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2018年12月

2018年12月31日 (月)

今年の終わりに

今年も終わってしまいますねえ。早いですねえ。
今年は戦争についていろいろ考えた年でした。

職場の友人が、映画『この世界の片隅に』のDVDを貸してくれたのです。おすすめの映画だということで。映画製作のクラウドファンディングにも参加したのだそうな。
広島の原爆の前後を描いたアニメーションですが、呉を中心とした戦時下の生活が描かれており、実際に戦争を体験した人の記録なのかと思ったら、戦後生まれの漫画家の創作なのだそうです。
でも戦後生まれであっても、日本人であるなら、第二次世界大戦のことは子供の頃からいろいろ聞かされますし、多少なりとも知っていますよね。

新国立劇場には、演劇研修所が設けられていて、毎年15人くらいの修了生を輩出しています。修了してもあまり活躍の機会がないみたいですけれど・・・。
研修期間中に何回か公演を行うのですが、定番演目として、広島の原爆を扱った『少年口伝隊一九四五』と、沖縄戦を扱った『ひめゆり』があります。どちらも朗読劇で、動きは少なめですが、15人の研修生が活躍できるように作られています。研修発表のために作られた作品なんですね。
私は『少年口伝隊一九四五』は見たことがあったのですが、『ひめゆり』は見ていませんでした。ところが今年、仕事上の必要に迫られて数年前の公演記録映像を見ることになったのです。(私は日本芸術文化振興会の職員なので、公演記録映像が見られたのです)
沖縄戦の「ひめゆり」のことは知識として多少は知っていましたが、この公演記録映像は想像をはるかに超える悲惨さを伝えていました。
第二次世界大戦の頃、日本の被害は「空爆」によるものが多かったわけですが、沖縄は「地上戦」だったので、悲惨さの種類が違うんですね。
この朗読劇『ひめゆり』は、ひめゆりの中で生き残った方などの手記をもとに作られたようですが、もう見ているだけでつらくなる過酷な状況が描かれていました。

「地獄」というのは別の世界の話ではなく、私たちが生きているこの世が、ある時にはそのまま地獄になり、ある時には天国にもなる。人はそれを選ぶことができるのでしょうか。
もしも人間が少しでも智恵というものを持っているのならば、戦争を避けるためにその知恵を使うべきであると思いました。

生きているあいだに戦争がなければ、それで幸せ
生きているあいだに地震がなければ、それで幸せ
生きているあいだに飢饉がなければ、それで幸せ

先日の天皇誕生日の陛下のお言葉が印象的でした。
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」

戦争は人間の最も愚かしい行いだと思うのです。でも、たびたび起こっています。
人は戦争を避けることができるのでしょうかね。

世界が平和でありますように。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

2018年12月30日 (日)

部屋に写真を飾ることについて

先日書いた記事の中で、14代目守田勘弥のことを13と書いてしまいました。すみません。

先月出版された中村吉右衛門さんの写真集を購入したのですが、これが本として綴じられておらず、4ページごとにバラバラになっておりまして、好きな写真を額装したりすることもできるようになっています。
私は豪華写真集もいろいろ所有しておりますが、あまりに重すぎて滅多に取り出さない、ということも多いのです。好きなページを日常の中に取り入れられるのは嬉しいですね。

ところで、好きな写真やポスターを部屋に飾る人も多いと思います。
ここで老婆心ながら申し上げておきたいのですが、いくら美しいからといって、悲劇的な結末を迎える芝居の写真を部屋に飾ると、自分の運気に陰りが生じると思うのです。
絵でも写真でも、大きくなるほどその影響力も大きくなると思います。
ですから、いくら美しいからといって、知盛とか熊谷とか八ツ橋とか桜姫とか白拍子花子の写真や絵を部屋に飾るのはおよしなさいまし。
勧善懲悪の荒事や、危機を逃れる「勧進帳」の弁慶などは、安心して飾れるものと思います。
はたして「俊寛」が悲劇的な結末なのか、それともハッピーエンドなのか、それは人によって見解が異なると思います。自分でお考えなさいまし。
現在上映中の映画「私は、マリア・カラス」のポスターがロビーで販売されていると思いますが、それを部屋に飾ることが自分にとって陽なのか陰なのか、自分でお考えなさいまし。

悲劇的な内容の写真も、日にちを決めて1日だけ飾るとか、やり方を工夫して飾ることは良いと思います。(あらかじめ日にちを選ぶ、期間を決める等)

カレンダーの写真は、わりと大丈夫なのではないでしょうか。

なぜと訊かれても困りますが、私はそう思っているのです。

シェルブールの雨傘

ミュージカルの映像をいろいろ見ているんです。
ミュージカルは、たいてい「子供向け」か「下品」か、どちらかに分類されることが多いのですが、どちらにも属さない「大人が楽しめる上質なミュージカル」も少数ながら存在します。先日見た『シェルブールの雨傘』も、良く出来た内容でした。
モーツァルト作曲のオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》を悲劇にしたような内容でした。
《コジ・ファン・トゥッテ》が「あり得ない話」であるのに対し、『シェルブールの雨傘』は「あり得そうな話」となっていました。

冒頭からいきなり、超有名な旋律が流れてきます。「このメロディーは、このミュージカルのものだったのか!」と期待が高まります。(私はどこでいつの間に、このメロディーを聞き覚えていたのだろう?)
でもちょっと、同じメロディーを何度も使い過ぎな感じがしました。そして、求心力があるメロディーはそのメロディー1つだけ。1作中に名旋律を何種類も用意したヴェルディやプッチーニは本当に偉大でした。でも「早い者勝ちの法則」により、時代が下るにつれて名旋律は作りづらくなっていくわけですし、1つだけでも思いついたミシェル・ルグランは天才なのでしょう。名旋律が1つあればミュージカルって作れちゃうんだなあと思いました。「思いつく」のと「思いつかない」のとは、何が違うのだろう?

最後にもうひと盛り上がりしても良いのではないかと思いましたが、寂しく終わるところがいいのかもしれない・・・。

年の瀬

今日はセルリアンタワー能楽堂で狂言を見てきました。
ホテルの地下にある能楽堂で、すっかりお正月飾りが済んでいました。
お正月飾りは、1日飾りはいけないとか(つまり大晦日に飾るのは駄目)、29日に飾ってはいけないとか、いろいろ決まりごとがあるようですが、たいていクリスマスが終わると一斉に切り替わりますね。
能舞台の上部に、注連縄が張られていました。まだお正月ではないのに、お正月のしつらえの舞台で狂言を見るのは、不思議な感じがしました。
その注連縄を見ながら、そう、歌舞伎の「吉田屋」って、ちょうどこの時期の話なんだよなあと不意に思ったのです。お正月飾りがしてあるけれど、まだお正月ではない年の瀬。皺す浪人、師走浪人と詞章に出てきますね。お正月飾りがしてあるけれどまだお正月ではない短い期間、この時期には独特の雰囲気が流れていますね。
年齢を重ねると、その独特の雰囲気を感じる能力が薄れていくような気がします。
でも今日は突然それがよみがえってきました。

