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2013年7月

2013年7月30日 (火)

公文協中央コース・鎌倉芸術館

先日、全国公立文化施設協会主催の「松竹大歌舞伎」中央コースを見てきました~。鎌倉芸術館に行くのは、吉右衛門さんが「七段目」をなすって以来かな~~。

吉右衛門さんは、こんなに休みなく働いて大丈夫なのでしょうか・・・。まあ、お元気そうでしたけど。口上で「女性の味方、中村吉右衛門にございます」とか何とか仰っていました。「皿屋敷」で「女を切るのは刀の汚れ」みたいなセリフが出てくるからでしょうか?

4枚のお皿を割っていく割り方の変化が面白かった。

井戸は、舞台を掘っていないので、高く作ってあって、黒幕でお菊を隠していました。だから播磨が井戸をのぞき込むところも、いつもと少し違いました。芝雀さん、井戸の中で暑かったでしょうね・・・。

「連獅子」で、文五郎さんの声が素晴らしかった~~。どうして、もっと聞く機会が増えないのだろう。
仔獅子の歌昇さんが良かったです!

一、番町皿屋敷
 
   青山播磨    中村吉右衛門
   腰元お菊    中村芝 雀
   並木長吉    中村種之助
   橋場仁助    中村隼 人
   放駒四郎兵衛 中村錦之助
   渋川後室真弓 中村歌 六

二、三代目中村又五郎
 
  四代目中村歌 昇 襲名披露 口上
 
   歌昇改め中村又五郎
    種太郎改め中村歌 昇
    中村吉右衛門
    幹部俳優出演

三、連獅子
 
   狂言師右近/後に親獅子の精 歌昇改め中村又五郎
    狂言師左近/後に仔獅子の精 種太郎改め中村歌 昇
   僧遍念            中村種之助
   僧蓮念            中村米 吉

2013年7月29日 (月)

マニア情報

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●来年の夏、大隅智佳子さんがノルマを歌うそうです。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
演奏会形式、指揮は菊池彦典さんだそうです。

●それから今年の8月17日(土)、江東区文化センターで《ノルマ》が上演されるそうです。もっと早く知っていたら行ったのに・・・。この日はABKAIのチケットを取ってしまいました。

●なんと、志村文彦さんがドン・ジョヴァンニをなさるそうです。激しくニンじゃないですよね?さらに、ドンナ・エルヴィーラが黒田博さんとチラシに書かれているのですが、一体どうなっているのだろう・・・。8月20・21日、北とぴあ。誰か確認してきて~~。

佐渡裕さん

●先日、兵庫で、佐渡裕さん指揮のオペラを見てきたのですが・・・。
佐渡さんを生で見るのは2度目ですかねえ。すごい人気なんですね。テレビにレギュラー出演しているからでしょうか。《セビリャの理髪師》を2回見て、どちらも1階1列目だったのですが、近くで見る佐渡さんはとても背が高くて、痩せていらっしゃいました。
あんまりオペラは振らないですよね。ひとくちに指揮者と言っても、シンフォニーとオペラと、比重のかけ方が人によって違いますもんね。

●指揮をしながら、結構うなってましたね。ん、ん、ん~~、と声を出していました。それから、息で合図をしてました。鼻息ではなく、口でしたけど。
(私は、鼻息で合図を出す指揮者を「鼻息指揮者」と呼んで、一流指揮者と区別している)
そういうのは、全部、下手側の演奏者に向かってやっていたみたい。上手側には、音では合図していなかったような・・・。

●演奏は、音がちょっと重たい感じでしたが、テンポは颯爽としていて、盛り上げるところは盛り上げて、楽しかったです。
「音が重たい」と言うのは、説明が難しいのですが、同じ音程なのに低く聞こえる、太く聞こえる、そんな感じでしょうか。
オーケストラの音色は時代とともにずいぶん変化していますが、だんだんピッチは上がって、音は重くなってきたわけですよね。
最近は、作曲された当時の音色に回帰する傾向が強いようですが、それは、指揮者やオーケストラの技術よりも、使用している楽器に負うところが大きいのではないでしょうか?曲によって楽器を使い分けているのでしょう。財力のあるオーケストラは。
カメラマンという職業も、腕前とは別に、良い機材を揃える財力に左右されるところがあると思う。そういう仕事、いっぱいありますよね。

●フライング拍手がすごかった。開演前に佐渡さんが「好きなところで拍手してください」って言ってましたからね。
でも「いまの歌声は」の途中で拍手が入るのは、パリのマリア・カラスもそうだけれど、どうかな~って感じがする・・・。

●夢を叶えた人って、やっぱりカッコいいから、憧れちゃいますね~。終演後にサインをもらってしまいました。握手もしてもらいました。カッコよかった~~。すごい行列でした。何かひとこと書き添えてください!とお願いしようかと思ったけれど、そんな余裕はありませんでした。すごい行列で。

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パソコンの不思議

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●富士通のパソコンは駄目です。もう泣きたいくらい駄目・・・。

GoogleYahoo!の検索機能は劣化していると思う。全然引っかからない。

●インターネット上に新規に公開される情報って、毎日毎日、ひたすら増え続けているわけですよね。どうしてパンクしないのかしらん。会社の共有フォルダは、すぐ一杯になるのに。
古いデータって、どれくらい残っているものなのだろう。意外と、はかないメディアなのでしょうか?
 

2013年7月28日 (日)

山種美術館「河合玉堂展」

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男も日傘を差していいことにしてほしい・・・。
お洒落でカッコいい男性用日傘って、作れそうなものではないですか。
昔は和服に日傘の男性もいたとか聞きますよ。
誰か流行らせないですかねえ。

ダヴィデ像のチン●も溶け出しそうな灼熱の坂をのぼって今日も1人来てしまった山種美術館。
山種美術館は私の最も愛する美術館の1つ。美しい日本画が間近で見られるから。今日は普段よりもかなり混んでいました。すいているところが好きな理由でもあるのですが、これだけ美しかったら、混むのも分かりますね。河合玉堂は、インパクトや派手さは薄いものの、美しい絵がたくさんありました。
展示No.57「残照」の空の美しさ。No.38「雪志末久湖畔」の湖の美しさ。それは、地の絹の美しさでもありました。キャンバス地では出せない、淡い美しさです。あんな色が、出せるものなんですね。奇跡のような色です。
それからNo.42の「荒海」、No.45「朝晴」に痺れました。酔いました。
前期も行っておけば良かった。
外国人にも見せたいくらいの美しさだけれど、これ以上は混まないでほしい・・・。

2013年7月27日 (土)

幽霊の声

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歌舞伎で幽霊の役をやるとき、声を電気的に加工するケースが増えてきましたでしょう。エコーを効かせたような声とか。
照明も江戸時代とは違うのですし、音響だっていろいろ工夫していいとは思うのですが、幽霊の役は演技の力で幽霊の声に聞かせないと、面白くないと思うんですよね・・・。どうでしょう?

2013年7月26日 (金)

新国立劇場管弦楽団

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先日、兵庫県立芸術文化センターにオペラを見に行って来たのですが、ここは座付のオーケストラを抱えています。兵庫芸術文化センター管弦楽団という名称で、通称は兵庫PACオーケストラ。PACと言えば、ついパシフィックアートセンターかと思ってしまいますが、パフォーミングアーツセンターの頭文字だそうな。2005年9月設立。
メンバーにはいくつかのグループがあって、
◆コアメンバー・・・中心となるメンバー。演奏請負契約(雇用契約ではない)、契約期間は原則1年、ただし条件により1年ごとの契約更新可(最長3年)
◆レジデント・プレイヤー・・・1年を通じて楽団の演奏活動に出演。年間請負契約
◆アソシエイト・プレイヤー・・・オーケストラの編成、規模に応じて演奏活動に出演。年間請負契約
その他に、公演によって、ゲスト・プレイヤー、アフィリエイト・プレイヤー、エキストラ・プレイヤーが入ることもあるようです。(違いがよく分かりませんが・・・)

座付のオーケストラって、日本では珍しいのではないでしょうか。あまり聞いたことがありません。

1997年に新国立劇場が開場したとき、専属のオーケストラを持っていないということで、ずいぶんと批判を浴びたものでした。「専属オーケストラのない歌劇場などありえない」「建物ばかりでソフトがない箱モノ行政」などなど。それに対し、専属オケを持てない理由として聞かされていたのが「新国のオペラとバレエだけでは公演回数が少なくてオケが維持できない」というものではなかったでしょうか?
しかし、オペラやバレエのない時期には、オーケストラのコンサートをしていればいいわけでしょう?外国の歌劇場は、そうしているではありませんか。

