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2013年9月

2013年9月28日 (土)

能「大会」あれこれ

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この間、観世の定期能で、「松風」と「鵜飼〔うがい〕」が上演されたんです。
「鵜飼」は、あんな殺生などしなければよかったのに、という内容。
しかし一方、「松風」の姉妹は、そのような殺生はしておらず、慎ましい暮らしをしていたのにも関わらず、別の理由で成仏できない。
成仏するのって大変だなあと思ったことでした。

今月の定期能では、「通小町
〔かよいこまち〕」「遊行柳〔ゆぎょうやなぎ〕」「大会〔だいえ〕」が上演されました。
仏教のいろいろな形態を3つの作品で楽しむことができました。

「遊行柳」は、浄土系の仏教。
「南無阿弥陀仏」と称えれば成仏できます、という考えが浄土門ですけれども、それでは一体いつ成仏できるのか?これは非常に重要な問題である。
浄土宗、浄土真宗では、死ぬときに成仏できると言う。
成仏とは、端的に言えば、「もう苦しまなくて良くなった」という状態であると思う。
「死んだらもう苦しまなくていいなんて、当たり前なのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そうとは限らない。
強い恨みとか、悲しみ、後悔、心配、苦痛、この子を残してまだ死ねない、などマイナスの想念に凝り固まったまま死ぬと、極楽へは行けません。
能の登場人物は、成仏していないから現れてしまうのですし・・・。
浄土宗、浄土真宗では、死ぬときに阿弥陀如来がお迎えに来てくださることになっていまして、それを絵画化したのが「来迎図
〔らいごうず〕」「山越阿弥陀図〔やまごえあみだず〕」です。
ところが時宗では、「南無阿弥陀仏」と称えた瞬間に成仏できると言う。なぜなら、それは遠い昔にすでに決まっていることだから。
「全員が成仏しなければ、私も成仏しない」と誓った阿弥陀様が、とっくの昔に成仏しているのだから、私たちもすでに成仏しているのである。【決定往生】

それは考え方としてはすごいなあと思いますけれど、私など煩悩が強くて、「南無阿弥陀仏」と称えたくらいではなかなか成仏できません。
例えば私はよく芝居を見に行くのですが、隣に座っている人が気持ちの悪い人である確率が異常に高くて、もうグロッキー。右隣か、左隣か、両方か、たいてい誰かしら駄目なんです。駄目。

 
◎隣の席に座りたくないタイプ
 
・喋る人(←これは直接注意します)
 
・ガムを噛む人
 
・メモを取る人
 
・鼻をすする人(与太郎)
 
・雑音を発する人(ビニール袋をガサガサさせたり、紙をペラペラさせたり等)
 
・じっと座っていられない人(モジモジさん)
 
・靴を脱ぐ人
 
・足を組む人(組み方にもよる)
 
・ずっと扇子であおぎ続ける人

ちょっと項目が多すぎですか。私は神経が細いもので、隣に変な人が来ると神経衰弱になってしまいます。本当に。
まあ隣の人も私のことを気持ち悪いと思っているのかもしれませんが、何が言いたいのかというと、「不快な状況を消去することは簡単ではない」ということなんです。
何度「南無阿弥陀仏」と称えても、煩悩は消えてくれません。(これを「煩悩は家の犬」と言う)
そんなに簡単に消えませんよ。
素晴らしい舞台を見ていると、こんな夢の瞬間に巡り合うなんて幸運すぎる、何てすごいのだろうという極楽気分を味わうのですが、そのすぐ隣に地獄。
電車に乗っていても、ああ、この人のそばにいるの嫌だなとか、この人の隣に座ってるの嫌だなとか、しょっちゅう思いますね。しょっちゅう。
※私の実感としては、「南無阿弥陀仏」よりも、「念彼観音力〔ねんぴかんのんりき〕」のほうがパワーのある言葉なのではないかと感じます。

嫌なことって、いっぱいあるものですよ。
病気、怪我、災害、不況、人はあっと言う間に不幸になってしまう。
あっと言う間に幸福になることは、まずありません。

このブログでは浄土系の話ばかりしているので、私自身も浄土門なのではないかと思われているかもしれませんが、私は特定の宗派に入れ込むということはしていません。
そして、どちらかと言えば、他力よりも自力のほうを好みます。
と言うよりも、仏教は自力に決まっています。
助けてください、助けてください、とお願いするばかりが宗教ではありません。
自分も誰かを助ける側になるよう精進すること、何かの役に立つよう自分を高めていくことが信仰だと私は思っています。
「やりたいからやっちゃいました」「やりたくないからやりませんでした」みたいなのは嫌なんですね。いえ、やってしまうこともありますけれどね。
仏の慈悲のどこまでも深いのにすがってズルズルと自分の価値を減じてしまうなんて、全く愚かしいことではありませんか。

「聖母像の前で?」「いいのよ、優しい方だから」
「教会の中ですぞ」「許してくださるわ、私の涙をご存じなのだから」
 
→トスカはお馬鹿さん

「神様、私に力をお貸しください」
 
→ヴィオレッタは美しい人

「天は自ら助くる者を助く」-サミュエル・スマイルズ

おっと、仏教の話であった。
さて、仏教にはたくさんの経典が存在しますが、「諸経の王」と言われるのが法華経です。古来、日本では法華経が重んじられてきました。
それはなぜかと言えば、主だったお経が出揃った後に、それらをまとめ上げたという側面があるからだと思います。

『法華経』は、決して仏教の哲学的理論書ではなく、一種の「宗教文学作品」というべきものである。三車火宅
〔さんしゃかたく〕、長者窮子〔ちょうじゃぐうじ〕、良医病子〔ろういびょうし〕(治子〔じし〕)の比喩〔ひゆ〕など古来有名な七つの比喩が説かれ、人々に親しまれてきた。また、宇宙的スケールの壮大なストーリーが展開する。『法華経』の冒頭の序品〔じょほん〕では、釈尊が眉間からいきなり光を発射し、その光は東方の一万八千という多くの世界を明々と照らす。『法華経』を聴きに集まってきた者たちは、自分たちの眼前にそれらの世界の有様をつぶさに見ることができるのである。見宝塔品〔けんほうとうほん〕では、巨大な宝塔が大地から涌出〔ゆじゅつ〕し、空中にとどまる。その宝塔のなかから、釈尊の説いた『法華経』はすべて真実であるという声が聞こえてくる。声の主は、過去仏(釈尊以前に存在した仏)の多宝如来であるが、多宝如来の姿を拝見したいという聴衆の願いをかなえるために、釈尊は自分の作り出した大宇宙に散らばるすべての分身仏〔ふんじんぶつ〕(仏が神通力によって作り出した仏)を娑婆〔しゃば〕(サハー)世界に集合させる。そのために、釈尊は穢土〔えど〕である娑婆世界を仏が住むのにふさわしい浄土に転換させる。さらに、従地涌出品〔じゅうじゆじゅつほん〕では、釈尊滅後に『法華経』の担い手となる膨大な数の地涌〔じゆ〕の菩薩〔ぼさつ〕が大地を割って出現する。このように我々の度肝を抜くドラマがめくるめくように展開するのである。膨大な経典のなかで、『法華経』がもっともドラマティックな経典であり、そこに深い宗教思想が込められていることは誰もが認めてきたのである。
 
◇◇◇
このように、『法華経』は、釈尊の生涯の重大事件を下敷きに構想されたものであり、その点で他の大乗経典が多くの場合、釈尊以外の新しい仏・菩薩を創作し、それらによる衆生救済をテーマとするのとまったく異なっている。『法華経』はあくまで歴史的人物である釈尊に即して永遠の生命をもつ釈尊を構想し、その釈尊による救済をテーマとするのである。
また、釈尊を中心とするという『法華経』のねらいは、見宝塔品
〔けんほうとうほん〕第十一の三変土田〔さんぺんどでん〕(三度にわたって穢土〔えど〕である娑婆〔しゃば〕世界を浄化し、大宇宙に散らばっている諸仏を呼び集めること)に見られる諸仏の空間的統一、如来寿量品の久遠〔くおん〕の成仏(釈尊がはるかな過去に成仏したと説く)に見られる時間的統一にはっきりと見てとることができる。(中略)また、諸仏そのものの統一ばかりでなく、方便品の一仏乗の思想には諸仏の教えの統一を見て取ることができる。要するに、『法華経』は諸仏と諸仏の教えを統一、統合するというねらいを明確にもっていたと考えられる。
しかし、『法華経』は哲学的な論理書ではないので、これらの思想をいわば演劇的に表現しているといえる。
『法華経入門』菅野博史:著(岩波新書)より

こう読みますと、自分もぜひその場に立ち会ってみたかった、と思わずにいられません。
その夢をかりそめに叶えてくれるのが、能「大会」であるわけです(天狗の作り出した嘘っこ大会だけれど)。このスペクタクルを表現しうるのは、絶対に能というジャンルしかありえないと思う。

私は能「大会」を見たわけですが、想像を絶する舞台展開にのけぞった。どのような舞台であったかは、文字では説明できないので、実際に見ていただくしかない。

山種

このブログ、デフォルトの文字が小さいし、フォントも風変りで読みにくいなと思って、デザインを変えてみました。(始めた当初はこんなフォントじゃなかったと思うのですが・・・)
そうしたら、過去の記事の改行とか文字の大きさとかがグチャグチャになって、もう萎え萎えです。(よく「もうやめようかな」と思うんですよね・・・)