正面の1列目中央で見ていたのですが、右隣には5歳くらいの女の子が座っていて、足をブラブラさせたり上演中に話をしたり行儀が悪くて、左隣には手帳を開いて鉛筆でイラストを描き続ける気持ち悪い人が座っていて、もう大変でした。気持ち悪くて死んでしまいそうでした。でも吉田信海さんの『釣狐』は素晴らしかったです。

2018年12月29日 (土)

1年を振り返る(邯鄲ツアー)

年末。もうすぐ1年が終わってしまいます。早いものですねえ。

この1年の自分の観劇を振り返りますと、1番強く印章に残っているのは、9月歌舞伎座・昼の部の「中村福助さん舞台復帰」ですね。私は福助ファンなので、約5年間、毎朝、我が家の神棚に福助さんの復帰をお祈りしていました。神棚にお願いすることなんて、普通、そんなにたくさんあるわけじゃないですよねえ。いえ、それでも私はいくつかお祈りしますけどもね。そのうちの1つが実現したのです!これはすごいことです。すごい感激の体験だったのです。

あとは、エディタ・グルベローヴァの「日本最後のリサイタル」が感動的でした。このような奇跡のソプラノの声を生で何度も聞くことができて、本当に有り難いことでした。

ハンブルク・バレエの来日公演《椿姫》《ニジンスキー》も衝撃的な体験でした。全日程を拝見しましたが、2月4日の《椿姫》最終日が、特に感動しました。振付のジョン・ノイマイヤーに直接サインをもらえたことも嬉しい出来事でした。夢の中にいるようでした。

文楽では、9月の『夏祭浪花鑑』、12月の『鎌倉三代記』に大変感動しました。特に織太夫さん、玉志さんの大活躍は文楽の新しい輝きを感じさせるものでした。

能では、6月9日に京都観世会館で上演された林宗一郎さんの『邯鄲』、狂言では、5月11日に大槻能楽堂で上演された茂山逸平さんの『釣狐』に非常に深い感銘を受けました。宗一郎さんの『邯鄲』は、夢から覚める瞬間が、この世のものとは思われぬ夢幻的な展開でした。こんなことを書いてはナニですが、『邯鄲』って途中が結構長くて、ああ~長いな~、眠いな~、と思ったところに「夢覚め」の劇的な急展開があって、「何事が起こったのだろう」と見ているこちらまで呆然としました。今年は『邯鄲』を3回拝見し、いろいろ考えさせられました。

そして!今年は、講談の神田松之丞さん、浪曲の玉川太福さんの躍進に心ときめいた年でした。こういう方たちの活躍を私はずっと待っていた気がするのです。銀座博品館での松之丞7DAYSは本当にわくわくする嬉しい公演でした。歴史的な事件と言っていいくらいです。松之丞さんと太福さんで、講談と浪曲の両方の『天保水滸伝』を(一応全編)聞くことができました。現代の日本にそんなことが起こるなんて誰が予想できたでしょうか。太福さんの唸る「と言うて鰯の子ではない」という句に、私は本当に驚き、感動したのです。正確に言えば、私がこのフレーズを耳にするのは初めてではないはずなのですが、すっかり忘れていて、今年太福さんの口から出るのを、ずっと待っていた気がしたのです。

2018年12月26日 (水)

私は、マリア・カラス

47歳、独身、ひとり暮らし。晩年のマリア・カラスよりも寂しい毎日を送っているふくきちです。こんばんは。

昨日のクリスマス・イヴは、ひとりで玉川太福さんの浪曲を聞きに行きました。「骨付きチキン」が出てくる新作浪曲が聞けたので、クリスマスっぽい雰囲気をちょっと楽しみました。
会場の「なかの芸能小劇場」に行くのは久しぶりでした。ひょっとして20年ぶりぐらい?何も変わっておらず、とても懐かしい感じがしました。もうすぐ2か月かけて改修を行うそうですが、何が変わるのだろう?国立劇場は開場して51年になるけれど、2か月間もかけるような改修は1度もしていない。

先日、映画「私は、マリア・カラス」を見てきました。
見たことのない映像もありましたし、見たことのある映像もありました。見慣れた映像も、一部カラー化されていて、とても新鮮でした。
カラスの舞台映像は、ほとんど残っていないわけですが、無声フィルムの断片はいくつか残されているんですね。
シカゴの蝶々さんの映像の時に流れていたのは、スタジオ録音の蝶々さんではないでしょうか?
マクベス夫人のアリアは、若い時に録音されたもので、流れた映像とは別の音源ではないかと思いました。
カラスの未完の自叙伝を、フランスの女優ファニー・アルダンが朗読していました。カラスは自叙伝をフランス語で書いたのでしょうか?
私はカラス・ファンなので、大変興味深く拝見しました。

2018年12月24日 (月)

阿古屋あれこれ

今月の歌舞伎座で、トリプルキャストによる『壇浦兜軍記』が上演されています。トリプルキャストと言えば昔、11團十郎、8幸四郎、2松緑の三兄弟による『勧進帳』や、3延若、4雀右衛門、7芝翫による『鏡獅子』など伝説の舞台があったかと思いますが(私は見ていません笑)、今回は同世代による芸の競演ではなく、玉三郎さんが若手2人に芸を引き継ぐ、というものでした。

どうでもいいのですが、Aプロ、Bプロという呼び方がどうも好きになれません。勘三郎さんがシアターコクーンで『東海道四谷怪談』を上演した時は、2つの配役を「北番」「南番」と呼んでいて、洒落ているなと思いました。(南北物なので)

今月、3人の阿古屋を拝見したのですが、それぞれに特色があり、面白かったですね。
3人とも同じ衣裳でしたが、1つの衣裳を3人で代わりばんこに着ているのか、同じ衣裳を3つ誂えたのか、どちらなのでしょうね。阿古屋をたびたび演じた6歌右衛門の昔の写真を見ておりますと、その時どきで違う衣裳を着ていて楽しいですけれども、今の時代なかなかそこまで出来ないのでしょうね。
打掛に蝶々が縫ってありますが、歌舞伎で打掛や俎板帯に描かれる蝶々もいろいろありますね。この阿古屋の打掛や、八ツ橋の帯などは綺麗だなあと思うのですが、白玉の帯の蝶々はどうも好きになれません。それから、オペラの蝶々さんが着る蝶々の打掛も一度も綺麗だと思ったことがないですね。蛾みたいに毒々しいなと思うこともあります。難しい柄なんですね。

遊女というものは、『忠臣蔵』のおかるのように、大人になってから身を売るケースももちろんあったでしょうけれども、幼い時に口減らしとして廓に売られてしまうことも多かったでしょう。大店に売られた中で、特に器量の良い子などは、楽器を習わされたのでしょう。大きくなったら客の前で演奏して楽しませるために。
子供というのは、いろいろ習い事をさせられるものです。私もいろいろやりました。小学校の頃は習字、そろばんを週に1回。中学生の頃は英語と数学が週に1回だったでしょうか。高校の時は習い事がなくて、それで馬鹿になったんですね、きっと。私は幼い頃に体が弱かったので、体を使う習い事をよくさせられたものです。スイミング、器械体操、剣道、サッカー、どれも本当に嫌で嫌で、苦行でした。でも習い事って自分の意思よりも親の考えというところがありますよね。出資者ですし、権力者ですからね。中学生の頃、トランペットを少し習っていましたが、なぜトランペットだったのか、今となってはよく分からない。家で練習ができないじゃないですか、音がデカすぎて。ピアノが弾けたらいいのになあと憧れましたが、家にはピアノがありませんでした。
玉三郎さんは、養父14守田勘弥の意向で子供の頃から三曲の練習をしていたそうです。でも阿古屋はやらせてもらえると思っていなかったと何かで仰っていました。やれるかどうか分からないのに三曲を練習するというのはすごい意志だなあと思いました。でも心では、やる気満々だったんじゃないかと思いますけどね。どうでしょうか。

