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2012年8月

2012年8月30日 (木)

ヴィッラ・ディ・ムジカ室内管弦楽団:主催《セビリヤの理髪師》

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8月26日、《セビリヤの理髪師》を見てきました。
第一生命ホールで1回だけの公演。
簡易舞台形式による全2幕原語上演(日本語字幕あり)。
合唱が出る場面はほとんどカット。

けっこう空席がありましたが、私はこの公演をとても楽しみにしていました。
須藤慎吾さんのフィガロ、大井哲也さんのバルトロ。
この2人は、日本オペラ界屈指の名優だと思うんです。
歌と同じくらいの比重で、演技を構築できる人。
歌は楽譜で決められているけれど、演技は1から自分で考えないといけない。
出来ない人は全然出来ない。
《セビリヤの理髪師》はベルカント物ですが、演技の出来ない人がやっても、面白くないと思う。

それで実際の舞台を拝見しますと、
期待どおりの面白さでした。
しかも、ロジーナ役の鵜木絵里さんも素晴らしかった。歌も演技も。

バルトロ役の大井さんは、歩き方や立ち方までキャラクター設定していて、演技が細かいなあと思いました。
もう何年も前に、《夢遊病の女》の伯爵を見て、この人はすごい演技力だなあと思ったのです。でも、それから見る機会がなかった。イタリア・オペラにはあまり出ない人らしい。
まあ本人の志向がありますよね。

もっと客が入ってもいいのに、1回だけではもったいない。

アルマヴィーヴァ伯爵を歌った藤田卓也さんは、なかなかのテクニックで、立派な歌唱でした。これなら最後の大アリア「もう逆らうのはやめろ」も歌えるに違いないと思いましたが、残念ながら大アリアはカットされました・・・。

大アリアがあるかないかで、作品の感動が全然違うんですけどね・・・。

新国立劇場で現行レパートリーに入っている《セビリアの理髪師》は、大アリアをカットしたヴァージョンなので、何度も見る気にならない。

ところで、今回の公演のちらし、誰がデザインしたのだろう。イラストは描きおろしでしょうか。感心しました。

演出は飯塚励生さん、レオとお読みするそうですが、何かギラギラした野生的な感じの人でしたね。どこまでが演出家の指示で、どこからが歌手の工夫なのかよく分かりませんでしたが、それは取りも直さず「成功」ってことなのでしょうね。

全然採算が取れなさそうな公演でしたが、どうして実現したのだろう・・・。こんな公演が5千円で見られるなんて。

染五郎さん

染五郎さんのお怪我、本当にびっくりしました。
不幸中の幸いで、それほど重傷ではなかったようですが・・・。
良かった。
この人がいなかったら歌舞伎の未来はずいぶん寂しくなると思いますよ。
ただただ回復をお祈りいたします。

新宿区民オペラ《カヴァ・パリ》

まだパソコンは買い換えておりません。
とうぶん買い換えないと思う・・・。
部屋が片付けられないので。

先日、新宿区民オペラの《カヴァ・パリ》を見てきました。
《カヴァレリア・ルスティカーナ》と《パリアッチ》の2本立てですね。

《パリアッチ》というタイトルで上演する場合と、
《道化師》というタイトルで上演する場合がありますが、
今回は《パリアッチ》でした。

パリアッチ・・・複数形
パリアッチョ・・・単数系

《パリアッチ》というタイトルで上演すると、字幕がもう、わけが分からない。
字幕を作成する人は気にならないのだろうか?

トニオを演じたバリトンの今井俊輔さんが素晴らしかった。この人は来ますね。
それからカニオの上本訓久さんも良かった。
《パリアッチ》は全体的にハイレベルで、すごく盛り上がりました。
上本さんは、あるポイントにくると声がグワーと突き抜けるように響いて、すごいと思いました。
演技もうまかったですね。
「もうパリアッチョじゃない」でカツラをかなぐり捨てるところとか、おおー!って感じでした。
ネッダも負けずにカツラを投げつけてました。
(グルベローヴァの《ロベルト・デヴュリュー》以来、オペラの世界で名物になっているのだらうか?秘技カツラ投げ)

