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2007年12月

2007年12月28日 (金)

年末年始

●明日から欧州旅行の予定。

「究極のチェネレントラ・ツアー」

・12月29日 成田発→バルセロナ着

・12月30日 リセウ大劇場《チェネレントラ》ディドナート、フローレス

・12月31日 バルセロナ発→チューリヒ着

 チューリヒ歌劇場《チェネレントラ》バルトリ、シラグーザ

・1月1日 チューリヒ発→バルセロナ着

・1月2日 リセウ大劇場《チェネレントラ》ディドナート、フローレス

・1月3日 バルセロナ発→ロンドン着 ロイヤル・オペラ《バレエ・くるみ割り人形》

・1月4日 ロイヤル・オペラ《チェネレントラ》コジェナー、スペンス、コルベッリ

・1月5日 ロンドン発

・1月6日 成田着

●本当に無事に全部見てこられるのか、ちょっと心配。海外旅行はいつもドキドキ。バルトリのアンジェリーナ、フローレスのドン・ラミーロは絶対に見てみたかったんです。

●今年は個人的に、想像もしていなかった幸運と、想像もしていなかった不運が訪れた年でした。自分の意志とは関係ないみたい…。

●みなさま良い年をお迎えください。

本日の「似てる」

フランシスコ・アライサとイレアナ・コトルバシュ、激似。今まで感じたことがなかったのですが、《ラ・チェネレントラ》の映像を見ていたら、ニコニコしてるアライサがコトルバシュそっくりで驚きました。見てみてくださいね。

2007年12月25日 (火)

シャガールの天井画

●生きている間にどうしても見たい絵画。神様どうか私に見るチャンスをお与えください、と祈りを捧げて、見ることが叶ったもの、まだ叶わぬもの。

・横山大観「夜桜」見た

・「日月山水図屏風」(金剛寺・蔵)未見

・モネ「印象-日の出」見た

・ゴッホ「星月夜」見た

・〃「ローヌ川の星月夜」見た

・ムンク「叫び」未見

・シャガール「パリ・オペラ座ガルニエ宮の天井画」見た

・ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」未見

・〃「春」未見

(ちなみにダ・ヴィンチ「モナ・リザ」は見たことがありますが、私はそれほど思い入れがないのでした…。)

●改めて考えてみると、見たかった絵画、すでに結構見てるんですね~。これからまた新たに見たい絵画が出てくるでしょうけれども。

●上記の名画のうち、現地に行かなければ絶対に見ることが出来ないもの、それがガルニエ宮の天井画であります。先日まで公開されていた上野の森美術館「シャガール展」で、天井画の製作風景写真が紹介されていました。「劇場の天井画を描いてください」なんて言われたら、創作意欲がガンガン溢れ出てきちゃうんだろうなぁ、と思いました。

●ガルニエ宮の天井画はいくつかのパートに分れていまして、シャガールのサインを基点として時計回りに、

・カルポー「ダンス」(オペラ座前にある彫刻)

・ラモー

・ベルリオーズ

・ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》

・モーツァルト《魔笛》

・ムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》

・アダン《ジゼル》

・チャイコフスキー《白鳥の湖》

・ストラヴィンスキー《火の鳥》

・ラヴェル《ダフニスとクロエ》

・アンドレ・マルローの肖像

・ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》

を題材に描かれております(ラモーとベルリオーズには特定の作品名なし)。

●私は不思議なのですが、これらの作曲家、作品を描くことを、誰が決めたのか?シャガールが描きたいように描かせてもらえたのか、それとも別な人が「これらのテーマで描いてください」と決めたのか?なぜヴェルディは入っていないのか。猛烈に知りたい。

●それから、ガルニエ宮の天井画を描いてほしいとシャガールに依頼したのは当時の文化大臣アンドレ・マルローだそうですが、1人の権限でシャガールに決定できるものなのか?あまたの画家がいる中で、どうやってシャガールに決めたのか。

●天井画の中にそのアンドレ・マルローの肖像が入っているのは国民も納得ずくなのか?

●ひるがえって、日本の国立劇場にもし天井画や壁画を描くとしたら、誰ならOKなのか。皆が納得する、日本を代表する画家を1人選び出すことが出来るだろうか。

●国立劇場のロビーには多くの日本画が展示されていて、一流画家の名画を見ることができますが、それらは劇場のために描き下ろされたものではなく、別個の作品です。昔の日本建築は、彫刻や絵画を建物の一部として取り入れるということをしていたわけですが、近代建築はそういった装飾を削ぎ落としていて、面白くないなと思いますね。

●ガルニエ宮に行くと、あ~写真撮りたい、すいません、ここで写真撮っていただけませんか、1人旅なもので、って必死に写真を頼んだりするわけですが、国立劇場や新国立劇場では写真を撮りたいスポットがない。いま、みんなバシャバシャ気軽に写真を撮る時代で、歌舞伎座前なんか写真を撮る人が大勢いますけども、国立劇場や新国立劇場では見かけない、そういうところが近代建築の弱いところだなぁと思うのでした。

●羨ましい、ガルニエ宮の美しさが羨ましい。妬ましい。

2007年12月24日 (月)

様式のチェンジをポルタメントで表現する

●クリスマス・イヴということで、ボーッと《ラ・ボエーム》のことを考えていた。そして思い出した、先月のNHK交響楽団の定期演奏会《ラ・ボエーム》で、ミミ役のアドリアーナ・マルフィージが、ちょっと珍しい、懐かしい歌い方をしていたのです。「私の名はミミ」のe in cielo(空を眺めているの)のフレーズの最後を、イ音からロ音に上げて歌っていたのでした。(たしか、そうしていたと思います。)

●マリア・カラスは、この部分について、次のように語っています。→「…《cielo=空》のイ音を、次のフレーズを予期させるように、ロ音にまで持っていきますが、それもなるべくあとの方でやります。このロ音へのポルタメントは実際に楽譜には書かれてはいませんが、もし上手にできれば非常にすばらしい効果をあげることができます。しかしもしうまく行かないようでしたら、もうそのことは忘れてしまいなさい。」(『マリア・カラス オペラの歌い方』ジョン・アードイン:著、西原匡紀:訳より)※ポルタメントというのは、音符と音符のつなぎ方の1つで、ゆったりと孤を描くように次の音に移行する歌い方です。

