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2014年6月

2014年6月29日 (日)

みんなそんなことしてるんですか

《コジ・ファン・トゥッテ》は綺麗な音楽だけれど、歌詞が空々しくてねえ、ほら、だって本気で口説いてるわけじゃないし、という話を私がしましたところ、オペラ観劇歴の長い知り合いのMさんが言うには、フェルランドは本気でフィオルディリージを口説いてるんだそうです。フィオルディリージを心変わりさせる最後の二重唱では本気で口説いているんだそうですよ。そうなんですか?さらに、その二重唱のあと、奥で2人はナニしているのだそうです。そうなんですか?
まあMさんが言ってるだけなんですけど、もしそうであるならば、フェルランドの新しい恋の味はどんなものなんだろうか。

2014年6月27日 (金)

しつこくコジ・ファン・トゥッテ

●終盤にドン・アルフォンソが「コ・ジ・ファン・トゥ~~ッテ」って言ったら、やっぱり観客も「コ・ジ・ファン・トゥ~~ッテ」って叫ぶべきなのだろうか?
(台本は、それを要求しているような気がする)

●初演時の観客は、先のストーリー展開を事前に知っていたのだろうか?知らなかったのだろうか?つまり、フィオルディリージがフェルランドからの求愛を拒絶して戦場へ旅立ってしまう結末だって、考えられなくもないじゃないですか。先を知らなければ。
先を知らないほうが、どうなるのかな~と思って、ドキドキできるじゃないですか。
リブレットが初日前に出版されていたのでしょうか?
イタリア人がイタリア語で作詞して、聞いていたのはウィーンの人々だから、事前に歌詞を予習しないと理解できないでしょうし・・・。
【オペラはネタバレ芸術】

●押して押して押しまくれば、全ての女はなびくだろうか?(まさか)

2014年6月24日 (火)

文楽版ハムレット

9月の文楽公演で、シェイクスピア作品が文楽化されます。『不破留寿之太夫〔ふぁるすのたいふ〕』という新作で、シェイクスピアの『ヘンリー四世』と『ウィンザーの陽気な女房たち』を翻案したもの。これら2つの作品に共通して登場する人物・フォルスタッフが主人公です。(オペラだとファルスタッフですね)

そのプログラム(筋書、番付)に、何の記事を載せようかな~~と考えていたのです。シェイクスピア作品が文楽化されるのは初めてではないので、過去の舞台写真なんか載せちゃおうかな~~と思ったのです。昭和31年に『ハムレット』が文楽で上演されている。ついでに床本を読んでいたら、これが非常に面白い。

シェイクスピア作『ハムレット』と言えば、世界で最も有名な戯曲かもしれない。しかし、日本ではあまり上演されません。
私は、歌舞伎化された『葉武列土倭錦絵〔はむれっとやまとのにしきえ〕』を生で見たことがあります。主役は染五郎さんでした。ハムレットとオフィーリアの2役を早替わりで勤めていた。そして、日本語上演の舞台を映像で見たことがある。ハムレット役は真田広之さん。それから、トマ作曲のオペラ《ハムレット》を生で見たことがある。
なかなか、オーソドックスな上演を見る機会がないんですよね~。
たまに上演されても、主役が二枚目じゃなかったりするじゃないですか。やはりハムレットとかロミオは二枚目でないと、見る気がしません。二枚目じゃないロミオなんて、絶対にロミオじゃないと思う。なぜあなたがロミオなの?とかって思うじゃないですか。

今の仁左衛門さんが若い頃に演じたハムレットは、ぜひ見たかったですねえ。

ハムレットの有名なセリフに「尼寺へ行け」というのがあるでしょう。今まで全然、意味が分からなかったんです。狂って訳の分からないことを口走っているのかなあと思っていた。ところが、文楽『ハムレット』の床本を読んでいたら、セリフの意味が分かったのです。つまり、信用していた実の母が浮気をしたので、女というものが全般的に信用できなくなってしまってコジ・ファン・トゥッテ。