山種美術館で開催中の「速水御舟〔はやみ・ぎょしゅう〕展」に行ってきました。
私が好きな画家を1人だけ挙げるとすると、速水御舟がいいですね。
こんな絵がウチに1枚あったなら、もうずっと幸せなのに。
数年前に平塚市美術館でやった御舟展も素晴らしかった。でも、その展示の絵は、いろいろな所から集めてきたもので、その後なかなか見るチャンスがない。
山種美術館所蔵の御舟は、九段下から恵比寿に移転した時の再開場記念でも見ましたし、数年ごとに見られるのが嬉しいですね。
しかも山種美術館の場合、展示ケースのガラスから作品までの距離が近くて、作品を存分に堪能することができる最高の展示なのです。(東博にも少しは見習ってほしいですね)

結構混んでました。これだけ美しいのだから仕方がありません。
しかし今日は、20人くらいの団体客を引き連れて作品の解説をして歩くガイドがいて、狭い展示室が人でウジャウジャでした。これは残念でした。
海外の美術館では、作品の解説をする人をよく見かけます。メトロポリタン美術館みたいな広い美術館なら、先に別の部屋の絵を見てこよう・・・と工夫できますが、日本の狭い美術館でこれをやられると、もう最悪ですね。
通路は通れなくなるし、うるさいし、もう最悪。
こんな団体が増えたら、もう美術館行かないです~~。

1階のカフェで、作品にちなんだ創作和菓子を出している。
1人で行ったので入りませんでしたが、食べてみたかったな~。

2013年9月26日 (木)

武蔵坊弁慶之墓

中尊寺前のバス停の近くに、武蔵坊弁慶の墓がありました。

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↑ 実は、この写真に写っている墓碑の近くに五輪の塔があり、そちらのほうが重要だったみたいなのですが、私は気づかずに、こちらの墓碑だけ拝んできてしまいました・・・。
まあ、中尊寺には、また行きたいなと思います。

染五郎さんの勧進帳の弁慶が早く見られますようにとお祈りしてきました。

↓ 中尊寺の近くの平泉文化史館という建物の前にあった看板

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これは~~、どう考えても弁慶本人が詠んだ歌ではありませんよねえ。
弁慶に成り代わって、弁慶の辞世を考えた人がいたわけなんですよね。

「義経千本桜」に出てくる安徳天皇の辞世「今ぞ知る」の歌も、のちの時代に、別の誰かが考えたわけですよね。この歌を考え出した人は本当に天才だと思う。

私は前から不思議なのですが、6歌右衛門は、なぜ辞世を残さなかったのだろう。絶対に詠むと思っていた。
自分の芸格に相応しい辞世が思い浮かばなかったのだろうか。
いつか「歌右衛門に成り代わって歌右衛門の辞世を詠む会」というのを主催したいと思う(嘘)

2013年9月25日 (水)

毛越寺

先日、平泉に行ってきたのですが、金色堂〔こんじきどう〕で有名な中尊寺と並んで、観光名所となっているのが毛越寺〔もうつうじ〕。
元は〔もうおつじ〕と言っていたらしいですが・・・。

非常に大きな浄土庭園がありました。
平安時代に書かれた日本最古の作庭書に基づいて造られているそうです。
※浄土庭園〔じょうどていえん〕・・・浄土を現世で表現した庭園。

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↑ これは~~、池に船が浮いている!!
源氏絵に出てくるような船。
こういう船の上で、管弦の遊びがあったんですよねえ。
何だか自分が平安貴族にでもなった気分。
こういうシチュエーションで雅楽を聞いてみたいなあ。

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「吾朝無双」って、すごいですね。
中尊寺をしのぐ豪華さだったらしいです。
金ピカだったのだろうか・・・。
現代まで残っていたら、最強の観光名所となっただろうに・・・。
ぜひ見てみたかった。
しかし、火災で全て焼失というのも、無常を感じさせて切ない。
何よりも仏教を感じるスポットでした。
そこに立っていると、無常の風を感じるんです。

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この庭園の遣水〔やりみず〕で「曲水の宴〔ごくすいのえん〕」が行われるそうです。
やっているところが、現代でも存在するんですね~。
盃が流れてくるまでに和歌を詠む・・・。
私には無理っぽいけれど・・・。
(内緒で事前に用意しておけばOK!)

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↑ って言うか、意外と短い遣水だったんですけど、こんなんで本当に歌を詠めるのだろうか・・・。
(事前に用意しておけばOK!)

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↑ 現在も「延年の舞」をやっているところがあるんですね~。
ああ、見てみたいですねえ。
(民俗芸能にはハマらないようにご用心!)

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↑ 萩が満開でした。

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2013年9月24日 (火)

マクベス

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公演の予習には使わないようにしているマリア・カラスの録音。
公演が終わったので、《マクベス》のCDを聞いてみました。
ずっと前から持っていたのですが、あまり聞いたことがなかった。
最初のアリアくらいかな?

初期ヴェルディ作品の再評価につながった公演だけあって、すごいですね。
カラスの声の威力。
夢遊の場の最後のピアニッシモも相当すごい。
録音状態はあまり良くありませんが・・・。
スカラ座の合唱はオーケストラとズレズレですが・・・。


それで~、先日、オペラ彩の公演にバレエシーンの演奏があったと書きましたが、まあ確かにあったんですけれども、本当はもっと長いものなんですね。よく知らないのに書いてしまって、すみません。

◎オペラ彩《マクベス》備忘録

第3幕で、マクベスが気を失ったあとの短いバレエシーンは上演された。
第3幕で、マクベスが登場する前の長いバレエシーンは上演されなかった。

第1幕のマクベス夫人のアリアは、カバレッタの繰り返しはなかった。
※私の好みでは、このカバレッタは繰り返さないほうが好きです。
繰り返す意味が分からない。


出口さんは、手紙を読むとき、ほとんど手紙を見ていなかった。
※私の考えでは、マクベス夫人がこの手紙を読むのは1回目か2回目なのであり、文面を暗記するほど繰り返し手紙を読んでいることはないと思う。ヴィオレッタがジェルモンからの手紙を読む場面とは違うと思う。


◇◇◇

万歳、マクベス、グラームスの領主!①現在の地位
万歳、マクベス、コーダーの領主!②直後に実現する地位
万歳、マクベス、王になるお方!③将来の地位

マクベスは、②が実現したことによって、③を望む。
②が起こらなかったら、③を望まなかったでしょう。

マクベス夫人は、王が今夜やってくるという知らせによって、③を確信する。
マクベス夫人にとって、伝令の言葉は②に相当するのではないでしょうか。

この②に対するリアクションが、まず第一の演劇的な見せ場になるのでしょうね。



シェイクスピアと私

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ヴィオレッタとマクベス夫人を両方とも歌ったソプラノと言えば、もうすぐアンナ・ネトレブコもその仲間入りをするんですね~。(あまり意外性がない)

今まで、自分はシェイクスピアにどれくらい接してきたのかな~と振り返ってみますと・・・。

日本語上演の舞台を見た
●タイタス・アンドロニカス(吉田鋼太郎)
●マクベス(唐沢寿明、大竹しのぶ)
●じゃじゃ馬馴らし(市川亀治郎、筧利夫)

映画を見た
●ロミオとジュリエット(フランコ・ゼッフィレッリ監督)DVDで
●じゃじゃ馬ならし(フランコ・ゼッフィレッリ監督)DVDで
●タイタス・アンドロニカス(ジュリー・テイモア監督)映画館で

日本語上演の舞台の映像を見た
●ハムレット(真田広之、松たか子)
●オセロー(松本幸四郎、黒木瞳、木場勝己)
※テレビで放送されたもの

歌舞伎化された舞台を見た
●ハムレット(市川染五郎)『葉武列土倭錦絵
(はむれっとやまとにしきえ)
●十二夜(尾上菊之助)『NINAGAWA 十二夜』

文楽化された舞台を見た
●テンペスト『天変斯止嵐后晴
(てんぺすとあらしのちはれ)

オペラ化された舞台を見た
●マクベス(ヴェルディ作曲《マクベス》)
●ハムレット(トマ作曲《アムレ》)
●ロミオとジュリエット(ベッリーニ作曲《カプレーティとモンテッキ》)
●オセロー(ロッシーニ作曲《オテッロ》、ヴェルディ作曲《オテッロ》)
●ウィンザーの陽気な女房たち(ヴェルディ作曲《ファルスタッフ》)
※んん~~、シェイクスピアが原作なわけじゃない作品も若干混じっている気が・・・。
グノー作曲の《ロメオとジュリエット》は映像と、ピアノ伴奏抜粋上演でしか見たことがないかな~。

日本語訳の戯曲を読んだ
●ロミオとジュリエット
●オセロー
●マクベス

シェイクスピアって、有名なわりに意外と上演されないんですよね~。最も有名な「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「オセロー」でさえ、数年に1回しか上演されない。
シェイクスピア原作のオペラのほうが、まだ上演頻度が高いかも・・・。
歌舞伎の「勧進帳」なんて毎年必ず上演されるのにね。
ロンドンでは毎年「ハムレット」を上演していたり?

