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2017年3月

2017年3月29日 (水)

『うしろ面』

3月25日(土)に、国立劇場主催の舞踊公演を見てきました。
国立劇場の小劇場は、本当に音響が良くて、邦楽の演奏に最適。うっとり。
でもホリゾント幕にシワが寄っていて、たまに風でヒラヒラ動くのが最悪・・・。

私は、尾上墨雪〔おのえ・ぼくせつ〕さんの古典が好きなので、墨雪さん目当てに行ったのですが、公演全体としても素晴らしい内容でした。特に藤間勘左〔ふじま・かんざ〕さんの『斧琴草〔よきことぐさ〕』に目を見張りました。こんなに素晴らしい人がまだいらっしゃるものなのですね・・・。
それから、市山七十世〔いちやま・なそよ〕さんの『うしろ面』が非常に面白い作品でした。頭の後ろに狐の面を付けていて、前が尼さん、後ろが狐、2つの役を1人で踊り分けるのです。後ろ側の狐をどのように踊るのか、興味津々。
宝暦12年(1762)に二代目瀬川菊之丞が初演した作品ですが、歌舞伎では伝承されず、新潟の市山流にだけ残ったという珍しい作品だそうです。
腕があり得ない角度に曲がるような、曲芸的な踊りかと想像していたのですが、実際に拝見しますと、もっと体全体を使って「後ろ側を前であるかのように見せる」踊りとなっていました。
なぜ狐と尼僧〔にそう〕を1人で踊り分けるのか?
「狂言の『釣狐〔つりぎつね〕』から想を得ているので」と説明されることが多いようです。
それは「作品成立の経緯」ですね。
技術的なことを言えば、前を踊っている時には後ろの面を隠しておかなければならないので、頭巾を被った尼さんが「設定としてちょうど良かった」ということがあるでしょう。
しかし歌詞の内容から言うと、この女狐は、畜生ながらも「成仏したい」=「苦しみから逃れて楽になりたい」と思っているのです。その願望が「尼僧」という姿になるわけです。
では、女狐は何に苦しんでいるのかと言えば、それはもちろん「恋」です。
この場面に至るストーリーは何も説明されていないのですが、歌詞を読めば分かると思います。女狐が人間に恋をして、人間の女に化けて付き合っていたのだけれど、正体がバレて故郷へ帰る道中を踊りにしたのだと思います。

長唄『うしろ面』
一念他生無量業 仏の誓い有り難や あさましや 我ながら たまたま娑婆に生まれ来て 人を偽ることをのみ 憂き業とする畜生の いつか流転を逃るべき なまうだ なまうだ 南無阿弥陀 打つや鉦鼓の殊勝さよ 聞いて仏になりたかろ 似たかのう 水鏡 映る姿も恥ずかしや
我は化けたと面影を それぞと悟る犬の声 ぞっと身に染む鳴子風 寒き夜嵐 身にしみじみと 野寺の鐘に憎や枕を驚かす いやいやの 悪戯や 里の童が石投子を 手々に擲つ強者 辛気辛苦の苦がござる
ここは待乳のな 山中なれば筆にゃ事欠く 硯墨ゃ持たず もしも忘れずなァ お尋ねあらば 森の木陰にこの身を寄せて やがて逢おうと言うてたもれさ 姿恥ずかし 懐かしや
花の縁の 仮の間にあおぞ 畦道 細道廻れ 廻れ くるくる 鳥の羽音に鳴子の縄にひらり くるりと腰をしなえて 踊り舞うて去のうよ 我が故郷へ帰らん
谷峰しどろに くるりくるり 姿見紛う草隠れ

『葛の葉』だったなら、正体がバレた時に自分の居場所を筆で書き残してくるところだけれど、今の私には筆さえもない・・・、けれどいつか私を尋ねて来てね!という、諦めの悪い女狐なのですね。ここで、後ろ向きで墨を擦って、筆で文字を書く振りが付いています。
そして、背中側で合掌するのがクライマックス。背中側で合掌。私は深く感動した。
大変洒落た作品なので、もっと頻繁に上演されればいいと思うんですけれどもね・・・。
(小さめの劇場向き)

2017年3月18日 (土)

新国立劇場《ルチア》

◆ネタバレあり◆
新国立劇場の《ルチア》を見てきました。(公演2日目)
初日に友人から「すごかった」というメールをもらっていたんです。
友人からプルミエの感想メールが届くなんて、なかなかオツなものではありませんか。
それが、歌唱がすごかったのではなく、演出がすごかったって言うんですね。
だから事前に評判や感想を読んだりしないほうがいいって。
すごい演出って、どういうことだろう?
「美しい」ということだろうか?
「奇抜で意外性がある」ということだろうか?
「お金がかかっている」ということだろうか?
これまでに私がオペラの演出で「すごい」と思ったのなんて、フランコ・ゼッフィレッリ演出の舞台くらいじゃないだろうか?ゼッフィレッリの舞台は本当にすごいと思いましたよ。心の底から熱狂しました。
あとは、少し落ちますが、ロンドンで見た《ラ・チェネレントラ》に感心したことがあるなあ。身分の高低と、それを途中で入れ替えたりする人物描写が秀逸で、さすが演劇の国だと思いました。
それから、パリで見た《ルチア》は、演劇的なんだけど抽象的な感じで、こんなやり方があるのか・・・と新鮮でした。
新国の「トーキョー・リング」は、大掛かりですごいと思いましたけど・・・。
そう新国の《リゴレット》と《ナブッコ》は、舞台装置にすごいお金をかけていて、しかしそれが全く効果的でなく、お金をかければ良いものができるというものでもないのだなあという当たり前のことを再認識しました。それも「すごい」といえば「すごい」演出だったかもしれません。

