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2016年2月

2016年2月25日 (木)

サンソンとダリラ

デリラはサムソンを誘惑する歌を歌いますが~~、
サムソンとデリラが愛し合うのは、なにもこれが初めてではない。
サムソンは、デリラを得られないことが嫌だったのではなく、
デリラを失うことが嫌だったのだなあ。

はじめから得ていなければ、諦めただろうか?

光なき 谷には春も よそなれば 咲きてとく散る 物思ひもなし(古今 967

 

国立劇場を洗濯しちゃるぜよ

息子に会えなくて寂しい清原よりも孤独な生活を送っているふくきちです。
こんばんは。

開国派、開国派ねえ。

井伊直弼が開国派だったろうか。
殺されてしまいましたが・・・。
佐久間象山は開国を唱えていたそうだ。
殺されてしまいました・・・。
土佐藩の吉田東洋は開国派だったそうです。
殺されてしまいました・・・。
勝海舟はわりと早い時期から開国を推進し、海軍設立に尽力したそうな。

なんで、みんなそんなに、攘夷攘夷と騒いでいたのだろう?
結局は開国することになるのに。
そうして現在の日本を見たら、何を思うのだろう。

そもそもなぜ日本が鎖国をしていたのかと言えば、
異国の宗教と異国の兵器を日本に入れたくなかったから、
でしょうか。
「開国」というのは「武器を持つ」ということですか。

開国してずいぶん経つけれど、異国の宗教はあまり日本に入ってきていませんね。

「太平の眠りを覚ます」などと言いますが、
本当にずっと太平だったのかね。
江戸から遠い国ほど、幕府への不満は大きかったのかもしれない。
(「たった四杯」は「たったよんはい」と読むのだろうか?「しはい」?)

いつも、世の中を変えていくのは、不満を持った人たちなのだろうか?
現状に満足している人たちは、変えないために頑張っているだろうか。

私は現在、国立劇場で働いておりますが、
国立劇場には強い不満を持っていますよ。
なんで視聴室がこんな場所にあるのだろう、とか、
ホームページがまるでなってない、とか、
この駐車場の入り口はおかしい、とか。
この貼り紙は美しくない、とか。
この扉の位置はおかしい、とか。
この絵画は傾いている、とか。
しかし、自分に決定権のないことは、もう気にしないように
しようと思うのです。
(前にも同じことを書いた、
私の話はいつも同じ、
何度も何度も繰り返す)

いま宇宙人が地球に開国を迫ってきたら、
地球は開国するだろうか?
いいことばかりが起こるとは限らなくても?

2016年2月21日 (日)

あれこれ

あ~仕事が忙しい。
今やっていることも満足に出来ていないのに、いろいろ新しいことを始めてしまって、一体どうするのだろう?

国立劇場は、どこからどこまでが何等席なのかさえホームページで分からない・・・。

私はちょっと幕末にはまりかけているところなのですが、現在読んでいる本が新選組に関する本で、江戸幕府や会津藩寄りの記述になっているみたいなんです。同じ出来事をウィキペディアなんかで読んでいると、まるで別の事件みたいな書きぶりになっていて驚きます。
何でも見方によって変わるものなんですねえ・・・。

討幕の反対が佐幕?
佐幕という言葉は討幕という意識が生まれてから発生した言葉?
尊王の反対が佐幕?
尊王攘夷の反対は公武合体・・・ではありませんよね?
攘夷の反対は開国?
でも開国派って出てきませんよね?
開国を唱える人って幕末に存在しなかったのだろうか。
ずっと鎖国してきた日本・・・。
幕末の混乱があまりにすさまじい。
命令があったとか、なかったとか、
文書で残っていないのかしらん?

