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2014年9月

2014年9月30日 (火)

レクサス様

このあいだ、京都国立博物館に行って来たんです。
平常展示館のリニューアルオープンで、名品がたくさん展示されていました。
伝源頼朝像、宝誌和尚立像、天橋立図(雪舟)、早来迎、山越阿弥陀図、藻塩草、一品経和歌懐紙・・・。
ウヒョ~ ウヒョヒョ~
そのわりに、すいていましたけれども。
東京国立博物館、奈良国立博物館、京都国立博物館、九州国立博物館とあって、
年間の入館者数が1番少ないのが京都だそうです。
次に少ないのが奈良。(奈良は正倉院展があるので、京都より強いんですね。)
まあ、京都は博物館に行かなくても市内でたくさん美しいものが見られますからねえ。

京博の庭に車が1台停めてあって、何かと思ったらトヨタの広告でした。
「レクサス様」とかいう表示が出ていた・・・。
「トヨタはこんなところにまで広告を出すのか」という驚き。
「レクサス様」という看板のダサさ。

ん~~、どうなんだろう京博。

2014年9月28日 (日)

パヴァロッティのロドルフォ

久しぶりにパヴァロッティの話をしたので、ちょっとその歌声を紹介させてくださいね。
プッチーニ作曲の《ラ・ボエーム》、
世界最高のロドルフォ。

冷たい手を

この歌を生で聞くためだったら、どこへでも飛んで行きたい。



「冷たい手を」

何て冷たい手、
僕に温めさせてください
探しても見つからないよ
こんなに暗い中では
けれど今夜はちょうど月夜で
ここは一番月に近い場所
ちょっと待って
少し話をしよう
僕が誰で
何をしているか
聞いてほしい
いいでしょう?
私は誰でしょう
誰?
私は詩人です
何をしている?
詩を書いて
こうして生きている!
楽しい貧乏暮らしの中で
愛の歌だけは惜しまず
夢や幻を追い
空に描いた城に住んで
心の億万長者
ときどきやって来ては
この心から宝石を奪っていく
美しい瞳の泥棒
今もふいに入って来て
僕の夢を
大事な夢を全部盗んでしまった
けれど少しも悲しくない
だって、だってこの部屋が
希望に満たされたのだから!
僕の話はおしまい
今度は君の番
どうか教えて、
君が誰なのか
話してくれますね

2014年9月27日 (土)

グルメな湛海

●さて、
あの時どうすれば、パヴァロッティにサインしてもらえたのか?
何かプレゼントを渡せば良かったんじゃないかと思うんですよね。
つまりあのガードマンは、クレクレ星人たちからパヴァロッティをガードしていたのであり、私は別の星から来た別の生き物なのだと告げれば、扉は開かれたのかもしれない。

●「色替わる 秋の菊をば 一歳〔ひととせ〕に 再び匂う 花とこそ知れ」という和歌の解説について、補足いたします。
皆鶴姫は、自分が虎蔵から嫌われていると思っている。その証拠として、この和歌を提示する。
なぜ虎蔵が皆鶴姫を避けているのかと言えば、虎蔵は平家打倒の志を持っているし、いつ戦になり、いつ死ぬかも分からない。皆鶴姫を巻き込みたくなかったのではないでしょうか。しかし皆鶴姫は、虎蔵の覚悟をすでに承知している、死の覚悟を共有するつもりである、と告げている。
死の予感を共有する和歌なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

2014年9月26日 (金)

「菊畑」あれこれ

●「菊畑」は、わりと上演頻度の高い演目ですが、初めて見たときはあまり面白いと思いませんでした。それが、年の経つのにつれ面白くなって参りまして、特に今月の秀山祭の「菊畑」は非常に楽しめました。気がつけば自分も、虎蔵より、鬼一に近い年齢になったのですねえ・・・。(ふくきち42歳)
歌六さんの鬼一は最高だった。

●鬼一の台詞に、「かほど分別ある者を、誰〔た〕が智恵内とは名付けしぞ」というのがあります。誰が名付けたのかと言えば、作者が名付けたのでしょう。自分で付けておいて、自分で不思議がるとは、一体どうしたことか・・・、とこれまで疑問に思っていました。
今回気が付いたのですが、「誰が智恵内とは」という台詞は、「かほどやさしき花の名を、誰が石割〔いしわり〕と名付けけん」という台詞と連動しているのですね。つまり、一度だけたまたま不思議に感じたのではなく、常にそういうことを考えている。言葉の根源まで分け入っていく。そういう癖がついているのでしょう。

