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2018年7月

2018年7月31日 (火)

神田松之丞・銀座7DAYS

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神田松之丞 独演会
松之丞銀座7DAYS 連続講談ひとり「天保水滸伝」と。
博品館劇場

平成30年7月23日(月)19時開演
源平盛衰記より 扇の的
天保水滸伝より 相撲の啖呵
仲入り
乳房榎

7月24日(火)19時開演
天保水滸伝より 鹿島の棒祭り
お紺殺し
仲入り
淀五郎

7月25日(水)19時開演
天保水滸伝より ボロ忠売り出し
鍋島の猫騒動
仲入り
天野屋利兵衛

7月26日(木)19時開演
海賊退治
天保水滸伝より 笹川の花会
仲入り
小幡小平次

7月27日(金)19時開演
天保水滸伝より 潮来の遊び
真景累ヶ淵より 宗悦殺し
仲入り
慶安太平記より 鉄誠道人

7月28日(土)13時開演
天保水滸伝より 平手造酒の最期
牡丹灯籠より お札はがし
仲入り
中村仲蔵

7月29日(日)13時開演
慶安太平記より 宇都谷峠
番町皿屋敷
仲入り
天保水滸伝より 三浦屋孫次郎の義侠

(演目の表記は終演後のロビー張り出し「本日の演目」による)

行ってきましたよ、神田松之丞・銀座7DAYS。
本当に7日間全部行けるのかなと心配になってドキドキしてしまいました。仕事とか天候とか体調の都合で行けなくなってしまうこともあり得ますからね。
私はこういう公演を20年以上待っていたのです。

同じことを何度も書くようで恐縮ですが、私が落語会に頻繁に通っていた平成7年ごろ、講談には神田北陽(のちの山陽)さん、浪曲には国本武春さんという輝く若手がいたのです。若手は他にいないわけではなかったけれど、この2人は技巧的に何の不満もない稀有な存在でした。これからこの2人が私に講談と浪曲の名作をたくさん聞かせてくれるのだと信じておりました。ところが、そのような機会はついに訪れなかった。
いや、そういう公演をやっていたのに私が情報をつかめていなかったのかもしれない。
でも山陽さんが天保水滸伝の連続読みをやるとなったら私は行っていたはずだった。そういう気持ちは何年たっても常に持っているつもりだった。
外国に行ったとか、「にほんごであそぼ」とかには、私は興味がなかった。古典が聞きたかった。
そのような機会はもう永遠に失われたのだと思っていたのです。
ところが、ちゃんと若手が現れて、博品館で連続独演会をすると言うではありませんか。
私はまるで夢を見ているようでしたよ。
でもちょっと情報をつかむのが遅かったですね・・・。
でも7日間ちゃんとチケットが取れて本当に良かった。

私はそれまで松之丞さんを1度しか聞いたことがありませんでした。情報をつかむのが遅かったですね・・・。
こうして7日間聞いてみますと、意外と落語っぽい側面がありました。他の講談師からは感じたことがない側面でした。意図的にしているのだと思いますが、そういうところが人気の理由なのかもしれません。まあ円朝が講談っぽいのだとも言えますが・・・。
なにも落語家がやるネタを講談師がやらなくてもいいのではないかと思いましたが、それでも「中村仲蔵」は素晴らしく、大変感動しました。
「扇の的」「海賊退治」のような、いかにも講談口調の演題もちゃんと出来るし、やくざ者のドスの利いた声から色気のある女房まで声域も広く、表情も変化に富み、演技力があり、派手さがあり、熱気があり、もう本当に素晴らしかった。特に「鉄誠道人」「小幡小平次」が最高だった。
「天野屋利兵衛」は、文楽や歌舞伎よりも面白かったですね。文楽だと、「この人はなぜそこまでするのか?」という肝心なところがよく分からない。講談ですと、内匠頭との心のつながりが描かれていて、話が腑に落ちました。

初日の冒頭に、7日間全て見る人は手を挙げて~というのがありました。数十名いましたかねえ。
客層は意外と高齢な人が多かったですね。もっと若い客が多いのかと思っていましたけど・・・。