さて今回の《ルチア》。幕が開くと、波が打ち寄せる岸壁。この波の表現が「すごい」のだろうか。それとも空の雲の映像が「すごい」のだろうか?
わりと普通っぽく進行していき、私としては特別に「すごい」と思うようなことが起こらぬまま、狂乱の場へ突入。
登場したルチアが槍みたいなのを手に持っており、その先にアルトゥーロ(本作中、最も気の毒な、殺された花婿)の生首が刺さっている。
ゼッフィレッリ演出の《トゥーランドット》でも、竿の先に生首が刺さっているのが出てきますね。西洋風のさらし首でしょうか?でも人の首を切るのはずいぶん力がいると思うけれど、ルチアにできるのかなあ?
このさらし首が例の「すごい演出」なのか?まあ確かに刺激的ではあります。(アルトゥーロを歌った歌手の顔に似せて作ってあったようです・・・)
舞台を刺激的にするために、脱いだり、血みどろにしたりするのが、西洋人は本当に好きですよね。
と思っていたところが!
婚礼を祝っていた広間の後ろの壁が上にひらけて、その奥から第1幕の「泉」の舞台装置が押し出されてきたのです。
こっ、これは!!!!!
ひょっとすると、狂ったルチアが見ている幻を全て舞台上に視覚化してみせようという新演出か!?
これかっ、これが「すごい演出」なのか!!
すると、あの泉の中から血まみれ女の幽霊が貞子のように這い出してくるのか?
薔薇の花が振り撒かれるのか?
今回の公演で話題になっている「グラス・ハーモニカ」は、雲形のゴンドラに乗って登場してルチアの頭上で演奏されるのか?
松明の炎が舞台上で火柱をあげてルチアの周囲で輪を描くのか?
司祭が出てくるのか?
エドガルドも出てくるのか?
エドガルドの最後のアリア「我が先祖の墓よ」の場面に死んだルチアが登場する演出はこれまでにも見たことがあるけれど、ルチアの狂乱の場にエドガルドが出てくるのはまだ見たことがない。
一体どんなふうに絡むのだろうか?
2人の演技はどうなるのだろうか?
と一瞬で妄想を膨らませたのですが、
それは実行されなかった・・・。
いつになったら「すごい演出」が出てくるのだろう?
ついに最後の場面になってしまった。
崖。
そして崖の向こうは海。
あの波が最後に津波となって、こちら側に押し寄せてくるとか・・・?
おや?アリアを歌うエドガルドの足元に、四角く切り穴が開いている。
あの穴から、ルチアの幽霊が出てくるのだろうか?
むかし、勘三郎さんが「四の切」の狐忠信を演じた時、スッポンが下がっていて、下がっていたらあそこから出てくるって分かっちゃうじゃん、分かっちゃったら面白くないじゃん、と思ったら、予想外にまるで弾丸ロケットのようにスッポーン!と狐忠信が宙に飛び出して来たことがあって、最高に興奮した。
一体ルチアは、あの切り穴からどのように登場するのだろうか?
きっと背中から羽根が生えていて、宙乗りで天上へ向かって飛んで行って、それをエドガルドが宙乗りで追いかけていくに違いない。
・・・と思ったら、実際はその穴はルチアの死体を埋めるための墓穴であった。
なぜルチアの墓穴が事前に掘ってあるのか!?
まるで死ぬのが分かっていたようではありませんか??
エドガルドは、ルチアの遺体を抱きあげたままアリアを歌い続け、すごく元気そうで、全然死なない感じだけど、どうするんだろう・・・と思ったら、アリアを歌い終わったエドガルドが舞台奥の崖っぷちのほうに向かって走っていく。
こっ、これは!!!!!
まさかルチアの遺体を抱いたまま海へ飛び込むのか?!
サンタンジェロ城の屋上からトスカが身を翻すみたいに海へジャンプか?!
これが例の「すごい演出」なのか?!
1階席ではなく4階席を選ぶべきだったか?!
と思ったら、崖っぷちで立ち止まったままで幕が下りてしまった・・・。
?????