●このアリア、e in cieloのあとで、詞の様式が切り替わっているのが分かりますか?それまでは、そばにいるロドルフォに向かって話しかける言葉だったのが、ここからロドルフォを離れて、自分の世界に没入しちゃうんです。e in cieloのあとで「会話」から「詩」へと様式がチェンジして、アリアの山場へと翔け上がっていく。様式が切り替わったことを、歌手はどうやって表現するのか?

cieloの語尾を、次のフレーズの頭の音まで上げる歌い方は、昔の録音でたまに聞きます。が、それをやって「素晴らしい!」と思える録音には、まだ出会ったことがありません。(カラスは、3種類残した「私の名はミミ」のうち、1回だけ上げて歌っています。)最高に難しく、繊細な表現で、最近はやる人もほとんどいなくなってしまいました。(上手くやらないと、かえってマイナスになるからかも。)

●この部分でポルタメントを使って成功したら、それは本当にすごいことだと思います。どなたかチャレンジしてみてはいかがでしょう。

●同じように、1つのフレーズの最後を、次のフレーズの最初の音へ前もってポルタメントさせる有名な例として、「今の歌声は」のmi fo guidarmaがあります。楽譜には書かれていないけれど、慣習として、大抵そう歌います。稀にやらない人もいますが、私は好きではありません。そのポルタメントの間に表現される、感情の変化が好きなので、やらないと物足りない。つまり、いたずら心、微笑み、といったものです。

●また《椿姫》で、ヴィオレッタがアルフレードのもとを去る場面Amami, Alfredo(愛してアルフレード)でも、直前のフレーズの語尾をポルタメントさせる場合があります。これはやる人のほうが稀ですが、カラスはそうしています。私は、やっているほうが好きです。そのポルタメントの間に表現される感情のたかぶりが好きなので。

ロッシーニ協会例会

日本ロッシーニ協会例会

2007年12月23日(日)13時30分 オカモトヤ会議室

「ロッシーニ・オペラの音楽稽古-有名アリアにみる指揮者と歌手の音楽づくり(2)」

講師:水谷彰良

●イタリア国営放送で制作されたドキュメンタリーを見ました。公演に先だって行われる、指揮者と歌手の音楽稽古(ピアノ稽古)を収録したもの。

●ジャンルイージ・ジェルメッティとアルベルト・ゼッタのパワフルさが興味深かったです。歌手よりも表情たっぷりで、曲に入り込んでいました。まあ、指揮者とか演出家は、自分の理想とするものを他の人に実行してもらうわけですから、説得力が勝負ですもんね。(しかし、なぜかエヴェリーノ・ピドは大人しい感じでした。)

●レッスン室の美しさが印象的でした。何ヶ所かで収録されていて、全てのレッスン室が美しいってわけではありませんでしたが…。ああ、こんな美しい部屋で稽古していたら音楽も美しくなるかな~と思いました。

brillo(輝く)という単語を歌ったときに、フレーズが「輝いて」いるように聞こえることが重要だとゼッタが言っていました。ワタクシつねづね思うのですけれども、gioia(喜び)とかdolore(悲しみ)などのようなシンプルな単語を歌ったときに、イタリア語が分からない観客に対しても、喜びや悲しみが伝わる、いま喜んでいる、悲しんでいるということが声だけで判別できる、そういうことがオペラ歌手には最も重要なのではないでしょうか。(判別できない歌手、多すぎ。)

●そのためには、GIO-iaのようなアクセントや、音色、ブレスのしかたなど、楽譜に書かれていないものを歌手が付け足していくことが必要なのでしょう。

《ウェルテル》はなみがわ風の丘HALL

小空間オペラvol.23

千葉でちょっと気軽にオペラ通!

マスネ《ウェルテル》

ピアノ伴奏・字幕つき・ハイライト原語上演

主催:はなみがわ風の丘HALL

2007年12月22日(土)15時 はなみがわ風の丘HALL

ウェルテル:小山陽二郎

シャルロット:牧野真由美

アルベール:谷友博

ソフィー:蒲原史子

法務官:若林勉

子供たち:渥美澄香、岡田美優、長田美香、桐原小真季、木場聡子

ピアノ:河原忠之

演出:木澤譲

※14時20分から吉田光司氏による「あらすじ解説」がありました。

●プリマドンナ・オペラといいますと、《ノルマ》《椿姫》《ルチア》《蝶々夫人》《アンナ・ボレーナ》《夢遊病の女》等々、次々に作品が思い浮かびますが、逆にプリモウォーモ・オペラというと、まずヴェルティの《オテッロ》、それからジョルダーノ《アンドレア・シェニエ》、あとはこの《ウェルテル》。たった3作品しか思い浮かびません(他にもありますかね…?)。

●テノールのアリアって、ソプラノのアリアに比べて、短いものが多い。それだけテノールの喉って繊細なんですよね。喉のつくりが違うのかな?(アジリタの技巧も男女で違うような気がします。テノールは希少なんですね。)

●マスネ《ウェルテル》の原作であるゲーテ『若きウェルテルの悩み』は、書簡体で書かれています。ウェルテルから友人に宛てた手紙が日付順に並んでいる。つまり、ウェルテルの心情ばっかりが書かれていて、シャルロットの心の中は直接的には分からない。そのような小説を基としているわけですから、プリモウォーモ・オペラに仕上がるのも、もっともなことでございます。

●そういうわけで(?)、シャルロットのアリア「手紙の歌」は、今ひとつよく分からない。何を考えてるのか、よく分からない。

●私が折に触れ小山陽二郎の素晴らしさを口にしますと、そのたびに友人Hが「でもスタミナないよね~」と言うのですが、あながち間違いでもないので、反論出来なくて悔しい。《ウェルテル》は小山さんのキャラクターに合っている役だと思ったけれど、こんな歌いっぱなしの役、大丈夫なのかね…と多少の心配。しかし、全くの杞憂でした。全編熱唱、快心の出来栄えだったと思います。(なのに、こういう公演を友人Hは見ていないのだった。)

