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2016年9月

2016年9月27日 (火)

つぶやき

ミラノ・スカラ座バレエの《ドン・キホーテ》を見てきたのですが、イワン・ワシーリエフはもはや空を飛べなくなっていた・・・。体にまとわりつく重力が目に見えるようだった・・・。
《パリの炎》はどうだろう・・・。(買ってませんが・・・)

城宏憲&盛田麻央ジョイントコンサート(@横浜みなとみらい小ホール)を見てきました。盛田さんのオフィーリア狂乱の場すごかった~。(以前にも全曲公演で聞いたことがありますが)
こんなにすごいのに、どうしてもっと話題にならないのだろう。
彼女のために特別な舞台が用意されていいはずなのに・・・。
(《人間の声》や《細川ガラシア》がそれなのだろうか)
早いうちに盛田さんで《マノン》の全曲を上演してほしいですね。そういうプロデューサーは現れないものかねえ。
アルフレード役の城さんが結婚指輪をしてヴィオレッタに愛を告白すると、不倫の二重唱みたいになって、まるで別の物語のようで愉快でした。
「いけませんわ、奥様がいらっしゃるのに、私が差し上げられるのは友情だけ」
「一年前からあなたのことを・・・」
みたいなセリフが脳内で展開して~。
グノー《ロミオとジュリエット》の二重唱では指輪を外していましたが・・・。

2016年9月19日 (月)

9月歌舞伎座・夜の部

歌舞伎座の夜の部を(また)見てきました~~。

私が一番長く時間を過ごす場所は職場(国立劇場)、
次が自宅(築45年のボロい賃貸マンション)、
そして3番目が歌舞伎座。
劇場にいるのは普通のことなので、今さら特別な感じはしないのですけれども、歌舞伎座で「吉野川」が掛かるといえば、ミラノ・スカラ座で《ノルマ》が上演されるのと同じくらい、異常に緊張感が高まってしまう私であった。(スカラ座で《ノルマ》を見たことはありませんが・・・、まだ上演されているのでしょうか?)

歌舞伎の「吉野川」でこんなに感動するのは、きっと、これが最後じゃないかと思うんです。両花道ということもあって、滅多に上演されませんし・・・。もう役者が揃わない。
私が「素晴らしいから絶対に見逃さないで!」といくら力説しても、見ない人は見ないのね。
みんな自分のことで忙しいし、お金もないし・・・。

それにしても、今月の「吉野川」は、特別な経験です。(25日まで)

染五郎さん、昔はもう少し声が出ていたと思うのですが、どんどん声が細くなっていきますね・・・。荒事から姫まで、1日2部、25日間連続で演じていたら、不思議もありませんが・・・。
しかし!その代わりなのか何なのか、久我之助の所作の美しさ、あれは一体どこから伝わってきた動きなのか、今まで見たこともない、「命だにあるならば」あたりの手の動き、視線の位置、江戸時代の名優もかくやと思わせる名演でした。

今日は気のせいか玉三郎さんも特にたっぷり演じているように見受けられました。
幕切れに、能で言うところの「シオリ」のような形になるのですが、これだけの大悲劇を受けて、泣き崩れるでもなく、泣く眼がしらにそっと手を添える姿で終わる、実に日本らしい、永遠に時が止まったかのような美しさでした。
(「それでこそ貞女なれ」を「それでこそ貞女なり」と言っていた??)

大判事の台詞に「人間最後の一念によって輪廻の生を引くとかや」とありますが、本当だなあと思う。閻魔の庁を通る時に、恥ずかしくないように生きなければ・・・。

死ぬということは、襖を開けて隣の部屋へ行くようなものだ、などと申します。
死んだことがないので分かりませんが・・・。
昔の人は、死ぬことを、川を渡って向こう岸へ行くことに譬えました。
雛鳥の首が吉野川を横に流れて向こう岸へ行く時に、定高のする焼香の香りがバッと客席にまで届き、何か「人が死んだ後の世界」が視覚化されて私もそれを眺めているような、不思議な感覚に捉われました。死ぬ時の匂いってこんなかなあ、音楽ってこんなかなあ、と思ったのです。

出来るだけ多くの方に見ておいていただきたいと切望する名舞台です。
2時間休憩なしなので、感動しないと辛いですが・・・。
全く感動しない人も、結構いらっしゃるみたい。
「泣くか・寝るか」の究極の舞台。
ぜひともご覧ください。
私ももう1回見ます。