歌手はエンリーコを歌ったアルトゥール・ルチンスキーが良かったですね。(でも名前は覚えられなさそう)

政右衛門はなぜ我が子を殺すのか【再掲】

現在、国立劇場で歌舞伎の「岡崎」が上演されています。
国立劇場ならではの企画と言えるでしょう。
平成26年12月に、44年ぶりに国立劇場で復活上演され、それが歌舞伎における「岡崎」上演史の最後になるのではないかと思っていたのですが、ここでもう一度見ることが叶いました。
長く上演されなかった理由として、「子供を殺すのが残酷だから」という点があると思われますが、我が子を殺す芝居は他にもございます。むしろ「殺す理由がよく分からないから」という理由だったのではないかという気もするのです。
政右衛門が我が子を殺す理由について考えた過去の記事を再掲しておきます。前回上演された時に書いたものです。

【問題】政右衛門はなぜ我が子を殺したのか、理由を推察して述べよ。
という問題が出たら、何と答えますか。

歌舞伎を見ていて、「意味が分からなくても楽しめる」という舞台は確かにありますが、だからと言って「分からないままで良い」とは思わなくて、「分かりたい」と思う欲望が私にはあります。それは、他の人の解釈と違っていていいと思うんです。ただ、自分で納得したい。後になって考えが変わってもいい。

今月、44年ぶりに歌舞伎で「岡崎」が上演され、話題になりました。私が「岡崎」に接したのは、昨年9月の文楽公演が初めてでした。歌舞伎ほどではありませんが、本家の文楽でも「岡崎」の上演は珍しい。その時は予習をせず、「敵討ちのために我が子を殺す」という粗筋だけしか知らずに、いきなり舞台を見てしまったのでした。大夫は私の大好きな嶋大夫師匠で、素晴らしい語りでした。しかし、意味の分からない部分がたくさんありました。1度しか見なかったのも悪かった。
そして今月の歌舞伎では少し予習をしてから「岡崎」を3回拝見しました。12月4日(公演2日目)、20日、26日(千穐楽)でした。
4日は吉右衛門さんが元気なさそうに見え、あまり感動しませんでした。ところが20日に拝見した時は、まるで別の芝居のように舞台が白熱し、手に汗握る名演だったのです。国立劇場で働いていることを誇りに思える最高の舞台でした。そして26日は、「岡崎」が上演されるのも歌舞伎の歴史上これが最後かなあと感慨にふけりながら見ておりました。

これまでは漠然と、自分の素性を隠すために我が子を殺したのだと思っていました。お谷が邪魔だったのと同じように、我が子の存在が邪魔だった。
しかし考えてみますと、実際には、殺したことで逆に正体を見破られている。すなわち、作劇上、正体を隠すために殺したのではないことになる。
妻のお谷がこの場にいると、言葉にはしなくても、お谷の表情や態度から政右衛門の正体がバレてしまうかもしれない。(幸兵衛は、厚さ約9センチの俎板の裏側をも見通す眼力を持った男)
けれど息子の巳之助はまだ赤ん坊であり、巳之助の表情や態度から政右衛門の正体がバレることは絶対にない。その理由では殺す必要がない。

ところで、政右衛門が我が子を殺す理由は、2か所のせりふで説明されています。

政右衛門のせりふ(A)
この倅〔せがれ〕を留め置き、敵の矛先〔ほこさき〕を挫〔くじ〕こうと思し召す先生のご思案。お年の加減か、こりゃちと撚〔より〕が戻りましたな。武士と武士との晴れ業に人質取って勝負する卑怯者と、後々まで人の嘲〔あざけ〕り笑い草。少分ながら股五郎殿のお力になるこの庄太郎、人質を便りには仕らぬ。目指す相手、政右衛門とやらいう奴。その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが頼まれた拙者が金打〔きんちょう〕

幸兵衛のせりふ(B)
匿〔かくま〕う幸兵衛、狙うは我が弟子。悪人に与〔くみ〕してくれと頼むに引かれず、現在我が子をひと思いに殺したは、剣術無双の政右衛門、手ほどきのこの師匠への言い訳。さりとては過分〔かぶん〕なぞや

政右衛門は幸兵衛に対して嘘をついているわけですから、(A)のせりふは嘘である可能性が高い。
一方(B)のせりふは、もうお互いに隠し事もなく、全てをさらけ出している状態ですから、確実な情報と言えるでしょう。しかしこの(B)のせりふが、よく分からない。分かるのは、殺したのが「師匠への言い訳」であり、幸兵衛はその行為に感謝している、ということばかり。
仮に「師匠を騙していることが申し訳ないので、お詫びの印に我が子を殺した」とすると、「なぜ、そんな行為を幸兵衛が感謝するのか」が分からないではありませんか。(そんなことをされても、嬉しくないでしょう)

ここで、もう1度(A)のせりふを見てみます。

政右衛門のせりふ(A)
①この倅を留め置き、敵の矛先を挫こうと思し召す先生のご思案。お年の加減か、こりゃちと撚が戻りましたな。武士と武士との晴れ業に人質取って勝負する卑怯者と、後々まで人の嘲り笑い草。
②少分ながら股五郎殿のお力になるこの庄太郎、人質を便りには仕らぬ。目指す相手、政右衛門とやらいう奴。その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが頼まれた拙者が金打