いよいよ嶋大夫師匠の引退ですねえ。
私は嶋大夫師匠の大ファンだったので、本当に寂しいです。
特に「十種香」「雛鳥」「酒屋」「阿古屋」「封印切」「帯屋」「壺坂」「中将姫」「神崎揚屋」「先代萩」「おかる」「九段目」・・・生で聞けたことは、私の幸運でした。

今月の文楽公演の第3部を見たのですが、勘十郎さんの遣う知盛が素晴らしかった。玉男さんのとずいぶん違うんですね。最後の入水も、玉男さんのはスローモーションのように落ちていくのが、勘十郎さんのは一気に消え去って行きました。文楽も、やる人によってかなり違うものなんですねえ。
桐竹勘十郎さんの芸は今が絶頂期ですから、絶対にお見逃しなく。
(明日が千穐楽ですが・・・)

東京芸術劇場《サムソンとデリラ》

池袋で《サムソンとデリラ》を見てきました。演奏会形式ですけど・・・。

 

これまでの私とこのオペラとの関わりを申し上げますと、まず、オペラを見始めてからわりと早い時期に、たしかプラシド・ドミンゴとシャーリー・ヴァーレット主演による映像を1度見た。
その後、メゾ・ソプラノのアリア集CDで、デリラの「あなたの声に私の心は開く」などと言われるアリアをたびたび聞いた。このアリアは生で聞く機会も稀にはあった。

 

そして今日の芸劇です。
取り立てて好きな作品というわけではないし、行こうかどうしようか迷ったのですが、インターネットでロザリオ・ラ・スピナとミリヤーナ・ニコリッチを検索してみたら、おお、なかなか良い声ではないですか!
これは行かねば!ということで、チケットを購入しました。
インターネットは便利だねえ。

 

いや~、素晴らしい声でした。
しかし、歌手が出てきた時の見た目にも驚いた。
テノールのロザリオ・ラ・スピナは関取のような体型で、特に横幅がすごかった・・・。
ま、それはある程度予想していたのだった。
驚いたのはメゾのミリヤーナ・ニコリッチだった。
ちらしの写真では、スレンダーな美少女、という感じだったのが、
舞台に現れたのはムチムチお姉さんと言うか、
何とも肉感的な美女であった。
背もかなり高く見えた。
豊かなブロンドの髪が複雑に波打っている。
ちらしとはまるで別人・・・。
しかし、かえってデリラという役には合っていたように思いました。

 

映像を見たのはずいぶん前のことなので、
すっかり内容を忘れていたのですが、
何と「あなたの声に私の心は開く」はメゾの独唱ではなく、
テノールが絡んできて、
終結部分はテノールが奪ってしまうのだった!!
???
かわいそうなメゾ・・・(?)
呆気にとられる私・・・。

 

サムソンが髪の毛の秘密を語る場面が存在しなかったのですが~、
初めて見た人はストーリーが分かったのだろうか・・・。
髪を切る場面もなかった。
まあ、その場面をオペラにするのは難しいのかもしれない。
恋人に秘密を話してしまうシーン。
目をえぐられるシーン。
ある意味では、ストーリー上の一番の山場かと思いますが~~。
(絵画だったらその場面を描くだろうに)

 

最後の神殿崩しの場面は、プロジェクション・マッピング?を使って、
視覚的にも工夫がなされていました。

 

イスラエル人がエホバを信じるのと、
ペリシテ人がダゴンを信じるのと、
何が違うのだろう。

 

違う神を信じる人たちが争うのは、まあ分かるとして、
同じ神を信じる人たちが争うこの世界の不思議なことよ。

2016年2月15日 (月)

3月の新派

3月は、15年ぶりに国立劇場で新派公演があります。
久しぶりの国立ということで、何か大作が上演されるのではないかと思っていましたが、発表されてみれば作品が2つ、・・・つまり大作ではなかった。
『鹿鳴館』か『婦系図』か『滝の白糸』かな~と思っていたのが、
『遊女夕霧』と『寺田屋お登勢』の併演であった。
でも予想とは違っていたけれど、なかなか面白い組み合わせなのではないかと思う。

『遊女夕霧』をご覧になったら、絶対にお泣きになるだろうと思う。
人の情というものが身に沁みて。
そうして、
「ああ、日本だなあ」とか、
「昔はこんな人がいた(ような気がする)なあ」とか、
「この芝居の火を消したくないものだなあ」とか、
お思いになるに違いありません。
きっと。