片岡孝夫さんの「ハムレット」は、ぜひ見てみたかった・・・。
坂東玉三郎さんのマクベス夫人は、夢遊の場の一部を映像で見たことがありますが、全部放送してほしい・・・。

2013年9月23日 (月)

オペラ彩《マクベス》2日目

オペラ彩設立30年記念公演
ヴェルディ作曲《マクベス》

2013年9月23日(月・祝)14時開演
和光市民文化センター サンアゼリア(大ホール)

指揮:ヴィート・クレメンテ
演出:直井 研二
プロデュ―サー:和田 タカ子

マクベス:三塚 至
マクベス夫人:出口 正子
マクダフ:秋谷 直之
バンコー:大澤 建
マルコム:石塚 幹信
マクベス夫人の侍女:河野 めぐみ
医者:森田 学

オーケストラ:アンサンブル彩
合唱:オペラ彩合唱団/SAI-コーラス ジャパン/東邦音楽大学有志 他

主催・制作:特定非営利活動法人オペラ彩
共催:公益財団法人和光市文化振興公社

すごかったです~、出口さんのマクベス夫人。これは本当に聞きものでした。
私がオペラを見始めた頃(平成9年~)、出口さんがマクベス夫人を歌う日が来るなんて、想像したことさえありませんでした。ヴィオレッタやルチアを歌う人だったから。

マリア・カラスはかつて、「私はヴィオレッタとマクベス夫人の両方を歌える唯一のソプラノ」と言っていました。
カラス以後、この両役を歌ったソプラノと言えば、レイラ・ゲンチャー、レナータ・スコット、マリア・グレギーナ、林康子が歌ったのは間違いない。
そして、確証はないけれどもおそらく、シルヴィア・シャシュ、マーラ・ザンピエーリは歌っているはず。
モンセラ・カバリエは、ヴィオレッタは歌っているけれど、マクベス夫人は歌っていないようです。第1幕のアリアを録音していて、それは実に見事な歌唱なのですが・・・。(歌えば歌えたはず)
レオンティン・プライスは、ヴィオレッタもマクベス夫人もアリアを録音していますが、舞台で歌った可能性は低い気がする。
(ところでヴィオレッタを歌ったことがある黒人歌手って存在するのでしょうか。私が知らないだけでしょうか?)
とにかく、わずかなソプラノしか歌っていないことは間違いないでしょう。

そして今日、出口正子さんが、その中の1人に加わったのでした。今だからこそ聞ける歌唱ですね。
キャラクターとしては、あまり向いていないように思うのですが、夢遊の場は別でした。もう、すごかった。本当にすごかった。
蚕が口から吐き出したばかりの1本の糸が光に当たってキラキラ輝いているみたいな、超極細のピアニッシモを長く長く引っ張ってみせたのでした。
3点変ニ音ですよ。超極細ピアニッシモですよ。客席にいた多くの高齢者には聞こえなかったかもしれない・・・(爆)
私は緊張のあまり気絶しそうになった。信じられない。鳥肌が立った。
このようなマクベス夫人のピアニッシモが舞台上に響くのはきっと古今東西空前絶後、2度とふたたび地上に姿を現すことはないでしょう。何か奇跡を見るような、超常現象に居合わせたような気分でした。
どうなってるんだろう、出口さんのピアニッシモ。他の人はできないの?
もちろん最後のピアニッシモ以外の部分も素晴らしかったです。夢遊の場は。こんなに面白い夢遊の場はない。

マクベス役の三塚さんは、武将らしさを感じさせるマクベスでしたね。魔女から「バーナムの森が動かぬ限りは」と聞いて喜ぶ演技も良かった。

マクダフ役の秋谷さんは豊かな声量で、重唱を盛り上げていました。

2日間どっぷり《マクベス》を堪能しました。キャストが変わると、ずいぶん雰囲気が変わるものですね(当たり前か!)

オペラ彩
〔さい〕も、30年前にスタートした時は200人ほどの客席数だったそうですが、こんなに立派な公演ができるまで成長して、おめでとうございます。御慶。

2013年9月22日 (日)

オペラ彩《マクベス》1日目

オペラ彩設立30年記念公演
ヴェルディ作曲《マクベス》

2013年9月22日(日)14時開演
和光市民文化センター サンアゼリア(大ホール)

指揮:ヴィート・クレメンテ
演出:直井 研二
プロデュ―サー:和田 タカ子

マクベス:須藤 慎吾
マクベス夫人:小林 厚子
マクダフ:田代 誠
バンコー:佐藤 泰弘
マルコム:布施 雅也
マクベス夫人の侍女:石川 紀子
医者:矢田部 一弘

オーケストラ:アンサンブル彩
合唱:オペラ彩合唱団/SAI-コーラス ジャパン/東邦音楽大学有志 他

主催・制作:特定非営利活動法人オペラ彩
共催:公益財団法人和光市文化振興公社

素晴らしい公演でした~~。素晴らしい~。

このブログでは何度も書いていますが、須藤慎吾さんは、最も演技力があるオペラ歌手だと思うんです。こんなに演技力があるオペラ歌手は他に思いつきません。(私が個人的にそう思っているだけですけど・・・)
この《マクベス》という作品は、マクベス役に須藤さんのような真に演技力のある歌手を得て初めてその真価を発揮する。(たとえば仮に演奏会形式で上演してもあまり面白くないでしょう)
宴の最中にバンコーの亡霊を見るところは、言ってみればマクベス狂乱の場ですが、サッと亡霊が消えて正気に戻る瞬間の表情の切り替えの見事さ、まさに名優と呼ぶに相応しい、ゾクゾクする名演でした。バンコーの亡霊は、うしろに下がっている幕に影を映すことによって表わされていましたが、その影を見なくても、須藤さんの顔を見ているだけで、亡霊が現れたこと、亡霊が消えたことがくっきり分かるのです。
それはテレビや映画用の写実的な演技ではなく、舞台用の別の演技。この舞台用の演技がちゃんと出来るところが、須藤さんの素晴らしさなのだと思っています。

『マリア・カラス-批評・思い出・記録』(新書館)より
カラス カメラの前での演技は劇場での演技、中でもオペラの演技とはまるで違います。舞台では手先や腕で大きいジェスチャーをして、遠くにいる観客、平土間の後ろの人とか、天井桟敷にいる人にもわかって貰えるように表現しなくてはなりません。特にオペラは歌いながら演技をするものですから、動きはもっと大きくならなくてはなりません。オペラという大きな表現に見あうだけの大きなものになるよう、誇張が必要なのです。
でも、役者は、舞台の上にいる大勢の人の一人に過ぎないことがあります。みんな、一斉にいろんな動作をしているのです。でも、役者は自分が目立つように演技しなくてはなりません。といっても、わざと観客の注意を引くように競争するってことじゃありません。おわかりね。全然違うのです。名優は、いるだけでわかります。ジェスチャーの風格や動作の見事さでね。違った身なりをする必要なんか、まるでないのです。観客には一目でわかります。それでも、遠い所にいるお客にもわかるように演技しなくてはなりません。
 
小林厚子さんもハマり役でした。声楽的に、1番あっている役なのではないでしょうか。特にマクベス夫人の前半の自信たっぷりな感じが素晴らしい。突き抜ける声の量感も特筆もの。

私が好きな指揮者は、
現役ですとネッロ・サンティ、リッカルド・シャイイ、
故人ですとヘルベルト・フォン・カラヤン、カルロス・クライバー、レナード・バーンスタインですかねえ。(←ベタすぎ)
指揮そのものに感動することって少ないです。やっぱり声を中心に聞いているんですかね。
しかし、ヴィート・クレメンテの指揮は好きですね。もう素晴らしい。(もっと世界的な名声を得てもいい人のはずだと思いますが、世の中どうなっているのやら・・・)
今日はオケの演奏にもたいへん感動しました。

何と珍しいことに(?)バレエシーンも上演されました。バレエダンサーは登場せず、合唱の方々が踊っていましたケド・・・。なかなか楽しい場面でした。女声合唱は大活躍でした。

休憩は途中1回20分。
オペラ発祥の地から最も遠い極東でひっそりと、こんなに素晴らしい《マクベス》が上演されるなんて、不思議なものですね。(明日も行く予定)

2013年9月21日 (土)

どこまで続く《椿姫》

VHSビデオテープを、
見て→捨てる
という作業をしているのですが、なかなか進まない・・・。

《椿姫》のビデオを何本か見た!
若きホセ・カレーラスのハンサムぶりがすごい。
このときファンになった人たちが、今も熱烈なファンなのだろうか。
レナータ・スコットの大仰な演技は、現代では目にすることがありませんね。

アンナ・モッフォのヴィオレッタの美人ぶりもすごい。
歴代のソプラノで美人と言えば、ヴィルジニア・ゼアーニやアンドレア・ロストなども思い浮かびますが、やはりモッフォは映画スターと言っても通用するほど最上級の美貌。美人の役を演じてオペラ・ファン以外の人々も納得させ得る貴重な存在。
フランコ・ボニゾッリの野郎、あのねのねみたいな顔してモッフォとキスしやがって、チッ。
あっ、下世話なことを書いてしまいました。すみません。

