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2009年12月

2009年12月29日 (火)

『京鹿子娘道成寺』あれこれ


■初代藤間勘斎(=7代目松本幸四郎)

「恋の手習いは、処女ではなく、男を知った女の、色気のポタポタたれるような、色っぽい形の連続」

 

■7代目坂東三津五郎

「誓紙さえ偽りか、この女はまだ処女です。男を知らない女です。誓紙も取り交わしていません。普通にいって見れば、父母がこの人ならば、お前の将来の夫によかろうといった話の最中という程度です。ですから√見習いて…の文句が生きてくるわけです。私はこの気持ちで演じています。」

 

■渡辺保(『歌右衛門 名残りの花』より)

たしかに私はテレビで「恋の手習」にはじまる「道成寺」のくどきは、一人の女に見えるが実は三人の女の唄が組み合わさっているといった。これは私の新説ではない。国文学者佐々醒雪〔ささ・せいせつ〕の指摘したことである。「恋の手習つい見習いて、だれに見しょとて紅かねつきょうぞ、みんな主への心中立て、おおうれし」というのが第一段。第二段が「末はこうじゃにな、さうなる迄はとんと言わずに済まそぞえと、誓紙さえ偽りか、嘘か誠か、どうにもならぬほど逢いに来た」。第三段が「ふっつりりん気せまいぞと、たしなんでみても情なや」から「恨み恨みてかこち泣き、露を含みし桜花、さわらば落ちん風情なり」まで。佐々醒雪は「三段三首の小唄」で「前後関係なき別々の唄を組み合わせたもの」(『俗曲評釈』)といっている。しかも第一段が「普通の小唄」、第二段が「騒ぎ唄」、第三段が「女の痴態を唄」っているという。佐々説は三つの唄といったので三人の女といったわけではない。しかしこの説をふまえて文句をよく読むと第一段は「娘」、第二段は誓紙をかわしても会わぬというのだから「遊女」、第三段はいうまでもなく夫の浮気に悩む「人妻」という風に思える。そのことを私はテレビでしゃべった。

 

●「京鹿子娘道成寺」の眼目は「恋の手習い」だと思いますが、人によって言っていることが全く異なり、解釈に定説がありません。それだけ懐が深いと言いますか、どのようにも受け取れる、幅の広さを持った詞章なのでしょう。この「くどき」の部分に限らず、「京鹿子娘道成寺」は全般的に、詞章に一貫性がないと言われます。

 

■西形節子(『日本舞踊の心』二巻より)

けれども、能の「道成寺」と本質的に違うところは劇的一貫性がないことです。はじめの乱拍子・急の舞と、終りの鐘入りだけが能の借り物であって、大部分の中味はショー的な笠踊りや娘の姿や心をふりにしてみせる方が多くなっている…。烏帽子をとってしまえば、江戸の町娘となってしまい恋する娘の可愛らしさ、艶っぽさをふりごとでくどき、またリズミカルに小道具を使って踊ってみせる趣向です。こうした展開は、全く理屈からいえばふしぎな作品です。

(中略)

しかし「娘道成寺」は独立した局面を持つ一ツ一ツの踊りの間には劇的一貫性がなく、不統一なもので、論理的な外国の観客にとっては全く退屈なものとしかうつらなかったのは当り前だったのでしょう。

同じように現代の日本の人々にとっても、解説ぬきでは分かりにくいものであるかもしれません。これは、合理性を問題にしなかった江戸庶民の独自な感覚・耽美的デリケートな嗜好が生み出した作品だからなのです。

 

■藤田洋(NHK日本の伝統芸能「日本舞踊鑑賞入門Ⅲ」より)

全国の遊廓を詠みこんだ歌詞と娘の恋がどう関連しているのか。これはどうでもよいことだったのでしょう。恋の手練手管は、廓のなかにこそいっぱいお手本があったのですから。

 

●西形節子さんも藤田洋さんも著名な日本舞踊研究家ですが、「娘道成寺」はもともと理屈では理解できない作品だと仰っているようです。

 

■西園寺由利・著『長唄を読む』《江戸前期編》より(「傾城道成寺」の解説部分)

この時代の長唄の作曲は、既存の膨大な数の曲から本歌取り形式で一部を拝借し、前後をオリジナルで繋ぐという手法。独創性よりもひねりやうがちに価値が置かれた。

 

●「京鹿子娘道成寺」は、複数の既存作品から詞章を流用している部分が多いのですが、何もデタラメに選んだというわけではなく、1つの主題に沿って繋ぎ合わせていると私は思うのです。

 

●清姫の亡霊は、「自分は白拍子である」と言って登場します。それはなぜかと言いますと、今日は鐘供養〔かねくよう=鐘を初めて撞くときに行う法要〕の日であり、道成寺としては、ひょっとしたら清姫の亡霊が現れるのではないか…と思って警戒している。そのことを清姫は事前に察知しているわけです。いかにも清姫らしい様子で行ったのでは、中に入れてもらえない。そこで、自分とは遠い存在である白拍子と名乗って、清姫とは関係ないふりをしています。白拍子は男装の女芸人・遊女ですから、道成寺は女人禁制となっていますが、「普段男装して踊っている私なら入れてくれてもいいでしょう?」ということです。

 

●私の考えでは、「私は白拍子です」と言って所化の前で披露する踊りなのですから、それは全て遊女の踊りだと思います。鐘入りで清姫の本性を現すまでは、ずっと遊女のことを踊っている。心は娘でも、歌詞、振付に表れるものは全て遊女なのです。そういうつもりで歌詞を読んでいきますと、「廓尽くし」も納得がいきますし、「恋の手習い」は遊女の初恋を描いたものだなと思いますし(町娘は鉄漿〔かね〕を付けて男に見せたりしない、遊女はします)、「ただ頼め」も遊女のことを言っています。「山尽くし」は遊女と関係ないようですが、ここは踊り地ですから、主題があまり反映されていない部分なのだと思います。1曲のなかで、主題が色濃く反映された部分(くどき)と、そうでない部分(踊り地)とで、バランスを取って配分されているのです。これは他の踊りでも同じです。

