。人間には、いろんな死に方があるのですね。

●パート1を見終えた時は、「さすが不朽の名作、素晴らしい!」と思ったのですが、パート2が始まったら、それほど面白くない…。途中で、「ひょっとしてこれは、壮大な蛇足なのではないだろうか」なんて思ってしまいました。もちろん、ビトがイタリアからアメリカに渡った経緯なんかは面白かったけれど、もし、このパート2が1作目だったとしたら、続きを見たいとは思わなかったかも。

●でも、パート3まで見たら「帳尻が合った」という気がしました。

●しかし、パート3のエンドロールに出てくるラブソングは、本当に蛇足だと思いました。でも、監督が一番やりたかったのはそのラブソングなのかも…などと思って最後まで聞きました。

●プログラムが販売されていなくて残念でした。(代わりに「RENT」のプログラムを買ってきました。日本語字幕が掲載されていた!)

●ニーノ・ロータの音楽は、ときどきプッチーニの《トゥーランドット》みたくなるのでした。

●《カヴァレリア・ルスティカーナ》は、うまく取り入れられていたとは思いますが、順番を入れ替えたりするのはいいとしても、「その曲の終わらせ方はないんじゃないの?」と思いました。しかし、それにしてもカヴァレリアの間奏曲のパワーはすごいですね。あと、エンドロールにゼッフィレッリの名前が出ていましたが、ゼッフィレッリのプロダクションだったのかな…?

The Godfatherというタイトルが出てくるとき、先頭にMARIO PUZO’Sって付いてたんですね。原作・脚色がマリオ・プーゾという人なんですね。普通、そんなクレジット表記はしないと思うんですけど、一体どういう人なんだろう。どの程度が想像で書いている作品なのか…。

●マーロン・ブランドとアル・パチーノの「年齢の変化」の描写力は素晴らしいと思いました。

●子どもの頃には気にしたことがなかったのですが、「人間って年を取って、こういうふうに変化していくのね」っていう実例をいくつも見るようになり、ちょっと怖い。

●今回は特に、予告編の中にたまたま「おばさんになったクラウディア・カルディナーレ」が登場して、衝撃的だった。あした新国で《ばらの騎士》を見るのが怖い。

●パート2、パート3の終わり方が寂しくて…。人生とか運命とか親の影響力とか、いろいろ考えてしまいました。寂しい。

2007年6月14日 (木)

宮本益光コンサート

日本声楽家協会《日暮里びぶらアート劇場》

独演コンサート 第1期 全10回

第3回 宮本益光 バリトン

オペラ断章

2007年6月14日(木)19時 

日暮里サニーホール コンサートサロン

1 俺は街の何でも屋 「セヴィリアの理髪師」より

2 上出来ですよ、お殿様 「フィガロの結婚」より

3 勝ちと決まっただと!?  「フィガロの結婚」より

4 魅惑のパリスが… 「愛の妙薬」より

5 夕星の歌 「タンホイザー」より

休憩

6 ヴァレリー嬢ですか? ヴィオレッタとジェルモンの二重唱 「椿姫」より

7 裏切り者め~慈悲、尊敬、愛 「マクベス」より

アンコール 君住む街 「マイ・フェア・レディ」より

ピアノ:石野真穂

ソプラノ:永崎京子

●とても楽しい公演でした。こういう公演を待っていました。日本のオペラ歌手って、あんまりリサイタルをやらないですよね?つまらない。やっぱり集客が難しいのでしょうか。今日の公演は実に嬉しい公演でした。

●最初にちらしを見たときは、全然行くつもりはありませんでした。曲目が書かれていなかったんです。興味のない歌ばかりかもしれませんし。ところが、たまたまネットで曲目が発表されているのを見つけ、この曲目ならばと、1週間ほど前に急遽チケットを予約。たぶん最後の1枚だったのでは…。