松之丞さんは客の咳が許せないのだそうで、「咳は第二の携帯」と言っていました。確かに大事な瞬間に咳がかぶると雰囲気が壊れますし、私もオペラの古い録音なんか聞いていますと「なぜこの大事な瞬間にお前は咳ができるのか!」と思ってもうとっくに死んでいるだろう昔の客に殺意を覚えたりしますけどね。そう言えば美輪明宏さんの演劇公演で開演前に「咳をしないでください」というアナウンスが流れたことがあったなあ・・・。
しかし自分の独演会に来た客に向かって「スクリーンに穴」発言はどうだろう。まあ自分の客を自分の理想の状態にうまく教育していくのも演者の務めかな?談志さんも客に直接注意してました。
博品館劇場の客席は飲食禁止だとアナウンスでも流れているのに、飲み食いする客が多かったですね。開演前とか休憩中だったら私も気にしないけれど、上演中にやる爺さん婆さんが周りにいました。今どきの爺さん婆さんの行儀の悪さは何とかならないものですかねえ?

7日間連続公演ということでご本人も気合いが入っていたようですが、別な仕事も並行してガンガンやっていたみたいですね。すごいパワーですね。
一番多くて1日で7席読むそうです。まあ短い高座もあるでしょうけれど。
喉というのは、投手の肩と同じで、あいだを空けないと傷めますよね。
声は、利子だけを使って、元手に手を付けてはいけない、と昔から言われています。
かかりつけの喉のお医者様はいるのでしょうかね?

批評がましいことを言うつもりはないのですが、老婆心ながらついでに言わせていただきますと、全体的に芸の焦点が下手〔しもて〕に片寄りがちですね。講談という芸能の性質なのかもしれませんが。
そして、ときどき言い間違えがありますよね。ご本人は気づいているのでしょうかね。1つ1つ虱潰しに指摘してくれる人が周りにいるといいですね・・・。

もう本当にこんな人が出てくるなんて夢のようです。他の作品も連続で聞きたいですねえ。チケット取れるかな?

2018年7月29日 (日)

知らない世界

講談師の神田松之丞さんが、銀座の博品館劇場で7日連続の独演会を行っています。
これは快挙と言いますか、歴史的事件だと思うんですね。
それで7日間チケットを取って、通っているところなのです。
土日は昼間の公演なのですが、平日5日間は夜公演でした。
(怪談は夜の公演が良いと松之丞さんは言っていましたが)

銀座には歌舞伎座があるので大学生の頃から20年以上通っていますが、わりといつも同じ道ばかり歩いていたような気がします。博品館から丸の内線銀座駅まで歩いていきますと、いつもと違う通り、まあ見たことのない光景が広がっていて、道に停まる高級車の列、派手な服装のおばさま、客引きの牛太郎みたいな人、客のおじさんたち。あまりこんな時間帯に歩いたことがなかった。ああ、銀座ってこんな街だったんだなあと思った。

ミュージカル映画で「キャバレー」とか「スウィート・チャリティ」など、西洋の夜の遊び場の内部が見られるものがありますけれども、銀座の夜の店の内部ってどうなっているのかな、と思い、ずっと知らないままなんだろうな、と思った。

2018年7月28日 (土)

うなぎの味

うなぎって、昔のほうが美味ではありませんでしたか?
私の記憶の中で美化されているのでしょうか。
それとも年とともに舌が肥えたせいでしょうか。
昔のほうがおいしかったような気がするのです。

毎年うなぎが不漁だとニュースが流れますが、
かと言って品切れになったのを見たことがない。
不思議な、怪しい食べ物ですね。

逆に果物は昔より今のほうが美味になっている気がする。

2018年7月23日 (月)

来日オペラ団体の推移

前回の記事で、国内オペラの公演記録を掲載したサイト「日本でのオペラ公演史」をご紹介しました。
日本でのオペラ公演史

このサイトに、来日オペラ団体の記録が載っていたので、公演数の推移をまとめてみました。
ミュージカルもカウントに入っていたりしますが、サイトそのままの数を記します。
近年、公演数が激減しているのが気にかかりますね・・・。
(分かってはいましたが、改めて数字で見ると驚きます)