●私たちは日々、知らない言葉に出会うものですが、その言葉の意味を考えるかどうか、人によって違うと思います。たとえば劇中で皆鶴姫が「色替わる 秋の菊をば 一歳〔ひととせ〕に 再び匂う 花とこそ知れ」という和歌を口にしますが、客席の何人が和歌の意味を考えるでしょうか。

●考える人と、考えない人は、すごい差があると思うんです。考えない人って、何も考えないでしょう。庭掃除の仕方にしても、座布団を置く位置にしても、考えるのと考えないのとでは全然違う。

●「菊畑」の本外題〔ほんげだい〕を「鬼一法眼三略巻〔きいちほうげんさんりゃくのまき〕」と言う。「鬼一法眼」というのは登場人物の名前であり、「三略巻」というのは兵法の奥義を記した巻物の名前です。鬼一は三略巻を所持していて、主人である平清盛から献上せよと命じられているのだけれど、最後に娘婿の源義経に渡す。私も全ての詞章を読んだ訳ではありませんが、三略巻の内容が劇中で紹介されることはないと思います。が、作者の考える「兵法の奥義」は、劇中に散りばめられている。
それは「自分でよく考えろ」ということではないでしょうか。

●鬼一のお父さんは、先のことを考えて、鬼次郎と鬼三太を熊野へやった。すごい深謀遠慮だなあと思う。

●前にも書きましたが、パヴァロッティのMETデビュー30周年記念ガラ公演を見にニューヨークへ行ったことがあるんです。ディナーパーティー付きのチケットしか取れなくて、値段は約9万円でした。
パヴァロッティが出席するディナーパーティー。私はパヴァロッティと握手して、サインをもらうという野望に燃えていた。9万円も払ったのだし、パヴァロッティが各テーブルを挨拶回りに来るのだろうと思っていた。しかし実際の参加者は予想よりはるかに多く、私のテーブルはパヴァロッティのテーブルと階が異なった(爆)
私は、日本人客が集められたテーブルで、1フロア下のパヴァロッティのテーブルを眺めながら食事した。(METの吹き抜けロビー)
しばらくして、数名でパヴァロッティの席まで行ってみることにした。しかし、パヴァロッティまであと2メートル!というところで間に警備員が立ちふさがった。英語を喋れる人が「日本からわざわざ彼に会うためにやって来たのよ」などと必死にお願いしても、頑として受け付けなかった。
意気消沈して元の自分たちのテーブルに戻ったのですが、何と同じテーブルのおばさんが、パヴァロッティにプレゼントを渡してサインをもらって来たと言う。いつの間に?!あの鉄壁のガードを破って??恐るべし・・・。
「パヴァロッティのサインがほしい」という情熱は誰にも負けないと思うけれども、私には戦略がなかった。何も考えていなかったのだった。

●ここ数か月、右の足首あたりが痒いんです。数年前にも一度、同じことがあって、その時は治ったのですが、再び痒いんですね。
こういう場合、いろいろな対処法が考えられると思います。一番有力なのは、医者にかかること。しかし、前回医者に行ったときには原因も分からなかったし、世の中、原因の分かる病気ばかりじゃないんですよね。
打つ手としては、
・合成甘味料を取らないように気を付ける
・保存料に気を付ける
・乳製品をやめてみる
・卵をやめてみる
・インスタント食品、スナック菓子、冷凍食品をやめてみる
・缶コーヒーをやめてみる
・パン屋を変えてみる
・石鹸を変えてみる
・洗剤を変えてみる
・部屋をこまめに掃除する
・シーツをこまめに取り換える
・洗濯機を掃除する
など、いろいろな方策が考えつくのですが、なかなか実行できない。これらは面倒くさい事柄であるし、そこまで痒みが深刻でないのです。モチベーションが低いと言うのでしょうか。すごく痒くなったら、面倒でも全部試してみるだろうと思うけれど。

●智恵内は、分別があると鬼一から褒められるほどの男ですが、和歌のことや、恋愛のことには疎いんですね。皆鶴姫は、恋愛には強い。「どうすればいいか」ということを常に考えて、実行している。
全てに対して興味を持つことはできないけれども、みんな自分の領域というものを持っている。

●この間、実家に帰省したんです。そして、親が録画しておいてくれたテレビ番組を見たのです。『風姿花伝』を読む、という番組がありました。なかなか面白かった。
「初心忘るべからず」という言葉がありますが、「若いころの謙虚な志を忘れるな」という意味ではないんだそうです。人生には何度かの初心があり、年を取ってからの初心もある。つまり、年を取るのは、自分の経験としては初めてのことでしょう。初めての事柄、状況の変化に直面しても、よく考え、適切に対処しようとする心構えを常に忘れるな、という意味なのだそうです。舞台人として長く生き延びていくための戦略ですね。