《椿姫》の字幕について、個人的な希望を言わせていただけば、
ヴィオレッタやジェルモンに何度も「犠牲」と言わせないでほしい。全部訳さなくてもいいでしょう。
重苦しい嫌な女に見えてきます。
きっとイタリア語で「サグリフィーツィオ」と言うのと日本語で「犠牲」と言うのでは、感覚が異なるのだろうと思う。
詞に適した言葉と適さない言葉ってありますでしょう。雅語を選ばなくては。イタリア語と日本語で異なるのです。
イタオペには「トンバ」という単語が頻出しますが、日本語の「墓」では詞になりにくい。
詞になりにくい単語をどうしても使う必要がある場合は、前後の関係を緻密に計算する必要があります。

「宗教は悩める者の慰め」よりも「信仰は悩める者の慰め」のほうが美しい。

映像につける字幕の場合、直訳で訳すのはやめてほしい。
CDについている対訳だったら、直訳でいいと思いますが・・・。

それから、合唱の歌詞は全て訳す必要はないと思うんです。
日本語として不自然に感じない程度に、間引いてしまうのが良いと思う。

あとは、イタオペの字幕は倒置が多くなりがちなのですが、最小限に抑えるべきだと思います。音楽と完全に同期させるのは無理ですし、その必要もない。本当に必要な箇所だけに絞るべき。

ゼッフィレッリ演出の《椿姫》は、映画版が出回っていますが、舞台版がないのはなぜなのでしょう。聞いた話では、映画を撮影したときに、ほぼ同じ演出をMETで上演し、その中継映像がNHKで放送されたことがあるとかないとか・・・。「ビデオ持ってませんか」と、ずいぶん多くの人に尋ねてみたのですが、誰も持っていない・・・。しょぼーん。

2013年9月20日 (金)

9月文楽公演「伊賀越道中双六」

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国立劇場にて9月文楽公演を見てきました~。
「伊賀越道中双六」の通し上演。
「沼津」の千本松原で、もう泣いて泣いて。
(先の展開が分かっているのに、こんなに泣ける自分が不思議)
住大夫さんの「沼津」が聞けた人々は仕合わせですね。

各座席に個別の字幕があって英語も出るようになればいいのに・・・。

白山神社能楽殿

平泉の中尊寺に行ってきました。境内に白山神社という鎮守があり、そこに能舞台がありました。嘉永6年(1853)に古格に則って再建されたものだそうです。

 

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↑演能の際には、舞台際の柵は取り除かれるようです

 

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↑茅葺きの屋根に草が生えている・・・

 

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↑見所はこんな感じ

 

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↑明治天皇がここで能をご覧になったこともあるそうです

 

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この能舞台では、現在でも能が上演されるそうです。シテ・ワキ・囃子・狂言方を、中尊寺の僧侶が勤めるそうな。
ああ~、
こんなところで能を見てみたい・・・。薪能もいいのですが、昼間の能を見てみたいんですよね~。きっと素敵だろうな~~。

 

若冲が来てくれましたに行ってきました

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福島県立美術館で開催中の「若冲が来てくれました-プライスコレクション江戸絵画の美と生命」を見てきました。
福島に行くのには、ちょっと(とても)抵抗があったのですが・・・。
でもプライスコレクションを見る貴重な機会なので仕方ない。
すいているだろうと思ったのが、とても混雑していました。(会期終了が近いせいですね)
静かにできない幼児を連れてきてしまう親御さんもいました。
しかし、美しい日本画を至近距離で見られて、素晴らしい展示でした。
並び直して何度も見てしまいました。
これまでにも、東博「皇室の名宝展」や、千葉市美術館「伊藤若冲アナザーワールド」など、若冲の絵はたくさん見てきましたが、今回が1番、絵までの距離が近かったかも。すごい迫力でした。あの展示ケースは最強ですね!東博にも少しは見習ってほしいですね!
あじさいと2羽の鶏を描いた若冲作品が本当に素晴らしくて、どれだけ見ていても飽きない。近づいても離れても美しい。鶏って、こんなに美しい鳥だったかしら。私は田舎育ちで鶏は身近に見ていましたが、こんなに美しい鶏には出会ったことがない。どうしてこんな絵を描けるのだろう。
若冲は字も綺麗。それは私、分かる気がします。

その他、円山応挙「赤壁図」「懸崖飛泉図屏風」「虎図」、中住道雲「松竹梅群鳥図」、葛蛇玉「雪中松に兎、梅に鴉図屏風」、酒井抱一「佐野渡図屏風」、鈴木其一「青桐・紅楓図」「柳に白鷺図屏風」、勝川春章「二美人図」などが印象的でした。

2013年9月16日 (月)

《椿姫》日本語訳詞上演

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ずいぶん前のことになってしまいましたが、7月に杉並区民オペラを見てきました。

杉並区民オペラ第9回公演
ヴェルディ作曲《椿姫》
(日本語上演・日本語字幕付き)

7月27日(土)17時30分開演
杉並公会堂(大ホール)

総監督:大久保眞
指揮:佐藤宏充
演出:森山太

ヴィオレッタ:津山恵
アルフレード:高田正人
ジェルモン:岡元敦司
フローラ:杣友恵子
アンニーナ:前坂美希
ガストン:山崎敏弥
ドゥフォール:井上白葉
ドビニー:清水一成
グレンヴィル:林正紀
ジュゼッペ:池田敦郎

合唱:杉並区民オペラ合唱団
児童合唱:杉並高井戸第四小学校合唱団
管弦楽:厚木交響楽団

日本語訳詞上演で、かつ、かなりカットが入っていました。
日本語だとどうなるのかな~というのが最大の関心事だったのですが、ジェルモンが「piangi, piangi」(ピアンジー、ピアンジー=お泣きなさい、お泣きなさい)と歌う箇所が「泣け、泣け♪」と歌われていて、いやあ「泣け」はないだろう、と思ってしまいました。しかし、音符の数の都合上、仕方がないのでした。(「泣け泣け」とは、「泣け泣け我が目」くらいでしか聞かない言葉)
字数に制限のない翻訳でも難しいのに、音符の数にぴったり合わせるのは、かなり厳しい翻訳作業であると思いました。
公演自体は、なかなか良かったんですけどね。特に衣裳と照明が良かったですね。

開演前に主催者による解説があったのですが、今回の《椿姫》が第9回で、来年は10回記念で大作《アイーダ》。そして第1回からずっと日本語上演なのだそうです。なぜ日本語なのかと言うと、区民オペラなので、なるべく幅広い年齢層の人に合唱として参加してほしい、子供から年配の方まで歌ってほしい、となるとやはり日本語が良い、という理由だそうです。オペラを初めて見る観客のためとかではなく、出演者側の都合なんですね。そういうこともあるのか~~と思いました。

《椿姫》に子供が出る場面なんてあったかな?と思いましたが、第1幕の前奏曲の間に、物乞い役の子供が無言で出演していました。つまり、娼婦が生まれる原因としての貧困を描いたわけですね。それから、第3幕のカーニヴァルの合唱に子供が入っていました。
この子供たちの中から、未来のスター歌手が出てくるといいですね~。

ジェルモンは何度も「Dio」(ディーオ=神)とか「ciel」(チェル=天)などと口にするはずなのですが、日本語訳詞では、あまり「神」という単語を出さないようにしていたみたい。
よく《椿姫》は初心者向けの演目だと言われますが、実際は初心者には理解しがたい場面もある。1番不思議なのが、ジェルモンのセリフではないでしょうか。
「2人はうまくいきません、なぜなら天の祝福を受けていないからです」
「この言葉は神が言わせているのです」
「神が私を導いたのだ!」
日本語で歌うと、ちょっと変な人みたいになってしまいます。
何度も見ているうちに、だんだん分かってきますけどね。
実はとても重要なことを歌っているのだと。
そこが分からなくても泣けるところが、この作品のすごさですけれども。

2013年9月15日 (日)

《椿姫》どうでしょう

ツァラ?
ツァラ?
すいません、もう1回言ってください、ツァラ?
ツァラトゥ?
ツァ・ラ・トゥ・ス・ト・ラ?
ツァラトゥストラ、
ツァラトゥストラですね?
ああ、やっと分かりました。
えっ?「ゾロアスター」のドイツ語読み?
だったら最初からゾロアスターって言ってくれれば分かるのに。
えっ?ドイツ語読みがミソ?
ふーん・・・。

なむ?
なむ?
すいません、もう1回言ってください、なむ?
なむあ?
な・む・あ・み・だ・ぶ・つ?
なむあみだぶつ、
なむあみだぶつですね?

