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2019年1月

2019年1月30日 (水)

木馬亭

今日、木馬亭に行ってきたんです。

私が木馬亭に行くのはたぶん21年ぶりくらいで、3度目だったんじゃないかと思います。
確か最初は、国本武春さんが出ている時の定席を聞きに行ったんだと思います。25歳以下は半額で、その時ぎりぎり半額だった、ということを覚えています。
2度目は、いろいろなジャンルの話芸が集まったような特別企画公演で、立川談志師匠の『文七元結』を聞きました。
今日行ったら、入ってすぐのところに、平成9年10月26日公演の出演者サインの寄せ書きと、当日の番組が飾ってありました。談志師匠の『文七元結』が入っていました。私はこの公演を見たのだと思う、たぶん。木馬亭にとっても記念碑的な公演だったんですね。(談志師匠の『文七元結』を木馬亭で聞いたことははっきり覚えています)

今日がたぶん3度目。玉川奈々福さんの『椿太夫の恋』と、桂吉坊さんの『地獄八景亡者戯』でした。

『地獄八景』と言えば、このネタを桂米朝師匠のテープで聞いた時の衝撃は忘れられない。大学生の時でした。本当にすごかったんですよね。本当に感動した。

この話は前にも書いたと思うんですけど、私は米朝師匠と同じ席で食事をさせていただいたことがあるのです。今の桐竹勘十郎さんが、勘十郎を襲名する時に、米朝師匠と対談したのですが、私は編集者兼カメラマンとして同席していました。三林京子さんもいらしていました。(吉坊さんもいらしたような気がする)
勘十郎さんがご結婚なさる時、米朝師匠がお仲人をされたのだそうです。そのような深い縁から、勘十郎さんのご希望で、襲名の記念に米朝師匠と対談することになったのです。
料亭で食事が出て、私もお相伴にあずかりました。そのお代は国立文楽劇場から出たのではなく、料亭のご亭主が勘十郎さんのご贔屓さんだったので出してくださったわけなのです。文楽劇場は貧乏だし国立だから出ないもの。
その料亭のご亭主は、勘十郎さんから「最初のサイン」をもらっていました。「まだ襲名前なのにサインしていいものなのかな」とか勘十郎さんは言っていました。そして「2番目のサイン」をプログラムのインタビューページに掲載して、その後で私がいただいた。
米朝師匠にもサインしていただきました。1枚の色紙に2つ並べて名前をサインして、どちらか好きなほうを掲載していいと言われました。

米朝師匠から名前を尋ねられ、私が「柳川と申します」と答えますと、「柳川鍋で酷い目にあった話」をしてくださいました。お客さんから食事券をもらい、柳川鍋を食べて、支払いの時にその食事券を出したら「当店では使えません」と言われて、酷い目にあった、という話でした。
ああ、落語の神様がいま、私の名前を盛り込んだ話を私のために隣で話している・・・と思うと、まるで夢の中にいるようでした。
その時が私のキャリアの頂点で、あとは下り坂、下るばかり。

米朝師匠の『地獄八景』を聞いた時、サゲだけ意味が分からなかった。物の本を読んで、あとから意味を知ったのでした。
今日は吉坊さんが、それと同じサゲで『地獄八景』をやっていました。

2019年1月28日 (月)

お連れさんはご器用

わたくし最近、《椿姫》《セビリャの理髪師》《ノルマ》に飽きてきたような気がするのです。大好きな演目なのですが、あまりにも何度も見過ぎて、そして過去に見た偉大な舞台には新しい舞台はもう及ばない気がして。

でも、つい先日、パヴァロッティ主演の《ラ・ボエーム》の映像を少し見ていたら、じゅるじゅるに泣いてしまいました。もう何度も見た映像なのに、我ながらすごい感性だ、よく飽きないなと思いました。《ラ・ボエーム》は人気作品ですが、ちょっと上演頻度が落ちますかねえ?