●それで「色替わる 秋の菊をば 一歳に 再び匂う 花とこそ知れ」という和歌の意味ですが、僭越ながら私が解説させていただきます。表面的には「菊の花は枯れてしまったけれども、1年後に再び見ることができた」という単純な内容であると思います。「知れ」というのは命令形ではなく、係り結びです。強調の「こそ」が入ると、結びが変化する。なぜ「知る」を強調しているのか?この和歌は、裏に「再び見られるとは思わなかったのに」「次に菊が咲くまでに自分は死ぬのだろうと思っていたけれど」という思いが隠されていると思います。すなわち、お迎えの近い老人が詠んだ歌なのでしょう。それを若い皆鶴姫が口にしている。「私は命がけで恋をしています」という宣言なのではないでしょうか。恋の相手が牛若丸であれば、鬼三太に斬られそうになっても騒がない。皆鶴姫は、とっくに死を覚悟していたからです。ませたガキですねえ・・・。

2014年9月25日 (木)

どこを押せば

先週末、兵庫県にオペラを見に行ったので、
リニューアルされた京都国立博物館もついでに見てきたのです。
東京国立博物館と同じ匂いがした。
比喩としての「匂い」だけでなく、鼻でかぐ匂いも同じであった。
(まあ、同じ運営者が設置したわけですから、そうなるのでしょうね。)

暗い展示室の中に薄ぼんやりと作品が浮かんでいる、という、
東博と同じような展示方法でした。
作品がガラスの奥のほうに展示されていて、よく見えない。
頼朝のまつ毛とか、截金とか、どんなに目の良い人でも絶対に見えないと思う。
私は双眼鏡を持って行ったから見えましたが・・・。
「この作品の素晴らしさを100%伝えたい!」という欲望がないんですよね。
古筆の名品も遠い。
和歌くらい翻刻を掲示したらどうなんだろう。
やる気のない雰囲気が漂っている。
読めない書をただ眺めているなんて、馬鹿じゃないかと思いますよ。
私は少しなら読めますけどね~~。

全体的に残念なリニューアルでした。
人の導線が、なっていない感じ。
博物館の入口から中へ歩いていくと、裸の男が尻を向けて座っていて、←
それはロダンの「考える人」なのであった。
庭に一つだけ展示されている彫刻が異国のブロンズ像ってのは、
どういうセンスなんだろう。
(「考える人」は世界にいくつ同じものが存在するのだろう?)

私の推測では、昔は坂の下に入口があったものが、
坂を上るのが大変だとかいう理由で入口が横に変更され、
施設全体のデザインが崩れてしまったト。

私の推測では、上野の東京文化会館も、あとから入口の位置を変えていると思う。
そして変な建物になってしまったト。
変だと思わないのかね。

尾籠な話で恐縮ですが、京博のトイレに入ったんです。
自動洗浄式だったんですけれどもね、
ボタンにお尻の絵が描いてあったりするのは嫌だなあと前から感じていたので、
これはスッキリしたボタンで良いと思ったのですが、

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外国人はこれを見て、どこのボタンを押せばいいか分かるんですかね?

京博にはちょっとガッカリでした。
展示作品は素晴らしかったけれど。

2014年9月24日 (水)

《清教徒》みつなかオペラ

平成26年度芸術文化振興基金助成事業
川西市市制施行60周年記念事業

.ベッリーニ“ベルカント・オペラ”シリーズ
~作曲家に愛された作曲家、旋律の魔術師ベッリーニの世界~Ⅱ

第23回みつなかオペラ
ベッリーニ作曲《清教徒》
全3幕 原語上演 字幕付

9月20日(土)16:00開演
9月21日(日)14:00開演

みつなかホール(兵庫県川西市)

◆出演
9月20日
エルヴィーラ:坂口 裕子
アルトゥーロ:藤田 卓也
ヴァルトン:宇野 徹哉
リッカルド:迎 肇聡
ジョルジョ:片桐 直樹
エンリケッタ:高谷 みのり
ブルーノ:清原 邦仁
9月21日
エルヴィーラ:老田 裕子
アルトゥーロ:中川 正崇
ヴァルトン:松森 治
リッカルド:西尾 岳史
ジョルジョ:渡邉 寛智
エンリケッタ:西村 薫
ブルーノ:清原 邦仁