 

●それでは清姫は、自分と関係ない踊りをずっと踊り続けているのか?いいえ、そんなことはありません。清姫の亡霊と白拍子花子には、共通点があります。それは「叶わぬ恋をしている」「鐘に恨みがある」という点です。その点さえ同じであれば、清姫は自分の気持ちを踊れてしまうのです。自分から遠い遊女の踊りを踊っていても、その点さえ同じであれば、あとのことはどうでもいいのです。白拍子である花子が、なぜ鐘に恨みがあるのかと言いますと、それは道行の詞章で説明されています。遊女はたくさんの男と寝なくてはなりませんが、その中に1人だけ、相思相愛の男がいる場合があって、それを間夫〔まぶ〕と呼びます。揚巻にとっての助六、八ツ橋にとっての栄之丞が間夫です。「間夫がなければ女郎は闇」…有名なセリフですね。やっと間夫に会えたと思ったら、もう別れなければいけない時間になってしまった、別れの時間を知らせる鐘が恨めしい、と道行の詞章に書かれていますでしょう?つまり「京鹿子娘道成寺」の道行は、清姫の亡霊と白拍子花子を、「鐘への恨み」で合体させる役割を果たしているのだろうと思います。

 

●「ある一部分が同じである」という、その部分を軸にして、全く別の展開にポーンと飛んで行ってしまう、そういうことが和歌にはよくあります。「本歌取り」も同じ感覚です。外国人には分からなくても、日本人なら分かります。あなたにも、お分かりになりますね?

 

※次回から、具体的に詞章をチェックしていきます。

2009年12月28日 (月)

清元「喜撰」あれこれ3


●日本舞踊社『日本舞踊全集』より

この「喜撰」の歌詞の中にある、√賤が伏屋に糸とるよりも…の一くさりは、原作にはなかったものです。どうしてこれが入ったかといいますと、この「六歌仙」が評判になってある贔屓〔ひいき〕が、芝翫とそれを語った二代目清元延寿太夫をある料亭に招きました。そして延寿太夫をほめると、延寿は「どうも語っている私の前でどたばたする者がいますから…。それがないともっとよく語れるのですが…」というようなことを言ったのです。やや遅れてその席へ顔を出した芝翫は、あとでその話を聞いて不愉快になったものですから、それからは清元を常磐津にかえて上演することにしました。しかし、やはり清元でないとぴったりしないものですから、延寿太夫と仲直りしてもと通り清元になったということですが、常磐津で演〔や〕ったときに、この歌詞が入ったのです。

 

●主演俳優と地方〔じかた〕が喧嘩したら、地方は出演できなくなっちゃうんですね。「喜撰」が常磐津で上演されていたのは、決して短い期間のことではなく、かなりの公演回数を常磐津で上演していたみたいです。2延寿太夫も、自分のほうが立場が弱いことを知っていただろうと思うんです。でも言わずにいられなかったんですね。芝翫の踊りが下手だった…わけではない。大変僭越ですが、私は2延寿太夫の不満の理由が想像できるんです。

 

●私は「喜撰」という踊りが好きで、富十郎・福助で踊ったときは、見ていて何て素晴らしいんだろうと思いました。心酔した。でも、詞章の意味なんか全然理解していなかった。「喜撰」は何と言っても江戸時代の言葉ですから、ただ聞いているだけでは永久に理解できない。そこで詞章を調べてみました。言葉が分かると、作品のすごさが改めて分かりました。

 

●「喜撰」の詞章は、いくつかのパートから成り立っています。その中で詞章の眼目、もっとも主題が表れている部分は、「帰命頂礼どら如来」のくだりであると私は思います。ところが、過去の映像を見てみますと、何とこのくだりがカットされている。その映像は、お梶が6歌右衛門だったので、詞章の下品さを嫌ったのだろうかと思いガッカリしました。今年の8月に歌舞伎座で見たときは、オッ、やったァ上演されるじゃありませんか!…と思ったのも束の間、後半がカットでした。このくだりの後半がカットされていて大ショックだった。そんなカットってあるんですか。振付が、鉦を叩いているだけなので、詞章いっぱい持たせられないようでした。つまり、このくだりに関しては、詞章の素晴らしさに拮抗するだけの振付が付いていない。振付さえ良ければ、この詞章がカットできるわけがない。詞章の眼目は振付の眼目と一体であるべき。これでは「前でどたばた」と言われても仕方がないと思いました。

 

●伊勢音頭のくだりは、ああ風呂を沸かしてるんだなあとか、畳を張り替えてるんだなあとか、見ていて分かりやすいし、楽しい踊りだとは思います。しかし、詞章の重要度という観点から見れば、「帰命頂礼どら如来」とは比較になりません。別に喜撰が風呂を沸かす必然性はないからです。

 

●確かに「帰命頂礼どら如来」という詞章に振りを付けるのは、非常に難しいことだろうと思います。畳を張り替えるような具体的な体の動きをイメージすることはできません。しかし、抽象的な詞章には、それに見合う抽象的な振付があって良いのですし、例えば現代を生きる若い振付師が、絶対にカットできないような名振付を新しく創造する、なんていう事件があっていいはずだと思うのです。

 

 