海外オペラ団体の来日公演数
1984年(昭和59年)1団体3演目15回公演
1985
年(昭和60年)2団体5演目27回公演
1986
年(昭和61年)2団体9演目28回公演
【藤原歌劇団が字幕を導入】
1987年(昭和62年)2団体9演目28回公演
1988
年(昭和63年)4団体12演目52回公演
1989
年(平成元年)6団体13演目57回公演
【オーチャードホール開場】
1990年(平成2年)4団体10演目37回公演
1991
年(平成3年)9団体22演目109回公演
【『グランド・オペラ』創刊】
1992年(平成4年)6団体13演目58回公演【愛知県芸術劇場開場】
1993年(平成5年)6団体16演目70回公演
1994
年(平成6年)5団体18演目75回公演
1995
年(平成7年)8団体14演目59回公演
1996
年(平成8年)10団体18演目105回公演
DVDプレーヤーが商品化される】
1997年(平成9年)8団体24演目95回公演【新国立劇場開場】
1998年(平成10年)11団体18演目125回公演【びわ湖ホール開場】
1999年(平成11年)11団体15演目152回公演
2000
年(平成12年)15団体27演目181回公演
2001
年(平成13年)15団体23演目177回公演
2002
年(平成14年)13団体25演目191回公演
2003
年(平成15年)20団体29演目229回公演
2004
年(平成16年)17団体22演目191回公演
2005
年(平成17年)18団体32演目209回公演
2006
年(平成18年)16団体34演目229回公演
METライブビューイング始まる】
2007年(平成19年)12団体24演目132回公演
2008
年(平成20年)20団体40演目239回公演
【来日公演のピーク】
2009年(平成21年)8団体12演目72回公演
2010
年(平成22年)6団体13演目107回公演
2011
年(平成23年)7団体16演目75回公演
【東日本大震災】
2012年(平成24年)6団体14演目71回公演
2013
年(平成25年)9団体12演目81回公演
【『グランド・オペラ』休刊】
2014年(平成26年)4団体8演目56回公演
2015
年(平成27年)6団体10演目62回公演
2016
年(平成28年)12団体12演目56回公演
2017
年(平成29年)3団体6演目32回公演
★印はメトロポリタン歌劇場の来日公演(初来日は1975年、1988年は2回目)

2018年7月21日 (土)

ポーギーとベス

ジョージ・ガーシュイン作曲のオペラ《ポーギーとベス》が日本で上演されたことはあるのかなと思って、ちょっと調べてみました。

そういう時にどうやって調べるのかというと、インターネットで昭和音楽大学の公式サイトを開き、トップページの下のほうの「Pick Up」というところから「オペラ情報センター」をクリックし、《ポーギーとベス》を検索するか、

または「日本でのオペラ公演史」というサイトを見るか、どちらかになるでしょうか。
日本でのオペラ公演史

昭和音楽大学は、文化庁からお金を受け取ってオペラの情報をまとめているわけですが、「日本でのオペラ公演史」のほうはオペラ好きな方が個人で情報を更新していると思われ、素晴らしいと感心するわけであります。

それで、日本における《ポーギーとベス》の上演ですが、
1996年にヒューストン・グランド・オペラ
2004年にニューヨーク・ハーレムシアター
が上演しているほか、
1997年に「ガーシュイン生誕百年祭世界ツアー日本公演」
というのがあり、かなりの回数を上演しています。

他に、詳細は分かりませんが日本の国内オペラ団体が、
1987年、1991年、1996年、1997年、2004年、2005年に
これまたかなりの回数で上演しています。

公演回数の多さからすると、オペラ公演というより、ミュージカル扱いのような気もします。(歌手の喉の負担という観点からして)

日本人歌手が《ポーギーとベス》を上演する場合、やはり《オテッロ》のように顔を黒く塗って演じるのでしょうか。

私がオペラを見始めたのは1997年。
2004年に東京で上演された時には、まだ人気演目を見に行くことで精一杯、《ポーギーとベス》まで見る余裕がなかったのかもしれない。