「やあ、あなたはハムレット様」
 √とかけよれば、ハムレットあやしげにうち笑い
「ははははオフェリア、そなたの操〔みさお〕は正しいか」
「エエ」
「そなたは美しうござるかや」
「王子は一体何を仰せられているのでござります」
「さればぢや、昔から操と美しさは良い朋輩〔ほうばい=友達〕と思うていたが、こりや大あてちがいであつたわやい、朋輩どころか美しさは女の操を破らせおるてや」
「王子、それは妾〔わらわ=私〕のことを仰つているのでござりますか」
「そなたは氷のように清らかな、雪のように汚れのないおん方〔おんかた=人〕ぢや、が、脆〔もろ〕きものよ、汝〔なんじ〕の名は女なり、そなたは嫁入〔よめいり〕などせず、尼寺〔あまでら〕へおゆきやれ、神さまはそなたへ一つの顔を下されたのに、そなたは紅〔べに〕や白粉〔おしろい〕をぬりたくつて、勝手な別な顔を作つている、そして躍〔おど〕る、品〔しな〕を作つて歩く、舌たるい事をいうてしなだれかかる、それで世の中に罪人が何ぼうでもふえるのぢや、身どももそれで気が狂うた、もう辛抱がならぬわ、オフェリア、そちは尼寺へ行くのぢや、尼寺へすぐゆけ」
「王子さま、アア神様どうぞこの方をお救い下さりませ」
「エエこれ何をいう、神さまが何でわしを救わりよぞ、わしという人間はな、母君がうんで下されずばよかつたと思う程高慢で執念深うて、ひよつとしたら叔父の国王も、母君もそしてそなたもみんな殺してしまいかねまじい極悪人だや」

〔 〕の中のルビ等は私が振ったもので間違っている可能性がありますが、たぶん正しいでせう。
「脆きものよ、汝の名は女なり」、おお!何とカッコいいセリフであろうか。このカッコ良さは、文語だから出せるのだと思う。現代語にはなりにくいし、かと言って一部分だけ文語調なのもおかしい。今、文語調で『ハムレット』を上演する劇団は存在しないでしょう。であるがゆえに、『ハムレット』を一番面白く上演できる劇団は文楽座なのではないかと私は思ったのです。

「アアとつけもないことばつかり仰ります、美しいこの国の望みの花と仰がれました王子さまが何という乱心、私は悲しうござります」
(ト、泣き倒れる、ハムレットはオフェリアに目もくれず、黙つて悠々と下手へゆき花道のつけ際まで行く)
「生くるか、生きざるか」
 √それこそはわが惑〔まどい〕なれ
「むごたらしい運命の、投げ石と箭に耐え忍んで生きているのが貴いか」
 √苦難の海につき進み、生命をまとに敵おば、うちてしやまんが貴きか
「死ぬのは畢竟〔ひっきょう=結局、つまるところ〕眠るのぢや」
 √あらゆる身内の苦しみも、心の痛みも眠りと共に終りを告ぐるものならば、死ぬにまさりしものはなし
「とはいえ、眠りに夢ある如く」
 √死しての後になおのこる、苦しき夢のありやなし
(ト、これにてハムレットの人形、考え込んだ姿でゆつくりと大股に花道を歩き出す)

この詞章がとても気に入ったので、プログラムに載せようと思ったのですが、何と著作権(死後50年)が切れていない・・・。脚色の大西利夫氏が亡くなって37年。著作権継承者不明。く、口惜しい~~。
それで、プログラムに転載することはできないのですが、ブログに引用することはできるので、ここに引用してみました。シェイクスピア=原作、大西利夫=脚色、昭和31年(初演時)の床本からの引用でした。

文楽版『ハムレット』、上演されないかな~。初演時の出演者がご活躍のうちに・・・。
素浄瑠璃の会ででも。
技芸員はみんな忙しい忙しいと言うけれど、若い大夫さんなんて、舞台に出ていない間どうしているのだろう?
住大夫師匠や嶋大夫師匠は、10代でもう主な演目は語っていたはず。
(あっ、こんなことを書くと石が飛んで)

