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2018年10月

2018年10月30日 (火)

ミューザ川崎

先日、グルベローヴァのリサイタルがあるというので、初めてミューザ川崎シンフォニーホールに行ったのです。これまで行ったことがありませんでした。あまりオペラ関連の公演には使われていないホールだと思います。

職場で「今日はミューザ川崎に行く」という話をしましたところ、「ああ、あの天井が落ちて大変だったホールね」と言われました。そういう記憶って、なかなか消えないんですね。
(私にとっては「グルベローヴァを聞いたホール」に新しく生まれ変わったわけですが)

ミューザ川崎の「ミューザ」って何のことだろうかと考えたのです。
ジョルダーノ作曲のオペラ《アンドレア・シェニエ》に「Musa」という単語が出てきて、「ムーザ」と発音されています。これは芸術の女神のこと。イタリア語だとムーザで、英語だとミューズ。
それでは「ミューザ」というのは何語から取ってきたのだろう・・・と思ってミューザ川崎シンフォニーホールの公式サイトを調べてみたら、芸術の女神のことではなく(!)、「MUSIC+座」を意味する造語なのだそうな。
?????

ちなみに、新潟にある「りゅーとぴあ」は、新潟を表す美称「柳都〔りゅうと〕」と、「ユートピア」を合体させた造語なのだそうです。こちらは、見てすぐに造語だと分かりますし、なかなか洒落た名前だなあと思いますけれど・・・。

北区に「北とぴあ」というホールがあって、北区なのだから「きたとぴあ」と読むのだろうと思えば、さにあらず「ほくとぴあ」だって、なかなか覚えてもらえなさそう。

府中の森芸術劇場の「どりーむホール」「ウィーンホール」「ふるさとホール」のダサさには誰も追いつけない。

いや、ミューザ川崎の話であった。
ワインヤード形式というんですか、ぶどう畑のような段々畑のような形状で、客席が舞台を取り囲んでいるような感じ。サントリーホールを小ぶりにしたような、なかなか洒落たホールでした。サントリーホールより客席の傾斜がきついので、見やすそうです。声楽のコンサートを1度聞いただけではよく分かりませんが、音響もなかなか良さそう。
駅から直結と言うにはちょっと離れている立地でしたが。

日本には、洒落たホールはいくつかありますけれども、洒落た劇場というのがなかなかないですねえ。

2018年10月28日 (日)

グルベローヴァ日本最後のリサイタル

エディタ・グルベローヴァの日本最後のリサイタルに行ってきました。
10月24日(水)ミューザ川崎シンフォニーホール(ピアノ伴奏)
10月28日(木)サントリーホール(オーケストラ)

無事に聞けるのかなと思ってドキドキしてしまいました。人生、途中で何が起こるか分かりませんからね、お互いに。
職場で3人の方にグルベローヴァを知っているか訊いてみたところ、3人とも知りませんでした。そりゃあ普通の会社だったらそうでしょうけれども、ウチは普通じゃないのですが、そんなものなのでしょうか。

グルベローヴァと言えば、いろいろな思い出があります。
ヴェッセリーナ・カサロヴァと2人のコンサートの時、《ばらの騎士》の二重唱が演奏されて、私はまだ《ばらの騎士》を見たことがなくて何のことを歌っているのか全然分からなかったのですが、天上から音楽が降り注いでくるような感覚にとらわれたのを覚えています。
それからドニゼッティ作曲のいわゆる「チューダー朝・女王三部作」のコンサートの時も、《アンナ・ボレーナ》に少し馴染みがあるくらいで、内容が分からなかったのですが、とにかくすごい、すごいと感動しました。

本当にたくさん楽しませていただいて、私はツェルビネッタを聞き損ねたことだけが心残りです。私は貧乏人だったので高額なオペラ公演を敬遠してしまったのですが、今にして思えば、どんなにお金を払ってでも見ておけば良かったと思うのです。後悔先に立たず、ですね。

ペーター・ヴァレントヴィッチは、ピアノも指揮もとても良かったですね。ピアノ・ソロ「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をテーマとした即興演奏」はすごい迫力でした。