能「遊行柳」の中に、「御十念を賜り」という言葉が出てきますが、南無阿弥陀仏を知らなかった人でも、10回聞けば覚えられるのではないだろうか。

イギリス美術の流れに「ラファエル前派」というのがあり、ラファエロ以前の、中世や初期ルネサンスに規範を求める美術家のグループだそうですが、だったらラファエルではなくラファエロ前派と言ってくれれば、すぐに分かったのに・・・。

オペラを知らない人でも、いつの間にか知っているメロディーがあって、例えば《カルメン》の序曲、ハバネラ、「闘牛士の歌」は誰でも知っている。《リゴレット》の「女心の歌」や《椿姫》の「乾杯の歌」も、たいていの人が知っているでしょう。
そして《ウィリアム・テル》序曲もよく知られている。音楽の教科書に載っているケースもある。作品自体は全然知られていないのですが(上演されませんし)、序曲は誰でも知っている。
シラーの原作であればドイツ語で「ヴィルヘルム・テル」であり、ロッシーニのオペラであればフランス語で《ギヨーム・テル》またはイタリア語で《グリエルモ・テル》となるはずですが、なぜか日本では英語で《ウィリアム・テル》と言う。日本がアメリカに占領されていた名残りででもあろうか。

近年、ヴェルディ作曲《La Traviata》が、《ラ・トラヴィアータ》というタイトルで上演されることが増えてきた。従来のタイトル《椿姫》は、作者の意図から外れているとか、誤訳だとか、いろいろ言われます。
しかし、《ラ・トラヴィアータ》というタイトルは、イタリア語をカタカナに置き換えただけで、日本語になっていない。そのままでは通じない。キャッチーじゃない。
例えば《さまよえるオランダ人》というタイトルであれば、「さまよっているオランダ人の話なのか・・・」と思い、「一体どんな話なのだろう」と想像し、ワクワクする気持ちが膨らんでくる。
例えば《ラ・ボエーム》というタイトルは、馴染みのない言葉だけれど、「フランス語でボヘミアンのことだよ」と言われれば、すぐに、そうかと思う。《ラ・チェネレントラ》然り。
一方《ラ・トラヴィアータ》というタイトルには、次への展開がないように思う。想像が膨らまない。取っ掛かりがない。
そもそも、La Traviataに相当する日本語が存在しないのだから、《椿姫》だって悪くないのではなかろうか。
La Traviata
は、「道を踏み外した女」という意味だと言いますが、これは道徳とか倫理とかって言うんじゃないでしょう。ただ単に「不道徳な女」という意味ならば、「あばずれ」とか「淫売」とか、日本語にもいろいろ対応する言葉が存在します。しかし、そういうことではない。
私の考えでは、この「道を踏み外した」というのは、「カトリックから外れた」という意味であると思う。だから日本語が存在しない。「カトリック式の結婚をさせてもらえない女」「教会で永遠の愛を誓えない女」「それゆえに男の愛をつなぎ止められないだろう女」。
逆にジョルジョ・ジェルモンは、カトリックの代表者みたいなものですね。
そのジェルモンに終幕で「私は間違っていた」と言わせたところに、この作品の革新性があります。
しかしヴィオレッタ自身は、アルフレードに対して、別の女性とのカトリック式の結婚を約束させてから、この世を去っていきます。それは自分が憧れて、果たせなかったものを、アルフレードにプレゼントしたわけです。
そうしてヴィオレッタは、別の世界へ旅立っていく。行き先は、プラトニック・ラブの世界。「プラトニック・ラブ」と言うと、よく「純愛」とか「精神的な愛」と説明されますが、それは話を簡略化しすぎ。ヴィオレッタの愛は、文字通り「プラトンが提唱した愛の形」だと思います。カトリックへのカウンターでありながら、カトリックを全否定しているわけでもない、ヴィオレッタの愛。イタリアだねえ・・・。
しかし、こんなマニアックな話をしても、誰もついてこられないので、オペラのタイトルは《椿姫》でいいと思いますが、どうでしょう。

30周年

国立能楽堂が、開場30周年を迎えました。
世間的には全く話題になりませんが・・・。
たしか
新国立劇場が開場した時も、世間的には全く話題にならなかったという記憶があります。
能楽もオペラも、見たことのない人のほうが圧倒的に多いのですねえ。
1度は見てみたらいいのに・・・。
ただし、見る前に予習をしておいたほうが良いと思いますが。

2013年9月13日 (金)

《椿姫》の演出について

歌舞伎の場合、助六の衣裳はこれ、政岡の衣裳ならこれ、熊谷陣屋の舞台装置はこれ、弁天小僧の舞台装置だったらこれ、と決まっています。型によって異なることもありますが、それも1つの演目につき数種類といったところでしょうか。写真を見れば、何の役だか、だいたい分かります。
ところがオペラの場合、同じ演目であっても、プロダクションごとに全く違う演出となる。衣裳も装置も演技も違う。
私はこれまで、たくさんの《椿姫》を見てきました。
絢爛豪華なゼッフィレッリのプロダクションから、簡素なピアノ伴奏上演まで。
初めて見るプロダクションにおいて、期待する点がいくつかありますね。

まず第2幕の、フローラの館の夜会。
どのような華やかなパーティーとなるのか、踊りや衣裳、仕掛けに期待します。
最近は何もせずに、合唱がただ歌うだけの演出が増えてきています。お金がないのか才能がないのか両方ないのか、全く馬鹿馬鹿しいことです。この場面で観客の拍手が取れない演出家は、業界から干すべき。
ゼッフィレッリの演出では、ケバくなる一歩手前の、いかがわしい雰囲気が漂っていました。幕が開くと、その向こう側に真紅の薔薇のカーテンが下がっていて、ヨーロッパの夜の香り。大勢の人が歌い踊っていました。シーンが次々に変化していき、もう信じられないくらい美しいのです。それは目のご馳走、おいしい美の光線が目から入り込んできて脳の奥をズキズキと痺れさせるのでした。

それから、ヴィオレッタの住まい。第1幕の贅沢ぶりと、第3幕で全てを失った様子と、どのように落差を見せるか。たとえ予算が限られていても、そういう工夫をする気があるのか、ないのか、演出家の腕の見せどころだと思います。

そして、ヴィオレッタが不治の病であることを、どのように描くのか。
芝居の「椿姫」であれば、激しい咳をしたり、血のついたハンカチを見せたりするかもしれません。でも、オペラはしない。
そうしてヴィオレッタが病気であることを、ただ字幕からしか感じ取れない演出も多い。

とりわけ第四幕では、ヴィオレッタがかなり衰弱しているような感じに見せるために、些細で、ほとんど意味のないような細かいしぐさをいろいろと考えました。たとえば、何かを取ろうとして化粧台や鏡の方に手を伸ばしておいてから、わざとその手をだらっと落とすような演技をしたのです。なぜなら彼女にはもう何かを拾い上げる力も無かったことを表現したかったからです。それからまたこれも第四幕でのことですが、前の幕よりヴィオレッタの呼吸は短めになっていなくてはならないとか、声の音色ももっとやつれた感じでなくてはならない、ということなどに気がついてきました。ですから私は、そのような表情を持つ音にふさわしい響きを見つけるのに懸命でした。それには非常に長い年月がかかっただけでなく、声にとっても、危険なことでもありました。なぜなら、そのような声で高音を歌うのは、まるでいつ切れるともわからないような細い紐につかまって、ぶら下がっているようなものでしたから。
 
『マリア・カラス オペラの歌い方』(音楽之友社)より
 
出口正子さんがヴィオレッタを歌ったとき、キラキラ光るブルーのシャドウを目の下に入れていて、それは写実的でない、幻想的な病気メイクで、とても美しく素敵だったことを覚えています。
でも病気の化粧をする演出って、少ないですね。

以前、若いテノールで、「燃える心を」のアリアを、ずっと恐い顔で歌っている人がいました。この幸せ絶頂のアリアを、なぜこんな不機嫌な顔で歌っているのかと、不思議に思ったものです。
きっと音楽学校では、音楽は教えるけれど、演技は教えないのですね?

ヴィオレッタ「ずっと前から私のことを?」
アルフレード「そう、1年前からです」
映画であれば、ここで1年前の回想シーンが挿入されることになるでしょう。
オペラでは、それが出来ない。
しかし、アルフレードがAh sì, da un annoと歌うとき、その歌い方によっては、観客を1年前に一緒につれていくことができると思うのです。私はそういう歌を聞いたことがあります。

この《椿姫》というオペラには、いくつか不可解なシーンがあります。たとえば第1幕でヴィオレッタが、急に気分が悪くなって1人きりになるところ。何だアルフレードは具合の悪いヴィオレッタを残してスタスタ向こうへ行ってしまうわけなの?と思いませんか?ここでは、「いいからあちらへ」とアルフレードをうながす人物が必要だと思うのです。
このあいだ見たプロダクションでは、ガストン(アルフレードをヴィオレッタに紹介した男)がアルフレードを呼び止め、「おい君、今が2人きりで話をするチャンスだぜ、行ってきたまえ」というようなアドヴァイスをしていて、非常に優れた演出であると思いました。
そのような、観客の不可解を帳消しにする工夫には、尊敬の念を抱かずにいられません。

もちろん、ヴィオレッタがどのような死に方をするか、最大級の期待がかかるところです。

2013年9月12日 (木)

ベルカント情報

世界的にもなかなか上演されない、ロッシーニのオペラ・セリアを聞くチャンス!

