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2015年11月

2015年11月23日 (月)

マリオ・デル・モナコ

今年はマリオ・デル・モナコの生誕100年記念の年だそうです。
日本においては、数名のテノールが「日本のマリオ・デル・モナコ」と称して舞台に出たりして、なかなか楽しい年なのであります。

ずいぶん前に読んだのでうろ覚えですが、アベ・プレヴォーの小説『マノン・レスコー』に登場するデ・グリューは、まだ年若い優男といったイメージ。
プッチーニの《マノン・レスコー》に出てくるデ・グリューは、もっと骨太な感じですね。

マリオ・デル・モナコのデ・グリュー

上記のリンクは、マノンがアメリカに島流しにされる際に、デ・グリューが「僕も船に乗せてください、でなければ僕を殺してください」と懇願する場面で、「ご覧ください、狂った僕を」と呼ばれる聞かせどころですけれども、これだけ狂ったデ・グリューは、もう聞けないでしょう。生で聞きたかったなあ!
最近の歌手は、泣き声を上げないことが多いみたいですね。「泣く場面は声を出して泣くべき」と私は思っているのですが・・・。(オペラは声の芸術なので)

ちなみに、最後に喜びの雄叫びを上げているのは、デル・モナコだけの勝手なやり方というわけではなく、ジーリもやっていました。フフ。

2015年11月16日 (月)

ロッシーニと料理

あー、仕事が忙しい。
12月は3つの長期公演が同時に幕を開けて、1つでも大変なのに、一体どうなっているのかと思う。他の部署は2つでも3つでも大して変わらないのかもしれないけれど、うちの部署は違います。

先日、ロッシーニ協会の例会で、ロッシーニに関するドキュメンタリー番組(ドイツ製作、英語)を見たのです。
ロッシーニは、37歳で《ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)》を作曲したのを最後に、以後76歳で死ぬまで、オペラを作曲することはなかった。ピアノ曲とか、小品は作曲したけれど。
それはなぜか?
というドキュメンタリー?を見たのでした。
興味の対象が作曲から料理に移ったためではないか、という仮説が立てられ、それが検証されていくわけですが、結局、答えは出ない。
それはそうでしょう。
他人の考えていることなんて、分からないもの。
ロッシーニ本人が理由を書き残しているならばともかく。
でも、なかなか面白い映像でした。
レヴィ・ストロースが出てきて、音楽と料理は時間をデザインするという共通点があり、などとフランス語で喋っていた。レヴィ・ストロースの映像って、残っているものなんですね。初めて見た。変わったじいさんだった。
リッカルド・ムーティが出てきて、音楽と愛は関係あるけれど、音楽と料理は関係ない、ロッシーニは《ギヨーム・テル》で最高の高みに達し、それを超えることができなかったのだ、とか何とか言う。
すると今度はパヴァロッティが出てきて、別々の素材を組み合わせて新しいものを作るという点で音楽と料理は共通の才能が使われている、ロッシーニは自分の欲望に忠実に生きた人で、単に作曲したいという欲望がなくなったのだろう、完璧な作品を作ったからとか、ネタが尽きたとかではないと思うよ、なんて、ムーティと正反対なことを語るのだった。
「天才は天才を知る」などと言うけれど、どうだろう?
ロッシーニの人生は非常にユニークなものであり、
他の人には務まらない、
他の人には分からない。

オペラの作曲をやめた理由として考えられる要素
①生涯年金を得て、お金の心配がなくなった
お金があれば仕事をする必要なし。
②忙しい仕事から解放されたかった
たとえばピアニストは、幼少の頃から毎日6~10時間くらいレッスンしなければ舞台に立てない。大人になってからもレッスンの毎日。途中で嫌になることもあるでしょう。
牧野邦夫という画家は、学生の頃、先生から「1日12時間以上描き続けなければ、歴史に残る画家にはなれない」と言われ、それをずっと守ったのだそうです。でもあなた、牧野邦夫をご存じないでしょう?レオナール藤田は、1日18時間描き続けたこともあったそうです。才能を維持するための努力、それをキープできるかどうか、難しいところです。マリア・カラスは「いつまでもヴィオレッタではいられないもの」と言ったそうな。
ロッシーニは《セビーリャの理髪師》を2週間で書いたとか《ラ・チェネレントラ》を3週間で書いたとか言われますけれども、何も好き好んで短期間で書いたわけではなく、劇場側の都合に合わせたのでしょう。
座元、
出演者、
観客、
わがままな人々にご奉仕するのは誰だってウンザリです。ウンザリ。
③淋しい病気を引き受けていた
歴史の謎の裏に性病あり。

いろいろ想像してのちの世の人々が楽しむために謎は残されたのだろうか?