私の考えでは、仮に新国が専属オーケストラのメンバーを募集したとしても、応募する人がいないと思いますよ。幼いころから毎日6時間なり8時間なりの練習をヴァイオリンに捧げてきた人たちは、ベートーヴェンとかマーラーとかシューベルトとかチャイコフスキーを演奏したいんでしょう。ヴェルディとかドニゼッティではありません。ブンチャッチャ、ブンチャカチャッチャッチャッチャではありません。

兵庫PACオーケストラは、
・オーケストラのコンサートや室内楽がメインで
・オペラは年1回
だから厳しい条件でも人が集まるのであって、
・オペラやバレエの演奏が主で
・オーケストラのコンサートは副
では人が来ない。と思う。(来たとしても、演奏の質が現状よりも確実に低下する)

そういうわけで、「外国ではああなっているのに、日本ではこうなっていて、間違っている、おかしい」というような意見は、全く当たらないと思います。それぞれ事情が違うのですし、オペラ発祥の地などと同列に語ることはできません。文化の土壌が違うのですから。

2013年7月25日 (木)

横尾忠則現代美術館

先日、兵庫にある横尾忠則現代美術館に行ってきました。
生きているうちに自分の作品の美術館ができるのって、どんな気分だろう。
【幸せにもほどがある】

横尾忠則というと、ポスター制作(デザイナー)のイメージが強いですけれども、展示作品は油絵が中心でした。
今回は「横尾忠則どうぶつ図鑑」というテーマで、動物の描かれている絵が展示されていました。テーマに合わせて、動物の剥製も置かれていました。
作品の展示は2フロア。1階はイベントスペースでピアノも置いてありました。

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能「熊坂」あれこれ

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国立能楽堂で蝋燭能を見てきました。
見てきたと言いますか、業務として見たわけですが・・・。
いざというときのための、火消し要員として。
(ちなみに、わたくし普段は国立能楽堂で総務や経理の仕事をしています。業務として舞台を見ることは、まずありません)

蝋燭能と言いますと、「鉄輪」とか「葵上」とか「安達原」とか、恨みを持った女の演目が似合うイメージですけど・・・。
(「鉄輪」で、頭の上に乗せた蝋燭の火が本火だったら、私は絶対に見てみたい)
今回の演目は狂言「瓜盗人」と能「熊坂」。
「怨念の夜」を表す蝋燭能とは違う、「盗みの夜」。
ちょっと珍しい?

「場内がとても暗い能」もいいですが、「場内がとても明るい能」もいつか見てみたい。
昔は昼間に野外で上演していたのですし。
能楽堂って、なぜか舞台が暗めのところが多いですよね。不思議。

さて「熊坂」ですが・・・。
持仏堂には、仏像がなく、薙刀が置かれていた。熊坂長範の亡魂は、その薙刀で、山賊どもを追い払う。
過去の自分を追い払う。
以前の仲間を追い払う。
かつての自分と全く逆のことをしている。
180度、転換した。
いつ転換したのか?
義経に立ち向かって行ったときには、転換していない。
つまり死ぬときはまだ転換していない。
死んだあとに転換したのだろうか?
たしかに自分で「初発心
〔しょほっしん〕の者にて候」と言っている。
※初発心・・・仏道を志して間もない者

『義経千本桜』の「すし屋」で、権太がいつ改心したのか分からない、なんてよく言われますけれども、仏道を志すタイミングというものは、突然やってくるものなんです。
「私が進むべき道はこちらではない、あちらだった」と気づくこと、仏という理想に向かって歩き始めることを、「発菩提心
〔ほつぼだいしん〕」と言う。
発菩提心の「発」は、「発作」「発見」「発表」のように、突然、前触れもなくやってくるという意味だと思う。人は、いかなる時でも気づく可能性を持っている。

しかしそれは、できれば、生きている間のことであってほしい・・・。

国立劇場のホームページは駄目

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国立劇場のホームページって、どうしてあんなに駄目なのでしょう。

たとえば、国立劇場って託児室を開室していることがあるのだけれど、いつやっていて、いつやっていないのか、公演情報ページに書かれていないのです。新国立劇場のホームページだったら、「このマークの日は託児室がご利用になれます」みたいに明記されているじゃないですか。
それから、どの席が1等席で、どの席が3等席なのか、座席割りが分からないでしょう。最も欲しい情報なのに。国立劇場小劇場の文楽公演で、3等席は舞台の一部が見えにくいと書かれているのですが、どこの席のことなのか事前に調べられないんですよね。
歌舞伎公演の千秋楽に「国立劇場賞」が発表されるんですけど、「国立劇場賞とは何なのか?」という説明もない。この賞は、いくら演技が素晴らしくても菊五郎さんとか吉右衛門さんが受賞することはないわけでしょう。どういう基準で選んでいるのか、説明が必要なはずだと思います。それに、千秋楽に発表される賞であれば、舞台写真くらい一緒に載せていいはずじゃないですか?子役の名前だけ発表されてもねえ・・・。
それから、公演情報に、あぜくら会員の先行発売日が書かれていないんですよね。すごく不便。書いておけば、会員も増えるかもしれないのに。
国立劇場のアクセスマップも分かりづらい。あれでは半蔵門駅の出口が分かりません。どの道を通れば劇場にたどりつくのか分からない。Googleマップって、実はとても分かりづらい地図だと思う。
「展示・イベントを調べる」というボタンを押すと、展示の情報だけ出てきて、イベントの情報は出てこないし・・・。(訳が分からない)
英語のページは本当にお粗末で、いっそ、やらないほうがいいくらい。怒りを覚えるレベルです。

新国立劇場は、またホームページをリニューアルするんですか。なぜ国立劇場は駄目なままなのでしょう??

2013年7月24日 (水)

種まく人

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兵庫県立芸術文化センター
佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ 上演履歴

2005年 フンパーディンク作曲《ヘンゼルとグレーテル》※07年、09年再演
2006年 プッチーニ作曲《蝶々夫人》※08年再演
2007年 モーツァルト作曲《魔笛》
2008年 レハール作曲《メリー・ウィドウ》
2009年 ビゼー作曲《カルメン》※東京文化会館、愛知県芸術劇場でも上演
2010年 バーンスタイン作曲《キャンディード》※オーチャードホールでも上演
2011年 J.シュトラウス作曲《こうもり》
2012年 プッチーニ作曲《トスカ》
2013年 ロッシーニ作曲《セビリャの理髪師》
 
私は2006年の《蝶々夫人》と、今年の《セビリャの理髪師》を見ています。

上演演目のうち《ヘンゼルとグレーテル》《メリー・ウィドウ》《こうもり》《セビリャの理髪師》が日本語訳詞上演だったそうです。ちなみに《キャンディード》は原語上演。

「佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ」と言いながら、オペラじゃない作品もかなり混ざっていますが・・・。

初心者向けのレパートリーですねえ。今年は開演前に佐渡さんのお話があって、「オペラを初めて見る人にも楽しんでもらいたい」と仰っていましたが、もう8年もやっているのに、ずっと初心者向けですね。関西では、なかなかオペラを見る機会もないのでしょうけれど・・・。種をまいているのでしょうね。種まく人ですね。

日本で初めて上演されたロッシーニ作品は《セビリャの理髪師》だったそうです。そして、その後50年間、日本でロッシーニ作品は《セビリャの理髪師》しか上演されなかったのだそうな。50年・・・。

新国立劇場の来シーズンのレパートリーにベルカント作品が含まれていないとお嘆きの方も多いと思いますが、それは仕方のないことかもしれません。オペラ発祥の地の裏側、オペラから最も遠い国ですからね。

ところで、こんな話を聞いたことがあります。歌舞伎を見たことがある人よりも、歌舞伎を見たことがない人のほうが圧倒的に多くて、そういう人は有名な作品を見たがるものだと。だから毎月毎月「勧進帳」「娘道成寺」を上演していたほうが、実は客が入るのだと。しかし、それではやっている側が満足できないので、なるべく多くの作品を上演しているのだと。

6歌右衛門や17勘三郎は、どうしてあんなにたくさんの演目を上演できたのだろう?