日本ロッシーニ協会定期演奏会2013:ロッシーニ作曲:歌劇《マオメット2世》抜粋
 
(ピアノ伴奏による演奏会形式の楽曲セレクション。日本語字幕付き。ロッシーニ財団の批判校訂版使用)
 
期日 20131011日(金) 18時開場、1830分開演
 
会場 紀尾井ホール
 
全席指定 入場料 一般:5,000円、学生:3,500
 
主催: 日本ロッシーニ協会
 
後援: イタリア文化会館、公益財団法人 日伊協会
 
マネージメント: ミリオンコンサート協会
 
出演:天羽明惠(ソプラノ/アンナ)、家田紀子(ソプラノ/アンナ)、富岡明子(メッゾソプラノ/カルボ)、阪口直子(コントラルト/カルボ)、中井亮一(テノール/エリッソ)、須藤慎吾(バリトン/マオメット2世)、工藤翔陽(テノール/コンドゥルミエーロ&セリモ )、日本ロッシーニ協会合唱団、ピアノ:金井紀子、解説:水谷彰良

私も拝見する予定。

藤原歌劇団《ラ・トラヴィアータ》 A

2013年9月8日(日)15時開演
会場:新国立劇場オペラパレス

指揮:園田 隆一郎
演出:岩田 達宗

出演
ヴィオレッタ:マリエッラ・デヴィーア
アルフレード:村上敏明
ジェルモン:堀内康雄
フローラ:鳥木弥生
ガストン:所谷直生
ドゥフォール:三浦克次
ドビニー:柿沼伸美
グランヴィル:久保田真澄
アンニーナ:家田紀子
ジュゼッペ:山内 政幸
使者:江原 実
召使:秋本 健

合唱指揮:須藤 桂司
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
バレエ:スターダンサーズ・バレエ団



デヴィーアのヴィオレッタを見るのは、3回目だったと思います。(それぞれ別のプロダクション)
今回、久しぶりに見て、やはり素晴らしかったですね。
ベルカントのお手本、見本、標本のようなヴィオレッタでした。

Q ベルカントとは、正確にいうとどいうことですか?
カラス いい質問ね。この言葉はとても混乱しています。ベルカントとは、イタリア語では「美しい歌」という意味です。だから、ある人たちは「ベルカントとは、オペラの中にあるアリアのことだ」と言います。「レチタティーヴォ、つまりオペラの中の会話に対する言葉だ」と言います。また、別の人たちは「ベルカントとは、美しい歌唱の意味だ」と言います。でも、ベルカントには、まったく特別な意味があるのです。
ベルカントとは、本当は、声を楽器と同じように訓練する方法のことなのです。だから、ベルカントは全てではありません。これをマスターすると、音楽をどう伝えるか、どれだけのウエイトを言葉に与えるか、ペース、フィーリング、緊張などを勉強することになるのです。ベルカントをマスターすれば偉大な歌手になれるというわけではありませんが、ベルカントをマスターしない大歌手はいないでしょう。
『マリア・カラス 批評・思い出・記録』(新書館)より

ベルカントとは歌い方です。それは訓練であり、歌う方法、歌へのアプローチです。単に音に触れるだけでは絶対にいけません。例えば、レガートとは「すべること」ではなくて、レガートなのです。レガート、ポルタート、ポルタメント等には区別があり、数千の表現があります。何年も声をコントロールして、そうしたことができるようにする。ベルカントとはまさしく訓練なのです。
『マリア・カラス 世紀の歌姫のすべて』(共同通信社)より

ピアノやヴァイオリンは、訓練しないと弾けないでしょう。けれど、歌は訓練しなくても誰でも歌える。声が出れば誰でも、いきなり歌えます。しかし一方、訓練しないと歌えない種類の歌が存在して、それがベルカントである、と私は理解しています。
「ああ、人間にこんなことができるなんて・・・」という驚きの歌、それがデヴィーアのヴィオレッタでありました。

演技なんて全然していなかったと思う。
表情を変えずに歌い続ける。
それはミケランジェロの彫刻を思い起こさせた。
ミケランジェロの最高傑作とも言われる「ピエタ」は、イエスの亡骸を抱いた悲しみの聖母像ですが、顔が普通の顔をしている。悲しんでいる表情に見えない。ニュートラルな顔。
ダヴィデ像も、ポートレイト写真のように、澄ました顔をしている。

バロックとは、もともとの意味としては、「歪んだ真珠」を表す言葉だそうです。その反対の、歪んでいない真珠、真ん丸の真珠、言うまでもなく美しい真珠、誰もが瞬時に認める絶対的な美、デヴィーアの歌って、そういう歌だった。

村上さんのアルフレードは、第2幕のカバレッタを歌い始めると、マンリーコが始まったのかと思った・・・。楽しいですね。

堀内さんのジェルモンは、かなり怖い感じのお父さんでしたが、立派な歌唱でした。

オーケストラの演奏は、Bキャストとずいぶん違うテンポ設定でした。これはおそらく、Bキャストのほうが指揮の園田さんによって統一されたテンポであり、Aキャストのほうが歌手の希望に合わせたテンポなのでしょう。Bのほうがまとまりがあるけれど、Aも面白かった。(オケは全体的に音が大き目だった)

アルフレードが札束を投げないのは、いただけない。そもそも札束が置きっぱなしとは、どういうことなんだろう・・・。

2013年9月11日 (水)

よもやま

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ブログに書きたいことはいろいろ思い浮かぶのですが、なかなか書いている時間がありません~。
書いたからどうということもなく、書かなかったからどうということもなし。

ウチのパソコン、インターネットやメールが不通になることがあります。それも、かなり頻繁に。IP電話も不通になる。今どき通じない電話って・・・。
パソコンのせいかと思っていたのですが、パソコンを買い替えても同じなので、プロバイダーのせいなのじゃないかと思っているのですが・・・。(OCN)

メールが届かないとかで、不義理をしていることもあるかもしれません。
メールって、本当に届いてるのかねえ。

毎日たくさんの迷惑メールが届く。誰が何のために書いているのだろう・・・。
一応、セキュリティソフトが自動的にゴミ箱に振り分けてくれるみたいなのですが、
すり抜けてしまうメールも多い。すごく多い。
見たら一瞬で迷惑メールだって分かるのに、どうしてすり抜けてしまうのだろう。
逆に必要なメールがゴミ箱に行ってしまうこともあるらしい。
(それはチェックしていられない)

近所の古本屋が閉店するので安売りをしていた。
『近代の日本画-目黒雅叙園コレクション』という厚い本を買ってみたのですが、
素晴らしい日本画の数々にビックリ。
それも知らない画家ばかり。
こんなに優秀な画家が、こんなに大勢いたなんて、もう信じられない。
近代の日本画は、まだ美術館に集まっていなくて、
個人の邸宅などを飾っているのでしょうねえ。
美しい絵って、いっぱいあるものなんですね。
(美しくない絵も、いっぱいありますが)
私も1枚ほしい・・・。

 

2013年9月10日 (火)

たばしお

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たばこと塩の博物館が、渋谷から業平に移転するというので一時閉館となりましたが、このあいだ渋谷での最終展示を見てきました。
なかなか面白かったですね。

私は、煙管で刻み煙草を吸った経験がありますよ。なぜなら学生芝居で「伊勢音頭」の貢を演じたことがあるからです。
その時お聞きした話では、歌舞伎の上演のために刻み煙草を用意するのは大変なことらしいですよ。本当に。貴重な体験でした。
ちなみに私は小児喘息だったから煙草は吸いまっせん。
喘息はつらかった・・・。
子どもは鼻も喉も小さいから、管が詰まりやすいんじゃないですか。管が細くって。
大人になったら治りましたけどね。
おっと、刻み煙草の話でありました。
扱い方が分からないのですね。
もちろんビデオを見て研究しましたけどね。
歌舞伎を見始めて半年くらいでしたかねえ。
煙管とか煙草盆の扱いは難しいですよ。
羽織の紐の結び方も、舞台稽古の時に衣裳さんに教えてもらったのですが、急には出来ないのですね。紐を結ぶのは難しいんです。
雪駄や草履も履けないですね。うう脱げそう~~~ってもう必死。足が必死。
歌舞伎俳優は、さりげなく、すごいことをしている。
私は熊谷直実も演じたことがあるのですが、長袴の扱いは難しいですよ。
制札の見得で、片足を前に出すのは出来たのですが、引っ込め方が分からない(爆)
だって舞台稽古と本番と2回しかチャンスがない。もうパニックですね。
えっ?刀って、こんな位置にくるんですか?この状態で、首桶どうやって持つんですか?みたいな。
刀を置く位置とか、ビデオではもう全然分からないです。座る位置が変わるとき、刀がどうなっているのか。後見に指示なんて出せないですよねえ。自分のことで精一杯なのに。
貢をやっていたとき、鴨居に髷を引っかけて、刷毛先が乱れまくってしまいました。ずっと気づかないまま演じてましたが・・・。鬘の扱いも難しそう。簪を自分で差しなおすのなんて、素人には絶対に出来ないと思う。

「助六」に「一つ印籠」という言葉が出てきます。
腰に,印籠一つだけを下げること。江戸初期,伊達(だて)な身なりとされた。
コトバンクより

腰に印籠一つが、なぜ伊達なのか。ふつう腰には、煙草入れを下げる人が多いですね。でも助六は煙草入れは要らないんです。自分で用意しなくても、遊女が吸い付け煙草を差し出してくれるから。そういう実用品でないものを下げているのが、伊達だったのではないでしょうか。

たばしお(=たばこと塩の博物館)で、そんなことを思ったのでした。
(もう閉館してしまいました)

公演情報あれこれ

●以前にも書きましたが、歌舞伎が好きな方は、能もご覧になるといいですよ。
特に「道成寺」と「安宅」は必見です。

能を1度見てみたいけれど、安いチケットがいいなあ・・・という方にオススメなのが、
国立能楽堂 青翔会
〔せいしょうかい〕
10月21日(月)16時開演
この公演は、研修発表会なのですが、研修生だけでは人数的に公演が成り立たないので、講師の先生方も出演されるのです。石田幸雄さんの「末広がり」、井上裕久さんの「乱」が何と700円で見られます(最安席)!超豪華キャストです。素晴らしい!
これは超お得ですよ~。って言うか私もチケット取りました!
 