(A)のせりふは2つに分けることができ、①は本当、②は嘘なのではないでしょうか。本当と嘘が混ざっている。
つまり幸兵衛が巳之助を人質にした場合、「股五郎を殺すと巳之助の命はないぞ」と政右衛門を脅すことになる。それは政右衛門だけにこっそり伝えることは不可能なので、多くの人の知るところとなる。幸兵衛は卑怯者であると人々の笑い草になる。政右衛門としては、我が子が人質に取られたからといって敵討ちをやめるつもりはない。結局、幸兵衛は巳之助を殺すはめになる。人質作戦は効果がない上に、汚名だけを残す。そのことを現時点で知っているのは政右衛門のみ。どのみち助からない命であれば、自ら巳之助を殺し、育ての親を卑怯者にさせぬほうが良い。→我が子を殺す
ということなのではないかと、12月20日に「岡崎」を拝見しながら、吉右衛門さんの(A)のせりふを聞きながら、私は思ったのでした。

【回答】武術の師匠であり育ての親でもある幸兵衛を、卑怯者とさせぬため。

ついでながら、「ちと撚が戻りましたな」と「まだお手の内は狂いませぬな」は対になっているせりふであり、どちらも本心から出た言葉であると思います。

さて、あなたなら何と回答なさるのでしょうか・・・。

2017年3月16日 (木)

歌は世につれ

わたくし最近ちょっと、『おくのほそ道』に心ひかれているのです。
私もちょうど、松尾芭蕉がその旅をしたのと同じ年齢となり、今年はできるだけ東北の旅をしたいと思っています。

芭蕉は、「陸奥の入口」とも言われる「白河の関」を越える時に、次のような句を詠んだそうな。

風流
〔ふうりゅう〕の 初〔はじめ〕や おくの田植〔たうえ〕うた
(聞こえてくる田植え歌が、陸奥の風流の初めであるなあ)

「田植え歌」と言えば、歌舞伎好きな私はすぐに『京鹿子娘道成寺』の「早乙女、早乙女、田植え歌」を思い起こします。昔は田んぼのある所ならどこでも田植え歌が聞かれたものなのかもしれません。でも陸奥の田植え歌は、それまで芭蕉が住んでいた土地の田植え歌とは、ちょっと違うものだったのでしょう。そこに風流を感じたのでしょうか。
しかし、どの地域の田植え歌であっても、苗を1本1本水田に植えていく作業に合わせて歌うものですから、リズムは田植え固有のリズムだったのではないでしょうか。田植え歌には田植え歌の、茶摘み歌には茶摘み歌の固有のリズムがあるのではありませんか。
田植えなんて、できることなら、誰もやりたくないでしょう。面倒くさい仕事ですから。でも、手では面倒くさい仕事をこなしながら、頭では別の楽しいことを考える能力が人間には許されています。それが牛追い歌になったり、糸繰り歌になったりするのでしょう。莨を刻む時の歌もあったでしょうか?その仕事が室内か屋外か、1人の仕事か集団の仕事か、仕事の性質によって歌も変わってくるでしょう。

子供の頃、私は神奈川県南足柄市という田舎で育ちました。家が田んぼに囲まれていて、自然が豊かな土地でした。周りじゅう田んぼだらけだったのですが、田植え歌は一度も聞いたことがない。田植えはすでに「田植え機に乗ったおじさんが1人で行うもの」だったからです。田植えは別のものになった。仕事が消えると歌も消えてしまうのです。仕事歌は仕事と番いになっている。

国立劇場は昨年が開場50周年だったのですが、初期の民俗芸能公演では、民謡の公演がたびたび行われていたんですね。今は全く行われておりません。民謡そのものがなくなったわけではありませんが、民謡人口は激減しました。私が子供の頃は、NHKのど自慢でも、民謡を歌う人が高い確率で出ていたような気がするんですけれども。(すごい歌唱力で)
国立劇場主催の現在の民俗芸能公演は、「お祭りの時に演じられる芸能」が多いですね。(現在の民俗芸能公演で「歌」って言うと、神楽歌くらいでしょうか・・・?)

