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2016年11月

2016年11月28日 (月)

愛だけで走ってゆく

1000円でカットしてくれる床屋さんでいつも髪を刈ってもらっているのですが~~。
予約できないから少し待つわけなんです。
週刊ジャンプとかフライデーとかが置いてあって、それはまあ過去に見たこともある雑誌なのですが、今日、生まれて初めて『パチスロ必勝本』なる月刊誌をめくってみた!
「あべし1000点」「ART獲得」など意味不明な言葉が並んでいた・・・。
何の説明もなく、いきなりマニアックな世界。(私には縁がない)
しかし逆に、この読者層が文楽のプログラムをめくったら、何にも分からないかもね~。
その『パチスロ必勝本』の奥付を見たら、編集者が14人も名前を連ねている。ライターもすごい大勢。本文デザインは専門の会社がやっているではありませんか。

国立劇場の主催公演のプログラムは職員5人+アルバイト1人で編集している。
そのうち過去に『忠臣蔵』を見たことがあるのは、おそらく私だけ。
1人は任期付き職員で、今年の4月に来た方ね。
本文レイアウトも校正も職員がやるんですよ。
時にはインタビューもするし、原稿も書きます。
新国立劇場は本文レイアウトと校正は専門の人がやってるんじゃないの?
どうなっているのだろう?

この間、『テアトロ』の劇評で、「制札の見得」が「表札の見得」になっていた。どんな見得やねん。他にも誤植がボロボロあり、もう駄目ね~、世も末ね~、って感じでした。
この間、うちの職場内で回ってきた書類で、『舌出し三番叟』が『下出し三番叟』になっていた。下を出されては敵わない・・・。

2016年11月27日 (日)

よもやま

あー仕事が忙しい。
仕事をしているか、芝居を見ているか、その2つくらいしかない生活。
まさに「我が刻はすべて演劇」を地で行く毎日です。
歌舞伎や文楽は見ているけれど、
美術館に行ったり、能を見に行ったりすることは極度に減った。
そうしてもう何の気力もなくなり、
来年の浅草歌舞伎や六本木歌舞伎のチケットは取らなかった。

普通、特別な興行をする時は、
人員を増やしたり、ご祝儀が出たりするものなのでは??
国立劇場は何もない。
人が減って、仕事が増えて、
褒められるでもなく、
逆に何かをすれば文句を言われ、
名前を出してもらえるわけでもなく、
給料が増えるでもなく、
他の劇場のチケットがまわってくるでもなく、
自分の劇場の芝居さえろくろく見られない状況。
なぜ私はこんなに私生活を削って働いているのかと自分で思うこの頃。
過去に文楽や歌舞伎で感動したことのご恩返し、
それくらいしか浮かばない。

きのう、久しぶりに能の公演を見に行ったのです。
(ずいぶん前にチケットを取ってあった)
野村太一郎さんの『奈須与一語』がもう最高に格好良かった。
何だか頼りないお兄さんだったのに、
しばらく見ない間にこんなに立派な若武者になって、
狂言の新しい日の出を見るような、
何か尊く有り難いものを拝むような気持ちになりました。
日々の精進が、こんなふうに花開く時がやってくるのだなあ。
おじさんは応援しています。(心の中で)

上演前の解説の中で、
「本日のプログラムに誤植があり、アイの野村太一郎さんの名前が抜け落ちていました」とか何とか言っていたのですが、それは誤植とは言わないんじゃないかなあ・・・。
どこも人手が足りなくて大変ですね・・・。

2016年11月 6日 (日)

ノルマの指輪

ブログのログインパスワードも忘れてしまうほどご無沙汰しておりました。
みなさんお元気ですか。

 

長く生きておりますと、いままで分からなかったことが突然分かるようになることがあり、なんだ、そんなことだったのか、と思ったりするものです。それが正解かどうか知らないけれど、何でも自分で納得できればいいのでしょう。

 

マリア・カラスはオペラの世界で最も成功した歌手の1人ですが、その人生を辿ると、「ローマ事件」なる出来事が出てきます。
1958年1月2日ローマ歌劇場で、風邪気味の不調をおして《ノルマ》に出演したマリア・カラスは、有名なアリア「清らかな女神よ」の直後に「それが100万リラの声か?ミラノへ帰れ!」という野次を受けて第一幕の途中で降板。イタリア大統領が臨席する特別な公演だったこともあって大スキャンダルとなり、以後イタリア中の歌劇場から締め出しをくらう。カラス本人は「喉の不調による降板」と主張したが、「野次られたのが気に食わなくて気まぐれで降りた」と悪口を言われ続けた。

 

これがもし日本だったら、マリア・カラスのほうではなく、野次った人のほうがずっと非難され続けただろうと思うんです。だってその野次のせいで世紀のプリマのノルマを聞く千載一遇の機会を逃してしまったんですよ。
マリア・カラスは歌い方がユニークだったので、アンチ・カラス派なる人々が少なからずいたそうですが、カラスのノルマを聞きに行ってカラスに野次る感覚というのが、私にはよく理解できなかった。
しかし今日、《ノルマ》の舞台を見ていたら、このオペラの歌詞はまるでローマに喧嘩を売っているような内容だなと感じ、キリスト教の総本山であるローマの客の中には、この異教徒の物語を見て不快に思う人も当然、一定数いるであろうと思ったのであった。
ローマで《ノルマ》を上演するのは、他で上演するのと状況が違う。
ローマ事件で野次った人の気持ちが理解できる日が自分にやって来ようとは思わなかった・・・。

 

マリア・カラスが最も愛するオペラ《ノルマ》。最大の当たり役であり、その魅力を存分に引き出すがゆえに選ばれた演目。キリスト教によらぬ愛の成就の物語という点で、ギリシャ悲劇の復活を目指したオペラの初期理念を最も体現している作品とも言えよう。
ローマ人であるために、マリア・カラスのノルマを楽しめなかったのだとしたら、何とお気の毒なことであろう。

 

マリア・カラスの舞台写真集を持っているのですが、ノルマ役で左手の薬指に指輪をしている写真が残っている。
巫女が左手の薬指に指輪をしているというのは、どういうことであろうか?
オペラ歌手は、リサイタルの時には、どのような内容のアリアを歌う場合であっても、既婚者は指輪をして出てくる・・・ことが多い。
しかし舞台ではどうだろう。
未婚の役で指輪をすることは、あまりないだろう。
(マルセロ・アルバレスやジュゼッペ・フィリアノーティは、アルフレードで指輪をしていましたが・・・)
しかし、今日《ノルマ》を見ていて分かったんです。
ドルイド教徒にとっては、左手薬指の指輪には何の意味もないだろうと。
けれど、ノルマにとっては特別な意味があったのだろうと。
しかしその意味を仲間のドルイド教徒は理解できないし、
そのことを知っていてノルマは巫女でありながら指輪を楽しんでいたのかなと。
ポッリオーネが誓いの言葉と一緒にくれた指輪を。

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