2013年7月23日 (火)

兵庫県立芸術文化センター

兵庫県立芸術文化センターの写真です。
略称を「芸文〔げいぶん〕」と言うらしい。(正式名称が長すぎるから)
ちなみに、国立劇場を運営している独立行政法人日本芸術文化振興会は、略称を「芸文振〔げいぶんしん〕」と言う。
私には理解しがたい命名の感覚ですけど・・・。
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最寄り駅から続く2階エントランス。佐渡さんのバナーがお出迎え

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↑ エントランスの壁には、過去の公演の舞台写真が

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↑ 傘立てがなかなか機能的
(東京国立博物館の傘立ては恐ろしいほど美しくない)

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↑ こちらは1階エントランス

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↑ ちょっと国立新美術館に似ている

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↑ コンクリートに板目の模様
新国立劇場でもやっていますね

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↑ モギリ前のスペース
ここは大・中・小と3つのホールがありますが、共通の待ち合わせスペースになっている
国立劇場には、そのようなスペースがなくて、暑い日も寒い日も嵐の日も外で開場時間を待つ

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↑ 記念写真のスポットになっていました
(国立劇場には記念写真を撮るスポットは存在しない)

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↑ オペラが上演された大ホールのホワイエ
雰囲気がちょっと新国立劇場に似ている

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↑ ホワイエの照明
(特段、綺麗ではない)

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↑ ホワイエのビュッフェ

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↑ 1階エントランスの前の広場
ジャグリングをしている人もいました

ホール内は撮影禁止でした。(上演中でなくても)
写真くらい撮ってもいいような気がしますが、どうして駄目なのでしょうかねえ。
芸文の大ホールは、全面的に木で出来ていて、新国立劇場に似た雰囲気ですね。
新国立劇場よりも客電が明るいですけれども。
芸文でオペラを見るのは2度目でしたが、音響は優れているように思いました。

道頓堀

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たまに大阪に行きますと、街の変貌ぶりに驚きますね。私は10年ほど前に大阪勤務だったことがあるのですが、激変しています。新大阪の駅や、梅田のあたりは、ずいぶんと綺麗になりました。そして道頓堀は、とても怖い雰囲気になっていた。宗右衛門町も怖い。ブロンクスよりも新宿歌舞伎町よりも怖い。アジアの観光客らしき人が多いのが不思議でした。

神戸ポートタワー

京都南座に歌舞伎を見に行くときは、せっかくなので京都観光もすることが多い。しかし大阪松竹座に行ったときは、ついでに見たい観光地がない・・・。大阪城も通天閣も行ったことがありますし。
大阪は美術館が少ないですよね~。少ないと言うか、ほとんどないと言うか・・・。
今回の旅は兵庫県立芸術文化センターとセットだったので、では神戸見物でもと思ったのですが、ガイドブックを見たら、スイーツ特集とか雑貨特集とか、あまり観光っぽくないことばかり書いてあって。
それほど強く惹かれたわけではないのですが、1番の名所らしき神戸ポートタワーに行ってきました。

わたくし「1人お願いします」
売り場のおじさん「はい、・・・1人ですね?」
わたくし「はい・・・」
すみません、聞き返さないでください・・・

●7月19日(金)
松竹座 昼の部・夜の部
●7月20日(土)
兵庫県立芸術文化センター《セビリャの理髪師》Aキャスト
●7月21日(日)
兵庫県立芸術文化センター《セビリャの理髪師》Bキャスト

この旅程に同行してくれる友人を探すのは、かなり難しいと思うんです。
もういいんです。

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↑予想よりかなり低い建物でしたが、思っていたより綺麗でした。

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↑タワーからの眺め

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↑これは食べてみたかったけれど、もう店が閉まっていた

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↑全日本タワー協議会加盟タワー
こういうのを見ると、全制覇したくなったり・・・

2013年7月22日 (月)

《セビリャの理髪師》日本語上演

兵庫県立芸術文化センターで《セビリャの理髪師》を見てきたのですが、この公演は日本語訳詞上演でした。
指揮の佐渡裕さんがまだオペラの副指揮をしていた30年くらい前までは、日本語上演が普通のことだったそうです。
劇場で字幕が表示できるようになってから、原語上演が急速に増えたのですね。日本語上演は本当に少なくなりました。
今回の台本は、チェンバロの演奏もした島森英子さんの訳詞によるものでした。

どんなふうになるのかな~と興味津々でしたが、個人的に良かった点としては、
・フィガロと伯爵の二重唱「金を見れば力がわく」で、フィガロの歌が面白かった。
ちょっと正確には覚えていないのですが、「ピカピカ~の、ジャラジャラ~で、幸せ~、幸せ~、ピカピカ~、ピカピカ~、幸せ~、幸せ~」みたいな感じの歌詞でした。
文字にすると面白さが伝わりませんが、無性におかしくて、大笑いでした。自分が子どもだったら終演後にずっと歌ってるかもな~と思いました。(そして親に「やめなさい」とか言われそう)
・二重唱と言いますと、
①《ドン・カルロ》の友情の二重唱とか、《ラ・ボエーム》の失恋の二重唱とか、《蝶々夫人》の愛の二重唱みたいに、2人で同じ方向性で歌うもの
②フィガロと伯爵の二重唱「金を見れば力がわく」のように、2人で全く異なる感情を歌うもの
などがありますが、②のタイプの二重唱において、日本語上演はすごいパワーを発揮するなあと思いました。2人で全然別な感情を歌っているということが、より鮮明に直接伝わってくる感じでした。
・1幕フィナーレで、「この音って、金づちの音だったんだなあ」ということが初めて分かりました。あの音って、金づちの音にしては小さな音ですし、金づちだと意識したことがなかったんですね。でも、頭の中で鳴る金づちの音って、実はあんな感じなのかもしれないな~~と思いました。日本語でそう歌われていたので、そう思えたんですね。

イマイチだった点は、
・ロジーナのアリア「いまの歌声は」で、1番の聞きどころであるmi fo guidar, maが上手く翻訳できない。
このmaは、イタリア語で「でも」「けれど」「しかし」の意味で、
「私は素直で従順で優しいけれど、もし私の弱みにつけ込むなら、ヘビになって仕返ししてやるわ」というような歌詞になるわけですが、「maマ」という1音でロジーナの性格がコロっと変化する面白さが出せないんですね。
(日本語で訳すなら「が!」と歌うしかないですかね~~)
ちなみに、
イタリア語で「でも」を表す単語は他に「peròペロ」もありますけれど、こちらはなぜかオペラにはあまり出てこないみたい・・・。私は半年ほどイタリア語を習っていたことがありますが、今どきの若いイタリア人はずっとペロペロ言っている、とイタリア人の先生が嘆いておられました。(その先生も若いイタリア人であったが)
・伯爵がドン・バジーリオの弟子に化けて家に入り込むとき、「ご機嫌いかがで」「いつもお元気で」と歌いながら入ってきていましたが、ここは「Pace e gioiaパーチェ ジョイア」つまり「平和と幸福をあなたに」と言いながら入ってくるから面白いので、「こういう人って本当にいそう」という胡散臭さがなくなっていました。
日本語の訳詞上演ですと、どうしても、イタリア語の面白いところが消えてしまうことがあって、難しいですねえ。

しかし、字幕を見て→舞台を見て→字幕を見て→舞台を見て・・・という慌しさはなく、ずっと舞台に集中していられるというのは、大きな利点ですね。特に、歌詞の分量が多い喜劇の場合には。
今回の公演では、舞台の両脇に日本語字幕が出ていましたが、私は1列目だったこともあり、ほとんど字幕は見ませんでした。
ちなみに今回の字幕の書体は丸ゴシックでした。書体が変わると、ずいぶんとイメージも変わります。(国立劇場の文楽公演の字幕は硬い・・・)

字幕では「ロジーナ」「バジーリオ」と出ていましたが、歌手は「ロズィーナ」「バズィーリオ」と発音していました。(統一されていた)

んん~、ロッシーニの曲は、音符の数が多いので、日本語に訳しやすい面があるかもしれません。プッチーニは難しそう。

映画の上映でも、たいてい字幕版と吹き替え版がありますし、いろいろあって選べるのが文化的な成熟なのでしょうかねえ。

『ゼッフィレッリ自伝』(フランコ・ゼッフィレッリ:著、木村博江:訳)より
 
何年か前に有名な出来事があった。彼女(注;マリア・カラス)はローマで「パルジファル」を歌い、法王ピウス十二世の前で歌う栄誉を得た。法王はその地位に就く前にベルリンで法王大使を務め、ドイツ文化に深く傾倒するイタリア人の一人だった。法王はマリアがワーグナーをオリジナルのドイツ語ではなくイタリア語で歌ったのが残念だと言葉をかけ、凄まじい返事を浴びた。
 
「“お高い芸術家”になるか、人気者になるか、二つに一つですわ」彼女は法王に答えたのだ。さらに、法王が庶民よりもエリートの味方をするのは、ふさわしくないとつけ加えた。彼女は実に手厳しかったが、聖なる父はひるまなかった。
 
