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2010年11月

2010年11月30日 (火)

つれづれ

●観世会定期能の年間チケットを予約したのですが、今日、1年分のチケットがまとめて届きました!ヒャッホ~。むかしはチケットが取れなかったらしいですけどねえ。私が今月はじめて行った様子では、かなり空席がありました。観客が減っているのでしょうか。ちょっと敷居が高いのかも。能を見るときは、事前に詞章のチェックくらいしておかないと、何が行われているのか全然理解できないでしょう。でも、高校生のときに古文の授業が好きだった人なんかは、きっと楽しめると思いますよ。少しの予習が重要ですね。
歌舞伎と文楽を両方見る人は結構いると思うのですが、歌舞伎と能が好きって人は、あまりいないですね。そんなことないですか?でも「二人椀久」を見るのなら、能の「井筒」を知らないと、楽しみが減ると思うんです。「娘道成寺」を見るなら、「三井寺」「道成寺」を知っていたほうがいいでしょう。そういうふうに、楽しみも広がっていくものなのではないでしょうか?私もまだ見始めたばかりなので、知らない作品がたくさんあって、先が楽しみです。

●ああ、仁左衛門&玉三郎の「二人椀久」がもう1度生で見られるのなら、2万円出しても惜しくないのに…。

2010年11月28日 (日)

1週間の日記(備忘録)

2010年11月23日(火・祝)
鎌倉へ紅葉狩りに行きました。北鎌倉駅→円覚寺→建長寺→鶴岡八幡宮→「とうふ懐石 ひさご亭」で食事→鎌倉駅→逗子駅→森戸神社→「レストランマーロウ(秋谷本店)」にて食事→逗子駅
絶好の紅葉狩り日和でした。逗子の海も綺麗でした。
円覚寺、建長寺では、柏槇〔びゃくしん〕という木が印象的でした。禅寺によく植えられる木だそうです。紅葉はしませんが…。

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11月25日(木)
18時30分より東京国際フォーラム ホールAにて中島みゆきTOUR2010を拝見しました。「中島みゆきを聞きに行くので早退します」とは言えないので、ムニャムニャ言って早退。改めて「二隻の舟」「時代」は名曲だなあと思う。
■曲目
・今日以来
・翼をあげて
・愛が私に命ずること
・二隻の舟

・サバイバル・ロード
・時刻表
・夜曲
-休憩-
・真夜中の動物園
・夢だもの
・しあわせ芝居
・銀の龍の背に乗って
Nobody Is Right
・顔のない街の中で
・鷹の歌
・時代
-アンコール-
・悪女
・たかが愛


11月26日(金)
18時30分より玉川区民会館にて「挑む Vol.2~歌舞伎役者の華麗な舞」を拝見しました。
・挨拶 松也さん、國矢さん、左字郎さん、音一郎さん、4人による挨拶。主に上演演目の説明でした。
・「鶴亀」徳松、松五郎、隆松
・プレゼント抽選会 スポンサーのAGFからコーヒー詰め合わせが3人にプレゼントされました。松也さんがチケットの半券を引いて抽選。
・「二人椀久」國矢、左字郎
・「棒しばり」松也、音一郎、松五郎
観客全員にAGFから差し入れ(ペットボトルのコーヒー)がありました。「二人椀久」では、花道もセリもないので、椀久は下手から登場、松山は上手から登場しました。尾上青楓さんの指導で、菊之丞系の振付でした。「棒しばり」は、狭い舞台で頑張っていました。他の人の「棒しばり」を見たときには考えなかったのですが、「6菊五郎、7三津五郎だったら、こんなふうには踊らなかっただろうな」→「6菊五郎、7三津五郎だったら、こう踊ったかな」という残像が見えて新鮮な感じでした(個人的な感想です)。挨拶のときの素顔の松也さんは、好青年という印象でした。実際はどうか知りませんが…。長唄は三挺三枚。大太鼓は上手から聞こえていました。カーテンコールがありました。とても小さな会場でした。休憩が2回ありました。

11月27日(土)
●三井記念美術館にて特別展「円山応挙 空間の創造」を拝見しました。描かれた松の枝が、こちら側に垂れているのか、向こう側に垂れているのか、ちゃんと分かる立体感がすごいと思いました。
●出光美術館にて「茶陶の道-天目と呉州赤絵」を拝見しました。やはり、国宝の「油滴天目茶碗」が良かったですね。

11月28日(日)
●明治神宮の宝物展示室にて、明治神宮鎮座90年記念展「横山大観」(後期)を拝見しました。中国の月夜を描いた絵2点が良かったです。
●根津美術館にて、コレクション展「絵のなかに生きる-中・近世の風俗表現」を拝見しました。

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根津美術館の庭園の紅葉

どうして遊女

むかし知り合いから、「なんだって歌舞伎は、遊女の話ばっかりなの?」と訊かれたことがあります。たしかに歌舞伎は、遊女の登場率が高い。

江戸時代は、確実な避妊法がありませんでした。現代人は、養育費や学費のことを考えて、「もう1人、子どもほしいけれど、やめておこう」などと計画しますが、江戸時代の人々は、どんどん産んじゃうんです。それでどうするかと言うと、1つは「間引き」と言って、赤ん坊のうちに殺してしまいます。ひえ~。(まだやっている国もあるみたいですけど?)
もう1つは、養子に出す、または奉公に出すことがありました。女の子が生まれた場合の奉公先は、遊廓くらいしかなかったのですね。

江戸の地は、新興開拓地でしたでしょう。現状の生活に満足している人は行きません。また、女性も少なかった。だって土木・建築などの力仕事が中心だもの。荒くれ男の世界です。ちなみにアメリカのゴールドラッシュを描いたオペラ《西部の娘》も、登場人物は野郎ばかり。

どうしたって遊女が増えるんですよねえ。別に恥ずかしいことじゃないでしょう。仕方ないじゃない?好きでやる人は1人もいません。そうしないと、生きていけなかったのだもの。むかしの話ですし。それより、どうでしょう?そのような「苦界」とも言われる辛い世界から生まれた美しい芝居、舞踊の数々。「二人椀久」の美しさはどうです?そんな悲しい状況からも、こんな美しいものが生まれてしまう日本って、すごい国だと思いませんか?美しいものが生まれてこない国も多い中で。

激似

香川照之さんと市川亀治郎さん、横顔が激似です。こわい。血は水よりも濃し。

歌舞伎に興味を持っていると、人生について、いろいろ考えさせられますね。

2010年11月26日 (金)

「二人椀久」解題

「二人椀久〔ににんわんきゅう〕」は、初演時の正式なタイトル(本名題〔ほんなだい〕)を「其面影二人椀久〔そのおもかげににんわんきゅう〕」と言います。タイトルの意味がお分かりになりますか。僭越ながら、私が解説させていただきます。

