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2008年10月

2008年10月30日 (木)

田毎の月

●なかなか見る機会がない美しい自然現象と言うと、オーロラ、赤富士、流氷、などが思い浮かぶ。インターネットで検索すると写真がいろいろ出てくる。しかし、田毎の月はインターネットで検索しても写真が出てこない。

●確かに条件は厳しいと思う。段々畑状の水田=棚田〔たなだ〕に水がはられていて、かつ稲を植える前のごく短い期間に月が出なくてはならない。しかし、その地に住んでいる人だったら、写真くらい撮れそうなものだけれど…。

●井伊直弼は、田毎の月を実際に見たことがあったのだろうか。「井伊大老」の劇中に出てくる和歌「いかなれば田毎に影の見えながら空にぞ月の独り住みぬる」は、実在の井伊直弼が詠んだ歌なのか、劇作家の北條秀司が詠んだ歌なのか、それが知りたい。何を調べれば分かるのだろう。今度、演出の織田紘二さんに直接訊いてみようかな…。

●しかし和歌というものは、見たことのない風景だろうと何だろうと、バシバシ詠み込むものなのだった。平安貴族の行動範囲は、それほど広くなかっただろうと思う。京都から須磨に行ったくらいで大騒ぎだもの。自分が行ったことがなくても、受領とか国司とか実際に行ったことのある人の話を聞いて、あるいは昔の物語や和歌から得た知識で、歌枕をバシバシ歌に詠み込む。それは言わばフィクションなのだけれど、詠んじゃったらもう、そっちが本当になってしまうのではないかと思う。

●いま東京国立博物館でやっている「大琳派展」の展示品のなかに、ゾウやトラを描いた絵がありました。絶対、実物を見たことのない人が描いたと思うんです。でも絵を見ていると、こういう動物って本当にいそうだなって思えてくる。

●私はもう、田毎の月を見たことがあるような気になっているのであった。

2008年10月29日 (水)

トリノ来日

http://news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=200810290003

おお、デセイの《椿姫》が日本で見られるじゃないですか!嬉しい~。私はフリットリの生声も聞いたことがないし、すごい楽しみだなあ。

足立美術館

足立美術館
http://www.adachi-museum.or.jp/ja/index.html

夏季特別展「もっと楽しもう!日本画の世界」
2008年6月1日~8月30日

●終わってしまった美術展の感想を書くのも、「もう見られないじゃないか」と言われそうで気がひけますが、このブログはあまり即時性を求めておりませんので、気長にお付き合いください。

●今年の8月に、島根県にある足立美術館に行ってきました。美しい庭園のある美術館です。大きな駐車場があるので、団体客の有無によって混雑具合も変わってくると思いますが、私が行ったときは適当にすいていて、とても快適でした。横山大観の絵をたくさん所蔵しており、「大観美術館」の異名もあります。

●概して絵がガラスケースの奥のほうに展示されていて、近くで見られないのが残念でしたが、ここの美術館は解説パネルがとても良くできていると思いました。絵を見る楽しみが倍増するような、素敵な解説パネルでした。

Miyuki

↑「娘深雪〔むすめみゆき〕」 上村松園〔うえむら・しょうえん〕

●この絵は、足立美術館で販売されている絵はがきの中で1番、人気があるのだそうです。「生写朝顔話〔しょううつしあさがおばなし〕」という人形浄瑠璃の主人公を描いた作品。はて、「生写朝顔話」なんて浄瑠璃を、それほど大勢の人が知っているとも思えないのだけれど、他の数ある名画をおさえてこの絵はがきが1番人気になるのは、ちょっと不思議な感じ。しかし、解説パネルに「この作品は、こういう物語の、こういう場面を描いたものです」と説明がしてあって、それを読んでから絵に目を向けると突然、この絵の前後にもストーリーが流れているのが見えてくる。止まっていた時が動き出したかのように。

●私は印象派の絵が好きなのですが、たとえばモネの風景画を見ていますと、非常に移ろいやすい一瞬を捉えた絵でありながら、その一瞬が時間の流れから切り離され、絵の中に永遠に閉じ込められているように見える。時間というものが存在することを忘れて、絵の中の風景がずっと続いていくような気になる。名画は時間を忘れさせる…と思っていたものが、松園の「娘深雪」を見ると、絵の中に時間の流れまでもが描きこまれているのが見える。絵の、前と後を感じる。すごい。なるほど、この絵はがきが1番人気なのも納得できます。

●同じく松園の「楠公夫人〔なんこうふじん〕」も印象的でした。燭台のそばに女性が1人ぼんやり座っている絵で、パッと見ると何ていうこともないのですが、解説パネルを読むと、その女性の境涯が説明されている。夫である楠正成を戦さで失ったものの、夫の遺言に従って、気丈にも6人の息子を立派に育て上げた楠公夫人。しかし、6人ともまた戦さで死んでしまったのだそうです。この絵は1人残された後の楠公夫人を描いたもので、絵の制作年代を考えると、第一次世界大戦で家族を失った女性の気持ちを代弁して描くような側面もあったのかもしれない、などと解説パネルに書いてあります。それを読んでから絵を見つめると、とても解説パネルを読む前と同じ絵とは思えない、えも言われぬ寂しさが画面に満ちているのが感じられます。楠公夫人の心と少し通じ合えたような気になりました。

●河合玉堂〔かわい・ぎょくどう〕の「鵜飼〔うがい〕」という作品が展示されていました。鵜飼をモチーフにした絵は、他でもわりとよく見かけます。私にはあまり興味のないモチーフなので、普段だったらスッと通り過ぎてしまうところですが、また解説パネルに引きつけられました。鵜飼の絵には、花鳥画、人物画、風景画の3つの要素が混ざっている、と書かれている。

●モネは、風景画の中にあまり人物を描き込みませんでした。コローは人物を画き込んだ風景画が多いようです。ゴッホはどちらも描きました。私が思うに、風景画の中に人が1人入っているのと入っていないのとでは、大変な違いがあります。全く別のものです。どちらが良いということはないけれど、風景画の中に人物を画き込むのは、格別な難しさがあると思うのです。

●それでもう1度「鵜飼」を見てみますと、人の生の営みが自然の中に調和していて、解説パネルを読む前とは違って見えてきます。篝火の光と夜の闇にも、人と自然が溶け合うような特別な空間を感じます。

●何となく、これまであまり分からなかったミレーの絵の良さまで分かるようになった気がした。

●川端龍子〔かわばた・りゅうし〕の「浪戯〔ろうぎ〕」という衝立がありました。浅瀬の波打ち際に、鳥が一羽たたずんでいる絵です。浪の模様が写実的なものではなく、ちょっとモダンなデザインで、銀色がとても印象的なのです。このすごい銀色は何だろう、と思うと解説パネルに、高価なプラチナ箔を惜しげもなく使った、などと書かれています。それでまた、しげしげと見入ってしまったのでした。

●ひと口に解説パネルと言っても、モチーフのこと、作者のこと、画材・技法のこと、制作過程のこと、所蔵者のことなど、様々な切り口がありますね。その絵のことを本当に好きな人が、「こういう視点で見ると、もっと楽しめるよ」と解説してくれるパネルに、どれだけ影響力があることか。学芸員の仕事というものは、実に多岐にわたっているそうで、企画立案から雑用のようなことまでするらしいですけれども、解説パネルも学芸員の方が制作しているのでしょうか。何気なく通り過ぎてしまうような絵を、一生その人の心に刻みつけておくこともできうる、尊い仕事だと思います。私も若いときに学芸員を目指していれば良かった(笑)。学芸員の友達募集中(笑)。

●展示中でも、ガラスケースを拭く係の人が巡回していて、ちゃんとしているなあと思いました。

●美術館のやる気の違いって、見ている人には伝わっちゃうんじゃないかと思います。いえ私には分かります。

●美術館の創設者・足立全康氏は、一代で財をなして美術館を建ててしまった人だそうです。自分の美術館を建てちゃうって、どんな感じだろうか。「絵を集めるのは金じゃない」って言っていたらしいけれど、じゃあ私も絵を集めたいものですねえ…。

●他に感動した作品は、

・横山大観「雪意〔せつい〕」「蓬莱山」「海潮四題・冬」

・平櫛田中〔ひらぐし・でんちゅう〕「維摩一黙〔ゆいまいちもく〕

Yuima

平櫛田中と言いますと、国立劇場のロビーにある六代目菊五郎の鏡獅子像をしょっちゅう見ているのですが、私はこの「維摩一黙」を見て初めて、田中のすごさを思い知りました。実物大よりもずいぶん小さめなのですが、本当に生きているみたいだったんです。動き出しそうで怖かった。

・河井寛次郎「紅豆紅花■〔こうとうこうかへい〕」 ■=へんは缶、つくりは并
花瓶…だと思うのですが、形と言い、色と言い、もう宇宙的な美しさ。何だか、よく分からないけれど、宇宙を感じる美しさだったんです。土星の写真を初めて見たとき、みたいな感覚。ぜひ実物をご覧ください。

