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2007年9月

2007年9月27日 (木)

デセイ!デセイ!デセイ!

ナタリー・デセイ来日コンサートの曲目が変更になったそうです。

http://www.japanarts.co.jp/

《清教徒》のアリアがなくなったのは残念ですが、《ルチア》のアリアが2つとも聞けるのはスゴイ。う~ん、もう楽しみで楽しみで…。

記事

ちょいと古いですが、こんな記事を見つけました。

http://www.asahi.com/culture/music/TKY200709070250.html

30歳…若いねぇ。

2007年9月26日 (水)

「熊谷陣屋」あれこれ2

●義経という役は、いろいろな演目に登場します。主役ではないけれど、物語の重要な鍵を握っているような場合が多い。源氏の総大将として、物事が良く見えていて、何をすべきか冷静に先を読んでいる、智と情を備えた人、というイメージがあります。「熊谷陣屋」で言えば、義経は「分かっている人」であり、相模や藤の方は「分かっていない人」ですね。

●義経は、敦盛を連れてきて裏に隠しているわけですよね。だから、首実検のときには、「敦盛の首か小次郎の首か調べている」のではないのですね。小次郎の首だということは、もう分かっている。それで、「自分の命令で命を捨てた若者の顔はどんなふうだろうか」、あるいは「熊谷の息子の顔はどんなふうだろうか」などと思いながら、扇の陰からジッと首を見つめるのだった。

●義経は、なぜあの場面で登場するのか?熊谷にとっては、いきなり修羅場になってしまうわけですが、しかし義経があそこに出てこなかったら、後で自分の口から事の顛末を相模に説明しなければならない。義経が出てくることによって、熊谷に負担をかけずに、相模は事実を知り、小次郎の首に最後の別れができる。だから義経は、「見せて名残を惜しませよ」って言うために、相模のために、あのタイミングで登場するのだと思う。

■歌舞伎ではカットされるのですが、原作では、相模が熊谷に向かって「こなた一人の子かいのう」と責める場面があります。文楽ではカットされずに上演されますが、昔は必ず客席から笑い声が起こったそうです。つまり「ソレ」を連想させるからです。しかし、ソレとは関係なく、このセリフは当然にカットされるべきだと私は思います。このセリフは、相模に感情移入すると熊谷が嫌な人物に見え、熊谷に感情移入すると相模が馬鹿に見える。役の魅力を相殺するセリフです。女形には言えません。

■なぜ原作に「こなた一人の子かいのう」というセリフが入っているのか?それは、この前後が種明かしの場面になっているからだと思います。初演のときの観客は、その首を敦盛の首だと思って見ていたはずです。実は小次郎の首だったと、いつ気づくのか。相模が「ヤ、その首は」と驚いたときは、客にはまだ分からない。相模のクドキの、「産み落したはナ、コレ、この敦盛様」あたりで「ああ、死んだのは小次郎だったんだ」と分かる。しかし、中にはボケーッとした客が「ええ?何のこと言ってるの?」と分からないままかもしれない。そこで、作劇上のダメ押しとして、「こなた一人の子かいのう」という明確な種明かしシーンが差し挟まれている、…のだと思う。

■ところが現代の観客は、観劇前にあらすじを予習しており、種を知ってから見ているので、「こなた一人の子かいのう」というセリフを言う必要がなくなってしまった。(予習していないと「熊谷陣屋」は絶対に理解できません。)

■歌舞伎で「熊谷陣屋」を見ると、伏線もなし、種明かしもなし、ヘンな芝居だなぁと思いますね。事前にあらすじを知らずに見ていた初演時の観客が羨ましい。どんなふうに見えたんだろうか、と想像してしまいます。

▲私は芝翫さんの相模が好きです。「一里いたら様子が知りょうか、五里きたら便りがあろかと」のあたり、「駄目だって自分でも分かっていたんだけれど、ちょっとだけなら」って迷いながら歩き出してしまって、「あと少し、あと少し」と思いながら、とうとうここまで来てしまった。そういう逡巡、道のり、プロセスが感じられるセリフ回しは芝翫さんだけのもの。「百里あまりの道」と「つい」のギャップに気づいて、自分で笑ってしまう心の動きの明晰さ。

▲熊谷は「泣きたくても泣けない役」、相模は「泣いてはいけないのに泣いてしまう役」ではないかと思います。芝翫さんの相模は、クドキの最後に思いきり泣く。その泣き声が戦さの知らせの法螺貝にかき消されるところなんぞ、実に無類の素晴らしさでした。

▲義太夫狂言は、登場人物が順番にひとくさりずつセリフを言っていく、というような作りになっている。義太夫節は、1人の太夫が全ての登場人物を語り分けるので、基本的に1度に1人の人物描写しかできない。昔は、セリフを言っていない俳優は、気を抜いているってわけではないけれど、あんまり息をつめていなかったらしい。それを、「セリフのないときにも心理描写を!」というふうに変革したのが6歌右衛門で、その代表的な役が相模である、とされている。

▲そこへいくと芝翫さんは、変革前の人である。自分のセリフじゃないとき、咳払いしたり、鬘を触ったりしている。しかし、そのことによって芝翫さんの相模の価値が下がるとは私は思わない。咳をしたくらいで客の視線が相模に行ってしまうようなら、それは熊谷を勤めている役者が不甲斐ないのだと思う。

▲だいたい、セリフを言っていないとき、相模なら心理描写のしようもあるけれど、義経や弥陀六は演技のしようがない。

▲しかし、そうは言っても、時代は完全に変わってしまった。福助さんの相模は、屋台の下で後ろを向いているときでさえ、演技をしていた。芝翫さんの義経は、熊谷が「お騒ぎあるな」と言っているときでさえ、咳をしていた。今月、古い義経と新しい相模が、親子で、同じ舞台に出ているのを見るのは、不思議な気分だった。

2007年9月23日 (日)

大相撲九月場所

大相撲九月場所

2007年9月23日(日)両国国技館

●今日は大相撲を見てきました。私は極端な運動オンチで、スポーツ観戦もあまりしないのですが、職場の相撲好きに誘われて、3回目の観戦。正面、東寄りの升席(6人用)。後ろの方の升ながらも、ちゃんと力士の顔が見えて、迫力あります。

●両横綱の対決を楽しみにしていたら、あんなことになってしまって…。どうなるんでしょうね。

●やっぱり応援する力士を決めてしまうのがいいのではないかと思うんですね。白鵬は最初から応援していたのですが、今回、栃乃洋、土佐ノ海がいいかなと思いました。何となく。