「いま上演されたら見に行くか?」と訊かれたら、何と答えようか・・・。

2018年7月18日 (水)

トスカとスカルピアの審判

新国立劇場の「高校生のためのオペラ鑑賞教室」で《トスカ》が上演されました。《トスカ》はストーリーに不自然なところがありませんし、初心者向けの作品だと思いますが、その一方で、学校の授業の一環として見る作品としてはどうなんだろう?という感じもあります。つまり拷問とか強姦とか殺人の話ですからねえ。

国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で「弁天小僧」や「源氏店」が上演されることがありますけれども、昔は異を唱える人が結構たくさんいたそうですよ。幕内で強く反対する人もいたそうです。他に歌舞伎がないでなし。

時代の流れとは言え、鑑賞教室でそういう作品を上演することに反対する人がいなくなることが、良いことなのかどうか、私にはよく分からない。

ところで授業で《トスカ》を見た場合、「あの時トスカはどうすれば良かったんですか」と生徒から質問されたら、先生は何と答えればいいのだろう?
まあ先生に答える義理はないかもしれないけれど、神には答える義務があるでしょう。

人間は正解の分からない世界に投げ出されて右往左往。
そしていつか神の御前で。

2018年7月17日 (火)

野外でトスカ

今年の9月、名古屋城の野外特設ステージで《トスカ》が上演されるのだそうです。私は行きませんけれども、どのような舞台装置なのか、音響はどうなるのか、そして結末でトスカがどうなるのか、ちょっと興味がありますね。日本で野外オペラって珍しいですね(?)

《トスカ》は人気演目で上演頻度も高いので、これまで度々見ています。
「舞台装置が何もないのに演技は本格的なトスカ」という公演も見たことがあります。「これは最後どうするのだろう?」と思いましたが、最後にトスカはフッと上手〔かみて〕の出入口へ消えて行きました・・・。
舞台装置も本格的な上演なのに、最後にトスカが飛び降りなかった公演もありました(トスカが後ろ向きにゆっくり階段を登っていくところで幕)。しかし演出家であれば、「どういう飛び降り方をするのか」という点で勝負していただきたいところです。

夏以外のサマータイム

カレンダーどおり3連休だったのですが、外出せずにぼんやりと過ごしてしまいました。
ずっと前から持っていたけれど見ていなかったオペラの映像《ペレアスとメリザンド》、《後宮からの逃走》、《ポーギーとベス》を見ました。初めて見る演目ばかり。あまり上演されないものの、なかなか興味深い個性的な音楽でした。

《ポーギーとベス》は、有名な「サマータイム」という歌がどのような状況で出てくるのか楽しみにしていたのですが、いきなり冒頭で歌われる子守歌でした。「夏になったら」という内容の歌だから、夏以外に歌われるものなのでしょうか?曲調から真夏のイメージを感じていたのですが。
日本で上演されたことはあるのでしょうか?たびたび麻薬が出てくる話なので難しいかもしれませんね。

《ペレアスとメリザンド》は、8月に演奏会形式で上演が予定されていますが、もう良い席がなかったので予約しませんでした。しょぼん・・・。
「男バルトリ」の異名を持つフランコ・ファジョーリのリサイタルも、前のほうの席がなかったので取りませんでした。

そう言えば、「尾上右近の会」のチケットが取れませんでした。キャンセル待ちに入れてもらいました。右近さんの人気が小劇場3回公演では納まらなくなったんですねえ・・・。右近さんはカッコいいですもんね。
私も公演プログラムの編集担当だった頃、右近さんのインタビューに同席させていただいたことがありますよ。気さくな好青年ですよ。『ワンピース』の代役を勤め終えた直後のインタビューでした。特別に調合した自分だけの香水を持っているのだそうですが、香水の瓶を見たら、そのインタビューのちょうど1年前の日付(調合した日が)だったのだそうです。そして、1年前には自分がこんなふうになるとは思わなかった、1年後も全然予想していなかった自分になると思う、と仰っていました。(カッコいい・・・)
でもその話はプログラムには載りませんでした。そういう「載らない話」をいろいろ聞けるのは役得でございました。
「役得」、それは何て素敵な言葉なのでしょう。