誓文〔せいもん〕ほんに全盛〔ぜんせい〕も 我〔われ〕は廓〔くるわ〕を放〔はな〕し鳥〔どり〕 籠〔かご〕は恨〔うら〕めし 心〔こころ〕ぐどぐどあくせくと 恋しき人を松山〔まつやま〕は やれ末〔すえ〕かけて かいどりしゃんと しゃんしゃんともしおらしく 君が定紋〔じょうもん〕伊達羽織〔だてばおり〕 男なりけりまた女子〔おなご〕なり 片袖〔かたそで〕〔ぬし〕と眺めやる

上記の詞章は「二人椀久」の一部分ですが、ここからタイトルが導き出されていると思います。「二人椀久」の詞章は、かなり難解ですけれども、自由に想像を広げていいと思うんです。

この部分の詞章は、椀久と松山がまだ幸せだった頃の描写です。「廓〔くるわ〕」という場所は四方を壁に囲まれていて、遊女は、逃げられないように閉じ込められています。その状態を「籠の鳥(=外に出られない可哀想な身)」と描写するのが当時の定番表現でした。松山もまた「籠の鳥」なのですが、しかし他の遊女とちょっと違うのです。他の遊女たちは、お金を払った男なら誰でも、全員の相手をしなければなりません。ところが椀久は、松山が他の男の相手をするのが嫌だったので、松山を買い切ってしまったのでした。自分が廓に行けない日の分までお金を払って、松山を独り占めにした。大変な散財ですね。全盛、つまり引く手あまたの松山を、他の男が出すより高い金を払って守ったわけです。そして「この女は私だけの女である」という印として、自分の紋が入った派手な羽織を、松山に着させていました。他の男を寄せつけないためです。松山は、他の遊女と違って、好きな男の相手だけをすればいい自由の身、「放し鳥」だったのです。椀久が会いに来てくれるのを、廓の中でいつも待っています。他の遊女よりは自由で、素人の女よりは不自由という、ユニークな立場でした。

椀久からもらった羽織は、もちろん男物なので、着ていると変な姿になるんですね。男みたいでもあり、でも女であり。そのちぐはぐな姿が、松山本人にとっては嬉しく、有り難く、誇らしかったのです。椀久が廓に来ていないときでも、その羽織の袖を見ていると、椀久の面影が浮かんで見えたのでした。現実の椀久と、いつも羽織に浮かぶ面影の椀久、それで「二人椀久」という訳です。恋のドッペルゲンガーとも言えましょう。

そういうふうに読めませんか?

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪越さじとは  清原元輔

2010年11月24日 (水)

数学にサヨウナラ

そうは言っても、人生というものは、なかなか自分の思うようにはいかないものなのでございます。私は文学部日本文学科を卒業しているのですが、まさか自分が経理の仕事をするなんて、考えたこともありませんでした。いま経理課決算係というところで働いています。

高校1年の途中から、数学の授業で、先生の言っていることが分からなくなりました。それまでは、先生の言うことがその場で理解できたのです。それで、分からなくなったのならば、埋め合わせるために予習や復習をすれば良かったのですが、「もういいや」と思ったんですね。受験科目じゃなかったし、何でこんなことをしなければいけないのか分からなかったし、もともと好きじゃなかったし。数学に向かって「サヨウナラ」とつぶやくと、まるで港を出た船が水平線の彼方へ消えるかのように、アッと言う間に数学が私から去って行った。せいせいした。そして今や九九も言えない体となった。たぶん八の段とか言えません。

受験科目には小論文があって、何を書いていいのか分からなくて、すごく大変でしたが、それは頑張りました。向いていたのだと思いますね。

私の母親は、私を「活発な子」に育てたかったそうで、サザエさんに出てくるカツオ、ああいうやたら元気な子になってほしかったらしいです。絹糸のようにか細く弱っちい人間に育ってしまってゴメンナサイ。病弱だったせいか、スイミング・スクール、体操教室、剣道教室、少年野球、サッカーなどに行かされましたが、どれも本当に苦痛でした。どうして向いていないってすぐに分からないのだろうか。向いていないことをいくらやっても無駄だと思いませんか?

私は逆上がりができませんでした。何回やっても駄目。ほかの子はすぐに出来たのに。この間、久しぶりに挑戦してみたんです。知らない間に出来るようになってたりするかな~と思って。出来ませんでした。

柳田法相が辞任されましたけれども、そういうのって、他でもよくあることだと思うんです。世の中を見回していて、「なぜあの人があのポジションに?」って、よく思いますよ。かく言う私自身も「なぜ私は経理の仕事なんかしてるのだろう」と思います。経理の仕事なんて自分では絶対に選ばないもの。自分で選んだんじゃないんです。それは仕事ですから、向いていないと思ってもやりますよ。嫌なことをしているからお給料がもらえるのでしょう。楽しかったら、こちらからお金を払わなくちゃなりません。でも同じ苦労をするのなら、好きなジャンルで苦労したいわけなんですよね。ところが世の中は自分の思うようにはいかないものなんです。こんなに何も出来なくてごめんなさい。飛び立ちかねつ鳥にしあらねば、って感じです。私はもう仏の弟子となって来世を頼みたい。

2010年11月23日 (火)

自分で描く

小学校、中学校、高校と、美術の授業がありましたけれども、いきなり「じゃあ描いてみましょう」ってなっちゃうわけなんですよね。それでは何にも教わったことにならないと思うんです。絵を描こうと思ったら、まず普段から写生を何度も何度も繰り返すのは当然のこと。それから画材、特に絵の具に関する知識が必要でしょう。また日本画ならば、笹の葉を描くときの筆づかいはこう、梅の枝はこう、松の幹はこう、柳の枝はこうです、波の描き方の種類はこれらがあります、雲はこれ、岩はこれ、広い面の塗り方、ぼかし方にはこういう方法があります。油絵ならばゴシック、ルネッサンス、バロック、ロココ、ロマン主義、バルビゾン派、印象派、キュビズム、表現主義、シュルレアリスムなどの名画が頭に入っていなくては。つまり基本なくして「その先」があるはずがない。学校の授業では教えてくれないのです。だって40人も生徒がいて、興味のない子も混ざっていて、やってられませんよ。

学校では工作とか技術の時間がありましたが、作ったのは小さい椅子くらい。料理も習いましたが、スクランブルエッグ、ほうれん草のおひたし、味噌汁くらい。音楽の授業もたくさんありましたが、楽譜が読めるようになるわけでもなし。リコーダーでハ長調の童謡が吹けるくらい。国語の授業で「源氏物語」を読むのでも、当たりさわりのない部分、それもほんの数ページ。英語も喋れるようにはならないでしょう。広く浅く、「こういうジャンルが存在します」ということを眺めるだけです。「私はこれをやります」「この路線でいきます」というのを早く自分で見つけたほうがいいと思うんですよ。

「専門バカ」「つぶしがきかない」なんて言葉がありますが、1つ武器を持っているだけでもすごいことだと思いませんか?江戸時代の人は、「あんたはこれで生きていくんですよ」「そのためにはこの技術が必要ですよ」「これが出来ないと自分が困るんですよ」「それがイヤなら自分で生きていきなさい」ってことをしていたと思うんですよね。今の若い人たちは、何も武器を持たぬまま社会に放り出されて、右往左往しているのではないでしょうかねえ。

