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2008年8月18日 (月)

道行の会「道行初音旅」

義太夫を音楽としてよみがえらせる会

略称:道行の会(3回シリーズ)

第2弾「義経千本桜」道行初音旅

主催:鶴澤寛也/鶴澤駒治

2008年8月9日(土)14時

28’s Live(新橋ビクタービルB1)

ナビゲイター:橋本治

演奏

浄瑠璃:竹本綾之助

浄瑠璃:竹本土佐恵

三味線:鶴澤駒治

三味線:鶴澤寛也

三味線:鶴澤賀寿

●何だかすごいタイトルの公演ですけれども、まず最初に季節外れの「万才〔まんざい〕」の演奏があり、続いて橋本治さんの解説、最後に「道行初音旅」の演奏という内容でした。

●私が歌舞伎を好きになったきっかけは、平成4年8月歌舞伎座の『義経千本桜』の通し上演でした。本当に素晴らしい公演で、こんなすごいものが…日本はなんてすごい国なんだろう…と思った。その後もたびたび拝見していますし、平成16年4月に国立文楽劇場で文楽の通しがあったときは、事前に床本を何度も読み、分からないところは岩波の『新日本古典文学大系』など解説本で調べたりもしました。だから多少なりともこの作品を分かっているつもりでいた。ところが橋本治さんのお話を伺っていたら、私はこの作品のことを全く分かっていなかったということが判明したのでした。

●たとえば「わが妻が、天井抜けて据ゑる膳、昼の枕はつがもなや、ヲヲつがもなや」という部分。私の調べ方が悪いのかもしれないけれど、どんな本を見ても説明されていないんです。「天井抜け」という言葉は「すしや」にも出てきて「気兼ねなく」という意味なのは分かる、1つ1つの言葉の意味は分かるけれど、全体で何を言っているのか分からない、「天井抜け」「据え膳」「昼の枕」って言うんだから「ひょっとしら、そういうことなんだろうか…」とは思うけれども、「でも違うかもしれないし」って「保留」のまま。「まあ、古文なんて、全部分かるものじゃないし…」なんてことにしていた。

●ここで突然ですが、先月(2008年7月)の劇評の引用

渡辺保氏の劇評→「天井抜けて」は静一人。この里の唄を聞いてさすがに恥ずかしそうに微笑む具合など久しぶりに玉三郎を堪能させる。

水落潔氏の劇評→「わが夫が」以下の里唄に合わせて一人で踊った後、照れたように笑い「君も栄え」で義経への思慕を見せる。

この方々は、知っているのに教えてくれないのでした。知っている人が、知っている人に向けて書いている。しわい屋さんなのだった。

●ところが橋本さんは、惜しげもなく教えてくださるのでした。「女房が昼間っから誘ってくるんだよねー、バカバカしい」、それで2回目の「ヲヲつがもなや」は静御前が言っている。「ああバカバカしい」。

●橋本さんは、まるで古文の授業みたいに「ここはこういう意味です」って順を追って説明してくださったんですけれども、言葉の意味がはっきり分かるって素晴らしい。やっぱり古文って、「それであってるよ」って言ってくれる人がいないと「保留」のままになってることも多いですし…。「勘十郎さん素晴らしい~」とか「玉様きれい~」とかいうだけでも充分楽しめるのだけれど、でも言葉が分かるって、本当に素晴らしい。

●冒頭の有名な「恋と忠義はいづれが重い」、これって意味分かりますか。恋は静御前で忠義は忠信のことかしら?なんて思っていたりしませんか。いえ、これは静御前の心情を表す詩章なんです。静御前は義経の愛妾〔あいしょう〕=妾〔めかけ〕で、義経には別に正妻がいますね(物語の最初のほうで死んでしまうけれど)。義経は正妻と妾を同居させていて、静御前はポジション的には義経の家来なのですね。だから静は、いざとなったら長刀〔なぎなた〕を持って飛び出していくし(その間に義経に置き去りにされてしまう!)、怪しい忠信の詮議をしろって刀を預かったりもするのでした。

●私も一応、知識としては以前から知っていたのですが、『義経千本桜』の原文の中には桜が咲く季節って出てこないんですね。

↓『新日本古典文学大系93』(岩波書店:刊)の脚注より

第一

「院の御所の段」元暦二年旧暦六月頃

「北嵯峨庵室の段」旧暦八月一日

「堀川御所の段」旧暦八月後半頃

第二

「伏見稲荷の段」前段の続き

「渡海屋の段」元暦二年八月二十八日あるいは文治元年(八月改元)九月

第三

「椎の木の段」八月末、前段とほぼ同じ頃

「小金吾討死の段」

「鮓屋の段」前の場面とほぼ同じ時刻

第四

「道行初音旅」文治二年一月

「蔵王堂の段」文治二年一月下旬

「河連法眼館の段」前段の続き

第五

「吉野山の段」前段の同日または数日後

これらは全て旧暦なので、今の暦だと1か月くらい後ろへずれるのですが、桜の咲く季節はありません。ではなぜタイトルが「千本桜」になっているのかと言いますと、橋本さんの仰るには、「義経は浄瑠璃の世界のスターだから」ということでした。そもそも「浄瑠璃」という言葉は、『浄瑠璃十二段草子〔じょうるりじゅうにだんぞうし〕』という作品に由来すると言われており、その主人公・浄瑠璃姫が恋するのが、他ならぬ義経なんです。