●宮本益光さんの声を聞くのは初めてでしたが、顔と名前は前から知っていました。目立つ人ですよね。オペラ歌手には、目立つ人と目立たない人がいますよね。もちろん、目立つためには実力も必要でしょうけれど、それだけではないと思います。

●会場の日暮里サニーホールは、初めて行くホール。極度の方向オンチの私としては、職場を定時に駆け出して会場に着くまで、賭けの連続なのです。つまり、西日暮里駅から日暮里駅へ向かうとき、それは上野方面なのか池袋方面なのか?ホームに上がらなければ分からない、2分の1の確率。事前にネットで路線経路を調べたときには気づかなかった難問の連続。日暮里駅からホールまで徒歩1分の道のりも、すんごい遠回りして何とか到着しました(地図の読めない男)。宮本さんの登場とともに私も会場入り。(でも、仕事帰りに行けるコンサートは本当にありがたい!)

●会場はキャパ100席(自由席)。フォルティッシモでは鼓膜がブルブルふるえる感じ。声楽をやるには少し狭いですね。

●今日の曲目の中で、私が一番良いと思ったのは《愛の妙薬》のアリア。この曲だけ、何と日本語訳詞で演奏されました。粟国安彦さんの訳詞だそうですが、メロディーと合っていて不自然さがなく、素晴らしい出来でした。オペラ歌手がコンサートをするとき、日本語のオペラ・アリアって1曲もない場合が多いじゃないですか。すごく新鮮だったんです。しかもベルカントもの!日本語のベルカント・オペラなんて、なかなか聞く機会がありません。もう面白くて面白くて。常森寿子さんの《夢遊病の女》日本語上演のCDを聞いたことがありますが、録音状態がそれほど良くないのと、もともとソプラノ音域の日本語は聞き取りにくいこと、それから日本語訳がイマイチっぽいこともあって、日本語ベルカントの面白味には欠けました。今日は宮本さんの歌唱・演技も優れていて、これまで経験したことのない世界を楽しみました。

●日本語のベルカント・オペラ、あるいは日本語のロマン派オペラ、日本語のヴェリズモ・オペラ。日本語のオペラには「まだ誰もやっていない分野」がたくさんあって、やれば絶対面白いのに、誰も作曲しないんですよね。日本語のベルカント・オペラ、楽しいだろうな…。

●今日の曲目の中で、私が一番良くないと思ったのは《セヴィリアの理髪師》のアリア。この曲の難しさを改めて実感しました。例えば「フィ~ガロ、フィ~ガロ、フィガロ、フィガロ…」という部分。

・「フィガロ」と自分で口にしていながら、別の誰かから話しかけられているように見えなければならない。

・1つ目の「フィガロ」と2つ目の「フィガロ」は、別の人によって発せられているように見えなければならない。

非常に高度な演技力を要求されているわけです。「歌唱力」というよりも「話芸」って感じ。一流の落語家は、これくらい出来ないと話になりませんが、一流のオペラ歌手がこれを出来るとは限らない。私もいろいろ見聞きしましたが、出来る人はごく一握りです。宮本さんは出来ていませんでした。他にも、「1度に1人にしてください」という繰り返しも、別々の人に向けて言っているように見えなければ…とか、とにかく難しいアリアなのですね。「困っているように見えながら得意そうな感じ」とか。

●《フィガロの結婚》のアルマヴィーヴァ伯爵のアリア、この歌をコンサートで歌いたいと思う気持ちがサッパリ分からない…。このアリアで歌われている感情は、現在は存在しない感情だと思うんです。普遍性を感じない。

●日本人のオペラ歌手は、ピアニッシモをちゃんと出せる人が本当に少ないですね。ヴィオレッタの「美しく清らかなお嬢さんに」の部分は、ピアニッシモの聞かせどころのはずなんですけど…。

●「美しく清らかなお嬢さんに」に出てくる1つ目のpuraは、ほんの一瞬、間を置いてから歌う…という口伝があるはずなんですけど、今日はしていませんでした。オペラの口伝って、ちゃんと歌手のところまで伝わっているのかな?日本の歌手までは伝わらないのかな。優れた歌手にだけ伝わるのかな?(「なぜpuraの前に間を置くのか」、分かる人には分かるし、分からない人には分からない。マリア・カラスの録音を聞いてみてください。それだけで分かる人には分かるでしょう。)

