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2018年6月

2018年6月24日 (日)

出光美術館

出光美術館「歌仙と古筆」を見て来ました。
思っていたより空いていて静かで「これはいいぞ!」と思ったら、しばらくして学生の団体がぞろぞろ入ってきてガッカリ・・・。あの学生団体がいなければ都会の小さな天国となっていたはずなのに。
学生は思っていたより静かだったのですが、引率の先生らしきおじさんがずっと生徒に説明し続けていて、「それは他の場所で出来ないの?」と思いました。
海外の美術館に行くと、学校の先生が生徒に作品解説している場面に出くわすことがありますが、広いのでそのあいだ私は別室の作品を見に行きます。しかし日本の美術館は狭いので、やめてほしいんですよね。

出光美術館は、部屋の中がうるさいと係の人が注意しに来てくれるので、いいですね。
出光と五島はうるさいと注意されますね。根津はあまりにうるさいので、もう行かないかな・・・。

それはともかく、展示内容は素晴らしいものでした。
国宝「見努世友〔みぬよのとも〕」を見るのは何回目になるのか覚えていませんが、今回の展示では菅公の書が見られました。「菅公」と書かれているからといって、本当に菅原道真が書いたものなのか分かりませんが、能書には違いありません。ちょっと感激。

伝 岩佐又兵衛の三十六歌仙図「凡河内躬恒」と「僧正遍照」が綺麗でした。岩佐又兵衛の絵って、人物のアゴがデカすぎて今ひとつ好きになれないんですが、この2つ(作品番号58、59)はもう本当に綺麗。こんなの欲しい。

歌仙絵をパッと見ただけで「ああ、これは●●だね」なんて誰だか分かるようになったらいいなあ。でも私も人麿、遍照、業平、斎宮女御くらいなら分かるかな。
古筆も多少は読めるようになりました。

出光は素敵な美術館であり続けてほしい。

2018年6月16日 (土)

春風亭一之輔

あれは数年前のことでした。
私は毎月欠かさず歌舞伎座の昼の部・夜の部を見ているのですが、いつものように歌舞伎座ロビーを歩いておりますと、私の前を歩いているお兄さんが春風亭一之輔に見えたのです。「あれっ?一之輔じゃない?」と思ったら、本当に一之輔さんでした。私は1度も一之輔さんの後ろ姿を見たことがないのに、後ろ姿だけで一之輔って分かるなんて、すごいと自分で思いました。何か話しかけようかと思ったのですが、やめておきました。

先日、一之輔さんの独演会に行ってきました。
まくらで一之輔さんが「最近、あじさいの良さが分かるようになった」と言っていました。
そうなんですよね。子供の頃は、あじさいの良さって分からないんですよね。大人になると分かるんですよねえ。

全然関係ない話ですが、私はプッチーニ作曲の《トゥーランドット》が好きなんです。でも最初に見た時は、「誰も寝てはならぬ」のアリアくらいしか好きじゃなかった。だんだん好きな場面が増えていって、最近はピン・ポン・パンの三重唱が好きになりました。昔は、こんなどうでもいい長い三重唱を作曲する時間があったら、先に結末を書いて死んでくれればよかったのに、などとプッチーニを恨んでいたのです。ここは恨みの場面だったのです。
しかし、この「せまじきものは宮づかえ」的な歌、なかなか洒落ていて味わい深いと最近は思います。「長い歴史を持つ中国もこれで終了」なんて、「日本ももう終わりだねえ」という自分の嘆きと重なって、良い感じなのです。

私は古今亭志ん朝の落語を生で5回聞いたことがあるのを自慢にしているのですが、そのうちの1回は最高の当たり芸「火焔太鼓」でした。あとは「粗忽の使者」「宿屋の富」を1回ずつと、「五人廻し」を2回聞きました。
志ん朝は落語の神であり、その高座に接することができたのは、本当に有り難いことでした。
しかし、「五人廻し」については、一之輔のほうが面白いなと私は思ったのです。ネタによっては一之輔のほうが面白い。

一之輔さんは、いろいろ珍しいネタを聞かせてくれるところが嬉しい。嬉しい噺家です。
落語も一通り聞くと飽きちゃったりするものなんですけれども、もう一度新鮮に落語を体験させてくれる感じなのです。聞き古したネタも新鮮に感じる。

先日の独演会で、終演時にロビーで著書にサインしてもらいました。『いちのすけのまくら』という、今年出版された本です。
落語家が落語の本題に入る前のフリートークを『まくら』とよんでいます。「頭につく」からまくら。
-『いちのすけのまくら』より

私は高校生の頃から「まくらはなぜまくらというのだろう?」と思っていたのですが、そしてその答えはうっすらと分かってはいたのですが、改めて言葉で説明されると、すっきりと腑に落ちました。
(まだ本文は少ししか読んでいない)
サインしていただく時に、「座右の銘を書き添えてください」とお願いしたところ、
今日できるなら明日やる
と書いてくださいました。
明日ですむことは今日やらずに明日やる、という自堕落な座右の銘かと存じます。
しかし、落語家の努力というものは、並大抵のものではありますまい。
よく歌舞伎俳優で台詞が入っていない人がいますけれども、落語家は全ての登場人物の台詞を覚えて、何十分も1人でひたすら話し続けなければならない。
年を取ると、固有名詞が出てこなくなったりしますよね。
昔、立川談志が、登場人物2人のシリアスな殺しの場面で、逆の名前を言ってしまって、そこで話をやめたことがありました。
噺を完成形に持っていくのは本当に大変。
偉業である。
落語家は偉い。
優れた落語家は国の宝でげすね。