ピアニストとしてサントリーホールに立ちたいのなら、6歳くらいから毎日最低5時間は練習しないと無理でしょう。18歳になって「私はピアニストになりたい」と思っても、趣味で楽しむ分には何歳からでもいいけれど、プロにはなれません。それは仕方ないのですから、他の道を探すしかありませんよ。平等の教育なんて、ありえないと思いますよ。「私はこれでいきます」というのを早く見つけて、そっちへ行ったほうがいいと思いますよ、そこの若い人。

2010年11月22日 (月)

村上敏明テノールリサイタル

公演の感想
村上敏明テノールリサイタル
オール・オペラ・プログラム
2010年11月6日(土)14時
東京文化会館 小ホール

■第1部
ボイト《メフィストーフェレ》より「世の果てに近づいた」
プッチーニ《トスカ》より「妙なる調和」
プッチーニ《ラ・ボエーム》より「冷たい手を」
プッチーニ《マノンレスコー》より「第3幕・間奏曲」(ピアノソロ)
オッフェンバック《ホフマン物語》より「クラインザックの歌」
オッフェンバック《ホフマン物語》より「キジ鳩は逃げ去った」
オッフェンバック《ホフマン物語》より「アントニア・ホフマンの2重唱」
~休憩
■第2部
ベッリーニ《清教徒》より「愛しい乙女よ、あなたに愛を」
ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》より「祖先の墓よ」
ヴェルディ《十字軍のロンバルディア人》より「私の喜びを」
レオンカヴァッロ《道化師》より「間奏曲」(ピアノソロ)
マスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》より「間奏曲」(ピアノソロ)
ヴェルディ《ルイザ・ミラー》より「穏やかな夜には」
チレア《アドリアーナ・ルクヴルール》より「私は芸術家の下僕」
プッチーニ《トゥーランドット》より「誰も寝てはならぬ」
■アンコール
プッチーニ《トスカ》より「星は光ぬ」
ヴェルディ《イル・トロヴァトーレ》より「見よ、あの恐ろしい炎を」
ジョルダーノ《フェドーラ》より「愛さずにはいられないこの思い」
ヴェルディ《リゴレット》より「女心の歌」


賛助出演:砂川涼子
ピアノ:河原忠之


●どうでしょう、この充実のプログラム。村上さん素晴らしかった。これだけ歌えるテノールは、なかなかいません。彼が主役のオペラ全曲の舞台が、当然用意されていいと思うんですよねえ。これだけ歌えるのに、なぜもっと彼を使わないのでしょう。
●東京文化会館小ホールは、満席にはなりませんでした。これだけ歌えるオペラ歌手がホールを満席にできないのでは、一体誰ならいいのか?やっぱり日本にはオペラは根付いていないのだと思った。
●日本人オペラ歌手にとって、ふつう自分のリサイタルというものは、そう何度も開催できるものではないですし、まさに全身全霊、渾身の舞台が上演されるものなんです。行って良かった。でも村上さんって、きっと全然緊張してないと思いますね。
●このようなリサイタルが行われる度にいつも思うのですが、ぜひ、字幕を出してほしい。オペラを見始めて13年たつ私でさえ知らない曲が混ざっているくらいです。いえ聞いたことはあります。けれど覚えていません。まして初心者や、友人に誘われて来た人などは、何が歌われているのか分からないうちに過ぎてしまう。字幕を出すのも、以前に比べて格段に容易になったはずです。それは出すのは手間かもしれませんが、その手間がのちのちのためになります。普通の感覚の人ならば、意味の分からない歌を1時間も2時間も聞いていられないと思いますよ。いくらすごい歌でも、意味の分からない歌で客の興味を引くのは難しいことですよ。むかしグルベローヴァが、チューダー朝女王3部作リサイタルという今から思えば夢のような公演を行ったことがありました。しかし《ロベルト・デヴェリュー》《マリア・ストゥアルダ》の日本語訳が出回っていなかったために、予習もあまりできず、私は完全には楽しめませんでした。悔しい。オペラの半分は音楽、半分はドラマです。マリア・カラスがそう言っています。字幕や対訳がないのは、魅力の半分を自ら捨てているようなものだと私は思います。
●私が感動したのは、「妙なる調和」「クラインザックの歌」です。「祖先の墓よ」「誰も寝てはならぬ」は前回のリサイタルのほうが感動しました。《清教徒》のアリアは、ちょっと雰囲気が違う感じ。
●マンリーコは歌わないんだっけ?と思ったら、何とアンコールで歌いました!このスタミナ、どうなっているんだろう…。
●ピアノの河原さん、共演の砂川さんも良かったですね。充実した公演でした。

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2010年11月21日 (日)

たまっていた日記(備忘録)

2010年11月12日(金)
●休暇を取って美術館へGO!五島美術館にて「開館50周年記念特別展 国宝 源氏物語絵巻」を拝見しました。国宝「源氏物語絵巻」を一挙公開するのは、東京では10年ぶりとのこと。一挙公開はとても嬉しい。これでもう、どれを見て・どれを見ていないのか、分からなくなってしまう心配がないのだ!今年は北斎「冨嶽三十六景」や広重「東海道五十三次」の一挙公開もあったけれど、やはり「源氏物語絵巻」がまとめて見られる嬉しさは格別ですね。
予想していたほどは混んでいなくて、朝9時55分に着いたら、15分待ちくらいで展示室に入れました。係の人に聞いたところでは、日によって団体客が入ったりするので混み具合はまちまちだけれど、平日の午後ならば、ほとんど待たずに入れるらしいです。
作品を間近に見ることができて、感激しました。これまで「もっと別の場面が残っていてくれれば良かったのに」なんて思っていましたが、現存する場面も、なかなか興味深い。月の夜空の描き方がシュールで素敵でした。色鮮やかな複製が並べて展示されているのも吉。
●続いて静嘉堂文庫美術館にて「中国陶磁名品展」を拝見しました。注目の国宝「曜変天目」は、ついこのあいだ三菱一号館美術館で見たばかりですが、展示場所が変わると随分と雰囲気が変わるもので、何か宇宙をのぞきこんでいるような不思議な美しさでした。こんな茶碗でお茶を飲んでみたい…、しかし、この茶碗を入手した岩崎小彌太は、「名器を私に用うべからず」と言って1度も使わなかったそうです。かっこいい~。
お茶に呼ばれる人は選ばれた人。私は選ばれなった人。

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●新国立劇場小劇場で18時30分より「やけたトタン屋根の上の猫」を拝見しました。最初のシャワーの場面がすごく不自然だった…。みんな何であんなに大騒ぎなのだろう…。