帰命頂礼〔きみょうちょうらい〕どら如来〔にょらい〕 衆生〔しゅじょう〕手だての歌念仏〔うたねぶつ〕 釈迦牟尼仏〔しゃかむにぶつ〕の床急〔とこいそ〕ぎ 抱いて涅槃〔ねはん〕の長枕〔ながまくら〕 睦言〔むつごと〕〔が〕わりのお経文〔きょうもん〕 なまいだなまいだ なんまいだなんまいだ なぜに届かぬ我が思い ほんにサ 忍ぶ恋には如来〔にょらい〕まで 来てみやしゃんせ阿弥陀笠〔あみだがさ〕 黄金〔こがね〕の肌〔はだ〕へでありがたい なまいだなまいだ なんまいだなんまいだ なぜに届かぬ我が思い ほんにサ ここに極〔きわ〕まる楽しさよ

2009年12月27日 (日)

最近の日記(備忘録)

2009年12月18日(金)
●映画「パリ・オペラ座のすべて」を見ようと思っていたのですが、残業で断念。映画って、なかなか見られない…。

12月19日(土)
●14時から津田ホールにてロッシーニ作曲《湖の女》を拝見。ピアノ伴奏、演奏会形式、抜粋、合唱付き、字幕なし。日本ロッシーニ協会主催。(抜粋と言っても、ほとんどのナンバーが演奏されました。)
13時30分から作品解説あり。ロッシーニ協会会長の水谷さんの解説がダジャレ連発でした。以前は《湖上の美人》というタイトルで上演されることが多かったけれど、最近は直訳が流行りだそうで、今回は《湖の女》になったそうです。
タイトルだけ知っていたころは、湖の上空に美人が浮かんでいる、マグリットの絵のような場面が頭に浮かんで、一体どんなシュール・オペラなのだろう…と思ったものですが、主役の女性が湖畔で見知らぬ男性と出会う、その人は実は王様だった、というようなストーリーでした。あんまり湖は関係ないような…。
主役エレナを歌った山口佳子〔やまぐち・よしこ〕さんが素晴らしく、明日にでもスカラ座で主役デビューできそうなくらいでした。あとはウベルト役の櫻田亮〔さくらだ・まこと〕さんが良かったですね。最後に、見せ場の三重唱のアンコールがありました。
●終演後は、オペラ友達と忘年会。《湖の女》出演者の打ち上げ会場の隣テーブルで(笑)。「来年は《セミラーミデ》が聞きたいんですけど」って言っておいたのですが、どうなるでしょう…。

12月20日(日)
●講談社野間記念館にて名品展を拝見。速水御舟の「梅花馥郁」と小茂田青樹の「四季花鳥」が良かった。
●損保ジャパン東郷青児美術館にて所蔵作品展を拝見。東郷青児の作品をこんなにたくさん見るのは初めて。他の美術館では見ない気がする。
平山郁夫の「ブルーモスクの夜」が、むき出しで展示されていて驚きました。額にガラスがない。日本画のむき出し展示は珍しい。絵の前でくしゃみする客がいたらどうするのだろう…。
それよりゴッホの「ひまわり」をもっと近くで見られるようにしていただきたい。今の状態では絵の素晴らしさが伝わってきません。遠すぎます。絵肌の質感が見えない。

12月21日(月)
●会社の忘年会。

12月22日(火)
●課の忘年会。蟹が美味かった。

12月23日(水・祝)
●国立劇場の12月歌舞伎公演を拝見。「頼朝の死」「一休禅師」「修禅寺物語」の3本。
●歌舞伎座の夜の部を拝見。「引窓」「雪傾城」「野田版 鼠小僧」の3本。

12月26日(土)
●山種美術館にて「東山魁夷と昭和の日本画展」を拝見。東山魁夷の作品は、少ししか出ていませんでした。
●たばこと塩の博物館にて「浮世絵百華」(後期)を拝見。

12月27日(日)
●東京国立近代美術館工芸館にて「現代工芸への視点-装飾の力」を拝見。デコラティヴな作品が多くて、毒キノコや深海魚に通じるような派手な色彩が目立つなか、それほどの派手さはないけれど、十四代今泉今右衛門と服部真紀子の作品に感銘を受けました。服部真紀子の作品は、どうやって作ったのか非常に不思議でした。すごい。
●東京国立近代美術館にて所蔵作品展「近代日本の美術」を拝見。ついこのあいだ見たような作品ばかり展示されていてガッカリでしたが、平福百穂の「荒磯〔ありそ〕」が素晴らしかったので良しとしましょう。ほかに堅山南風の「白雨」、横山大観の「或る日の太平洋」、伊東深水「雪の宵」が良かったですね。

「娘道成寺」の詞章解釈を書こう書こうと思っているうちに時間が過ぎていく今日この頃。

不満

こういうのも「マイナスの情報」ってことになってしまうだろうか…。

今日、東京国立近代美術館の工芸館に行ったんです。本館みたいな美しくない建物と違って、レンガ造りの、なかなか趣きのある建物ではないか。でも前庭がアスファルトなのがイヤだなあ…なんて思いながら入ろうとしたら、入口の真ん中に「トイレのみのご利用はご遠慮ください」とかいう注意書きが貼ってあるわけなんです。もうゲンナリ。何でしょう、美しいものを見に来たというのに、そりゃトイレだけ借りに来る人が多いのかも知れないけれど、受付で断ればいいだけじゃない?腹が立つ。誰が、何の権利があってあんな注意書きを貼るのだろうか。あの注意書きを剥がす権力が欲しい。

東京都美術館の閉館時間を知らせるアナウンス(録音)の音の古さとか、NHKホールの開演ブザーの音の汚さとか、国立劇場と最高裁判所の間の鉄条網とか、そういうのがね、もう、許せないわけなんです。それを変更させる権力が私は欲しい。