阿古屋は三曲の演奏をしろと命じられ、演奏し、そして嫌疑が晴れることになります。
以前は、重忠は「三曲を聞いて」疑いを晴らしたのだと思っていました。つまり「三曲が等分に重要」だと思っていたのです。しかし、ある時から、重忠は「胡弓を聞いて」疑いを晴らしたのだと思うようになりました。阿古屋の弾く胡弓は、琴や三味線と重みが違う。
阿古屋の演奏する琴や三味線は、廓で弾いてもおかしくない内容でしょう。まさか客の前で「私は景清を慕っている」とは唄わないでしょうけれど、景清の代わりに別の客の名前を当てはめて唄ってもおかしくない。けれど胡弓で唄った唄は、客の前では決して唄わない内容だと思う。

阿古屋が胡弓で演奏するのは『鶴の巣ごもり』で、自分が景清の子を宿していることを表しているそうです。阿古屋は遊女であり、多くの客を取る状況の中で、なぜ「この腹の子は景清の子」と確信できるのかといえば、「他の客には許さないことを景清にだけ許していた」ということなんでしょうかねえ。そういうのを間夫と言うんですかねえ・・・。

におい

最近、変なにおいの香水が流行っていませんか?
今年の冬、なぜか同じにおいの香水をよく嗅ぐのです。他人と同じ香水を付けたがる気持ちも理解しがたいところですが、私にはそのにおいの良さ自体が全く理解できず、においの好みは本当に人によって異なるのだなあと思います。
お芝居を見に行って、近くの客が付けていると困りますね。(耐えられない)
今日、久しぶりにBunkamuraに行ったのですが、Bunkamuraのトイレの芳香剤がこの流行りの香水と同じようなにおいでした・・・。

2018年12月16日 (日)

坂口貴信之會

今日、観世能楽堂で開催された「坂口貴信之會」に行ってきました。『隅田川』が誠に素晴らしい上演でした。坂口さんは声域の幅が広く、また謡に感情が乗る人です。他の人はこんなに感情を出しませんし、今日の坂口さんのような演技が能のやり方として正統なのかどうか私には分かりませんが、役柄の置かれた状況としては、このくらい強く演じて当然という気がしました。たいへん鮮烈な演技でした。地謡も白熱していました。
私の隣に座っていた爺さんが、舞台上から音がやんですぐに鞄のチャックを開けたり閉めたり、アンケート用紙をガサガサしたり、もう自分で聞こえていないのだと思いますが、日本のお年寄りというのはどうしてこんなに行儀が悪いのでしょうかねえ?一番行儀が悪いジャンルが能とオペラだと思うのです。

あれこれ

スーパーやコンビニで売っている食品がどんどん小さくなっていますね。お菓子やパンがどんどん小さく。ジャンボむしケーキ」がジャンボじゃなくなったのには本当に驚きました。値段も上がっていきます。チーズ類やナッツ類は、数年前の倍くらいの値段になってますか。芝居や美術館の入場料も値上がりが激しいですね。
今月の歌舞伎座の夜の部が、8時前に終演したのは衝撃的でした。私が歌舞伎を見始めたのは平成4年ですが、夜9時半くらいまでザラにやっていたと思いますが・・・。増税も控えていますし、生活が変わっていきますねえ。若い人はどうやって生きていくのでしょう。

2月10日の「茂山千之丞襲名披露公演」のチケットが取れました!!
一般発売開始の10時きっかりに電話がつながったのです。あの声は童司さんご本人だったのかも・・・?確かめなかったけれど・・・。
千之丞襲名の『花子』が見られるなんて夢みたい~。やった~!

先日、国立劇場で文楽の『鎌倉三代記』を見ました。本当に名作だなあと思ったのです。よくこんなに複雑な物語を考えつくものだなあと改めて感心しました。
昨秋、歌舞伎のほうで尾上松緑さんが『坂崎出羽守〔さかざきでわのかみ〕』という珍しい作品を上演なさいましたが、大坂夏の陣を題材にした面白い話でした。『鎌倉三代記』と違って、登場人物は実名で取り上げられていますが、かと言ってノンフィクションというわけでもない。でも、「このような出来事が実際にあったのかもしれないなあ」と思わせるところがありました。ちまたに流布した、虚実入り交じった「大坂の陣の伝説」を、『鎌倉三代記』はこんなふうに物語の中に取り込んだのか・・・と、今月の文楽公演で改めてこの作品の偉大さを再認識しました。
源平の合戦は『平家物語』という美しい文学作品を生み出しましたが、豊臣と徳川の戦いは浄瑠璃になったんですねえ。徳川幕府の検閲が厳しかったので、かえって面白くなったのかもしれませんね。
『鎌倉三代記』は、『近江源氏先陣館』の「話の続き」として作られたと言われています。登場人物は共通していませんし、別の作品として、別々の機会に上演されますが、『鎌倉三代記』は、『近江源氏先陣館』の続きとして見たほうが面白さが倍増すると思うのです。「入墨の段」が、2つの作品を繋ぐ役割を果たしています。「地獄の上の一足飛び」なんて、聞いていて本当にゾクゾクする面白さです。それは私が『近江源氏先陣館』をすでに知っているからなのでした。
かつて国立劇場で1度だけ、昼の部に『近江源氏先陣館』、夜の部に『鎌倉三代記』と、2つの作品が続けて完演されたことがありました(昭和58年5月)。こんなすごいものを見られた当時の人々が羨ましい。文楽の黄金時代でした。
2つの作品が連続して上演されることは今後もう望めないので、自分の脳内で結合させませう。

2018年12月15日 (土)

表紙は、マリア・カラス

数年前、渋谷のタワーレコードでエレベーターに乗った時、一緒に乗っていた知らない青年2人が会話していたんです。「何階で降りる?」「俺、英語読めねえ」
エレベーター内に表示されていたフロア案内は確かに英語表記だったのですが、POP、ROCK、JAZZくらいは読めてもよいのではないだろうか・・・、と私は驚きました。
まあしかし、渋谷の街を歩いている若者なんて、そんなものなのかも?

