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2016年9月19日 (月)

9月歌舞伎座・夜の部

歌舞伎座の夜の部を(また)見てきました~~。

私が一番長く時間を過ごす場所は職場(国立劇場)、
次が自宅(築45年のボロい賃貸マンション)、
そして3番目が歌舞伎座。
劇場にいるのは普通のことなので、今さら特別な感じはしないのですけれども、歌舞伎座で「吉野川」が掛かるといえば、ミラノ・スカラ座で《ノルマ》が上演されるのと同じくらい、異常に緊張感が高まってしまう私であった。(スカラ座で《ノルマ》を見たことはありませんが・・・、まだ上演されているのでしょうか?)

歌舞伎の「吉野川」でこんなに感動するのは、きっと、これが最後じゃないかと思うんです。両花道ということもあって、滅多に上演されませんし・・・。もう役者が揃わない。
私が「素晴らしいから絶対に見逃さないで!」といくら力説しても、見ない人は見ないのね。
みんな自分のことで忙しいし、お金もないし・・・。

それにしても、今月の「吉野川」は、特別な経験です。(25日まで)

染五郎さん、昔はもう少し声が出ていたと思うのですが、どんどん声が細くなっていきますね・・・。荒事から姫まで、1日2部、25日間連続で演じていたら、不思議もありませんが・・・。
しかし!その代わりなのか何なのか、久我之助の所作の美しさ、あれは一体どこから伝わってきた動きなのか、今まで見たこともない、「命だにあるならば」あたりの手の動き、視線の位置、江戸時代の名優もかくやと思わせる名演でした。

今日は気のせいか玉三郎さんも特にたっぷり演じているように見受けられました。
幕切れに、能で言うところの「シオリ」のような形になるのですが、これだけの大悲劇を受けて、泣き崩れるでもなく、泣く眼がしらにそっと手を添える姿で終わる、実に日本らしい、永遠に時が止まったかのような美しさでした。
(「それでこそ貞女なれ」を「それでこそ貞女なり」と言っていた??)

大判事の台詞に「人間最後の一念によって輪廻の生を引くとかや」とありますが、本当だなあと思う。閻魔の庁を通る時に、恥ずかしくないように生きなければ・・・。

死ぬということは、襖を開けて隣の部屋へ行くようなものだ、などと申します。
死んだことがないので分かりませんが・・・。
昔の人は、死ぬことを、川を渡って向こう岸へ行くことに譬えました。
雛鳥の首が吉野川を横に流れて向こう岸へ行く時に、定高のする焼香の香りがバッと客席にまで届き、何か「人が死んだ後の世界」が視覚化されて私もそれを眺めているような、不思議な感覚に捉われました。死ぬ時の匂いってこんなかなあ、音楽ってこんなかなあ、と思ったのです。

出来るだけ多くの方に見ておいていただきたいと切望する名舞台です。
2時間休憩なしなので、感動しないと辛いですが・・・。
全く感動しない人も、結構いらっしゃるみたい。
「泣くか・寝るか」の究極の舞台。
ぜひともご覧ください。
私ももう1回見ます。

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