●会場は90席弱の小ホールで、舞台も狭いですから、具象的な舞台美術を用いることは出来ません。素の舞台に、蛍光灯の間接照明の白い光が当たっています。衣裳はモノトーン。ウェルテルとシャルロットの二重唱では、シンプルな振付があって、ゆるやかに踊りながら歌う感じでした。全体的に、抽象度が高めの舞台。この劇場の空間に合っていました。器に合った演出ってあるよなぁと思いました。

●児童合唱も出演しました。やっぱり児童合唱が出ないと、《ウェルテル》は上演出来ませんよね。女の子ばかりでしたが立派でした。

●本来ならば冒頭に、シャルロットが妹たち1人ずつにパンをちぎってあげる場面があるのですが、今回の演出では、パンをあげる代わりに口紅を塗ってあげていました。歌詞のとおりでない、いわゆる「読み替え演出」ってやつですね。ここはシャルロットが母親代わりを務めていることを示す場面なので、母性を表す事柄であれば何でもいいとは思うのですが、口紅を塗るっていうのだと普通のお姉さんみたいで、ちょっと違う感じでした。

●ウェルテルの自殺は、普通ですと「幕が開くとすでに倒れていて…」っていうふうになるはずですが、このホールには緞帳がないんです。どうするんだろうかと思ったら、そういう具象的な表現ではありませんでした。銃弾に倒れて、っていう具体的な演出じゃなかった。顔を薄く白塗りしたウェルテルが舞台奥からゆらゆら登場(白塗りはかなり衝撃的でした)。少し虚ろな眼差し。そして立ったまま歌い続ける。銃弾の痛みなどの表現はナシ。児童合唱に囲まれて、天使に連れられていくみたいに、再び舞台奥へ消えていきました。

●予算や舞台機構の都合で出来ないことがあった場合、「抽象的」という表現方法は有効であるなぁと思いました。能楽や落語でも、何もない空間だからこそ何でも表現できる、という側面がありますもんね。でも、繰り返しになりますが、それは劇場の規模にもよると思う。あまり大きな空間には向かないように思います。

●他のキャストも揃っていました。

●ピアノは1人で弾きっぱなし、自殺前の嵐の場面まで演奏していました。素晴らしい演奏でした。

●マスネの《ウェルテル》は、観客がゲーテの原作を読んでいることが前提になっているような気がする。長い原作のうち、エッセンスだけが切り取られているので、流れが唐突な印象を受けるけれども、原作を読んでいれば「なるほど」と思える。今回私は、舞台に合わせて小説も読んだので、より楽しむことが出来ました。

●そのように、受け手に対して何かの知識を要求する作品は、どうしても上演頻度が低くなってしまいますが、それでも名作なので、もっと上演されるといいんですけどね~。

2007年12月20日 (木)

ブルース・フォード テノール・リサイタル

ブルース・フォード テノール・リサイタル

主催:財団法人武蔵野文化事業団

2007年12月20日(木)19時 武蔵野市民文化会館小ホール

ピアノ:斎藤雅広

■プログラム

A.C.ゴメス「あなたを見つめて」

S.メルカダンテ「祈り」

〃「死に逝く人の嘆き」

〃「スイスの牧人」

A.ベルギオジョソ「あなたは私に言わせようとしているのでしょう」

G.ロッシーニ「ゴンドラでの小散歩」

〃「バッカナール」

〃「踊り」

□休憩

G.F.ヘンデル《セメレ》より「あなたがどこを歩くとも」

W.A.モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》より「恋人を慰めて」

G.ドニゼッティ《愛の妙薬》より「人知れぬ涙」

G.ヴェルディ《リゴレット》より「風の中の羽根のように」女心の歌

R.シュトルツ「私がウィーンの女の子を愛したら」

E.カールマン《伯爵夫人マリツァ》より「来たれ、ジプシー」

F.レハール《ほほえみの国》より「君こそわが心のすべて」

□アンコール

G.ドニゼッティ「私は家を建てたい」

デ・クルティス「忘れな草」

●ブルース・フォードは、声が結構好きなんです。それで以前、《セビリアの理髪師》で伯爵を歌っている全曲CDを買ってみたら、最後の大アリアをカットしていてガッカリしました。私は、「もう逆らうのをやめろ」をカットするテノールを「ガッカリ・テノール」、「花から花へ」で3点変ホ音を出さないソプラノを「ガッカリ・ソプラノ」と呼んでいます(心の中で)。

●遅れて行ったので1曲目は聞けませんでした。駅から真剣に走っていたら間に合ったのかも。「どうせ絶対に間に合わないし」と思っていたので、チンタラ走ってしまったのがいけなかった。

●歌詞の分からない歌曲って、あんまり興味がないのですが、今日はそれなりに楽しめました。「スイスの牧人」が特に良かった。

●「女心の歌」は、最後の部分をカットしていて、1節目と同じように歌い終わってしまいました。初めて聞いた…。

●ブルース・フォードは、長い音符を伸ばす間に、母音が別の母音に変化してしまうようで、あまりイタリア語が上手くないと思いました。それと、細かい音符が粒立たない感じでした。どうも盛り上がりきらないまま終演してしまいました。私は《セメレ》が1番良かったかな。歌詞が分からなかったけれど…。

●終演後は吉祥寺のイタリア料理店にて6人で食事。おいしいお店でした。

2007年12月19日 (水)

《ウェルテル》あれこれ

●今週末、マスネ作曲《ウェルテル》を見る予定。ピアノ伴奏ハイライト上演だけれど、とても楽しみです。今、予習をしている最中なんです。日本語対訳が付いていたジェリー・ハドリー主演盤CDを聞いているのですが、ジェリー・ハドリーは今年7月にピストル自殺をしましたでしょう(享年55歳)。引き金を引く前に、絶対にこのオペラのことが頭をよぎったに違いない!と思うんです。もちろん録音したときには、将来のそんな自分を想像することはなかっただろうけれど、聞く私としては、どうしても重ね合わせてしまう部分があって、すごく切ない(と言うか、ちょっと恐い)感じがします。何だか真に迫ってるようで。