タワーレコードの発行しているフリーペーパー「intoxicate」というのがありますが、最新号の表紙がマリア・カラスの写真でした。たしか平成9年にもマリア・カラスが表紙だったことがありました。当時は「intoxicate」ではなく「musée」という名前でした。この誌名、みんな読めているのでしょうか?
東急線の駅に置かれているフリーペーパー「SALUS」も、みんな読めているのでしょうか?
ま、タイトルなんて読めなくても関係ないのかもしれない。
しかし、誰も読めなさそうな名前を付けるという気持ちが私にはよく分からない。
タワレコのフリーペーパー、昔はもう少しオペラの話題や新譜の紹介が載っていたと思うのですが、めっきり少なくなりましたねえ。

「マリア・カラス・ブーム」というのは起きないのだろうか?なぜ起きないのだろう?といつも不思議に思っています。

2018年12月13日 (木)

鎌倉三代記

国立劇場の12月文楽公演を見てきました。
『鎌倉三代記』が驚くほどの名演でした。こんな大舞台が見られるとは思っていませんでした。見る前は、「また鎌三か~」などと思って、切符を買うことを迷ったくらいでした。本当に見て良かった!
織太夫さんはすごい迫力でした。芸質的に高綱に重点が置かれているようで新鮮でしたね。日本人は「織太夫の初役を聞く」という新しい楽しみを手に入れたわけです。
そして玉志さんの遣う高綱が豪快でありながら細やかな表現力で、もう本当に驚愕の素晴らしさでした。去年、樋口を遣った時もすごいと思ったのですが、今回は「こんな人が出てくるものなのか・・・」と文楽の底力に驚嘆しました。
勘彌さんの時姫も良かったですねえ。

自分の勤める劇場の公演が素晴らしいということほど嬉しいものはありません。
皆様におすすめしたいところですが、もう完売なのでした。

『鎌倉三代記』に関する過去の記事
  ↓
『鎌倉三代記』あれこれ
『鎌倉三代記』あれこれ2
『鎌倉三代記』あれこれ3

2018年12月11日 (火)

阿古屋4連発

12月は歌舞伎座(東京)、1月は国立文楽劇場(大阪)、2月は国立劇場(東京)、3月は南座(京都)と、東西で『壇浦兜軍記』が連続上演されますね。文楽の阿古屋もぜひご覧いただきたいと思います。歌舞伎とはまた違った面白さがありますし、絶対に見てくださいね!

文楽の阿古屋と言えば、私が国立文楽劇場で3年働いていた間に1度上演され、平成16年1月のことでしたが、嶋太夫師匠、清介師匠、簑助師匠という配役で、もう本当に最高の上演だったんです。ああいうのを陶酔の極みと言うんですかねえ。

住太夫師匠が素浄瑠璃で阿古屋を語るのも聞いたことがあります。
阿古屋の詞に「羽織の袖のほころびちょっと」というところがあって、私はずっと、どういう意味なんだろうかと不思議に思っていたのです。ほころびがちょっと?些細なほころびのこと?それとも「ちょっと時雨の」だろうか?よく分からなかった。
ところが、住太夫師匠の語りを聞いていたら、「ちょっと、袖がほころびてますよ、私が繕ってあげます」と景清に呼びかける「ちょっと」なのだということが私にも分かったのです。語りの力というのは偉大なものだなと思いました。住太夫師匠が本当にそのつもりで語っていたのか確かめようもありませんが、私はそう感じたのでした。

世の中の不思議

なぜ、大臣にふさわしくない人が大臣になってしまうのでしょうかねえ。

桜田義孝大臣みたいな「能力のない人」は、本人が悪いわけではないにしても、周りに与える悪影響の大きさを考えて、自ら辞退すればいいのに・・・と思うのです。
女性からたった1人しか選ばれなかったという片山さつき大臣が不正の連発とは、一体どうしたことでしょう?
河野太郎大臣の折衝能力のなさにも驚きます。

「なってしまう」ことも不思議ですが、それ以上に「辞めさせられない」ことも不思議ですね。世の中どうなっているのでしょう?

2018年12月10日 (月)

ちょちょげ

わたくし、『近世上方語辞典』という本を持っております。(前田勇:編、東京堂出版S39)
あまり開いてみることもないのですが、思い立って「ちょちょげ」という言葉を引いてみました。

ちょちょげ 淫事のことか。享保十七年・壇浦兜軍記「此上のばれ次手、ちよちよげ、なんどもよござんしよがの、ハハハハハと嘲弄す」

うーん、それは説明されなくても分かっていることでありました。

ばれついで

今月は歌舞伎座で「阿古屋」が上演されています。義太夫狂言の場合、詞章に分からない箇所があったならば、床本〔ゆかほん・ゆかぼん〕を見てみればいいと思うんです。インターネットで「床本集」と検索しますと、たいていの演目は活字になっています。これは丸本の翻刻ではなく、文楽の現行台本という感じのものですが、耳で聞いて分からなかった詞章も文字で読むと分かることがあります。(改行がないので読みづらいかもしれませんが、基本的に床本には改行はないものだと思います)

阿古屋の三曲の詞章も難しいものですが、岩永のセリフも難解ですよね。これを解説してくれる書物は存在しないと思うんです。彼はスケベエなことを口にしているのです。スケベエなことを直接的に表現すると下品で聞いていられないので、まわりくどい表現になっているわけです。日本のスケベエは婉曲になっているので普通の人には分からないと思います。西洋のスケベエは「そのまんま」で驚くことが多いです。
岩永のセリフの中に「この上のばれついで」とありますが、この「ばれ」というのは「スケベエ」ということだと思います。落語で下ネタ、艶笑噺のことを「バレ噺」というその「バレ」でしょう。「ついでにもっとスケベエに」、すごいセリフですね。
「腹に子のあるがざみの格」というセリフもあります。「がざみ」というのは「ワタリガニ」のことです。ただの「ワタリガニ」よりも「子持ちワタリガニ」のほうが美味しいのは皆さまご存じですね。懐胎している阿古屋をつかまえて「子持ちワタリガニと同じように塩煎りにして食べてやる」というわけです。「美味しいお前を拷問にかけた上で食べてやる」という、どうも説明するとスケベエになっていけません。よそで話しちゃ駄目ですよ。

2018年12月 9日 (日)

坂東玉三郎トークショーその7

11月14日に金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来たわけなのです。

「歌舞伎の道に進んだ経緯」という話になりました。とにかく朝から晩まで広間や廊下でずっと踊っている子だったのだそうです。親御さんの知り合いに歌舞伎俳優がいて、「そんなに好きならやらせてみたら」というので歌舞伎の世界に入って行ったのだそうです。「自分は幸運だった」と仰っていました。と言いますのも、ちょうど新しく国立劇場ができて、一方で大幹部の人たちは歌舞伎座を開けるということがあり、国立劇場で若手の抜擢があったということなのです。「時鳥殺し」の時鳥で注目され、転機になったとのことでした。

この「時鳥殺し」は昭和42年12月、すなわち国立劇場開場の翌年に上演されたものです。私は昭和46年生まれなのでもちろん見ておりませんが、いま独立行政法人日本芸術文化振興会に勤めておりますので、知識としては知っていました。しかし、玉三郎さんご本人の口から「ちょうど国立劇場ができて幸運だった」とお聞きすると、玉三郎さんという奇跡の存在に国立劇場が深く関与していたんだなあ・・・と改めて感じ入った次第です。

前の中村芝翫さんも、昭和42年に芝翫を襲名するまで、なかなか役がつかなかったと聞いたことがあります。歌舞伎俳優にとって、役を得るのは大変なことだったんですね。

14守田勘弥、13片岡仁左衛門、3実川延若、4中村雀右衛門といった方々は、開場直後の国立劇場で存分に活躍したというイメージがありますねえ。

昭和期と違って現在は、一度に4座も5座も歌舞伎が開くことがありますけれども、「抜擢に応える」「仕出かす」ということは滅多に起こりませんね。

マリア・カラスも言っていまいた。「準備ができているということほど、公平で強いものはない」と。他の人は準備ができていなかったんだそうですよ。

2018年12月 8日 (土)