11月13日(土)
●浜離宮朝日ホールにて13時より「第10回 ヴェルディ・マラソン・コンサート」を拝見しました。NPO日本ヴェルディ協会、朝日新聞社:主催。
●ブリヂストン美術館にて「セーヌの流れに沿って-印象派と日本人画家たちの旅」を拝見しました。ブリヂストン美術館と言えば、いつもだいたい同じ名画が展示されていて、同じ絵を何度も見る楽しみ、企画展とは別の豊かさを味わえる美術館です。ところが今回は趣きが異なり、他の美術館から借りてきた絵画、初めて見る絵画がたくさん展示されていました。おなじみの名画も取り混ぜつつ、セーヌ川というテーマでまとめてあり、たいへん興味深い内容となっていました。意欲的な展示で、充実しています(12月23日まで)。
アルベール・マルケ「ポン・ヌフ夜景」、小野竹喬「セーヌ河岸」、ギュスターヴ・クールベ「エトルタの海岸、夕日」、香月泰男「エトルタ」が好きでした。

11月14日(日)
●運転免許の更新に行きました。(完全なるペーパードライバー)
●東劇にて17時30分より、METライブビューイング《ボリス・ゴドゥノフ》を見ました。ルネ・パーペ素晴らしい。

11月16日(火)
津田ホールにて19時より「佐藤亜希子ソプラノ・リサイタル~ジュディッタ・パスタを歌う~」を拝見しました。

11月18日(木)
新国立劇場にて19時より《アンドレア・シェニエ》を拝見しました。歌詞が美しく、とても好きな作品なのですが、今回の公演はあまり感動しませんでした。「亡くなった母を」だけテンポが極端に遅くなっていたような気がしました。

11月20日(土)
●高橋コレクション日比谷にて「Self Portrait-私という他人」を拝見しました。個人コレクションをこうして自ら公開できるなんて、羨ましい…。オーナーというものは、どんな気分でしょうかねえ。
●日本橋髙島屋8階ホールにて特別展「光明皇后1250年御遠忌記念 東大寺-近現代の名品」を拝見しました。ここはいつも展示作品リストが用意されていなくて残念です。お水取りの映像が流れていて面白かった。お水取りはいつか生で見てみたいですね。私は奈良に住んでいたことがあるのですが、当時は仕事の鬼だったので、お水取りを見に行く余裕がありませんでした。
●三越劇場にて15時30分より「富士松鶴千代の会」午後の部を拝見しました。鶴千代さんは、昭和39年、歌舞伎座本興行では女性初の出語りをお勤めになった方だそうです。平成12年に宗十郎さんが「蘭蝶」をなさった時にも出語りをされていたそうです(これは私も見ました)。改めてお声を聞いていると、さすがにそれだけのことはあるなあと思いました。そしてお若い!しかし、出演者全体の年齢層が高くて、新内は大丈夫なのかしらと思いました…。若い千旺太夫さん頑張ってください。
・明烏のお吉
  立方 新ばしあや
・一本刀土俵入
  西川古柳座
・口上
・祭り囃子
  立方 赤坂育子
・滝の白糸
  立方 新ばしまり恵
・蘭蝶
  立方 中村福助

「一本刀土俵入」では、おわら節の出演がありました(高尾社中)。「滝の白糸」のまり恵さんが素晴らしかった。福助さんの此糸、綺麗でした。此糸は、「紫」という字を分割した名前だったんですね~。口上では、新しい歌舞伎座でも「蘭蝶」を上演したい、と仰っていました。どういう配役になるのでしょうか。福助さん、お風邪お大事に…。

11月21日(日)
●国立劇場にて12時より、12月歌舞伎公演「国性爺合戦」を拝見しました。配役が揃っていて、感動しました。内容が内容だけに、現在の国際情勢のこと、日本の政治のことなど考えさせられました。舞台美術も良かったですね。龍の頭のところに皇帝の顔がくるなんて、洒落ているではありませんか。

自分で描く

足繁く美術館に通うようになって、2年くらい経ちました。絵を見る周りの客が「これくらいなら私でも描けそう」と口にするのを、何度聞いたことでしょう。そういう人は、自分で描いてみればいいと思うんですよね。イヤミで言っているんじゃないんです。テレビを見たりして時間を過ごすよりも、楽しい時間が流れるんじゃないでしょうか。自分の部屋に飾ったり、ハガキに描いて友人に送るのも素敵ですよ。意外と才能があるかもしれませんよ。

お知らせ

ごく稀に、知らない方からメールをいただくことがあります。先日、公演の紹介をしてほしいというメールをいただいたので、ここにご紹介します。

クリスマス・チャリティーコンサート

2010年12月6日(月)19時
東京カテドラル聖マリア大聖堂
4000円 自由席

出演:
高橋薫子
森山京子
井ノ上了吏
立花敏弘

Xマスキャロルメドレー
アヴェ・ヴェルム・コルプス
J.S.バッハ「トッカータとフーガ ニ短調」他

問い合わせ:
アクート音楽事務所 03-5995-2504

2010年11月19日 (金)

舞台中継のカメラワーク

先日、METライブビューイングの《ボリス・ゴドゥノフ》を見に行きました。ルネ・パーペの演技がとても良かったのですが、ずっとパーペの顔を見ていたい場面で、フッと引きの画面になってしまったんです。映像の編集者って、カメラの動きが止まってしまうのがイヤみたいですね。でも舞台中継において、引きの画面からのクローズアップとか、そういう細かい工夫って要らないと思うんです。「今は吉田都の顔だけ映していてほしい」「今は簑助さんの雛鳥のアップだけ映してほしい」そういう気持ちって、分かってほしいじゃないですか。重要な場面で画面をポーンと引きにしてしまうのは、どうしてなのでしょう?よくあるんですよねえ。

新国立劇場オペラの不思議

新国立劇場のオペラ公演って、日本人歌手が完全に脇役要員になっているように思うんですよねえ。今シーズンを見ると、日本人歌手は、「年に1本上演されることになっている日本人作曲家の作品」か、「高校生のための鑑賞教室」だけしか主役を歌わない。その他の公演では、役名も覚えていないような端役ばかりあてがわれている。蝶々さん役さえ外国人です(代わりにシャープレスは日本人歌手ですが…。今シーズン、日本人が歌う主役級の役はシャープレス1役のみ?)。

開場当時は、日本人歌手だけの上演日がありましたし、シングルキャスト制に移行したあとでも、ロドルフォやエリザベッタを日本人が歌う公演がありました。「だんだん日本人歌手が増えていく」というなら分かりますが、「どんどん減っていく」というのは、どうしたことなのでしょう?「ちょっと弱い日本人歌手を優遇する」っていうくらいが普通じゃないですか?どこの国でも、自国の歌手を優遇しているでしょう?「優秀な日本人歌手さえ出られない」って、どういう国立歌劇場なのでしょう?指揮者も外国人、演出家も外国人、主役歌手も外国人。外国人が外国語で歌っている芸能を「日本文化」とは言えませんよ。

それでいて、藤原歌劇団と二期会にも、税金から多額の補助金が出ているんですよねえ。限られた文化予算を、オペラにつかいすぎじゃないですか。

私はオペラの良さも充分に分かっているつもりですが、国の税金をつかうのであれば当然、能楽、文楽、歌舞伎などの日本文化をまず大切にしていただかなくては…。歌舞伎は今かつてないほど上演が増えていますが、この先はどうなるか分かりませんよ。和事は風前の灯し火ですし、若い女形も決定的に不足しています。清元、常磐津は大丈夫なのでしょうか。時代物の上演頻度は減っていくばかり。私はもう見たかった歌舞伎はだいたい見ましたけれど、あとの世代の人々が可哀想です。ああ、こんな素晴らしい歌舞伎がある日本って、何てすごい国なのだろう!私が体験した感動を、あとの世代の人々は体験できるのでしょうか?