今回の公演は、曲目も新鮮で、心から楽しみました。グルベローヴァも好調でした。
アンコールで《蝶々夫人》の登場の場面を歌ったのには驚き、そして泣きました。

大袈裟でなく、この世の奇跡を見るような、敬虔な気持ちになりました。このような偉大な人物が世に出現する有り難さみたいなものを、しみじみと感じたのです。

おそらく訪れた人すべてに、今日は日本のオペラ史にとって特別な日という思いがあり、会場はたいへん盛り上がりました。終演時に舞台の前に客が詰めかけて、グルベローヴァに差し出す手が千手観音みたいにたくさんたくさん伸びていました。

帰りに友人と「オペラの楽しみが減ってしまうね」などと話していたのですが、家に帰ったら、東京プロムジカが幕を閉じるというお知らせが届いていました。(デヴィーアのフェアウェル・コンサートは延期だそうです)

日本のオペラの1つの時代が終わった感じがいたします。
グルベローヴァと同じ時代に生きられたことに感謝。

2018年10月27日 (土)

愚痴シリーズ

中央省庁が、こんなに大掛かりな不正を行っていたなんて、本当に驚きですね。日本人というのは、いえ人間というものは、こんなにいい加減なものだったのかと落胆してしまいます。若い人は、どのように感じているのでしょうか?

◇ ◇ ◇

私は「独立行政法人」の1つに勤務しているのですが、独立行政法人は昔は「特殊法人」というものでした。最も有名なのはNHKとか日本中央競馬会です。公共性が高いけれど、国が直接行うような性質の事業ではない。(NHKと日本中央競馬会は現在も特殊法人ですが)

国立劇場も特殊法人でした。さまざまな形態の特殊法人がありましたし、一概には言えませんが、税金から運営費が交付され、その一方で別の収入源も持っている(自己財源、国立劇場で言えば入場料収入や貸し劇場の収入など)。収入源が複雑なので、会計の仕組みも複雑です。
これが不正の温床だとかで行政改革の矢面に立たされて、平成15年の秋に制度が大幅に変わりました。私は平成7年に就職したので、その様子を見ていたわけですが、一番変わったのは「調達の仕組み」ではないでしょうか。組織が何かを買う、それは物品でも役務でも工事でも、何かを調達する時に、どのような手続きを取るか。「金額を比べて安いものを買う」というスタンスは昔からあったと思いますが、制度が大幅に厳格になったと言えるのではないでしょうか。
そして「組織のチェック機能」も大幅に強化されました。

・評議員会
・理事会
・総務省の評価委員会による評価
・文部科学省の評価委員会による評価
・監事監査
・補助監査
・内部監査
・自己点検
・会計検査院第四局による検査
・会計検査院第五局による検査
・監査法人による監査
・契約監視委員会
・各種調書

もう何種類も同じような点検を繰り返し、どれが何の検査なのか分からなくなるくらいです。どの報告書を誰が読んでいるのか、それを作成して何になるのか分からない。(もちろん国民は読んでいない)
点検のためだけにすごい人数の職員が働いていて、訊かれた数字1つ出すのだって右から左へ自動的に出てくるわけでなし。

それでいて、新国立劇場は公益財団法人だからというので、ほとんど何の検査も行っていないのです。評議員会、理事会、自己点検と業務報告くらいです。国立劇場よりも広範囲にわたって、国立劇場よりも多額の税金が使われているのに、何の検査もしていない。新国立劇場が検査しなくていいのなら、国立劇場も検査しなくていいのではないかと思うのです。意味が分からない。

独立行政法人について言えば、「検査」「点検」という名目なら予算がつくからその部分が異常に肥大化しているのではないかと思うのですが、その作業が新しく何かを生み出すわけではありません。(やったことをチェックしているだけなので)
その力を別なことに使って、例えばホームページを見やすく美しくしたり、メルマガを楽しいものにしたり、筋書の難しい漢字にルビを振ったり、所蔵資料を整理分類したり公開したり、チラシを配布したりしたほうが、よっぽど国民は喜ぶと思うのです。
国立劇場の英語版ホームページは本当にみじめな状態なのに、なぜ長年にわたって放置されているのか、大勢で何を点検しているのか、本当に不思議です。

それで、国の行政機関はちゃんとしているのだと思っていたら、全然ちゃんとしていなかったのでした。手本となるべき中央省庁が。すごく裏切られた気持ちです。

2018年10月21日 (日)

あれこれ

日本がこんなに外国人だらけの国になるなんて、ほんの数年前まで想像したことさえなかった。今は電車に乗っていても外国人のほうが多いのではないかと思うケースが増えましたし、どこへ行っても異国語だらけ。そして、すごい声がでかいんだな、これが。(私も声がでかいほうではありますが~)
世の中の変化の速さ激しさに、気持ちがついていかない感じ。