2008年8月8日鑑賞

2008年10月27日 (月)

平成中村座 Dプログラム

平成中村座
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」Dプログラム

●ご本家の文楽では全ての役が上方のアクセントで喋るわけですが、歌舞伎の場合は、公演のたびに変わってきますね。今回の公演は、松嶋屋と中村屋の共演とあって、上方と江戸の言葉が混ざっていたように感じました。特に六段目の源六に違和感を覚えました。「かつて江戸の吉原にいた」というように無理やり設定が変更されていましたが、これはたぶん中村屋のやり方なのでしょうね。まあ、同じ作品であっても、いろいろな演じ方が楽しめるところが歌舞伎の良いところだとは思いますけれど。でも、通し上演だったら、公演全体の統一感もほしいところですよね。江戸時代、「忠臣蔵」が中村座で初めて歌舞伎化されたときは、全ての役が江戸訛りで喋っていたのでしょうか?当時の江戸の役者は、上方のアクセントを習得していることが一種のステイタスだった、なんていう話も聞いたことがありますけど…。確かに、江戸歌舞伎である「助六」にも、上方のアクセントらしきものが出てきますものね。

●1999年3月に松竹座でやった上方式の「忠臣蔵」通し上演は面白かった。「大手」「笹瀬」と書かれた幕から、おかる勘平の衣裳、七段目の装置までいつもと違っていて。

●藤十郎さんが、和事と義太夫狂言は上方のものだって、よく仰いますでしょう。もちろん江戸の役者も義太夫狂言は出すけれど、藤十郎さんが「義太夫狂言は上方のもの」と仰るのも、ゆえなきことではないなあと思いますね。江戸っ子っぽい権太、なんていうのも私は好きですけどね。いろいろあるのがいいですよね。でも藤十郎さんには本流としての矜持があるのでしょう。

●しかしよく考えてみれば、「忠臣蔵」の舞台設定って鎌倉と京都に分かれているわけですから、訛りが混ざっているのも不自然ではないのかも…。「バッサリ」の稽古をする中間なんかは、鎌倉の人なんだろうから、江戸訛りでいいのかも…。でも、師直はどうしたって浄瑠璃にそって上方訛りになるわけですから、役によって変えていると統一感が取れないかも…。そんなことを考え始めると、きりがないですね。私も昔は、そんなこと全然気にせずに芝居を見ていたのに、年を取ってしまって…。

●シンを勤める役者の方針によって、その時の演出も変わってきますから、脇を勤める役者さんは、上方でも江戸でも両方対応できないといけませんね。そういう意味では今回、七段目の國矢さんの駕舁が、上方らしい雰囲気を出していて良かったと思います。

●不破数右衛門って、連判状に新しい仲間を加える決定権を持っているんですよね…。やっぱり不思議な人。でも仁左衛門さんが演じれば納得してしまうのだけれど。

●仁左衛門さんだけ「連判状」を「れんぱんじょう」と言っていたようですが、なぜなのでしょう…?

●おかると勘平は、家来同士で恋愛していて、「不義をはたらいた」ってことになるのでしょうが、でも勘平ってもう29歳くらいでしょう?29歳まで独身で、恋愛が禁じられているって、おかしくないですか?家来同士でなければ良かったのでしょうか。不義なんて言っていても、みんな大目に見てくれていたのかも?「あいつら、つきあってるな」って、どの段階で分かるものなのでしょうか?「重の井子別れ」でも、周りの人に気づかれないまま出産しちゃうし、そんなことって可能だったのかねえ?みんな知ってて見逃してくれてたのかな?「八平次さえいなければ万事うまくいったのに」って感じでしょうか?おかる勘平も、「あの事件さえなければ」って感じだったのでしょうか?ほかの同僚たちも、「他人事じゃない」って感じだったのでしょうか?そういう意味で、亀蔵さんの千崎弥五郎は秀逸だったと思います。勘平の同僚らしい情愛が出ていて。

●おかると勘平って、本来なら家来同士で夫婦になれないところなのだけれど、事件があったから夫婦になれて、おかるは一時、幸せであったのかもしれない。

●平右衛門が勘平の死をおかるに告げる「腹ァ切って、死んでしまった」というセリフ、このセリフのどの部分から、おかるはリアクションを始めるか?芝翫さんや福助さんのおかるは、「腹ァ切って」と聞いてビクッとして、「死んでしまった」で呆然とする、という演技だと思いますが、七之助さんは「死んでしまった」の後になってからリアクションを始めていたみたいです。そもそも義太夫節というものは、1人の大夫が全ての役を語り分けるのですから、基本的に1度に1人の心理描写しかできません。だから歌舞伎でも義太夫狂言ならば、相手役のセリフが全部終わるまでリアクションを待つことが多いですけれども、この場面ばかりはリアルタイムで反応を示さないと、おかるが鈍い女になってしまうように思います。勘平役者も、どうせ「腹ァ切って」の後には1拍置かないわけにいかないのですから、いっそタップリ言ってもらって、おかるの表情の変化の見せ場として演じればいいと思うんです。ここのおかるの表情の変化は、七段目中随一の見せ場だと私は思っているんです。うまい人が演じると、勘平の魂魄がフッと現れてスッと消えるのまで見える。いえ私は見たことあるんですよ。フフ。

2008年10月26日 (日)

「大琳派展」東京国立博物館

大琳派展-継承と変奏-
東京国立博物館

11月16日(日)まで

●日本の美術愛好家は、日本画も洋画も両方楽しむことができて、本当に幸せです。外人さんはなかなか琳派の美を楽しんだりできませんからね。今回の展示も大変充実したもので、見るのに3時間近くかかってしまいました。多すぎて頭が混乱してしまうくらい…。

●『源氏物語』をモチーフにした絵画や工芸品も展示されていました。以前だったら見てもよく分からなかっただろうけれど、『源氏物語』を読んだ後のいま見ると、その素晴らしさが私にも実感できて嬉しい。それにしても、このように絵画に翻案できる物語が日本にあるってことは、すごいことだと思う。どんなに傑作であっても、漱石や太宰の小説を絵画にしようとは思わないでしょう。

●全然関係ないけれど、夏目漱石は漱石って呼びますでしょう。夏目とは言わないでしょう。太宰治だったら太宰であって、治とは言わないでしょう。三島、谷崎、芥川だったら苗字で呼びますし、鴎外、啄木、一葉だったら名前で呼びます。逆では言いませんね。それはやっぱり、苗字と名前どちらがよりユニークかってことによるのだと思う。どちらも普通っぽい場合は、川端康成とか、両方言わなきゃいけないわけでしょう。日本には、過去も含めて何億という人がいて、その中から「ああ、あの人ね」って判別されるポジションをGETするのはすごいことだけれど、「あの人ね」って分かる名前を持っているのも同様にすごいことだと思う。

●オペラ歌手を目指している日本人も多いと思いますが、そういう方は、世に出る前に自分の芸名をよく考えたほうがいいと思うんです。林康子、市原太朗など、シンプルで外人でも発音しやすく覚えやすいもの。そして、インターネットで検索したときに、ちゃんと自分の記事がヒットするようなユニーク性を備えている名前。別に本名のままじゃなくても良いのではないでしょうか。マリア・カラスだって、もとのマリア・カロゲロプーロスという名前だったなら、あそこまで活躍できたかどうか…。

●えーっと、琳派展の話であった。たとえば『草枕』の一節を硯箱のモチーフにしてみたとして、「ああ、これは草枕ですね」って分かる人がどれだけいるか。『源氏物語』をモチーフにした硯箱だったら、持っている人としても「あなた、これ、お分かりになりますでしょう?」って、分からない人のことなんか知らないんですからね。そういう文化の共有度の高さも日本らしい。私はついこの間まで、その輪の外にいたのだけれど、『源氏物語』を読んで輪の中に入れたことが嬉しい。今回「関屋」をモチーフにした絵が展示してあったのですが、『源氏物語』の最初に登場する女(空蝉)が、長い時を隔てて再び源氏の一行とすれ違うドラマのすごさってものは、小説を読まずに絵だけを見ていても分からない。まだお読みでない方は、千年紀の今、ぜひお読みになると良いと思います。

●『源氏物語』と同様に、ストーリーを知らないと楽しめない『伊勢物語』の絵画も展示されていました。『伊勢物語』は、まだ読んだことがなくて、いずれ読みたいと思っています。素晴らしい和歌がたくさん出てくるみたいです。『源氏物語』よりも、1つのエピソードが短くて独立しているので、絵だけ見ていてもそれなりに楽しめましたけどね。