雑感

今はパソコンで何でも検索できるので便利である。私はたいていYAHOO!を使う。Googleはあまり使わない。最新ニュースもYAHOO!で知ることが多い。よくニュースにコメント欄が付いていて、一般人が感じたことを好きに書き込んでいるが、9割方がマイナスのコメントである。世の中にはこんなにマイナスの感情が渦巻いているのかと驚いてしまう。それから迷惑メールの多さ、その内容の酷さ。また2ちゃんねる(私が見るのは伝統芸能板だけだが)も、昔は多少は有益な情報も混じっていたが、最近はマイナスの事柄ばかり。まだ若い人が自分のパソコンなど所有したら、どんな人間になってしまうのだろうかと心配するこの頃である。

そのようなマイナスの情報から、大人が子どもを守る、ということも必要だと思いますが、それよりも、世の中には良いものと悪いものが両方存在すること、それを見分けられる力を持たなければいけないこと、そして自分自身は良いものを発信する人間にならなければいけないということを、繰り返し繰り返し、しつこく言葉に出して子どもに吹き込む必要があるのではないか。

坂の上の雲

NHK「坂の上の雲」、つづきは1年後なの…?一体どういう放送スケジュールなのだろうか?それで1年後には、今年の分も改めて再放送するわけなの?何なの??

放送の最初のうちは、若者が「勉強したい!」という気力に満ちていて新鮮でした。勉強って、「強いて勉める」と書くことからも分かるように、面倒くさいことを必要に迫られて敢えてやるということ。必要がなければ、なかなか勉強はしないでしょう。

やっぱり「学問ノススメ」の影響なのでしょうかねえ。若者に勉強をさせる原動力となったっていうのは、すごいことですね。でも「学問ノススメ」って、今の人は誰も読んでいないでしょう。私も読んでいない。不思議。

だんだん戦争の話ばかりになってきましたねえ。兵隊になりたい気持ちって、よく分からないなあ。

先日NHKで、第二次世界大戦の記録映像を放送していたんです。白黒フィルムに彩色してあって、カラー映像になっていた。「えっ、こんなすごい映像残ってたの?」っていう驚きの映像でした。学校の授業では、第二次世界大戦って、あまり取り扱わないじゃないですか。もっと早く知りたかったですね。「人間って、こんなことするんだ…」という衝撃の連続でした。何だか、別の種類の生き物を見ているような気がして。

やはり勉強というものは、未来の自分の仕事につながっているものでなければいけないなあと思う今日この頃。
(オチのない話で恐縮です。)

2009年12月24日 (木)

どうでもいい話題

「そうじゃ」とか「なむあみだぶつ」とか「私も生きてはいませぬぞえ」とか言って刀に手をかけ死のうとする場面が、歌舞伎にはたびたび出てきますが、今月の歌舞伎座では「野崎村」「引窓」が上演されている。『野田版 鼠小僧』の伏線として上演しているのだろうか…。おしなの海老反りの伏線…。そういうことを考えながら狂言建てしてるのだろうか…。

お光も久松も与兵衛も、血のつながらない子どもなんですね。むかしは、血のつながらない子どもを育てることも多かったのでしょうねえ。「船、車にも積まれぬご恩」という久松のセリフがありますが、むかしは売られちゃう子も結構いたのでしょう。さん太は捨てられちゃったんでしたか。親の恩はありがたいものですね。

来年2月、国立劇場の文楽公演で『曽根崎心中』が上演されます。文楽を見たことがない人は、今のうちに1度くらい見ておいたほうがいいと思うんです。やはり大人であれば、雅楽、能、狂言、文楽、歌舞伎、落語、講談、浪曲くらいは、1度は生で見ておくべき。(本当は5回は見たほうがいいと思うけれど…。)

2009年12月23日 (水)

おすすめ

今月、国立劇場で上演されている『頼朝の死』が大変面白かったです。これはぜひ見ておくべき舞台だと思いました。26日(土)まで上演されています。1番安い席は1,500円です。

2009年12月19日 (土)

『春調娘七種』あれこれ


●七草〔ななくさ〕とは、毎年1月日の午前4時ごろ(=ツ時〔ななつどき〕)、種類の若菜〔わかな〕を俎板〔まないた〕の上にのせて、恵方〔えほう=その年の縁起のいい方角〕に向かって決まりの歌を歌いながら、包丁や擂〔す〕り粉木〔こぎ〕などで打ち叩く、それをお粥〔かゆ〕にして食べる、という行事です。1年の無病息災〔むびょうそくさい〕を祈るものです。

 

●詞章の中に登場する七草

・御形〔ごぎょう〕

・田平子〔たびらこ〕

・仏〔ほとけ〕の座〔ざ〕

・菘〔すずな〕

・清白〔すずしろ〕

・芹〔せり〕

・薺〔なずな〕

(私は「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」と覚えていましたが…。)

 

●参考(古今和歌集)

「君がため 春の野〔の〕に出〔い〕でて 若菜摘む 我〔わ〕が衣手〔ころもで〕に 雪は降りつつ」 光孝〔こうこう〕天皇

 

●「春調娘七種〔はるのしらべむすめななくさ〕」では、曽我十郎〔そがのじゅうろう〕が小鼓〔こつづみ〕を持ち、曽我五郎〔そがのごろう〕が大鼓〔おおつづみorおおかわ〕、静御前〔しずかごぜん〕は七草の入った籠を持って登場します。

 

~日本舞踊社『日本舞踊全集』より「娘七種」市山七十郎

曲の内容は、曽我十郎・五郎が七草行事にことよせて、工藤館へ芸人として入り込み、諸大名の居並ぶ前で芸を見せるという設定の中で、工藤の隙〔すき〕を窺〔うかが〕いながら飛びかかる気組みを見せ、それを静が止めるというものになっております。

 