コサックダンスの映像
↑このコサックダンスの映像は本当にすごいと思うのですが、かなり古い映像であり、現在も同じ踊りが見られるのか心もとない。
この踊りは、農業だか林業だか分からないけれど、ふだん肉体労働をしている人々から生まれ出たものではないでしょうか?何もないところから突然出てきたものではない。肉体労働が消えると、踊りも消えてしまいますよね・・・。

日本の伝統芸能は、これまでよく続いてきたものですねえ・・・。

2017年3月14日 (火)

助六の紫【再掲】

今月は歌舞伎座で「助六」が上演されていますので、関連した過去記事を再掲しておきます。自分で書いておいてアレですけど、この記事は面白いと思うんです。



紫色を、「ゆかり」「ゆかりの色」と表現することがあります。『助六由縁江戸桜』という外題〔げだい=タイトル〕にも入っていますね。なぜ紫のことを「ゆかり」と言うのか、その原因となったのが、次の和歌です。

■紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(詠み人しらず)

紫を「ゆかり」と言うのは、この歌のためであるとされています。しかし、歌の中に「ゆかり」という言葉は含まれていませんし、何が「ゆかり」なのか、いろいろ調べてみたのですが、分かりやすく説明してくれる文章は存在しないんじゃないかと思うんです。存在しないものは自分で作るしかない!ということで、僭越ながら私が分かりやすく解説させていただきます。

 

この歌は『古今和歌集』に収録されているのですが、その当時の武蔵野(現在の東京あたり)はたいへん辺鄙〔へんぴ〕な田舎でした。和歌を詠むのは京〔みやこ〕に住む上流階級の人々であって、田舎の人はふつう和歌なんて詠まないんです。この歌の作者も、もともとは京に住む人だったのだろうと思います。ところが、京に住む上流階級の人々には「除目〔じもく〕」と言われる人事異動があって、急に地方の役職に任命されることがあったんですね。地方に赴任することは、必ずしも左遷とは限らなくて、地方のほうが財源が潤っていたりして、田舎で財力をたくわえて京に戻ってくるというようなケースもありましたが、武蔵野がそのような土地であったかは知りません。ともかく信じられないくらいの田舎で、今で言えば海外赴任で開発途上国に行くような、心細い感覚であったろうと思います。赴任した男だか、随行した女だか分かりませんが、この歌の作者がいざ武蔵野にたどりついてみますと、気候も違うし、だだっ広い武蔵野の野原には、見たこともない・名前も知らない草がたくさん生えている。仕事とは言いながら、何だって私はこのような場所に来ることになってしまったのだろう…なんて、自分の身をつくづくはかないもののように思っておりますと、野原の中に1本(1種類)、知っている草が生えているのです。その草は「紫草〔むらさき〕」と言って、歌の作者は見たことのない草だったのですが、存在は知っていたのです。この草の根は「紫根〔しこん〕」という、紫の染料でして、まだ京にいたころ、紫根で紫に染めた布は身近に使っていたからです。紫草の花って、紫色ではなくて、白い花なんですね。根っこは紫の染料なのだけれど、なぜか花は白。どんな花なのか見てみたい…、でも誰も見たことがないんです。京には生えていない、武蔵野の草だからです。その、誰も見たことのない花をいま自分が見ていると思うと、こんなに辺鄙な田舎の風景であっても、ちょっと素敵に感じられました。そういう内容の歌だと思います。武蔵野に住むようになった作者にとって、紫だけが京との接点だった、接点すなわち「ゆかり」ということです。

この歌は、武蔵野に住んでいる人に向けて詠んだ歌ではないでしょう。いつも紫草を見ている人には、この歌の意味は分からないのです。この歌は、京に住む知り合いに向けて詠んだ歌、「よりによって武蔵野に赴任だなんて、あの人いまごろどうしてるのかしら?」なんて思っているだろう知人に送った歌だと思います。

「あはれとぞ見る」の「あはれ」は、「しみじみと趣き深い」などと現代語訳されます。プラスの評価の言葉なのだけれど、どこか淋しい、陰りのある言葉です。切ない美しさとでも言うのでしょうか。しかし、2代目團十郎が助六を演じていたころ、江戸はもう、そのような場所ではなくなった。政治の中心地となり、活気に満ちていた。道を整備したり、橋を架けたり、家を建てたり、新しい仕事がいっぱいあった。よし、江戸に出て新しい生活を始めるぜ!という人々が集まって、とてもエキサイティングな、憧れの場所となった。

その土地にしか生えない植物で染めた色なら、その色はその土地の色、イメージカラーであり、やがて「江戸紫」と呼ばれるようになった紫根染めの紫は、江戸を象徴する色となった。

「紫のひともとゆえに」の歌は、『古今和歌集』に収録された千首あまりの歌の中でも、取り分けよく知られた歌でした。『源氏物語』の主要人物である、紫の上の名前の由来となった和歌だからです。知識人は全員この歌を知っていて、武蔵野と言えば紫、紫くらいしか思い浮かばない場所、という強いイメージを持っていた。その紫も、時代とともに意味を変えていく。紫はもう淋しい色ではなく、活気のある江戸を象徴する格好いい色となった。今日も助六は、江戸の色の鉢巻をして、花道へおどり出て行くのだった。

2017年3月11日 (土)