国立劇場と新国立劇場のサービスを見比べてみると、
・劇場施設の美しさ
・会報の充実度
・会員の特典
・売店、食堂のお洒落さ
・チケットの入手方法の豊富さ
(郵送による申し込み、セット券、割引、先行予約など)
・ホームページの使いやすさ
など、全ての面において新国立劇場のほうが優れている。
だって新国立劇場のほうがお金をつかっているのだもの。
どうなっているのかと思いますよ。

おかしいと思っているのは私だけでしょうか?

※この記事は自動的に消滅します。

2010年11月14日 (日)

METライブビューイング《ボリス・ゴドゥノフ》

METライブビューイングで《ボリス・ゴドゥノフ》を見てきました。第1幕の前半は寝そうになってしまいましたが、途中から俄然おもしろくなりました。名演ですね~。すごいよルネ。いやフレミングじゃないですパーペです。ルネ・パーペ素晴らしいです。見ておいたほうがいいですよ。日本の政治の混迷のことなど、画面を見ながらいろいろ考えちゃいましたよ。

政治家、国民のためを考えぬ政治家はいないと思いますが、文句ばっかり言われて本当にお気の毒だなと思いますねえ。自分たちで選んどいて文句ばっかり言うって、どういうことなの?私は先の選挙で民主党には投票していないけれど、自分たちが選んだ政治家が馬鹿だったら、それは自分が馬鹿だってことじゃない?政治家のレベルが低いってことは、国全体のレベルが低いってことであって、個人のせいじゃないですよ。マスコミも、誰が何をしても文句ばっかりで、マイナスのオーラを振りまくばかりで、どうなってるのかと思いますよ。不満があるなら自分が政治家になってもいいんですよ。誰でも立候補できる世の中になったのだし。こんな状態では、誰も政治家になろうなんて思わなくなっちゃうんじゃないですか。だって何も評価されないんだもの。まあ、政治家は、評価されなくてもやるべきことをやってくれなくては困るけれど…。

二期会のナブッコ

二期会の先の予定が発表になっているのですが、その中に何と《ナブッコ》が入っていますよ。ちょっと意外な感じ。先日の「ヴェルディ・マラソン・コンサート」で、大隅智佳子さんがアビガイッレを歌っていましたが、ひょっとすると彼女が歌うのでしょうか…?
この作品、最初に接したころは「なんて荒唐無稽なストーリーなのだろう」と思ったものでした。しかし今なら、そういうことにとらわれずに、もっと作品を楽しめそうな気がします。やっぱり音楽にすごいパワーがあると思うんですね。二期会の公演が楽しみです。

2010年11月13日 (土)

私は一応、日本ロッシーニ協会の会員なんです。ずっと会費を払っていない気がしますが…。私は加入していないけれど、他にも、モーツァルト協会、ヴェルディ協会、ワーグナー協会、リヒャルト・シュトラウス協会などがありますね。会員でなくても参加できるイベントも結構行われているみたいです。
今日は、日本ヴェルディ協会主催の「ヴェルディ・マラソン・コンサート」に行ってきました。ヴェルディ作曲の全26作品から1曲ずつ歌う会。処女作《オベルト》から絶筆《ファルスタッフ》まで、作曲順に演奏。歌手は10名。私がオペラを好きになって13年くらい経つのですが、それでもコンサート前半はほとんど知らない曲ばっかり演奏されました!字幕ペル・ファヴォーレ!ヴェルディは3作目の《ナブッコ》が大成功したわけですが、その後《リゴレット》が出るまでの12作は、それほど有名じゃない作品ばかりですね(大器晩成か)。しかしコンサート後半になったらスイッチが入って、大興奮大会でした。これでもか、これでもかと名曲めじろ押し。それぞれ良かったのですが、私が1番感動したのは、《オテッロ》イヤーゴのアリア「クレード」です。普通は「イヤーゴの信条」とか「無慈悲な神の命ずるままに」などと呼ばれる曲ですが、オペラ・マニアは「クレード」と呼ぶのですね(credo=信条)。この曲って「アリア」ですか。プログラムにアリア「クレード」って書いてありました。わりとコンサートで歌われることもありますが、この曲を単独で歌われてもねえ…とこれまでは思っておりました。歌い終わったあと、後味が悪い感じ。それで終わりなの?みたいな。コンサートで歌わなくてもいい曲じゃない?みたいな。そこだけ取り出されてもねえ、みたいな。しかし今日は最高に興奮しました。バリトンの須藤慎吾さんが素晴らしかった。須藤さんの演技力はすごい。もちろん歌も良かったのですが、この曲は、普通に歌っても面白くないと思うんです。面白いか面白くないかは、演技力次第。こんなに演技のできるオペラ歌手は、なかなかいない。たいてい、腕を振るくらいしかできない歌手ばかりでしょう。字幕がないと、いま喜んでいるのか悲しんでいるのか怒っているのか泣いているのかさえ分からない歌手がほとんどですよ。彼は違います。演技を作ることができる人。ここでこういう顔をして、こういう仕草をして、という技をたくさん持っている。歌を立体化することができる歌手です。マリア・カラスのためにベッリーニがノルマという役を用意したのと同じように、ヴェルディは須藤慎吾のためにイヤーゴを書いたのではないかと思いましたよ。素晴らしかった。イヤーゴの全曲を聞いてみたい。彼はもっと賞賛されてよい人のはずです。

2010年11月11日 (木)

亡くなった母を

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ
ジョルダーノ作曲《アンドレア・シェニエ》より

マッダレーナのアリア
「亡くなった母を」 La mamma morta


La mamma morta m'hanno
ラ マンマ モルタ マンノ
alla porta della stanza mia
アッラ ポルタ デッラ スタンツァ ミア
Moriva e mi salvava

モリーヴァ エ ミ サルヴァーヴァ
poi a notte alta
ポイ ア ノッテ アルタ
io con Bersi errava,
イオ コン ベルスィ エッラーヴァ
quando ad un tratto
クアンド アド ウン トラット
un livido bagliore guizza
ウン リヴィード バリオーレ グイッツァ
e rischiara innanzi a' passi miei
エ リッシアラ インナンツィ ア パッスィ ミエーイ
la cupa via