●ゲーテの原作『若きウェルテルの悩み』が出版されたときは、若者の自殺が流行ったそうです。近松門左衛門の『曽根崎心中』が上演されたときは日本で心中が流行ったそうですが、そういう「呼び水」って、あるんですね~。

●キリスト教って、自殺は厳禁じゃないですか。大罪なんですよね。プッチーニの《トスカ》が作曲されたときは、「敬虔なトスカが自殺するはずがない」と言って台本作家が結末を変えようとしたけれど、原作者のサルドゥーが譲らなかったので今の形になった…と聞いたことがあります。《タンホイザー》でエリーザベトが不思議な死に方をするのも、自殺させられないからなんですね(?)。

●オペラの《ウェルテル》では、「子どもが思いがけず早く旅行から帰って来たとして、とがめる親がいるだろうか?」「僕をお召しください!」なぞという場面があり、うーん、こんなセリフを聞いたら確かに死んじゃうかもしれないな~と思いました。それだって人間のすることだし…。

●それで、いまゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んでおります。オペラだと、2人の馴れ初めがちょっと省かれている感じですけれども、小説を読むとよく分かります。小説とオペラは全く別個のものだとは思いますが、このオペラは、小説を読んだ人向けに作られたものだと思う。(公演までに読み終わるかな…。)

中島みゆき コンサートツアー2007

中島みゆきCONCERT TOUR 2007

2007年12月16日(日)17時30分 東京国際フォーラムホールA

●私は中学3年生のころからの中島みゆきファン。もう20年以上になる…。高校生のころは明けても暮れても中島みゆきを聞いていた。まあ、暗い子だったんですね。最近は、ときどき聞く程度になりましたけど。夜会には第2回から毎回行っています。

●今回は、セットや照明やダンスなど、視覚的な仕掛け、ショー的な要素は少なく、じっくり歌を聞かせる感じのコンサートでした。特に「ファイト!」がすごい迫力でした。音響も良かった。3時間近く、ずっと歌ってずっと喋ってました。日によって多少、曲目を変えているそうです。1度しか行かないのが残念。

●私なんか、すぐに「もう人生に疲れました」とか「早くお迎えが来ないかしら」などと思ってしまうのですが、「ファイト!」「重き荷を負いて」なんか聞きますと、明日はもう少し頑張らなきゃね、と考え直すのでした。

■演奏曲目

御機嫌如何

1人で生まれて来たのだから

あなたでなければ

一期一会

EAST ASIA

蕎麦屋

ララバイSINGER~アザミ嬢のララバイ

宙船(そらふね)

昔から雨が降ってくる

唇をかみしめて(作詞・作曲:吉田拓郎)

ファイト!

誕生

I Love You,答えてくれ

ボディ・トーク

重き荷を負いて

□アンコール

本日、未熟者

地上の星

背広の下のロックンロール

2007年12月16日 (日)

国立劇場12月歌舞伎公演

12月歌舞伎公演

2007年12月16日(日)12時 国立劇場大劇場

「堀部彌兵衛」

●名作って感じではなく、佳作って感じでした。でも楽しかった。吉右衛門さんの笑い方、泣き方の上手さが印象的でした。嬉し泣きは、技巧的に難しいと思う。

●あの凧が欲しい…。よほどの贔屓がもらうのかな。いいなあ~。

「清水一角」

●最後のところが、少し面白かった。

「松浦の太鼓」

●吉右衛門さんの松浦侯が絶品。セリフの自在さ、さすが秀山十種の内。歌六さんの其角も実に良かった。

2007年12月15日 (土)

12月歌舞伎座 夜の部

十二月大歌舞伎

2007年12月15日(土)夜の部 歌舞伎座

「寺子屋」

●「寺子屋」は人気狂言で、頻繁に上演されます。どんな座組でも楽しめるものですが、見ていて泣くことって、意外と少ない。源蔵夫婦が菅丞相から受けた恩義、松王丸が菅丞相から受けた恩義がこの場面では描かれていないので、初めて見る人は理解しがたいのではないかと思うのだけれど…。

●何の予備知識もなく見ても泣ける場面っていうのは、「泣くのをこらえる千代」くらいなのじゃないかな。「泣くのをこらえる福助」はもう最高に素晴らしい。

●松王丸の「桜丸が不憫でござる」というセリフを聞いていると、「どうして突然、桜丸が出てくるの?」って多くの観客が不思議に思うのではないでしょうか。小太郎を殺した源蔵夫婦の手前、小太郎のためには泣けないので、桜丸のために泣いていることにして、実は小太郎のために泣いている…という解釈をよく聞きます(橋本治さんの随想に書かれてました)。13仁左衛門は、ここは桜丸のために泣くんだ、義太夫の詞章がそうなっているんだから、って何かに書いていたんじゃないかな(曖昧な記憶で恐縮)。このあいだ幸四郎さんがやったときは、「桜丸が、倅が、桜丸、倅…」とミックスしていましたね。

●この作品は「三つ子」というのが大きなテーマになっています。今では三つ子も珍しくないけれど、当時は「これで1つ芝居を書こう」となるくらいに稀なことだった。この兄弟には、特別な結びつきがあったと思うんです。三つ子だったからこそ菅丞相との縁も生まれたのですし。その1人が死んでしまったことの重みを考えると、松王丸がここで桜丸のために泣くのも、分かる気がします。小太郎は死んで役に立ったけれど、桜丸はただ死んでしまった、そのことを松王丸は泣いているのだと思う(詩章にそう書いてあるわけですが…)。

●松王丸は、三つ子のうち1人だけ敵方だという疎外感があったから、1人だけ先に死んでしまった桜丸に対して、共鳴する部分があったんじゃないでしょうか。

●「菅原伝授手習鑑」は、3組の親子の別れが描かれていますが、兄弟の別れや、伯父・甥の(あの世での)出会いもあります。「その伯父御には小太郎が会いますわいの」という千代のセリフは、大変に味わい深い。