時のないホテル

ユーミンの歌に「時のないホテル」という名曲があります。

ここは置き去りの時のないホテル 20世紀を楽しむ場所

これは20世紀に作詞された曲で、私は20世紀の頃から聞いておりますが、21世紀のいま聞くと、より一層味わい深いと思うのです。

昔の感覚のまま時が止まって世の中に取り残されてしまう、ということが実際にあるわけなのです。

国立劇場は、全ての公演ではありませんが、ほとんどの公演を映像で記録していて、月に一度「公演記録鑑賞会」という場で上映しています。(「公演記録鑑賞会」は無料ですが、30分50円で好きな公演記録映像を見られる「視聴室」もあります)
この公演記録鑑賞会のちらしが、いろ紙にスミ一色で印刷されたもので、いまどきこんなちらしが存在するのかと驚くような古くさいものなのです。あらすじも見どころも書かれていません。私が知っているのは平成4年くらいからですが、ずーっと同じままで、周囲がどんなに変わっても変わらない。始めた当初はそれが普通だったのかもしれませんが(?)、こんなに古くさい印刷物が見られるのはいまや国立劇場だけだと思います。地方の劇場のほうがよほど洗練された印刷物を出しています。「日本芸術文化振興会ニュース」も然り。

「高輪ゲートウェイ」という駅名がダサいと話題になっていますけれども、「独立行政法人日本芸術文化振興会」という誰も覚えてくれない名前も何とかしてほしい・・・。(普通に覚えられないと思う)

国立劇場の歌舞伎公演では、千穐楽に「国立劇場賞」という賞が発表になるのですが、この賞はどんなに演技が素晴らしくても座頭には与えられない賞なのです。なのに「どういう趣旨の賞なのか」ということが全く説明されないことが誠に不思議。そして、いまどき舞台写真くらい一緒に掲載すればいいのに、発表の仕方があまりに素っ気なくて毎回驚きます。
国立演芸場の「花形演芸大賞」の発表の素っ気なさにも毎回驚きますけれども・・・。

そして、時に置き去りにされた雰囲気を東京で最も強く感じさせるのは、国立劇場の2階食堂や駐車場あたりではないかと思う。東京国立博物館の本館もかなり強いですが。

オペラ彩《トスカ》

和光市の「サンアゼリア」という名前のホールで上演された《トスカ》を見て来ました。オペラ彩〔さい〕という特定非営利活動法人が主催する公演でした。

トスカ、カヴァラドッシ、スカルピアの主役3人は、新国立劇場で今年上演された「高校生のためのオペラ鑑賞教室《トスカ》」で同じ役を歌った小林厚子さん、村上敏明さん、須藤慎吾さんでした。
オペラ彩ではここ数年、高校生の団体が公演を見に来ていましたが、今年はいませんでした。演目が《トスカ》だから今年はやめにしたのでしょう。見識というものですね。

現在、無数にいるオペラ歌手の中で、最も演技力があるのは須藤慎吾さんだと私は思っているのです。スカルピアは、その演技力を遺憾なく発揮できる演劇的な役。須藤さんのスカルピアは前にも見たことがありますが、違うプロダクションですから演技も違っていました。第1幕の「テ・デウム」の最後に祭壇へこうべを垂れるところなんて、まさに名人芸といった感じで、思わず「うまい!」と言いそうになってしまいました。
私は、須藤さんのイヤーゴを見たいとずっと思っていて、2年前にやっと上演されてチケットも早々に買ってあったのに、仕事の都合で見に行けませんでした。もう見られないのだろうか・・・。何事も一期一会ですねえ。

私がこれから是非見たいと思っているもの
・狂言「靭猿」
・今井勉さんの平曲(たぶん無理だけれど曲目は「大原御幸」で)
・ケルビーニ作曲のオペラ《メデア》
・須藤慎吾さんのイヤーゴ(オーケストラ、合唱付き)

カヴァラドッシの村上敏明さんは、ナポレオン勝利の報が届いた後の雄叫びVittoria!が素晴らしかったですね。ここの聞かせどころを意外とあっさり済ますテノールが多い中、興奮度も最高潮でした。

私の好きな現役指揮者はネッロ・サンティとヴィート・クレメンテなのです。(これは私の好みのことを言っているので、良し悪しを論ずるものではありません)
オペラ彩では、《マリア・ストゥアルダ》《マクベス》《ラ・ボエーム》《トゥーランドット》をヴィート・クレメンテが振っていて、今回が5回目の出演でした。(私は5演目すべて見ました)
今日のクレメンテは、指揮をしながら自分でも歌っている場面がやたら多く、もともと要所要所で「アッ!」という掛け声でオケや合唱のタイミングを合わせる人ではあるのですが、今回はもうずっと歌い続けていて、特に「チヴィタヴェッキア」のやり取りがある件りや、第3幕の冒頭部分などは、まるで「クレメンテ・リサイタル」といった趣きでした。最初にこの指揮者を聞いた時は、こんなに実力のある人がなぜ日本の、しかも2日間だけの公演で指揮を?と不思議に思ったものでしたが、注意する人がいないと、こういうふうになってしまうのかなあと思いました。やっぱり指揮者も歌いたくなるものなのでしょうかねえ?

2018年12月 7日 (金)

坂東玉三郎トークショーその6

11月14日に金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行ってきたわけなのです。

このトークショーは、「妙成寺五重塔建立400年記念」として行われたものでした。妙成寺は、長谷川等伯の2幅の絵を所蔵しているそうですが、そのうちの1つ「仏涅槃図〔ぶつねはんず〕」が舞台に登場しました。客席から距離があるので、細かいところまで見えるわけではありませんでしたが、妙成寺のお坊さんが「絵解き」をしてくださり、大変貴重な機会となりました。
(むかし私は、和歌山県の道成寺で、清姫伝説を描いた絵巻の解説を聞かせていただいたことがあります。そういう機会はなかなかありませんね)

涅槃図は美術館でよく見ますけれども、今回のお坊さんの解説で初めて知ったこともありました。
仏さまが亡くなることを「入滅〔にゅうめつ〕」と言いますけれども、入滅の際に仏さまが頭を北向きにしていたことはよく知られています。私の親は「北枕は縁起が悪い」と言って、北向きに寝ないようにしていました。幼い頃から聞いていますと、私もやはり自然と、寝る時の方向が北にならないか気にするようになっていました。涅槃図において仏さまは当然、北向きに寝ているわけですが、妙成寺のお坊さんの解説によると、「頭は北向き、顔は西向き」と決まっているのだそうです。「西方浄土〔さいほうじょうど〕」と言って、極楽は西の彼方にあるからでしょう。極楽がなぜ西の方角にあるのかと言うと、仏教がはるか西から伝わって来たという点も日本人にとっては重要な要素だろうかと思いますが、仏教の起点である仏さまが西を向いていたというのは、「太陽が沈む方角」「物事が終わる方角」を表しているということなのでしょう。方角は、それぞれ意味や特徴や力や作用といったものを持っていると感じるのです。みんな知っていることですけれどもね。