2018年6月15日 (金)

「能楽妄想ナイト」6次元

荻窪にある「6次元」という名のブックカフェで行われた「能楽妄想ナイト」に行ってきました。表に店の看板も出ていない怪しいカフェ。お客は室内にぎっしり40人くらいでしたでしょうか。出入口が開閉できないくらい客が入って、さらに遅れて来た客が後から後から登場して、狭いよう~。
観世流能楽師の谷本健吾さんと川口晃平さんが4年くらい前からやっているトークショーで、毎回ゲストが来ることになっているらしい。今回のゲストは喜多流の大島輝久さんでした。大島さんは頭が良く話も面白い。
谷本さんはあまり喋っていなかった。
川口さんは能楽師らしい低くゆったりとした話し口が印象的でした。

「藤戸」の前シテの漁師が杖をついているのは、高齢のためではなく(実際は若者)、三途の川の瀬踏みをするためなのだそうです。そういうことは教わらないと分からないから、へえ~と思って、面白かったですね。
現在の中国の邯鄲にあるホリデーインの画像とか、そのホテルのベッドの画像なども紹介されて愉快でした。

お客は圧倒的に女性が多く、男性はたった2人だけだったかな・・・。能楽の客というと、男女半々くらいのイメージでしたけど、この会の特性によるものなのでしょうか。
面白かったけれど、とにかく肩身が狭いので私はもういいかな。

(国立能楽堂で行われた「三人の会事前講座」は別の用があって行けませんでした)

2018年6月14日 (木)

三井の晩鐘

先日、三井寺に行ってきたのです。
能「三井寺」でお馴染みの三井寺。能「三井寺」の詞章は、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」にも一部転用されています。
一度は行ってみたかったんですね。
正確には「園城寺〔おんじょうじ〕」と言って、歴史も古く、敷地も広大です。
平忠度の和歌「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」で知られる「長等山〔ながらやま〕」が、このお寺あたりの山なんですね。

三井寺と言えば鐘が有名です。
300円を納めると撞かせてくれるというので、私も撞いてみました。
撞かせてもらえるということと、撞くのにお金を払う必要があるということに、驚きました。
受付のおばさまに、「この鐘は、決まった時間に鳴らされたりするんですか?」と質問してみますと、「毎日5時に撞きます」とのことでした。
鐘が有名と言っても、一番有名なのは「晩鐘〔ばんしょう〕」ですから、5時の鐘を聞いてから帰ることにしました。
「三井の晩鐘」は近江八景に入っています。
しかし「晩鐘」というのは、音と時間を表す言葉であって、景色を表す言葉ではない。
まあ、琵琶湖が見えて夕方の鐘が鳴ればそれが「三井の晩鐘」なのであろう。
私は三井寺の高台から青くくすんでいく琵琶湖を1人眺めながら、5時を待った。
周りには誰もいない。売店のおばさんも、お坊さんも、家路を急いで帰って行った。
1人取り残されて、門が閉められてしまっていたらどうしよう。
でも今さら三井の晩鐘を見ずには帰れない。
そして5時。
鐘は鳴らなかった・・・。
?????
ちょっと遅れてるのかな?と思ってもう少し待ったけれど、結局鳴らなかった。
まあ自分で打った鐘と音は同じ音なのだけれど・・・。

三井の晩鐘は心の中の琵琶湖に響く鐘。
合成写真のように。

2018年6月13日 (水)

世の中の不思議

アメリカは、自国の核兵器を手放さないのに、なぜ他国の核保有に口出しをするのでしょうかねえ?アメリカのどういうところが偉いのでしょうか?不思議ですね。

2018年6月12日 (火)

東敦子の蝶々夫人

東敦子(あずま・あつこ)さんが1973年に東京文化会館で演じた蝶々夫人の映像を見ました。奇跡的に発見された映像だそうで、昨年末にDVD化されたものです。
「世界一の蝶々さん」という触れ込みだったのですが、まあ宣伝文句に違わぬ見事な蝶々さんでした。振袖の袂の扱い、お引きずりの裾さばき、扇や煙管の扱い、これだけの演技ができる日本人ソプラノはもう存在しない。
私がオペラを見始めて20年、日本人ソプラノが歌う蝶々さんも何回か見ましたが、年を経るにつれてどんどん演技が下手になっています。特に、歩き方や、こわばった指先の形が不自然。下手さの形式が誰も似ていると思う。同じ人から教わるからなのでしょうか?外国人の演技とさして変わらない感じです。日本人ソプラノの下手な蝶々さんを見ていると「日本人のくせに」と思ってしまうので、むしろ外国人の蝶々さんのほうが良いと思うこともあります。