演奏:ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
合唱:みつなかオペラ合唱団

指揮:牧村 邦彦
演出:井原 広樹
合唱指揮:岩城 拓也

装置:アントニオ・マストロマッテイ
照明:原中 治美
衣裳:村上 まさあき

主催
みつなかオペラ実行委員会
(公財)川西市文化・スポーツ振興財団

週末に《清教徒》を見てきました。想像をはるかに超える素晴らしい公演でした。特に20日は本当に感動して、血湧き肉躍る興奮を覚えました。こんなに素晴らしい公演が日本人キャストで見られるとは~~~。小さなホールで、423人(オケピ使用時の定員)しか見ていないのがもったいない。出演者にとっては、おそらく一生に1度しか歌わない役でしょうから、まさに命を削って歌っている感じがしました。客席で見ているだけでもこんなに緊張するのだから、舞台で歌っている人はどうなっているのだろう・・・。アルトゥーロ役の藤田さんは、ハイFの高音を朗々と響かせていました。しかもすごい肺活量で、ブレスの回数が少ないんです。え~、こんなに続けて歌っちゃうの~~、高音の前にブレスしなくてもいいの~~と驚いてしまいました。一般的なアルトゥーロよりもロブストな声で、騎士らしい力強さがあり、第1幕のリッカルドとのやり取りも盛り上がりました。エルヴィーラ役の坂口さんも高音が強くて、かつ狂乱の演技が最高でした。ちょっと可愛らしい狂乱でしたね。第3幕の二重唱では、客席の興奮が最高潮に達し、拍手が鳴りやまなくて、2人はずっと抱き合ったままでした。
全体的に速いテンポの演奏で、同じメロディーの繰り返しがあっても、だれることがなく、ずんずん興奮度が上昇していく感じ。演出はわりとオーソドックスでしたが、丁寧で、照明も凝っていましたねえ。オーケストラは小編成だったと思うんですけれども、会場が小さいからか、大迫力でした。合唱は39人の名前が記載されていて、すごい大音量。でもソリストの声もちゃんと聞こえました。もう興奮のるつぼ。
男声の低音が充実していて、特にジョルジョを歌った片桐さんと渡邉さんが素晴らしい声でした。背も高くて見映えも良。
21日のエルヴィーラ役の老田さんは、細かい音符を正確に追う技巧に長けていましたね。アルトゥーロ役の中川さんは、やはりハイFを出していました。ちょっとギリギリな感じでしたけど・・・。
遠方なので、見に行こうかどうしようか少し迷ったのですが、行って本当に良かったです。素晴らしい公演でした。

[観劇メモ]
・「狂乱の場」のカバレッタの繰り返しは、オケの前奏部分がカットされていました。
・第3幕の二重唱は、まずテノールが1人で歌い、次にソプラノが歌っているところへテノールが絡み、別のフレーズを2人で歌って、高音を張って終わりという形でした。
・リッカルドとジョルジョの二重唱は、20日組が高く上げて終わり、21日組は低く終わりました。
・第3幕のエルヴィーラのアリア(後から追加されたもの)は演奏されませんでした。
・第1幕のエルヴィーラの狂乱には黄色い照明が、第2幕の狂乱にはピンク色の照明が(!)当たっていました。
・エンリケッタはヴェールを置いて逃走していった・・・。
・開演5分前のチャイムは、《清教徒》のメロディーから作成されていました(3種類)。
・序曲の演奏中に、当時の英国の情勢を説明する文章が字幕で表示されました。(が、あまり作品理解の足しにはならなかったかも・・・)
・ちょっと演技が下手〔しもて〕に偏っている感じでしたが、20日は下手前方の席に座っていたため、まるで私のために上演されているかのようでした。(爆)

2014年9月16日 (火)

今月の舞台

あ~仕事が忙しい~~、
忙しい~~、
終わらない~~、
どうしよう~~、
などと言いつつ、今日は時間休を取得して文楽の第一部を見てしまいました。エヘ。
「橋本」が素晴らしかった・・・。
あまり上演されないから、それほど面白くないのだろうと思っていた。
床本を読んでも、面白そうではなかった。
なのに舞台を見たら素晴らしかった。
嶋大夫さんの語りと勘十郎さんの遣う爺さんが神業のようでした。
清十郎さんも良かった。
父親だと気付く場面は、ちょっと時間が止まったみたいに感じられた。
もう涙・涙・涙でした。
昔は親と子が離れ離れになることも、珍しくなかったのでしょうねえ。

10月の素浄瑠璃の会は、チケットが取れなかったなり。・・・・・。

国立劇場の「橋本」と、歌舞伎座の「絵本太功記十段目」は、今月必見の舞台だと思います。

2014年9月15日 (月)