●絵の中に文字が書き込まれている作品も多く展示されていました。また、書き込まれてはいないけれど、和歌をモチーフにした作品もあって、パネルに解説が出ていました。素敵な和歌が2首ほどあったのでメモしようと思ったら、メモ帳をコインロッカーに忘れてきたことに気づき、ままよ、今ここで覚えてしまえ、と短い時間で必死に土性骨に刻みつけようとしたのですが、帰りの電車で書きとめようとしたら、1首はもう忘れていたのであった。この体たらく…。
■1首は覚えていた↓
・目には見て手にはとられぬ月のうちのかつらのごとき君にぞありける
古来中国では、月には桂の木が生えていると信じられていたのだそうです。
■もう1首は忘れていた↓
・×××雪の花ながら年のこなたに×××梅が枝
「12月の花」をテーマに詠んだ歌で、12月に咲く花っていうのもないものですが、「来年の春から年を越えてここに香ってくるような気がする、今は雪が積もっている梅の枝だけれど」という内容の歌なのではないかと思う。すごい歌だ。でも忘れてしまった。自分にガッカリした。

●私は田舎育ちでありながら草花の名前に疎くて、いかんなあと思っているのですが、今回の展示で「立葵〔たちあおい〕」という花を覚えました。何度も出てきたので…。
http://www.hana300.com/tachia1.html

●今回の展示で私が1番感動したのは酒井抱一の「夏秋草図屏風」でした。素晴らしい。

Houitu1_2

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(部分写真)

2008年10月24日鑑賞

2008年10月23日 (木)

平成中村座 Cプログラム

平成中村座
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」Cプログラム

●大序は、原作では春の設定のはずなのだけれど、舞台では銀杏が黄色に色づいているんですよね。鶴ヶ丘八幡宮と言えば銀杏、銀杏と言えば黄色、ってことで、これは「義経千本桜」の「吉野山」が原作では冬の設定なのに桜満開になっちゃうのと同じ回路なのでしょうか。(好きだけど。)

●顔世御前の対応って、どうも感心しないなあ。「さなきだに」の歌の届け方とか、信じられない。師直のほうが洒落てるじゃないですか。とっさに「戻すさえ手に触れたりと思うにぞ我が文ながら捨ても置かれず」と詠める歌心が素晴らしい。

●「松切りの場」の本蔵が、袱紗に包むのとは別にもう1つ金包みを用意して袂に入れているのって、大人だなあ…って思いました。私も見習おうとぞ思ふ。

●師直の「あずまえびすの知らぬことだわ」というセリフは、まあ美味しいセリフなのでしょうけれど、武蔵守である高師直が言うのはおかしいのではないでしょうか。意味が分からない。

●八段目の道行で「シシキガンコウ」が出てこなかったような…。私が気づかなかったのかな…。

●「雨戸を外すための工夫」は、何度見ても分からない。(いいけど。)

●九段目には「閨〔ねや〕の契りは一夜ぎり」という詩章が出てきますが、「一節切〔ひとよぎり〕」という楽器があるのをご存じですか?尺八の1種ですね。掛詞になってるんです。
http://hw001.gate01.com/dan-art/hitoyogiri01.htm
こういうのもイヤホンガイドで説明しているのでしょうか?

2008年10月21日 (火)

10月歌舞伎座 夜の部

芸術祭十月大歌舞伎
歌舞伎座 夜の部
2008年10月13日(月・祝)
1回目
2008年10月19日(日)
2回目

「十種香」「狐火」
●舞台で、お香は焚いていなかったようですね。あまり記憶がないのですが、「十種香」で実際にお香が焚かれることって、あるのでしょうか?(ちなみに文楽の「十種香」では焚かないそうです。)
●玉三郎さんが八重垣姫をなさるのは20年ぶりだそうで、私も初めて拝見しました。三姫のうちでは、雪姫は見ていますが、時姫はまだ演じていないのではないでしょうか。玉三郎さんは雑誌のインタビューか何かで、確か「私の三姫は桜姫(桜姫東文章)、雲の絶間姫(鳴神)、富姫(天守物語)」と仰っていました(うろ覚えでスミマセン)。そう言えば私は玉三郎さんの雲の絶間姫を拝見したことがないのですが、もう演じてくださらないのでしょうか…。すごく負担の大きい役だそうですけど(ずっと喋りっぱなしですし)、ぜひ見てみたい役です。「歌舞伎座さよなら公演」の目玉として、いかがでしょうか松竹様。
●とにかく玉三郎さんが美しかった。また、見た目だけでなく声も美しくて、「鈴を鳴らしたような」とでも言うのでしょうか、麗しい音色でした。あの有名な「1翼がほしい、2羽がほしい、3飛んでいきたい、4知らせたい」のセリフでも、4段階に声を、気持ちをクレッシェンドさせていく様が素晴らしい。声量も圧倒的でした。これなら本当に奇跡も起こるなあと思いました。「湖を渡る奇跡」はこの後の出来事であって、舞台上ではその奇跡は見られない、奥庭の奇跡って何なのか、考えるとよく分からなかったりもするのですが、「これから奇跡が起こる予感」ってことでしょうか。それは「芸の奇跡」であるかもしれない。玉三郎が存在するという奇跡。
●「狐火」では、普通は3種の衣裳を見せますが、今回は2種の衣裳でした。着替えのために主役がいなくなるというのも緊張感が途切れますし、1度の引き抜きで充分効果的だと思いました。衣裳も最高に美しかった…。
●兜の扱いとか、手つきとか、ここまではっきり狐憑きな八重垣姫も珍しい。素晴らしかった。
●今月の舞台写真の46番の形の見事さ!

「直侍」
●菊十郎さんと松太郎さんの相々傘というのも、なかなか見ものでした。
●直次郎が三千歳の手を温めてあげていたのが印象的でした。菊五郎さんって、他の方の三千歳のときでも、手をさすってあげたりしていましたっけ…?全体的に、2人がいつもより親密な感じがしました。でも、親子ですからね~。顔も似てますし、あんまり、そそられないなあ…。
●三千歳は、出の前に氷水に手をつけておく、っていう芸談があるじゃないですか。三千歳は手が冷たい女であってほしいって、それは観客のためではなく、直次郎を勤める役者のために手を冷たくしておくわけですね。でも、本当に氷水につけておくと、舞台に出たとき血管が膨張して、逆に温かくなっちゃうんだそうです。
●直次郎が三千歳の手をさすってあげると、三千歳の手が冷たいってことが観客にも分かって、風情がありました。でも、親子ですからねえ…。すごいファンタジーですよね…。
●菊之助さんは、直次郎のセリフが全部言い終わるまで、リアクションを取るのを待っているように見えました。良く言えば古風な、おっとりした感じ。逆に言えば、考えていることが伝わってこない。ちょっと、もどかしさを感じました。
●相手役の言っている内容を、どの段階で理解したことにするか…っていうのは、その後の芝居の組み立てにも大きく関わってきますから、俳優にとって工夫のしがいのあるところでしょう。相手役のセリフ運びや、内容の緊迫度にもよるでしょうし、ケース・バイ・ケースでしょうけれど、黙阿弥の世話物なら、言われた瞬間に反応してよいのではないかと思いますが…。

「英執着獅子」
●福助さんが体をタップリ使って踊っていて、楽しみました。長唄囃子連中も良かったです。

2008年10月18日 (土)

平成中村座 Bプログラム

平成中村座十月大歌舞伎
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」Bプログラム
2008年10月18日(土)16時45分

●不破数右衛門って、なんであんなところ(六段目)に連判状を持ってきてたんでしょうね。

●うーん、どうも勘平は「自業自得」って感じがしてしまう。
http://fukukichi.blog.ocn.ne.jp/collect/2006/10/post_9c51.html

●昼に判官切腹を演じて、夜に勘平腹切を演じる勘三郎さんは、どうかしていると思う。体を壊さないのだろうかと心配。

●孝太郎さんのおかるがビックリするほど素晴らしかったです。役者って、こういうふうに一気に階段を駆け上ることがあるんだなあ…と思いました。

●おかるが「ととさんもご無事、かかさんもお達者、そうしてあの、か、か…」と言うとき、平右衛門は、わざと気づかない振りをしているのか、本当に気づいていないのか。演じる人によって異なりますね。「わざと気づかぬ振り」だと暗い感じになりますし、「本当に気づいていない」だと単純な人って感じですね。後者のタイプで演じるのは、だんだん難しくなっていくかもしれません。(後者のほうが平右衛門らしい気もしますが。)

●小林平八郎のセリフ「雪に滑って池の中」でしたっけ?なんだか黙阿弥チックですね。十一段目って、本当に不思議な、統一感のない演出ですよね…。

平成中村座 Aプログラム

平成中村座十月大歌舞伎
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」Aプログラム
2008年10月18日(土)11時

●上方の言葉と関東の言葉が混ざっているような気がして、ちょっと違和感を覚えました。

●バッサリの稽古は、今の時代、なかなか難しいですね。鷺坂の「ようこそご入来」のセリフは、振りが付いていることもあると思いますが、今回は付いていませんでした。

●私は、「松の間」の師直がオドオドするのって、好きじゃないんです。師直は、「どうせ殿中だから判官には何もできない」ってことを分かっていてやっているのだと思う。だから、判官の刀を押さえたりする型は私にはよく理解できません。(判官の刀を押さえない師直は藤十郎さんだけでしょうか?)