●物言いがついて、審判をしていた九重親方の姿を見ることができました。こちらの思い込みかもしれませんが、あたりの気を払う風格と言いますか、すごいパワーを感じました。

●千秋楽だったので、君が代斉唱がありました。誰かソプラノかテノールが出てくるのかな~と思ったら、吹奏楽に合わせて全員で歌うのでした。何年かぶり(数十年ぶり?)で私も歌いましたが、あまりに音が高くてビックリ。私なんかマッテウッツィとほぼ同じ音域だというのに歌うのにヒーコラ、こんな曲をどうやってテノールが歌うのだろうかと不思議に思いました。1オクターブ低くしたら、それはテノールではなくバリトンの音域なのでは…。

●白鵬が横綱になって初めての優勝で、オープンカーに乗り込むところも見られて、ラッキーでした。

●観戦後はちゃんこ屋さんへ(こっちがメイン?)。今日は「安美〔あみ〕」というお店。美味しくて、手ごろな値段でした。

9月歌舞伎座 昼の部2

秀山祭九月大歌舞伎

2007年9月22日(土)昼の部 歌舞伎座

●昼の部2度目。

『竜馬がゆく』

●最初の場面、そばを歩いただけでグラグラ揺れる木が気になる…。

●やはり照明・音響は古いにおいがする。機材が古いのでしょうか。

●カゲで演奏している法螺貝の音が良かったですね。生演奏ですよね?なんで生演奏だけじゃだめなのでしょうね。

●歌六さんが素晴らしい。役を完全に掌中に納めている。まるで主役のようでした。

「熊谷陣屋」

●初日に見たときは、正直なところあまり面白くなかったのですが、今日はとても充実していました。特に吉右衛門さんと福助さんが、初日よりも数段パワーアップしていて、これぞ秀山祭、といった感動的な舞台でした。

●相模のクドキに涙、涙。ああ、福助は立女形になった、吉右衛門の熊谷で相模を、歌舞伎座で相模をこんなに立派に勤めて、これが立女形でなかったら何が立女形だろうか、と贔屓としてこの上の喜びはございません。

●私の記憶が正しければ、初日に見たときは、義経が「申し付けし鎧櫃、これへ持て」と言っていたのですが、今日は「鎧櫃、これへ持て」になっていました。

●弥陀六が「そなたへの返礼はこの制札」とか言いますでしょう。何だか分かったような分からないような不思議なセリフですが、要するに、熊谷に対して、「私はあなたがしてくださったことを分かっているんですよ」「この制札の意味を私は分かっているんですよ」「その上でお礼を申し上げているんですよ」ってことですよね。富十郎さんが「かたじけない」と言うと、そういう意味が伝わってきて、さすがだなぁと思いました。

●だから、鎧櫃は、義経からの贈り物ではなくて、熊谷からの贈り物なんですよね。それで義経も、「鎧櫃これへ持て」って、熊谷に命じるんだなぁと思いました。

●うーん、こんなに役者が揃って、なんて素晴らしい「熊谷陣屋」であろうか、と思っておりますと、花道の引っ込みで「タップリ!」という掛け声がかかり、おいおい、播磨屋の熊谷に対して何と不粋な、と不快な気分に。さらに「役者の総理大臣!」というチャリ掛けが入り、もう世も末、隣の席だったら反射的に鉄拳パンチを喰らわせていたかも。チャリ掛けする者に永遠の呪いあれ。

「二人汐汲」

●阿古屋を勤める役者と、相模を勤める役者、2人の立女形共演による稀有な一幕。こんなのは、もう見られないかも。これだけの女形が、今後出てくるかどうか本当に分からない。しかも2人も。

●初日に見たときは、2人の芸風の違いばかり目立って、期待していたほど感動しなかったのですが、今日見てみれば、歌舞伎舞踊でこれだけ振りが揃うのって珍しいなぁと思うほど揃っていて、素晴らしい出来でした。まあ、やっぱり芸風は違うわけですが、いい感じでした。今日は1階1列目中央の席だったこともあり、まさに眼福。至福のひとときでございました。

2007年9月22日 (土)

アルゴス坂の白い家

「三つの悲劇」―ギリシャからVol.1

アルゴス坂の白い家-クリュタイメストラ-

作:川村毅

演出:鵜山仁

2007年9月21日(金)19時 新国立劇場中劇場

●新国立劇場演劇芸術監督・鵜山仁の第1作目ということですが、少しは話題になっているのでしょうか。この公演のちらし、ちょっと地味すぎじゃないですか?絶対に仮ちらしだと思ったのに…。新作で、情報が少なくて、どうやって期待を持てというのか…。でも行ってきました。オープニングですし。

●こういうタイプの芝居、よく分からないのですが、不条理劇って言うんですか。違いますか。あまり面白いとは思えませんでした。しかし佐久間良子さんの演技は存在感がありました。

●オレステス役の人は歌がヘタすぎ…。

2007年9月21日 (金)

勘十郎インタビュー

今月号のGainerに、桐竹勘十郎さんのインタビュー記事が載っています。

http://www.kobunsha.com/CGI/magazine/hyoji.cgi?sw=index&id=005

2007年9月20日 (木)

《ロベルト・デヴェリュー》のススメ

●来秋、ウィーン国立歌劇場の来日公演で、ドニゼッティ作曲≪ロベルト・デヴェリュー≫が上演されます。近年グルベローヴァが頻繁に上演している演目で、ベルカントの女王の「今現在」を充分に堪能できると思います。しかし、「本当に面白いの?」と疑っている方も多いでしょう。日本語訳つきのDVDもCDも発売されていませんし、予習も面倒くさい。どうすればいいのか分からない。ええ、そのお気持ちは分かります。そこで僭越ながらワタクシが予習の手引きを…。

●お薦めしたいのが、このCD↓

ROBERTO DEVEREUX》1977年エクサンプロヴァンス・ライヴ(2枚組)

GL100.528(輸入盤、日本語訳なし)

主演:モンセラ・カバリエ、ホセ・カレーラス 指揮:ユリウス・ルーデル

渋谷や新宿のタワーレコードで、1,700円ほどで手に入ります。名盤なのに安い!全部聞くのが面倒くさいという方は、まずCD2の4曲目(3分弱)をお聞きください。女王陛下が、恋人に死刑を宣告する場面です。激しい三重唱、手に汗を握る興奮。続いて15曲目(4分弱)。死刑宣告したものの、やっぱり生きていてほしい…、ああ、女王の涙は誰にも見せられないわ…という内容。信じ難いほど美しいカバリエのピアニッシモに乾杯。最後に、19曲目(5分弱)。助けようと思ったけれど間に合わなくて死んでしまった、もう何もかもどうでもいい、女王陛下狂乱の場。名演です。言葉も出ないくらいスゴイ。ルーデルの指揮も最高。