指揮は宮松重紀さん。鳴らすところでガンガン鳴らしていたので興奮しました。私の中のイタリアの血が騒ぐって言うんですか。歌手の声量に関係なく、絶対にドカンと鳴らすべき箇所、そういうポイントを外さないというのは非常に重要であると思いました。

浮気された!
 ↓
殺す

という展開が、これまで今ひとつ理解できなかった。
《カヴァ・パリ》、《仮面舞踏会》、《ロベルト・デヴェリュー》・・・
「浮気をする」のと、
「浮気されたから殺す」のと、
どちらが、より罪深いと思っているのか?

そういう「独自ルール」が田舎くさい感じ。
田舎には田舎ルールが存在する。

やっぱり、結婚の観念が日本人と違うのだと思いました。
カトリック教徒の結婚というのは、神との誓約ですからね。
神との誓約を破るなんて、あり得ぬことですよ。
その相手を選んだ自分まで一緒に否定されちゃいますよね。

そういうわけで、自分で作品に納得がいって、存分に楽しんでしまいました。
舞台装置や衣裳は、ちょっと寂しかったですけどね。
ホリゾントはわりと綺麗でした。
新宿文化センターのホリゾント幕は綺麗。
東京文化会館のホリゾント幕は綺麗ではない。耐えられない。世界の一流バレエダンサーたちは、よくあのホリゾント幕で我慢してくれたものだと思う。(私なら踊らない)

サントゥッツァはなぜ教会に入れないのか

カヴァパリ。

私は今、カヴァパリに、はまっているのである。
昔は、嫌な話だと思っていた。
「愛している」と言った直後に、その同じ口で、呪いの言葉を吐きかけるのだ。

まあしかし、長く生きていると、そのような感情も理解できるようになってくるものです。フフ。

【このブログでは、たまに、怪しげな知識をご披露する決まりになっている】

《カヴァレリア・ルスティカーナ》と《道化師》の同時上演は、実によく出来た組み合わせだと思う。いや、必ずしも一緒に上演されるとは限らない。現に、私が初めて《カヴァレリア》を見たときは《ジャンニ・スキッキ》と併演された。しかし、カヴァパリの組み合わせは格別である。こんなすごい作品が2つ生まれて来るならば、神も存在するに違いないと思う。

カヴァレリアは復活祭の日の話、
パリアッチは聖母被昇天祭の日の話。
カヴァレリアは男の浮気の話、
パリアッチは女の浮気の話。
トゥリッドゥは永遠の愛を少なくとも2度、口にした、
ネッダは永遠の愛を少なくとも3度、口にした。

なぜ、このような悲劇が起こったのか?
それはあなた、教会以外の場所で「永遠の愛」を口にしたからですよ。
教会以外の場所で「永遠の愛」を口にしちゃ駄目なんですよ。
「永遠の愛」は1度だけしか誓えないんですよ。
2度誓ったらそれは永遠じゃないからですよ。
それは結婚相手に誓うんじゃないんですよ。神に誓うんですよ。
神に誓った永遠は取り消せないんですよ。
教会は1度しか認めてくれないんですよ。
イタリア人は離婚できないんです。棄教しない限り。

結婚とは何か?
時代、場所、身分によって考え方が違います。

現代の日本人の結婚
A.役所に結婚届を提出して戸籍(苗字)を1つにする
B.神社や教会で結婚式を挙げる
C.ホテルの宴会場やお洒落なレストランで披露宴を行う

BやCは、やらない人もたくさんいます。多くの日本人にとって、結婚とはAのことを指します。
そして一緒に暮らして、嫌なことがあったとしても我慢して、どうしても駄目な場合は仕方なく離婚。

イタリア・オペラにおける結婚
①公証人を呼び、証人の前で、証書にサインする
②教会の祭壇の前で、神父に立ちあってもらい、永遠の愛を誓う
③披露宴を行う

「ロミオとジュリエット」はシェイクスピアで有名ですが、もともとはイタリアに伝わる民話ですね。あの話で分かると思いますけれども、イタリア人にとっての結婚は②です。②以外は取り消せるんです。②は取り消せない。だから②がほしいんです。