文楽で『椿姫』も上演されたことがあります。ヴェルディのオペラからではなく、アレクサンドル・デュマ・フィスの小説を文楽化したもの。

 √といいつつ机に一つかみの、金貨ぐつさり投げ出〔いだ〕し
「きけばお前はわたしを棄〔す〕てて、日頃一ばんきらうていた伯爵の、世話になつているそうぢやが、よくよく金に困つたゆえぢやと思う、さこれをあげよう、これは私の財産ぢやない、ばくちで勝つた水泡銭ぢや、遠慮をせずにとりなさい」
 √そして何ならその身体、一夜はわしにも売る気はないか、金で操〔みさお〕の切売〔きりうり〕するのがこなたの商売であつたはずと、言葉の一々〔いちいち〕針をたて、毒をふくみし物言いを、きくナニーヌ憚〔はばか〕りて、部屋を静かに去らんとするを、マルグリットはよび止め
「ナニーヌ、お前は部屋を出ずともよい、アルマンさん、あなたはお帰り下さりませ」
 √と冷然として指をさす、扉口〔とぐち〕にアルマン目もやらず
「マルグリット、そちの心はどうしてそのように冷たう変つたのぢや」
 √これがかつては膚〔はだ〕と膚、水ももらさず抱〔いだ〕き合い、いとしきことの数限り、語りかわせし仲なるか、いかに商売女といいながら、そうまであさましい女とは、今の今まで気がつかず、生命かぎりと打込んでいたあさましさ、うつけさが、今さら思い出されて、口惜しうござる、恨めしうござると、思はず知らず熱き涙、せぐりあげての悔み泣き、マルグリットも心中に、熱鉄〔ねってつ〕をのむ思いすれど何といわんに声も出ず、立ちすくみいるあり様を、アルマンの目にはつれなしと、うつるも目しいし恋の情、意地も張も今ははや、ぬけし思いに身をなげ出し
「マルグリット、もう一度思い出してくれ、ブージヴァルの楽しかつたあの幾日は、いかなそちでも忘られぬ筈、それをも無慚〔むざん〕にふみにぢつて、そちが逃げたあとの、このアルマン」
 √狂はんばかりの心の傷手、医すてだてにいろいろと、放埓〔ほうらつ〕に身をもち崩し、酒と女にひたれども
「やつぱり忘れられぬは、そちの事」
 √うらむというもいとしい故、口惜しいのもいとしい故、ばくちの金でそなたをば、恥かしめようと思いきわめ、今日ここまでは来たなれど、顔を見れば、それどころか
「思いだすのはすぎた日の、甘いたのしい夢ばかり」
 √うまれて初めてわが知りし、あつき情〔なさけ〕のもゆる火に、心も身をもやきこがす、このアルマンが胸のうち、察しておくれマルグリットと、思いあまりしかこち言、かき口説かれて今はたまらず
「アルマン様」
 √と思はずよんで一足二足、走りよつてはつとばかり、ふみとどまつて声鋭く
「お帰り下さりませ」
 √と懸命に、しぼる声をも泣声に、きかれじ、出さじと顔をそむけ、扉口を指さし立つたる姿に、アルマン思はずくわつとなり、
「やあおのれ、これほどいうてもおのれには、義理も情も通ぜぬよの、憎みてもあまるこの売女、おのれにはただこればかりか」

これも、脚色は大西利夫氏です。昭和31年(初演時)の床本から引用。うーん、美味しいセリフ満載です。非常に面白い詞章ですね。素晴らしい。プログラムに転載したかったのですが、く、口惜しい~~。口惜しくて眠れない。
『椿姫』も、オペラやバレエではよく上演されますが、ストレートプレイではあまり上演されませんねえ。文楽で見てみたかった。きっと文楽ならではの面白さがあると思います。

2014年6月23日 (月)

《コジ・ファン・トゥッテ》あれこれ

《コジ・ファン・トゥッテ》の対訳を読んでおりますと、登場人物がたびたび「numiヌーミ」「deiデーイ」「stelleステッレ」などと口にします。複数の神々や星に祈りを捧げるこの人たちは、いったい何教を信仰しているのでしょうか。
宗教が異なれば、結婚というものの捉え方も変わってくるでしょう。カトリックは離婚できないのでしょう。神様が決めた相手だから。(逆に言えば、結婚する前であれば、何度心変わりをしようが構わない?)
あの人たちの宗教観が気になる・・・。
異教徒同士で結婚しようとしていたのでしょうか?(なかなか難しそう)

ho già menati
Mill'uomini pel naso
デスピーナのこの歌詞って、「私は女ドン・ジョヴァンニ」って意味ですかな?
一体デスピーナは何歳なのだろう。未婚だろうか既婚だろうか。
ドン・アルフォンソは独身なのかな~??