●「正月」「芸人」「鼓」と言ったら、それは「万歳〔まんざい〕」でしょう。現在では、お正月の芸能でパッと思い浮かぶのは「獅子舞〔ししまい〕」くらいですが、昭和の初めごろまで万歳も普通に見られたのだそうです。『乗合船恵方万歳〔のりあいぶねえほうまんざい〕』という歌舞伎舞踊に登場するので、ご存じの方も多いと思います。通常は、扇を持って踊る太夫〔たゆう〕と、小鼓を持って囃〔はや〕す才蔵〔さいぞう〕の2人組みで、正月を祝うストリートパフォーマンスを披露します。それから、座敷のうちに呼ばれることもあり、3人以上の編成になることもあったそうです。万歳というのは、冬、農業ができない時期に出稼ぎに来ていた人たちだと思いますが、町からお正月気分が抜けるまで、あちこちで芸を披露していたのでしょう。要するに『春調娘七種』は、「1月7日限定・七草ヴァージョンのスペシャル万歳をお見せします」という踊りであると思います。詞章の中にも万歳という言葉が出てきます。七草ヴァージョンになると、七草を打つ(注:七草は「打つ」と言う)ための女性が必要になりますので、なぜか静御前が登場するのでした。

 

~日本舞踊社『日本舞踊全集』より「娘七種」市山七十郎

…十郎と五郎が小鼓と大鼓を持ってかつら桶にかけますと、√春は梢も一様に…と鼓唄になり、ここは十郎が鼓を打ちますが、私共の流儀ではここのくだりはすべて踊り手が自分で打ちます。といいますのは、これを陰で打ってもらったのではまったくこの踊りの意味がなくなりますし、面白味が半減してしまいます。ですから踊り手が鼓を打って所作をするところに、この踊りの見せ場があると申せましょう。

…√日本の土地へ渡らぬ先に…からの合方で大小の打合せ(注:大鼓と小鼓の演奏)となります。もちろん囃子方は休んで、十郎・五郎が合方全部を打ちます。

 

●「七草を打つ」「鼓を打つ」「やがて敵を討つ」ということで、正月らしい、おめでたい1幕となっています。

2009年12月18日 (金)

色即是空

子どものころ、サンタクロースがいるって信じていましたか。本気で信じていましたか。私は本気で信じていました。私は素直な性格なものですから、かなり高学年になるまで信じていました。「サンタさんへ、○○が欲しいです」というような手紙を枕元に置いたりしていた。サンタが実はいないと知ったとき、今までのは一体何だったんだ~と思ったけれど、別にガッカリはしなかったですね。プレゼントがもらえていたわけですし。

「いる」と信じたなら、実際はどうであろうと、その人にとっては「いる」のだし、「いない」と信じたなら「いない」のでしょう。
あると思えばあり、ないと思えばなし。
色即是空、空即是色。

「いないと信じたなら、事実はどうあれ、いないのと同じなんだから、私を中に入れてください」と白拍子花子は言う。哲学的な女である。

「般若心経」は、「ないと思えばなし」と言って、全ての苦しみを「なし」にしてしまいました。

「なし」にしようと思っても「なし」に出来ないものを「煩悩」と言う。

人間には108の煩悩があるらしい。私はそんなにたくさんの煩悩は持っていないつもりであるが。

除夜の鐘を聞くと、その年の煩悩が1つずつ消えていくそうな。鐘の音で清姫の煩悩も消せるだろうか?手のうちの雀みたいに。

2009年12月14日 (月)

あっれっこっれっ

●私が歌舞伎を見始めたのは平成4年。歌舞伎の入門書には、「1時代物、2舞踊、3世話物」という狂言建てが多いと書かれており、実際そのように興行されていたと思うのですが、最近は「1世話物、2舞踊、3新歌舞伎」といった公演が増えている…ような気がする。時代物はもう客が理解できないのだ、きっと。

●政治家には失望することが多い。

●NHK「坂の上の雲」のキャスティングは、実在の人物の写真と見た目が違うように思うが、香川照之の正岡子規だけは風貌が写真の子規にそっくり…な気がする。子規が登場する場面で、すでに泣きはじめている私であった。(死ぬ場面はどうなっちゃうんだか…。)

●なぜテーマ曲がサラ・ブライトマンなのか…。

●それにしても、福山雅治の坂本龍馬は見た目的にどうなのよ?

2009年12月13日 (日)

最近の日記(備忘録)

このあいだの日記に、ペルトゥージ&レベカのリサイタルに行ったことを書き忘れた。

2009年11月30日(月)
●東京オペラシティコンサートホールにて19時より「ミケーレ・ペルトゥージ&マリーナ・レベカ デュオ・リサイタル」を拝見しました。期待していたレベカにはあまり感動せず、期待していなかったペルトゥージにとても感動しました。ペルトゥージは、明るい曲のほうが似合っているように思いました。《愛の妙薬》の二重唱、《セビリャの理髪師》の「陰口はそよ風のように」が大変素晴らしかった。レベカは、「ありがとう、愛する友よ」も「花から花へ」も、高音を付加していませんでした。意外と太い声で、前回の来日公演《マホメット2世》の時に聞いた雰囲気と違っている感じでした。リズム感に変な癖がありますね。
曲目
・ヴェルディ《ナブッコ》より「来なさい、ああレヴィの人よ!」ペルトゥージ
・グノー《ファウスト》より宝石の歌「なんと美しいこの姿」レベカ
・ベッリーニ《夢遊病の女》より「ああ、再び見る、なつかしい眺め」ペルトゥージ
・ロッシーニ《セビリャの理髪師》より「今の歌声は心にひびく」レベカ
・ヴェルディ《イェルサレム》より「ああ、暗黒の中で」ペルトゥージ
・ドニゼッティ《愛の妙薬》より「なんという愛情でしょう!」二重唱
休憩
・ヴェルディ《シチリアの晩鐘》より「ありがとう、愛する友よ」レベカ
・レオンカヴァッロ《道化師》より鳥の歌「大空を晴れやかに」レベカ
・ヴェルディ《シチリアの晩鐘》より「ああ、パレルモ」ペルトゥージ
・ヴェルディ《ラ・トラヴィアータ》より「ああ、そは彼の人か~花から花へ」レベカ
・ロッシーニ《セビリャの理髪師》より「陰口はそよ風のように」ペルトゥージ
・ドニゼッティ《ルクレツィア・ボルジア》より「二人きりだ」二重唱
アンコールはメモし忘れた…。
1番最後はモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》より「お手をどうぞ」の二重唱でした。