ラ クーパ ヴィア
Guardo

グアルド
Bruciava il loco di mia culla

ブルチァーヴァ イル ローコ ディ ミア クッラ
Così fui sola

コズィ フイ ソーラ
E intorno il nulla

エ イントルノ イル ヌッラ
Fame e miseria

ファーメ エ ミゼーリア
Il bisogno, il periglio

イル ビソンニョ イル ペリーリオ
Caddi malata,
カッディ マラータ
e Bersi, buona e pura,
エ ベルスィ ブオーナ エ プーラ
di sua bellezza ha fatto un mercato,
ディ スア ベレッツァ ア ファット ウン メルカート
un contratto per me

ウン コントラット ペル メ
Porto sventura a chi bene mi vuole

ポルト ズヴェントゥーラ ア キ ベーネ ミ ヴオーレ
Fu in quel dolore
フ イン クエル ドローレ
che a me venne l'amor

ケ ア メ ヴェンネ ラモール
Voce piena d'armonia e dice
ヴォーチェ ピエーナ ダルモニア エ ディーチェ
Vivi ancora
Io son la vita
ヴィーヴィ アンコーラ イオ ソン ラ ヴィータ
Ne' miei occhi è il tuo cielo

ネ ミエイ オッキ エ イル トゥオ チェーロ
Tu non sei sola

トゥ ノン セイ ソーラ
Le lacrime tue io le raccolgo

レ ラークリメ トゥエ イオ レ ラッコールゴ
Io sto sul tuo cammino e ti sorreggo

イオ スト スル トゥオ カンミーノ エ ティ ソッレーッゴ
Sorridi e spera
Io son l'amore
ソッリーディ エ スペーラ イオ ソン ラモーレ
Tutto intorno è sangue e fango

トゥット イントルノ エ サングエ エ ファンゴ
Io son divino
Io son l'oblio
イオ ソン ディヴィーノ イオ ソン ロブリーオ
Io sono il dio che sovra il mondo
イオ ソーノ イル ディーオ ケ ソヴラ イル モンド
scendo da l'empireo, fa della terra
シェンド ダ レンピレーオ ファ デッラ テッラ
un ciel
Ah
ウン チェル アー
Io son l'amore, io son l'amor, l'amor
イオ ソン ラモーレ イオ ソン ラモール ラモール



亡くなった母を運ぶ人々が
私の部屋の前にやって来ました
母は死んで私を守ったのです
それから深夜、ベルシとともに家を出ました
途端に閃光が道を照らし
振り返れば、家が炎に包まれていました
こうして孤独になり、全てを失くし、
飢餓、惨状、
貧困、危険、
さらに病魔
優しく清らかなベルシは
私のために春を売りました
私は大切な人まで巻き添えにしました
そのような苦しみの時
私に愛が訪れたのです
美しい声が
語りかけてきます
もう一度生きなさい
私がその命となろう
私の瞳の中に君の姿が見えるだろう
君は一人じゃない
君の涙は私が拭おう
君の先に立ち導こう
笑って、希望を持ちなさい
私は愛です
全てが血と泥ばかりだと言うのか?
私は神聖、
私は忘却、
私は神、
この地上に楽園を作るため
天から降りてきた
私は愛、私が愛なのです


●マッダレーナは貴族の娘なので、革命の民衆から命を狙われるようになりました。あまりに辛いので死んでしまいたいと思ったのですが、「生きなさい」と励ましてくれる人に出会います。それはもちろんアンドレア・シェニエです。つまりこの歌詞の「Vivi ancora!もう一度生きなさい」という部分から終わりまでは、かつてシェニエがマッダレーナに言って聞かせた言葉なのです。歌の途中で、言葉の様式が変化しているのが分かりますか。前半は、マッダレーナの状況報告が淡々と告げられますが、途中からガラリと抽象的な言葉に変化しています。シェニエが言った言葉に変わったからです。詩人の言葉をそのままなぞったので、そこからは詩になっているのです。そこからは日常会話じゃないのです。
死のうと思った自分を助けたシェニエを、今度は私が救うつもりである、そのためなら何でもする、という覚悟をマッダレーナは歌っています。シェニエがマッダレーナにしたことを、マッダレーナがシェニエにしようとしている。シェニエの言葉は今、マッダレーナの言葉となったのです。
それを聞いてジェラールは、負けたと思います。シェニエの愛に負けたわけです。あるいは、ずっとマッダレーナを抱きたいと思っていた、けれどそれは、自分が本当に望んでいたことではなかった、ということが分かった。

●マリア・カラスは1955年にスカラ座でマッダレーナを歌い、ライヴ録音が残っています。録音状態は良好とは言えませんが、カラスのアリアは最高。天空を切り裂く高音のフル・ヴォイス。アリア集に納められたスタジオ録音より何倍も素晴らしい。ゾクゾクします。私は最初に聞いたときボロボロに泣きましたよ。ぜひご一聴あれ。

2010年11月 9日 (火)

マリア・カラスのスカラ座伝説

「みんな立ち上がり、彼女の名前を区切ってくり返し叫んだものです--『カ・ラ・ス、カ・ラ・ス』って」と、ヴァレリア・ペデモンテは思い出を語る。「しまいには、語尾が頭とつながって『ス・カ・ラ、ス・カ・ラ』になりました。そんな状態になるものだから、あの当時、カラスは即スカラで、スカラは即カラスでしたわ」
しかし、栄光の頂点にあってさえ、彼女は自分の業績にほとんど満足しなかった。
『マリア-回想のマリア・カラス』ナディア・スタンチョフ:著、蒲田耕二:訳より

カラスが活躍していたスカラ座に行ってみたかったですねえ。タイムマシーンがあったら、1955年のスカラ座に行くのに!

2010年11月 8日 (月)

『京鹿子娘道成寺』詞章解釈「中啓の舞」

中啓〔ちゅうけい〕の舞〔まい〕
金冠〔きんかん〕


鐘に恨〔うら〕みは数々〔かずかず〕ござる
初夜〔しょや〕の鐘を撞〔つ〕く時〔とき〕は諸行無常〔しょぎょうむじょう〕と響くなり
後夜〔ごや〕の鐘を撞く時は是生滅法〔ぜしょうめっぽう〕と響くなり
晨朝〔じんじょう〕の響きは生滅滅已〔しょうめつめつい〕
入相〔いりあい〕は寂滅為楽〔じゃくめついらく〕と響くなり
いて驚〔おどろ〕く人〔ひと〕もなし
〔われ〕も五障〔ごしょう〕の雲〔くも〕晴れて
真如〔しんにょ〕の月〔つき〕を眺〔なが〕め明〔あ〕かさん


この部分は「京鹿子娘道成寺」の中で最も能の雰囲気を感じさせるところです。しかし、上記の詞章は能「道成寺」から取ったものではなく、能「三井寺〔みいでら〕」から転用したものなんですね。なぜ「道成寺」ではなく「三井寺」なのかと言うと、「鐘が再建されたお祝いの場に相応しい舞を披露しなくてはいけないから」です。「道成寺」の詞章は、条件に合わない。「三井寺」は、「鐘の音をきっかけに、離れ離れになっていた親子が再会する」というハッピーエンドの能なので、お祝いに相応しいのです。

昔から「鐘の音を聞くと煩悩が消える」などと申します。特に除夜の鐘の功徳として、よく話に聞きますね。「煩悩」というのは、「消そうと思っても消えない欲望」「叶えられないがゆえに、望んでいることが辛く思える欲望」のことです。鐘の音を聞くと、なぜ煩悩が消えるのか?