院展

●先日、東京都美術館で院展を見てきました。
私は、吉村誠司さんと大野逸男さんの絵が好きなんですね。今回出典されていた作品も素晴らしかった。
でも吉村誠司さんの絵は、似た雰囲気の絵が他にたくさんありました。と言うか、みんなわりと似ていた。みんな同じ学校で習った?と思うほど。
所属する会ごとに、似た雰囲気になってしまうのかもしれませんね。
・逆さまの女性
・夜の遊園地
・コンビナート
・古い駅舎
同じ題材で描いてしまう人が何人もいました。
絵の題材って、実はそんなにたくさん存在しないものなのかも?
斬新な絵って難しいですね。
でも吉村さんと大野さんは私の心の中でちょっと別格なのです。
他には、安原成美「雪間」、松岡美樹子「星の降る夜に」が好きでしたね~。
予想より遥かに作品数が多くて驚きました。
絵を描く人って、本当に大勢いるんですね。
(展示は終了しました)

文楽みやげ

芝居を見に行って、何かおみやげを買って帰る場合、その劇場ならではとか、演目に関係あるとか、要するに普通の菓子ではない、ちょっと特別なものが買いたいと思うでしょう。
国立劇場の売店で、文楽の首(かしら)の形の人形焼が売られていて、これは文楽みやげとして最適なのではないかと思いました。

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こしあんの文楽人形焼

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まさに人形焼・・・すごい
いろんな首が入ってました
これはなかなか良い
文楽のおみやげに最適
今まで知らなった

2014年9月13日 (土)

キュキュキュのキュレーター

月日の経つのは早いもので、Bunkamuraが今年25周年なのだそうです。私はコクーン歌舞伎を第1回から全て見ておりますし、今は別の会場になってしまいましたが中島みゆき「夜会」も第2回から全て見ていますので、Bunkamuraにはいろいろと思い出がありますねえ。

25周年記念の一環として、「オープン・ヴィレッジ」なる6回講座が行われています。私は6回連続参加に応募して当たったので、受講しているところです。(海外旅行のため1回行けませんでしたが)

先日は、Bunkamuraザ・ミュージアムのキュレーター(学芸員)のお話を聞いてきました。すごく自由に、やりたいことをやっていて、面白そうな仕事でした。う、羨ましい・・・。
学芸員の仕事は憧れる人も多いと思いますが、就職できても、やりたいことがやれるとは限らないそうですけどねえ。Bunkamuraは私立の美術館なので、かなり自由度が高いんですね。

Bunkamura
は、美術作品の輸送をずっとヤマト運輸に頼んでいるそうです。美術品の輸送と言えば、日通が最大手だと思いますが・・・。まあ、やりたいところとやるのでしょう。

公立の美術館の場合、取引業者を好きに選べないですからね。入札や見積もり合わせで価格競争をさせるわけです。そうすると、仕事が欲しい会社は値段を下げないと受注できないでしょう。次の入札の時は、前回落札額より更に値段を下げないと、受注できないでしょう。どんどん値段が下がっていって、入札参加者が減っていって、一番お安い会社と取引することになる。(官公需デフレスパイラル)
安くて良い会社って、あんまり存在しないと思うんですね。
入札のたびに取引相手が変わるので、お得意様というわけでもないし。(ノウハウの蓄積もない)
私も公立の施設に勤めておりますので、取引業者さんのあまりの質の低さに驚く、ということが間々あります。(差し障りがあるので具体的なことはお話しできませんけれど・・・)

だから東博の総合文化展なんかも、ダサくても仕方ないのかな~と思いますねえ。民間の綺麗な美術館と、どんどん差が開いていってね。

そういう制約のある中でも、やる気があって美しいものを生み出していく若い人が出てきたり・・・、ないか。

ちなみに、私が美術館に一番望むことは、「作品を間近でじっくり落ち着いて見させてほしい」ということです。(それは公立の美術館でも可能なはず)

《ドン・カルロス》東京芸術劇場

あ~~仕事が忙しい。きっと私の要領が悪いのですね。
ブログに書きたいこともいろいろ思い浮かぶのですが、書いている暇と気力がありません。

先週、池袋の東京芸術劇場で《ドン・カルロス》を見てきました。
芸劇はリニューアル後はじめて行ったのですが、以前のものよりだいぶ綺麗になっていました。良かった。東京都の建物は、駄目建築のオンパレードですものねえ。
こんなことを書くのも何ですが、東京文化会館、江戸東京博物館、東京都美術館、あまりに美しくなくて、行くたびに腹が立つ。友人からは、「よくそんなに怒りを持続できるね」なんて言われますが・・・。