●「どうせ聞くならグルベローヴァで聞きたい」という方、ミュンヘンの映像は予習用にはお薦めできません。CDの方が音楽的にも充実しています。

ROBERTO DEVEREUX》1994年(2枚組)

NIGHTINGALE NC070563(輸入盤、日本語訳なし)

主演:エディタ・グルベローヴァ 指揮:フリードリヒ・ハイダー

このブログで日本語訳全文を読むことができます。このCDのリブレットを私が翻訳したものです。右の「カテゴリー」からどうぞ。

まずCD1の7曲目(4分弱)をお聞きください。自分を裏切ったかもしれない恋人に対して、女王陛下が「早くここへ来て私の疑いを晴らして…」と歌うアリア。コロラトゥーラの技巧が楽しめます。そしてやはりCD2の17曲目(6分弱)、女王陛下狂乱の場。カバリエにはない超高音を最後に付加しています。

●映像でなくちゃイヤ、という方。

DVD《ROBERTO DEVEREUX》1975年ニューヨーク・シティ・オペラ

VAI DVD 4204(輸入盤、日本語字幕なし、英語字幕あり)

主演:ベヴァリー・シルズ 指揮:ユリウス・ルーデル

シルズの「なりきり女王」の演技をお楽しみください。歌唱も充実しています。共演者もなかなか良いです。

●私はこの作品、とても好きです。みなさまも、どうぞお楽しみください。

ゲーテ『ファウスト』第一部

●ゲーテの『ファウスト』、第一部を読み終わりました。ゲーテ本人は、少なくとも第一部に関しては、真面目に舞台化を考えていたのだそうです。しかし、「どうやって舞台化するつもりだったんだろう?」という場面がいくつもあります。「犬が悪魔に」とか「テーブルから酒が」とか。

●文字で書かれたものを舞台上で表現するには、無数の手段があり、それを考え出すのが「演出」の仕事だと思います。(別に改めて書くほどのことでもありません。)

●「この話は現代の日本人にとっては現実味がないから、マルガレーテは丸賀麗子という女子中学生に変更して、観客にも身近な問題として捉えていただきましょう」などの新しいアイデア、すみません、それは「演出」ではなく、「翻案」「脚色」「潤色」「再構成」などと呼ばれる仕事です。チケット発売前に告知しておかないと、客が怒り出します。

●マルガレーテは、なぜ最後に救われるのか?それは、自分の罪を自覚し、悔いているからでしょう。マルガレーテは、なぜ死ななければ救われないのか?それは、自分の罪を自覚し、悔いているからでしょう。同じことだと思うのですが…(←意味不明?)。

2007年9月19日 (水)

メトの広告

●ご覧になりましたか?見た?何をって、ほら、「音楽の友」10月号の13ページ、メトロポリタン歌劇場・ニューシーズンのカラー広告。ニューヨークの歌劇場が日本の音楽雑誌に1面広告を出すというのも驚きですが、それはこの際どうでもよくって、写真です写真。で、出た~!!この写真の美しさ、人の目を引かずにおかない強烈なインパクト、これぞオペラ広告の手本となるべきスチール写真です。

●やはり、ニュープロダクションの広告は、歌手のスチール写真がベストだと思います。メトは昨シーズンも、フローレスのアルマヴィーヴァ伯爵でスチール写真を撮っていますが、このデセイの写真には敵いません。だってフローレスの写真は、何の役だか写真だけでは分からなかった。デセイの写真は紛う方なきルチア、その表情、化粧、衣裳、ヘアメイク、ライティング、まさしく演劇のスチール写真なり。

●演劇のちらしにかけては世界最高水準を誇る日本、負けてますよ…。

2007年9月18日 (火)

ペトローヴァ・リサイタル

リューボフィ・ペトローヴァ ソプラノ・リサイタル

主催:財団法人武蔵野文化事業団

2007年9月18日(火)19時 武蔵野市民文化会館小ホール

●職場を1時間早退し、盆の窪にかかとがくっつくくらい走って走ってやっと会場にたどり着いたら、開演時間を30分早く勘違いしていたことが判明して(なぜ勘違いしたのかは不明)、暇が出来てしまいました。近所をうろうろしてみると、すぐそばに立派な図書館がありました。ウチの近所には良い図書館がないので羨ましい…。オペラのCDもいくつか置いてあり、ボーイトの《メフィストーフェレ》がありました。ゲーテの『ファウスト』で一番有名なセリフ「時よ、止まれ、お前は美しい」の部分もオペラ化されてますね。グノーの《ファウスト》は第1部しかオペラ化されていないわけですが、ゲーテの『ファウスト』は第2部の終わりの部分がオペラ化に最適だと思うので、今度ボーイトも聞いてみようかな~。

●リューボフィ・ペトローヴァは、ケネス・ブラナー監督の映画『魔笛』で夜の女王を演じている人だそうです。アメリカ中心に活躍しているみたいですね。

●今日のリサイタル、前半は歌曲オンリー。リムスキー=コルサコフ、メトネル、ラフマニノフ、計12曲ぶっつづけ。綺麗な声で、強弱の変化もあり、なかなか良かったです。でも歌詞が分からないので、感動も中くらいなり。

●後半は、まず《コシ・ファン・トゥッテ》《魔笛》。興味がない作品なので、「こんなアリアあったっけ~?」という感じでした。次に《ばらの騎士》から「バラの献呈の場」を1人で歌いました。なぜ二重唱を1人で歌う必要があるのか不思議でした。いえ私も「ひとり二重唱!」などと言って、《蝶々夫人》の「愛の二重唱」を1人で口ずさんだりすることがありますけれども、プロのリサイタルでやらなくても、ねぇ。他に歌がないでなし。そして次がお目当ての《ランメルモールのルチア》「狂乱の場」。プログラムには「優しいささやき…苦い涙が」と印刷されていたので、当然Spargi d’amaro piantoも歌うと思っていたら、歌いませんでした。武蔵野では以前にも同じことがありました。武蔵野の公演は、オペラに詳しい人が企画しているのか、オペラを知らない人が企画しているのか、どちらなのでしょう?それとも、ペトローヴァの調子が悪くて急にやめたのでしょうか。確かに高音は絶叫調でしたが…。