「言うまでもないが」法王は言った。「ワーグナーの音楽はドイツ語によって最も生かされるものではありませんか」
 
このやりとりでは、法王のほうが分が悪いと言わざるを得ない。ドイツ人でさえ、ワーグナーの台詞は非常にわかりにくいと認めている。しかしマリアの言いたかったのはそういうことではない。「オペラはアクションであり、ドラマです」彼女は続けた。「ドラマは音楽だけで形作られるものではありません。その半分は演技によって、言葉によって作られるのです」
 
これは彼女自身のオペラに対する考え方であり、その表現はいかにも彼女らしかった。彼女は権力に抵抗するものを愛し、私とトスカニーニとの衝突の話を何度も繰り返した。法王と彼女の議論に関しては、他にも多くのことが考えられる。偉大な脚本の翻訳はたいてい質が悪く、肩を持つのは難しい。かたやイタリア・オペラのほうも古い芝居がかった言い回しが多いので、イタリアの聴衆でも言葉の意味はほとんどつかめない。ここに一つの鍵がある。歌われる言葉の半分はいずれにしろ理解されないのだ。結局どこの国で上演されるかにかかってくる。イギリス人は昔から他国のオペラを受け入れ、原語による公演に慣れてきた。しかもイギリス人の多くはオペラで使われるイタリア語、ドイツ語などを理解することが出来る。イタリアではそれは通用せず、翻訳に頼ることになる。それはさておき、マリアと法王との「闘い」は彼女を取り巻く伝説の一つになり、単なるオペラ好きとは違う一般大衆にまで圧倒的人気を得たのだ。


週末ひとり旅

週末に関西へ行ってきました~~。

●7月19日(金)
新幹線で大阪へ
松竹座 昼の部・夜の部
大阪泊
●7月20日(土)
大阪市立科学館 展示場・プラネタリウム「太陽系バーチャルツアー」
兵庫県立芸術文化センター《セビリャの理髪師》Aキャスト
神戸ポートタワー
神戸泊
●7月21日(日)
横尾忠則現代美術館「横尾忠則どうぶつ図鑑」
神戸文学館
兵庫県立芸術文化センター《セビリャの理髪師》Bキャスト
終演後、佐渡裕さんにサインをもらう
新幹線で東京へ

松竹座の昼の部で上演された「柳影澤蛍火」は、もっと硬い話かと思っていたら、超娯楽大作でした。何十年も上演されなかった演目なので、あんまり面白くないのかなと心配でしたが、見せ場がいっぱいで実に面白かったです。ジェットコースターのような急展開!秀太郎さんの桂昌院、福助さんのおさめの方が、すごいはまり役でした。橋之助さん演じる柳澤吉保は、殺しのあとに泣き笑いの見せ場があって、
・自分で殺しておいて悲しいふりをするウソ泣き
・ことがうまく運んだので思わず笑ってしまう忍び笑い
これを交互に泣き笑いしてました。こんなのは歌舞伎でしかやりませんね。面白かった。橋之助さんは初舞台が「柳影澤蛍火」だそうですが、当たり役になりそう。東京でもやってほしい。
夜の部の「杜若艶色紫」は、話の筋が全然分かりませんでしたが、まあ私は福助ファンなので楽しみました。
松十郎さんと橋吾さんの名題披露がありました。どうぞ、ますますのご活躍を!


2013年7月17日 (水)

箱根の旅

この間、箱根に行って来たんです。私は隣町の南足柄市で育ったので、子どものころ何度も行きましたし、新鮮味がない感じだったのですが、行ったら楽しかったですね。

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↑大涌谷ではみんな温泉卵を食う

 

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↑山が緑なので湖も緑色

びっくりしたのは、外国人が多かったこと。インド、中国からの観光客が大勢いました。浅草の仲見世より多い印象でした。
日本に来たら、ほかに見るものもありそうですけどねえ。
伊豆は外国人が少ないですね。やっぱり東京からの交通の便が違うのでしょう。伊豆も美しい観光名所がいろいろありますけれど、ちょっと気軽には行けない感じ。

ところで、箱根はこんなに外国人が大勢いるのに、東京国立博物館の総合文化展は、なぜあんなに閑散としているのか?パリに行けばルーヴル美術館へ行き、ニューヨークに行けばメトロポリタン美術館へ行く。外国旅行において、美術館は最も重要な観光スポットのはずなのに、東博は人が少ない。
それは、環境が美しくないからだと思うのです。
全体的に、美しくない。お金をかけていない。やる気がない。

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↑このパーテーションは何なのでしょう。昔はありませんでしたよね?危険だから近づくなということなのでしょうか。あの手すりは危険なのですか。私はあれが危険だとは思わないのですが、本当に危険だと言うならば、こんな仮の処置ではなく、早く工事をして危険でない建物に改修すべきではないでしょうか。なぜ、この美しくない状態のまま長期間にわたって放置されているのでしょうか。この状態がおかしいということさえ感じないのでしょうか?八重葎が生えっぱなしの廃墟みたいな空気が漂っていますよ。とてもお客様を迎え入れる環境ではありません。これはほんの一例で、一事が万事この調子です。

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↑こんなに美しくない表示を作る、やる気のなさ・・・。やる気がないなら私に代わってほしい。
(あっ、こんなことを書くと要らぬ敵が増えそう~~)

2013年7月16日 (火)

ボボリ庭園

オペラ発祥の地、フィレンツェ。去年の9月、私は初めてフィレンツェを訪れました。小さな町の中に名所が密集しており、非常に興奮しました。たくさんの美に出会い、脳みそがグツグツと沸騰しそうでした。

歴史上最初のオペラは、ヤーコポ・コルシという方のフィレンツェの邸宅内で上演された《ダフネ》だそうです。作曲はヤーコポ・ペーリ、1598年2月初演。コルシ伯爵の旧邸宅は現存するそうですが、一般人は入れません。しくしく。

楽譜が現存する最古のオペラは、ヤーコポ・ペーリ作曲《エウリディーチェ》で、1600年10月6日、フィレンツェのピッティ宮殿で初演されました。フランスの国王アンリ4世と、フィレンツェの大富豪・メディチ家の娘マリアとの、結婚を祝うイヴェントとして上演されたのでした。ギリシャ神話のエウリディーチェは悲劇ですが、オペラは結婚祝賀用にハッピーエンドとなっています(!)。オペラの発祥というと、こちらの《エウリディーチェ》が話題となることが多いですね。ピッティ宮殿は、入場料を払えば誰でも入れますから。もちろん私も入りましたよ。
ああ、この宮殿のどこかで、《エウリディーチェ》が上演されたのだなあと思いますと、特別な感慨があったのでございます。
ち・な・み・に、オペラ《エウリディーチェ》を捧げられたアンリ4世はこれが再婚でした。初婚のときは、サン・バルテルミーの虐殺が行われたのでした。マイヤベーア作曲《ユグノー教徒》で有名な虐殺事件ですね。その後、ローマ教皇から結婚の無効を取り付け、メディチ家のマリアと再婚し、ハッピーエンドの《エウリディーチェ》を観劇。波乱万丈ですね・・・。
【ヘンリー8世も得られなかった結婚の無効をローマ教皇から勝ち取った男】

宮殿の、どの場所で上演されたのか分からないのですが、たぶんボボリ庭園ではないのかなあ。宮殿内のボボリ庭園では、1960年に、ペーリ作曲の《エウリディーチェ》がフランコ・ゼッフィレッリによる演出で蘇演されたそうです。(見たかったけれど、私はまだ生まれていません)

『ゼッフィレッリ自伝』(フランコ・ゼッフィレッリ:著、木村博江:訳)より
しかしロンドンの前にもう一つ大きなオペラ公演があり、不思議な巡り合わせで、オペラの形をとった最初の作品、ヤコポ・ペーリの「エウリディーチェ」を私の故郷フィレンツェの五月祭で野外セットで行うことになったのである。最初のオペラと呼べる作品としてはもっと古いものもあろうが、それらは断片が残されているだけで、音楽劇として完全な形をとってはいない。「エウリディーチェ」は充分に正当な意味での最初のオペラと認めることができる。原本はフィレンツェの優れた音楽学者たちによって長年研究され編曲されてきた。彼らは古楽器のみを使用したオーケストラ・スコアを編纂し、現代の金管は使わずに木製のフルートとリード楽器、そして感動的な水オルガンを使った。その編成からは平均律以前の素晴らしい不定型な旋律が生み出された。一九六〇年の夏で、古楽器に対する興味が流行化する以前のことだった。フィレンツェの音楽学者たちは公演に情熱を傾け、私にこの忘れられた作品を甦らせる役割を託した。感じの良い老人がピアノでこの作品を私に弾いて聞かせた。イメージを得るにはそれしか方法がなかったのだ。私は魅了された-ばらばらな曲を寄せ集めたものとは大違いで、アリアが物語を発展させる役割を果たしていた。この作品によってオペラが完全な形で誕生したのは明らかだった。ペーリが忘れられていたのは、モンテヴェルディが「エウリディーチェ」から多くのものを取って数年後に「オルフェウス」を書き、こちらのほうが有名になったためである。もちろんモンテヴェルディは形式を発展させたが、ペーリが最初に発見したものは多い。彼の作品はメディチ時代のフィレンツェで盛んになった探究の精神から生まれたのだ。
 