●今日のコンサートは、曲と曲の間にトークがあって、それがまた面白くて、大笑いしました。こういうのも、日本人歌手ならではの楽しみですね。今日は本当に良い公演でした。

2007年6月11日 (月)

反省

昨日のYahoo!トピックスに出ていたのですが、サラリーマンの毎月の小遣いって、4~5万円くらいなんですって?それも、昼食代を含めて?うひゃー、少ない~。オペラなんて見られませんよね…。私もこのキリギリスのような生活を少しは見直さないとイカンと思いました。

2007年6月10日 (日)

S.アルタパロ&M.レクロアール

シルヴィー・アルタパロ&マチュー・レクロアール デュオ・リサイタル

2007年6月10日(日)19時 武蔵野市民文化会館小ホール

●行けなくなってしまった方の代わりに、急遽行くこととなったリサイタル。名前も知らないメゾとバリトン。会場に着いて曲目を見てみると、盛りだくさんの内容ながら、知っているのは《カルメン》だけ!《ファウスト》《ホフマン物語》《サムソンとデリラ》など、映像では見たことのある曲目も入っていましたが、メゾやバリトンのアリアは覚えていません!うーん、字幕なしでどうしよう…。会場にいる人はみんな、この曲知ってるの~?

●バリトンのマチュー・レクロアールは、ザ・シンプソンズの黄色いおじさんと、ブルース・ウィリスを足して2で割ったような顔。背は低め。バリトンながらかなり軽い感じの声で、特に美声というわけでもなく、声量があるわけでもなく、冴えないなぁ…と思ったのも束の間。とても演技力に優れた人で、表情や手の動き、立ち居振る舞いにすっかり夢中になりました。もちろん声の演技力も抜群。歌っている言葉の内容は全然分からないのに、どんどん引き込まれていく。特にマスネ《エロディアード》、プーランク《燃える鏡》、オッフェンバック《ホフマン物語》《ペリコール》のアリアには深く感動しました。本当に、ちょっと衝撃的な演技力でした。ジェスチャーというものは、言葉と同じで、文化として国ごとに継承されているのではないかと思います。今日のレクロアールの演技にしても、たぶん何となくやっているのではなく、もう一回同じことが出来るのだと思う。計算された型としてやっているように見えました。日本の若いオペラ歌手は、こういうのを見て勉強すればいいのに、と思います。どういう時に相手役を見るのか、どういう時に相手役を見ないのか、その切り替え方。首の動かし方、顔の向き、視線の位置、手の置き所。舞台上で不自然でなくジッとしているには、どうすればいいのか。

●一方メゾのシルヴィー・アルタパロは、悪くはないのですが、あまり印象に残りませんでした。レクロアールとは格が違うと思いましたが、二重唱ではキッチリ相手役をこなしていたので、まあ、良かったのではないでしょうか。

●レクロアールの歌があまり素晴らしいので、CDなんて売っているのかな?と思って幕間のロビーに出てみると、本日の伴奏ピアニストのCDばかり…。

●終演後、レクロアールにサインを貰いに行っちゃおうかな~と思ったのですが、楽屋口に誰もいなかったので、諦めて帰ってきました。本当に素晴らしかったのですが、あんまり褒めると、行けなくなった方が口惜しがるので、褒めるのも中ぐらいにしておきます。

ロッシーニ《オテッロ》

日本ロッシーニ協会

《オテッロ》上映会

2007年6月10日(日)1時30分 虎ノ門・オカモトヤビル

●オテッロ役をメゾ・ソプラノが歌うヴァージョンの手持ちCDで予習してあったのですが、テノールが歌う通常の《オテッロ》を今日見てみたら、こちらの方が断然面白い。今日の映像の方がキャストが充実していたということもありますが、オテッロの感情を女性の声で表現するのは、よほどの才能がないと難しいと思いました。