●「狂乱の場」のカデンツァは、ちょっと珍しいのを使っていました。

●本プログラムの最後は《椿姫》第1幕のアリア。カヴァティーナの繰り返しはナシ、カバレッタの繰り返しはアリ。カバレッタの繰り返しでは、泣くのをこらえながら歌っている…みたいな演技をしていて、面白かったです。でも3点変ホ音は出しませんでした。ルチアでは出していたのに(ぶら下がり気味でしたが)。直前のil mio pensierを省略しないで2回とも歌ったら、それは3点変ホ音を出さない印…。

●アンコールは《こうもり》からアデーレのアリア「侯爵様、あなたのようなお方は」1曲のみでした。

●コロラトゥーラの技巧は今ひとつでした。「私は役に入り込んで演技をしています」という信号を発していましたが(歌い終わってもしばらく素に戻らない)、それほど演技力があるとは思えませんでした。でも、チケット代くらいは楽しませていただきました。

●ビブラートって、人によって違いますよね。カラスやパヴァロッティは周期が均質なビブラートを使っていますが、バルトリやグレギーナは、一定でないように感じます。ペトローヴァは後者のタイプ。ビブラートは、波の1つ1つを意識して歌うものなのか、意識しないで歌うものなのか…?

■ペーザロで知り合ったHさん、そのお知り合いのYさん、私の友人T君と、計4人で終演後に夕食。会場近くの「鎌倉パスタ」というお店。私が、「《フィガロの結婚》のどこが面白いのか分からない」と言うと、驚いたHさんとYさんが2人で「ここが面白い」「こうすれば楽しめる」という解説をしてくださいました。ありがとうございました。新国の《フィガロの結婚》は、当日券で見れたら見ます…。

2007年9月17日 (月)

9月歌舞伎座 夜の部2

秀山祭九月大歌舞伎

2007年9月17日(土)夜の部 歌舞伎座

●今月夜の部2度目。阿古屋はやはり胡弓が素晴らしいと思います。『二條城の清正』では、「御座船」が盛り上がっていました。吉右衛門さんがすごく熱演していたので。

■本日の昼食は、マキシム・ド・パリのランチ限定メニュー「マリー・アントワネット」(9月29日まで)。甲殻類のコンソメとカリフラワーの冷製クリームスープ(キャビア添え)、舌平目のフィレ、雛鶏胸肉、あとデザートがたくさん出てきました。夕食は三越の地下で買った升本の弁当「すみだ川」。

2007年9月16日 (日)

《ファウスト》首都オペラ

グノー《ファウスト》全4幕

主催:首都オペラ、神奈川県民ホール

2007年9月16日(日)14時 神奈川県民ホール大ホール

●グノーの《ファウスト》を生で見るのは初めてだったのですが、とても良く出来た作品で、ゲーテの原作を見事にまとめてあるなぁと改めて思いました。《ファウスト》というタイトルではありますが、主役はマルガレーテって感じがしますけどね。

●原作ではメフィストフェレスが「蚤の歌」を歌う場面を、オペラでは「金の子牛の歌」に変えてあって、実に素晴らしい。この詞章は本当に味わい深いなぁと感心します。「蚤の歌」も面白いけれど、グノーのこの作品には「金の子牛の歌」が合っていると思います。

●本日の公演は4幕構成で、「ワルプルギスの夜」の場面はありませんでした。しかし、この場面がないと、捨てられたマルガレーテの悲しみが唐突である印象を受けます。なんで捨てられちゃったの?って、不思議に思う。

●不義の子を宿したマルガレーテが歌う「紡ぎ車の歌」は、カットされるのが普通のようで、今日もカットされていましたが、なぜカットされてしまうのでしょうか。原作のその部分を読むと、マリア様に祈りを捧げる詞が美しいと思えるのですが…。

●マルガレーテ役の岩崎由美恵さんが良かったです。フランス語も綺麗でしたし。あとはヴァレンティン役の月野進さんの声が綺麗でした。オーケストラ(神奈川フィル)の演奏も良かったですね。

●舞台美術と照明は、私の好みにあらず。予算の都合もあるでしょうけれど…。

●メフィストが宝石箱を置くのは、家の中なのか?外なのか?原作ではハッキリ部屋の中と書いてありますが、オペラではどうなのでしょう。ジーベルの花束と並べて置いてあるのですから、家の外だと思うのですが、「トゥーレの王」は糸車を回しながら歌うことになっているようなので、わけが分かりません。今日の演出では、どちらとも分からないまま演出されていました。

●今の日本の感覚ですと、「別に結婚前にいたしたっていいじゃんか」とか「もっと別の対処法はなかったのかね」などと思ってしまうわけですが、といって、自分の置かれている状況と離れている作品だから私には関係ない、とは思いません。その時代だったら、そういうこともあっただろうな、と思うので。

●今日は、マルガレーテの昇天の場面で泣いてしまいました。決して水準の高いプロダクションとは言えませんでしたが、《ファウスト》に接する機会を与えてもらえて、有り難い公演でした。

●《カルメン》以外のフランス・オペラを、新国でも年に1作くらいは採り上げてほしいものですね。

マリア・カラス30年忌

私が一番好きなオペラ歌手はマリア・カラスです。今日はマリア・カラスの命日で、30年忌でした。

カラスのCDはいろいろ持っていますが、私のお薦めベスト5は、

《夢遊病の女》1955年3月5日スカラ座・ライヴ

《椿姫》1955年5月28日スカラ座・ライヴ

《ノルマ》1955年12月7日スカラ座・ライヴ

《ルチア》1955年1955年9月29日ベルリン・ライヴ

《アンナ・ボレーナ》1957年4月14日スカラ座・ライヴ

こんなところでしょうか。ま、どれも音質はイマイチなわけですが…。同じ演目でも複数の録音があり、また同じ日付の録音でもレコード会社によってずいぶん音質が異なり、いろいろ買ってしまいますね。命日には、毎年「清らかな女神よ」を聞いて偲ぶことにしています。

2007年9月15日 (土)

あれこれ

●復讐の心は地獄の炎のように萌え~(←スイマセン、ただ書いてみたかったのね)。

●明日は神奈川県民ホールで首都オペラ《ファウスト》を見る予定。いま、ゲーテの原作を読んでいます。オペラの原作を読むなんて、初めてかも!文学部を出ているのに本を読まないワタクシ…。意味が分からない箇所があると、同じ所を何度も何度も読み返してしまう癖があるのですが、そんなことをしていると終わらないので、サラっと読もうかな~と思っています。池内紀の訳が読みやすい。