《ドン・カルロス》はフランス語版が最上であるとよく耳にしますが、私がフランス語版で見たことがあるのはアラーニャ出演の映像(シャトレ座)1種のみで、もちろん生では今回が初めてでした。
たいへん感動して、終幕ではズルズルに泣いてしまい、前から3列目の中央席だったので、おそらく出演者からも丸見えで恥ずかしかった。
しかしその感動は、フランス語だからということではなく、5幕版でさえあれば私はイタリア語でもフランス語でも感動すると思う。
ドイツ語上演の映像を持っているけれど、まだ見ていない。(この作品はイタリアよりもドイツでの上演が多いと聞く)

演奏会形式で、出演者は楽譜にかじりつきの人が多く、演技どころではなかった。しかしエリザベートを歌った浜田さんは、さすがフランス在住だけあって、演技にも余裕が感じられました。
浜田理恵さん(エリザベート)、堀内康雄さん(オドリーグ)、佐藤美枝子さん(天の声)は最高の歌唱でした。この作品としては、ほぼ理想形。堀内さんは、最近ぐっと表現力が増していると感じますね。
コロンバーラ(フィリップ2世)はちょっと調子が悪そうで、ずっと咳払いをしていた気がしますが、さすがに声に深みがあり、美しい国王でした。(ただ、眼鏡をかけていたのが、研究者とか哲学者のようだった)
小山由美さん(エボリ公女)は、前半いま一つと感じましたが、後半すごいハイテンションで、「呪わしき美貌」はまさに名唱でした。
佐野成宏さん(ドン・カルロス)は、出だしの調子はいま一つでしたが、終幕が素晴らしかったです。
席の位置の関係からか、声は綺麗に聞こえましたが、オケの音は分離がいま一つ・・・。

私は子どもの頃、よく漫画を読んでいたのですが、『いまどきのこども』だったか『シニカル・ヒステリー・アワー』だったか、こんな話がありました。
ケーキ屋で、新しいケーキを販売することになった。店の女主人は、ケーキの名前をじっくり考え、「モン・ビジュー」と名づけた。新しいケーキは美味しくて町の評判となり、噂を聞いた人々が店に殺到した。しかし誰も「モン・ビジュー」とは呼んでくれず、たしかギャとかギョとか覚えにくい名前だったわよと言い、いつの間にか「ギョギョーム」という名前で呼ばれるようになった。フランスのエスプリ溢れる「モン・ビジュー」の名が・・・と女主人は嘆くのであった。

そしてフィリップ2世の口から「ビジュー」という言葉が出てきて、私は二十数年を経て「モン・ビジュー」が「私の宝石」という意味であることが分かり、そのことに感激した。

幕切れはイタリア語版のほうが圧倒的に好きだなあ。

メインキャストが日本人でも、こんなに感動的な《ドン・カルロス》が上演できるなんて、ちょっとビックリでした。シャトレ座の映像より感動しました。



2014年9月 7日 (日)