2014年6月21日 (土)

男が42〔しじゅうに〕にもなれば

今度、スカラ座に《オリー伯爵》を見に行くのですが、同時期に上演される《コジ・ファン・トゥッテ(女は皆こうしたもの)》も、ついでに見ることにしたのです。
《コジ》は全く興味のない演目だったけれど、どうせ見るからには楽しみたいと思い、予習にいそしんでいる最中です。
ハイライト版CDを何度も聞いていたら、だいぶ音楽が耳になじんできました。
対訳本も読んでいる最中です。
が、予習の段階でちょっとショッキングな事実が判明。

スカラ座の《コジ・ファン・トゥッテ》は、公演期間の真ん中で指揮者と歌手に入れ替えがあり、私の見る日はグレードダウン組であることが判明!
私が見ないほうは、指揮者がダニエル・バレンボイムで、フェルランドがロランド・ヴィラゾン。
私が見るほうは、バレンボイムが引っ張ってきたらしい若い(?)指揮者で、フェルランドは知らないテノール。
ショック!!
どうせ聞くなら、スカラ座芸術監督のバレンボイムで聞きたかった!病気の妻を捨てて愛人と同棲していたバレンボイムに打ってつけの演目だのに・・・。
そも、公演の途中で指揮者が入れ替わるとは、どういう仕組みなのであろうか?
その若い指揮者は、バレンボイムの指揮を完璧に再現できる完コピ野郎なのか?それとも、自分の意図と一致するように再びスカラ座オケとリハーサルをやり直しているのか?はたまた若手指揮者の育成のようなものなのか??研修発表公演なのか???

さらに、
ハイライト版CDを聞いていて、なかなか良い歌だな~と思っていたグリエルモのアリアが、普通の公演では歌われない特殊な曲であることが判明!
求愛のアリアで、「私はこんなに優れた男だから愛してください」という内容なのだけれど、普通の公演では歌わないんだそうです。
しょぼん・・・
「ウィーンからカナダにかけて、私のようないい男は見つかりっこありません」(爆)
初演時には歌われていて、途中から歌われなくなったらしい。つまらない歌に差し替えられた。
なぜなのか、対訳本にも理由は書かれていなかった。
私が手にしている対訳本は、非常に細かい点について詳しい解説があるかと思えば、アリアの差し替えについて何も説明がなかったりして、よく分からない。
そう言えば、24ゼッキーニに関しても、何の説明もない。なぜ50ゼッキーニの次が25ではなく24なのか、どうして解説しないのだろう。
あっ、話がどんどんマニアックに・・・。
もう誰もついてこれない・・・。(ら抜き)

話を元に戻しまして、
このグリエルモのアリアが差し替えられてしまったのは、きっと、アリアの中で必ずトリルを披露することになっているせいですね。
トリルができるバリトンなんて、聞いたことないもの。
バリトンのトリルは、アラビアの不死鳥のようなもので、
誰もが存在すると言うけれど、誰も見たことがない。

qualch’altro capitale そして、まだ他にも、
Abbiam poi che alcun non sa.
  人に知られていない取り柄があります
(あっちの自慢か!)
Se teco non l’hai
 持っていないと言うなら
Perché batte qui
? なぜここが鼓動しているの?
(と言いつつ胸を揉む)
このような歌詞は、オペレッタに特有のオヤジギャクですね。
オペラではなく、オペレッタに分類すればいいのに・・・。

ハイライト版CDを聞いていて→いいメロディーだな~~と思い→歌詞を調べてみると→空しさを感じてしまうことが多い。
たとえば、出征した恋人の航海が無事であれよと祈る三重唱。
本当は航海してないのです。
だけど祈っている。
空しい。
2人の男の求愛の歌。
本当は愛してないのです。
だけど愛してると言う。
空しい。
2人の女の拒絶の歌。
どうせ後で変わってしまうくせに。
空しい。
空しくないのはドン・アルフォンソとデスピーナばかり。
人間というものは、そんなに大したものじゃありませんよ。
それを受け入れなさいよ。
いいえ、そんなこと、とっくに知っていました。
改めて言われなくても。

物の本によれば、《コジ・ファン・トゥッテ》は長らく不当に低い評価を受け、上演も稀であったけれど、20世紀後半くらいから高い評価を受けるようになったのだとか。
確かに日本でも、急激に上演頻度が上がっているような気がする。
私が思うには、この作品は戦時下では上演できません。
・嘘の出征
・恋人の出征中の心変わり
・兵士を揶揄
絶対に軍部からの圧力があって上演できない。
平和の象徴のような作品でございます。鳩よ!