《カプレーティ家とモンテッキ家》あれこれ

ベッリーニ作曲《カプレーティ家とモンテッキ家》の台本を書いたロマーニは、シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の内容に関する知識がない状態でオペラの台本を書いたそうですが、それにしても、ずいぶんストーリーが違うものですね・・・。

第2幕冒頭、薬を飲む場面で、ジュリエッタは「死ぬこと自体は怖くない」と言いながら、その舌の根も乾かぬうちに「薬を飲むのが怖い」などと逡巡する。
死ぬことは怖くないけれど、自分の死が「自殺扱い」になってしまうのは怖い、ということでしょうか?
キリスト教では自殺が固く禁じられています。
つまり自分を殺すということは、自分を作った神を否定することになるわけでしょう。
人生はハッピーエンドでなければなりません。

思っていたように効けば薬、
思っていたように効かなければ毒。
毒と薬は裏表。

一時的に仮死状態になる薬。
誰が考え付いたのだろう。
吉野川を真横に首が流れていくのよりもシュールな薬。
『ロミオとジュリエット』はSFだったのか?

ジュリエッタは父親に何の赦しを乞うているのだろうか?
あの長々しい場面の代わりに、
違うわ、あれは夜鳴きうぐいす、
いや朝を告げるヒバリだよ、
なんていう二重唱を歌っていたほうが、ずっとロマンチックなのに。
ジュリエッタは父親に何の赦しを乞うているの?
父の期待に自分が応えられないことを詫びるの?
人は他人が望むようには生きられぬもの。
好きに生きればいいのに。

ロメオと最初から駆け落ちするのと、
一旦死んだことにしてから駆け落ちするのと、
何が違うのだろう。

ロメオはなぜ毒を携帯しているのだろう?
レオノーラも毒を携帯していた。
みんな携帯しているものなの?
それでもキリスト教徒なの?

2016年9月14日 (水)

つぶやき

こんなに雨ばかり続いては、部屋の中がカビてしまう・・・。

カブキグラスのCM

私が思いますには、観劇に最適な双眼鏡の倍率は4倍ではなく8倍ではないかと・・・。

先日見た藤原歌劇団《カプレーティ家とモンテッキ家》の字幕で使われていた難しい漢字は、「齎す」ではなかったかと思う。「もたらす」ね。読めますか。

マリア・カラスはなぜ《カプレーティ家とモンテッキ家》の録音を残さなかったのだろう。ベッリーニ好きだったはずなのに・・・。
カラスの活躍中は埋もれた作品だったのだろうか・・・。
でも「ああ幾たびか」はずっと歌われていたんじゃなかろうか。
私はオペラを見始めた頃に、このアリアにはカバレッタがあると思い込んでいて、聞いたことがあるような気になっていた。幻のカバレッタ。「どうしてこの人はカバレッタまで歌わなかったんだろう!」なんて思っていた。
ジュリエッタはグルベローヴァの録音がすごいですよね。

2016年9月11日 (日)

藤原歌劇団《カプレーティ家とモンテッキ家》

食パンはサン・ジェルマンのエクセルブランが好きです。

「涙について」
どうして子供はあんなに泣くのだろう
どうして大人はこんなに泣かないのだろう
大人のほうが子供より悲しいのに

藤原歌劇団の《カプレーティ家とモンテッキ家》を両キャストとも見てきました。
オーケストラは断然2日目のほうが生き生きしていたように思うのですが、どうしてなのでしょう・・・。
指揮の山下一史さんは、知らない人でしたけれども、なかなか良かったですね~。

オペラを見る時は、なるべく事前に音楽を聞き込んで予習するようにしているのですが、仕事が忙しかったので今回は予習なし。
まあ前にも見たことがある作品だし・・・と思ったのですが、すっかり忘れていました。
こんな話だったっけ・・・?
ロメオとジュリエッタはずっと反発しあっていて、ラブラブな瞬間は1回もなかった。すれ違いの恋人たち・・・。
ジュリエッタの死はあっさりしすぎだろう。
しかし、ジュリエッタが死ぬ前に嘆くと、ロミオと同じことを嘆くことになるわけか~~。
ちょっとだけ《ルチア》の最後の場面に似ていた。

『妹背山婦女庭訓』の2人は相手のことばかり、親は子供のことばかり考えているというのに、ロメオとジュリエッタは自分の悲しみしか口にしない。(それがアリアというものか・・・)

字幕の日本語が読みづらくって・・・。
「お持ちですか・・・希望を?」みたいな感じで、全てが倒置になっている。
語順が乱れすぎていて、どこまでが一文なのか理解不能。
イタリア語の語順なのでしょうか。
日本語よりイタリア語の得意な人が訳しているのでしょうか?
そのわりに、齋藤の齋より難しい漢字が出てきていましたが・・・。(字幕でよく出せたなあ!)