沙羅双樹が半分緑で、半分枯れているのは、生と死の境を表しているのだそうです。
沙羅双樹の枝に引っかかっている袋は、雲に乗って駆け付けた摩耶夫人が空から投げたもので、中に薬が入っているのだそうです。ここから医師が患者に薬を与えることを「投薬」と言うようになったと仰っていました。

等伯の「仏涅槃図」はかなり大きな絵でした。沙羅双樹のまわりに煙のようなものが立ちのぼっていて、それが緑がかった水色で、とても綺麗な色でした。遠くから見ても、それは分かりました。
等伯が使っていた顔料は良い顔料で、支援してくれる人がいたのだろうというお話でした。良い顔料は良い画家のもとに集まっていく、それは当然のことだと思いました。

2018年12月 4日 (火)

新国立劇場《カルメン》

新国立劇場《カルメン》の千秋楽公演を見てきました。
カルメン役のジンジャー・コスタ=ジャクソンと、指揮のジャン=リュック・タンゴーが素晴らしく、なかなか盛り上がっていました。

ところで、カーテンコールの時に口笛というか指笛?を吹く人が最近よくいるようなのですが、私がこれまで読んだオペラ関連の本の中では、オペラ公演における口笛は「お前の歌は全然良くないぞ、どうしたんだ?」という「野次」「罵倒」として描かれていましたが、大丈夫なのでしょうか?最近増えているような気がするのですが、一体どこからやって来た風習なのでしょう?スポーツ関係の風習でしょうか?

2018年12月 3日 (月)

【再掲】阿古屋の三曲について

歌舞伎座で「阿古屋」が上演されていますので、過去の記事を再掲しておきます。三曲の詞章の確認です。

●琴のくだり
【詞章】
〔かげ〕というも月〔つき〕の縁〔えん〕 清〔きよし〕というも月の縁 影清き名〔な〕のみにて 映せど袖に宿らず
【解説】
この琴のくだりは、箏組歌〔ことくみうた〕の「菜蕗組〔ふきぐみ〕」の替え歌だそうです。箏〔こと〕の演奏と一緒に歌う歌が「箏歌〔ことうた〕」、短い箏歌をいくつか組み合わせて1つの組曲としたものが「箏組歌」です。
阿古屋では通常「琴」と表記しますが、「琴」と「箏」は本来別の楽器であり、昔は混同されていたものが、現在はくっきり区別されるようになりました。「箏」は「こと」とも読みますし、「そう」とも読みます。「箏曲」と書いたら「そうきょく」と読み、「こときょく」とは読みません。
「菜蕗組」は、最初は9つの歌を1組にしたものでしたが、のちに7つに編曲され、現在は7つしか歌われないと思います。
阿古屋の琴のくだりは、「菜蕗組」の1つ目の歌の替え歌です。
「菜蕗組」(一)
菜蕗
〔ふき〕というも草〔くさ〕の名〔な〕 茗荷〔みようが〕というも草の名
富貴
〔ふき〕自在〔じざい〕〔とく〕ありて 冥加〔みようが〕あらせ給〔たま〕えや
この歌の意味が解説されている本は存在しないのではないでしょうか。菜蕗と富貴、茗荷と冥加、「意味は違うけれど音が同じ言葉」を2組使った、言葉遊び的な歌です。「冥加」というのは、神仏のご加護、ご利益のことですね。現在はほとんど使われませんが、歌舞伎や文楽の中では頻出する単語です。
(「冥加ない」とか「冥加に余る」という表現がありますが、それは「幸せすぎて怖い」「この状況はあまりにも私の分を過ぎていて、もったいない」ということではないでしょうか。つまり、仏様というのは、私が苦しんでいるからこそ救ってくださるのであり、幸せだったら救ってくれないので、冥加がないわけです)
「菜蕗組」のこの1つ目の歌は、「冥加」という仏教用語が出てくることからも分かるように、仏教の徳について歌っているものと思います。菜蕗も茗荷も香りの強い食べ物で、年に数回食べるくらいなら美味しいけれど、毎日食べていたら飽きて嫌になってしまいます。しかし、他に食べるものがなかったら、毎日でも食べるでしょう。仏教徒はベジタリアンなので、食べ物の選択肢に制約があります。「戒律を守って精進したなら、何かいいことがあるかしら」という内容の歌ではないかと私は思っています。
阿古屋が歌う歌は、この「菜蕗組(一)」の詞の形式「~というも~、~というも~」を借りているだけで、内容は元歌とリンクしていないと思います。しかし、「菜蕗組」の2~7つ目の歌を見てみると、不思議と月に関する詞が多いのです。興味のある方は一度読んでみるとよいでせう。
「影というも月の縁 清というも月の縁」
「縁」とは、「言葉で言い表せない繋がり」「何かと何かを結びつける力」といった意味でしょう。中島みゆき様の歌の歌詞に「この縁はありやなしや」というのがありますが、どんなに求めても縁がなければ離れていきますし、どんなに嫌でも縁があれば巡り会います。和歌には「縁語」というのがありますし、縁を分からない日本人はいませんね。
「影」という字は月と縁がありますし、「清」という字も月と縁があります。
「月影」と言ったら、「月の光によって出来た影」ではなく、「月の姿」「月の形」すなわち「月の光」のことです。シャドウではなくライトです。「星影」も「星の光」です。
月は、欠けたり曇ったりするものですから、そうでない月を「清」という文字で表わすこともあります。歌劇《ノルマ》には、「清らかな女神よ」という、月の女神に祈りを捧げるアリアが出てきます。
「映せど袖に宿らず」
「袖に月が宿る」というのは、「融
〔とおる〕」という能に出てきます。能「松風〔まつかぜ〕」には「月さえ濡らす袂〔たもと〕かな」とありますし、わりと定番の表現なのではないでしょうか。濡れた袖には月が映ることがある。阿古屋の歌は、「私はこんなに泣いて、こんなに袖が濡れているのに(映せど)、月さえ袖に宿らない」→「景清との縁は切れてしまった」という内容だと思います。