2014年6月19日 (木)

ようつべ

新国立劇場オペラ研修所を出たテノール・糸賀修平さんの歌声がYouTubeで聞けます。いい声ですね。
残念ながら、私の自宅パソコン(駄目な富士通製)では、うまく聞けないみたいなんですけどね~。

糸賀さんのブログ

2014年6月17日 (火)

糸と綿

文楽では、「九郎助内」の冒頭に、綿繰車〔わたくりぐるま〕という小道具が登場します。
(「九郎助内」・・・歌舞伎で言えば「実盛物語」の場面)

わた-くり【綿繰り】
実綿(みわた)を綿繰り車にかけて、綿花から種子を取り除くこと。また、それをする人。
「デジタル大辞泉」より

この綿繰車が、あとの場面で、太郎吉の乗る馬のおもちゃになるト。

ところが、歌舞伎の「実盛物語」の冒頭では、婆さんが綿繰りではなく糸繰りをしており、意味不明なのであった・・・。

2014年6月13日 (金)

船弁慶の御浜御殿

昭和30年代の『演劇界』を見ておりましたところ、前進座が上演した「御浜御殿綱豊卿」の写真が載っていて、綱豊の扮装が現行の「望月」ではなく原作どおりの「船弁慶」でした。
そして、長刀を持っていた・・・。「望月」のシテは手ぶらだけれど、「船弁慶」の後シテは長刀を持っているのであった。う~ん、助右衛門との激しい立ち廻りとかがあったのだらうか?

2014年6月 9日 (月)

女は皆そうしたもの

5月28日(水)に東京オペラシティで、セルソ・アルベロのソロ・リサイタルを見てきました。もう脳みそがとろけそうな美声。弱音がなんと美しいのでせう。前半のスペイン歌曲は知らない歌ばかりだったのですが、歌詞の意味が分からなくても、「何か言葉にならないほど素晴らしいことを歌っているに違いない」と思いつつ堪能しました。
リサイタルがあまりに素晴らしかったので、終演後にサインしてもらい、握手もしてもらいました。
エヘ
そして、ロビーで販売されていた「ルチア・ハイライト」のチケットも購入。
6月7日(土)にその《ルチア》を見てきました。
ピアノ伴奏による演奏会形式・ハイライト上演。合唱なし。フルートあり。侍女のアリーサがいなかったので、六重唱は五重唱となっていました。
これがもう超名演で、古今東西最高のエドガルドだったのではないかと思います。第2幕のコンチェルタートでは、通常ルチアが出すような超高音まで出してビックリ。そして終幕のアリアでは、遅めのテンポで、長いフレーズを見事に歌い切っていました。椅子に座りながら歌ったために、より声が安定したのかもしれません。演奏会ならではですね・・・。
エドガルドが自らの腹に剣を突き刺す前と後とで歌唱が変わらない歌手もいますけれど、アルベロはその点の演技力が抜群で、本当にこんなエドガルドは奇跡のようだと思いました。じゅるじゅるに泣いてしまいました。何か、鳳凰とか火の鳥とか伝説上の美しい鳥が飛来する場に居合わせたような、ただただ有り難い気持ちがしました。
さすがに嵐の場面はありませんでしたが、普通の公演でもカットされることがありますし、エドガルドのパートはだいたい聞けたのではないかと思います。ルチアの死を知らされる部分も演奏されました。
チケットの券面に「現代世界最高のテノール歌手セルソ・アルベロによる」と書かれていましたが、現代世界最高の称号も納得の名唱でした。

ところで、《ルチア》のような気高く美しいオペラがあるのにもかかわらず、なぜ西洋人は《コジ・ファン・トゥッテ》のような愚かしいオペラを見るのだろうか、と思ったのです。それはドイツの女性は皆そうしたものなのか知りませんが、ルチアは「皆」の中に入っていなかったではありませんか。蝶々さんだって。

スカラ座は、Aという演目が終了したらB、Bが終わったらC、というスタジオーネ・システムの劇場ですが、たまにAとBを交互に上演することがあるようです。
そのぶん舞台セットやライティングの仕込みが大変になるわけですけれども、客を呼ぶためにやっているのでしょう。だってミラノの夜にオペラがなかったら行かないもの。東京の夜にオペラがなかったら歌舞伎や文楽を見ればいいけれど。
それで、演目の組み合わせは思案のしどころで、《コジ》と《ルチア》は水と油なので、抱き合わせられないだろうなあと思った。

と、ここで急に、
《コジ》も《ルチア》も「女は皆そうしたもの」という共通演目なのではないかと思えてきた。
「恋は野の鳥」という歌がありますが、鳥が飛んでくるのも、鳥が去っていくのも、自分が決めるわけではない。ままならない。
「コジ・ファン・トゥッテ」という言葉が、「女はただ・飛んできた野の鳥に忠実な・ままならぬ生き物である」という意味であるならば、全ての女性が「確かにそうだわ」と頷く・・・かもしれない。そのあとが、どうなろうとも。