2人きりになったら、2人きりでしかできないことをしてほしいよ。

みんなが去っていったことを確かめる
 ↓
すばやくジュリエッタに駆け寄る
 ↓
ひょっとして生き返るのでは?と体を揺すってみる
 ↓
本当に死んだんだと絶望する

とか・・・。

あんまりラブラブじゃなかった。
バルコニー・シーンとか、みんなが知っているような場面は一切なかった。
こんな話だっただろうか・・・。
なぜあの場面が抽出されたのだろう。

《ロミオとジュリエット》を日本語でオペラにしてみたらどうでしょう。
「おおロミオ、あなたはなぜロミオなの」
などの名ぜりふを、そのまま使って。
(笑ってしまうかな?)

1日目に、売店で林康子さんの伝記を見つけ、明日買おうかな~と思ったら2日目は売店が休みだった。
劇場の売店は、経営が大変なのね。公演が不定期ですし・・・。
劇場の運営は大変。

このオペラを見終わって、ロメオがカプレーティ家なのかモンテッキ家なのか、答えられる人は何人いるだろうか・・・。

2016年9月 7日 (水)

オペラ紅白歌合戦

●今月の標語
「大江戸線 リュックを背負った 田舎者」

清原選手が捕まって一番驚いたことは、こんな有名人であっても、こんなにも長期間バレないものなのか・・・、という点です。ということは、麻薬の使用がバレることは、ほとんどないのでは?蔓延状態??

第1回オペラ紅白歌合戦に行ってきましたよ。(第2回のことは言及していなかったけれど、あるのでしょうか・・・)
サントリーホールに行くのは久しぶりでした。久しぶりすぎて、溜池山王の駅で迷ってしまいますた。昔はもっと頻繁にサントリーホールへ行っていたように思うのですが、オペラ関連の公演が減っているせいでしょうか。

フルオーケストラでオペラアリアをひたすら聞き続けるような機会は、滅多にないような気がします。6時半に開演して、15分の休憩を挟み、終演は9時半近かったでしょうか。
歌手1人あたりの持ち時間が限られているためか、ベルカント系の曲は少なめでしたが、それでも佐藤美枝子さんがたっぷり「鐘の歌」を歌いました。すごかったです、佐藤さんの「鐘の歌」。ベルニーニの大理石彫刻を見るような、完璧に計算され尽した歌唱。名人芸をじっくり堪能しました。

ソプラニスタの岡本知高さんの歌を初めて生で聞いたのですが(「ある晴れた日に」)、想像していたよりもちゃんとした歌でした。マイクを使うのかな~と思っていたので・・・。
最後に全員で「乾杯の歌」を歌ったのですが、岡本さんが男性ブロックにいながら女声パートを歌っていたのが大ウケだった。

牧野正人さんが「私は町の何でも屋」を歌ったのですが、全編にわたってマイムが付いていて、髪をとかしたりカットしたり、あっち向いたりこっち向いたり、すごい演技力でした。日本のバリトンの間で、「フィガロの振付」が代々つたわっているのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。日本人がやるのは何度か見たことがあるけれど、外国人がやるのは1度も見たことがない。知らないだけなのでしょうかねえ?

半田美和子さんを初めて聞いたのですが(「きらびやかに着飾って」)、これまた演技力に優れていてビックリでした。

永井和子さんが、1人だけ昭和から抜け出てきたようなドレスで、目を引きました。

水口聡さんが「ある日青空を眺めて」を歌い終わったあと、かなり長い静寂があって、みんなどこで拍手していいのか分からなかったみたい。このアリア、どこで拍手していいのか分からないのね。私が率先して拍手すべきだったのだろうか。あの静寂を破って拍手するのは度胸がいりますよ。この日は一体どういう客層だったのだろう?「鐘の歌」の途中で、もう終わったと勘違いしたおじさんのブラボーがかかっていたけれど・・・。すごい度胸だなあ。字幕がない歌を初めて聞く人が、あんなに長時間楽しめるものなのだろうか・・・。