今日は、日本橋三井ホールで落語を聞いてきました。「二師弟に流れる江戸の風~雲助・白酒そして一朝・一之輔」というものでしたが、たいへん充実した内容で、特に雲助師匠の「夜鷹そば屋」というネタに深く感動しました。1度も聞いたことのない、存在さえ知らないネタだったのですが、本当にすごかったんです。それにしても落語家というものは、老若男女、士農工商、時には人間でないものまで演じて、信じられない演技力ですよねえ。

中古DVDで、コメディー・フランセーズの映像があったので購入してみたのです。モリエールの原作で、脚色されていたみたいですけれど、見てみたら「これはすごい!」「何て演技力なんだろう!」という感じではありませんでした。
「朗唱」の場面もあったのですが、「大袈裟で滑稽なもの」として扱われていました。そう言えば、ナショナルシアターライヴで見た『ハムレット』の中にも、「大袈裟なセリフ回しはやめてくれ」というような場面がありましたねえ。自己否定みたいな印象を受けましたが・・・。
大袈裟でも写実的でも何でもいいのですが、「これはすごい!」「すごい演技力だ!」と思うのは、やはり落語とか歌舞伎とか義太夫節とかであって、外国の演劇で「すごい!」と思った経験があまり思い浮かばない。ミュージカル映画『プロデューサーズ』のネイサン・レインはすごい表現力だと思ったけれど。

雲助師匠と一朝師匠には江戸の風を感じるけれど、白酒さんと一之輔さんには江戸はあまり感じないかな~。面白いけれど、現代的ですよね。

昨日、お台場の「チームラボボーダレス」というのを見てきたのです。これまでになかった、新しいタイプの美術展ということで、どんなものが見せてもらえるのか期待して行ったのですが、期待していたほどじゃなかった・・・。って言うか料金が高すぎでは?
何かもっと立体的な光のオブジェが流れるのを想像していたのですが、意外と平面的だった。私はゲームは全くしないのですが、ゲームの画面がでかくなったような感じ?
色使いが毒々しいというか、綺麗じゃないというか、要するに私の好みじゃなかったんですね。夜のお店みたいな印象でした。誰かそこで踊ってくれたら楽しかったのですが。
もっとすごいのを見せてくれるのかと思っていたので・・・。
30分くらい並んだ部屋があったのですが、並んで入ったわりに全然しょぼくて、この時間に別な部屋を見たほうが良かったと後悔しきり。
一応、一通り見て回ったつもりだったのですが、見逃した部屋がいくつかあったようです。案内図がなくて、暗い迷路のような空間なので、全容が掴めないのでした。(私が方向音痴ということもありますが)
インスタ映えする自撮りが出来る空間、というのが人気なのでしょうか?若い人は楽しめるのかもしれません。どうでしょう。

2018年10月19日 (金)

basta

永遠に続くかと思うほど長かった新宿駅南口の工事がやっと終わったのが約2年半前。
「バスタ新宿」という看板が見えた。
「バスタ」という言葉はイタリアオペラによく出てくるので、私も知っている。
「もうたくさん」「やめろ」という意味でしょう。
・・・と思ったら、バスターミナルの略称でした。
そして、NEWoManとかいう店ができて、ニューウーマン?ニューオマン?読み方がさっぱり分からない。調べてみる気にもならない。読めない店は私には関係のない店。
と思っていたのですが、先日、バスタ新宿からバスに乗ろうとして、NEWoManを「ニュウマン」とカタカナで書いている案内表示を見かけたのです。カタカナで書くとチョーだっせー感じだなあと思い、そして複数形だったら「ニュウメン」なのかな?と思った。

劇場のロビーのことを「ホワイエ」と呼ぶことがありますが、ロビーと一体どう違うのだろう?とずっと不思議に思っていました。ネットで検索してみたら、ロビーは英語で、ホワイエはフランス語という違いしかないらしい。
じゃあロビーでいいじゃねえか、と私は思うのですが、どうして耳新しい言葉を人は使いたがるのでしょうか?