●初めてネット通販でCDを買ってみました(←何を今さら、って感じでしょうけど…)。HMVの「輸入盤3点以上で25%オフ」ってヤツです。25%オフってスゴイ、今までCD屋で買ってたのは何だったの?と思ってしまいますが、私は宅配便を受け取るのが面倒でイヤだったのです。「21時キッカリ指定」とか出来るんならいいんですけど、休日2~3時間、ソワソワしながら待ってなきゃいけないのがイヤなのです。まあ、贅沢なんですけど…。で、音質が良くなったというカラスの《椿姫》、あとロッシーニ《オテッロ》《イングランドの女王エリザベッタ》を予約したのですが、《オテッロ》は在庫切れ、ガックシ。でも2点でも25%オフのままで、普通に宅配便で届きました。ちょっとね、ネット通販に対する不安とかもあったのですが、本当に「何を今さら…」って感じでしたね。今後はちょくちょく利用しようと思います。

●「HMV」って、His Master’s Voiceの略だということは以前から知っていたのですが、「彼の先生の声…?」「何のことだろう?」とずっと不思議に思っていました。これもインターネットで由来が分かってサッパリ!便利な世の中じゃのう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/HMV

2007年9月13日 (木)

「金の子牛の歌」あれこれ

●グノー作曲《ファウスト》のアリア「金の子牛の歌」を最初に聞いたときは、ヘンな歌だなぁと思いました。単語1つ1つの意味は分かるけれど、全体として何が言いたいのか分からない。何か寓意が込められているのか…?私が愛読しているガイドブック『スタンダード・オペラ鑑賞ブック』(音楽之友社・編)には、「黄金の子牛とは、神に対抗する邪教のシンボル。その周りで踊り狂う者たちの音頭を取るのがサタン、つまり悪魔だというのである。」と書いてあったので、そんなものかなと思って、「よく分からないけれど愉快な歌」として認識していました。直前に歌われる「鼠の歌」も結局よく分からないし、同じようなものかな…、と。

●ところが今は便利になったもので、インターネットで「金の子牛」と検索すると、詳しい解説が読めてしまいます。「モーゼとアロン」のエピソードから来てたんですね~。欧米人なら、みんな知っているのかもしれませんが、日本人はあまり知りませんよね(よね?)。このエピソードを知る前と後とで、自分の中で「金の子牛の歌」が劇的に変化して、面白かったです。「アハ!体験」って言うんですか、何かをきっかけに「そうだったのか!」と分かる。同じものを聞いているのに、全く別のものに感じる。「金の子牛は今も生きている!」だなんて、何て洒落たアリアなんだろう…。

●この「金の子牛」のエピソード、どこかで聞いたことがある気がする…と思ったら、10月に来日するベルリン国立歌劇場の≪モーゼとアロン≫の題材なんですね。「人型の黄金の像に変えている」「フセイン政権崩壊を思わせる」という触れ込みの舞台写真ばかり印象に残っていて、金の子牛のエピソードは忘れていました(ちらしのあらすじは読んでいたのに…。)

●「金の子牛」のエピソードは永遠だけれど、「フセイン政権崩壊」の演出はその場かぎりのもの。まさに金の子牛、という気がいたします。

●≪フィガロの結婚≫の「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」「賭けに勝っただと?」や、≪魔笛≫の「復讐の心は地獄の炎のように燃え」、また≪ドン・ジョヴァンニ≫の「私の恋人を慰めて」など、「単語1つ1つの意味は分かるけれど、言いたいことが分からない」「その感情がなぜアリアになるのか分からない」「その詞章のどこが面白いのか分からない」というアリアが私にはいくつかあるのですが、それも「金の子牛の歌」のように、何かをきっかけに劇的に意味が分かる、なんてことはないのだろうか…。「ザラストロを殺さなければお前は私の娘ではない!」って、わけが分かりません。聞いていて、どういうところが楽しいのでしょうか?

ユーミンスペクタクル シャングリラⅢ

ユーミンスペクタクル シャングリラⅢ

2007年9月13日(木)19時 国立代々木競技場第一体育館

●私は高校生くらいの時からのユーミン・ファン。昔は何十曲も歌詞を諳んじていたものでした(過去形)。「ひこうき雲」を聞いて号泣したりしていた。昔から変わってたんですね。逗子や苗場には行ったことがありませんが、大きなツアーには1991年からだいたい行っています。誰と行くのかというと1人で行くのですが、ユーミンのコンサートに1人でって、本当に社交性がないのね~と自分で思うのでした。でもいいのだ、今日だって隣の席のおじさんは1人だったし。

●もともと歌の上手さで売っている人ではないので、そういう期待はしていないのですが、今日はもう「どうしよう~」ってくらいナニでした。

●しかし、日本で一番大規模なステージパフォーマンスですし、さすがに見ごたえがありました。空中、地上、水中で展開されるショーの数々。今回はヴィルジニー・テデューのシンクロが見られるのが目玉でした。

●シンクロって、もちろん好きは好きなのですが、テレビで見ると解説者がずっと喋っていてうるさいですし、会場から拾った音楽がウワンウワン言っていて音も悪いし、イマイチな感じがします。しかし、ちゃんと環境が整うとさすがに素晴らしい。テデューはまさに人魚のようでした。

●「Happy Birthday to You~ヴィーナスの誕生」「時のないホテル」「Delphine」「Carry on」が特に良かったです。(ミラーボールが好き。)

2007年9月12日 (水)

求むフランス人テノール

●持っているCDをよく見てみたら、アラン・ヴァンゾのアリア集にも「この清らかな住まい」が収録されていたので聞きました。これがなかなか良くって、特にフランス語の響きが美しい。さすがフランス人…と思ったのですが、ライナーノーツを読むと、「イタリア系フランス人の両親のもとモナコで生まれ」ってことらしい。生粋のフランス人じゃないんですかね?アラーニャも、フランス人と言っていいのやら、よく分かりません。

●フランス人テノールって、誰がいるんだろう?(私が知らないだけ?)