歌舞伎名ぜりふかるた

何度も書いていますが、私は現在、国立劇場で編集の仕事をしております。国立劇場の主催公演のプログラムを編集しているのですが、そのほかに「国立劇場グッズ」も作成することになっています。
むかしは職員がグッズを作ることは少なかった。ほとんどなかった。数年に1回くらい、絵はがきや一筆箋を作る程度。
ところが!
10年くらい前ですか、国立科学博物館がグッズ販売ですごい収入を叩き出したのだそうで、国立劇場もグッズで収入を上げるという話が俄かに持ち上がったト。10年くらい前。
ええっ、うちって非営利団体じゃなかったの?
グッズはすでに売店で作っているのだし、別に劇場が作らなくても・・・とは思ったのですが、自己財源が増えればそのぶん芝居で好きなことができるのでしょうし、まあ決められたお仕事ですから、とにかく私も何かグッズを作ることにしたト。
いろいろと制約がありまして、まず食べ物は駄目なんです。それから、特定の出演者の舞台写真とか紋とか文様は使えないでしょう。
そこで私は文楽絵はがき(人形遣いは写っていない)を作ることにして、舞台写真の選定から出演者の承諾(人形遣いが写っていなくても承諾は必要)、印刷会社とのやり取りなどの作業を経て、5枚セットの文楽絵はがきを2種類作成しました。
これは、なかなか美しい絵はがきが出来上がったのでは?うーん、1公演で売り切れちゃったらどうしよう~~、ムハハハハハ、などと皮算用していたのですが、これがもう全然売れなくって逆にビックリ。在庫の山、大赤字!
ええ~、こんなに美しいのに、どうして~~、どうして~~。
5枚セットで税込み700円という価格設定が強気すぎたのだろうか・・・。
でもそのくらいの値段じゃないと収入が出ないじゃないの。
これが売れないなら、もう何も思い浮かばない!!
そうして私はグッズ作りからすっかり離れていたのですが、今年度は国立劇場開場50周年で、何か特別なグッズを作らなければいけないとか・・・。おお・・・。
うちの係の働き頭の
さんが、ぬいぐるみやクリアファイルやマグネットや、1人でいろいろなグッズを企画してくれたのですが、その50周年記念グッズの目玉が「歌舞伎名ぜりふかるた」でありました。
それって作るの大変すぎじゃない?とは思ったのですが、まあ50周年だし、面白い企画なので、私もいろいろ協力しましたよ。

まず前提として、絵札には国立劇場所蔵の錦絵を使うことにしました。本当は舞台写真を使ったほうが売れるのでしょうが、それは無理なので。
※ニューヨークのメトロポリタン歌劇場では、オペラ歌手の写真(ひょっとしてイラスト?)を使ったトランプを売っているようです。ドミンゴとかグレギーナとかアラーニャとか。どうやって人選したのだろう。後で揉めたりしないのだろうか?「どうして私が入っていないんですか」「どうして私がクイーンじゃないのかしら」とか。まあ民間なら出来るのかもしれません。でもオペラは、衣裳・鬘・メイクだけでは何の役なのか分かりませんね・・・。

錦絵を使うとなると、明治以降に書かれた作品は錦絵が存在しないわけで、いくら名ぜりふでも長谷川伸や真山青果のせりふは入りません。

なるべくいろいろな演目から入れたい、という前提で名ぜりふ選びがスタート。
しりとりと同じで、ラ行の名ぜりふがないんですよね~。
ラ行には本当に苦労しました。
「流人は一致」というのは私が提案したのです。
ところが、私は「流人は一致」にしたかったのですが、「流人は一致、我々も帰るまじ」のほうが分かりやすいという意見が出て、そうなってしまった。
わたくし、自分に決定権がない仕事からはどんどん手を引かせていただこうと思っているのです。ええ。

意外なところで、「す」で始まる名ぜりふが見つからない。
ありそうなのに、どうしても見つからない。
す、す、す、
・すらざぁ言って聞かせやしょう
・すがねぇ恋の情けが仇
・すかも正月十五日
・すんぞ火の用心が悪うごんしょう
・すすすんちゅうの虫とはおのれが事よな

「し」ならいろいろあったのに・・・。

うちの係だけでなく、国立劇場のご意見番
先生にも考えていただき、「す」の名ぜりふは『鬼一法眼三略巻』から「スワと言わば晴の草履」と決まりました。
ところが!
かるたを考えるだけでも大変なのに、せりふの解説書も作ることになり、私は「大変だからおよしよ」と言ったのですが、説明がないと何だか分からないというので、これもうちの係の働き頭
さんが考えたのです。1つの名ぜりふにつき303文字以内で説明。
ところが!
「スワと言わば晴の草履」のせりふがどうしても説明できないと働き頭の
さんが言うので、私が考えることになりました。(一応、係長なので・・・)
実際のところ、「スワと言わば晴の草履」を303文字以内で説明するのって、かなり難しいんですよねえ。物語の人物関係がちょっと複雑でもありますし・・・。