●今日の映像はとにかくキャストが充実していました。今年のロッシーニ・オペラ・フェスティバルが、今日の映像ほど盛り上がるのか、ちょっと心配。特にデズデーモナ。

●シリアスな場面でも、木管楽器がピロピロピロ~と挟まっていると、何だか陽気な歌のような気がしてきて、不思議でした。

●「柳の歌」の他にも、ロドリーゴのアリアや、オテッロとロドリーゴの対決の重唱など、なかなか楽しめそうな場面があり、夏の旅行の期待が高まりました。でも、ロッシーニの《オテッロ》は、2人の愛を確認する「愛の二重唱」のような場面がないのがチト不満。

●ロドリーゴの単独アリアは、アリア集に収録されることもある曲で、技巧を駆使した聞きどころとなっています。歌の内容が未練がましい感じもしますが、物語の設定を考えると、「親の認めた自分と結婚するのが当然」とロドリーゴが考えるのも分かります。オテッロと結婚するのは、非常識なことだったのでしょう(たぶん)。

プラハ国立美術館展

プラハ国立美術館展

2007年6月9日(土)Bunkamuraザ・ミュージアム

●コクーン歌舞伎を見に行った帰り、ちらしの花の絵の美しさにひかれてフラッと入館。「ルーベンスとブリューゲルの時代」というテーマだったのですが、私は宗教画にはあまり関心がなく、また貴人の肖像画にも興味がないので、大部分の絵には心ひかれるものがありませんでした…。結局、一番良かったのは、ちらしで使われていた絵でした(笑)。

●残念なことに、私は宗教画の良さがよく分かりません。いまダヴィンチの「受胎告知」がすごい来館者を集めているそうですが、キリスト教徒でなくても分かるものなのでしょうか。

●今回の展示でも、絵のそばに簡単な解説文が貼ってあったのですが、読んでも分からないんです。「葡萄はイエスの血を象徴している」とか、暗号みたいになっているらしい。

●小さな子どもが貝殻で海の水を汲んでいる様を見て、誰だか知りませんが偉い人が、「所詮人間にはキリスト教の奥深い教義を完全に理解することは不可能」と悟る、という絵があったのですが、そう、確かに「三位一体」などは、説明されても分からないよなぁ…と思いました。文化の違いを感じました。宗教曲もよく分かりません。残念。

2007年6月 9日 (土)

コクーン歌舞伎『三人吉三』

渋谷・コクーン歌舞伎『三人吉三』

2007年6月9日(土)12時 シアターコクーン

●コクーン歌舞伎は第1回から毎回見ています。私は、串田さんが演出する歌舞伎が大好きです。ゾクゾクしますね。

●歌舞伎は、家ごとに型が違うくらいで、基本的にはずっと同じ演出で上演し続けてきたわけですよね。九代目團十郎や六代目菊五郎が劇的に変化させた演出もありますが、この数十年は、そういうこともあまりなかった。私は「優れた演出は変える必要なし」と思っているので、別にいいんですけれども、「本当に今の演出が一番良いのか」っていうことはありますよね、やっぱり。特に照明や舞台美術は、以前には出来なかったことが出来るようになっているわけですし、衣裳にしても、もっと多くの可能性があるはず。コクーン歌舞伎は実に画期的だった。歌舞伎が変わったと思いました。猿之助さんの試みとはまた違いますね。

●シアターコクーンは自由度の高い劇場で、本火だの本水だの、砂だの雪だの、何でもやってますね。もう、みんな何でも見ているわけですから、ただ本水を使っているというだけでは驚かないでしょう。大川端の場の本水の素晴らしいこと。水のきらめきがお嬢の顔に揺らめいて、歌舞伎に新しい形の美が加わった。

