『信州川中島合戦』あれこれ
わたくし本を読んでいて、意味が分からないところがあると、何度も何度も同じ行を読み返してしまうことがあります。
ところが文楽の場合、浄瑠璃のテンポでどんどん先へ進んで行ってしまうので、意味を把握する前に通り過ぎてしまう場合がある。
(意味の分からないところがあっても、感動できてしまえばそれで良いのだけれど)
『仮名手本忠臣蔵』の出だしは、「嘉肴〔かこう〕ありといえども食せざればその味を知らず」という詞章で始まります。四書五経の中の『礼記〔らいき〕』に出てくるそうですが、昔の人はみんなこのフレーズを知っていたのでしょうか?「カコウ」という単語は、耳で聞いても理解できない言葉なのではないかと思うのです。でも目で見れば「美味しい料理のことかな」と分かります。つまり、義太夫節は語り物の芸能だけれども、聞く前とか後に文字で読んで楽しむことがセットになっているのではないでしょうか。
芝居というと、「1回見て全てが分かるように出来ていてほしい」と思いがちですが、それは映画とかテレビの文化なのではないかと思う。
例えばオペラの場合なら、昔は字幕がなかったので、事前に対訳を読み込んで、どの場面で何を言っているか頭に叩き込んでから見るものだったはずです。(私は海外でオペラを見る場合、旅行前に対訳を何度も読み返しておきます)
昔の能の観客は、詞章を全て諳んじている人ばかりだったと聞いたこともあります。
文楽も、特に時代物の場合、事前に詞章を読んでおいたほうが良いのではないかと思います。それは「面倒くさいこと」ではなく、「楽しみの幅が広がった」「楽しい時間が倍増した」とお考えいただければ幸いです。
さて、
来年2月に国立劇場の文楽公演で、近松門左衛門:作『信州川中島合戦』が上演されます。歌舞伎で最近「輝虎配膳」が何度か上演されましたが、今度の2月文楽では、「輝虎配膳」のあとの「直江屋敷」まで上演されます。これはやはり2場面続けて上演したほうが物語を堪能できるでしょう。
「川中島の戦い」wikipediaより
甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と、越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦い
近松の『信州川中島合戦』では、
長尾輝虎と武田信玄との最初の戦いにおいて、長尾は武田の倍以上の人数で攻めたのに、負けてしまったト。
長尾方が原因を調査したところ、武田方には優れた軍師がいて、特殊な戦術が用いられたようだト。
その優れた軍師・山本勘介には妹がいて、その妹の夫は長尾の家臣であるト。
その伝手を駆使して、優れた軍師・山本勘介を何とか味方に引き入れようト。
そのようなストーリーであります。
予習の素材としましては、
岩波書店『新日本古典文学大系』近松浄瑠璃集・下
が最適です。(この本を置いていない図書館は存在しないはず)
ただし、底本としては『大近松全集』第八巻のほうが優れているのではないかと個人的には感じています。(「細瑾を顧みぬ大丈夫」「互に目礼送礼」「軍兵の精力堅くして」あたりの漢字の選び方)
2月に上演される『信州川中島合戦』三段目の冒頭
葉公〔しょうこう〕龍を好んで画〔えが〕き刻めども、真の天龍を見て魂を失う、これ龍を好むにあらず、龍に似て龍にあらざる物を好むと言わん。将〔しょう〕の賢士〔けんし〕を好む、賢に似て賢にあらず、少ないかな才賢〔さいけん〕の臣。
これを耳で聞いてすぐ理解できますかねえ?
中国の春秋時代、楚に葉〔しょう〕という県があり、そこの領主が龍を好んでいたト。よく龍を描いたり彫ったりしていたト。ところが、いざ本物の龍が現れたら、驚いて気を失ってしまったト。この領主は、龍を好きなつもりでいたけれど、本物の龍を見たことがなくて、頭の中で思い描いていた大好きな龍は本物の龍とは別の物であったト。
優れた軍師というのもその龍と同じで、武将は優れた軍師を好むものだけれども、優れた軍師は非常に稀な存在で、その辺にいるものではなく、また頭で思い描いていたものとは異なる想定外の生き物なのであるト。
では一体、どのような人物なのか?
優れた軍師・山本勘介は、右目が不自由で、右足も不自由。勘介の女房お勝は、口が不自由。もう差別用語がバシバシ登場します。でも、その差別をものともしないところに、この作品の持つ力があると思います。
・優れた軍師は希少価値が高い
・優れた軍師は、決して主を変えたりしない
長尾輝虎は、優れた軍師・山本勘介を味方に引き入れようとし、それが可能だと思っていた。
しかし、それは優れた軍師というものを誤解していたのであった。味方に引き入れられるような軍師は、優れた軍師ではないのであるト。
観劇日まで人物関係図をトイレに貼って、土性骨に刻み付けておきましょう。
「kawanakajima.pdf」をダウンロード
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