太十の光秀

何度も書いていますが、私は大学生のころに歌舞伎研究会というサークルに入っていました。大学2年の春に、クラスメイトに誘われて、ふらふらと部室へ行ってみたのでした。それで、じゃあ歌舞伎を実際に見に行きましょうということになって、先輩と確か4人で梅玉襲名の「伊勢音頭」を幕見しました。「しました」と言うより「させてもらった」んですね。先輩のおごりだった。私はとても貧乏な学生だったから、そうでもないと見なかったかもしれない。銀座の街の美しさも含めて、すごい衝撃的な体験でしたねえ。その日の歌右衛門のことを、まだはっきり覚えている。「僕は今日、歌右衛門を見た」と親に報告したくらいで。銀座4丁目の交差点は、昔のほうが圧倒的に綺麗でした。今はあまり綺麗だと感じない。三愛が広告塔みたいになってしまったから。昔は虹色だったんだもの。(でも今それを見たらどう感じるかなあ?)
ウチ(法政)は実演校だったから、学祭のときに実演しましたよ。「伊勢音頭」と「熊谷陣屋」でした。歌舞伎座の大道具さんに舞台を組んでいただいて、衣裳も鬘も付けて。(演技以外は本格的だった・・・)
「熊谷陣屋」のときは、床が泉太夫さんと松也さんでした。日本女子大は女義さんでやってましたね。女義さんのほうが、稽古に何度も来ていただけるそうです。竹本の方は歌舞伎の舞台で忙しいので、公演数日前の稽古が1回、公演当日の舞台稽古が1回、計2回だけの稽古だったと思います。「呼ばわる声々」のところは孝夫さんと同じにしてくださいとかって注文つけちゃったりして・・・(何様なんだか?)。鳴り物は傳左衛門さんでした。確かまだ高校生で、そんなに偉い人だとは全く知りませんでした。
半年くらいずっと同じ演目を稽古して、ビデオ先生に教わるんですけれども、あんまり上手くならないんですね。「あんたはずっと同じだった」とかって言われましたよ。
しかし、実際に舞台でやってみないと分からないことってあるでしょう。公演当日、本番前に舞台稽古をしたわけなんです。全然駄目だったんです。芝居が止まっちゃうくらい駄目。制札を取りに行く途中に行灯が置いてあったりとか、着替えが間に合わなかったりとか。どうすんだろうこれ、と思ったんですけれども、本番になったら直ってました。プロってすごいと、その時につくづく思いました。たくさんのプロの方に関わっていただいたんですけれでも、やっぱり「応援してやろう」「成功させてやろう」という気持ちをすごく持っていていただいたんだろうと思います。
1日に2回も熊谷を演じて私はもう精根尽き果てた。
演目を決めるときは、「舞台転換がない」「子役が出ない」というのが大前提ですね。「太十」「封印切」「賀の祝」「野崎村」あたりが候補に挙がっていました。「封印切」くらいの舞台転換は、何とかなるんです。日芸は、子役の出る演目もやってましたけど。人気があるのは、やっぱり綺麗な衣裳ですよ。私は長袴をはいてみたくて熊谷をやったのです。なぜ大学生が、16歳の子供がいる役をやらねばならぬのか?それは長袴をはいてみたいから。しかも鎧も着られるし、何度も着替えられてお得である。
「一念弥陀仏即滅無量罪」とか、意味の分からない言葉を自分が口にすることに罪悪感があった。
落語で、勘平をやりたがる人々というのがありますが、学生歌舞伎で五・六段目が出ることはあまりないと思う。役が納まらないので。
「太十」は、かなり強い候補でしたが、婆さんをやりたがる人がいないのと、私が光秀を演じられないので、流れました。「出来ない」と言ったら熊谷だって貢だって出来ないんですけれども、それとは別の次元で、「太十」の光秀は絶対に無理だと思いました。素人芝居では定番演目のようですけれど、実際にやるのは難易度が高すぎると思う。
私が初めて歌舞伎を見たのは平成4年4月ですが、その月に上演されていた吉右衛門さんの光秀は見ていません。20年以上、ずっと見たいと思っていたのです。でも上演されない。大蔵卿とか俊寛とか又平とか河内山とかはもう何度も何度も何度も見ているのに、光秀は上演されない。何でなんだろう。それがやっと、今月今宵、吉右衛門さんの光秀が生で見られた感激、それをどうお伝えすればいいのだろう。もう本当に素晴らしかった。客席で大興奮してしまいました。興奮しすぎて死にそう。魁春さん、歌六さん、東蔵さん、染五郎さんも素晴らしかった。これ、これぞまさしく大歌舞伎。皐月が竹槍で刺されるのって、光秀がこののち竹槍で刺されるのの先取りなんですね。今日見ていて初めて気がついた。親と子に斜めに挟まれた光秀の大落とし、因果が渦巻く様が目に見えるようでした。
マリア・カラスのノルマは見られませんでしたが、吉右衛門の光秀は生きて見ることが叶い、もう感無量です。今夜はひとり祝杯を上げます。

2014年9月 5日 (金)

水も溜まらぬ籠釣瓶

歌舞伎に『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』という演目があります。この芝居に登場する呪われた刀の銘が「籠釣瓶」。
「籠釣瓶」とは「水もたまらぬ」という意味です、・・・という解説をよく耳にしますね。籠の釣瓶が仮に存在したとしたら、漏れてしまって水が汲めない。そのことと、刀の切れ味と、何の関係があるのだろう?私はずっと分からなかった。「解説を聞いても分からない」とはどうしたことであろうか。私は馬鹿なんだろうか。

先日ふと思ったのですが、この「水もたまらぬ」とは、「水も漏らさぬ」という言葉の反対なのではないでしょうか。

これがかつては膚〔はだ〕と膚、水ももらさず抱〔いだ〕き合い、いとしきことの数限り、語りかわせし仲なるか、いかに商売女〔ばいた〕といいながら、そうまであさましい女とは、今の今まで気がつかず、生命かぎりと打込んでいたあさましさ、うつけさが、今さら思い出されて、口惜しうござる、恨めしうござると、思はず知らず熱き涙、せぐりあげての悔み泣き
文楽版『椿姫』大西利夫:脚本より