八千草薫さんの演じる素晴らしい蝶々夫人の映画も見たことがありますが(声は別の歌手のもの)、あれは映画的な演技でした。東さんの演技はもっと誇張された舞台用の演技で、前もって計算され尽した名人芸という印象でした。愛の勝利を叫んで泣くところなんて、まるで新派みたい。こんな演技ができるソプラノがかつて存在したんだなあと新鮮でした。
現在の日本文化の土壌を考えると、もう今後このような蝶々さんが現れることはないでしょう。ある特殊な時代に一時的に現れて永遠に失われた伝説の蝶々さん。

でも蝶々さんの衣裳は私の好みではなかった。これまで蝶々模様の打掛が美しかった試しがない。
歌舞伎の衣裳でも、白玉の俎板帯の蝶々は全然綺麗と思わない。でも八ツ橋の蝶々は綺麗。五郎の蝶々もいいなと思う。蝶々の着物は難しいんですね。
第2幕の蝶々さんは、どうしてみんな濃い紫の着物を着るのだろう?まだ18才のはずなのに、おばさんっぽくなりません?

脇役の歌唱がかなり低水準な感じでした。昔の日本のオペラ公演はこんなだったんですかね・・・。

東さんは、目がキョロキョロする点だけちょっと気になりますね・・・。

奇跡的に発見された映像ということなのですが、これだけの映像がなぜ眠っていたのか、そしてなぜ発見されたのか、興味深いところです。

国立劇場の倉庫は、何がどこに保存されているのか誰にも分からない、まさに死蔵。新国立劇場ができて国立劇場の予算が大幅に削られる時、真っ先に削られたのが調査養成部門の事業でした。

早稲田大学の演劇博物館は、自らの所蔵作品をインターネットで検索できるようにデータベース化し、活用されていて素晴らしいと思います。

2018年6月 4日 (月)

「夢の裂け目」新国立劇場

芝居の世界では、どんな人気役者よりも人気作家のほうが権力を持っていますよね。つまり作品は後に残るわけですから。
しかし、そうは言っても現実には、ほとんどの芝居が再演されないんですよね。いま一番人気がある三谷幸喜さんの作品も、意外と再演されませんね。(喜劇だからということもあると思いますが・・・)
作品が繰り返し再演される戦後の劇作家と言いますと、三島由紀夫、北條秀司、有吉佐和子、井上ひさし、くらいでしょうか?もっといますかね?

20年前に開場した新国立劇場は、中劇場が井上ひさし、小劇場がつかこうへいでこけら落としをしたのでした。
しかし、つかさんの名前はあまり聞かなくなりました。
井上ひさしさんの作品は亡き後もずっと再演され続けていて本当にすごいなと思う。

「夢の裂け目」は、前回上演時に見ているのですが、内容をすっかり忘れていました。でも見たら面白かったです。
演劇と左翼運動が強く結びついていた時代というものがあったわけですが、井上ひさしはかなり左寄りな人だったのではないでしょうか。そして新国立劇場のために書き下ろした作品に取り分けその傾向が強い。劇界で圧倒的な権力を手中にしてのち、わざわざ国立の劇場でそのような作品群を待ってましたとばかりに連続投下した井上ひさしは本当に偉大な人だったと改めて思ったのです。国立の劇場で上演したところに最大の批判精神があったわけでしょう。
その執念に乾杯!(いつまで見られますかね・・・)

2018年6月 1日 (金)

よもやま

ウチの近所のスーパー、どんどんサービスが低下している感じ・・・。店員が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を言えないのは仕方ないにしても、接客があまりに酷くて、もう行きたくない。

仕事をしていて、お昼ごはんをどうするかというのは悩みどころですが、私はいつも決まったお弁当屋さんでお弁当を購入して、デスクで食べることが多いのです。ところがどうしたことか、そのお弁当屋さんの品質がどんどん低下してきています。別の店を考えようと思っています。

どこも人がいないんですね・・・。

先日、京都国立博物館の「池大雅展」を見て来ました。
池大雅の作品はこれまでにもいろいろ見てきましたが、これだけ大規模な回顧展で見るのは初めてでした。1作品だけ見るのと違って、まとめて見るとすごいパワーでした。
最後のほうの展示空間に出ていた国宝がすごいと思って感激していたら、それは東京国立博物館の所蔵作品だったのです。東博はよく行くけれど、こんな作品見たことなかったな・・・。

東博には「国宝室」という部屋がありますが、かなり高い確率で「古文書」が展示されているような気がする。なぜ、読めない古文書ばかり展示されるのでしょう?
別にパッと見た印象が綺麗でなくてもいいけれど、「綺麗じゃないのに国宝になった理由」みたいなものを分かるように解説してくれてもいいのに。
そして国宝室は、作品解説の張ってある位置も、わざわざ人が密集する位置になっていて、空間演出がなっていないように思う。

東博の「名作誕生」という企画展を見に行ったら、四季の掛け軸を左から右へ見させられて、馬鹿じゃないのかと思いました。東博はもう駄目なのだと思います。

京博は、作品解説が縦書きで書かれており、「さすが文化の中心だなあ」と思ったことでございました。

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