●お竹蔵の照明は、夜の怖さを感じさせて秀逸。

●前回『三人吉三』を上演した時と、基本ラインは同じだったと思いますが、配役が変わった点はかなり大きかったです。勘太郎さんの十三郎、七之助さんのおとせは、空前絶後のベスト配役ではないかと思いました。前回は逆の配役でしたが、顔、声、姿、絶対に今回の方がハマっています。

●とにかく中村福助のお嬢吉三は最高。同時代に生きている喜び、有り難さ。こちらの方が本当の空前絶後かも。「当代一」という言葉がありますが、福助さんのお嬢は『三人吉三』の上演史の中でも随一の出来。この素晴らしさを表現する言葉がこの世に存在しないことが残念です。でも仕方がない、100年以上も頻繁に上演されている名作で、平成の今の上演が「随一である」と断言できるなんて、他に例がないもの。(いえ、もう断言しちゃっていいでしょう?ね?)

モネ 大回顧展

モネ大回顧展 国立新美術館

2007年6月8日(金)

●自分でもミーハーだなぁと思うのですが、洋画ではモネが一番好きなんです。新美術館には「行かねば!」と思いつつ、混んだ会場を想像するとなかなか足が向きませんでした。金曜だけ夜8時までなので、狙い目なのではないかと思って行ってみました。やっぱり、すいていた!仕事帰りだったので、1時間くらいしか見られなかったのですが、時間を気にしながらも至福の1時間でした。特に閉館15分前からは、好きな絵を独り占め!

●私は昨年、パリとニューヨークへ旅行に行ったもので、この1年はモネの絵を本当にたくさん見ています。オルセー美術館、マルモッタン美術館、オランジュリー美術館。メトロポリタン美術館。それぞれに素晴らしいのですが、特にマルモッタン美術館は、モネ好きならばぜひ1度は訪れたいところです。ここに所蔵されている《印象-日の出》は、印象派の名付け親ともいえるエポックメイキングな名画だけに、別格の美しさ。パリの中心地からほんの少し離れているので、せっかくパリ旅行しても行かない人が多いようなのですが、もったいないことです。

関連記事

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●それで、新美術館のモネ展には、それほど期待していなかったのですが(失礼)、とんだ間違いでした。開場記念だけあって、展示作品の充実ぶりには驚かされます。モネには「同工異作」がいくつかあるのですが、同じ構図の絵を並べて見ることが出来る贅沢さ。オルセー美術館のポプラ並木とフィラデルフィア美術館のポプラ並木を交互に見ることが出来る奇跡には参った。

●絵を見るとき、ガラス板ごしに見るか、剥き出しで見るか、それによってずいぶん印象が変わるものです。ガラスで覆われているのは、私はあまり好きではありません。もちろん絵の素晴らしさに変わりはないのですが…。今回は、剥き出しで展示してあったこともあり、「エトルタの日没」に最も感銘を受けました。ずーっと見ていても飽きないですね。

●「個人蔵」の作品が何点か展示されていました。まあ、モネくらいなら個人で持っていることもあるでしょうけど、一体どんな人が所蔵しているのだろう…。こんな絵が家の中にあったなら、毎日毎日美の波動を受けて、全然別の人間が出来あがるのではないか…。

●会期の途中で展示替えがあったそうです。あー、もっと早く行っておけば良かった。もう1度くらいは行きたいですね。

2007年6月 7日 (木)

《リゴレット》あれこれ2

●今ちょっと、ティト・ゴッビのリゴレットにハマっています。すごい演技力なんです。他の人が演じるリゴレットと違う。たとえば「悪魔め、鬼め」の前、登場の場面で「ララ、ララ…」という歌を歌いますが、他の人は怒りながらずっと同じ調子で歌っている。たまに強弱・緩急の変化をつけるくらい。でもゴッビはこのフレーズに、怒り、悲しみ、笑いの感情を込めて、クルクルと声を変化させています。