先月の末、「平家物語の夕べ」という催しがあったのですが、切符が取れず見ることが叶いませんでした。本当に素晴らしい内容の公演だったのに、誠に残念。悔しい。

しかし思い返せば、私はこれまで「チケットが取れなくて見たい公演が見られなかった」という経験があまりなかった。取りたいチケットはわりと取れていたような気がする。
ジャニーズの追っかけの人たちなんて、本当にチケットが取れないらしいですからね。

2018年7月11日 (水)

講談・浪曲

私は平成7年に国立劇場に就職したのでございます。正確に言えば「特殊法人日本芸術文化振興会(国立劇場)」という組織名称でした。昭和41年に開場した時には「特殊法人国立劇場」という名称だったのですが、その後、芸術団体に助成金を出す業務が増え、劇場の運営だけしているわけではないので、名称が変わったのですね。

そして私が最初に配属されたのは、国立演芸場でした。私はもともと歌舞伎や文楽が好きで就職したので、演芸場に配属となったのは実に残念なことで、国立劇場で働けたら良かったのにとよく思ったものでした。
しかし国立演芸場で働いているうちに落語にはまり、月に7回くらいは落語会に行っていました。当時は林家たい平さんのファンクラブに入っていましたし、柳家喬太郎さんの追っかけのような状態でした。
それだけ落語会に行っていましたから、講談や浪曲にも興味はありました。その頃は浪曲の国本武春さん、講談の神田北陽さん(のちの山陽さん)が輝いていたのです。独演会にも何度か行きました。
その後、新国立劇場に配属となって時間が取れなくなり、演芸に接する機会も少なくなったのですが、武春さんと山陽さんのことはいつも気になっていました。しかし、古典作品をみっちり聞かせてもらえるような機会は訪れなかった。

この度、講談の神田松之丞さんと浪曲の玉川太福さんが、それぞれ『天保水滸伝』を連続で口演するというので、すわ、切符を予約しました。もう、こんな機会は訪れないものと思っていました。(いや、私が気づかなかっただけで、なさっていた方もいたのかもしれませんが)
本当に夢のようです・・・。

先日、太福さんの『天保水滸伝』第1回の公演に行ってきました。それほど大きな会場ではないものの、ぎっしり満席でした。生声で聞く浪曲は本当に贅沢。武春さんのような「ああ~、この声を聞いているだけで私は幸せですよ」という陶酔はまだ感じられませんでしたが、若くてやる気のある浪曲師が関東に出て来たことは、心の底から嬉しいことでございました。

2018年7月10日 (火)

星は2度かがやく

トスカはカヴァラドッシのことを「マリオ」と呼び、「カヴァラドッシ」と呼ぶ場面はありません。しかしカヴァラドッシはトスカのことを「フローリア」とも「トスカ」とも呼び、どちらかと言えば「トスカ」と呼ぶことが多い。それは、トスカが著名な歌手という設定だからなのでしょうか??