12月11日(金)
仕事が忙しいなどと言いつつ、ちゃっかり早退して美術館へGO!
●国立西洋美術館にて「古代ローマ帝国の遺産」を拝見。
●東京都美術館にて「冷泉家-王朝の和歌守展」後期を拝見。
●新国立劇場オペラ劇場にて18時30分より《トスカ》を拝見。第1幕は歌手とオケがズレズレで、どうなるのだろうかハラハラ…と思ったのですが、第2幕から持ち直したようでした。プレミエの時は、心臓が止まりそうなほど興奮したのですが、今回はあんまり興奮しませんでした。私も年を取ったのかね。このような豪華な演出は見納めかも知れぬ。

12月12日(土)
●渋谷の、たばこと塩の博物館にて、「浮世絵百華-中央大学創立125周年記念特別展 平木コレクションのすべて」前期を拝見。思っていたより混んでいましたが、ずっと喋り続けるお馬鹿さんが存在せず、心ゆくまで浮世絵を堪能しました。きっと、中央大学の関係者が多かったんだと思う。中央大学文学部に合格していたけれど別の大学に入学した私としては、どこか親近感のある展示だった。あのとき中央大学を選んでいたら、別な人生だったんだよな~とか思って。解説パネルが充実していたことと、絵までの距離が近かったので、作品の素晴らしさがよく分かりました。
・玉三郎さんの和楽ムック28ページに紹介されていた「十體画風俗」が展示されていました。
・歌麿の「物思恋」が素晴らしかった。
・鳥文斎栄之が好きだ。
・写楽の「三代目市川高麗蔵の志賀大七」が展示されていた。高麗蔵はたしか後に「鼻高幸四郎」と言われた人で、さすがに鼻が高かった…。「車引」の松王丸登場の横向きの見得は、この人の鼻の高さを見せるための見得だったとか何とか…。
・北斎の有名な「神奈川沖浪裏」の空の色づかいの複雑な美しさに感動した。木版で、あのような面の表現ができるものなのか…。それから、一瞬の風景をパッと切り取る能力がすごいなあと思った。印象派の嚆矢となったモネの「印象-日の出」、あれは風景が変わってしまう前に20分間で描いたとか言われているそうですが、「神奈川沖浪裏」は見ながら描いたわけではなく、頭の中で再構成をしている。見たものを描いているんじゃないのね。
・「初代市川團十郎の暫」「花下美人」「玉川秋月」「芝浦晴嵐」「飛鳥山暮雪」の重要文化財5連発にはしびれた。
・安かったので図録も買ってしまいました。

12月13日(日)
●畠山記念館にて「戦国武将と茶の湯-信長・秀吉ゆかりの品々」を拝見。ここの美術館は、いつ行ってもうるさいのでした。
・大好きな本阿弥光悦の「扇面月兎画賛」が見られました。
・「誠仁親王御消息」がまことに美しかった。
・蘭奢待の香木が展示されていましたが、さすがに匂いは分からなかった(笑)。
・千利休の文字は読めない。昔の人はあれで読めたのかねえ。誠に不思議である。
・「候」という漢字は絶対に読めないと思う。
●松岡美術館にて「大観・観山と日本美術院の画家たち展」を拝見。堅山南風の「秋草」と前田青邨「紅白梅」が良かった。ほかに「宮廷工芸の粋展」、「明清の絵画展」。
●サントリー美術館にて「清方ノスタルジア-名品でたどる鏑木清方の美の世界」を拝見。会場が静かで、絵も近くで見られて、良い展示でした。
・サントリー美術館の階段をガツガツと音をたてて降りてくる人はもう駄目である。駄目。

2009年12月 9日 (水)

あ☆れ★こ◎れ

仕事は増えるわ給料は減るわ歌舞伎座は値上がりするわで踏んだり蹴ったり煮たり焼いたり…。

中央線で通勤するのがユウウツ…。今朝、西荻窪の信号機トラブルで電車が止まったときには、「通勤地獄」という単語が頭をめぐった。複数の通勤経路を持つ地域に住みたい…。

最近パソコンの調子が悪くて、インターネットやメールに接続できなくなることが増えてきた(←なんじゃそりゃ)。パソコンが壊れる前に、「娘道成寺」の詞章解釈を書いておきたいのだけれど…。これから残業生活突入なのだった。エクセルの表と、にらめっこするような仕事…。

新国の予算はどうなってしまうのだろう…。

友達から、「ふくきち君(仮名)は、急に出家しちゃいそう」などと言われる今日このごろ…。(しません。)

友達から「美術館で絵を見ながら会話するくらいいいじゃん!!」って言われたんですけど、そりゃ少しくらいなら全然いいんですけど、ずーっと喋っているのはやはりおかしいと思うんです。ガラスケースの中をのぞきこむような展示の場合、ずっと同じ人のあとをついていく形になるわけですから、ずっと同じ人の会話を聞いてなきゃいけないんですよ?それも、チョ~くだらない会話。なぜ小さな声で話せないのか?なぜガラスケースを手で触ってしまうのか?なぜ乳飲み児を連れてきてしまうのか?ご勘弁願います。