●判官と師直はセットの役と言いますか、いろいろな役者の組み合わせがあると思いますが、やっぱり先輩の注文に合わせてやっているのでしょうか?それとも、違う型の人とは組まないようになっているのでしょうか?

●塩冶判官の「この九寸五分は汝へ形見」のセリフは、最初に「かたみ」とはっきり言って、もう1回繰り返して今度は「かたき」と言っていましたが、この部分の勘三郎さんの「かたき」の「き」の発音の素晴らしさといったらなかった。自分の言っていることは、由良之助のほかに、石堂や薬師寺も聞いている。「かたきを討ってくれよ」という意味を込めて「かたき」と言いたいのだけれど、それは由良之助には絶対伝わってほしくて、でも石堂や薬師寺には絶対伝わっちゃ困るわけです。みんなすぐ近くで聞いているのに、由良之助だけに通じて、ほかの人には通じないように言う、なんてことが可能だろうか?勘三郎さんがその奇跡を実行しているのを私は聞いたのだった。すごかった。それは言葉というよりも、テレパシーのようなものかもしれない。誰にでも通じるわけではない。由良之助でなければならない。だから判官は由良之助を待ってたんだなあ、と思いました。(こんな芸当は、小さな劇場じゃないとできないかもしれません。)

●そのあと、判官と由良之助が2人で遠いところを見つめるのだけれど、べつにそこに何かがあるわけではないのだけれど、ああ、いま2人には同じものが見えているんだなあというのが分かって、すごいことだと思いました。

●勘三郎さんの判官は、切腹したあと、ずっと背中が動かないようにしていて、驚異的でした。

2008年10月14日 (火)

《夢遊病の娘》昭和音楽大学

2008 昭和音楽大学オペラ公演
ベッリーニ《夢遊病の娘》
主催:昭和音楽大学
2008年10月11日(土)・12日(日)14時
テアトロ ジーリオ ショウワ

●《夢遊病の娘》は大好きな作品なのですが、あまり上演されないので、昭和音楽大学が取り上げてくれるのは本当に嬉しい。ダブルキャストの両日とも見に行きました。

●このプロダクションは過去にも何度か上演していて、とてもオーソドックスな演出なのですが、以前見たときのほうが面白かったような気がするんです。たとえば以前は、夢遊病のアミーナが、ロドルフォ伯爵をエルヴィーノと間違えて「私を抱きしめて」と迫り、ロドルフォ伯爵が悶々とする…なんて場面があったと思うのですが、今回のアミーナは突っ立ったままでした。新婚の花嫁を領主が奪う、というのは《ドン・ジョヴァンニ》や《フィガロの結婚》にも見られるシチュエーションですが、演出によってはとても面白い場面になると思うのに、なぜか淡白な演出が多いですね。それから、屋根の上を歩いているアミーナが足を踏み外しそうになるところも、以前は瓦がガタッと外れてドキドキしたのですが、今回は伯爵が押さえるだけ…。それから、以前は「歓喜のカバレッタ」の最後の部分で、寝間着だったアミーナがパッと花嫁衣裳に着替える早替わりがあったのですが、今回は寝間着のまま…。寝間着のままのフィナーレって、プリマ・ドンナ・オペラとして、どうなのでしょう。マリア・カラスはアリア「ああ信じられない」の時でさえ花嫁衣裳を着ていたのでは…。つまり、この演目は別に写実的な作品ではないし、何が効果的か、ってことなのですが…。

●この作品は、悲劇と喜劇が混ざった不思議な作品ですが、リーザ、ロドルフォ伯爵、アレッシオの3人は、もっと馬鹿馬鹿しくコメディ・タッチで演じたほうがいいのではないかと思う。

●アミーナが「歓喜のカバレッタ」を歌っている真っ最中に、リーザとアレッシオが何か演技をしていたみたいなのですが、見ている暇はありませんでした。(このあたりの演技も、以前のほうが良かった気が…。)

●「夜になると幽霊が出る」という合唱と、エルヴィーノが「愛なんてどこにもないんだ」と歌う場面の重唱は、繰り返しが多くて、通常なら当然カットが施されるべきだと思うけれど、この公演は研修の意味もあるので、繰り返すのも仕方ありませんね。(逆に、前半最後のコンチェルタートにカットが入っていたのは残念でした。どうしてなのだろう…。)

●星出豊さんの指揮と、小山陽二郎さんのエルヴィーノが良かったです。楽しい公演でした。

《トゥーランドット》新国立劇場

プッチーニ《トゥーランドット》
主催:文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場
2008年10月10日(金)19時 新国立劇場オペラ劇場

指揮:アントネッロ・アッレマンディ
演出:ヘニング・ブロックハウス

トゥーランドット:イレーネ・テオリン
カラフ:ヴァルテル・フラッカーロ
リュー:浜田 理恵
ティムール:妻屋 秀和
アルトゥム皇帝:五郎部 俊朗
ピン:萩原 潤
パン:経種 廉彦
ポン:小貫 岩夫
官使:青山 貴
クラウン:ジーン・メニング

合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

●トゥーランドット役のイレーネ・テオリンが、とにかく素晴らしかったです。登場するまでのダル~い雰囲気を一変させる迫力。間違いなく現役最高のトゥーランドットだと思います。容姿も綺麗でしたし、歌っていない時にも演技していましたし、本当に良かった。ブロマイドを買おうと思ったら、テオリンのだけ売り切れていました。

●演出は私の好みに合わず。装置、衣裳、振付、照明が、全く美しくない。ひと言で表現すると「珍妙」という感じでした。日本人の若い演出家にでも任せたほうが、よほど上質なプロダクションになるのではないかと思うのですが…。《トゥーランドット》は、もともと浮き世離れしたストーリーですから、突飛な演出でも構わないと思いますけれど、一体何がやりたいのか分かりませんでした。

●カラフ役のフラッカーロは若々しさに欠けました。かつらぐらいつければいいのに…。太極拳をするときのようなラフな衣裳も興ざめ。それから、全てのフレーズをフォルテで歌っていた。「私の名前が答えられたなら、夜明けとともに私は死のう」の「死のう」という部分は、極上のピアニッシモで歌ってほしいし、「誰も寝てはならぬ」のsplenderaの部分は、一条の朝日がスーッと差し込むようなピアニッシモであってほしい。でもフラッカーロは全部フォルテ。それでいて、センプレ・フォルテ宮の第1テノールであるアルベルト・クピードのような驚くほどの声量があるでもなし、何とも中途半端な歌唱でした。

●なおかつ、フラッカーロは演技力もないようでした。3つ目の謎を出されたカラフは、
・答えが分からなくて焦る
・突然、答えがひらめく
・勝利を確信して自信に満ちる
という3段階の演技をするわけですが(音楽がそうなっている)、フラッカーロは何もしていませんでした。NHKで放送されるみたいですから、その演技力のなさをご確認ください。

●リューという役は、ひたすらピアニッシモの美しさを聞かせるような役だと思うのですが、
リュー「お姫様、それは愛です」
トゥーランドット「愛…?」

ここのピアニッシモ合戦では、トゥーランドットのピアニッシモに負けていました。珍しい…。

●新国って、1つの演出を捨てるのが早いような気がするんですよね。《カルメン》や《ドン・ジョヴァンニ》なんて、もう何回新制作したことか…。良質のプロダクションを再演してくれたほうが私は嬉しいのだけれど…。

2008年10月13日 (月)

連休の私

2008年10月11日(土)
●五島美術館にて「絵画・墨跡と李朝の陶芸~特別展示=紫式部日記絵巻」を拝見。(展示は10月19日まで)
●テアトロ ジーリオ ショウワにて昭和音大オペラ「夢遊病の娘」を拝見。(Aキャスト)

2008年10月12日(日)
●テアトロ ジーリオ ショウワにて昭和音大オペラ「夢遊病の娘」を拝見。(Bキャスト)

2008年10月13日(月・祝)
●江戸東京博物館にて「ボストン美術館浮世絵名品展」を拝見。激しく混んでいました。
●銀座三越・ラデュレにてアフタヌーン・ティーをいただく。
●歌舞伎座の夜の部を拝見。

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↑ラデュレのアフタヌーン・ティー

2008年10月12日 (日)

二期会サロンコンサート「千駄ヶ谷スタイル」

2008年 二期会サロンコンサート
「千駄ヶ谷スタイル」
2008年10月8日(水)19時 カワイ表参道コンサートサロン パウゼ

出演:
田上 知穂〔たがみ・ちほ〕 ソプラノ
長谷川 忍〔はせがわ・しのぶ〕 メゾ・ソプラノ
高田 正人〔たかだ・まさと〕 テノール
与那城 敬〔よなしろ・けい〕 バリトン
ピアノ:山口 陽子