●三味線のくだり
【詞章】
翠帳紅閨
〔すいちょうこうけい〕に枕〔まくら〕並ぶる床〔とこ〕の内〔うち〕、馴れし衾〔ふすま〕の夜〔よ〕すがらも、四〔よ〕つ門〔もん〕のあと夢もなし。さるにても我〔わ〕が夫〔つま〕の、秋より先に必ずと、仇〔あだ〕し言葉の人心〔ひとごころ〕、そなたの空よと眺むれど、それぞと問いし人もなし
【語釈】
「翠帳」というのは、緑色の帳〔とばり〕。帳というのは、室内に掛ける大きめの布。目隠しや、装飾のための布です。「屏風の布ヴァージョン」といったところでしょうか。
「閨
〔けい〕」というのは、寝室のこと。すなわち「翠帳紅閨」というのは、「飾り立てたベッドルーム」ということでしょう。色づかいが中国風ですね。
「枕並ぶる」というのは、「2人で一所に寝た」ということです。「床」は「寝床、寝るための場所」、「衾
〔ふすま〕」は「布団」。
「夜すがら」は「夜のあいだずっと愛し合った美しい思い出」ということでしょう。
「四つ門」というのは、廓
〔くるわ〕の関連用語で、夜の四つ(午後10時ごろ)に廓の門が閉じられること。「四つ門のあと」というのは、「夜になって、愛し合う時間がやってきた」ということでしょうか。
「夢もなし」は、「あとかたもなく消えてしまった」。2人が愛し合った痕跡は消えてしまった、ということです。
「秋より先に必ず」
別れ際に「次はいつ会えるかしら」と尋ねたとき、「秋になる前には必ず会いに来るよ」とあの人は言ったけれど。
「そなたの空よと眺むれど、それぞと問いし人もなし」
今あの人がいるのは、あちらの方角かしらと空を眺めてみるけれど、「そうだよ」って言って、その方角からやって来てはくれなかった。
【解説】
この三味線のくだりは、重忠のセリフにもあるとおり、能の「班女
〔はんじょ〕」から取ってきたものです。ですから、熱烈なる歌舞伎ファンは、何としても能の「班女」を見ておかねばなりません。
能「班女」の主人公の花子
〔はなこ〕は、遊女なのですが、1人の男を熱烈に愛してしまい、来ないその男のことばかりを考えて、宴席に出なくなり(遊女としての仕事がおろそかになり)、解雇されてしまいます。愛した男の残していった扇を大切にしている。ところで「扇」というものは、秋になって涼しくなると必要がなくなってしまうもので、「秋が来て忘れられてしまう」→「飽きが来て忘れられてしまう」、すなわち「男に飽きられて捨てられた女」の象徴、アトリビュートなのですね。
この「秋の扇」については、中国の有名な故事があります。前漢の成帝
〔せいてい〕には、班婕妤〔はんしょうよ〕という愛する女がいました。この女がやがて成帝に捨てられて、我が身を「秋になって捨てられた扇」にたとえた詩を作って有名になります。(漢詩ですから日本と違って「秋」と「飽き」が掛詞になったりはしていないと思われます)
班婕妤のことを「班女
〔はんじょ〕」とも呼びます。落語の「たらちね」に「鶴女〔つるじょ〕、鶴女と申せしが」と出てきますね。文楽の『和田合戦女舞鶴〔わだかっせんおんなまいづる〕』には「板額女〔はんがくじょ〕」と出てきます。波乃久里子さんは、子供のころ、親(17勘三郎)から溺愛されて「鯛女〔たいじょ〕」と呼ばれていたそうです。女性の名前を呼ぶときに、「ナニナニ女〔じょ〕」と呼ぶ形式があるのです。班婕妤は日本で「班女」と呼ばれることがあり、そして能「班女」の主人公「花子」は、班婕妤にならって、「班女」というあだ名で呼ばれていました。
つまり「班女」という名前は、
  A:中国の班婕妤(実在した人物)
  B:能「班女」の主人公「花子」(おそらく架空の人物)
2人に対してつかわれているわけです。
Aの班婕妤は、皇帝の寵姫
〔ちょうき〕であり、Bの花子は遊女。身分が異なります。
能の「班女」では、Bの花子をAの班婕妤になぞらえています。
阿古屋は、我が身をBの花子になぞらえています。重層的になっているのです。阿古屋が我が身をAではなくBになぞらえているのは、「四つ門」という廓の用語から分かります。
ちなみにBの花子さんは、愛する男に会えなくなって、恋に狂って野をさまよい歩きますが、最後に愛する男と再び巡り会い、この能はハッピーエンドを迎えます。(それで重忠は「言い訳は暗し暗し」と言うのではないかと思いますが・・・)

●胡弓のくだり
【詞章】
吉野
〔よしの〕龍田〔たつた〕の花〔はな〕紅葉〔もみじ〕、更科〔さらしな〕越路〔こしじ〕の月〔つき〕〔ゆき〕も、夢〔ゆめ〕と覚めては跡〔あと〕もなし
〔あだ〕し野〔の〕の露〔つゆ〕、鳥辺野〔とりべの〕の煙〔けむり〕は、絶〔た〕ゆる時〔とき〕しなき、これが浮〔う〕き世〔よ〕の真〔まこと〕なる
【語釈】
花、紅葉、月、雪は、どこで見ても美しいものですが、「ここで見ると最高に美しい」とされる定番スポットがあり、
  ・吉野山
〔よしのやま〕の花(桜)
  ・龍田川
〔たつたがわ〕の紅葉
  ・更科の姨捨山
〔おばすてやま〕から見る秋の月
  ・越路の雪
が有名です。
794年に桓武天皇が京都に平安京を開いたときに、東の鳥辺野と西の仇し野(あだしの)を火葬場に定めたのだそうです。鳥辺野のほうはわりとお馴染みですが、仇し野はあまり聞かないですね。
「鳥辺野の煙は、絶ゆる時しなき」
火葬の煙が上がっていない時はない、という意味です。世の無常を表しています。「時しなき」の「し」は意味を強めているだけです。(強意の副助詞)
【解説】
胡弓が始まる前に、「時
〔とき〕の調子も相〔あい〕の山〔やま〕」という詞章があります。
「時の調子」というのは、「季節に合った調子」のことで、
  ・春は双調
〔そうぢょう〕
  ・夏は黄鐘調〔おうしきちょう〕
  ・秋は平調〔ひょうぢょう〕
  ・冬は盤渉調〔ばんしきちょう〕
と決まっています。曲を選ぶ時には、季節に合った調子を選ぶことが重要とされていました。
伊勢神宮の外宮
〔げくう〕から内宮〔ないくう〕へ向かう山道のことを「相の山(あいのやま)」と言います。そこで尼さんが歌を歌って、参拝者から銭をもらっていたのだそうです。三味線や胡弓を演奏しながら、仏教的な歌を歌っていました。その「相の山節」を阿古屋が取り入れています。
阿古屋は、ただ単に「恋人の行方が分からなくなった」というだけではなく、「いくさに行った恋人の行方が分からなくなった」というわけですから、もし本当に景清の消息を知らないのであれば、とても苦しい思いをしただろうと思います。「ひょっとしたら景清は死んでしまったかもしれない(平家は破れ、その可能性は高い)」という強い不安と、「絶対に生きていてほしい」という強い希望との間で、つらい日々を過ごしたことでしょう。しかし、時が経つにつれて、心に変化が起こってくる。美しい思い出は消え去り、全ての人には死が訪れる、ということに気づく。それは子供でも知っていることだけれども、大人になって改めて気づく。仏教の真理の1つでしょう。いくさでも平和でも、幸福でも不幸でも、どんなに世の中が変わろうとも変わることのない真理、こちらが本当だった、苦しんでいたほうは仮初めだった、と気づく。全ての物事は終わるのが真理、それが当たり前。もし景清が死んでいたとしても、それは当たり前のこと。阿古屋のその諦観を見届けたからこそ、重忠は阿古屋を釈放するのではないでしょうか。
阿古屋の胡弓の音の向こうには、苦しい日々を通り過ぎて真理にたどり着いた法悦と、それでもなお残る寂しさのようなものが聞こえなければならないと思う。
阿古屋の芸談として、「楽器の演奏にばかり気を取られていては、阿古屋の心が留守になってしまい本末転倒」というような話を聞きますけれども、それは観客にとっても同じことだと思います。
「いくさに旅立って行った恋人を見送った女の苦しみ」なんて、他人の悲しみであって、関係ないと言えば関係ない。けれど、想像は出来るでしょう。想像するかどうかというのは、その人の人間性によると思います。

こうして詞章を見てみると、琴、三味線、胡弓と、だんだん言葉の重みが増していくように思います。

オペラ歌手紅白対抗歌合戦

オペラ紅白歌合戦に行ってきました。今年で3回目だそうです。
仕事の都合で遅れてしまい、休憩後からの拝見となりました。
村上敏明さんの「ある日青空を眺めて」、笛田博昭さんの「見よ、あの恐ろしい炎を」、須藤慎吾さんの「祖国の敵」の男声3人が大変素晴らしく、興奮しました。
前半が見られなくて残念~。
佐藤美枝子さんが《夢遊病の娘》の最後のアリアを歌いましたが、繰り返しがカットされていたのが残念でした。佐藤さんは《夢遊病の娘》の全曲を歌ったことがあるのでしょうか?