●「鳥居前」で静御前が縛られる木にしても、芝居ですから、梅の木が出てきたら梅の花が咲いちゃうんですね。咲く季節じゃなくっても。だって花が咲いていなかったら、何だか分からないじゃないですか。そういうふうにして(?)、「道行初音旅」にも桜が咲いてしまうんです。でも原文はお正月だから、万歳〔まんざい〕が出てきたり、冬の描写があったりして、目で見えるものと耳から聞こえてくるものと、ずれているんです。「四方〔よも〕の梢〔こずえ〕もほころびて」っていうのでも、原文ではほころびているのは梅なのですが、舞台では桜なのですね。

●現行の「道行初音旅」には、「原文にはあるけれどカットされた部分」と、「原文にはないけれど挿入された部分」があります。1番冬らしくて寂しい詩章がカットされ、春っぽい華やかな詩章が挿入されているんです。カットされた部分には、雉子〔きぎす=きじ〕と雁〔かり〕が出てきます。静御前は、寂しい冬の道を歩きながら、子持ちの雉子を見ては「羨ましい」と思い、夫婦連れで誇らしげに飛んでいく雁を見てはまた「羨ましい」と思う。自分は妾だからです。

●原文によると、本当はまだ吉野山までたどりついていないんです。山じゃなくて里です。「歌姫の里」というのは吉野山の手前の地名です。里の男たちが歌う声が聞こえてきます。「女房が昼間っから誘ってくるんだよねー」、ああバカバカしい…。

●昔はお正月には万歳が来たのだそうで、関東には「三河万歳」と言って名古屋から、関西には「大和万歳」と言って奈良から万歳が来たのです。(橋本さんは「自分が子どもの頃はまだ万歳が来ていた」と仰っていました。)「道行初音旅」に出てくる万歳は大和万歳で奈良のほうから来る、奈良と言えば義経の噂を知っている人かもしれないから静御前は聞いてみようかと思う。でも思うだけで聞けないんです。義経も静も追われる身だから。

●それで、万歳というのは鼓を持っているものなのですが、静も初音の鼓を持っていて、鼓を打つのは白拍子だから得意で、「昔を今になすよしもがな」、また昔みたいになれたらいいのに…と思いながら鼓を打ってみます。寂しい旅の途中で。

●「谷の鶯な、初音の鼓、初音の鼓」このあとに、「三味線で鼓の音を表現する」という箇所があって、橋本さんは「そこが1番の聞きどころ」だと仰っていました。だって「昔を今になすよしもがな」ですから。

●私は今まで、文楽に行くと、何よりもまず大夫。大夫が良ければ全て良し、という感じでした。その次が人形で、三味線はあまり分からない。上手いとか、あんまりとかっていうことは分かるけれど、楽しみ方がよく分からなかった。でも、今回の公演で、「なんだ、三味線って詩章を音にしてるんだ…」って、ようやく分かったように思います。もちろん、前からそう思っていたのですが、全然分かってなかった。実感として。

●カットされた部分には雉子と雁が出てきますが、あとから挿入された部分には雁と燕が出てきます。燕を出すことによって、季節を後ろにずらしている。そういう技術、原文と異なる桜満開の吉野山に変えてしまうレトリックというのも、すごいものです。

●挿入された部分は「踊り地〔おどりぢ〕」と言って、文字通り「たくさん踊る華やかな部分」です。原文には踊り地はなかったのですが、それを挿入したことにより、作者のもとの意図と違う作品になってしまいました。しかし、そういう理屈抜きの面白さも確かにあるんですね。作品を楽しむ上で、「両方知っている」っていう強みを教わりました。この二重性って、本当にすごい。こんなものを上演してしまう日本って本当にすごい。

●『源氏物語』や『枕草子』だったら、それこそ一語一句ていねいに現代語に訳してくれる本も出ていますが、浄瑠璃はなかなか、そのような情報が入手できません。演者は意味を知っているでしょうけれども、見ているほうが知らなければ仕方ないと思うんです。そういう情報を、どれだけ分かりやすく観客に提供できるか、大げさなようだけれど、今後の存亡がかかっているような気がします。歌舞伎座の筋書は全然駄目だと思います。国立劇場の文楽公演のあらすじは「読むとかえって分からなくなる」と言われています。(いえ本当に、私の友人の間で。)

●橋本さんの解説を聞いていて、実に「目から鱗が落ちる」とはこのことだなあと思いました。言葉が分かるって素晴らしい。私の拙い文章では、当日の様子がうまく伝わらないことと思いますが、お許しください。すみません。実際はもっと面白いお話だったのです。

●11月8日に第3弾があります(「道行恋苧環」)。私はこの日はすでにフィリップ・ジャルスキー(カウンターテナー)のリサイタルのチケットを取ってあったのですが、橋本治とジャルスキーはいづれが重い~と秤にかけて、道行の会に行くことにしました。ジャルスキーの超絶技巧も相当聞きものだと思うのですが、道行の会に行ったほうが、自分の今後のためになりそう。「道行恋苧環」大好きですしね。

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