プログラム:
■ロッシーニ 歌劇《チェネレントラ》より
 「愛しの王子様はどちらへ」(4人)
■レオンカヴァッロ「朝の歌(マッティナータ)」(与那城)
■マスネ 歌劇《サンドリヨン》より
 「やっと家についたわ」(長谷川)
■グノー 歌劇《ミレイユ》より
 「天使たちよ」(高田)
■中田喜直「ゆく春」(田上)
■サルトリ「君と旅立とう」(4人)
-前半のアンコール
■ヴェルディ「乾杯の歌」(4人)
-休憩
J・シュトラウス 歌劇《こうもり》より
 「公爵様、あなたのようなお方は」(田上)
■プーランク「愛の小径」(長谷川)
■クルティス「勿忘草」(高田)
■ドニゼッティ 歌劇《ドン・セバスティアーノ》より
 「おお!リスボン」(与那城)
■ビゼー 歌劇《真珠採り》より
 「神殿の奥深く」(高田・与那城)
■ドリーブ 歌劇《ラクメ》より
 「おいでマリカ~花の2重唱」(田上・長谷川)
■グラハム「あなたが引き上げてくれるなら」(4人)
-アンコール
■ミュージカル《サウンド・オブ・ミュージック》より
 「全ての山に登れ」(4人)

 ●平日の夜公演で自由席。見やすい席じゃないと絶対イヤな私としては、魅力を感じない。さらに予定曲目が数曲しか発表されていませんでしたし、普通なら私はパスしてしまうタイプの公演です。しかし、出演者に興味があり、入場料も安かったので行って来ました。高田正人さんと与那城敬さんを聞いてみたかった。高田さんはブログをつけていて、面白いので私はずっと読んでいるんです。オペラ歌手でブログをつけている人はたくさんいますが、たいていつまらなくて、私がよくチェックするのは5人くらいかな。いえ別に、オペラ歌手は文章が書けなくてもいいんですけど…。高田さんは過去に1度舞台を見たこともあるのですが、あまり大きな役ではなかったので、よく分かりませんでした。そこで、ぜひソロ・アリアを聞いてみたいと思っていたのです。

●会場にたどり着くまでに、さんざん道に迷いひと苦労…。公演のちらしに載っている地図はおかしいと思う。原宿の街は絶対あんなじゃないもの。あの地図は「原宿を知っている人のための略地図」だと思う。省略しすぎ。いっそちらしに載っていなければ事前に自分で調べたのに~。汗だくで会場へ。

●何でも、1年半も前から企画して、やっと上演にこぎつけたのだそうです。そんなに時間がかかるものなのかとビックリ。もっと気軽に、思い立ったらすぐ上演できればいいのに。オペラ歌手のコンサートって、少なすぎると思いませんか?ピアニストのコンサートはたくさんあるのに。落語家なんて、ほんの駆け出しの人でもすぐ独演会くらい開くでしょう。こういう若いオペラ歌手の公演が、もっとたくさんあればいいのにって、いつも思うんです。

●どれも本当に自分の歌いたかった曲だそうですが、オペラ鑑賞歴10年になる私でも聞いたことのない曲が次々と…。一応、歌う前に内容の解説があったのですが、字幕はついていませんでした。《サンドリヨン》はシンデレラのお話です、ってことだったけれど、なぜこの人はこんなに悩んでいるの?シンデレラにこんな場面あったっけ?って感じ…。《ドン・セバスティアーノ》の「おお!リスボン」は愛国・郷愁の歌だそうで、《シチリア島の夕べの祈り》の「おお!パレルモ」みたいな内容でしょうか、いや遠い地から祖国を思う歌かな。与那城さんの歌は大変立派でしたが、詞が分からないのでイマイチのれませんでした。字幕か対訳がほしい…。

●そこへいくと中田喜直は詞が分かって面白かったです。アデーレのアリアなんかも有名だから字幕がなくても分かる。「勿忘草」はシンプルなイタリア語なので「今こんなこと歌ってるんだな~」と分かって感動しました。この公演では「勿忘草」に1番感動しました。

●田上さんはすごい演技力でした。アデーレのアリアは当然だけれど、中田喜直「ゆく春」のようなドラマ性の淡い歌でも、こんなに演技が盛り込めるんだなあと感心。

●プログラムには、4人の出演者の直筆サイン入り絵はがきがついていました。曲の間にトークがあるのも親しみが持てていいですね。休憩時間にはドリンクサービスあり。表参道を眺めながらコーヒーをすする私。

●オペラ歌手のコンサートでは、どんな衣裳で出てくるのかというのも楽しみの1つですが、4人ともお洒落で良かったです。こういう時、男性の衣裳がつまらないことが多いけれど、とても洗練されていて格好良かった。与那城さんは、今度演じるダニロの役作りで口ひげを生やしていました。

●楽しいコンサートでした。ぜひまた開催してほしいです。

「小袖-江戸のオートクチュール」サントリー美術館

「小袖-江戸のオートクチュール」
サントリー美術館
2008年7月26日~9月21日

●新しいサントリー美術館には今回初めて行ったのですが、「建物が新しいから綺麗」というだけでなく、案内係の方の制服がお洒落だったり、解説パネル1つ取っても丁寧に美しく作成されており、洗練された空間でした。他の美術館も見習ってほしいくらいです。展示の仕方もスッキリと行き届いている。また展示の内容からか、場所柄なのか分かりませんが、見学者の雰囲気も他の美術館と異なり、高級な服装のご婦人方が多かったように思います。

●しかし、とてもうるさい美術館でした。今回だけなのか知りませんけれども、ここまでうるさい美術館は珍しい。見学者の多くが、ずっと喋ってるんです。連れの人と喋るときでも、本当に必要なことだけ小声で手短に話せばいいのに、どうでもいいことを普通の声で四六時中喋っていた。「あそこにシミがあるわ」「細かい刺繍ね!」「あの土筆の刺繍、カワイイ~」「びらびら簪って、本当にびらびら簪って言うのね」など、見たそのままを口からボロボロ出し続ける人が大勢いてウンザリでした。1人だけなら私が注意するところなのですが、大勢いたので諦めました…。

●前から思っていたのですが、お金持ちであるとか、都会に住んでいるとかいうことと、上品であるということの間には、何の関係もないと改めて思ったのでした。都会人とか田舎者という言葉がありますが、都会で生まれ育った田舎者もいます。「京に田舎あり、田舎に京あり」とはよく言ったものです。都会に住んでいるっていうのは、単に「気がつくチャンスが多い」というだけのことだと思うんです。本人が気がつかなければ、いつまでも同じ。「こういう場面では、こういうふうに振る舞えばお互いに快適なんだな」という経験や観察、実行。年を取っても洗練されない人は本当にイヤなものです。親が教えてくれなかったとしても、大人になったら自分で気がつかなくては。

●日本は礼儀正しい国だ、などと言われることがありますが、全然そんなことないと思うんです。劇場で、同じ列の奥のほうの席の人が、何も言わずに出入りしようとする…ということが頻繁にありますでしょう。ひと言「失礼します」と言うだけで違うのに、あんな狭い空間に、ただグイグイ入ろうとする人の何と多いことか。劇場に来るような、ちょっと文化的な人でさえ、そのような状態です。年齢は関係ありません(むしろ大人のほうが酷いかも)。たぶん昔は違いました。落語を聞くと、知らない人同士でも気軽に挨拶を交わし、快適に過ごしている場面がたくさん出てきます。今もう1度、若い人が気づかなくてはいけないと思う。美しいものをたくさん見ている甲斐がないじゃありませんか。もちろん私もなお、気をつけようと思っています。

●とてもうるさい展示室で、最初のうち私は集中力を欠いていたのですが、ああ、このようなうるさい人たちのことが気にならない新たな境地にたどり着きたいものだ、と念じておりますと、不思議にも途中から雑音が気にならなくなり、ただ自分と展示品とが向き合っているような感覚となって、有り難いことと思いました。

●会期中に2度の展示替えがありましたが、私が行ったのは最後の展示でした。なんでそんなに展示替えをするのでしょうか。3期とも見に行く人って、いるのでしょうか?

