頼政〔よりまさ〕
今日(5月26日)、国立能楽堂で「頼政」を見てきました。蝋燭能。
↑ 休憩時に撮影(上演中はもっと暗い)
↑ 終演時に撮影
蝋燭だけの光ではなく、少し照明も使っていました。
先日、観世能楽堂で「頼政」の舞囃子を見たばかりだったので、
違いが面白かった。
シテ「・・・その宮軍〔みやいくさ〕の月も日も今日に当たりて候ふはいかに」
ワキ「何とその宮軍の月も日も今日に当たりたると候ふや」
頼政が自害したのは、本日5月26日なのだそうです。
文楽や歌舞伎ですと、「十種香」を11月20日に見るのも特別な感じがするものですが、あれはフィクション。「頼政」は歴史上の事実ですから、また別の高揚感がありました。
ワキというのは、観客を代表して舞台にいるのだと思いますが、とりわけ今日の公演では、自分がワキと同化するような気分になりました。
一緒に弔っている感じがしました。
「かりそめながらこれとても、他生の種の縁に今、逢う」
縁というのは、不思議なものですねえ。
以仁王は日本史で覚えたけれど、頼政のことは知りませんでした。
たしか教科書に「以仁王を奉じて」などと書いてあって、「奉じる」の意味が分からなかった。
いまもよく分からない。
首謀者として権力者を担ぎ出す、という意味でしょうか?
歴史の教科書は、単語ばかり覚えさせられて、ドラマがないからつまらない。
『平家物語』はドラマがあるので面白いのではないかと思う。
けれど、その前に『伊勢物語』が読み終わっていないのだった。
辞世のある人生に憧れる。
頼政の辞世
埋木〔うもれぎ〕の 花咲くことも なかりしに 身のなるはては あはれなりけり
出世することもなく
花が咲くこともない私の人生であったが、
花もないのに実がなって、
その最期は自分で見てもあわれなことであった(?)
「あはれなりけり」とは、どういう気持ちだろう・・・。
最期に実がなったのだろうか。
やってみて駄目だったけれど、やらないよりは良かった、
ということだろうか。
今日は過去に思いを馳せた日であった。
過去の積み重ねが今日につながって。
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