「水ももらさず」というのは、2つのものが隙間なく完璧にくっつきあっている状態でしょう。「水もたまらぬ」というのはその反対で、本来なら完璧にくっついているはずのものがスパーっと2つに分かれてしまった状態なのでしょう。くっついていた次郎左衛門と八ツ橋がスパーっと分かれて、八ツ橋がスパーっと切られてしまう。

みんな、とっくに知っていることを、遅れて気がつく歌舞伎の道・・・。

2014年9月 3日 (水)

ベッリーニ情報

全国160人のベッリーニ・ファンのみなさま、こんばんは。(推定人口)
もうご存じかと思いますが、念のためお知らせしておきます。
2014年ベッリーニ情報。

9月20日(土)、21日(日)
川西市みつなかホール(兵庫県)
《清教徒》
全3幕・原語上演・字幕付き
オケ・合唱付き
主催:みつなかオペラ実行委員会

10月11日(土)、12日(日)
テアトロ・ジーリオ・ショウワ(新百合ヶ丘)
《夢遊病の娘》
全2幕・原語上演・字幕付き
オケ・合唱付き
主催:昭和音楽大学

11月9日(日)
足利市民会館(栃木県)
《ノルマ》
演奏会形式
オケ・合唱付き
主催:足利オペラ・リリカ

私は5公演すべて拝見する予定です。
新国でベッリーニが上演されなくても、他で見るも~ん。

2014年9月 2日 (火)

アレーナ・ディ・ヴェローナのキャンドルライト

わたくし、この7月にイタリアに行ってきたんですよ。
(もう遠い昔のことのようですねえ)
アレーナ・ディ・ヴェローナで3日続けてオペラを見たのです。

 

7月8日《アイーダ》 雨のため第2幕までで中止
7月9日《トゥーランドット》 雨のため第2幕の終盤で中止
7月10日《カルメン》 無事に全幕上演

 

アレーナ・ディ・ヴェローナと言えば、開演時に客席のみんなでキャンドルを灯し、会場が幻想的な雰囲気に包まれる・・・という事前情報を得て楽しみにしていたのですが、
が、
が、
・・・なくなりました。

 

7月8日・・・入口でキャンドルが配られたものの、客席は夕方の雨で濡れており、かつ再び雨が降りそうな気配も感じられたため、キャンドルは灯されなかった。誰も灯さなかった。
7月9日・・・入口でキャンドルは配られず、「やめました」という趣旨のアナウンスが流れた。(わたくしの聞き違いでなければ)
7月10日・・・晴れて通常どおりオペラが上演されたものの、やはりキャンドルは配られなかった。「やめました」というアナウンスが流れた。(「新しい伝統を作るため」とか言ってた?)

 

というわけで、アレーナ・ディ・ヴェローナのキャンドルライトが消滅する歴史的瞬間に立ち会ったわたくし。
一度見てから消えてほしかった・・・。
しょぼ~ん。

2014年9月 1日 (月)

文楽よもやま

わたくしは文楽という芸能を強く愛しているのですけれども、そのわりに舞台を見ていない。
(ん~~、この話は前にもしたかな~~)
学生の頃は、お金がなくて見られなかった。
社会人になってからは、チケットが取れなかった。
国立劇場の職員って、あぜくら会員になれなかったんですね。
今はなれるんですけども、昔はなれなかったんです。
そうすると、文楽のチケットって、なかなか取れないでしょう。
良い席じゃないとイヤですし。
まあ、これからは取れると思いますけど・・・。

9月に上演される「引窓」も「盛綱陣屋」も、文楽では見たことがない。
国立劇場で「引窓」が上演されるのは10年ぶり、「盛綱陣屋」は5年ぶりだって。
歌舞伎ではしょっちゅう見ている気がするけれど。

「歌舞伎でも上演されますが、こちらがオリジナルです」
というキャッチコピーを考えたのですが、口にできなかった・・・。

床本の校正をしていて、「盛綱陣屋」の内容にビックリ。
えっ?こんな話だったの?と思いました。
篝火は、全部知ってたんですね。
何も知らない女なのかと思っていました。
まあ、歌舞伎と文楽は違っていていいと思いますけどね。
「負うた子に教えられ浅瀬を渡るこの佐々木」なんて言葉も、能の「藤戸」を知ったあとになってみれば、なかなかに味わい深い。

地下鉄とかデパートとかに置いてあるフリーペーパー、
この程度の印刷物でさえオールカラーなのに、なぜ文楽のプログラムはオールモノクロなのだろうかと昔から憤っているわたくし。
新作文楽のプログラムは、カラーページを多めにしてみました。
しかし、印刷物は思い通りにいかないものですねえ・・・。
・・・・・・。

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