●本当に手間をかけて作られた小袖の数々。解説パネルには、私の知らない用語もずいぶん出てきましたが、何気ない文様にも意味が込められていたり、奥が深いなと思いました。たとえば「縁起の良い文様」にも、隠れ蓑、隠れ笠、分銅、丁字、七宝、宝袋、打出の小槌、宝珠、筒守、方勝など様々ありますが、「隠れ蓑」には「災いから身を隠す」というような意味があるのだそうです。歌舞伎の衣裳でも、意味を知らないまま見過ごしている文様がたくさん出てくるなあ…。

●岡田三郎助という画家が描いた「あやめの衣」という有名な絵がありますが、モデルになった着物が展示されていました。こういう展示が混ざっているのも素敵ですね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~fisheye/artist/jyouga/okada.html

●和歌からデザインした着物が展示されていました。解説パネルがないと何だか分からないけれど、当時の人は「ああ、あの歌を着物にしたのね」なんてピンと来たのでしょうか?素敵な和歌だったのでメモしてきました。→藤原俊成「かげうつす ゐでの玉河そこ清み 八重にやへそふ山吹の花」河の水が澄んでいるので、上に咲いた山吹の花が映りこみ、さらに花がたくさん咲いているように見える、という意でしょうか。この和歌から1つの着物をデザインしてしまう日本の服飾文化のすごさ。2つとない美しい絵画を身にまとっているかのよう。贅の極み。

2008年9月13日(土)鑑賞

2008年10月11日 (土)

「大老」国立劇場

国立劇場10月歌舞伎公演
「大老」
2008年10月5日(日)11時30分

●ああ、出家したい。私も『源氏物語』の登場人物たちと同じように、辛いことばかり多い浮き世をのがれて出家したい。出家とは、どのようにするものなのだろうか。両親が健在でも、していいものなのだろうか。いやその前に、仁左・玉の「桜姫東文章」「かさね」が見たい、それから福助さんの定高、玉手、戸無瀬、尾上、阿古屋、淀君、三津五郎さんの塩谷判官、勘三郎さんの「船弁慶」「文屋」が見たい。…そうか、こういうのを「ほだし」と言うのだろうか。『源氏物語』を読み終えてここ数週間、しきりとそのようなことを考えていたところ、舞台で井伊直弼が「出家したい」と言い出して驚きました。よく上演される「井伊大老」で見る井伊直弼からは、イメージできない若いころのエピソードでした。その後の人生の激変を見ると、人の一生というものは本当に分からないものだなあと、何とも不思議な気持ちです。実際にあった話であるだけに。

●フェデリコ・フェリーニ監督の映画「道」の中で、全てのものには役割がある、たとえ石ころにでも、何の役に立っているのか、本人にさえ分からなかったとしても…というようなセリフが出てきますが、本当にそうなのかどうか、私には分からない。

●プログラムに掲載(再録)されている北條秀司の言葉に、「克明な史実調査を行い」「殆んど正史に忠実」とありますが、どのあたりまで事実に基づいているのでしょうかねえ。衝立に書かれた和歌も、実際に直弼が詠んだ歌なのでしょうか。どこまでが実話なのだろう。

●衝立に書かれた文字は、私にも読める文字と、私には読めない文字とが混ざっている。劇中で1度、仙英禅師が読み上げるけれど、私は1度では覚えられないのでした。(って言うか、過去に何度も「井伊大老」を見ているわけですが…。)「空には」だっけ、「空にぞ」だっけ…と分からなくなり、台本を確認しました。→「いかなれば 田毎に影の見えながら 空にぞ月の独り住みぬる」

●「田毎〔たごと〕の月」というのは、舞踊「紅葉狩」の中にも出てきます。丘の斜面に段々畑状に小さな水田がいくつもあって、その水田の1つ1つに月が映るという現象。
http://homepage3.nifty.com/hosimi/koramu11.htm
芝居や美術展など、そこに行けば確実に見られると分かっているものと違って、条件が揃わなければ見ることが叶わぬ類いの美。私もぜひ1度見てみたいものだと思うのですが、なかなか難しいですね。

●仙英禅師は、和歌から剣難の相を読み取るわけですが、そんなことが分かるなんて、すごいですねえ。修行の徳でしょうか。されば、お静の方が死を覚悟したことも、仙英禅師には分かっていたのでしょう。他の人には分からないことまで分かってしまう寂しさ、気高さ、優しさが描きこまれた、良い役だと思いました。

●僧侶にとって、出家というものは、他人に勧めるべきものなのだろうか、引きとめるべきものなのだろうか。そこのところが分からない。立場的には、勧めるべきものなのだろうけれど、なまじ引きとめたがためにこのようなことになり、仙英禅師はどう思ったであろうか。それもまた、人と人の出会いというものか…。

●生活の中に僧侶が入ってくる、宗教が取り込まれている、という点に興味を持ちました。お布施をして来ていただいているわけですが、私にはこういうのがない。自分から求めていかなくてはいけないのかな…。新興の宗教はたまに布教に来るのだけれど、老舗の宗教は布教に来ない。どうしてなんだろう。

●「セリフに肘をつく」と言うのでしょうか、セリフの前に「アー」とか「ウー」とか、大平正芳かと思うくらい、吉右衛門さんのセリフが入っていませんでした。そのむかし吉右衛門さんは、セリフが入っていなかった17勘三郎に「おじさん、セリフ覚えてくださいよ」と怒ったとか…。年を取ったら、若いときに出来ていたことが出来なくなってくるわけですが、「別な何かを持っているか」ということが重要だと思います。セリフが入っていない部分があっても、やはり第5幕の素晴らしさは比類がない。吉右衛門さんには「圧倒的な芸格の高さ」がありました。

●吉右衛門さんは、若いころ本気で出家を考えていたのだとか。役柄とご本人が重なって見えるような、名舞台でした。

●国立劇場のプログラムは、素っ気ないと思うこともありますが、今月の井伊直弼がらみの資料写真は大変充実しています。こういうところはさすが国立だなと思う。

●むかしは2階のロビーに、その公演にちなんだ資料を展示していましたが、いつの間にかなくなってしまいました。裏手の展示室でも、「代々の団十郎の遺品展」とか、「花柳章太郎遺品展」など、芝居好きの心をそそる展示をかつてはしていたと記憶していますが、最近は寂しいものですね…。

●そう言えば、全然関係ないけれど、国立能楽堂の展示室で「平家納経」の摸本が展示されたことがあるらしい。何でも担当者のやる気次第ですかねえ。

●大変素晴らしい公演でした。配役も充実していましたが、それは吉右衛門さんの座頭としての格によるものでしょう。今後、「井伊大老」を見るときでも、この公演を見ているのと見ていないのとでは、感じることの深さが全く違ってくると思います。勤皇とか佐幕とか難しい話なのかと思っていたのですが、とても分かりやすかったですし、絶対に見ておくことをお勧めします。

2008年10月10日 (金)

最近の私

2008年10月1日(水)
●国立劇場大劇場にて芸術際オープニング公演「沖縄の唄と踊り」を拝見。

2008年10月4日(土)
●歌舞伎座の昼の部を拝見。
●アトリエ・デュ・シャン主催の、マスネ作曲《マノン》を拝見。ピアノ伴奏、ハイライト上演、字幕あり。

2008年10月5日(日)
●国立劇場10月歌舞伎公演「大老」を拝見。素晴らしい公演でした。ぜひ見ておくべきだと思います。

2008年10月8日(水)
●二期会サロンコンサート「千駄ヶ谷スタイル」を拝見。カワイ表参道にて。(なぜタイトルが千駄ヶ谷なのか、結局よく分からない。)

2008年10月10日(金)
●新国立劇場《トゥーランドット》を拝見。演出が私の好みに合わなくて、どうしようもありませんでした。しかしトゥーランドット役のテオリンだけ最高に素晴らしかった。

 

私はただいま財務会計の長期研修中。急に環境が変わり、神経衰弱になりそう。就職が難しくなることを承知で敢えて文学部を受験した私が、なぜこの年になって財務会計の研修を受けるはめになったのか、つくづく自分の身が情けなくなりました。昨日は120人の前で自己紹介することになり、口から胃が出そうなくらいに緊張した。120人分の「私の趣味」を聞いたのですが、歌舞伎、オペラが好きなどというのは本当に珍しい趣味なのだということを実感しました。多かったのはサッカー、ドライブ、旅行、野球、スキー、酒。また、パチンコ、競馬が好きという人も多かった。歌舞伎はパチンコよりマイナー…って当たり前ですね。どんな小さな駅でも、駅前にパチンコ屋ってありますもんね…。もう、講義の内容が理解できない。私の人生損益分岐点に一体何の関係があるのか…。ほとほと人生に疲れました。出家したい。

2008年10月 7日 (火)

『源氏物語』あれこれ

●『源氏物語』の中に、こんな場面がありました。

いつか式部卿の宮の姫君に、朝顔の花をお贈りになった時の、源氏の君のお手紙のお歌などを、少し言葉を間違えて話しあっているのも聞こえました。さも気楽そうにうちくつろいで、うろ覚えの人の歌などを軽々しく言いちらしているのを見ると、どうせこんな女房たちの女主人なら、逢えばがっかりするのが落ちだろうとお思いになります。(瀬戸内寂聴・訳)