イタリア・オペラでは、①と②を巧妙に使い分けていると思う。
ルチアが騙されて交わす結婚は①、狂乱の中で夢見る理想の結婚は②。
《夢遊病の女》のアミーナが破棄されるのは①。
《セビリアの理髪師》の結婚はのちに破局するのが分かっているので①。

《ジャンニ・スキッキ》のラウレッタが望むのは①でも②でもなく「指輪」、なぜなら喜劇だから。

《蝶々夫人》は悲劇で終わるに決まっている、なぜなら②をしていないから。

エリザベッタは2度、永遠の愛を誓った。
1度目のカルロへの愛は無効、
なぜなら教会で誓ったのではないから。
教会で誓ったフィリッポへの愛が有効、
カトリックの結婚とはそういうものだから。

ヴィオレッタは②ではない形の愛を手に入れた、
それは新しい愛の形であった。
トゥーランドットは②ではない永遠の愛を創出した、
が、完成しなかった。イタリアだから。

サントゥッツァとトゥリッドゥは永遠の愛を誓った、
しかし場所は教会ではなかった。
教会に行くと、その誓いは無効になってしまう。
永遠の愛は、教会で誓うものなんですよ。
子どものときから、ずっと、そのように教えてきたでしょう。
サントゥッツァは、教会の外で誓った誓いにしがみついているので、
教会には入れないのだった。
入ると無効になってしまうから。

結婚のことなんて、聖書には何も書いていないんですよ。
聖書に書いていないけれど、教会が独占的に執り行うんです。
教会は、聖書に書いていないことを、たくさんしています。
その中には、あの悪名高い「免罪符」もありました。
この札を買うと、これまでの罪が赦されますよ。
この札を買わないと、あなた地獄に落ちますよ。
そうして得た金で、教会は、ずいぶんな贅沢をしていました。
目を見張る荘厳。
それに異を唱えたのがドイツのマルティン・ルターでありました。
「プロテスタント」って、「反抗者」ということでしょう。
聖書に反抗しているのではない。教会に反抗している。
そんなこと、聖書のどこに書いてあるんですか!
大事なのは聖書である。
聖書と私との対話。
神と私との対話。
教会いらん。

しかし、ちょっとお待ちください。
聖書に書いてあるのは、究極の理想ですね。
私は知っていますよ。
「あなたの持っているものを全て投げ出して貧しい人に与えなさい、それが出来た人だけが私(イエス)の仲間です」と明記されている。
いえね、それが理想だということは私にも分かるんですよ。
でも、ちょっとハードルが高すぎじゃないでしょうか?
いきなり全部は投げ出せないんですよねえ、私も凡人ですからねえ。
もう少し、その中間あたりの、私にも出来そうなことって、ないものですかねえ。
ふむふむ、聖書に書かれている理想を、理想と分かっただけでもあなたは見込みがありますよ。いきなりは無理でも、こんな手はどうです?あるいは、こんな方法もあります。それに失敗したら、反省しなさい。神は救いの手を伸べてくださいますよ。
というような取り次ぎ役、
いきなり0か100かっていうのでなく、
人間の成長や失敗を見守ってくれる役、
そういうものが必要じゃないですかねえ。

それが教会でしょう。

教会で誓っていない永遠の愛は無効、イタリア・オペラはそれを言い続けている。だってトゥリッドゥみたいな、いい加減な男がたくさん存在するんだから仕方ない。

日本はキリスト教の信者がとても少ない国なのですが、
なぜかキリスト教式の結婚を挙げる夫婦が多いのですね。
洗礼も受けていないのに、キリスト教式で結婚する人が多い。
一応、式の前に、神父さんから結婚の説明を受けるそうですけどね。
(いえ私は経験がないので知らないのですが・・・)
取り消せないんですよ。カトリックの場合。
知ってました?
取り消せないんです。
誰にも強制はされません。
誓いの言葉を口にする前に、充分に気をつけてください。
取り消せない愛の喜びは、
取り消せない愛の苦しみと裏表だということに。

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