「エウリディーチェ」はもともと一六〇〇年にとり行われたマリア・デ・メディチとフランス王太子との婚礼祝典のために書かれたものだったので、舞台装置についてはあまり問題はなかった。もとの舞台装置であったメディチ家の宮廷を、三百六十年後に再び使うことが出来たのだ。私たちは公爵邸裏の美しい庭園に舞台を作り、本物の建物を使った。ルネッサンス期の他の建物の噴水や彫刻も模倣してそれに加えた。舞台は四十メートル四方の広さがあった。あまりに本物そっくりだったので、たまたま訪れた人だけでなく、通い慣れた人たちまでがだまされ、日中は観光客が本物の宮殿と思い込んでいる様子が聞き取れた。ローマからピエロ・トージも手伝いに来てくれ、私たちは自分たちが学んだ故郷に最大の敬意を表する気持ちで臨んだ。背景画家は本物と贋物を混ぜ合わせて素晴らしい仕事をしたが、あまりにうまく出来たため思いがけない事態も生じた。一年後に知人がアメリカから新聞の切り抜きを送ってくれたのだが、なんとイタリア人は歴史的遺産を大切にしないと非難されているのだった。アメリカ人の団体がフィレンツェを訪れ、メディチ家の宮殿と思い込んだものを写真に撮った。そして一年後に再び訪れて見ると、その半分が壊されていたというわけだ。新聞記事ではスキャンダルとして大袈裟に報道されていた。

↓ボボリ庭園の写真

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↑宮殿の窓から庭園を望む

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↑宮殿を出て庭園へ(写真の右側に庭園が広がる)

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↑庭園の下のほう(写真の左側に宮殿)

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↑上のほうへ登って行くと、途中に池がありました

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↑丘の上の彫刻

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↑丘の上から庭園を見下ろす

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↑一番高いところ

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↑これは庭園の外側

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↑フィレンツェの町並み

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↑庭園はかなり広い

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2013年7月15日 (月)

能「鵺」あれこれ

先日、観世会の定期能で「鵺」を見てきました。「鵺」を見るのは2回目だったのですが、結構忘れてしまっているものですね・・・。
いくつか不思議に思った点がありました。

・詞章にはっきりと「ささで来にけり」と書かれているのに、鵺の亡心が棹をさして登場したこと。
棹をさしていると、うつほ船らしさも消えてしまうように思いました。
(でも前シテが去るときの詞章には「棹とり直し」と書かれていて、さらに訳が分からない)

・「頭は猿」となっているのに、面が猿に見えなかったこと。
これについては、「面が猿だったら、こわくないんじゃない?」という友人の推測に納得。猿の面では奇怪な雰囲気が出ずに、意図せぬ滑稽味が出てしまうかもしれませんね。

鵺は、
①頭は猿
②尾は蛇
③足手は虎
④鳴く声は鵺
に似ているわけですが、①②③の特徴は無視されて、④だけを捉えて鵺とネーミングされてしまった。
【なぜなら①②③は誰も見たことがなかったから】
能の舞台では、①~④のどの特徴も、直接的には表現されていないみたいですが・・・。

そうして、鵺と言えば化け物の鵺のこととなり、本家の鵺は鵺と呼ばれることはなくなって、今ではトラツグミと言われている。

鳥にもいろいろあって、烏、雀、鳩などは人間を怖がらないし、よく姿を見かける。しかし鶯やほととぎすなどは、鳴き声が聞こえても人間に姿を見せることは少ない。トラツグミも、夜に鳴く鳥なので、あまり姿を見る機会がないのでしょう。声こそが、声だけが鳥そのもののイメージなんですね。

ところで、現代は便利なもので、トラツグミの鳴き声をインターネットで聞くことができます!

トラツグミの鳴き声

うーん、これが夜中に鳴いていたら、たしかに怖いかもしれない。

思ひあまり 三角柏
〔みすみがしわ〕に 問ふ事の 沈むに浮くは 涙なりけり

願い事が叶うか叶わないか、柏の葉を水に浮かべて占うことは昔から行われていたそうで、文楽の『妹背山婦女庭訓
〔いもせやまおんなていきん〕』にも、そのような場面が出てきます。柏の葉は、ちょっと特別な葉っぱなんですね。

・葉っぱの先が三つに分かれた柏が水に浮く→願い事が叶う印
・葉っぱの先が三つに分かれた柏が水に沈む→願い事が叶わぬ印

この和歌を詠んだ人は、何か障害のある恋をしていて、あまりに恋心がつのったので、柏の葉で占いをしてみた。そうしたら、柏の葉が沈んでしまった。
◎柏の葉が沈んだので→悲しくて涙が目に浮かんできた
この「沈んだので→浮かんだ」という歌の構造を持ってきて、悲しみを→成仏の契機にしようと言っています。

はたして、沈むことは浮かぶことの契機になり得るだろうか?
逆に「浮かんだら→沈む」というのは、まず間違いのないところですが(生者必滅会者定離)、「沈んだら→浮かぶ」と言えるものでしょうか。

昔、同じ職場の若い者が、何かあるごとに面倒くさい、面倒くさいと口にするので、何を言っているのです、仕事は面倒くさいに決まっています、面倒くさいから給料がもらえるのです、楽しかったらこちらから金を払わなければなりません、ディズニーランドに行って楽しかったらこちらが金を払う、歌舞伎を見て楽しかったらこちらが金を払う、仕事をして面倒くさかったらこちらが金をもらう、つまり面倒くさいのは当たり前のことなのだから面倒くさいなどと口にしてはいけません、と諭しますと、でもあの人は私より全然仕事してないけれど給料もらってるもの、なんて言う。
仕事をしないで給料をもらっている人というのは、たしかにいます。そういう人は、別のところで何かマイナスを払っているのじゃないかと私は思っています。別のところで勘定合わせ。
たとえば宝くじがドーンと当たるとする、そうすると、宝くじとは全然関係のないところで、ドーンとマイナスがやってくるような気がする。そう思いませんか。
逆に何か悲しいことがドーンとやってきたなら、いつか嬉しいこともドーンとやってくるんじゃないか・・・これは希望的観測ですが、まあそう思って今日も生きていく。借方と貸方は同額でなければ勘定が合いません。私この分まだもらってないんですけど、と思って生きるのだ私は。(鵺のことは知りません)

ほととぎす 名をも雲居に あぐるかな 弓張月の いるに任せて

・Aを雲居にあぐる
・Bをも雲居にあぐる
Bは和歌に書かれているとおり「名」ですよね。
Aは和歌には書かれていませんが、「鳴き声」ではないかと思う。
頼政の放った矢は、射ると音がする矢だったのではないでしょうか。
能の解説書は、登場する和歌の意味があまり解説されていないことが多くて不思議。1番知りたいところなのに。
この歌は、「いやあ、大したことじゃありませんよ」という頼政の謙遜を表しているのでしょうか?