日本人に生れて、1度も能を見たことがないなんて、もったいないですよ。能舞台の雰囲気だけでも見ておくといいですよ。

●10月の歌舞伎座は、「義経千本桜
〔よしつねせんぼんざくら〕」の通し上演ですね。この演目は、私が歌舞伎にはまったきっかけの作品なんです。こんなに美しく壮大な歴史絵巻は、よその国にはちょっとないんじゃないでしょうか。若い人に、もう絶対に絶対に見てほしいんです。できれば昼の部・夜の部、両方とも!周りの人にも宣伝してほしいです。見てね。

●この公演も面白そうですよ。
12月19日(木)19時開演
渋谷区文化総合センター大和田4階さくらホール
川村章仁・今井俊輔 二人のバリトンコンサート
バリトン2人でオテロの二重唱を歌うんだって!チョ~楽しそう~~。ムヒョ~。
気づいた時にはチケットが発売になっていて、A席しか取れなかった・・・。
しょぼん・・・。
この会場の名前の長さにはきっと誰も勝てないだろう。
(寿限無以外は)

●「町田オペラ小劇場」という団体が、9月後半に《リゴレット》を上演します。ピアノ伴奏ながら、6回も上演するのだそうです。マントヴァ公爵を5人用意したというのだからスゴイが、リゴレットは1人で歌うというからもっとすごい。1日2回歌う日もあるらしい。どうなっているんだろう・・・。9月20日にマントヴァ公爵を歌う岡坂弘毅さんは、面白い逸材なので、私も見に行きたいのだけれど、この日は文楽のチケットを取ってしまいました。残念~。

杞憂?

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東京オリンピックが決まりました。
喜びに
水を差すつもりはサラサラないのですが、
●世界記録保持者の××××さんは、来日しないことを表明しました。
●前回金メダリストの××××さんは、来日しないことを表明しました。
などという事態が開催直前に次々と起こらないように、原発事故の対策をしっかりやっていただきたいものですね。

フアン・ディエゴ・フローレス出演予定のオペラのチケットを買ってあったのに、来日しなかったんですよね・・・。
バルバラ・フリットリ出演予定のオペラのチケットを買ってあったのに、出演しなかったんですよね・・・。
あのチケット、いくらだったんでしたっけ・・・。
たしか1枚6万円くらいだったかな~。
配役が変更されるかと思うと、もう怖くて買えない値段ですねえ。
日本のオペラ上演は、これからどうなっていくのでしょうかねえ・・・。

2013年9月 7日 (土)

藤原歌劇団《ラ・トラヴィアータ》 B

2013年9月7日(土)15時開演
会場:新国立劇場オペラパレス

指揮:園田 隆一郎
演出:岩田 達宗

出演
ヴィオレッタ:佐藤 亜希子
アルフレード:西村 悟
ジェルモン:須藤 慎吾
フローラ:関 真理子
ガストン:上本 訓久
ドゥフォール:東原 貞彦
ドビニー:和下田 大典
グランヴィル:久保田 真澄
アンニーナ:吉田 郁恵
ジュゼッペ:山内 政幸
使者:江原 実
召使:秋本 健

合唱指揮:須藤 桂司
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
バレエ:スターダンサーズ・バレエ団

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、今年の3月に《ラ・トラヴィアータ》を見たのですが、もう全く感動しなくって、きっとこの演目に飽きたのだと思いました。

私がこれほどオペラにハマったきっかけと言えば、佐藤しのぶさんのヴィオレッタの映像を見て、アリア「花から花へ」の終わりの超高音(3点変ホ音、Es)に脳みそがビビビビーと痺れまして、それからオペラ街道まっしぐら。
オペラとしては、1番多く見ている作品だと思う。
最も感動したヴィオレッタは、①アンドレア・ロスト、②インヴァ・ムーラ、③出口正子。
強く印象に残っているのは、ディミトラ・テオドッシュウの3点変ホ音の声のデカさ、マリア・グレギーナの3点変ホ音への猛烈ど根性アタック、そしてナタリー・デセイの演技力。
演出としては、何と言いましても、メトで見たフランコ・ゼッフィレッリのプロダクション。
藤原歌劇団が一時期、毎年《椿姫》をダブル・キャストで上演していたこともあり、本当にたくさん見てきました。(グルベローヴァはアリアしか聞いたことがないケド)

私は「演目成仏」と呼んでいるのだけれど、「この演目に関して、この感動を超える上演に出会うことは、もうないだろうな」と思うと、執着がなくなってしまう。その演目を見たいという執着が。
例えば《トスカ》は、フランコ・ゼッフィレッリ演出、ネッロ・サンティ指揮、マリア・グレギーナ主演の公演をメトで見て、完全に成仏した。

今日、藤原歌劇団の《ラ・トラヴィアータ》を見ていて、オーケストラと合唱が実に素晴らしいと思いました。今にして思えば、3月のメトはオケと合唱が全然良くなかった。オケが違うと、こんなに違うんだなと改めて思いました。
私は東フィルの《ラ・トラヴィアータ》がとても好きですねえ。いろいろなプロダクションで練られていて、百戦錬磨ですね。

ヴィオレッタ役の佐藤亜希子さんは、出さないだろうと思っていた3点変ホ音を朗々と出していました。出るものなんですねえ。ピアニッシモも立派でしたね。
ちなみに「そは彼の人か」カヴァティーナは1節目のみ。「さようなら、過ぎ去った日の思い出よ」は2節目まで歌っていました。(順当だと思います)
第1幕のドレス姿が誠に美しい。

アルフレード役の西村悟さんは、初めて見たわけではないのですが、足の長さがすごい~。全出演者の中で1番長身だったのでは?テノールにしては珍しい。テノールはたいてい背が低いもの。
一般的に言って、
・背が低い→声帯が短い→声が高い
・背が高い→声帯が長い→声が低い
したがって、日本人はテノールが多いわけですが、西村さんは背の高いテノールということで、希少ですねえ。
それから、西村さんは、かなりベルカントなテノールでした。
ベルカントの定義は人によって微妙に違うでしょうけれども、
私の考える基準は、
●そのテノールがベルカントかベルカントでないか見分ける方法
「乾杯の歌」
Libiam ne' lieti calici
Che la bellezza infiora
リビアーモ、リビアーモ、ネーリエティカーリチ
ケッラベレッツァインフィオーラ
この「①ケッ②ラ③ア④ベ⑤エ⑥レッ⑦ツァ⑧ア⑨イ⑩ン」を楽譜どおり歌えるか、10個の音符を1つ1つ正確に追いかけられるか、というのが分かれ目であると思う。タッタカタカ、タッタカタカというリズムと音程。その歌を聞いた採譜屋さんが、正確に楽譜を再現できるか。
「乾杯の歌」では、テノールとソプラノが同じメロディを歌います。たいていのソプラノは楽譜どおりに歌えますが、たいていのテノールは楽譜どおりに歌えません。歌えるテノールがベルカント。(ソプラノは歌えて当然)
※歌えないテノールは「スラーなテノール」と呼ぶ。
ちなみにバリトンの場合は、リゴレットのSi' vendetta(復讐だ!)あたりを聞くと判別できます。(ジルダとリゴレットの二重唱、ソプラノは歌えているのにバリトンが歌えない場合が多い)

世界で最も演技力のあるオペラ歌手は、須藤慎吾さんだと私は思っております。こんなに演技力があるオペラ歌手は珍しい。
「プロヴァンスの海と陸」の終わりの、微かな笑みが最高だった。

第2幕第1場では、アルフレードのカバレッタ(この汚名は必ず晴らすぞ~)を歌っていました。ジェルモンのカバレッタ(なぜ私の言うことを分かってくれないんだ~)は歌っていませんでした。

アルフレードもジョルジョも両方ともジェルモンなのに、どうしてお父さんのほうだけジェルモンって呼ぶのだろう・・・?

どうして札束を投げないんだアルフレード??

そういうわけで、《ラ・トラヴィアータ》は、なかなか成仏しないみたいです。明日も行きます!