さてさて、
『寺田屋お登勢』が上演されるというので、
いま私は、新選組に関する本を読んでいるのです。
『新選組を歩く』(新人物往来社)という本です。
これが非常に面白い。いま半分くらい読みました。
よくこれだけの本が編集できたものだ。
私は一応、日本史受験組だったので、
「安政の大獄」だの「島津斉彬」だの「公武合体」だの、
いろいろ覚えました。覚えさせられました。
でも実のところ日本史の授業は全然面白くなかった。
完全に「暗記科目」だと思っていた。
記憶力テストを受けているようだった。
しかし歴史には流れというものがあって、
暗記した項目が有機的に結びついていく様を見るのは
非常にエキサイティングな体験であるなあと思う。
細かい逸話や、たくさんの写真が出てくるのも、
この時代ならではの面白さだ。ゾクゾクする。
私は松平容保と会津藩のために泣く。
もう会津藩が気の毒で気の毒でならない。
大勢の優秀な若者が死んでいった。
みんな死ぬには若いなあ。
徳川慶喜、ひどくない?
「将軍江戸を去る」とか・・・。(去ったあとはどうするの)
これだけの本に、皇室や公卿に関する記述が極端に少ないのも腑に落ちぬ。
密勅は今でも内緒事項なのだろうか・・・。
食わせ者同士の応酬がすごい。
新選組の史跡を訪ね歩いてしまいそうな自分が怖い。
注:『寺田屋お登勢』は、新選組ではなく、坂本龍馬のお話ですが・・・。

★ミニ知識!
佐幕の「佐」は「たすける、すける、補佐する」の意。
佐幕・・・勤皇派に対抗して幕府を助けることを主義とした一派
だそうです。
武士が幕府を助けるのは当然だと思ったら大間違い、
幕府に不満を持っている人がたくさんいたのであった・・・。
と言うか関西の人々は、政治の中心を江戸に持って行かれたことがずっと不満だったんじゃないか、という気がする。

そういうわけで(?)、
『寺田屋お登勢』は、寺田屋騒動の歴史的背景とセットでお楽しみいただければ幸いです。

2016年2月 7日 (日)

森永ハイクラウンの思い出

あれはまだ私がテレビを見ていた頃の話だから、何年前になるのだろう?
お菓子の職人さんのドキュメンタリー番組があったのです。
「おいしいお菓子を作る秘訣は?」と訊かれて、その職人さんは、
秘訣など、ない。
菓子職人であれば、おいしいお菓子を作る方法は誰でも知っている。
良い材料だけを吟味すること、
手間を惜しまないこと。
それが出来るか・出来ないか、
それをやるか・やらないか、
それだけである、と答えていました。

やらなくなっちゃうんだって。
自分で作業を省いちゃう。
お菓子を作るのって、面倒くさいことだから。

仕事というものは、「これくらいでいいや」と思えば、いくらでも省略できてしまうものなんですね。
いま私のしている校正の仕事も、「もういいや」と思えば、そこで終了。

パンを作るのにも、面倒くさい工程がたくさんあります。
たとえばパンの中って、小さい気泡がたくさんありますね。
生地の段階で、発酵させているんですね。
発酵には、時間がかかりますね。
発酵の時間を短縮させるためのお薬が「イーストフード」です。
生産性があがるのだそうです。
(おいしさのためじゃないものがパンの中に入っている)

私はよく食パンを食べるのですが、近所においしいパン屋さんがなくて、不便なんです。
1年くらい前ですか、セブンイレブンで「金の食パン(さっくり)」というのを買ってみたら、これがなかなかおいしくて、手軽に買えて良かった良かったと思ったのです。
が、最近「金の食パン(さっくり)」がリニューアルしたら全然おいしくなくなって、ガッカリしているところなのでした。

私がおいしいなと思ってよく利用しているパン屋は、
・銀座三越のジョアン
・渋谷東急本店のドゥマゴベーカリー
・上野駅・渋谷駅のアンデルセン
です。

私も年をとって、舌がおごってきたのですね。
近所においしいパン屋がない場合、どうすればよいのでしょう・・・?