新国立劇場の施設内は、ホワイエとかプロムナードとかギャラリーとかサブなんとかとか、それぞれ名称が付いているのですが、どこが何なのか未だによく分からない・・・。

最近、文化庁がいろいろ変化しているんですよね。段階的に京都へ移転しているわけですが、10月1日にも組織改編がありました。
役職名に「チームリーダー」とか「メンバー」などという言葉を使い始めて、はあ?と呆れているところです。
私の勤めている職場は、文化庁の傘下なのですが、日本の伝統文化を扱う団体ですので、そういうカタカナを押し付けてこないでくださいネ。

2018年10月18日 (木)

中古

私はなんでこんなに狭い部屋に住んでいるのだろう、とよく思うのです。
まあ、新宿区に住んでいるので、仕方がないのかもしれません。
その前は小金井市に住んでいたのですが、東日本大震災の後、職場に少しでも近いところに住みたいという強い欲求が出て、新宿区にしてしまったのです。
部屋が狭すぎて、物をしまう空間がないため、物に埋もれています。

オペラのDVDを売りに出そうかと考えました。
中古CD屋はよく利用するのですが、買うほうばかりで、これまで売るという経験がありませんでした。
買うのは高いけれど、売るのはどうせ二束三文だから、もったいないと思ってずっと所持していました。
とりあえず、試しに1度売ってみようと思って、もう2度と見ないことが確実なDVDを2枚持って家を出ました。

ところが、新宿のディスクユニオンがビルごとなくなっていたのです!!
工事中の壁の貼り紙を見たら、隣の紀伊国屋書店の8階に移転したらしい。
行ってみたら、オペラのコーナーはかなり狭くなっていました。
クラシックのジャンルは、LPのスペースが大きくなっていて、CDは少ししかない感じ。
中古CDはAmazonで買う人が多いだろうけれど、LPは郵送に向いていないから、店舗に足を運んで買う人が多いのでしょうか。
LPは扱いづらいし、ノイズが入りやすいし、どこがいいのでしょうかねえ・・・。
(大きなお世話ですが)

オペラのDVDのコーナーはどこかな?と思ったら、DVDは別の店舗に移転したのだそうで、歩いて行ける近くの場所(大塚家具のそば)でしたが、ずいぶんと不便ですね・・・。
普通の映画のDVDなどと一緒に売られていて、オペラなんて全然存在感なし・・・。

結局、売らずに帰ってきてしまいました・・・。

2018年10月14日 (日)

魔笛

新国立劇場で、新制作の《魔笛》を見てきました。

私が《魔笛》を生で見るのは3度目でした。
最初に見たのは、新国立劇場で《魔笛》が初めて上演された時だったのではないかと思います。はっきり分からない。誰が何の役を歌っていたのか、全く記憶にないのです。記録を見ると、新国初演時の指揮は大野和士さんだったんですね。よっぽど《魔笛》がお好きなんですね。

私の記憶では、最初に見た時、ザラストロがモノスタトスに対して「お前の心は肌の色と同じで真っ黒だ」と言い放ち、私はその字幕に深い心の傷を受けました。なぜこのような作品が現代において上演されているのかと不思議に思いました。
まあしかし、手塚治虫の漫画でも、黒人を古いステレオタイプの絵柄で描いているものがあり、手塚治虫だって現代に生きていたらそのような描き方はしないだろうけれど、死んでしまって修正できないのだから仕方ないなとは思うのです。当時はそんなふうに捉えられていたんだなあと思いながら読めばいいのでしょう。

パパゲーナが最初に出て来た時はお婆さんのふりをしていて、途中で若い娘だと分かってパパゲーノが大喜び、というのは感じの悪い話だなとずっと思っておりました。

今回の上演では、セリフがカットされたのだか台本が整理されたのだか分かりませんが、そのような嫌な感じがだいぶ薄まっていました。(黒人差別のセリフはなかった)
でも女性蔑視の印象は変わらず残っていました。
モーツァルトの音楽が乗っている部分かどうかで、変更出来るところと出来ないところがあったのでしょうか・・・。

今はYou Tubeでアリアの聞き比べが気軽に出来るので、夜の女王のアリア「復讐の心は我が胸に燃え」をいろいろな歌手で聞いてみました。完全無欠であろうと思ったエディタ・グルベローヴァは、意外と歌い崩している感じがしました。私の印象では、楽譜の通り完璧に歌えているのはナタリー・デセイくらいではないかと思います。モーツァルトはなぜ誰も歌えないような前打音を入れたりしたのでしょう?
そして声の音色、役柄の威厳など、総合的に見て一番いいなと思ったのは、クリスティーナ・ドイテコムでした。
「誰が歌っても大して違わないアリア」だと思っていましたが、連続して聞き比べると、違うものですね。