鐘の音を聞く→時が流れていることを知る→全ての物事には終わりが来ることを知る→苦しみもいつか終わることを知る→いつか必ず終わる苦しみならば、今の苦しみを苦しむ必要はない、ということが分かる

という哲学によって、苦しみを消去できるのではないか。

たとえば、「坂東玉三郎写真集 豪華愛蔵版(50万円)」がどうしても欲しいけれどお金がないとします。悔しい。悔しくて眠れない。欲しくて仕方ない。しかし考えてみてください。その本が手に入ったとして、あの世までは持っていけないのです。人は何も持たずに生まれ、何も持たずに死んで行きます。大病や怪我で死にかけた人、火事で家が燃えてしまった人、大雨で家が冠水してしまった人などは、物欲が薄くなるのではないかと思います。「江戸っ子は宵越しの銭は持たねえ」などと言いますが、江戸の町は火事が多かったので、物への執着がなかったんじゃないですか。終わりが見えると、執着がなくなります。

「諸行無常」「是生滅法」「生滅滅已」「寂滅為楽」は、「涅槃経〔ねはんぎょう〕」というお経に書かれている有名な文句です。江戸時代の庶民は、みんな知っていたようです。仏教のことを知らないと、「京鹿子娘道成寺」は理解できないと思います。

イエス・キリストは私たちとは全く異なる特別な存在なのですが、仏様はもともと私たちと同じ人間です。人間が悟りを開いたのが仏様です。「悟りを開く」というのはどういうことか?端的に言えば、「もう苦しまなくて良くなった」ということだと思います。生きていると、いろいろ苦しいことに出会うでしょう。でも仏様は、いつも心おだやかで、周りの出来事に惑わされたりしないんです。「苦しい」って、人によって感じ方が違うものです。同じ状況に置かれても、何ともない人だっています。また、同じ人間であっても、時が経って振り返ったときに「私は何であんなことで悩んでいたんだろう?」と思うこともあります。同じ室内にいても、暑いと言う人もいれば寒いと言う人もいる。つまり、心の持ち方次第でしょう。苦しいのは状況のせいではなく、あなたの心のせい。苦しくない心の持ち方、そういう智恵を仏様は知っているのです。

「成仏する」という言葉がありますが、人間は死んだら全員が仏様に成れるんですよ。死んだらもう苦しまなくていいでしょう。生きているうちに仏様になるのは大変です。でも死んだら簡単に仏様になれる。ところが中には、自分で握った苦しみを死んだあとも手放さない人がいるんですねえ。

「死んだあとは無の世界」と思っているイヤーゴみたいな人もいるでしょうが、「死んだあとにも世界は続く」と考えるのが宗教でございます。

人間は、死ぬ瞬間に「ああ、いい人生だった」とか、少なくとも「悪くない人生だった」と思えることが重要なのですね。自分の人生を肯定できると、そのまま往生(極楽浄土へ行く)することができます。ところが死に際に、強い恨み、後悔、心配、悲しみ、痛みなどマイナスの感情を抱いていると、念が残って、同じ状態のまま苦しみ続けなければならないのです。それが「地獄」です。過去に囚われて、先に進めない。能の作品は、ナントカの霊というのが頻繁に出てきますが、マイナスの感情を持っているために往生できない魂が登場してしまったのです。「あなたは死んだのだから、もう苦しまなくていいのですよ。恨んだりしても自分が苦しいだけですよ。もう忘れて先へ行ったほうが、自分自身が楽になれるのですよ」という道理を諭す坊さんの言葉に、消える霊もあれば、消えない霊もあります。どうやら清姫は仏教のことを知っているらしいのですが、「消えない霊」のほうなんですねえ。過去に囚われた女。

ルチアの「狂乱の場」は2つのパートから成り立っていますが、狂い方が違います。前半は、「むかし思い描いていた将来の自分」に逃げ込んでいます。後半は、「死んだあとの自分」に逃げ込んで苦しみから逃れています。死んだあとを想像しているので、もう苦しくないのです。ルチアは人殺しですから、キリスト教の考えでは天国に行くことはできないでしょう。でも仏教では罪人も極楽に行くことができます。それは心の持ち方次第なのです。死ぬときに心がプラスであることが重要。ルチアとエドガルドは不幸だったけれど、「死んだあとであの人に会うことができる」というプラスの心で死んだので、天国で出会うことができるでしょう。

むかし、女は5つの障〔さわ〕り(=五障〔ごしょう〕)があって成仏できない、と言われていました。仏教が生まれた古代インドは女性蔑視の風潮が強かったのです。女性は自分で苦しみを握りしめたまま離さないそうですよ。「いいえ、女性でも成仏できます」と説いたのが「法華経」です。法華経は大変人気のあったお経で、清少納言も『枕草子』の中で「経は法華経」と言っています。安珍清姫伝説の最も早い記述と言われる「大日本国法華験記」も、法華経の説話集なのでした。

聞いて驚く人もなし…ここに書いた理屈は誰でも知っていたのです。だってみんな仏教徒だったんだもの。でも、知っていて実行できるかできないか、それは当人次第。

マリア・カラスの評判

「彼女は自分自身、登場人物になり切った。カラスの当たり役をスカラですべて見たジャック・ブルジョワは、ためらいや迷いを彼女が決して見せなかった、と断言した。「オペラという幻想にみちた舞台芸術が、型にはまった約束ごとに縛られながらも迫真性と説得力を持ちうることを、彼女はわれわれ聴衆に納得させた。舞台上に展開するものこそ現実であり、それを見るわれわれは非現実の存在なのだった。人間感情は語るのではなく、うたって表現する方が正常、と彼女の声と演技は思わせた。その結果、聴衆は相対的に自分自身のリアリティを信じられなくなり、不条理な非現実感に陥ったものです」
『マリア-回想のマリア・カラス』ナディア・スタンチョフ:著、蒲田耕二:訳より

「うたって表現する方が正常」って、すごいなあ。そんな歌を聞いてみたかった。

2010年11月 7日 (日)

マリア・カラスのエピソード

「しかし、ヴィスコンティは諦めなかったね。彼女と仕事をしたくて懸命になっていた。彼女に会わせろと、何カ月もわたしに煩く言ってきたものだ。ローマのセラフィンの自宅で、ようやく二人を引き合わせた。当時、ヴィスコンティのアシスタントをしていたフランコ・ゼッフィレッリも同席していた。『面白いものを見せてあげよう』セラフィンがいった。『この人がどんな歌手か、よくごらん』。ピアノの前に腰を下ろし、《椿姫》の<ああ、そはかの人か>を弾きだした。カバレッタの三点ハをマリアが出すと、水晶のシャンデリアが地震でも起きたかのように揺れだした。声のすごさとその効果に、みんな呆然としてしまった」
(『マリア-回想のマリア・カラス』ナディア・スタンチョフ:著、蒲田耕二:訳より)