2013年7月14日 (日)

新国立劇場演劇研修所

新国立劇場演劇研修所の修了生の活躍状況
 
舞台に出演した人の延べ人数(映画、テレビ、ラジオ等を除く)
 

◆2008年
 4月  1名(修了生15名中)
 5月  3名   〃
 6月  3名   〃
 7月  8名   〃
 8月  5名   〃
 9月  2名   〃
10月  7名   〃
11月  4名   〃
12月  4名   〃
◆2009年
 
1月  1名(修了生15名中)
 2月  4名   〃
 3月  5名   〃
 4月  6名(修了生29名中)
 5月  9名   〃
 6月 12名   〃
 7月  3名   〃
 8月  1名   〃
 9月  2名   〃
10月 13名   〃
11月  8名   〃
12月  8名   〃
◆2010年
 
1月  5名(修了生29名中)
 2月  4名   〃
 3月  9名   〃
 4月  5名(修了生43名中)
 5月  8名   〃
 6月  5名   〃
 7月  8名   〃
 8月  2名   〃
 9月 11名   〃
10月 17名   〃
11月 22名   〃
12月  8名   〃
◆2011年
 
1月  6名(修了生43名中)
 2月  6名   〃
 3月 10名   〃
 4月 14名(修了生57名中)
 5月  4名   〃
 6月 13名   〃
 7月 10名   〃
 8月  3名   〃
 9月 20名   〃
10月 19名   〃
11月  9名   〃
12月 13名   〃
◆2012年
 
1月  2名(修了生57名中)
 2月  6名   〃
 3月 14名   〃
 4月 21名(修了生68名中)
 5月 12名   〃
 6月 12名   〃
 7月 15名   〃
 8月  5名   〃
 9月  8名   〃
10月 11名   〃
11月  6名   〃
12月  3名   〃
◆2013年
 
1月  5名(修了生68名中)
 2月  1名   〃
 3月  7名   〃
 4月  9名(修了生80名中)
 5月  7名

新国立劇場のホームページで公表されているデータです。
ちょっと数字を分析してみますと、
①修了生は毎年10人以上ずつ増えていくけれど、その中で舞台に出演できる人数は横ばい
②新国立劇場主催の演劇公演に出演する人は少ない
③朗読公演(リーディング)への出演が多い

厳しい世界なんですね・・・。

大人の時間

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23時開演って、ちょっと遅すぎじゃないですか?
レオンカヴァッロ作曲の《道化師》の話です。
いくらお祭りの夜だからって、23時終演というならともかく、23時開演って・・・。
間違っても子どもが来ない時間、大人の時間、ということでしょうか?
確かに昼間に飴なんか配っていた子どもは見に来ていないようだ。
あれは子どもには見せられないですよねえ。
夫が留守の間に妻が浮気をして、バレそうになって、大騒ぎ。
コンメディア・デッラルテのお定まりのストーリーですね。
あれって、面白いのでしょうか?
オペラでは途中で「もう道化師じゃないぞ!」とブチ切れて面白いほうへ話が流れていきますが、流れていかなかったら、普通のコンメディア・デッラルテの上演だったら、どういうオチを迎えるのだろう。
実際の舞台を見ないと、面白さが分からないものなのかもしれませんねえ。

ウチは現在、VHSテープを捨てようキャンペーン実施中なのですが、フルトヴェングラー指揮《ドン・ジョヴァンニ》のテープが出てきました。舞台映像が流れる前に、大町陽一郎さんという指揮者が解説として登場し、こんなことを仰っています。

そして、そのフルトヴェングラーが、あれだけ高名な指揮者にもかかわらず、オペラの伴奏をするために、オーケストラピットの下へ入っていったときに、オペラの伴奏もする人なんだなというのが正直な印象でした。
 
・・・それからもう1つ私が驚いたのは、ウィーンフィルハーモニーがオペラの伴奏も、あの薄暗いオーケストラピットの中で演奏しているということです。

この大町さんという方は、日本人指揮者として初めてウィーン国立歌劇場に出演した方だそうですが、どうでしょう、完全にオペラを下に見ていますね。これは大町さんが特殊というわけでなく、当時(1954年)の日本人の多くが、オペラを馬鹿にしていたのではないでしょうか。まあ、台本だけ読むと、首をかしげる歌詞が多いですしねえ・・・。

2013年7月13日 (土)

つれづれ

「持っているVHSビデオテープを捨てようキャンペーン」実施中なのであるが、なかなか進まないでござる。

買ったまま1度も見ていなかった《道化師》のビデオを見ました。
指揮はリッカルド・シャイイ、出演はホセ・クーラ、クリスティーナ・ガッラルド・ドマス、ファン・ポンス。1996年。STANDING ROOM ONLY VIDEOというチョ~あやしいレーベル。
なかなか豪華キャストではないかと思って買ったのですが、演奏会形式だった・・・。チッ。

実際に見てみると、わりと歌手が演技をしていて、演奏会形式でも構わないんじゃないかと思いましたが、死んだネッダが立ったまま終演を待つのは何だかな~~という感じ。シルヴィオを刺し殺す演技もナシでしたし。
それに、演劇的に重要な場面で、急にハープのアップになったりホルンのアップになったり、歌手の顔が映らなくなるので、ちょっとガッカリでござった。

ドマスは素晴らしいですね~~。声も演技も素晴らしい。数年前にメトの《町長夫人》を降板してから名前を聞きませんが、どうしているのでせう。

クーラは新国でラダメスを歌った頃に結構ハマっていたのですが、歌がせっかちな感じですよね。でも怒っている役は逆にそれが功を奏して、いいですね。

「喜劇は終わりました」のセリフはトニオが言っていました。
カニオが言うケースもあるそうなが、やはりトニオが言うべきセリフじゃないですかねえ。
ポンスは言ったあとにニヤリと笑っていてキモ素晴らしい。

ネッダはトニオの告白を笑って退けるのでありますが、
あの場面はとてもイヤな感じ。
もっとうまい断り方って、ありそうなものじゃないですか。
好きじゃない人から愛を打ち明けられて、それを断るとき、人間が試されているんだと思いますよ。相手を傷つけないように・・・ったって、断りゃあ傷つくに決まっているのですが、それにしてもねえ。
「私には夫がいるのよ」とは断れないネッダ、だって自分も浮気してるんだもん。
イヤな感じ。
(そこが面白い?)

《道化師》が終わったあとにオマケ映像が付いていて、《ファウスト》の二重唱か聞けました。モノクロ映像で、歌手が誰だかも分からないのですが、テノールが素晴らしい~。フランス語の美しい響きにウットリ。ちょっとアラーニャに似た声だけれど、誰なんだろう?

2013年7月11日 (木)

弥勒忠史コンサート

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独演コンサート 弥勒忠史

2013年7月11日(木)19時開演
日暮里サニーホール コンサートサロン

《日本語で歌う、日本語を歌う》
「気球にのってどこまでも」作詞:東龍男 作曲:平吉毅州
Believe」作詞・作曲:杉本竜一
「みかんの花咲く丘」作詞:加藤省吾 作曲:海沼実
「夏の思い出」作詞:江間章子 作曲:中田喜直
「赤とんぼ」作詞:三木露風 作曲:山田耕筰
「小さな空」作詞・作曲:武満徹
「怪獣のバラード」作詞:岡田冨美子 作曲:東海林修
-休憩15分-
Ancient City」作詞・作曲:MAKI(??)
「草原のマルコ」作詞:深沢一夫 作曲:坂田晃一(母をたずねて三千里)
「よあけのみち」作詞:岸田衿子 作曲:渡辺岳夫(フランダースの犬)
「十六夜」作詞・作曲:MAKI
「微笑み撫子」作詞・作曲:
MAKI
「花」作詞:武島羽衣 作曲:瀧廉太郎

「翼をください」作詞:山上路夫 作曲:村井邦彦
 
-アンコール-
「崖の上のポニョ」作詞:近藤勝也・宮崎駿 作曲:久石譲
「春の小川」文部省唱歌
 
~「赤いスイートピー」作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂

弥勒忠史(カウンターテノール)
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 (ピアノ)

主催:日本声楽家協会 

 
弥勒さんのお名前と顔写真はしょっちゅう見るのに、声を聞いたことがない・・・。ぜひ聞いてみたいと思っていました。
カウンターテノールのリサイタルなど滅多にないチャンスなので、期待して早々にチケットを確保していたのですが、2週間くらい前にやっと発表された予定曲目は全て日本歌曲・・・。絶対にバロック・オペラを歌うと信じて疑わなかった私は、正直言って落胆しました・・・。そんな、誰でも歌える歌を歌わなくても・・・。
と思っていたのですが!!
①誰でも歌える歌を、
②誰にも歌えない歌い方で、
③歌っていて衝撃的だった。

全編カウンターテノールの音域で歌われたわけなんです。まあ当然ですか・・・。
(1か所、地声で歌ってました)

なぜ、この歌をこの歌い方なのか?という点については、ちょっと不思議な感覚でしたけれども、とにかくすごかったです~~。

超高音でこんなに長時間歌えるものなの?と驚きました。
曲と曲の間にも袖に引っこまず、
歌って喋り、歌って喋り、
すごい喉のスタミナですね。
安定していて危なげがない。

ちょっとジャズっぽい歌い方になったり、DJっぽかったり、かなりアレンジされてました。

1番すごかったのはアニメ・ソング(アニソン)。すごいパワーでした。日本のアニメ・ソングのパワーはすごい。私も子供のころ見ていた(世界名作劇場のテーマ曲)ので、内容も分かりましたし。(「崖の上のポニョ」は見ていない)

時を得て輝いている人は違いますね。満足満足な公演でした。

2013年7月10日 (水)