私が子供の頃、森永ハイクラウンというチョコレートがあったのですが、いつの間にか販売が終了していました。
私が何かを「おいしい」と思った最初の記憶が森永ハイクラウンだったのです。(たぶん3歳くらいの頃?)
なんで販売されなくなってしまったのかなあと残念に思っておりましたら、このバレンタイン商戦の季節に、期間限定で販売されているとの情報を入手!!
伊勢丹の「ショコラ・イセタネーション」なる特設チョコレート売り場へGO!!
行ってみたら、もう閉店間際なのに、あまりの混雑ぶりにビックリしました。
小さい一粒が500円もするチョコレートに行列する人々。
(女性だけでなく、男性も大勢いました)
でも森永のブースは誰も並んでいなかった。
森永ハイクラウンは、
近所のスーパーで売っている他のチョコレートよりはかなり高く、
ショコラ・イセタネーションで売っている他のチョコレートよりはかなり安かった。

何年ぶりだろう、私が森永ハイクラウンを口にするのは。
そうして食べてみたら、記憶の中のおいしさには遠く届かなかった・・・。
美しい記憶のままにしておけばよかったのに。

2016年2月 2日 (火)

むむ~ん?

今年、藤原歌劇団が《ドン・パスクァーレ》を上演しますでしょう。
びわ湖ホールでも同じプロダクションによる公演があって、そっちだけシラグーザが出るらしい・・・。
なぜ東京には出ないのでしょう・・・。
うえーん。

日本のオペラ公演も、不景気やら円高やら原発事故やらで、海外の人気オペラ歌手を呼ぶだけの力がなくなったのかもしれません。
そのぶん日本人オペラ歌手には枠が増えてチャンスかもしれないけれど・・・。

このブログ、検索しても全然引っかからないですよね~。
昔はもう少しヒットしたような気がするのですが・・・。
これはあれですかね、
Yahoo!などの検索能力が弱くなった、
というよりも、
日々増加していくインターネット上の情報があまりにも膨大な量となり、
個々の小さな情報が埋没していく時代となった、
ネット環境が変化した、
ということですかねえ。

検索してヒットしなければ、なかったも同じ。

まあ、ブログにオペラの感想を書く人なんかも減りましたよ。
書いてもあまり読まれないし、モチベーションが下がるんじゃないですか。

フェイスブックというのがよく分からないのですが、
友達を検索する機能はあるけれど、
記事を検索する機能はないわけですか?
全然使っていないので、よく分からないのですが・・・。
知り合いの記事が読みたい、それだけでOK、
ということなのでしょうか?

インターネットは検索しない時代へ移った?

2016年2月 1日 (月)

藤原歌劇団《トスカ》

《トスカ》という演目は、ストーリーの展開に不可解な部分がなく、派手で分かりやすく、上演時間もコンパクトなので、初心者向けの演目だと思います。
しかし私はもう初心者ではないので、《トスカ》には飽きた部分がございます。

私は何度か海外でオペラを見ているのですが、一番最初に海外で見たオペラが《トスカ》で、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(通称メト)の1階1列目でした。すごい衝撃的な体験だったんです。演出はフランコ・ゼッフィレッリ、指揮はネッロ・サンティ。トスカは「当代最高のトスカ歌い」と名をはせたマリア・グレギーナ、カヴァラドッシはリチャード・リーチ、スカルピアはファン・ポンス。
メトの舞台というのは、間口(横幅)はそれほどでもないのですが、客席が6階まであるだけに、舞台の高さが異常に高いんですね。1幕目で、教会がすっぽり舞台の中に再現されていて、度肝を抜かれました。「なんじゃこりゃ」「ここまでやるか」って感じでした。遠くの上のほうで、うっすらスモークが焚かれていた・・・。
昔の映画は、撮影のためのセットとして町を1つ作ってしまう、などということがあったそうですけれども、同じような感覚ですね。舞台のために教会を1つ作ってしまう。(裏から見たら薄い板なのでしょうけれども)
第3幕では、時間とともに色を変えていく空が、どこまでも高く高く・・・って1列目だったので、空の切れ目が見えたけれど(爆)
あれ以上の《トスカ》は、もう見られないと自分で思う。
それで、《トスカ》を見たい、という欲望がなくなってしまった。
(この話はこのブログで20回くらいしましたか?)