村上敏明さんは、「誰も寝てはならぬ」のあと、酸欠になったのかフラついていました。最初は冗談なのかと思いましたが、マジっぽい感じでした。倒れるのかと思った・・・。

あんなに素晴らしくても、佐藤美枝子さんがフルオーケストラで「鐘の歌」を歌うのは、一生に数回なのでしょうねえ。本当に貴重な公演でした。

NHK紅白と同じように「麻布大学野鳥研究部」が客席の判定をカウントし、結果は紅組の勝利でした。

ところで!
来年2月、ついに須藤慎吾さんがイアーゴを歌うそうです!!
(新国立劇場中劇場、2月15日)
私はこの日をずっと待っていた・・・。
きっと最高の演技を見せてくれるに違いありません。
早速チケットを予約してしまいました。

2016年9月 5日 (月)

つぶやく

藤原義江のお墓(墓誌)には、「声美しき人 心清し」と書かれているそうな。

藤原義江が国立劇場の起工式に参列している写真というのを「仕事として」探しているのですが、いくら探しても出てこない。
写真を探すのは別に苦ではなく、こんなことでお給料がいただけるのは有り難いと思うのですが、膨大な時間がかかり、そして、その間の他の仕事が消えてなくなるわけではないのだった・・・。(消えてくれればいいのに)

1枚の写真に涙あり。
ツメ人形にも涙あり。

藤原義江に関する本を3冊も買ってしまった。読む時間もないのに。
昭和41年に国立劇場が出来た時、オペラや新劇が外されたことを藤原義江はとても恨んでいたらしい。
しかし藤原義江の「オペラに国立劇場を」という夢は、平成9年に新国立劇場として叶ったのであった。死んだあとだけれど・・・。
死んだあとに叶う夢もあるものなのですね・・・。
藤原義江は、日本語によるオペラがヒットすることも夢見ていたそうですが、こちらの夢はまだ叶っていないみたい。

最初の国立劇場からオペラがはじかれたのには、直前に東京文化会館が出来た影響が大きかったらしい。
東京文化会館って、大ホールでの主催公演がほとんどないのは、どうしてなのだろう・・・。
収支はどうなっているのだろう・・・。

今日は、歌舞伎座の夜の部を見てきました。
「吉野川」は特別に好きな演目で、
たまに「一番好きな演目は?」なんていうアンケートがあると、
私は「吉野川」と書きますよ。
本当にジュルジュルに泣いてしまいましたよ。
もう、なかなか見られないでしょうから、見逃さないでくださいね。
「らくだ」も面白かったです。
「吉野川」のあとに「らくだ」??
と心配していたのですが、軽く笑えて良かった。

先日、「岡田尚之 凱旋テノールリサイタル」に行ってきたのです。
「ある日青空を眺めて」と「誰も寝てはならぬ」が大変良かったですね。
これだけの歌は滅多に聞けないと思います。
《ル・シッド》のテノールのアリア「おお、裁きの主、父なる神よ」も演奏されました。
《ル・シッド》という作品は、マリア・カラスが「泣け泣け我が目」というアリアを録音に残しているので知っているというだけのオペラですが、テノールのアリアもわりと良かった。
全てを失い、苦境にあっても信仰を失わないという内容。
神を信じるということは、自分で自分の人生を肯定できるということ。
なかなか難しいですが・・・。
アンコールは「ゴッドファーザー愛のテーマ」と「ヴォラーレ」の2曲。
「愛のテーマ」って、最近流行ってるんですか?

歌舞伎のご贔屓連中には、そろそろ「娘道成寺」の禁断症状が出ているのではありませんか?
今月、国立劇場の舞踊公演で「娘道成寺」が上演されます。
国立劇場の主催公演で「娘道成寺」が上演されることは滅多になく、
また、これで最後じゃないかと噂されております・・・。
同じ公演で『切支丹道成寺』も上演されるのですが、私はこのほど初めて歌詞を読みました。洒落た歌詞ではありませんか。
六世藤間勘十郎の振付で六世中村歌右衛門が踊ったそうですが、映像は残っていないのでしょうか。見てみたい・・・。
なにか、知らないだけで実は映像が残っていたりすることって、あるじゃないですか。
マリア・カラスのディスコグラフィーは出版されているのに、歌右衛門の全映像リストがないのはなぜなのだろう・・・。
まあ、歌舞伎の映像は簡単には入手できないですからね。

七代目坂東三津五郎の「喜撰」の映像を見てみたい。

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