和歌というものは、紙に書いてあるものを読む場合と、詠じられたものを聞く場合とがありますが、耳で聞く場合、覚えるチャンスは1度しかないわけですよね。そう、平安時代の貴族たちは、和歌31文字を1度で完璧に暗記できなくてはならなかったのだった。すごい暗記力、私には到底できそうにない。

●当意即妙の機知などと言って、和歌の返歌も早いほうが良かったのだろうけれど、和歌の「早い」って、どれくらいの時間のことを言うのだろう。平安時代と現在とは、時間の感覚が激しく違うと思うんです。なにせ『源氏物語』の中には、「今日髪を洗わないと、来月は洗髪を慎む月だから、2か月洗えないことになってしまう」なんていう記述も出てきます。髪を洗っちゃいけない月があるなんて…。考えられません。

●平安貴族たちは、方角が不吉だとか物忌みだとか、あれをしちゃいけない、これをしちゃいけないって大変だっただろうと思いますが、でも『源氏物語』を読むと、そういうものを結構便利に使っている感じ。自分の都合のいいように使いこなす、それが大人というものだろうか。

「テネシー・ウィリアムズの世界」新国立劇場演劇研修所

演劇研修所第2期生試演会
「テネシー・ウィリアムズの世界」
(「バーサよりよろしく」「しらみとり夫人」「ロング・グッドバイ」の3本立て)
2008年8月31日(日)14時 新国立劇場小劇場

●入場無料の試演会で、出演しない研修生がロビーで案内係をしていました。

●短い3つの作品が上演されましたが、開演前にあらすじを読んだところ、3つとも貧乏のせいで家を追われる話。何だか似た内容だなあと心配になりました。しかしそれは杞憂で、1つ目の作品は暗く、2つ目は暗い内容をコメディ・タッチに明るく、3つ目は暗い内容ながらも多少の希望を感じさせて…というように、作品ごとの色合いが異なり、楽しめました。研修発表として、よくできた構成だと思いました。舞台装置は簡素ながらも、作品ごとに変えていました。

●「ねえバーサ」というセリフが私には「ねえ婆さん」と聞こえて、年増の娼婦だから「婆さん」と呼ばれているのだろうか…と思っていたのですが、そう言えばタイトルが「バーサよりよろしく」だったんだと気づいたのは、芝居がずいぶん進んだころのことでした。知らない単語を聞き取るのって大変。異人の名前を観客に分からせるのって、大変だと思いました。

●「ロング・グッドバイ」では、芝居の途中で、いきなり場面が過去にさかのぼったり、別の場所に移動したりしていました。他の登場人物は現在を生きているままで(雑誌を読んだりしている)、主人公だけ過去のエピソードにワープしてしまう。死んだはずの人が出てきて、主人公とからんだりしていました。時間や場所を飛び越えるってことを、主に照明の力で行っていました(演技の力ではなかったと思う)。

●出演者では、総じて女性陣が健闘していました。私が1番いいと思ったのは、ジョーの母役の藤井咲有里さん。男性陣は、先々演劇界で生き延びていけるのかな…と一抹の不安が。オペラ研修でもバレエ研修でも、男性の応募者がとても少ないと聞くけれど、演劇はどうなのでしょう。男性はいろいろ足かせがあるのかな…。

●研修修了生の活動報告がロビーに張り出されていました。国立劇場の10月歌舞伎公演に修了生が4名出演するとのことでした。

2008年10月 5日 (日)

オペラと小説

●本を読まないと馬鹿になる~と思って、なるべく読書をするように努めているのだけれど、カタツムリ並みの早さでしか読めない私。あれもこれもと積ん読状態。

●今年はどっぷり「源氏物語」にはまっているけれど、去年はオペラの原作となった小説をいくつか読んでみたのでした。

・シェイクスピア「ロミオとジュリエット」
(ベッリーニ作曲《カプレーティ家とモンテッキ家》、グノー作曲《ロメオとジュリエット》)

・ラシーヌ「アンドロマック」(ロッシーニ作曲《エルミオーネ》)

・ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(マスネ作曲《ウェルテル》)

・ゲーテ「ファウスト」(グノー作曲《ファウスト》)

・アベ・プレヴォー「マノン・レスコー」
(マスネ作曲《マノン》、プッチーニ作曲《マノン・レスコー》)

●グノー作曲の《ロメオとジュリエット》《ファウスト》は、原作を読んでいなくても楽しめる独立性の高い作品だと思いますが、マスネ作曲の《ウェルテル》《マノン》は絶対、観客が小説を読んでいることを前提にしていると思う。たぶん作曲者としては「読んでいて当たり前」「読んでない人なんかいるんですか?」って感じなのでしょう。オペラだけだと、ストーリー展開がとても不自然です。ウェルテルの登場~シャルロッテに恋をする経過とか、《マノン》の第5幕の唐突さとか、初めて見たときは驚きました。

●小説「マノン・レスコー」は、最初のうちこそ「こんな女に恋したばかりに酷い目に遭って、可哀想なデ・グリュー」と思うものの、だんだんとデ・グリュー自身の愚かしさが目につくようになり、「ヲイヲイ、そんな選択をしたら最悪の結果が待っているに決まってるだろ」という泥沼にはまり、馬鹿が2人して転落していくのをポカーンとしながら眺めている感じ。だってデ・グリューは脱獄するために殺人まで犯してしまうし、全く同情できない。しかしオペラでは、「可哀想なデ・グリュー」と思える美しい範囲にとどめているところが素晴らしい、さすがオペラ。まあ小説のほうは、ジェットコースターで落ちていくような面白さがありますけれども。

●マスネ《ウェルテル》は、数少ないプリモ・ウォーモ・オペラ(男性の登場人物1人だけが目立つオペラ)ですね。それは、原作のせいだと思うんです。「若きウェルテルの悩み」は、ウェルテルの書いた手紙を日付順に並べた形になっていて、ウェルテルの気持ちしか書かれていないんですから。そのせいかオペラのシャルロッテは、あまり共感できる部分がない。アリア「手紙の歌」も、何が言いたいのか私にはよく分かりません。

●マスネ《マノン》は、タイトルロールのマノンがずっと出ずっぱりで、プリマ・ドンナ・オペラだと言われますが、私はマノンが何を考えているのかサッパリ分からない。感情移入するのはデ・グリューのほうで、デ・グリューが主役だと思っているんです。これも原作の「マノン・レスコー」が、「デ・グリューが語った過去の出来事」という形式になっているからではないかと思う。原作には、デ・グリューの感じたことしか書かれていないから。

●その点、ゲーテ「ファウスト」やシェイクスピア「ロミオとジュリエット」、ラシーヌ「アンドロマック」は戯曲で、もともと登場人物の心情はセリフからしか分からないので、オペラでも各役が対等に扱われているように思います。

●オペラと小説は別個のものとして楽しめばよいけれど、原作の小説を読むことによって、オペラを見るときにも更に想像が広がる…という面はあると思います。グノー《ファウスト》を見ると、ファウストはマルガリーテをほうっておいて何をしていたのか?べつに嫌いになったわけでもなさそうなのに?なんて疑問が浮かびますが、小説を読むと、ファウストがいじけて山にこもっている場面が描かれています。つまり、こうだと思うんです。マルガリーテは宝石を贈られて恋してしまって、ファウストのことを高貴な人だと思っているけれど、実際のファウストはそのような人間ではなく、そのギャップにいじけていたのではないか。オペラは時間の制約があって、あまりたくさんの事柄は盛り込めないけれど、原作の小説を読むことによって、オペラのストーリーの飛躍を埋めていく、というのは有効だと思いました。

●シェイクスピアの《ロミオとジュリエット》では、ロミオが死んだ後にジュリエットが目覚めるけれど、オペラではベッリーニでもグノーでも、毒を飲んで死にそうなロミオと、目を覚ましたジュリエットが再会する場面があって、これは断然オペラのほうが優れていると思う。切なさもクライマックス。

●上に挙げた5つの小説は、面白いので是非お読みになると良いでしょう(ただし「ファウスト」の第2部は私にはよく分かりませんでした)。私は次はデュマ・フィス「椿姫」を読みたいと思っています(当分先のことになるけど…)。

ひこにゃん国立劇場に現る

●国立劇場で、ひこにゃんを見てきました。ストラップも買ってしまった。(ロビーに登場するのは10月4・5・6日の3日間。)

●私はひこにゃんを、望月太左一郎〔もちづき・たさいちろう〕さん(尾上菊五郎劇団音楽部鳴物)のブログで知りました。幕内でブログをつけている人って結構いらっしゃると思いますが、よく読むブログと、全然読まないブログと、自然と分かれていきますね。ブログというものは、本当に自分に合ったものしか読まないものですね…。

●私はどちらかと言えば、女子高生が「キャーかわいい!」と騒ぐようなキャラクターは好きじゃないのですが、ひこにゃんは別。生で見ると、なお、かわいい。動くひこにゃん。