●「この清らかな住まい」を聞き比べると、アルフレード・クラウスはわりと綺麗なフランス語で歌っているように思えます。他の人のは、ちょっとイタリアなまりな気がするのですが…。完璧なフランス語で歌われた「この清らかな住まい」の録音はないものか…。

2007年9月11日 (火)

「この清らかな住まい」あれこれ

●グノー作曲《ファウスト》のアリア「この清らかな住まい」を最初に聞いたときは、ヘンな歌だなぁと思いました。アリアであるからには、何かしら感情の高まりというものがあるわけです。然るにこのアリアは、「好きになった女性のこと」ではなく、「女性の家のこと」を歌っている。レチタティーヴォで1度「マルガリーテ」と言ったあとは、ずっと家の話。それも、部屋の中ではなく、家の外の描写なのです(部屋の中だったら、それはそれでキモい)。どう見ても「では、ここでアリアを1曲」というほどのシチュエーションじゃないだろう、と思っていました。よく分からない状況で、ファウストは勝手に盛り上がっている。もう家に夢中。

●ところが最近、このアリアが好きになった。

●これは美輪明宏さんが仰っていたのですが、「人間はカメレオンである」、つまり環境によって変わる生き物、保護色動物ということだそうです。例えば、水商売の女性が、化粧も落として服も着替えて、何気なくコンビニにいたとする。しかし「この人、水っぽいな」と分かってしまう。それは、その人がそういう水商売の場所にずっといるから。普段の生活がいつも自分にまとわりついている。同じスーツ姿でも「先生っぽいな」「営業マンっぽいな」「銀行員っぽいな」と分かってしまう。いつもオペラばかり聞いている人は、そんな雰囲気に。演歌ばかり聞いている人は、そんな雰囲気に。読んでいる本とか住んでいる場所とか、日常の会話とか、いつも接しているものが体に染みついて出てきてしまう。「人間保護色論」だそうです。

●風水というものがありますが、それも「こういう環境にいると、こういう人間が出来上がるんだな」っていう実例をいくつも見ていくと、ある共通点が出てくるのだと思いますね。そういう知識の蓄積なのでしょう。

●住んでいる環境から、その人となりを想像して、高揚していく。恋をした若者の初々しさと、環境から人を判断できるほどの老成。「この清らかな住まい」は、そういう二律背反な歌だと思うんですね。ファウストらしい、ユニークなアリアではないでしょうか。

2007年9月10日 (月)

この清らかな住まい

久しぶりのアホアホ企画、カタカナで覚えるオペラ・アリアシリーズ、3曲目。

グノー作曲《ファウスト》より

「この清らかな住まい」

ケルトゥループラコリーメペネートゥレ?

ジェサラムールサパレデモネートゥレ!

オーマルガリーテ!アーテピエメヴアスィ!

サリー!デメレシャステピーレ

サリー!デメレシャステピーレ

ウーセデヴィネラプレザンセ

ディナミノサンテディヴィーネ!

ケデリシェサンセテポヴレテ!

アーセレデュイーケデフェリスィテ!

ケデリシェセ ケデリシェサセテポヴレテ!

アーセレデュイーケデフェリスィテ!

オーナティーレ!セラケティラフィスィベーレ!

セラケセタンファナダルミーストネル

アーグラディスーテズィエ

ラケデトナレーネ アンヴェロパーサナーメ

ティフィザアヴェックアムール

エパーヌゥイラファーマセタージェデスィエ!

セラー!ウィ セラー!

サリー!デメレシャステピーレ

サリー!デメレシャステピーレ

ウーセデヴィネラプレザンセ

ディナミノサンテディヴィーネ!

サリー!

サリー!デメレシャステピーレ

ウーセデヴィネラプレザンセ

ディナミノサンテ エディヴィーネ!

●このアリア、いろいろな録音を聞き比べてみました。ラウリ・ヴォルピ、エンリーコ・カルーゾ、ベニアミーノ・ジーリ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、アルフレード・クラウス、ニコライ・ゲッダ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラス、ウィリアム・マッテウッツィ、ジョン・健・ヌッツォ、望月哲也。私のお気に入りはステファノです。1950年、サンフランシスコ・リサイタル(←CDジャケットにはシカゴと書いてあるけれど本当はサンフランシスコというMYTOの詐欺CD。黄色いジャケット)。このアリアの一番高い音を、フォルティッシモからピアニッシモへグイーッと絞っているのですが、もう気絶しそうなくらいに素晴らしい。ご一聴あれ。

2007年9月 9日 (日)

ペーザロの印象

●ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)のオペラ公演は、会場が2箇所。街の中心部から専用バス(無料)で20分ほどのアドリアティック・アレーナと、ペーザロ駅の近くにあるロッシーニ劇場。

●アドリアティック・アレーナは、大きめの市民体育館みたいな感じ。近くに大型スーパーがある他は、周りに何もありません。仮設のわりには立派な舞台と客席ですが、会場の雰囲気を楽しむ…という喜びはありませんね。ここでは延べ4公演を見ましたが、全て前方の端の席でした。そのため、はっきりしたことは分かりませんけれども、わりと見やすく、音響も悪くありませんでした。

●ロッシーニ劇場は、とても小さな劇場で、なかなか趣きがありましたが、見やすい席と見づらい席の差が激しく、見えない席は全く見えない。南座よりも遥かに見づらい。ほとんどギャンブルですね。鷹揚な気持ちでいないと耐えられないかも。

●会場は日本人だらけでした。ロッシーニのレア演目を字幕なしで楽しめる日本人がこんなに大勢いるなんて…と驚きました。ただ、この期間はオペラハウスがオフシーズンですし、夏休みに海外でオペラを見ようとなると、そもそも選択肢が少ない、ということもあるでしょうね。

●ROF公演の感想としては、期待していたほどには水準が高くなかったのが残念でした。8公演見たうち、私が「海外まで見に来た甲斐があった」と思えたのは1公演だけ。テノールが揃った≪オテッロ≫は最高に興奮しましたが…。

●夏の音楽祭ということで、通常のオペラハウスに望むような演出はもともと期待していなかったのですが、会場の制約もありますし、「一杯道具がデフォルト」と思っていたほうがよさそうです(つまり、幕が開いてから閉じるまで1つの大道具しか出てこない、ということ)。舞台袖の広さや奥行きを考えても、あまり大がかりなことは出来そうにありません。あとは演出家が、場面によってどれだけ変化を持たせられるか、工夫次第でしょうか。それから、照明は機材自体がイマイチかも。

●演目によって、3つのオーケストラが振り分けられているのですが、それほど良い出来ではありませんでした。たぶん。

●とにかくROFと言えば、世界中のロッシーニ歌手が一箇所に集結して、その演目のベスト・キャストを組む…というイメージだったのですが、もはやそれは無理なことなのかもしれません。全体的に「若い歌手が持てる力を出して頑張っていた」そんな印象が強いです。もちろん素晴らしい歌手もいましたが、数が少なかった…。