2009年12月 6日 (日)

土日の日記(備忘録)

2009年12月5日(土)

●歌舞伎座の昼の部を拝見。福助さんのお光の後半、そして勘三郎さんの「身替座禅」がもう最高に素晴らしかった。心の底から陶酔した。地方も良かった。ところで、大根を刻むお光の左手って、ああいうものなのでしょうか?「大江戸りびんぐでっど」は、長かった…。そして、かなりお下品…。三津五郎さんの歌う「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」に合わせて福助さんが踊る、という場面が面白かった。落語の「三枚起請」ですね。

 

12月6日(日)

●日曜美術館で紹介されていた和歌「なれなれて見しは名残の春ぞとも/など白河の花の下かげ」にしみじみと感動した。

●このあいだNHKの「プロフェッショナル」で紹介されていた表参道のNIKEにフラリと入ってみた。表参道はオサレな店がいっぱいですね~。

●根津美術館にて「根津青山の茶の湯-初代根津嘉一郎の人と茶と道具」を拝見。

私は茶道具にはあまり興味がないんですよね~。さすがに茶碗は、たまに「いいな」と思うこともありますが、茶杓とか茶入の良さが全く分からない。実際に自分で使うような立場になると、茶杓の良さも分かるようになるのでしょうかねえ?今回の展示は茶道具ということだったので、行かないつもりだったのですが、国宝の鶉図を見てみたくなって行ってきました。この美術館に行くのは2回目ですが、すごくうるさい美術館なんです。「こんな硯箱、ぜったい墨たらせないよね~」「私だったら、たらしちゃう~」とか「印籠?水戸黄門?」とか、そういう水準の会話をデカい声で休みなく話し続ける人が50%を占めている。もちろんガラスは指紋でベチャベチャです。作品までの距離が遠いし、作品の解説もほとんどありません。監視員もいない。庭は美しいのだけれど、肝心の、作品を見る環境が良くない。(エントランスの導線が悪いけれど作品の見せ方が上手い山種美術館と対照的。)

しかし!!今回は2階に蒔絵のコーナーがあって、これがもう素晴らしい!どれも素晴らしいのですが特に飯塚桃葉:作「百草蒔絵薬箪笥」がすごい!絶対的におすすめします。ぜひ見てほしい。ただし、必ず双眼鏡か単眼鏡(近距離に焦点が合うもの)を持って行って、じっくり見てくださいね。(今月23日まで)

●太田記念美術館にも行くつもりだったのですが、根津美術館の蒔絵に見とれているうちに時間切れ。どうでもいいけれど、表参道はすごい人出でした。ウジャウジャ。

見たい

私はね、勘九郎さんがいつか「湯灌場吉三」「四千両」「佃夜嵐」「鼠小紋」なんていう芝居を見せてくれるものだと思っていました。やる気配が全くない。きっと、やっても客入りが悪いんだろうし、もうやらないのでしょう。客入りが悪いものは、もうやらないのですかね?それとも、ご本人がお好きじゃないのでしょうか。道玄、清心、仁木、河内山、元右衛門、五郎蔵、辰五郎、暗闇の丑松くらいは、これからなさるのでしょうかね?もうやったんでしたっけ?六代目は道玄を42歳のつもりで演じていられたそうですが、勘三郎さんはおいくつになられた?「保名」「土蜘」「茨木」「関の扉」「年増」は見させていただけるんですよね?「二人椀久」「吉原雀」は?大判事、熊谷、袖萩は?「文屋」「三つ面子守」「うかれ坊主」を踊ったのは何年前?和事はもうなさらない?時間がない、時間がなさすぎる、どういう計画なんだろう…。

2009年12月 4日 (金)

『仮名手本忠臣蔵』あれこれ4


●「六段目」の冒頭に、次のようなやりとりがあります。

 

(浄瑠璃本文より)

婆「…そなたは小さい時から在所を歩くことさえ嫌いで、塩谷様へ御奉公にやったれど、どうでも草深い処に縁があるやら戻りゃったが、勘平殿と二人居やれば、おとましい顔も出ぬ」

おかる「オオかか様のそりゃ知れた事。好いた男と添うのじゃもの、在所はおろかどんな貧しい暮らしでも苦にならぬ。」

 

この場面は、『名作歌舞伎全集』(東京創元新社)にも出てくるので、歌舞伎でも上演されていたのだと思いますが、最近はカットされることが多いようです。

この会話から分かるように、おかるは田舎暮らしが嫌いでした。それで塩谷のもとへ奉公に出たわけです。士農工商の身分は親から子へ生まれつき伝わるものだと言っても、多少は変動の余地があったのでしょう。(もちろん、足軽とか腰元とか、限られた低いポジションしか得られなかったでしょうけれど。)

 

●おかるの親は百姓です。勘平のセリフに「かるが親、与市兵衛と申すは頼もしい百姓」「わずかの田地も我が子のため、何しに否は得も言わじ」と説明されています。しかし、「これの親仁が殺されていられた故、狩人仲間が連れて来た」なんていうセリフ(別の登場人物の)もありますから、与市兵衛は狩人の仕事もしていたのでしょう。勘平が急に始めたわけではなく、与市兵衛が狩りを教えたのだと思います。

 

●江戸時代の武士って、基本的に鉄砲を使わなかったでしょう。やっぱり、剣のわざを磨いてお互いに正々堂々と勝負するのが武士である、という意識があったのではないでしょうか。「鉄砲は卑怯」「核兵器は非人道的」…どこからが卑怯なのか、よく分かりませんが。