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●今回の発見。
・意外と背が低い。
・のぞき穴がどこにあるのか、近くで見ても分からない。
・しっぽがない。

2008年10月 4日 (土)

10月歌舞伎座 昼の部

芸術祭十月大歌舞伎
2008年10月4日(土)昼の部 歌舞伎座

「重の井」
●三吉と弥三左衛門の「赤と言え」のやりとりは、弥三左衛門が還暦で赤い裃を着けているところからきているわけですが、本来は、
1.
三吉 「これが欲しくば赤と言え」
弥三左衛門 「赤」
三吉 「ベー」
2.
弥三左衛門 「これが欲しくば赤と言え」
三吉 「ベー」
という2段階になっています。ところが今回は1の部分がカットされている。2だけやっても意味が通らないと思う。両方やるから「三吉って利発な子なんだな」って分かると思うんです。2だけやるくらいなら全部カットしたほうがいいのでは?(三越劇場の初役のときは、カットせずにやっていたと思うのですが…。)
●重の井は福助さん当たり役中の当たり役。前回より更に磨かれた重の井が見られて大満足でした。小吉君も良かった。もうボロ泣きでした。重の井の最後の笑いでも泣けるのが素晴らしい。これぞ芸。

「奴道成寺」
●十づくしは、いつ見ても寒い…。

「魚屋宗五郎」
●宗五郎は菊五郎さん当たり役中の当たり役。前回より更に磨かれた宗五郎が見られて大満足でした。

「藤娘」
●6勘十郎が芝翫さんに贈ったという藤の花の色紙、ずっと見てみたいと思っていたのですが、今回2階のロビーに飾られていて見ることができました。多才な方だったんですね。
●黒塗りの笠の赤い緒の先で、占いみたいなことをしていたのですが、初めて見た振付のような気が…。いつもやってましたっけ?
●雑誌「サライ」2008年1月17日号より芝翫さんの言葉を引用→「最後は藤の花がしおれてきた様子です。中には“寒いの?”なんていう人もあるのですよ」(笑)
●藤娘は芝翫さん当たり役中の当たり役。何度見ても素晴らしいです。

2008年10月 3日 (金)

芸術の秋

●瀬戸内寂聴版の「源氏物語」を読み始めてみました。「雨夜の品定め」は、田辺聖子版ではほとんど触れられていなかったけれど、女の出家に対する嫌味が書かれていて、何となく結末(浮舟の件り)を連想してしまう。あんなに長い話なのに、よくできた構成だと思います。

●やっぱり「源氏物語」を読む醍醐味というのは、和歌にあるのではないかと思う。和歌というものは、歌単体で楽しむものではなく、その歌が詠まれた状況とあわせて味わうものだろうけれども、「源氏物語」のすごいのは、「その状況までも創造してしまった」ってところがすごい。田辺聖子版では、要所要所しか和歌が出てこなかったけれど、瀬戸内寂聴版では原作どおりバシバシ出てきて面白い。当然ながら和歌は原文と現代語訳が併記されている。和歌の部分だけ原文で楽しめる。いや原文じゃなきゃ楽しめない。そういう芸術としての完成度の高さにも痺れてしまう。

●「源氏物語絵巻」に関する本を大人買いしてしまった。「源氏物語絵巻」は19場面しか残っていなくて、しかも柏木あたりに偏っているんですね~。源氏が紫の上を見つけるところとか、源氏と頭の中将の青海波、「葵」の車争い、「須磨」「明石」、猫が御簾をまき上げて女三の宮が見えちゃうところ、「浮舟」「手習」「夢浮橋」など、「源氏物語」の中で最も絵になる場面は残っていないのね…。横浜美術館で展示されていた、全ての帖を網羅した屏風絵の図版なんかが出版されたらいいのに!

●現存している「源氏物語絵巻」では、源氏が描かれた場面って少ないんですね。二千円札の図版にあの場面が採用されたのも、分かる気がしました。覗き見してる源氏、なんていうのは使いづらいでしょうし…。

●「源氏物語絵巻」の本をパラパラと見ていて、「御法」の詞書に心ひかれました。紫の上の死の場面ですが、行間がとても狭く、文字が重なるように書かれていて、切迫した雰囲気が伝わってきます。活字と違って、文字の太さ細さ、行間、空白にまで意味が込められている美しさ。ああ、この文字を読めたら、この美しさをもっと味わえるのに…と思うと悔しい。

●「源氏物語」に関する本も山積みのまま、「平家納経」に関する本も買ってしまった。ちゃんと読むのか疑わしい…。しかし写真を眺めているだけでも楽しい。しかし大倉集古館で見た摸本のほうが圧倒的に美しかった気がする…。写真では本当のところは分からない、本物も生で見てみたい。たまには公開しているのだろうか。

●私が買った「平家納経」の本は、小松茂美〔こまつ・しげみ〕著のもの。「平家納経」と言えば小松茂美、小松茂美と言えば古文書の権威、らしい。この方は、「平家納経」の美しさに魅せられて、独学で古文書の権威まで昇りつめたそうです。確かに「平家納経」には、それだけの美しさがある、と思うけれど…。勉強すると、あんな字が読めるようになるのか…。それは昔の人は書いていたわけですから…。何事も勉強ですね。私なんか、いい加減でいけません。反省する秋、ああ、秋ね。

モネ「印象・日の出」

モネの傑作「印象・日の出」が日本に来るらしいです!!

http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/index.html

名古屋か…。やっぱり混むのかな…。行っちゃおうかな…。

2008年10月 1日 (水)

8月歌舞伎座 第2部

八月納涼大歌舞伎
歌舞伎座 第二部
2008年8月24日(日)14時45分

「つばくろは帰る」
●「え?帰らないの?生活できるの?え?やっぱり帰るの?何なの?」と、ストーリーが腑に落ちない点もありましたが、ほのぼのとした佳作でした。君香が文五郎と一緒に行けない理由を語る場面でボロ泣きしてしまいました。
●歌舞伎でなくても上演できそうだけれど、そうは言っても現在、この作品をこれだけのレベルで上演できる劇団は他にないでしょう。三津五郎さんの大工の江戸っ子らしさ、素晴らしかった。福助さんが最後の場面に出てきて、傘をバサッと落とすタイミングなんて名人芸だなあと思うし、幕が降りるまで無言でもたせる力もすごいと思いました。
●安之助は表題役ということになるのでしょうか。小吉君はしっかり芝居に馴染んでいましたね。あれだけの大役を、あの年で立派に勤めるなんて、すごいことですね。

「大江山酒呑童子」
●私は勘三郎さんの踊りが大好きなのですが、最近は勘三郎さんの踊りって、なかなか見る機会がないんですよね…。しかも踊るとなると、「娘道成寺」「鏡獅子」「連獅子」など何度も見た演目か、または新作や復活など珍しい演目か、両極端になってしまいがち。私は勘三郎さんの「船弁慶」「文屋」「三面子守」「保名」「年増」「浮かれ坊主」「二人椀久」を見たいんですけど…。(「船弁慶」は勘九郎時代に南座で1度拝見したことがあるのですが、その時は私がまだ「都名所」の良さを分かる能力がなかった。くやしい…。)

●今回の「大江山酒呑童子」は、あんまり感動しませんでした。

8月歌舞伎座「女暫」幕見

八月納涼大歌舞伎
歌舞伎座 「女暫」幕見
2008年8月24日(日)

「女暫」
●いまさら8月の公演の感想もないものですが、これは一応日記なので、記録の意味で書いておきます。最近、芝居の感想を更新していませんが、書く気がなくなったわけではないので、順次UPしていくつもり。
●16日に「女暫」を拝見したときに、何だか福助さんの声の調子が良くなかったような気がしたので、予定外に追加で幕見してみることにしました。この日は絶好調で、思ったとおり16日は調子が悪かっただけみたいでした。
●観客にとっては見た日が全てだけれど、1か月も公演をやっているのですから、調子の良くない日があるのは仕方のないことでしょう。まして女形は、カウンターテナー並みの高音域で、普通の人には真似のできない奇跡的なことをしているのですから、なおさらです。
●福助さんも、若いころはキンキン声だなんて言われて、いくらでも声が出るイメージでしたが、コクーンの「桜姫」の時や、昨年の「鎌倉三代記」など、不調な時も見受けられるようになりました。しかし、歌舞伎座で「女暫」を出せるようになる現在まで、その声量を保っているのは素晴らしいことだと思います。こんなに声量がある女形は、若手にはいませんからね。私は、福助さんの変化に富んだ声が好きなんです。ずっと同じ声量・音色でセリフを言う俳優は苦手。
●私がこんなことを言うのも僭越ですが、やはり女形は特別なことをやっているのですから、芝居と踊りをバランス良く取り混ぜて、声を守っていただきたい。才能のある人は、その才能を使う義務と、その才能を守る義務とがあると思う。

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