●「ララ、ララ…」という歌は、言葉の意味はないわけですから、感情の込め方に「こうでなければいけない」という決まりはないでしょう。ずっと怒っていても不自然ではない。けれど、リゴレットは何故ララ、ララ…と歌うのか考えますと、それは「道化だから」ですよね。普段から、こういう歌を歌っているんです。道化として陽気に。そして今、娘をさらわれて心の中は焦燥しているのだけれど、平静を装って、普段と同じように歌いながら皆の前に出てきた。探りを入れるために。しかし、抑えている怒りの感情や、悲しみの気持ちが、パッと出てきてしまう。

●この「ララ」には怒りを、次の「ララ」には悲しみを、次の「ララ」には道化としての作り笑いを、というように、ゴッビは一瞬にして感情を変化させている。それが見せ場になっている。「怒り」と「悲しみ」と「笑い」を、どうやって声で演じ分けるか?それは「音の高さ」によるものではありませんね。音の高さは誰が歌っても同じです。「声の音色」「音の強弱」でしょうか。いえ、それよりも「そういうことを表現したい」という意志の力で演じ分けるのだと思う。他の人は「そういうことを表現したい」と思わないのでしょう。

●マイ・ベスト・リゴレットであるコスタス・パスカリスの「悪魔め、鬼め」は、音符よりも上ずり気味の音で歌っている部分があります。怒りの感情を歌う部分です。初めて聞く人にでも、音符どおり歌っていなければ「違う」って分かりますよね。音符どおりでない歌唱は「下品」という感じもしますが、書かれた音符との差が、特別な効果を生む場合もあるのではないかと思う。パスカリスの「assassini(人殺し)」の歌い方は、微妙に音符どおりではないのですが、実に見事です。

●《アンドレア・シェニエ》のアリア「ある日、青空を眺めて」の終盤も、慣例的に、音符より高めの音で歌われることが多いようですが、うまくいけば、これがたまらんのですよ。しかし、この問題は非常に繊細で、歌手のセンスが問われるところだと思います。

●原作者のヴィクトル・ユゴーは、第3幕の四重唱を褒めていたそうですね。4人の異なる感情を同時に表現することは「戯曲では出来ない」と言って。「重唱の最高傑作」とも言われ、コンサートで単独で取り上げられることもありますが、私としては「ストーリーの途中経過」って感じがして、それほどには「聞きどころ」と思えません。それより私は今回、第2幕終盤の、ジルダとリゴレットの二重唱にハマりました。許しと憎しみ、清と濁、対極の感情が交互に、そして同時に歌われて、最後の超高音でクライマックス!カラスとゴッビの録音を聞いていると、最高に興奮します。本当に、こういう表現はオペラでしか出来ないだろうと思いますね。

●その第2幕の幕切れでカラスが超高音を張り上げると、脳髄が痺れるみたいに興奮して、自分でも「ヘンなの」と思います。よくサッカー中継でゴールが決まった時に、興奮して絶叫してるサポーターとかアナウンサーとかいるじゃないですか。私はサッカーでは興奮しないんですけど、オペラでは興奮するんですね。たぶんフーリガンにも負けないくらい。カラスがスカラ座でルチアを歌ったとき、客席が興奮しまくって、「狂っているのはルチアなのか観客なのか」っていうくらいだったそうですが、私には分かりますよ。私がその客席にいたら、きっと興奮しすぎて死んでしまっていたかも。ま、変わり者…ですな。

2007年6月 6日 (水)

ロッシーニ《オテッロ》

●ワタクシ、今年の夏はペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルに行く予定。ちゃんとペーザロまで辿り着けるのだろうか…。

●フローレスが出るので行く気になったのですが、出演演目の《オテッロ》は一度も聞いたことがない。そこで全曲CDを聞いてみました。もうね、面倒くさい。一応、日本語対訳を見ながら聞くわけですが、「えーっと、今どこだっけ?」みたいな。やっぱり最初は「質の良い、日本語字幕つき映像」っていうのがいいですね。でも出てないんです。