 

●平右衛門は、討ち入りに参加したら死ななきゃならないでしょう。実家に戻れば農業や狩人をすることになります。農業や狩人をして生きるよりも、塩谷の一員として死ぬことを選んだ。人は、自分が生まれたときよりも、少しでも自分の魂の格を上にあげて死ねたら、それでいいのじゃないかと思う。さげて死ぬ人もいるのだもの。長く生きることだけが大事なわけではない。現代は「士農工商」というランクはなくなったけれど、「生きている間に、少しでも上に」という考えはいつの時代になっても同じ。「武士になりたい」という形の望みは消え去っても、上を目指したいという気持ちは変わらない。

 

●だから勘平も、自分の魂の格をさげたまま死にたくなかったのでしょう。

 

●私たち観客から見ると、平右衛門は出てきた瞬間から「実直な人」なのだけれど、由良之助は彼を信用していない。「心底〔しんてい〕見えた」と口にする瞬間まで彼を疑っているわけです。由良之助が遊興にふけっているのは、自分の本心を隠すためであり、あるいは、他人の本心を探るためなのかも知れません。

 

●悪人には2種類あって、パッと見て悪人と分かるお坊吉三タイプと、一目見ただけでは悪人だと分からないお嬢吉三タイプに分かれます。お坊吉三タイプは、こっちも警戒しているから騙されないけれど、お嬢吉三タイプの悪人にみんな騙されちゃうんですよね。オレオレ詐欺なんかも、お嬢吉三タイプの悪人だから騙されちゃうわけなんです。お嬢吉三タイプの悪人って、すごくたくさん存在します。先日、私の実家にもオレオレ詐欺の電話があったそうで、幸い私の話し方はすごく特徴があるので母親もすぐ違うって気づいたのですが、そういうふうに、すぐ近くに大勢いるものなんです。平右衛門が芝居なかばに「もう化けちゃあいられねえ」って悪の本性をあらわす可能性もないわけではない、由良之助にしてみれば。

 

●このあいだ、34歳の女が結婚詐欺で男を殺した事件がありましたでしょう。騙されたのは、馬鹿だから騙されたのでしょうか?騙したのは、頭がいいから騙せたのでしょうか?ま・さ・か。「好きです」って言われたら、「好かれてるんだな」って信じちゃうでしょう?「好きって言ってるけど、嘘かも知れない」なんて、思わないでしょう?そんなことまで心配しながら恋愛しなくちゃいけないわけ?その気になったら、人を騙すのなんて簡単なんじゃないでしょうか。なぜ騙す気になるのか?得したいから?楽したいから?全く不可解なことである。あの事件を知って、恋愛なんて馬鹿馬鹿しいなって厭世的な気分になった人、結構いるんじゃないかと思う。

 

●「先代萩」で政岡が、「沖の井が用意した膳だから心配ないと思うけれど食べちゃ駄目」と言います。沖の井は忠臣だって分かっているのだけれど、信用できないわけです。自分以外、信用できない。悪人が1人いるって事実を知ると、もう全員を疑わなければならなくなってしまう、見分けることができないから。そんな状態、とても生きにくいと思うけれど、政岡はそれをしている。そして由良之助も。

 

●由良之助は平右衛門に対して「心底見えた」と言って連判に加わることを許すけれど、はたして「人の心の底が見える」なんてことがあるだろうか?私は、あると思います。「ああ、この人は確かにこういう人」って分かる瞬間が、人生には何度かあるのではないかと思う。よく分からないけれど。

 

●不動明王って知っていますでしょう?歌舞伎には縁が深くて、そのものズバリ「不動」という演目もありますし、團十郎は不動明王の化身だなんて言われてたこともあります。これは私なりの考えで、間違っているかもしれないけれど、思い浮かんだので書いておきます。不動明王がなぜ「不動」と呼ばれるかと言うと、この世の人々が1人残らず「発菩提心」を持つまでそこを動かぬ、というので「不動」なんだと思います。九太夫みたいな奴がいることによって、平右衛門をも疑わなければならない、そのような世の中の状態を怒って不動明王は恐い顔をしているのだと思う。何千年も前から同じ場所で。

 

●全員が「発菩提心」を持っていたなら、誰をも疑う必要がなくなって、この世を極楽にすることができるのにねえ…。

「七段目の由良之助は不動明王の心で」

2009年12月 3日 (木)

あ~れ~こ~れ~☆☆

●決まったテレビ番組って、あまり見ないのですが、このあいだ「坂の上の雲」を見てみました。なかなか面白かった。しかし、この番組はすごく宣伝しているわりに、放送予定がはっきりしなくて不思議。3年がかりなの…?

●友達ともよく話すのですが、ニュースとか新聞とか、あんまり必要ないよね~って思いませんか。どこで火事があったとか、殺人事件があったとか、マイナスの情報は意識的にシャットダウンしたほうがいいんじゃないかと思う。何の役にも立たないのに、何のために報道しているのか分からない。振り込め詐欺の手口なんかは、自分が騙されないために、知っていたほうがいいのかもしれないけれど…。
小さい子どもが、そういうマイナスの情報ばっかり仕入れたら、それが普通のことだと思っちゃうんじゃない?一緒に見ている親が、「ひどい事件だねえ」とか「悪い奴がいるもんだねえ」とか言ってくれるんならいいけど…。(私の父は、ニュースを見ながらずっと文句を言っている人だった。)

●風邪を引いていたのですが、だいぶ治ってきました。気温の変化に体がついていかないタイプなもので…。みなさまもご自愛ください。

●ブログに書くことを、ぞくぞくと思いつくのだけれど、書くのが面倒くさい。思いついた時に書かないと、話が腐る気がする。毎日更新してる人は本当にすごい人ですね。

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