講談師の神田松之丞さんが「連続読み」を手がけているわけですが、すでに結構やっているんですね。
『畦倉重四郎』六夜・レフカダ新宿(2017年1月)
『村井長庵』四夜・内幸町ホール(2017年5月)
『寛永宮本武蔵伝』五夜・CBGKシブゲキ(2018年1月)
『天保水滸伝』七夜・博品館劇場(2018年7月)
『慶安太平記』五夜×2周・あうるすぽっと(2019年1月)

私が聞いたのは『天保水滸伝』と『慶安太平記』だけ。く、くやしい・・・。
知っていたら『畦倉重四郎』から聞いていたと思うんですよね。
神田松之丞という名前は、夢空間のちらしで何年か前から知っていたと思うんですけど。
アンテナが鈍かったんですね。
「この人すごいから聞いた方がいいよ」と教えてくれる人もいなかったですし。

私も二十代の一時期、落語にかなりハマっていたことがあったのですが、一通りのネタを聞いて後、あまり行かなくなっていました。
若い頃、「いのどん」という言葉を初めて聞いた時はすごい衝撃的で、世界観が変わるような気がしたものですが、その衝撃って最初に聞いた1回だけのもので、2回目にはないものなんですよね・・・。

でも何度か聞いたネタでも、新鮮に聞ける時もありますね。
雲助さんの『あくび指南』、一之輔さんの『お見立て』を聞いた時は、ああ、この話ってこういう話だったんだ・・・と思って感動しました。

講談や浪曲は、「全然知らない話」がまだまだたくさんあって、心が新鮮になる感じがいたします。汲めども尽きせぬ日本の話芸・・・。

2019年1月23日 (水)

風呂場は丸裸

今月の新橋演舞場は『極付幡随長兵衛』が上演されています。主人公の幡随院長兵衛は、招かれた水野十郎左衛門の館で風呂に入ることになり、殺害されますね。水野は計略によって「風呂に入らなければならない状況」に長兵衛を追い込むわけですが、なぜ風呂なのかと言えば、風呂場では武器を所持できないからでしょう。裸になる場所ですからね。

源頼朝、義経兄弟の父親にあたる源義朝〔みなもとのよしとも〕は、入浴中に襲われて殺害されたそうです。ウィキペディアの「源義朝」のページには、次のように書かれています。
伝承によれば、義朝は入浴中に襲撃を受けた際、最期に「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだとされる。
ちなみに鎌倉幕府の第2代将軍・源頼家(義朝の孫)も、入浴中を襲われて暗殺されたそうです。風呂場は命を狙われやすい場所なんですね。
危険と知っていて風呂に入る長兵衛は「潔くてかっこいい」ということになるのでしょう。

ところで今月は歌舞伎座で『絵本太功記』が上演されていて、こちらも風呂が重要なポイントとなっています。
つまり光秀は母親を殺すつもりなどなかったのですし、母・皐月の「風呂場の計略」によって、光秀は母を刺し殺すように「追い込まれた」わけなのです。
①皐月は久吉に対し、風呂へ入るように勧める
②風呂場は危険な場所なので、久吉は敵地の風呂になどは入らない
③皐月は、久吉が風呂に入らず逃げることを見越して、自分が風呂場に潜む
(久吉が出て行けたのだから皐月が入ることも可能なはず)
④様子を窺っていた光秀は、久吉が逃げる可能性を考えないではなかったが、いま風呂場に人の気配がするならばそれは久吉以外には考えられず、外から竹槍を突き刺す
⑤刺されたのは皐月だった(皐月の計略どおり)

ところが、歌舞伎の光秀は、風呂場ではないところ(次の間)に竹槍を突き刺すという謎の演出になっています。(文楽の光秀は、ちゃんと風呂場を突き刺します)
歌舞伎のやり方は、おそらく、「そのほうが見栄えが良い」などの理由ではないかと私は考えています。仮に風呂場を突き刺すとなると、直前の光秀の移動距離がかなり長くなりますし、風呂場の前は狭くなっているので皐月がパッと出てこられないのではないでしょうか。つまり「戯曲上の必然性」よりも「役者の仕勝手」が優先された、ということなのでしょう。(意味が分からない)

文楽研修

いま、ウチの組織で文楽の研修生を募集中なんですけど、なかなか応募者がいないみたいですねえ。
しかし、選考試験の日程が
平成31年 2月下旬予定(日程が決まり次第、応募者にお知らせします。)
というような告知では、応募者がいるほうが不思議だと私などは思うのですが、どうなのでしょう?選考日が分からないのに応募する猛者がいるものなのでしょうか??