●ペーザロは海が遠浅で美しく、近郊からの海水浴客で賑わっていました。私はもう海で泳いだりしないので、海辺を散歩した程度でしたが。

●私は日本ロッシーニ協会に入会しておりまして、ペーザロでは協会の方にお誘いいただき、食事をご一緒しました。高名な音楽評論家の方や、初めてお会いする方、ロッシーニを好きな方々とお話させていただくのは、とても楽しく得難いことでした。オペラの終演が深夜となるので、お誘いいただかなければホテルに帰って食事抜きになっていたのではないかと…。料理はどれも美味しく、ボリュームがあり、また値段が安くて感激しました。海辺の街なので魚介類ももちろんですが、その他の料理も美味しかったです。

●行きのボローニャ空港で、見知らぬ方から「ふくきちさんですか?」と声をかけられてドッキリ。何度か一緒に食事させていただきました。このブログがきっかけで人と知り合ったりするのは、不思議な感じがします。意外と読んでる人いるんだなぁ~と思って。

2007年9月 8日 (土)

驚いた

●ちょっとビックリしたんですけど、立川キウイさんが二ツ目になったそうですね?って、かなり古い話になってしまいますけど…。1度だけ生で見たことがありますが、そうですか、二ツ目にねぇ。

●ちょっとビックリしたんですけど、10月に宝生能楽堂で『三人片輪〔さんにんかたわ〕』が上演されるそうですね?和泉流狂言ということですが、まだ上演できるんですね…。歌舞伎ではもう上演されませんよね。私はこの演目を見たことがありませんけれども、今の芝翫さんの襲名の際(1967年4月)に、披露狂言以外の演目の1つとして出ています。盲目〔めくら〕と躄〔いざり〕と唖〔おし〕が踊りを踊る、それが「普通と違う踊り」であるのが見せ場。最後に、「障害は嘘でした」となって「やるまいぞ、やるまいぞ」で幕。その時の筋書にはバッチリ「めくら」などと書いてありますが、もう書けないでしょう。最近「ジプシー」という言葉は差別用語だというので、NHKでは「ロマ」に置き替えています。言葉さえ替えればOKなのか?「ジプシー」と「ロマ」の何が違うのか?「ジプシー」ではなぜ駄目なのか?なんて思ってしまいますが、「片輪」は言葉自体が明らかに差別用語ですからねぇ。道玄なんかは、「その時代は実際にそんな感じだったんだし」と思えるので別によいのですが、『三人片輪』は、内容的に見ていられないと思う。作品自体が差別っぽくて。廃絶されても仕方ないと思いますけど…。どうでしょう?

9月歌舞伎座 夜の部

秀山祭九月大歌舞伎

2007年9月8日(土)夜の部 歌舞伎座

●どんな歌舞伎俳優にも当たり役はあるものですが、玉三郎さんの阿古屋、これぞまさに当たり役。私も何度か見ておりますけれども、歌舞伎として最高級のものです。今回は配役もベストと言えるでしょう。また、鳴門太夫さんが素晴らしい。

●阿古屋の出で、竹本が「筒に生けたる牡丹花の」と語るときに、ちょうど打掛の牡丹がバーンと目に飛び込んできて、もう最高。歌舞伎の衣裳の素晴らしさ、また、その衣裳で後ろぶりが決まった形の見事さ、こんな演劇は外国にはありません。たぶん。

●玉三郎さんの阿古屋は、歌う部分が多くて、竹本や長唄とユニゾンで声が重なっていく面白さ、こういうのは6歌右衛門の阿古屋にはなかったものではないでしょうか。(私は歌右衛門のは映像でしか知りません。)

●玉三郎さんの鼻濁音の美しさ、ちょっと若い俳優も見習ってほしい。「我が折れた」あたり、いえ、こんなのは出来て当然じゃないかと思いますけど…。

●玉三郎さんの声の凛とした美しさに陶酔…。

●三曲の中では、やはり胡弓がいいですね~。琴は、竹本の三味線にかき消されてしまう部分が結構あって、音のバランスが今ひとつでした。

●「阿古屋」は、詩章が面白くって、すごい好きですね。日本語の面白さですね。

●泉太夫さんって、岩永専科みたいになってません?他であまりお見かけしないのですが、普段の月は何をされているのでしょう…。不思議。

●『身替座禅』は、團十郎さんがお元気そうで何よりでした。

●『二條城の清正』は、さすがに吉右衛門さんが名演で、秀山祭の座頭としての格を示していました。

●秀頼は、前回勤めた梅玉さんの当たり役だと思いますが、今回の福助さんは、別の造形をしていて面白かったです。梅玉さんの秀頼は、何を考えているのかよく分からない(そして、そこが良かった)のですけれども、福助さんは、清正に諌められてシュンとしちゃう表情とか、去り際の騒動にビクッとする目遣いなどが印象的でした。

オペラ公演のちらし

●以前にも書きましたが、オペラ公演のちらしって、視覚的な訴求力が弱い気がするんです。先日シアターコクーンに行ったときにもらった演劇公演のちらしを見ると、あの手この手で目立とうとしていて、すごく工夫されています(日本だけの文化なのでしょうか?)。

●最近ちょっと目を引いたオペラのちらし、日生劇場の《カプレーティ家とモンテッキ家》。スチール写真を使っています。演劇公演では普通のことですが、オペラでは珍しい(って言うか、ひょっとして初めて?)。外国人をキャスティングする場合は、スチール写真を撮影することは難しいでしょうけれど、日本人キャストであれば、このくらいやってもいいんじゃないかと思いますね。

●藤原歌劇団、二期会、東京室内歌劇場のちらしは、インパクトが弱すぎるといつも思う。

2007年9月 6日 (木)

哀悼

9月6日早朝、パヴァロッティが亡くなったとのこと。心よりご冥福をお祈りします。

私はパヴァロッティ・ファンクラブ(日本の)に入っていたこともあるくらいのパヴァロッティ・ファン。思い出話など、日を改めて書きたいと思います。

ドラクル

「ドラクル GOD FEARING DRACUL

作・演出:長塚圭史

主催:Bunkamura

2007年9月6日(木)19時 シアターコクーン

●私が海老蔵を見に行こうとすると、なぜか台風が来るのであった…。行こうか行くまいか迷いましたが、そういう縁だったのだと思い、行くことにしました。

●S席が11,000円。演劇の公演って、普通は高くても7,000円くらいじゃないですか。ちょっと高すぎじゃないかと思って、チケットを買っていなかったのですが、中2階立見券が3,500円だったのでゲットしました。コクーンでの立見は何度か経験しています。すごい狭苦しいですけどね。