●でも、そういうことって、この場面だけ見ても分からないですよね~。私は通しで見たことがあるから分かりますけど…。

「粟餅」

●楽しい舞踊でした。

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

●先日、この演目だけ3等B席で見たのですが、今日は1等席。やはり1等席は良いですね(当然だって)。超豪華キャストで堪能しました。次は「湯島の境内」希望。声色は歌江さんで。

オペラ・ブッファの楽しみ

南條年章オペラ研究室 第17回特別演奏会

オペラ・ブッファの楽しみ

主催:南條年章オペラ研究室

2007年12月13日(木)19時 サントリーホール ブルーローズ

●感想は時間があったら書きます。

シルヴィ・ギエム 進化する伝説

シルヴィ・ギエム 進化する伝説 Bプロ

主催:財団法人日本舞台芸術振興会

2007年12月10日(月)18時30分 東京文化会館

●感想は時間があったら書きます。

スミ・ジョー

スミ・ジョー&モスクワ・フィルハーモニー交響楽団

指揮:ユーリ・シモノフ

主催:tv asahi/Samon Promotion.Inc.

2007年12月9日(日)13時30分 サントリーホール

●感想は時間があったら書きます。

2007年12月14日 (金)

舞踊解説

●歌舞伎舞踊って、歌詞の内容を体の動きで表す、という要素が強いですよね。クラシック・バレエのように言葉のない音楽で踊るものよりも、意味とかドラマが濃い。あんまり歌詞そのままの振りは野暮だとされますし、全く意味のない形本意の振りが混ざったりもしつつ、詩章から不即不離の間合いが保たれています。

●私は「京鹿子娘道成寺」が大好きでして、「娘道成寺」であれば上手くても下手でも楽しめる自信があります。大学生の頃は「この魔法のような手の動きはどうなっているんだろうか」って、ビデオをコマ送りにして見たりしていました(ヒマだったんですね…)。

●それで、「娘道成寺」はもう何度も見て、何となく意味は分かっているつもりでいました。ところが、あれは何年前だったか、吾妻徳彌さんの「娘道成寺」を見ていて、「武士も道具を」のところで、「ああ、ここって大小の柄を握ってる振りだったのね」って分かったんです。それまで分かってなかった。自分で驚きました。

●「恋の分け里 武士も道具を 伏せ編み笠で 張りと意気地の吉原」っていう詩章ですけれども、「分け里」は遊廓のことで、「分け」には「諸訳〔しょわけ〕」という意味が掛けてありますでしょう。「武士も道具を伏せ編み笠」っていうのは、遊廓の中では武士も町人も関係なくって、刀(道具)は茶屋に預けなければならなかったし、編み笠かぶってお忍びだったりとか、いろんな身分の人が同じ地平に集合して恋の駆け引きがある、張り良し意気地が良し原っていうふうになっている。その詩章に合わせて、刀の柄に手をやり、編み笠をかぶり、という振りが付いている。

●よく「音楽・舞踊は言葉の壁を越えて世界に通じる」などと言いますが、身体言語が誰にでも通じるかというと、そんなことないなと思いました。だって私には分からなかったもの。

●今どきの若い人は、大小(刀の2本差し)と言ったって知らないだろうし、まして武士が遊廓でどのように振る舞っていたかなんて、想像もつかないでしょうしね…。

●高校生のとき、古文の授業のために、百人一首の解説書を買いました。単語の意味はもちろん、掛詞から当時の慣習から、至れり尽くせりの解説で、とても分かりやすかった。歌舞伎舞踊の詩章を、その百人一首の解説と同じくらい分かりやすく、一語一句説明してくれる本、出ないですかね~。

●あるいは「この動きは、こういう意味です」って、1つ1つ解説してくれるカルチャーセンターとか、ないですかね~。舞踊を習っている人は、お師匠さんから教えてもらえるだろうけれど、見てるだけの人にも振りの意味を教えてくれる教室があってもよくない?

●私はいつも思うのですが、歌舞伎の筋書は文章が難しすぎます。もっとお馬鹿さん向けに書くべき。分かっている人には必要ないのですし。それから、固有名詞には必ずルビを振ってほしい、総ルビにしてもいいくらいです。よく「舞踊は意味が分からなくても楽しめます」なんて言うけれど、意味が分かった方がもっと楽しめます。

2007年12月11日 (火)

酢豆腐

●演劇評論家の渡辺保氏が、ご自身のホームページ掲載の劇評で、今月の歌舞伎座「信濃路紅葉鬼揃」について、「これがいいという人はよほどの『酢豆腐』である。」と書いています。お読みになりました?「酢豆腐〔すどうふ〕」というのは、落語のネタで、夏になると頻繁に高座にかかります。演者によって多少変動がありますが、基本的な話は

・豆腐を腐らせてしまった。

・ふだん知ったかぶりで知識をひけらかしている嫌な奴に、「珍味が手に入った」と騙して食べさせることにする。「私は食べたことがないのだが、あなたなら知っているかと思ってね」などと言って。

・その男は、素直に「知らない」と言えないので、調子にのって腐った豆腐を食べてしまう。とても不味いのだけれど、無理して美味しそうに振る舞う。

という感じです。

●何かを見て、何を言っても構わないのだけれど、他人の感じ方にまで口出しができるものだろうか?

●美術館で、たくさんの絵が展示されていますでしょう。全ての絵を気に入るわけではない。ずっと見ていたい絵もあれば、何も感じない絵もあります。それは、絵の知名度とは関係ないものです。嫌いな絵は黙って通り過ぎればいい。自分が「何じゃこりゃ」と思うような酷い絵でも、描いた人には、やむにやまれぬ事情・必然性があったのかもしれないし、その絵を好きな人もいるかもしれません。それでいいのが芸術です。芸術は「それを分かる人のためのもの」であって、分からない人には関係ない。

●などと言いながら、芝居を見終わったあと、気の置けない友人と、いま見たつまらない芝居の悪口で盛り上がることがあります。そういうのも芝居を見る楽しみのうちかな、と思う。芝居は、ある程度は予想がつくとはいうものの、実際に見てみないと面白さが分からない。払ったチケット代に見合わなければ、不満も出ようというものです。しかし、マイナスの事柄を口に出すときほど、気をつけなくてはいけないと思います。言葉は、使い方によって凶器になります。