なぜ

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名古屋二期会のホームページに、《セヴィリアの理髪師》の配役が書かれていないのは、なぜなのだろう・・・。

国立劇場のホームページに、10月歌舞伎公演の配役が書かれていないのは、なぜなのだろう・・・。

チケット発売日を過ぎているのに・・・。

つれづれ

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●ちょっと前の情報ですが、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の広報誌「SANZUI」に、玉三郎さんのインタビューが載っていますよ~。写真もきれい~。
ここで見られます

●玉三郎さんの金丸座の公演に行こうと思っているのですが、東京からだと、一体どう行けばいいのやら・・・。熊本の八千代座よりも遠く感じる・・・。前後泊しないと駄目なんだろうか・・・。ついでに広島でシャガール展でも見てこようかな・・・。

2013年9月 4日 (水)

歌右衛門襲名

歌右衛門襲名が決まりましたねえ。
それを見るまでは、という目標のように思っておりました。
感慨深いです。

能「遊行柳」あれこれ2

インターネットで「遊行柳」という言葉を検索しますと、なんと栃木県那須郡に遊行柳が現存するとの情報がヒット!
もちろん、柳の寿命はそれほど長くないので、ずっと植え継いでいるものですが・・・。自分も見たかったら見られる柳なんですね。
松尾芭蕉も『奥の細道』の紀行で、この柳のもとに立ち寄っているのだそうな。そして詠んだ句があの有名な
田一枚 植えて立ち去る 柳かな
「これがあの、西行さんが歌を詠んだ柳か」と物思いにふけっている間に、田んぼ1枚分の田植えが終わっていた、という意味でしょうか。
田んぼ1枚分の田植え、数十分と言ったところでしょうか?長い物思いですね。
しかし!
西行の歌
道の辺に 清水流るる柳蔭 暫しとてこそ 立ち止まりつれ
『西行物語』によれば、この和歌は、那須郡の柳を見ながら詠んだのではなく、障子に描かれた絵を見て詠んだ歌だと言う。
描かれた絵のために和歌を詠む、絵にぴったりの和歌を詠む、というのは、よく行われていたことだそうです。言葉によって、絵のイメージがさらに膨らんでいく。言葉なら、匂いでも、音でも、温度でも、時間でも、何でも描くことが出来るから。

先日、横浜の山下公園を歩いておりましたところ、す・さ・ま・じ・い炎天下で、もう倒れそう、ああ、日陰はどこ?日陰はどこ?日陰、日陰、日陰・・・と思い、やっとたどり着いた木陰の何と床しいこと。
むかしはビルの陰もないし、木陰以外の陰って、何があっただろう。
西行の「道の辺に」の和歌は、言葉で涼を取っているのですね。それで気温が下がるわけではないけれど、風鈴と同じで、気分が涼しくなる。脳が涼しくなる。炎天下の、川沿いの、柳の木陰の涼しさが伝わってくる。柳ならば、風の動きまでも目に見えて。

能「遊行柳」の中で、なぜこの和歌が出てくるのかと言えば、柳の徳の1つとして取り上げられているわけなんですよね。徳、つまり柳のプラス面です。黄帝の貨狄とか、宮前の楊柳とか、清水寺とか、蹴鞠の庭の面とか、全て柳の徳、プラス面のご紹介。
プラスならば、成仏できる。

心を持たぬ柳でさえ、これだけのプラス面があるのだから、まして心を持つ人間であるならば、何かしらプラスの事柄を遺してこの世を去れるのではないでしょうかねえ。

2013年9月 3日 (火)

世阿弥シンポジウム2013

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世阿弥シンポジウム2013 第1回~世阿弥の舞い~
 
観世能楽堂

●第1部 15時30分~
 
『世阿弥 能「檜垣」と白拍子・乱拍子』
 
    講師:
 
    沖本幸子(青山学院大学准教授) 白拍子と乱拍子の系譜
 
    横山太郎(跡見女子学園大学准教授) 能「檜垣」の蘭拍子
 
    小林康夫(東京大学教授) 火と水のバロック-能「檜垣」の世界
 
    松岡心平(東京大学教授) 能のもう1つの身体-乱拍子の系譜
 
    「全体討議」

-休憩60分-

●第2部 18時30分~21時
 
『蘭拍子-能の舞いの古層』
 
 観世会企画公演「檜垣」(10月18日)出演者によるワークショップ
 
    講師:
 
    観世清和(26世観世宗家)
 
    藤田六郎兵衛(笛方藤田流11世宗家)
 
    大倉源次郎(小鼓方大倉流16世宗家)
 
    亀井広忠(大鼓方葛野流)
 
    司会:松岡心平(東京大学教授)
 
 ・前半 「翁舞」、「道成寺」の乱拍子
 
 ・後半 「檜垣」の蘭拍子、「安宅」の延年の舞、甲の掛りなど
   (解説を交えた実演)


主催:社団法人 観世会/東京大学表象文化論

仕事を休んで、世阿弥シンポジウムに行ってきました~。3時半から9時すぎまで、みっちり盛りだくさん。

私は能を見始めて3年目くらいでして、謡や仕舞を習ったことはありません。ということもあって、私がふだん能を見るときは、必然的に謡の詞章を中心に据えて公演を楽しんでいます。それが取っ付きやすいからです。
しかし今回のシンポジウムは、詞章以外にも、舞や、音楽や、芸能史などがクローズアップされ、新鮮な面白さがありました。

沖本さん、横山さん、小林さんのお話はフムフムと理解できたのですが、松岡先生のお話になると俄然、マニアックの度合いが超ハイレベルになり、私にはちょっと理解できない感じでした・・・。
松岡先生はきっと日本一の能マニア。

超一流の出演者が、松岡先生の所望どおりに次々と名場面を披露し、松岡先生は始終ご機嫌でハイテンションでした。だって自分の希望どおりのものが見られるんだもの、将軍になった気分ででもありましたでしょうか。すごい早口でバンバン話題が展開していた。

観世清和さんは、祖先の話になると饒舌になり、7~9世あたりの観世大夫について熱弁をふるっていられました(現宗家は26世)。秀吉や家康も登場して面白かった。
(そういう歴史を面白く書いた本とか出ていないのでしょうか)

「全然分からなかったどうしよう~」と思っていましたが、結構楽しめました。まあ全部は分からないですけどね・・・。(舞や音楽の話は難しい)

なぜ「檜垣」で蘭拍子なのか、という話を伺って、10月18日の公演がますます楽しみになりました。

2013年9月 2日 (月)

首都オペラ《ハムレット》

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第22回首都オペラ公演
トマ作曲《ハムレット》全5幕
 
(原語上演 字幕スーパー付き)

2013年8月31日(土)14時開演
神奈川県立神奈川県民ホール(大ホール)

ハムレット: 月野 進
オフィーリア: 盛田 麻央
クローディアス: 佐藤 泰弘
ガートルード: 佐伯 葉子
レアティーズ: 大野 光彦
前王亡霊: 岩本 貴文
マーセラス: 根岸 一郎
ホレイショー: 村田 孝高
ポローニアス: 吉原 裕作
墓掘人1: 白岩 貢
墓掘人2: 塩沢 聖一

指揮: 岩村 力
演出: 佐藤 美晴
管弦楽: 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
合唱: 首都オペラ合唱団
助演: 赤い靴児童劇団

主催: 首都オペラ/神奈川県民ホール
 
いや~、素晴らしい公演でした。
も・の・す・ご・く感動しました。
ハムレット役の月野進さんと、オフィーリア役の盛田麻央さんには、最大級の賛辞を送りたい。
こんなに長時間、歌い続けのバリトン役は珍しいのではないでしょうか。月野さんは、憂愁の貴公子を見事に歌い演じ切って、実に立派でした。
そしてオフィーリア狂乱の場では、わたくし見ていてズンドコズンドコ興奮してきてしまいまして、オフィーリアよりも先に私が死んでしまうのではないかと思うほど心臓バクバクになり、大感動いたしました。(カットなしで歌っていたと思います)
狂乱の場が終わった後のコーラスの美しさ、水に流されていく死の場面の美しさも印象的でした。

滅多に上演されない作品で、生で見るのは初めてでしたが、こんなに素晴らしいプロダクションで拝見できて幸せでした。

2013年9月 1日 (日)

つれづれ

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●ユーミン、またコンサートやるのかあ。元気だなあ。
「ひこうき雲」も歌うのかな。
どうせ良い席は取れないだろうと、もう諦めている私・・・。
ユーミンのコンサートに1人で行くのも寂しいし。
(しかし、中島みゆきのコンサートは1人で行かないと恥ずかしい)

●観世の定期能に行ってきました。
「通小町」「遊行柳」「大会」の3番。
仏教のいろいろな側面を見ることが出来る、
興味深い番組でした。
中でも「遊行柳」が名演で、堪能しました。
私は森常好
〔もり・つねよし〕さんのファンなのですが、
今日はまた素晴らしい声をたっぷり聞けて満足でした。
生来の美声に加えて、弱音の繊細さ、緩急の自在さ、
融通無碍と言いますか、天衣無縫と言いますか、
何でもないフレーズまでも、ハッとするほど美しい。
おそらく、この世のあらゆる声楽の中で、
最上の部類の芸術でせう。
きっと、今が絶頂期でせう。
「大会」はたいへん洒落た作品で、堪能しました。

●能を見ておりましたら、隣の婆さんが、
①靴を脱いで、
②足を組んで、
③爪先をぶらぶらさせていて、
気持ち悪くて、もう最悪でした。
いい年をして、行儀が悪すぎる。
開演時間に遅れて何人も途中からボロボロ入ってくるし(婆さんばかり)。
私の両隣りの婆さんが、2人とも落ち着きのない人で、
㋑鞄を上げたり下げたり上げたり下げたり、
㋺ファスナーを開けたり閉めたり開けたり閉めたり、
㋩何かを取り出したり仕舞ったり取り出したり仕舞ったり、
㊁謡本を開いたり閉じたり開いたり閉じたり、
㋭おまけに見所内で食うわ飲むわ、
どうしちゃったの?って感じでした。
衣食足りて礼節を知ると申しますが、
きっと戦中・戦後育ちで、礼儀も何もない時代を生きてきたのですね・・・。

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