すわといわば晴れの草履
虎蔵が皆鶴姫より先に戻ってきたのを咎め、鬼一が智恵内に杖で折檻させるくだりになる。「菊畑」の鬼一では唯一のしどころだ。ここの鬼一は、虎蔵を牛若とは前から知っているが、智恵内が鬼三太であるかどうかはまだはっきりしていないので、それを確かめてみようというのが肚である。従って、視線はあくまで智恵内のほうに注がれている。ただし、「すわといわば晴れの草履引っつかまんと思う性根はなく・・・」の台詞は牛若丸への暗示なのだから、そのつもりで利かせなければならない。ところが、こうした台詞や視線の意味は、「奥庭」が出てこそはっきり判明するのであって、通常の「菊畑」だけでは
観客にわかる筈がないのだから、せっかくの鬼一役者の演技も空虚になってしまうのだ。前にも述べたように本文の「奥庭」のくだりを読むと、鬼一の物語によって、智恵内に折檻を命じた理由が説明されてある。また、漢の張良〔ちょうりょう〕が黄石公〔こうせきこう〕の沓〔くつ〕を取ったのを認められて兵法を伝えられた故事にたとえ、牛若丸も虎の巻を伝授されるために草履取になったといって、鬼一はその奇縁を喜んでいる。つまり、「菊畑」で鬼一が「晴れの草履・・・」というのは、草履取を怠るようではなかなか虎の巻が手に入らないぞという教訓を含めているのである。

これは昭和39年11月の、たしか『演劇界』に載っていた記事です。(むかしの作品解説は読み応えがありました・・・)

すなわち、虎の巻を手に入れる極意が、このせりふに込められているのでありました。

草履取りというのは、低い身分ながら、貴人に接する機会の多い、特別なポジションだったのでしょう。取り分け、成り上がりを目論む人にとっては。
日本においては、草履取りから頂点に上り詰めた豊臣秀吉という実例がありましたから、特別な意味合いがあったのかもしれません。
中国では、張良という例があり、歌舞伎ではあまり出てきませんが、能では『張良』という「そのものズバリ」の作品が存在します。張良という人物が老人から兵法の極意を授かる物語ですが、いろいろ考えさせられる作品ですよ。

情報というものは、集めている人のところに集まってくるものでしょう。集めていない人には集まってきません。そして、収集には年月がかかるものです。
つまり情報はたいてい年寄りに蓄積されている。
そして兵法というものは、敵に知られてしまっては兵法にならないのですから、他の人には教えてあげないものなのです。
それを何とか得るための極意が「スワと言わば晴の草履」の名ぜりふに込められているわけですね。

「スワと言わば」の「スワ」は、いつ起こるかわからない、だから「いつも」そこにいなくてはいけない。たとえばカメラマンだったら、シャッターチャンスにその場に居合わさなくてはいけないのと同じように。
思えば勘平さんは、色にふけったから腹を切るのではなく、大事の場所に居合わさなかったから腹を切るのですね。
「侍」という文字が、「侍る(身分の高い人のそばに付き従っている)」であるのも、そういうことなのかなあと思うのです。

「い・色にふけったばっかりに」で始まり、「す・スワと言わば晴の草履」で終わる「歌舞伎名ぜりふかるた」。なかなか綺麗にまとまったのではないかと思います。
「む・昔を言やァ、ねぇ旦那(切られお富)」のような、「そんなせりふ、あったっけ?」という名ぜりふも混じっていますが、「昔、旦那と何があったのだろう・・・?」などと考えますと、実に味わい深いせりふであります。

先日、この「歌舞伎名ぜりふかるた」を使用して、かるた取り大会が開かれました。(あぜくら会員限定企画)
若手歌舞伎俳優の中村萬太郎さんが実際に札を読んでくださるという超ゴージャスな企画!
せりふを言い終わる前に札を取ってしまうケースが多く、せりふがかき消されがちでしたけど・・・。
萬太郎さんは、「舞台で言ったことがあるせりふは1つもない」「1つでも多く舞台で言えるように頑張ります」と仰っていました。
また山川静夫さんが、声色を披露したり、助六の長ぜりふを言ってくださったりして、会場も大いに盛り上がりました。

読んで楽しい、
取って楽しい、
国立劇場監修「歌舞伎名ぜりふかるた」。
国立劇場の売店で、どうぞお買い求めください。(税込み2000円)

2017年3月 5日 (日)

宇宙図書館

灰皿が謝りました。『アッ、シュトレイ』
(むかし南伸坊さんが言ってたダジャレ)

私は高校1年の時からのユーミンファンでして、苗場には行ったことがない程度のライトなファンですが、最初に見たDAWN PURPLE TOUR 1991- 1992とか、Strollin' Cowgirl Tour 1997とか、本当に本当にすごかったですねえ。バブルの最大の成果だったんじゃないだろうか。
これまで、大きなツアーは見てますね。
今やっている宇宙図書館ツアーは、仕事が忙しくてチケットが取れなかったんですよね~。タイミングを逃してしまって・・・。
アルバム購入者限定先行抽選予約の第二期分っていうのを申し込んだところなのですが、ちゃんと取れるのかな。
先行抽選予約のシリアルナンバーをゲットするためにCDを2枚買ってしまいますた。エヘ。
でもユーミンのコンサートに1人で行くのも侘しいものですよ、ええ。