●しかし私は聞いた《オテッロ》を。デズデーモナ役がチョーフィという以外は知らない歌手ばかり。オテッロ役はメゾ・ソプラノが勤めています。何じゃそりゃ…。ハッピーエンディング版とトラジックエンディング版が併録されている。冗談みたい。トラジックの方は呆気ない感じ。(注:このCDには日本語対訳は付いていません。他のCDの対訳を見ていた。)

●私の場合、1つの作品の全体を一気に好きなるということは少ない。《オテッロ》を聞いたところでは、まず「柳の歌」が強く印象に残りました。そこで早速、他のアリア集CDに収録されていた「柳の歌」を聞き比べてみる。カバリエ、アンダーソン、バルトリ。う~ん、素晴らしい。でも終わり方に締まりがないと言いますか、「あ、終わっちゃった…。」って感じ。

●ペーザロのフローレスはロドリーゴ役、えーっと、出番短くないっすか。

2007年6月 4日 (月)

「悪魔め、鬼め」聞き比べ2

●《リゴレット》のCD、他にも持っていました。それほど好きでない演目だったはずなのに、なぜこんなに持っているのか自分でも不明。

■ロバート・メリル 指揮:ゲオルグ・ショルティ(RCAスタジオ録音)

■シェリル・ミルンズ 指揮:ユリウス・ルーデル(EMIスタジオ録音)

■レオ・ヌッチ 指揮:マルチェッロ・ヴィオッティ(アレーナ・ディ・ヴェローナでのライヴ映像)

3つとも、特に感銘なし。

●私はマリア・カラスのファンなので、カラスの《リゴレット》は持っていてもよさそうなものですが、「マントヴァ公との二重唱」+「慕わしき人の名は」の抜粋CDを持っているので、全曲盤は買っていませんでした。そこさえ聞ければ全然OKじゃん…と思っていたのですが、ゴッビのリゴレットも気になりますし、この際なので買ってみました。部分的に聞いてみたら、これがまあ素晴らしい。ゴッビの演技力には感服。ワタクシ常々思うのですが、「声に感情がのりやすい人」と「のりにくい人」がいるのですね。ゴッビ、カラスはもちろん前者です。この2人の第2幕の二重唱、もう最高です。

La ra, la raとか、e lanon e vero?など、同じ言葉を同じ音形で繰り返す部分は、常に歌手の演技力が試されているのだと思う。どれだけ変化をつけて歌えるか。ずっと同じ調子で歌う歌手は大根だと思います。

assassini(人殺し)という単語を不自然でなく歌うのは難しそうですね~。

●《リゴレット》のCDを買い漁ってしまいそうな自分が怖い…。

2007年6月 3日 (日)

6月歌舞伎座 昼の部・夜の部

6月歌舞伎座 昼の部・夜の部

2007年6月3日(日)

●「花渡し」と「吉野川」の間の休憩が20分間。20分で飯を食えということなのでしょうか。2時すぎまで飯を食うなということなのでしょうか。勘弁してほしい。

●幸太郎さんの小菊が良かったです。「程が良い」と言うのか、手強くなりすぎず、適度に滑稽味もあり。

●『閻魔と政頼』は、洒落た作品で楽しかった。富十郎さんの声は本当に立派。

●『侠客春雨傘』は、「助六」と「御所五郎蔵」を足して2で割ったような雰囲気でした。これといったストーリーもなく、齋くん初お目見得のための演目ですね。

●「御浜御殿」は、幕開きに綱引きがあったり、細部がいつもと違っている感じがしました。

●幸四郎さんは、大判事より道玄のほうが声の通りが良かったような…。

●染五郎さんの『船弁慶』、良かったですね。長唄も良かった。

2007年6月 2日 (土)

パスカリスのリゴレット

keyakiさんにいただいた情報から、コスタス・パスカリスのリゴレットの録音は2種類あることが分かりました。なぜか両方1966年11月19日とクレジットされていて、詳細は不明ですが、主要キャストは同じです。パスカリスの歌は、私が最初に聞いた方は「奇跡の名演!」って感じなのですが、後から聞いた方は「それほどでもないかな…」という印象でした。