ベシャメルソースに生ハムとトリュフを入れて注射器でマカロニに詰めた料理とか、ステーキの上にフォアグラとトリュフを乗せた料理とか、ぜひ食べてみたい。
いえ、私はいつか食べますよ。ええ。

2015年11月15日 (日)

オー・ルヴォワール・パリ

きのう、中島みゆき様の新譜を買うために、久しぶりにタワーレコード新宿店へ行ったのです。私は中学2年の時からみゆき様の歌とともに今日まで生きてきたのです。
するとお客様、貯まったポイントが今月末で失効してしまいますので、何かもう1枚お買い求めになったほうが断然お得でございます、と店員がしきりに勧めてくる。
ふーん、そう、じゃあもう1度選びに行ってきます、
はい、こちらの商品はお取り置きしておきますので、
なんつってCDの並ぶ棚を眺めるわたくし、
オペラは別のフロアだから、このフロアのJ-POPとかK-POPの中から選ぶのかな、なんだろうK-POPって?
改めて何でもいいから1枚選べと言われると、
特にほしいものが思い浮かばない、
えーと、ユーミンのCDでまだ持っていないのがあったような、
紅雀?
いや、あれは買ったような気もする、
家に帰って紅雀が出てきたらショックである。
そこで私は、KANのCDを買うことにしたのです。
KANって覚えてますか。
あの「愛は勝つ」のお兄さん。
私は「愛は勝つ」は全然好きじゃないのだけれど、
KANの「君が好き胸が痛い」がすごくすごく好きで、
名曲だなあと思う。
他にもいくつか好きな曲がありました。
才能あると思ったのだけれど、
あんまり活動してないのね、この人。
なぜだろう?
「愛は勝つ」で一生分のお金を稼いでしまったのかもしれないし、
歌いたい歌が思い浮かばないのかもしれないし、
喉が弱そうな人だったから声が出にくくなったのかもしれないし、
それは本人しか知らないんでしょう。
買ったCDの中に「オー・ルヴォワール・パリ」という曲が入っていた。
パリにさよならを告げる曲。
この日に聞くにはオツリキな曲じゃあありませんか。

パリで同時多発テロが起こってビックリだと言うけれど、
フランスはイラクやシリアやアフリカを空爆しているわけなので、
その報復がないはずがない。じゃない?
もう気軽に行ける場所ではなくなった。
オー・ルヴォワール・パリ、
私にもパリの美しい思い出がある、
大学の先輩と卒業旅行で行ったリド、ルーヴル、
1人で行ったバスティーユのデセイのルチア、ガルニエのノイマイヤーの椿姫、
1人で行ったオルセー、マルモッタン、オランジュリー、
オー・ルヴォワール・パリ。
ずっと続くのでしょう。
オー・ルヴォワール・パリ。

2015年11月12日 (木)

ニコニコカメラ

Houzennji

自分で自分の顔が好きでないので、わたくしの写真はあまり存在しないと思うのですが、これは数日前に法善寺でプロのカメラマンに撮っていただいた写真なのであった。
(撮影:出上実さん)

それで、この撮影に使われたカメラは世界初!シャッター音がしないカメラなのだそうな。全く音がしない。そういうことをするのはもちろんソニーである。

法善寺で写真を撮っているぶんには関係ないけれど、舞台写真の撮影には革命的な出来事なのであった。

国立劇場の主催公演では、客席から写真撮影が行われることはないと思う。許可しない、シャッター音のせいで。でも、これからは変わるのかも?

むかし、勘三郎さんの舞台を見に平成中村座に行ったら篠山紀信さんが私の隣でバシャバシャと音を立てて舞台写真を撮影していて、ああ、この日本一有名な、日本一機材に金をかけている篠山紀信でさえ、シャッター音のしないカメラは持っていないのか・・・と思ったことがありました。
勘三郎さんの「藤娘」を見た時も、報道陣が何人もバシャバシャ撮影していて、勘三郎さんは雑音が気にならない人だったんですね。
私はとても気にします。
気にならない人生って、どんななのかなあ。
気にしない人生。