●今日は台風の影響か、完売のはずなのにポツポツと空席がありました。立見は3人だけでした…。狭くなくて良かった…。

●芝居が始まってみれば、高額のチケット代も納得の豪華演出。特に照明の美しさには感じ入りました。でも、舞台装置は1幕と2幕で断絶している印象がありました(意図的なものでしょうけど、ヘンでした)。

●私は現代演劇はそれほど見ないのですが、それでもたまに見ますと、照明ってこんなことも出来るんだなぁと技術の進化に感心することしきり。オペラは現代舞台芸術だと言いますが、照明に関しては随分と遅れを取っている気がするんですよね。歌舞伎の照明はまた違って、「まんべんなく明るく」という技術は大変なものらしいですけど…。歌舞伎で新しいことをやると、照明にガッカリすることがありますね。使っている機材ももちろん違うでしょうが。

●「GOD FEARING」って、どういう意味なんだろう…?(馬鹿ですみません。)

●大感動というほどでもありませんでしたが、面白い舞台でした。ゴシックホラーということで、グロい場面もありました。

●このブログでは何度も書いておりますし、これからも度々書くことになると思いますが、私は「ずっと同じ声量で歌い続けるオペラ歌手」が苦手。俳優でも同じです。声の強弱、緩急、高低によって、セリフに変化を付けられる人が好き。海老蔵さんのセリフには、そういう工夫があって好きですね。山場を作りだせる人なんですよね。それから永作さんと、司教役の人が良かった。司教役の人は本当に良かった。この3人は顔の表情の変化も面白かったです。海老蔵さんは、印象に残る表情をパッ、パッと随所に差し挟むことができる。舞台用の演技ですね。「自然な演技」とは違います。

●宮沢りえさん、綺麗だった~。絶世の美女。あんまり「劇的な表現力」は感じませんでしたが、それは「そういう役だったから」かな。

●海老蔵さんも、せっかくこのような舞台に出たのですから、照明の手法なんかを歌舞伎に持って帰ってきたらどうでしょう?新作荒事とかで。早くやって!

2007年9月 3日 (月)

あれこれ

●私の記憶が正しければ…、むかし、中丸三千繪さんがテレビで仰っていたのですが、オペラ歌手って歯が割れちゃうそうですね?声の振動で自分の歯が割れるって本当ですか?大きなオペラハウスは施設内に歯医者がある、とも言っていたような気がします。確かに、カラスやパヴァロッティの写真を見ますと、キャリアの途中で歯が替わっている…かも?歯が割れそうなくらいデカい声の歌手って、今もいるのかな?

●武蔵野市民文化会館の「アンナ・ジェームズ ソプラノ・リサイタル」のチケットを予約してみました。予定曲目が3曲しか発表されていませんが(もっと歌いますよね…?)、大好きな《夢遊病の女》のアリアが入っていたので買いました。ちらしには「おお花よお前に会えるとは」と書かれているんですけれども、しかし、このタイトルは間違いです。どう訳すとそうなるのか教えていただきたい。最近、このアリアが歌われる機会が増えてきているようで、それはとても嬉しいのですが、こんな嘘っこタイトルが広まっては困ります。なぜ「ああ信じられない」じゃ駄目なのか。ムキー!

●バルトリの新しいアリア集が出てますね(私はまだ買っていませんが)。《ノルマ》はともかく、《清教徒》や《夢遊病の女》が収録されているのには驚きました。ソプラノ路線に行くのでしょうかね?ああ~、バルトリを生で見たい。オペラ全曲で。

●千葉県のはなみがわ風の丘HALLで、マスネ《ウェルテル》を上演するそうです。12月22日(土)、ピアノ伴奏ハイライト上演、日本語字幕つき。

2007年9月 2日 (日)

9月歌舞伎座 昼の部

秀山祭九月大歌舞伎

2007年9月2日(日)11時 歌舞伎座

●『竜馬がゆく』では、勝海舟役の歌六さんが実に面白かった!芸の底力というものを感じました。他の役々もわりと揃っていた。しかし美術・照明・音響は全く私の好みではありませんでした。特に幕切れ。それと、あからさまな拡声は歌舞伎に似つかわしくないと思います。分からないようにやるなら構わないのですが。

●吉右衛門さん久々の熊谷。福助さん初役の相模。とても期待していた「熊谷陣屋」でしたが、初日のためか、それほど盛り上がりませんでした。義太夫のタイミングを計っているような箇所があって…。気のせいでしょうか。

●富十郎さんの弥陀六は、はじめから頭巾も雪駄もナシ。衣裳も通常と違っていました。「弥平さん、弥平さん、…そんなお方は、いてじゃござりませぬ」という、すっとぼけたセリフは言っていなかった。見慣れた弥陀六とは一味違う感じでした。とても面白かった。しかし「幽霊のご講釈」なんて言っても誰にも分からないのでは…。

●芝翫さんの義経は、「おやじ待て」以下のセリフを四天王に言わせず、ご自分で言っていました。確かに、四天王が言うのは少し不自然ですものね…。でも「ヤアヤア熊谷、申し付けし鎧櫃」とか言っていて、いつ申し付けたんですかって、そういうところはどうでもいいのでしょうかね…。

●福助さんの相模は歌右衛門写し。もう、本当にそっくり。これまでにも何度か似ていると思いましたが、今日が一番似ていました。でも、「もっとはじけてほしい」などと思ってしまうワタクシでした。

●私が今まで見た相模で一番好きなのは芝翫さんの相模。心の動きが明確に描写されて絶品でした。(6歌右衛門のはビデオでしか見たことがありません。)

●今日は、藤の方が笛を吹く前に障子に影が出ていました。

●梶原は、鳥屋まで行って殺されていました。初めて見る人には、何が起きたか分からないのでは…。

●「熊谷陣屋」に関する過去記事↓

http://fukukichi.blog.ocn.ne.jp/collect/2006/10/post_bf76.html

http://fukukichi.blog.ocn.ne.jp/collect/2006/10/post_9c51.html

●「二人汐汲」は、玉三郎さんと福助さんの組み合わせが珍しく、とても期待していましたが、「それなり」な感じでした。もっと2人で踊りまくってほしかった…。うーん、もったいない。でも女形2人だけで踊る演目って、あんまりないですもんね…。

●夜の海の書割、黒く塗りつぶすのは難しいのでしょうね…。

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