●以前、勘三郎さんが、『演劇界』に自分のカラー写真を掲載させない、という時期がありました。劇評で共演者をけなされたのがきっかけでした。『夏祭浪花鑑』に、歌舞伎俳優でない笹野高史さんが出演して話題になったときです。私は、これは勘三郎さんがおかしいと思いました。『夏祭浪花鑑』は義太夫狂言ですから、義太夫物としてのセリフが言えなければ、いくら感情がこもっていたとしても、評価しない人が出てくるのは当然予想できます。しかし勘三郎さんは許さなかった。私は「それはおかしい」と思ったけれど、同時に、まあ、分からなくもなかった。

●私は基本的に「人それぞれ」「好きずき」と思っているので、あまり人の感想に左右されたりしません。「○○が良かった」「○○が酷かった」などという感想は、見た人数分だけあって、誰にでも書けることです。感想を書いた1人の意見で芝居の評価が決まるはずもありません。朝日新聞で褒められていたからすごいとか、ニューヨークタイムズで褒められたから偉いとか、全然思わない。ただ、評判が良ければ次にも上演のチャンスがあるし、評判が悪ければ上演されなくなる。それだけのことだと思います。

●私にとって劇評に意味があるとしたら、それは「知らなかったことを教えてくれる」「それによって、芝居を見る楽しみが増す」「何かを考えるきっかけになる」ということでしょうか。自分が感動した舞台について、他の誰かがけなしていたとしても、そのことによって感動が減る、などということは絶対にありえません。

●今月、たとえば能について全く知識のない人が、「信濃路紅葉鬼揃」を見て感動したとしても、少しも恥じることはないと思います。(言うまでもありません。)

寺子屋

十二月大歌舞伎

2007年12月8日(土)夜の部 歌舞伎座

●夜の部「寺子屋」だけ見ました。感想は時間があったら書きます。

2007年12月 9日 (日)

12月歌舞伎座 昼の部

十二月大歌舞伎

2007年12月8日(土)昼の部 歌舞伎座

「鎌倉三代記」

●福助さんの公式ホームページでも書かれていましたけれども、福助さんは風邪をひいたのだそうで、声が荒れていました。オペラ歌手だったらキャンセルとなるところですが、歌舞伎俳優は出演するんです。声の美しさ以外のもので埋め合わせが出来るからです。体の動きが言葉になっているんですね。体の動きでしゃべれるの。すごい芸能だなぁと改めて思いました。こういう演劇の形態を持っていることがすごい。義太夫狂言の中でも、三姫は特に、体の動きで感情を表現することが求められますね。バレエでも、「こういう動きをしたら、それはこういう意味」っていう身体言語がありますが、それは舞踊だから当然のことでしょう。役者が身体言語を持っている、リアリズムではなく記号を持っている、という点がすごいと思う。(でも、揚巻は風邪ではすまないかも。)

●「鎌倉三代記」って、いま一つ話が分からない。だいたい真田幸村は名前しか知らないし。木村重成って誰?って感じですし。ま、知らなくてもそれなりに楽しめてしまうから調べないのかも…。ワタクシ、オペラを見るときは多少なりとも予習・復習するくせに、歌舞伎だとつい怠けてしまう。しかし、「鎌倉三代記」について分かりやすく解説してくれる本なんて、ないんじゃないかなぁ。歌舞伎の筋書は、作品解説が手抜きだと思う。読んでも分からないあらすじが多いし。お馬鹿さん向けに書いてくれないとね…。

「信濃路紅葉鬼揃」

●衣裳が綺麗でした(装束って言った方が良い?)。でも、笑也さんと春猿さん2人だけ衣裳の色合いが似ていて、バランス的にどうなんだろうかと思いました。不思議でした。

●傳左衛門さんの鼓の音が素晴らしかった。1音1音に味わいがありました。他の人と違う。

●従者がすぐ引っ込んでしまうのが不思議でした。

●山神だけ衣裳も所作も様式が違っていて、浮いているように思いました。

「筆屋幸兵衛

●有名なわりに滅多に上演されない作品。まあ、暗いですからね。友人が「綺麗じゃない」「目的が分からない」「なにもあそこまでどん底にしなくても」と言っていました。でも私は楽しみました。作品の意味が分かった。これまでは、「この終わり方は何?」「これのどこがハッピーエンドなの?」「貧乏なのは変わらないのに?」「ありがたい水天宮のご利益が、たったこれだけ?」と思っていました。でも今回見ていたら、額の傷の理由を嘘にする大家の気遣いとか、それを茶化す町の衆の洒落っ気、わざわざ金を届けにくる萩原の妻の気持ち、そういうものに囲まれて、幸兵衛はこれからも生きていくんだなぁ、それは確かにハッピーエンドだなぁ、と思いました。慈悲の心、自分の持っているものを分け与える心、他人の悲しみに共感する心、そういうものに感動しました。

●私は性格が暗いのか、暗い話が嫌いじゃないんですね。なぜわざわざ暗い芝居を見るのかっていうと、そういう状況下では、普段は表に出てこないような愛情なんかが形となって出てくるから、かな。

●自分の仕事が突然なくなってしまう、そういうことって、私にもあるかも…と思って、なんだか身につまされました。仕事ができる有難みを思いました。

●勘三郎さんの狂乱の演技がすごい~。オペラ歌手を目指しているような人は、勉強だと思って絶対に見ておくべき。この演目だけ「幕見〔まくみ〕」で見ればいい。当日自由席、900円で見られる。正式なタイトルは「水天宮利生深川〔すいてんぐうめぐみのふかがわ〕」、通称「筆屋幸兵衛〔ふでやこうべえ〕」。

http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2007/12/post_20-Schedule.html

双眼鏡で勘三郎さんの顔をずっと追う。きっと財産となるでしょう。

●実際の勘三郎さんは貧乏のびの字も知らない金持ちであるにも関わらず、これだけ貧乏役がハマるのはすごいと思いました。「ニン」ってやつですね。よく思うのだけれど、金持ちには貧乏の役は出来るでしょう。貧乏人に金持ちの役は出来るかな?頭の良い人には頭の悪い役は出来るだろうけれど、頭の悪い人に頭のいい役は出来るかな?どうでしょう?