先日、新国立劇場で《トスカ》を見て来ました。指揮のテンポ設定がちょっと風変わりな感じでした。それで、第3幕のカヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」で、拍手が起こらなかったんですね。それは、指揮者のテンポ設定によるものなのか、歌手の歌い方によるものなのか、今回の客層によるものなのか、ちょっと判然としない。
第2幕のトスカのアリア「歌に生き、恋に生き」が、それまでの緊迫したドラマの流れを止めてしまうので、作曲者によりカットを検討されたことがあると聞きます。今回の上演で「歌に生き、恋に生き」では拍手が起こっていました。マリア・カラスのトスカでは、このアリアの後に拍手が起こらないことがありました。拍手が出来る雰囲気ではなかったらしい。
「星は光りぬ」のほうは、「このアリアのためにドラマが中断される」などと言われるのを聞いたことがない。
1967年1月27日の《トスカ》の録音(パルマでのライヴ)では、フランコ・コレッリの「星は光りぬ」に拍手が鳴り止まず、「ビス!(もう1度歌って!)」と叫ぶ熱狂的な観客の声が記録されています。
オペラでは、客のアンコールによってアリアが2回演奏されるということが稀にあって、私の体験ですと、フアン・ディエゴ・フローレスが《連隊の娘》のアリアを2回歌いましたし、アントニーノ・シラグーザが《ラ・チェネレントラ》のアリアを2回歌いました。それは観客にとって本当に特別な感動体験です。
マリア・カラスは、何と、ルチアの「狂乱の場」を2回歌ったことがあるそうな(録音が残っていたと思います)。
でもコレッリは、どんなに長く拍手が続こうとも、「星は光りぬ」を繰り返すことはしなかった。そう言えば、指揮者のリッカルド・ムーティは、アリアの繰り返しは悪い慣習であるという発言をしていたような気がする(うろ覚えですみません)。
客が歌手に対してアリアの繰り返しを要求するような熱狂的な舞台というものは、まだ存在するものなのでしょうか?
ところで、「星は光りぬ」が2回繰り返された映像を私は見たことがあります。ルチアーノ・パヴァロッティがローマ歌劇場で歌った《トスカ》です。私の記憶では、あまりにも長く続く熱狂的な拍手に、ついにパヴァロッティは「ニヤリ」と満足の笑みを浮かべ、もう1度同じアリアを歌うのでした。私はパヴァロッティのファンなのですが、しかし、その「ニヤリ」は場面にそぐわないように思ったものでした。このローマ歌劇場の映像は、非常に優れた演奏であったと記憶していますが(トスカはライナ・カバイヴァンスカ)、なぜかDVD化されなかったのではないかと思います。なぜでしょう?

インターネットの不思議

インターネットの無料記事で流れるニュースって、スポーツ新聞みたいなネタがやたら多いですよね。誰が結婚したとか、誰が離婚したとか、誰が不倫したとか、誰が出産したとか。誰それが●●に不快感とか、違和感とか。このまま日本中が馬鹿になっちゃうんですかね。
Yahoo
!ニュースのトピックスに付くコメントって、毎回馬鹿すぎじゃないですかね?馬鹿のコメントを3つだけ載せることに一体何の意味があるのだろう?



2018年7月 8日 (日)

テアトロ・レアルの《カルメン》

《カルメン》の最後のほうでホセが「あんなに愛し合っていたじゃないか、あの時を思い出してくれ」みたいなことを言うと思うんですけれども、ホセとカルメンがアツアツだった時期って、一体どこの場面のことなのだろう?

そして、劇中では「ホセ」ではなく「ジョゼ」と発音されていると思うのですが、なぜ日本では「ホセ」というのだろう?カルメンを見ていると、いつも不思議に思う。

先日、テアトロ・レアルで上演された《カルメン》の舞台映像を見て来ました。新国立劇場で無料で上映されたのです。(事前申し込み制)
プロダクションとしては、パリ・オペラ座で上演されたものと同じ演出だったらしい。
あまり予算がない感じだったのと、とにかく下品だったのが印象的でした。
まあ、もともと上品な話ではないわけですが、舞台上でホセがズボンのチャックを下ろして、そのまま●●●●を始めそうな勢いでしたから(っていうか、してた?)

オペラの照明って、綺麗じゃないことが多いですね・・・。

《カルメン》は、それほど好きな演目というわけではないのですが、ときどきすごく興奮することがありますよ。ウィーン国立歌劇場でクライバーが振ったゼッフィレッリ演出の舞台映像なんて、見ていてゾクゾクしますね。「良き時代のオペラ」という感じがします。しかし、カルメン役を歌ったオブラスツォワが、リーリャス・パスティアの酒場の場面で、音程もテンポも外しているのが残念です。太っているし、踊れるわけでもないし、なぜ選ばれたのだろう?
あの演出がそのまま見られるなら、ウィーンに行きたいくらいだなあ。

能『忠度』 誰を主と定むべき

ユーミンこと松任谷由実さんが、よく「詠み人知らずの歌になりたい」と仰います。つまり、自分が死んだ後も、自分の作った歌が歌い継がれて、やがて誰が作った歌なのかさえ分からなくなってもまだ歌われている、そういう状態が理想だというわけです。

和歌には素晴らしいものがたくさんあり、誰でも多少なりとも暗唱しているだろうと思いますが、では「その歌は誰の作か?」と問われたら、意外と覚えていないものではないでしょうか?