2014年6月 7日 (土)

Aの浮気

A.恋人が戦地に赴いている間に浮気するオペラ
・モーツァルト作曲《コジ・ファン・トゥッテ(女は皆こうしたもの)》
・マスカーニ作曲《カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎の騎士道)》

B.夫が狩りに出ている間に浮気するオペラ
・ワーグナー作曲《トリスタンとイゾルデ》
・リヒャルト・シュトラウス作曲《薔薇の騎士》

同じ浮気でも、AとBとでは、ずいぶん事情が違うのでしょうねえ。
狩りに出た夫は程なく帰ってくるけれど、戦地に赴いた恋人は帰ってくるとは限らない。
帰ってこない可能性も高い。(トゥリッドゥの兵役がどのようなものだったのか詳細は不明ですが)
普通は、浮気と言えばBの状況を想像する。Aの浮気は、ちょっと特殊な浮気だと思う。
Aが未婚でBが既婚である点も興味深い。
ところで、ロッシーニ作曲《オリー伯爵》もAに分類して良いのでしょうか?

2014年6月 5日 (木)

アデールだって、そうしたもの

ずっとスカラ座に行ってみたいと思っていた。
私はマリア・カラスのファンだから、カラスが最も活躍した歌劇場であるスカラ座に対しては、特別な思い入れがある。
しかし、メトロポリタン歌劇場やウィーン国立歌劇場のような、1度行けば複数の演目を次々に楽しめるレパートリー・システムと違って、スカラ座はスタジオーネ・システムなのであった。すなわち、同じ演目を一定期間にわたって上演し続け、そのあと次の演目に変わる仕組みなので、1演目または多くて2演目しか見られないのです。
しえ~
しかも、1公演が終わると休演日が挟まって、その間どうしよう?と思う。
そんな事情もあって、これまで行ったことがありませんでした。
ところが!
世紀のスーパーテノール、フアン・ディエゴ・フローレス主演でロッシーニ作曲《オリー伯爵》が上演される!
しかも、休演日の間には、ミラノから程近いヴェローナで、ゼッフィレッリ演出の《トゥーランドット》《カルメン》が見られる!
呼んでいる・・・。
スカラ座が私を呼んでいる・・・。
というわけで~~、夏休みにミラノへ行くことにしました。
「最後の晩餐」の見学も予約しましたよ。エヘ。

ところで、
なぜかスカラ座で《オリー伯爵》のほかに《コジ・ファン・トゥッテ》も見られる日程になっていて、ホテルで暇にしていても仕方がないので、見ることにした。
《コジ・ファン・トゥッテ》を生で見るのは初めてかも?
映像は何種類か見たことがあります。
何が面白いんだろう、あの演目。
台本は愚かしいし、
音楽は全部同じに聞こえるし、
でも《オリー伯爵》も最初は馬鹿馬鹿しいと思っていたのが途中でクルッと大好きに変わったことだし、《コジ・ファン・トゥッテ》も急に好きに変わることがあるだろうか。
「その不死鳥がドラベッラさ!」なんて言われると、「馬鹿じゃないの?」と思って鼻で笑ってしまうのだが・・・。
もっと別な演目と組み合わせてくれれば良かったのに、
でも「貞節を投げ捨てる」という共通点によってカップリングされた演目なのかも。
きっと客層が同じだと思われているのですね・・・。

ベッリーニ処女作

大好きなベッリーニ。
新国立劇場の本公演では上演されたことがないベッリーニ。
研修生が中劇場で《カプレーティ家とモンテッキ家》を1回、
オペラ劇場の貸し公演で《ノルマ》4回、
それくらいでしたか。
難しすぎて歌える歌手がいないのかもしれない・・・。

そんなベッリーニの作品を年1作のペースで果敢に上演し続けている南條年章オペラ研究室。
今年はベッリーニの処女作《アデルソンとサルヴィーニ》を上演するそうです。
1度も聞いたことがない。
そして、これを逃すと2度と聞く機会がなさそう・・・。

南條年章オペラ研究室
ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズVol.14
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ全オペラ連続演奏企画 第4回
第1作 ベッリーニ《アデルソンとサルヴィーニ》
(イタリア語 日本初演奏 日本語字幕付き)
2014年7月27日(日)17時開演・自由席5,000
津田ホール

ちなみに来年は《清教徒》を上演するそうです。
ウヒョ~
2015年8月2日(日)サントリーホール・ブルーローズ

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