●花道のスポットライトがヘンでした。花道の付け際に行くと、突然パッと当たるの。ヘン。

2007年12月 8日 (土)

一館のみ

●NBSニュースが毎号郵送されてくるんですけれど、最新号の佐々木忠次氏のコラムに→「いま地方都市ではオペラ上演が可能な近代的な設備を備えた劇場がいくつもできているが、東京は50年前にできた上野の東京文化会館一館のみというお粗末さだ。」と書かれていました。「新国立劇場一館のみ」の間違いじゃないの?東京文化会館なんて、ウィーンの《ロベルト・デヴェリュー》を上演できないじゃない?袖は狭いし奥行きないしセリはないし。私としては「オーチャードホールよりは多少まし」という程度の認識なんですけど…。美しくないし。

●ところで佐々木さんって、新国でオペラ見たことあるのかな?ないか。

2007年12月 6日 (木)

ロミオとジュリエット

●シェイクスピア『ロミオとジュリエット』を読みました。さすが名作。おおまかなストーリーは既に知っていましたから、ストーリーに感動することはありませんでしたが、言葉の面白さを満喫しました。「ああロミオ、なぜあなたはロミオなの」「あの鳴き声は夜鳴き鶯」「お前の鞘は私の体」などの超有名セリフの他にも、素晴らしき名言がバシバシ出てきます。登場人物全員が口から詩を出し続けている感じ。「本当のことですから悪口ではありません」なんて、何と美味しいセリフではありませんか。フフ。

●続いてフランコ・ゼッフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』を見ました。『ロミオとジュリエット』って、セリフの面白さを楽しむ芝居だと思ったんですけど、この映画では「映像の美しさを楽しむ」という魅力が加わっていて、新鮮でした。小説を読みながら頭の中でイメージしていた風景より、はるかに美しい映像詩。あの文字がこの映像になるのか…と思うと、不思議な感じ。(しかし、字幕だと文字数の制限があるので、セリフの面白さは減退しています。英語が分かったらもっと楽しめたのに…。)

●映画では、ロミオとジュリエットが、それはもうキスしまくりで、顔を合わせれば即キス。ああ、キスってこんなにするものなのね~、若い男女ってこういうもんなのね~と驚きました。それから、声をあげてワンワン泣くんですね。ジュリエットが「もうすぐ14歳」っていう設定ですから、まだ子どもなんですよね。いえ子どもったってもう幼児じゃないんだけど、大声で泣く。なんだか懐かしかった。私はもう、大声をあげて泣いたりしないからね。子どもの頃はギャーギャー泣いたけど。大人になると感情の起伏がゆるくなるのかな?

●『ロミオとジュリエット』は、演劇として劇場で上演されるときは、どんな感じになるのかな…。やっぱり映画とは違うセリフ術が求められるんだろうな。

●ベッリーニ作曲のオペラ《カプレーティ家とモンテッキ家》は、シェイクスピアを原作としたものではなく、イタリアに伝わる説話から台本を作ったそうです。いろいろな相違点がありますが、オペラでは、毒を飲んだロミオと生き返ったジュリエットが顔を合わせる場面があり、切なさもクライマックス、秀逸だと思いますね。

2007年12月 5日 (水)

ふるあめりかに袖はぬらさじ

十二月大歌舞伎

2007年12月5日(水)夜の部 歌舞伎座

●職場を定時ダッシュして(またか!)、歌舞伎座ヘ直行。30分で着いて、ギリギリ「ふるあめりか」から鑑賞しました。玉三郎さんのお園は旧セゾン劇場で見たことがあります。松竹座で藤山直美さんのお園も見たことがある。玉三郎さんのビデオも見たことがあるなぁ…。

●今回は、歌舞伎会のカウント稼ぎのためにチケットを取ったんです。私は贔屓役者の後援会からチケットを取ることが多いので、ゴールド会員は無理で、特別会員狙い。後援会よりもゴールド会員の方が良い席がGETできると思うんだけれど、まあ本当に「後援」って意味で後援会から取ってる感じですかね…。

●私は、歌舞伎座ではいつも1等席か3等A席で見ています。3等A席を取るときは、席の場所もよほど吟味しないと、舞台が見づらくてかないません。今日はカウント稼ぎなので久しぶりに3等B席でしたが、もう見づらくて見づらくて。観客もマナー悪いし…。学生のころは常に3等B席でしたけどね。

●七之助さんの細さが印象的でした。昔の写真を見ると玉三郎さんも福助さんもガリガリですけど、だんだん肉がついていくものなのかな…。やっぱり若女形は痩せていないとね。太っている女形なんて見ていられないもの。

●昔の芸談を読んでいると、舞台上で役者が役者を叱る、注意するというエピソードがよく出てきますけれども、私は見たことがなかった。今日、玉三郎さんが獅童さんのなまりを直していました(優しい感じで、普通に)。1度ならず2度3度。直らないんですよね~、今日が初日じゃないのに。「厭う」って正しく言えなかったんです。

●今日の「ふるあめりか」を見ながら、熱烈に、玉三郎さんの新派が見たい!と思いました。「日本橋」「婦系図〔おんなけいず〕」が見たい。いい演目がいっぱいあるのに、このままでは、もったいない。新派の演目も歌舞伎に組み込んじゃえばいいのに。どうせ上演されなくなっちゃいそうだし…。能楽や文楽を組み込んだみたいに、「新派物」とかいうふうに。

2007年12月 4日 (火)