アントニーノ・シラグーザ

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アントニーノ・シラグーザ テノール・リサイタル

 
2013年7月10日(水)19時開演
 
東京オペラシティコンサートホール

◆プログラム◆
トスティ: 理想 / 暁は光から闇をへだて
エマヌエル・カーリ : シチリアの朝の歌
デ・クルティス : 泣かないお前
ダンニバーレ : 太陽の土地
ビクシオ : マリウ、愛の言葉を
ララ : グラナダ
-休憩-
ドニゼッティ : 《愛の妙薬》~“人知れぬ涙”
プッチーニ : 《ジャンニ・スキッキ》~“フィレンツェは花咲く木のように”
ヴェルディ : 《ラ・トラヴィアータ》~“燃える心を”
フロトウ : 《マルタ》~“夢のごとく”
グノー : 《ロメオとジュリエット》~“ああ、太陽よ昇れ”
ドニゼッティ : 《連隊の娘》 ~ “ああ友よ、なんと楽しい日!”
-アンコール-
クルティス : わすれな草
ロッシーニ : 《セビリアの理髪師》~“私の名前を知りたければ”
ヴェルディ : 《リゴレット》~“女心の歌”
ディ・カプア : オ・ソレ・ミオ

ピアノ:浅野 菜生子
主催:東京プロムジカ

いや~素晴らしい公演でした。こんな超一流の歌手が毎年のように日本でリサイタルをやってくれるなんて・・・。定番の曲も、初めて聞く曲も、どれも素晴らしかったです。客席も盛り上がってました。シラグーザ比で過去最高に盛り上がっていたカモ。
ずっと一緒に来日していたピアニストのバッラリンさんが数か月前に亡くなられ、今日の公演はバッラリンさんに捧げられた公演でした。浅野さんのピアノも実に美しい響きでした。
テレビの収録が入っていたので、そのうち放送するかもしれません。ウチはテレビ見られませんが・・・。

2013年7月 9日 (火)

つれづれ

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●開演5分前を知らせるブザーの音は、
クイズで不正解だったときの音と同じ。
最初に考えた人は、なぜそれを開演の音に選んだのだろう・・・。
柝の音なんて実に粋で綺麗で風情があるのにねえ。

●9月7日、府中の森芸術劇場で、カウンターテナー・藤木大地さんのコンサートがあるようです。ロッシーニ作曲《タンクレディ》のアリアも歌うそうです!しかも1,500円!

公演情報

この日は藤原歌劇団の《ラ・トラヴィアータ》を見に行くので、残念ながら私は行けないのですが(悔しい)。
カウンターテナーの声って、生ではあまり聞いたことがないなあ・・・。

●片岡孝太郎さんのブログを読んでいると、よく顔写真が載っていますが、たまに「お父さんそっくりの顔だなあ」と思うことがあります。目のあたりが。
ところで、なぜ孝太郎さんは、ムダ毛処理の写真とか、何か食べている最中の写真とか、普通だったら隠しておくものを掲載してしまうのかしらん。そのあたりの心理が分からないんですよねえ。


2013年7月 8日 (月)

受胎告知の左天使

わたくし、昨年9月にイタリア旅行に行ってきたのです。
(イタリア旅行の話はまだ続きますよ、ええ)
ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマの3都市。
超有名な絵画をたくさん拝見しました。
「聖母子」と「受胎告知」の絵が本当に多かった。
「最後の審判」は少なかった。と言うよりも、ほとんどなかった。意外なことに。
システィーナ礼拝堂のミケランジェロ、サン・マルコ美術館のフラ・アンジェリコくらいでしたかねえ。(すでに記憶が曖昧に)
フラ・アンジェリコの「最後の審判」はとても面白い絵でしたよ。
でも人々が欲しがるのは「聖母子」とか「受胎告知」なのでしょう。

「受胎告知」は何十枚か見ましたねえ。
もちろんレオナルド・ダ・ヴィンチ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェッリ・・・。フフフ。
大天使ガブリエルが、マリア様に受胎のアナウンスをするわけですが、
ガブリエルは向かって左側、マリアは右側に描かれている絵ばかりでした。
私が見た限り、逆の構図は1枚だけ、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「受胎告知」はマリアが左側でした。
これには何か意味があるのだろうかと思っていたのですが、購入したまま読んでいなかった「BURUTAS」2007年4月15日号「西洋美術を100%楽しむ方法。」に答えが書かれていました。

キリスト教聖堂の壁画や祭壇画は、民衆に聖職者がキリストの教えを説くための絵物語でもあった。天使が語りかけた言葉をアルファベットで表すとしたら、当然、左から書くことになるだろう。マリアは御言葉あるいは聖霊によって耳から受胎したと考えられていたのである。(中略)「恵まれた女よ、おめでとう。主があなたとともにおられます」
 
(中略)だが16世紀以降になると、左右の決まりがなくなってくる。エル・グレコの作品に見られるように、この神秘劇をいかにドラマティックに伝えるかが重要になっていったのではなかろうか。
 
なるほど~。つまりヴェネツィア、フィレンツェ、ローマの「受胎告知」は、新しくないわけなんですね。


2013年7月 7日 (日)

観世定期能

観世の定期能を見てきました~。

能「景清」松門之出 小返 片山幽雪
狂言「太刀奪」大藏吉次郎
能「半蔀」関根知孝
仕舞「高砂」木月孚行
仕舞「通盛」上田公威
仕舞「桜川」クセ 野村四郎
仕舞「阿漕」片山九郎右衛門
能「鵺」武田尚浩

能3番は、どれも視覚的に暗い作品で、
「景清」は盲目で暗く、
「半蔀」はたそがれで暗く、
「鵺」はとにかく暗い。
そうした中で、夕顔の白さがぼんやりと、でも鮮烈に、記憶に残る公演でした。

この3番の主人公たちは、結局、成仏したのでしょうか?
判然としないけれど、成仏していない気がする。
夕顔はきっと待っている。ふたたび源氏に会える日を。
いつか弥勒菩薩に出会える日が来るみたいに、源氏にふたたび出会える日も来るのじゃないかと思っている。
景清の場合は、どうでしょう。
社会から外れる道は、幾通りかありますが、景清は仏門に入ったわけではないようだ。成仏できるでしょうか?
鵺は絶対に成仏していなさそう。

それはともかくとして、景清と夕顔は、人生の中で、最も輝いていた瞬間があった。鵺にはなかった。景清と夕顔は、それがあるからいいんじゃないですか。鵺は何も持っていない。

悲しいことがあっても輝きを失わぬダイアモンドを人は持っていなければ。

ところで~、
能も、作品の組み合わせ方によって、単独で上演したのでは出せない深い味わいが生じると思う。昔は5番で組んでいたわけですよね。現在でも、たまに式能を上演しますが、もっと本格的に江戸時代そのままの上演形態を復活させるような公演があってもいいのに、と思う。
歌舞伎ではずいぶん、そういう公演が行われています。金丸座、八千代座に行くと、江戸時代の芝居小屋はこんなふうだったのかなあと思いますし、平成中村座、シアターコクーンのような体験もありました。
能は、そういうことをやらないですね。
照明も、昔と全然違う雰囲気ですし。なぜ野外っぽい照明とか朝日っぽい照明とか夕方っぽい照明とか作らないのでしょう、やれば出来る時代なのに。

まあ、能5番・狂言4番の野外公演なんて、現代の客には耐えられないのかもしれない。
私は1度ぜひ体験してみたいけれど・・・。

2013年7月 6日 (土)

四谷怪談の最初の休憩で

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四谷怪談の最初の休憩で聞こえてきた会話

「何だか、お岩よりお袖のほうが活躍してるね。お袖のほうが主役みたい。」
「あれって、まだお岩になってないんじゃない?」
「えっ?そうなの?」
「このあとの場面で、毒を飲むところがあってさ、・・・」

・・・・・・。 ( ´,_ゝ`)

6歌右衛門の墓

今年の4月2日、6歌右衛門のお墓参りに行って来たんです。本当は命日の3月31日に行こうと思ったのですが、命日にはご親類の方がいらっしゃるでしょうし、歌舞伎座の新開場初日に行くのもいいかなと思い・・・。

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↑ 6歌右衛門に似つかわしい、美しい花の雨。

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↑ 芸名ではなく本名で。
クマがお好きだったので、クマの彫刻のある花活けが。

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↑ お墓の入り口には、お犬様の像が。
(犬のオマージュ)

オペラのブレス

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 これは私の個人的な考えですが、オペラのブレス(息継ぎ)は、口でするものだと思います。鼻でブレスしないでいただきたいのです。歌い出しでも曲の途中でも、全てのブレスにおいて、です。最近、立て続けに4~5人ほど、若い(?)オペラ歌手が鼻で音を立てながらブレスをするのを目撃し、ちょっとショックでした。口でするブレスの音は演技の一部になりますが、鼻でするブレスの音は色気がない単なる雑音です。ぜひおやめください。

 

2013年7月 4日 (木)

オマージュ野郎

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今日もサントリーホール・ブルーローズに行ってきました。
ヴェルディ特集のJOFウィークです。
大ホールのほうではオーケストラのコンサートがあったので、入場するときに器楽系コンサートのちらしをもらいました。(最近ではフライヤーって呼ぶんですか?ちらしだと駄目なの?)
オケのコンサートは相変わらず盛況のようで、すごい分厚いちらしの束でした。(オペラのちらしはどんどん薄くなっていくのに)
その中に、「ベートーヴェンへのオマージュ」というキャッチコピーが書かれたちらしを発見。

ベートーヴェンへのオマージュ。
黒澤明へのオマージュ。
ピカソへのオマージュ。

オマージュ。
オマージュ?
よく聞く言葉ではありますが、今ひとつピンと来ない。
尊敬、敬意、献呈?

