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2017年3月18日 (土)

政右衛門はなぜ我が子を殺すのか【再掲】

現在、国立劇場で歌舞伎の「岡崎」が上演されています。
国立劇場ならではの企画と言えるでしょう。
平成26年12月に、44年ぶりに国立劇場で復活上演され、それが歌舞伎における「岡崎」上演史の最後になるのではないかと思っていたのですが、ここでもう一度見ることが叶いました。
長く上演されなかった理由として、「子供を殺すのが残酷だから」という点があると思われますが、我が子を殺す芝居は他にもございます。むしろ「殺す理由がよく分からないから」という理由だったのではないかという気もするのです。
政右衛門が我が子を殺す理由について考えた過去の記事を再掲しておきます。前回上演された時に書いたものです。

【問題】政右衛門はなぜ我が子を殺したのか、理由を推察して述べよ。
という問題が出たら、何と答えますか。

歌舞伎を見ていて、「意味が分からなくても楽しめる」という舞台は確かにありますが、だからと言って「分からないままで良い」とは思わなくて、「分かりたい」と思う欲望が私にはあります。それは、他の人の解釈と違っていていいと思うんです。ただ、自分で納得したい。後になって考えが変わってもいい。

今月、44年ぶりに歌舞伎で「岡崎」が上演され、話題になりました。私が「岡崎」に接したのは、昨年9月の文楽公演が初めてでした。歌舞伎ほどではありませんが、本家の文楽でも「岡崎」の上演は珍しい。その時は予習をせず、「敵討ちのために我が子を殺す」という粗筋だけしか知らずに、いきなり舞台を見てしまったのでした。大夫は私の大好きな嶋大夫師匠で、素晴らしい語りでした。しかし、意味の分からない部分がたくさんありました。1度しか見なかったのも悪かった。
そして今月の歌舞伎では少し予習をしてから「岡崎」を3回拝見しました。12月4日(公演2日目)、20日、26日(千穐楽)でした。
4日は吉右衛門さんが元気なさそうに見え、あまり感動しませんでした。ところが20日に拝見した時は、まるで別の芝居のように舞台が白熱し、手に汗握る名演だったのです。国立劇場で働いていることを誇りに思える最高の舞台でした。そして26日は、「岡崎」が上演されるのも歌舞伎の歴史上これが最後かなあと感慨にふけりながら見ておりました。

これまでは漠然と、自分の素性を隠すために我が子を殺したのだと思っていました。お谷が邪魔だったのと同じように、我が子の存在が邪魔だった。
しかし考えてみますと、実際には、殺したことで逆に正体を見破られている。すなわち、作劇上、正体を隠すために殺したのではないことになる。
妻のお谷がこの場にいると、言葉にはしなくても、お谷の表情や態度から政右衛門の正体がバレてしまうかもしれない。(幸兵衛は、厚さ約9センチの俎板の裏側をも見通す眼力を持った男)
けれど息子の巳之助はまだ赤ん坊であり、巳之助の表情や態度から政右衛門の正体がバレることは絶対にない。その理由では殺す必要がない。

ところで、政右衛門が我が子を殺す理由は、2か所のせりふで説明されています。

政右衛門のせりふ(A)
この倅〔せがれ〕を留め置き、敵の矛先〔ほこさき〕を挫〔くじ〕こうと思し召す先生のご思案。お年の加減か、こりゃちと撚〔より〕が戻りましたな。武士と武士との晴れ業に人質取って勝負する卑怯者と、後々まで人の嘲〔あざけ〕り笑い草。少分ながら股五郎殿のお力になるこの庄太郎、人質を便りには仕らぬ。目指す相手、政右衛門とやらいう奴。その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが頼まれた拙者が金打〔きんちょう〕

幸兵衛のせりふ(B)
匿〔かくま〕う幸兵衛、狙うは我が弟子。悪人に与〔くみ〕してくれと頼むに引かれず、現在我が子をひと思いに殺したは、剣術無双の政右衛門、手ほどきのこの師匠への言い訳。さりとては過分〔かぶん〕なぞや

政右衛門は幸兵衛に対して嘘をついているわけですから、(A)のせりふは嘘である可能性が高い。
一方(B)のせりふは、もうお互いに隠し事もなく、全てをさらけ出している状態ですから、確実な情報と言えるでしょう。しかしこの(B)のせりふが、よく分からない。分かるのは、殺したのが「師匠への言い訳」であり、幸兵衛はその行為に感謝している、ということばかり。
仮に「師匠を騙していることが申し訳ないので、お詫びの印に我が子を殺した」とすると、「なぜ、そんな行為を幸兵衛が感謝するのか」が分からないではありませんか。(そんなことをされても、嬉しくないでしょう)

ここで、もう1度(A)のせりふを見てみます。

政右衛門のせりふ(A)
①この倅を留め置き、敵の矛先を挫こうと思し召す先生のご思案。お年の加減か、こりゃちと撚が戻りましたな。武士と武士との晴れ業に人質取って勝負する卑怯者と、後々まで人の嘲り笑い草。
②少分ながら股五郎殿のお力になるこの庄太郎、人質を便りには仕らぬ。目指す相手、政右衛門とやらいう奴。その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが頼まれた拙者が金打

(A)のせりふは2つに分けることができ、①は本当、②は嘘なのではないでしょうか。本当と嘘が混ざっている。
つまり幸兵衛が巳之助を人質にした場合、「股五郎を殺すと巳之助の命はないぞ」と政右衛門を脅すことになる。それは政右衛門だけにこっそり伝えることは不可能なので、多くの人の知るところとなる。幸兵衛は卑怯者であると人々の笑い草になる。政右衛門としては、我が子が人質に取られたからといって敵討ちをやめるつもりはない。結局、幸兵衛は巳之助を殺すはめになる。人質作戦は効果がない上に、汚名だけを残す。そのことを現時点で知っているのは政右衛門のみ。どのみち助からない命であれば、自ら巳之助を殺し、育ての親を卑怯者にさせぬほうが良い。→我が子を殺す
ということなのではないかと、12月20日に「岡崎」を拝見しながら、吉右衛門さんの(A)のせりふを聞きながら、私は思ったのでした。

【回答】武術の師匠であり育ての親でもある幸兵衛を、卑怯者とさせぬため。

ついでながら、「ちと撚が戻りましたな」と「まだお手の内は狂いませぬな」は対になっているせりふであり、どちらも本心から出た言葉であると思います。

さて、あなたなら何と回答なさるのでしょうか・・・。

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