シャンデリアが揺れる声、聞いてみたかったですねえ。
マリア・カラスの《椿姫》の全曲録音は7種類残っていて、それぞれ特色がありますが、「なるほど、これならシャンデリアが揺れるに違いない!」と思うのは1952年のメキシコのライヴ録音ですね。すごいです。機会があったら、ぜひ聞いてみてくださいね。本当にすごいですから。

愚痴シリーズ

この間、初めて日比谷公会堂に行ったのですが、日本のこういうホールのさきがけということで、いろいろ考えるところがありました。

開演を知らせるブザーの音が、とても汚い音だったんですね。ブーっていう音。これから美しいものを見ようっていうのに、何でこんな雑音を開演の合図にしているんだろうと思いました。耳からウンコを食わされているようです。最近のホールは洒落た合図も増えましたね。それぞれ工夫しています。びわ湖ホールで《ミニヨン》を見たときは、アリアの一節を編曲してチャイムに使っていて、素敵だなと思いました。そういう美に対する心づかいが嬉しいわけなのです。

舞台の額縁のわきに、時計がついていました。時計がついているホールって、いくつかありますよね。舞台には、時計が示すものとは異なる時間が流れています。時計の時間を忘れるために舞台を見に行っているのに、なぜ舞台のわきに時計をつけるのか、全く不思議。

国立劇場では、開演の直前に「本日の終演時刻は○○時の予定です」というアナウンスが入ります。なんでそういう無粋なことをアナウンスするのかしら、とずっと思っていたのですが、きょう観世能楽堂に行ったら、同じことを開演前にアナウンスしていた。どっちが先に始めたのか?何でそんなに終演時間をアピールする必要があるのでしょう。そこで現実に引き戻されちゃうわけなんですよねえ。とてもイヤなんです。

※この愚痴シリーズは定期的に掲載されます。

1週間の日記トュリャトゥリャリャ(備忘録)

2010年11月1日(月)
国立能楽堂にて18時より「古典の日記念 特別公演」を拝見しました。
・狂言「箕被〔みかずき〕」山本東次郎(大蔵流)
・能「姨捨〔おばすて〕」片山幽雪(観世流)

なぜルビが「みかづき」ではなく「みかずき」なのだろうか?
「姨捨」には大変感動しました。「箕被」も楽しかった。

11月3日(水・祝)
新橋演舞場「吉例顔見世大歌舞伎」の昼の部・夜の部を拝見しました。
昼の部
通し狂言「天衣紛上野初花」河内山と直侍
夜の部
一、ひらかな盛衰記 逆櫓
二、梅の栄
三、都鳥廓白浪


11月6日(土)
●東京文化会館 小ホールにて14時より「村上敏明テノールリサイタル」を拝聴しました。オール・オペラ・プログラム。ピアノは河原忠之さん。
●江戸東京博物館にて特別展「隅田川-江戸が愛した風景」を拝見しました。
都の建築物は、おしなべてレベルが低いですよね。美のレベルです。なぜなのでしょうねえ。江戸博もエントランス、展示室の内装、あまりに美しくなくて耐えがたい。あのエントランスはありえないと思う。
高嵩谷の絵が展示されていたけれど、今月の新橋演舞場で上演している「天衣紛上野初花」で話に出てきたのはこの画家かな。
●森アーツセンターギャラリーにて「北原照久の超驚愕現代アート展-驚く・あきれる・楽しめる!もうひとつの北原コレクション」を拝見しました。ちょうど北原照久さんのトークが終わるところで、なぜか出口が閉鎖され、仕方ないので入口から帰りました…。2回しか行ったことがありませんが、ここの運営って、今ひとつだと思うんですよね。(と言っても見たい絵があれば行くけれど…。)

11月7日(日)
観世能楽堂にて11時より「観世会定期能」を拝見しました。
・能「景清 松門之出」観世銕之丞
・狂言「入間川」大蔵吉次郎
・能「浮舟」武田志房
・仕舞「弓八幡」津田和忠
・仕舞「清経 キリ」浅見重好
・仕舞「遊行柳 クセ」谷村一太郎
・仕舞「碇潜」岡久広
・能「鉄輪」山階彌右衛門

来年の年間通し券(105,000円)を予約してしまった。テヘ。(全部行けるのか??)

何か、予定を詰め込みすぎな感じ…。ブログを更新するヒマもない。書きたいことも、いろいろあるのだけれど。「娘道成寺」「吉野山」の詞章解釈とか。仏教についてとか。でも文章を書くのは時間がかかりますからね。読みたい本もたまっている。

2010年11月 2日 (火)

姨捨

昨日(11月1日)、国立能楽堂で「姨捨〔おばすて〕」を見てきました。

去年の10月、職員研修として、演出家の栗山民也さんのお話を聞く機会がありました。栗山さんが演劇の道を進むきっかけとなったのが、大学生のときに見た「姨捨」だったのだそうです。能なんて見たことがなかったのに、たまたま招待券をもらって見に行ったら、席を立てないほど感動した、それから能楽堂に通いつめた、と仰っていました。

栗山さんの演出って、能からの影響を感じますね。削ぎ落としていく感じ。ゼッフィレッリなんかは付け足していく感じですけれども。

「姨捨」がそんなにすごい作品なら見てみたい…と思ってから、はや1年。やっと見ることができました。あまり上演されない作品なんです。「檜垣〔ひがき〕」「関寺小町」とならんで「三老女」と呼ばれ、能の最奥の曲とされています。

早くに母親を亡くした男が、伯母に育てられて成人し、妻を迎えます。ところがこの妻が、年老いた伯母を嫌い、山に捨てるよう男をそそのかします。妻に負けた男は、年のため盲目となった伯母を騙し、ありがたい仏像(実はただの岩)を拝ませてやると言って山に捨ててしまいます。その地で果てた伯母(の霊)が、中秋の名月の夜に現れ、旅人の前で舞を舞うのでありました。

上演時間160分、その間休憩なし。私の観劇経験で最長かもしれません。文楽の「すし屋」も相当長いですが…。

藤田六郎兵衛さんの笛が素晴らしかった。驚異的に素晴らしかった。

1年前から見たいと思っていた作品ですが、1年前だったら全然理解できなかっただろうと思う。半年前でも無理。今なら、少しは分かる。こういうタイミング、縁って本当に不思議ですねえ。

この作品は、仏教に関する知識がないと理解できないと思います。

「無辺光」(届かぬところのない光)と言われる勢至観音の慈悲と、その慈悲からも漏れてしまった伯母の心。普通の能は、シテが去って終わるのだけれど、この伯母は去らないのだ。ずっと姨捨山。

上演前に詞章を読んでいたときには分からなかったことが、実際に舞台を見ると分かる、ということがある。最後の「我も見えず旅人も帰る」という部分は、「自分はまだそこにいるのに、旅人の目にはもう見えていない」という意味であることが分かった。

作品の深さに慄然として、思いを引きずっております。

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