最新アルバム『宇宙図書館』に入っている「GRAY」という曲が、切なくて最高なんです。
私の心はアッシュトレイ
ええっ?ユーミンが自分の心を灰皿にたとえるなんて?
そんな安っぽいものにたとえるなんて?
と思ったら、その灰皿は何と大理石で出来ているのであった・・・。
大理石の灰皿・・・、見かけないなあ。
生活が違うんですね。
もっとも、灰皿というもの自体を最近あまり見ないですね。
煙草を取り巻く環境は激変しました。
私自身は煙草が苦手なのですが、好きな人が煙草を吸うのであれば、私の心も灰皿になりましょう。

中学生や高校生の頃、自分は早くに死ぬものと思っていました。
好きな歌や、本や、舞台や、絵画に助けられて、今日まで生きてしまいました。
振り返れば、必要なものって、必要な時期に、タイミングよく自分に与えられてきたような気がする。

私は、新国立劇場が開場した平成9年にオペラに興味を持ち、すぐにマリア・カラスに引き込まれました。CDや写真集を買い集めました。ところが、存在を知っていながらどうしても手に入らないカラス本が1冊あったのです。1976年に限定1500部で主婦の友社から出版された『マリア・カラス その人と芸術』。実物を見たことさえない。もう手に入らないものと諦めていました。それが20年も経った今年になって手に入ったのです。おそらく、所有していた爺さんだか婆さんだかが高齢のため他界され、遺された本が古本市場に出回り、インターネットと宅配便を経由して、今になって私のもとへ届いたのですね。
カラスの写真はたくさん見たことがありますが、初めて見る写真も多数掲載されており、実に興味深い逸話も記されていました。
古い本のモノクロ写真なのですが、なぜか大変美しいのです。
印刷の方法が違うのか、紙の違いなのか・・・。
ご褒美というか、砂糖菓子というか。

人生って、不思議なものですね。(美空か!)

2017年3月 1日 (水)

つハぶンやガきリー

先日のことですが、ハンガリーから数日のあいだ日本に研修(?)に来ている青年(?)とお会いしたのです。私は国立劇場の職員なので、劇場の中を少しご案内し、お話をしました。
その方は、日本の伝統芸能全般に興味があって、その中で能が一番好きで、「道成寺」の映像を見て泣いたことがあるという、ちょっと変わった青年でした。
ハンガリーには、キャパ1000席以上の劇場は3つしかない、と言っていました。
本当なのだろうか・・・。
日本には、いくつあるのだろう・・・。
多すぎて数える気にもならない。

劇場にしても、美術館にしても、日本にはたくさんの公共施設がありますが、維持していくのは大変なことです。
私は公共施設の前庭に「水が入っていない噴水」があるのを3度くらい見たことがありますよ。
建てた時には維持できると思ったのが、途中から維持できなくなってしまったんですね。
「可変式の客席」が可変しないままになってしまう劇場も見受けられます。
新国立劇場の池も、そのうち枯山水になるんじゃないかと心配で・・・。
新国って、開場した時にはバブルが弾けていたけれど、構想された時にはバブルの絶頂期だったためか、維持にすごくお金がかかるんですよね。巨大な恐竜みたいな感じ?舞台機構とか、照明・音響設備とか。パソコンが10年もたないのと同じで、舞台機構なんかも10年もたないのね。(日本で最高レベルのものを揃えていてほしいものだとは思いますが・・・)

「国立劇場」っていうと、働いている人は全員が公務員なのではないかと思われたりしますが、私は公務員ではありません。でも試験採用された正規職員であり、お給料は税金からいただいています。
もちろん職員以外に民間業者もたくさん入っていますよ。
警備、清掃、売店、案内係、舞台スタッフetc・・・。
たくさんの民間会社の中から、委託業者をどうやって決めているかと言えば、公平性が最も重視されるので、「入札で提示された金額が一番安かったところ」になります。金額以外の要素をも併せて採点する場合もありますが、入札手続きがすごく複雑になって手間がかかるので、ごく一部の案件に限られますし、金額が最も重要な加点要素であることには変わりがない。たいていは1年、長くても2~3年の契約ですね。
「安くて優れている」というのは、なかなか難しいですよねえ。決まった品物を買う場合にはいいかもしれませんが、労働力の場合、優れている人というのは普通は給料が高いところへ行ってしまうわけですからね。
かと言って、そんなに高額な警備が劇場にとって必要なのか?というのも、なかなか難しい問題ですよねえ。

国立劇場から委託業者に支払われるお金は、税金から出ているものと、チケット代などの売り上げ(自己財源)から出ているものと、両方あります。

興行というものは、お金のかかるものですよね。大道具、衣裳、かつら、小道具、いくらでもお金がかかるわけですから。劇場に足を運ぶ客が一番望んでいるのは「良い芝居を見たい」ということ、それは間違いないのないところです。

今後、日本の劇場は数が淘汰されていくのではないかと私は思っているのですが、美しく縮小していってほしいものですね。

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