能の名作は、作者が不明であることが多いですね。推測は出来ても、断定することが難しいようです。作者と演者が同じである場合もあったし、違う場合もあったし、他の人が演じても良くて、自分の作であることを主張しなかった。そもそも能は、一から十まで作者1人が作ったというわけではなく、先行文学を編集して舞台のために立体化したという面がありますし、「私の作です」と記すのが憚られたのではないでしょうか。

能を見ておりますと、仮面劇であるということも関係していると思いますが、誰が演じたのか覚えていないことがありますね。「良い熊野だった」とか、作品の良さで覚えていると言いますか・・・。

文楽公演の番付で、浄瑠璃作者の生涯を紹介していく連載記事を企画したら、却下されてしまったことがありました。調べても分からないし、それを書ける人もいない。作者のことなんて誰も気にしていなくて、名前の読み方さえはっきりとは分からない作者もいるそうな。

まあでも、名前が残るより作品が残ったほうが、作者も嬉しいのじゃないだろうか。

平忠度は、文楽『一谷■軍記』の登場人物として知っていましたけれども、作品が未完であるために、忠度の件りはあまり上演されません。完成していたらどんな謎解きが盛り込まれていたのでしょうか。
『一谷■軍記』の忠度は、自分の歌が勅撰集に入ったことを知って満足して戦地へ向かいますが、能の忠度は満足しなかった。勅撰集に入った自分の歌が「詠み人知らず」とされたことに不満で、現世に戻って来てしまうのでした。
『平家物語』では、「その身朝敵となりぬる上は、子細に及ばずと云ひながら、恨めしかりし事どもなり」と書かれているそうです。これは、忠度が「恨めしい」と思ったのではなく、『平家物語』の語り手が思ったのであり、何が恨めしいのかと言えば、「たった一首だけだったこと」「名前が伏せられたこと」であるらしい。忠度自身は、『千載集』に入ったのが一首だけだったことも、詠み人知らずとされたことも、知らぬうちに死んでしまったのだ。それでも能では妄執により忠度が姿を現す

しかし、能の忠度は、結局のところ成仏して消えていったのではないかと思う。最後に「花こそ主なりけれ」とありますが、桜の咲かない国には桜の歌も生まれませんし、その歌は桜が詠ませたのだとも言える。どんな歌も、その時代にその場所にいたという状況が人に詠ませるのであり、桜の歌の主は桜と思えば、やがて歌人も桜の花と同じように、自然へと帰って行くのだろう。

2018年7月 4日 (水)

9月歌舞伎座

毎日、暑いですねえ。

中橋健太郎左衛門という名前も気になりますが、石坂団十郎という名前も気になるところですよね。と言っても、命名の由来を調べてみようというほどでもなかった。
ドイツ出身の謎のチェリスト石坂団十郎。
このあいだ、命名のいきさつが新聞に書かれていました。
1979年生まれ、父親は日本人、母親はドイツ人。歌舞伎役者のような名は「父がいくつか選んだ中から、母がその響きを気に入ったもの」だそうな。
いくつか選んだ中に「団十郎」が入っているのって、すごいことですね。
本名だからいいですけれど、芸名だったら横槍が入りそう・・・。

以前にも書きましたけれど、このブログのハンドルネーム「ふくきち」というのは、福沢諭吉の略ではなく、私の好きな歌舞伎役者、中村福助の「ふく」と中村吉右衛門の「きち」から勝手に取って来たものです。
福助さんは長くお休みされていたのですが、9月の歌舞伎座で復帰が決まったそうで、誠におめでとうございます。
ずっと復帰を祈念してまいりましたので、私も感無量です。

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