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2017年6月27日 (火)

悲しい美術館

先日、ある美術館に行ったのです。外国人客が多くて驚きました。ほんの数年前は、そんなことはなかったのです。まあ外国人客が増えるのは日本にとっておめでたいことなのかもしれませんが、内容が古筆の展示だったのですね。字が読めないのに古筆の展示を見てどうするのでしょう?字の読めない人が、料紙の美しさだけを見るために大勢訪れるなんて、書いた人も泉下でさぞ驚いていることでしょうね。赤ん坊が泣き叫び、子供が走り回り、悲しい感じの美術館でした・・・。

先日、ある能の公演を見に行ったのです。前半のクライマックスにさしかかり、有名な「ただ頼め」の有り難い尊詠の部分、静の体を借りて観音様がこの世に示現するかと思われたその時、うしろの席の婆さんが急にビニール袋をガサガサさせ始めたのでした。もう少しで中入りなのに、なぜ今なのか?観音様も怯えて飛び去って行くくらい私は怒りに震えた。
さらに数週間前、『道成寺』を拝見しておりましたところ、いよいよ乱拍子が始まるという瞬間に隣の席の婆さんが飴の包みをガサガサ破り始めて、私は直接注意してしまいました。飴くらいで目くじら立てなくても・・・と自分でも思ったのですが、なぜ今なのか?と思うと注意せずにいられません。
あとで友人にその話をしたところ、婆さんには「どこが山場なのか」が分からないのではないかという説が立てられ、私は納得した。
字の読めない人が古筆を眺めるように能を見ているんだと思うのです。

オペラで「作」と言えば、それは作曲者のことでしょう。
バレエで「作」と言えば、それは振付家のことでしょう。
日本の伝統芸能では、「作」と言えば作詞者や台本作家のことでしょう。
つまり日本の芸能は言葉が一番重要でしょう。
音楽は言葉の壁がないから誰にでも通じて最も優れている、というようなことを言う人がいますが、私はそうは思いません。私は言葉の芸術が好きだ。美しい言葉は最高に美しい。(音楽がついていればもっと美しいかもしれませんが・・・)

見所は飲食禁止だと明示されているのに、飲み食いする人が本当に多いですね。飴なら食べていい、ペットボトルでなら飲んでいいと思っているのかもしれませんが、それは勘違いだと思いますよ。
こんな少しの時間も飲まずにいられないとは、一体どうしたことでしょう?休憩時間だけでは、なぜ駄目なのか?人間が食べる量は決まっているけれど、飲む量は決まっていないので、毎日テレビのCMで飲め、飲め、飲め、飲めと洗脳されてしまっているんでしょうか?四六時中、飲まずにいられないなんて、おかしいと思わないのでしょうか?咳が出始めたら飲んでも許されると思っているのかもしれませんが、それも勘違いだと思いますよ。飲食する場所じゃないんです。

先日、ある能の会に行きましたら、最後の太鼓を打ち終わった途端に大勢の客が席を立って帰り始めて、びっくりしてしまいました。まだ演者が舞台に残っているのに・・・。
たとえばオペラでは、終わった途端に席を立つのは、「私はこの公演が気に入らなかった」という意思表示であるとされています。
その芸能ごとに、客に求められる作法、行儀というものがあるでしょう。
私は小言幸兵衛のようにずっと文句を言い続けますよ・・・。

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