●このブログを読んで「そんなに良いならパスカリスのリゴレットを聞いてみるか」と思った方が何人いらっしゃるか分かりませんが、2種類ある点、ご注意ください。

6月歌舞伎鑑賞教室

6月歌舞伎鑑賞教室「双蝶々曲輪日記」

2007年6月2日(土)14時30分 国立劇場大劇場

●高校生に「引窓」は難しいのではないかと思うんですが…。最初の解説のときに、濡髪の立廻りを見せたり、いつもより丁寧に演目の説明をしていたのは良かったと思います。それくらいの解説は、ふだんの公演についていてもいいんじゃないかと思うほどです。

●「草葉の蔭の親々への言訳」というセリフを「連れ合いへの言訳」と言っていたようです。「親々」のほうが深みがある気がしますが…。

●お幸を1日2回演じるのは大変なこと。お役目ご苦労に存じます。

■関連記事

http://fukukichi.blog.ocn.ne.jp/collect/2006/09/post_cd61.html

2007年6月 1日 (金)

《リゴレット》あれこれ

●これまでは、リゴレットのアリア「悪魔め、鬼め」を聞くと、「つい昨日の晩まで、みんなと笑ってる側の人間だったくせに」などと思ってしまい、ちょっと冷めた目で眺めていました。ところが、コスタス・パスカリスの録音を聞いておりますと、「アンタにゃ負けたよ…」って、すっかりリゴレットに感情移入しているワタクシなのでした。名演のパワーというのは、すごいものです。(注:パスカリスの録音を聞いた方全員が、私と同じように感動できる保証はありませんが…。)

●ジルダは、リゴレットの名前を知らないんですよね。父親の名前も知らないって、一体どういうことなんだろうと不思議でした。「初めて知った名前はグァルティエール・マルデ」ということにしたかったんだろうか、作劇上の都合か?などと考えたのですが、でもジョヴァンナの名前は知っていますし。今回分かったのですが、リゴレットは、ジルダを汚れた宮廷の世界に触れさせたくなかった、そして「自分自身も汚れた宮廷の人間」ってことをリゴレットは知っていたから、自分のことさえもジルダに触れさせたくなかったんだと思う。自分の住んでいる世界が嫌いで、そこでしか生きていけない自分のことも嫌いだったんじゃないかと思うんです。自分はジルダのことを愛していたけれど、ジルダには自分のことを愛させなかった、それは愛と言えるだろうか?

●メデアなんかもそうですが、リゴレットはタイトルロールでありながらイヤな感情を炸裂させて、聞いている側としては、ちょっと同情しづらい。しかし、置かれた状況を考慮すれば、言動に納得できる部分もあります。名優が演じると共感できてしまう。ハードルが高い分、歌手としてもやりがいがあるのではないでしょうか。

●「悪魔め、鬼め」は、リゴレットの怒りの感情で始まりますが、誰も相手にしてくれないので、マルッロ1人に狙いを定めて「泣き落とし」に変わります。「泣き落とし」と言うと何だか感じが悪いですけれども、実際そういうセリフになっている。Ebben, piangoっていう歌詞なのですが、これってすごくないですか?「私が泣くのを見て哀れんで、どうか教えてください」という意味が、たった2語で表現されている。ebben=それでは、piango=泣く、単語の意味としては、それだけ。

●オペラの対訳を読んでいると、いつも不思議なんですけれども、イタリア語って、他の言語に比べて極端に単語数が少ないんですね。「この単語数で、本当にこれだけの内容が表現できているの?」って思う。もちろん「歌詞だから」「韻文だから」という側面はあるでしょうけど、「余白の多い言語」という気がします。受け手が余白を埋めなくてはいけないんですね。同じ作品を英語訳、ドイツ語訳、フランス語訳、日本語訳で見比べると、日本語が一番、単語数が多いかな。訳がヘタだからかな?

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