ふと、「供養」という訳がピッタリなのではないかと思った。

ベートーヴェンへの供養。
黒澤明への供養。
ピカソへの供養。

花のオマージュ。
鐘のオマージュ。

ほら、やっぱりピッタリ。(?)


2013年7月 3日 (水)

能「半蔀」あれこれ

詞章の中に「立花供養〔りっかくよう〕」という言葉が出てきます。

◎立花供養
 
・花の供養。花を立てて、花に回向する。(中央公論社『解註・謡曲全集』より)
 
・切り取られた花々のために花を生けて、供養を行う仏事。(小学館『日本古典文学全集』謡曲集より)

供養とは、亡くなった人に何かを捧げることでしょう。花を捧げてもいいし、おはぎを捧げてもいいし、感謝や祈りの言葉を捧げてもいい。また昔から、人間以外の供養も行われています。包丁供養、針供養、人形供養など。使い終わった物、寿命が尽きて使えなくなった物を弔う。それから最近ではペット供養なども行われますね。ふぐ供養なんていうのも聞いたことがあります。
今は亡き魂に何かを捧げる・・・花の供養でも、鐘の供養でも、日本人なら理解できるでしょう。花にも心があり、鐘にも魂がございます。花の供養に花を捧げ、鐘の供養に鐘を捧げて。

さて、ここで疑問なのですが、花を捧げることは花の供養になるものでしょうかね?
仏に供えるために摘み取られた花たちは、それゆえに命を縮めたわけですよね。だからこそ僧は供養しようと思ったのですよね。再び花を捧げたら、その花までも命を縮めてしまうでしょう。花は嬉しいでしょうか。

花はなんのために美しいのだろう。
仏を喜ばすためだろうか。
人を喜ばすためだろうか。
それは人間の思い上がりという気がする。

しかし、摘まれる花の立場になって考えてみると、せっかく美しく咲いたなら、誰かに喜ばれたい。見てほしい。そのために咲いたのではないのか。そのための命ではないのか。生きている長さではなく、喜ばれた強さで命を計りたい。

・・・などと考えながら「半蔀」の詞章を読み進めますと、突然「折りてこそ」と出てくる。

折りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見えし 花の夕顔
 
この和歌は、『源氏物語』四帖の「夕顔」で、光源氏が夕顔にあてて詠んだ歌を、少し変形させている。

『源氏物語』では、

寄りてこそ それかとも見め たそがれに ほのぼの見つる 花の夕顔
 
となっている。「寄りてこそ」を、わざわざ「折りてこそ」に変えているインパクトがすごい。
思えば夕顔も、光源氏に出会わなければ、命を落とすこともなかった。あまり幸せではなかったかもしれないけれど、もっと長く生きていられたでしょう。
源氏に出会わないほうが良かったのか。出会わずに長く生きたかったのか。
それは、本人でなければ分からない。
ただ言えることは、
「幸せだけ」とか、
「不幸だけ」とか、
どちらか片方だけということは、ありえないと思う。

それで、夕顔本人はどう思っていたのかと言うと、

そぞろに濡るる袂かな。なほそれよりも忘れぬは、(中略)契りの程のうれしさ。
 
と詞章にあるところから推察するに、不幸よりも、幸せのほうが勝っていたのではないでしょうか。どちらも、あまりに激しかったけれど。

◎「半蔀」に出てくる和歌
手に取れば たぶさに汚
〔けが〕る 立てながら 三世〔みよ〕の仏に 花奉る
 
・たぶさ=手首
・三世=過去・現在・未来

摘むとなぜ花が汚れるのかと言うと、花の命を縮めてしまうからでしょう。その人間の罪によって、花まで汚れると言うのでしょう。けれども、そうと知っていながら、あえて仏に花を捧げよう。という和歌だと思います。

「ふしぎやな今までは、草花
〔そうか〕りよはうとして見えつる中〔なか〕に、白き花の己〔おのれ〕独り笑〔えみ〕の眉を開けたるは、いかなる花を立てけるぞ。」
 
僧が今までなぜ夕顔の花に気づかなかったのかと言うと、「まだ咲いていなかったから」だと思います。夕方になって、咲いて気がついた。

朝顔は朝だけ咲くのか?
夕顔は夕方だけ咲くのか?
という点については少しく疑問が残りますが、夕顔なのだから夕方だけ咲くのでしょう。夜になったら何も見えなくなってしまいますが、夕方なら、まだ見える。黒っぽいものはもう見えないけれど、白っぽいものは、ぼんやり見える。ほのぼの見える。他のものは見えなくなっていき、白い夕顔が残る。

花の命が取り持つ縁ですね。


2013年7月 2日 (火)

出産していた

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ウチ、テレビ見られないんです。地デジ移行のあと、2年くらいほとんどテレビ見てない。新聞も取っていない。ニュースはYahoo!のトピックスで知る。Yahoo!のトピックスしか窓がないっていうのもどうかと思いますが・・・。
ほんの数件しかないトピックスのうち、1~2件は必ず芸能ネタで、誰と誰が結婚したとか、離婚したとか、出産したとか。知らない人と知らない人が結婚しても知らないですよねえ。

突然「安藤美姫4月に出産していた」というニュースが!
私でも知っているような有名人が、知らないあいだに出産なんてことが、あるものなんですね。マスコミが常にネタを探している現代社会で、そんなことが可能なんですね・・・。

【ノルマ 出産していた】
【重の井 出産していた】

そのくらいは、簡単に起こりうるなあと思ったことでした。

 

2013年7月 1日 (月)

新宿区民オペラ《ドン・カルロ》

今年の新宿区民オペラは、《ドン・カルロ》だそうです。
新宿区民オペラ《ドン・カルロ》

新宿区民オペラの公式サイトは古いままで、他のところで情報が出る不思議・・・。

私は首都オペラの《ハムレット》に行ってしまうので、新宿区民オペラには行けないんですけどね。(日程がバッチリかぶっている)

よもやま

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◎今、六本木のFUJIFILM SQUEAREというところで、「土門拳の古寺巡礼」写真展をやっています。国立新美術館に行った帰りに、たまたま通りかかり、フラッと入ってみたのですが、写真が美しい~。さすが富士フイルムが主催するだけはある素晴らしいプリント。写真が輝いている。
会場で写真集が販売されていて、今回の展示と同じ作品も収録されているのですが、印刷とプリントでは全然違いますね。(でも写真集も買ってしまいましたが)
入場無料ですし、新美のついでにでも是非ご覧ください。(7月10日まで)

【あの写真1枚ほしいよ】

◎現在発売中の『芸術新潮』の特集が「シャガールと巡る旅」。シャガールのステンドグラスがたくさん紹介されています。う、美しい、あまりに美しい。うう~ん、わたしのためにあるような本ではありませんか。
シャガールのステンドグラスを訪ねて旅をしたいなあ!

【ところで何故シャガール展は東京に来ないのか・・・】

◎JOF WEEKの1日目に行ってきました!
ジョフ・ウィーク?
ジェイ・オー・エフ・ウィーク??
正解はジェイ・オー・エフ・ウィークみたいでした。(司会の人が言っていた)
読めない言葉は口にしない、ので話題にならないJOF WEEK。
なぜ藤原歌劇団という看板を使わずにJOFなのだろう・・・。
ある時は藤原歌劇団、ある時は日本オペラ協会、ある時は日本オペラ振興会、ある時はJOF、そんなにたくさん覚えられないと思いますけどねえ。
佐藤美枝子さんのジルダがもう~~素晴らしかったです。まさしくベルカント!
その他も、なかなか楽しい公演でした。
私は4公演行きます。

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