大隅智佳子 博士後期課程学位審査演奏会

大隅智佳子2007年度

博士後期課程学位審査演奏会

~オペラにおけるヴェリズモ-真実主義-について~

学位論文に基づく審査演奏会

2007年11月27日(火)19時 東京藝術大学構内:第6ホール

ドニゼッティ《アンナ・ボレーナ》第2幕より

アンナとジョヴァンナの二重唱

アンナ:大隅智佳子 ジョヴァンナ:田崎尚美

ヴェルディ《椿姫》第2幕より

ヴィオレッタとジェルモンの二重唱

ヴィオレッタ:大隅智佳子 ジェルモン:上江隼人

マスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》より

間奏曲 ピアノ・ソロによる演奏

ピアノ演奏:多田聡子

シャルパンティエ《ルイーズ》第3幕より

ルイーズのアリア

ルイーズ:大隅智佳子

プッチーニ《マノン・レスコー》第4幕より

最終場面 マノンのアリアとマノンの最期

マノン:大隅智佳子 デ・グリュー:土崎譲

●藝大の構内には、これまでにも奏楽堂の公演のときに入ったことがありますが、校舎に入ったのは今回が初めてでした。き、汚い…。「古いけれど趣きのある建物」をイメージしていたのに…。日本の美を司る最高学府の建物があんなにショボいなんて、ショックでした。あんなところで毎日生活していたら、マイナスの雰囲気が体に染み付いてしまわないかと心配。でも大学なんて、どこもあんなものなのかな。私の母校はもっと汚かったし。ラ・ボエーム!って感じか。

●ピアノ伴奏の発表会ながら、ちょっとした演技もついていて、楽しみました。私が大隅智佳子さんを知ったのは、「ドニゼッティ作曲・英国女王三部作」の自主企画公演のとき。でも、この発表会ではプッチーニが1番良いと思いました。

ロッシーニ協会 例会

日本ロッシーニ協会 例会

2007年11月25日(日)18時15分 きゅりあん6階大会議室

ロッシーニ《タンクレーディ》上演映像鑑賞

1985年3月24日、トリノ・レージョ劇場上演映像

講師:千代田晶弘

私は、《タンクレーディ》を生で見たことはなくて、映像を1度見ただけ。これが2度目でした。今回は字幕なしの映像で、合間にあらすじ解説を聞きながらの鑑賞。あらすじを聞いても、よく分からないストーリー…。でも第2幕は楽しめました。でも終わりはあっけなかった。はたして生で見る機会は訪れるだろうか…。

2007年12月 3日 (月)

最近

最近、ブログの更新が滞っている…。11月は観劇予定を入れすぎました。まあ書ける範囲で適当に書くつもりです。あまり細かく考えすぎないようにしようっと。

ダニエラ・ブルエラ ソプラノ・リサイタル

ダニエラ・ブルエラ ソプラノ・リサイタル

主催:財団法人 武蔵野文化事業団

2007年11月25日(日)14時 武蔵野市民文化会館小ホール

ピアノ:斎藤雅広

前半はラヴェルとレスピーギの歌曲。後半はオペラ・アリア盛りだくさんでした。《夢遊病の女》のアリアでは、ちゃんと「歓喜のカバレッタ」まで歌っていました。《椿姫》のアリアは、カヴァティーナもカバレッタも繰り返しカット。《清教徒》のアリアもかなりカットしていました。高い音は出していました。「お値段ぶん楽しみました」という感じの公演でした。

ロッシーニ協会コンサート

演奏会 ロッシーニへの旅

Il viaggio Rossini

主催:日本ロッシーニ協会

2007年11月24日(土)14時 津田ホール

《新聞》《オテッロ》《チェネレントラ》からアリアと重唱。今年の夏のロッシーニ・オペラ・フェスティバルで見てきた《オテッロ》の重唱が聞けたのが嬉しい。デズデーモナは家田紀子さん、ロドリーゴは小山陽二郎さん、オテッロは上原正敏さんでした。私は上原さんを初めて見たのですが、とても個性的な歌いぶりで、印象に残りました。

2007年12月 2日 (日)

ナクソス島のアリアドネ

●ついに私は見た、R.シュトラウス作曲《ナクソス島のアリアドネ》の映像を。今まで1度も見たことなかったんですね。歌舞伎だと、有名演目はもうたいてい見ちゃったんですけども、オペラは見ていない作品が山と残っていて、先々楽しみ。「初めて見る楽しみ」は1回しかないですからね(当たり前)。

●まず、グルベローヴァ主演のスタジオ収録版を見て、次にデセイ主演のザルツブルク音楽祭ライヴを見てみました。素晴らしい…。こんなすごい作品だったなんて感激。もっと早く知っていれば良かった…とは言わないことにしよう。こういうのは巡り合わせだから。

●「私たちは偶然島に居合わせた陽気なグループ」っていうセリフに心酔。もう台本作家の才能に惚れ込みました。台本が良いオペラは最高ですね。

●グルベローヴァが自ら1番好きな役と言うだけあって、歌も演技も唖然とするほど、神がかり的な名演。イタリア物より合っているのでしょうね。スタジオ収録なので口パクなのですが、本当に歌ってるみたいに見えるし。それに比べてアリアドネ役のヤノヴィッツはバレバレのリップシンク。ヤノヴィッツが歌い始めると眠くなる…。

●「偉大なる王女様」のアリアだけ何度も聞いたことがあったのですが、これまで意味がさっぱり分からなかった。グルベローヴァのコンサート映像でも見たことがあります。すごく良かったけれど、意味が分からなかった。意味の分からないアリアなのだと思っていた。こんなアリアだったなんて…。同じ言葉が歌われているのに、こんな意味だったなんて…。ホフマンスタール、すごすぎ。

●ザルツブルクの映像は、時代設定を現代に移し変えた「読み替え演出」ってやつでした。前半はツェルビネッタの描き方とか結構面白かったんですけど、後半になったら俄然つまらなくなった。前半と同じセット。楽屋裏と舞台上と変わりばえがしないって、どういうことなんだろう…。読み替え演出って、そういうの多いですね。

●それで、読み替え演出の話ですけれども。セリフと違うことをやってますでしょう。「洞穴」「王女」「魔女」などは、比喩として受け止められるんですけれども、アリアドネとバッカスの最後のやり取りで、神がどうしたとか歌い始めるともう駄目で、「二人狂乱」っていう新趣向だろうか?などと思ったことでした。やっぱり現代演出は私の好みじゃないのかも。デセイの「偉大なる王女様」にも感動できませんでした。グルベローヴァ主演の映像の方が断然面白かったです。

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