2018年10月13日 (土)

印刷物の質の低下に関して

東京国立博物館(トーハク)に行きますと、『東京国立博物館ニュース』という無料の冊子が受付に置いてあります。特別展や総合文化展の名品が紹介されていて、行くと必ずもらうんですけれども。
無料なのにオールカラーで、いいですよね。美術作品を紹介するのですから当然カラーであってほしいですけどね。(国立劇場6館の催しを紹介する『日本芸術文化振興会ニュース』はオールモノクロ)

私が最近トーハクに行ったのは8月11日。びじゅチューン!とのコラボ企画を行っていました。幼児が騒ぎながら走り回っていて、それが子供向け企画の室内だけならいいのですが、総合文化展までも子供の遊び場みたいになっており、夏休み・冬休み期間中はもうトーハクに行かないほうがいいかなと思いました。

ところで、『東京国立博物館ニュース』の最新号(10-11月号)を友人からもらったのです。
3ページ目の「今号の名品」という記事に誤植がありました。

①1段目の8行目「竹村定之進」のルビ
    誤)じょうのしん → 正)さだのしん
②1段目の14行目
    誤)体面 → 正)対面
③2段目の7行目「邂逅」のルビ
    誤)げこう → 正)かいこう


誤植というのは昔からあるものですけれども、1ページの中に3か所もありますと、冊子そのものが信用できない気がしてしまいます。
そして②の間違いは読者もすぐに誤植だと気がつくタイプの、実害のない誤植であるとしても、③はわざわざ難しい言葉を使っておいて間違えているのはダサいと思いますし、①は普通の人が知らない情報を専門家として提供しているのですから、絶対に間違えられないところだと思うのです。

写楽の作品に「市川蝦蔵の竹村定之進」があり、写楽の中でも取り分け有名な作品ですから、専門家が「定之進」を読み間違えることはないと思います。

印刷物のルビは、執筆者が振るとは限らず、編集者が足す場合がありますが、それでも執筆者はゲラで確認するはずです。一体どうしたのでしょう?

新国立劇場の会報誌「ジ・アトレ」は、誤植が多いと私は感じています。
(たとえば10月号3ページ3段目の4行目で、ポジティブがボジティブになっています)

公立の文化施設は、印刷会社を入札によって選定していると思いますけれども、入札の選定基準は「価格の安さ」だけしかありませんので、必然的に小さな印刷会社と取り引きをすることになります。
価格が安いのですから、上質なサービスは期待できず、初校のゲラを見て驚く、全然指定どおりになっていない、という事態は昔からありました。
しかし近年、その度合いに拍車がかかって、ページを組むオペレーターに日本語が通じていないのではないか?と疑問に思うことが増えました。
営業担当の方とのやりとりは対面して行っていても、実際の作業は遠隔地で行われているのだと思いますが、その距離がどんどん遠ざかっているような気がします。

出来のひどい初校から、発行できる状態に持っていくまでの労力が、昔に比べて著しく増大していると思うのです。

東京オリンピックに向けての取り組み、あるいは外国人観光客の取り込み対策として、印刷物に英文を併記せよ、さらに多言語化を推進しろ、という指令が上から降りてくるのですが、翻訳料や印刷費は上乗せされても、編集者の人数を増やしてもらえるわけではありません。

母国語ではない文章の校正は可能なものなのか、私は不可能だと思いますが、誰でも簡単に出来るものと思われているのでしょうか・・・?
まだしも英語なら、明らかな間違いくらいは気づくこともありますが、中国語(繁体字・簡体字の両方)、韓国語、スペイン語、フランス語、言語がどんどん増えていき、
もう間違っていても仕方ないよね、という空気が職場に満ちていきます。

昔の編集担当者は、毎日深夜まで働き、終電を過ぎるとタクシーで帰宅ということもたびたびありました。
しかし現在は残業代もタクシー代も出ませんし、残業しないで早く帰れ帰れと周りから言われますので、みんな早く帰っていきます。
でも、そのことを誰も責められないと思うのです。だって対価が支払われないのですから。

そうした現状を見渡して、取るべき対策としては、「ページを減らす」「記事を減らす」「写真を減らす」ということが有効だと思います。
歌舞伎も文楽も、昔のプログラムはもっと薄いものでした。時代の変化に合わせて変わっていくのは、当然のことではないでしょうか?

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