来年のオペラ紅白も12月3日にサントリーホールで上演予定だそうです!

2018年12月 2日 (日)

坂東玉三郎トークショーその5

11月14日に金沢歌劇座で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来たのです。
歌劇座と言っても、普通の市民会館みたいな感じです。緞帳がちょっとオペラチックというか、メルヘンチックというか、四季の花々を集めた洋風なものでしたが・・・。

観客からの質問コーナーで、「生まれ変わるとしたら次は何になりたいですか」という質問が出ました。(出た!)
玉三郎さんは、「皆さんの笑顔が消えてしまうかもしれないのですが、もう生まれ変わりたくないんです・・・」と仰っていました。「生まれ変わらなくて済むように精進したい」とのことでした。
玉三郎さんがこの手の質問に答えるところは前にも私は見たことがあります。その時も同じように仰っていました。

私も絶対に生まれ変わりたくないですねえ。
でも、自分で決められるのだったら今だって生まれてきていないと思うので、また次も泣きながら生まれさせられるのではないかという気もしますが・・・。

生まれ変わりとか、死後の世界を信じますか?
そういうことがあると思いますか?
ないとは言い切れないでしょう。
こうして生きているのだって相当不思議ですしねえ。

昨日、能「邯鄲」を見て来たのです。謡の詞章の中に「夢路をいつと定めん」とありました。夢というのは、どこからが夢で、どこまでが夢なのでしょうかねえ?
夢を見ている間は、それが夢だとは思っていないわけでしょう。起きた後で夢だと気付くんですね。
つまり、死んだ後が本当の世界で、今生きている間は仮の世界、夢みたいなものなんじゃないかなあと、昨日「邯鄲」を見ながら思ったのです。
まあ夢にしてはあまりにリアルで、長すぎという気もしますが・・・。

「邯鄲」の詞章の中に、「出離〔しゅつり〕を求むる」と出てきました。これは、『義経千本桜』の「すし屋」の詞章にある「三藐三菩提〔さんみゃくさんぼだい〕の門出」と同じことだと思うのです。維盛は、「もう生まれ変わってこない」と言っているのです。
若い頃は、維盛のセリフにある「仏を騙って輪廻を離れず」なんて、何を言っているのか全然意味が分からなかったのですが、年を取ってくると維盛のこともだんだん分かるようになってくるものですね。

お・も・て・ナ・シ

昨日は高橋忍さんの会、今日は佐久間二郎さんの会に行ってきました。(共に国立能楽堂)
昨日「邯鄲」を見て、今日「鉢木」を見るというのは、なかなか乙なものでした。「鉢木」の中には「邯鄲」のことがちょっと出てきますからね。
そして今日、狂言「木六駄」と能「鉢木」を同じ日に見られるのも洒落ていました。

今日は国立能楽堂の広間で和菓子が販売されていて、「鉢木」にちなんだ梅・桜・松の和菓子セットがありました。練り切り・上用饅頭・きんとんで梅・桜・松をかたどったもの。このように上演曲目に因んだお菓子は心がときめきますね。買おうかと思ったのですが、1人暮らしに和菓子3つは食べられないので、やめておきました。おもてなしする人もいない、侘びしい生活でございます。

2018年12月 1日 (土)

坂東玉三郎トークショーその4

11月14日に金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来ました。

玉三郎さんへの質問コーナーがあったのです。開演前に紙に書いて投函する形式でした。玉三郎さんご本人が箱の中から5枚選んで答えていったのですが、その5つが答え終わったところで、会場から質問を受け付けるという形式に移ったのです。
講演会などにおいて、よく「会場から質問を受け付ける」ということが行われますが、これは非常にリスキーなことで、「変な客が変な質問をする」という危険があるわけなのです。その危険を避けるためにこそ「事前に紙に書く」という形式が取られたのだと思っていたので、「直接受け付けて大丈夫なの?」と私は心配になってしまいました。しかし幸いなことに、今回は変な質問が飛び出すこともなく、かえって盛り上がって良いコーナーとなりました。

もう何日も過ぎて私の記憶も曖昧になってきていますが・・・。最初に質問した人は、北海道から金沢までやって来た男性で、結局何が質問したいのか、玉三郎さんからただ励ましの言葉が欲しかったのかよく分かりませんでしたが、13歳の時だかに玉三郎さんとジョルジュ・ドンが踊るのを生で見て衝撃を受けて、踊りを志し、ロンドンに渡って踊っていて怪我をして踊れなくなり、20年くらいずっと踊れなくて、最近ちょっと踊れるようになり、今42歳で、踊りを教えたりして生活している、こんな私に何かアドバイスを、というような感じでした。
それに対する玉三郎さんの言葉は、大変優しく真摯なものに私には思えました。
玉三郎さんは、年を取って、私は自分が何かを出来ないという状態を諦められるようになった、と仰っていました。あなたは若いからまだ諦められないでしょうけれど、と前置きして、自分がどこまで出来るか、どこから出来ないのかという分かれ目の基準は、「自分の心や体が壊れない程度に頑張る」ということだと話していらっしゃいました。

何気なく仰っていましたが、「自分の心や体が壊れない程度に」というのは相当高い水準の努力であり、普通の人にはなかなかそこまで出来ないと思います。

私なんか、「好きな道だから」と思って一所懸命に働いていたらドカドカ仕事を押し付けられて、辞表を提出しようかと思ったことが何度かありました。努力の量を自分でコントロールするのは非常に難しいことでございますね。

あなたは今、踊りを教えることが出来ていて、他人が上手くなることを喜ぶことが出来るのならば幸せですね、と玉三郎さんは仰いました。
自分が踊りを思うように踊れないことで、逆に踊りの教え方や、振付に対して、他の人よりも鋭くなるということがある、とも仰っていました。

中村吉右衛門写真集

吉右衛門さんの写真集が小学館から発行されましたね。
吉右衛門さんの写真集は3冊目でしょうか?3冊それぞれ、写真の雰囲気がだいぶ異なります。今回は特に、「名優の威厳」みたいなものを強く感じますね。

今回、私は、通常版も豪華版も両方買う気で満々だったのですが、豪華版は限定15冊しか発行されなくて、もう手に入らないのだそうな・・・。しょぼ~ん。
隈取が付いているのだったら30万円でも買う!と興奮していたのに。
幸運にも限定15冊を手に入れたご贔屓さんは、どんな方々なのだろう。素敵なセレブなのでしょうか。うらやましい~。

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