能の舞台を見に行ってカメラが音と立てていると本当に幻滅。
お能を拝見するときは、こちらもちょっと緊張しているものだから。

写真と言えば思い出すのは伊丹十三さんのことである。
伊丹十三さんは、被写体が笑っているときにだけシャッターを切るカメラマンのことを「ニコニコカメラ」と名づけて馬鹿にしていたのであった。
有能なカメラマンは、モデルが現れた瞬間から去っていく瞬間まで、常にチャンスを狙い続けていて、固定観念に囚われない。
無能なカメラマンの類型として「指さしカメラ」というのもあって、被写体にああしろ、こうしろと指図するカメラマンのことも伊丹十三さんは馬鹿にしていた。
でも集合写真の場合だったら立ち位置とか指図してくれないと困るけれど・・・。
自分が写真を撮るとき、また写真を選ぶときにも、私はニコニコカメラになっていないだろうか、ということはよく考える。
どうしても笑っていてほしいときも、あるのだけれど。

2015年11月11日 (水)

水破・兵破

12月の文楽鑑賞教室で『三十三間堂棟由来』が上演されるので、プログラムの編集を進めているところなのですが、詞章の中に「養由〔ようゆう〕」という楚の弓の名人の名前が出てくるのです。百歩離れたところから、狙った柳の葉を射ることが出来たそうで、「百発百中」という言葉の出どころとなった人物らしいです。柳の葉と言ったら、ゆらゆらと揺れて狙いを定めるのが難しそうですし、よほどの腕前だったのでしょうね。

それで~、
源頼光が、夢の中で、養由の使っていた弓と矢を賜ったのだそうです。そして目が覚めたら実物が置いてあったのだそうな。(『前太平記』に書いてあるらしいので興味のある人は読んでみて!)
弓と矢は子孫の頼政に伝わり、鵺退治に使われたそうです。
その後さらに、矢が新田の家に伝わった。2本の矢には名前が付いていて、「水破」「兵破」という。つまり『神霊矢口渡』に出てくる矢ですね。

ずいぶん遠いところから飛んで来た矢なんだなあ~~、と思ったことでござった。(距離も、時間も)

参考リンク1


参考リンク2

2015年11月 1日 (日)

あれこれ

仕事が多すぎて指の隙間からサラサラと流れ落ちる10月。
編集の仕事は私の憧れの仕事ではあったのだけれど、とにかく量が多すぎて回っていない感じ。納得しないうちに校了・下版となり、次から次へと移っていく。もうどうしようもない。

ん~~、この子は何だか頼りないな~と思っていたウチの係の若い者が、意外と根性のある子だったことが分かり、見直した10月でもあった。
国立劇場の職員は、おそらく平成8年度採用あたりから急激に高学歴化して、東大卒や京大卒がゾロゾロいるのです。だから、これからちょっとずつ良くなっていくんじゃないかなあ。でも、若い職員はあんまり芝居は見ていないみたい。
しかし、芝居をたくさん見ている人は仕事ができるのか?というのもまた分からないところで・・・。

染五郎さんによる12月の『東海道四谷怪談』の会見もあったのでした。
夏狂言である『四谷怪談』を12月に上演する意義として、『忠臣蔵』との繋がりを強調した構成となるのだそうな。(最初と最後に新しい場面を作るって言ってた?)
それから、戸板返しとか提灯抜けとか、幽霊に連れ去れて人が消えていく場面とか、仕掛け物は全て現在の技術を使って作り直すらしい。(「現在の技術」っていうのが、『阿弖流為』みたいな技術を指すのかどうかは不明)
今回は「小汐田又之丞隠れ家」を上演するのが1つの見どころで、小仏小平が死んでも主人(又之丞)に忠義を尽くすわけですが、お岩様と小平、2人の幽霊の演じ分けもきっちりしたいと仰っていました。

私が思いますには、
「小汐田又之丞隠れ家」は、四十七士に加われるかどうかの瀬戸際のドラマという点で、五・六段目に似た雰囲気があるのではないでしょうか。『忠臣蔵』との接点が一番はっきり出ている場面で、非常に楽しみですね。伊右衛門の母のお熊っていうのが出てきて、子供をいじめるシーンが楽しそう。子役が活躍するみたい。

昨日、お岩様のお墓がある妙行寺(西巣鴨)に行って来たのですが、私のほかにお参りに来ている人が4人もいてビックリでした。
お岩様を演じる役者は、この妙行寺と、四谷の田宮神社と、そのすぐ向かい側にある陽運寺の3か所にお参りに行く習わしとなっているそうですが、私の考えでは、上演前にお参りに行って無事に千穐楽を迎えたなら、「お礼参りに行く」ということがたいへん重要だと思います。「お礼参り」「ご報告」を忘れてはいけません。

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