でも今回の藤原歌劇団の《トスカ》は、スカルピアの須藤慎吾さんがどんな演技をするのかという点に興味深々で、足を運びました。(公演2日目)
果たして、須藤さんのスカルピアは素晴らしかった。あんな緻密な演技の出来るオペラ歌手は、世界広しと言えども、そうそう存在しないと思う。スカルピアの変態ぶりや、それを人前では一応隠している素振り、くるくる変わる表情、私は完全に魅了された。まさに歌役者、演技し甲斐のある役を得て、最高に面白かった。トスカが「歌に生き愛に生き」のアリアを歌っている間、コーヒーをすすっている姿も最高。
ああ須藤さんのイヤーゴが見たいなあ!!

カヴァラドッシの笛田さんは、須藤さんのような演技力はないのだけれど、声がとても立派ですし、そういう路線もいいなあと思う。1つの行き方として、好きですね。

トスカの佐藤さんは、そんな対極的な男性2人のちょうど中間に位置するようなタイプでした。

歌唱上の技法として「パルランド=話すように歌う」というのがあると思うのですが、ちょっと音符から音程が離れすぎじゃないの~~?という歌手がいました。音符のとおりに歌って、なおかつ話しているっぽく聞こえる、というのが良いと思うんですけどね・・・。

テ・デウムの合唱の動きというのは、事前に仕込まれた動きでいいわけですけれども、スカルピアが最初に登場する直前の子供たちの動きというのは、誰かに命令されたわけではない、子供たちの自発的な喜びの表現ですよね。けれど、大人から事前にレッスンを受けて「こうしなさい」って言われた、という裏の指示が舞台上で透けて見えちゃうんですね。自発的に見えないわけなんです。舞台上で、子供たちが自発的にやっているように見せる、というのは大変に難しいことなのでしょう。
記憶の中で美化されているのかもしれませんが、ゼッフィレッリ演出の場合、そういう大人からの指示が分からないようになっている、子供たちが自らはしゃいでいるように見える、というところがすごかったと思う。一体何が違うのだろう?

スカルピアの、
Così, così ti voglio ! そういうお前が欲しいのだ
という部分の歌とオケは誰がやっても絶対にズレるわけなのですが、どうしてなのでしょうか?
どうして合わせられないように作曲したのでしょうかプッチーニは??

連れ去られるカヴァラドッシ、追いかけるトスカ、遮られるトスカ、追うのを諦めるトスカ。そのタイミングを音楽と合わせるのは大変なことらしい・・・。
現れるトスカ、トスカに気づくカヴァラドッシ、走り寄る2人、抱き合う2人(ジャーン)、スカルピアの書いた通行許可書をカヴァラドッシに渡すトスカ、受け取るカヴァラドッシ、読むカヴァラドッシ、紙の内容を理解するカヴァラドッシ、驚くカヴァラドッシ。そのタイミングを音楽と合わせるのは大変なことらしい・・・。

最後にトスカが城の屋上から飛び降りずに、階段をゆっくり上がっていく後ろ姿で幕となりました。初めて《トスカ》を見た人には意味不明だったカモ?

指揮の柴田さん&東フィルの演奏は、色彩豊かな感じで、音色も美しく、堪能しました。
第3幕の冒頭のオーケストラが、羊飼いらしさのある音を出していたのが印象的でした。
羊飼いの歌は少年ではなく、ソプラノが歌っていた?まあ日本だから用意できなかったのですね。

3幕とも同じ舞台装置だったのですが、どの場面にもフィットしていて、なかなか良かったですね。
第3幕の夜空が、普通は朝が近くなって星が減っていくはずのところ、逆に星が増えたのは不自然なようでしたけれども・・・。

写実的な《トスカ》は、もう見られないのでしょうねえ。

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