2019年1月17日 (木)

つぶやき

今日、新国立劇場の来シーズンのラインアップ発表会に行ってきたのです。
私は現在、新国立劇場の管理部門(業務委託元である日本芸術文化振興会の中の新国立劇場を管理する課)で働いているので、様子を見に行ったわけです。
そうしたらもう、すごい人数の記者が来ていて、その人数の多さにビックリしてしまいました。
国立劇場の歌舞伎公演の記者会見なんて、この数分の一しか記者が来ないのに・・・。(そして記事はスポーツ新聞にしか載らない)
まあ、3ジャンルにまたがっているので、記者も3倍なのかも?
疑問なのは、「来た人が全員、記事を書いて何かの媒体に載せてくれるのか?」ということです。1人1つの媒体に載せてくれるだけでも、すごい数の記事になるのに。

新国立劇場が開場した平成9年10月10日、そして翌日の11日、新聞に記事が小さく1紙だけしか載らなかったような記憶があるのですが・・・。
そう言えば、開場記念公演の《アイーダ》を演出したフランコ・ゼッフィレッリが、「なぜ開場記念公演なのにもっと記事が出ないのか」と言っていた(と人づてに聞いた)。
オペラの記事を書く媒体は少ないんですよね・・・。(そして更に減った?)
バレエの媒体は増えたんですかね。

3ジャンルのうち、演劇だけ演目が出揃わないんですよね。時間をかけて制作を進めたい、という話はよく聞くのですが、決まらないんですね・・・。

オペラで気になったのは、「ロシア物は年1本やる」という話でした。「オネーギンの次は何をやるか当ててください」と大野監督がクイズを出していました。(正解は来年発表)

2019年1月15日 (火)

『慶安太平記』の評

神田松之丞さんの『慶安太平記』全19話・連続読み5日間公演に行ってきたわけなのです。

この『慶安太平記』は、今回の公演に合わせてネタを準備したのではなく、前座の頃から仕込んでおいたものなのだそうです。

ただ全部覚えたから、大好きだからといって、当時まだ前座だった松之丞には『慶安太平記』をかけられる高座がなかった。
「孤独な作業でした。全部覚えたって、やるところがない。それでも『一応、身体に入れとこう』と。浅草演芸ホールの開口一番で、時間前に上がって十七分もかけて「楠木不伝闇討ち」をやってみたり、いろいろ工夫しながら無理やりやってました。寄席の前座がやることじゃないかもしれない。でも、『慶安』の由井正雪のような大きな男の話をやっていると、せせこましい前座仕事なんて、やってられなくなるんですよ(笑)」(p51
神田松之丞:著『神田松之丞 講談入門』(河出書房新社)より

実際のところ、人気が出たからといって急に考え付いてやろうとしても、無理だと思います。1日2時間、5日間で計10時間の話を暗記するのはとても無理。落語と違って、固有名詞がたくさん登場するのです。戸村丹三郎、佐原重兵衛、牧野兵庫、柴田三郎兵衛、加藤市右衛門、奥村八郎右衛門・・・。それぞれに主君がいたり、親類がいたり、召使いがいたり。年号、地名、和歌、漢詩も登場します。私なんか、慣れ親しんだオペラ歌手の名前だってパッと出てこない時があるのに、講談は途切れなく次々に話を繋げていかなくてはならないし、常人にはとても無理。つまり登場人物全員と家族になるとか友達になるとか同僚になるとかいう感覚まで持っていかないと、語れないと思います。

松之丞 ・・・その頃「点取り」という稽古のやり方があったと聞いているのですが。
貞水 そう、点取りだったよ。
松之丞 私は、点取りというやり方をまったく知らない世代なんですが、どういうふうにやるものなのですか。
貞水 点取りっていうのはね、要するに書く物を持って前に座ってりゃいい。で、教えてくれる人が何か喋ってくれる。喋ってくれる最中に分からないことがあっても、それを遮って「今のは何ですか」とは聞かないよな。だから喋ってることをそのまま書くの。何を書くかと言うと、まず年号、人の名前、土地の名前、あるいは登場人物が移動した距離がどのくらいとか。こういうことは間違えちゃいけない。これは落語との違いだね。
松之丞 固有名詞ということですね。
貞水 うん、講釈師は「講釈の先生」って呼ばれるぐらいだから、人の名前などは間違えちゃいけない。(p223224
神田松之丞:著『神田松之丞 講談入門』(河出書房新社)より

芸能評論家の矢野誠一さんが、朝日新聞に『慶安太平記』初日の評を載せたのですが、これを松之丞さんがラジオですごく怒っていました。怒り心頭なんだそうです。(松之丞さんは常に怒り心頭)
酷評されたということなんですけれども、その記事を読んでみると貶〔けな〕しているというほどでもない?とか、むしろ全体の論調としては褒めているのでは?とか、ラジオ用に大袈裟に言っているのでは?という感想がネット上で見受けられました。

しかし、矢野誠一さんの評は、根本のところがおかしいと私は思うのです。今回の『慶安太平記』は、講談の世界に久々に大器が現れた、というような公演じゃないのです。
かつて存在し、長らく途絶えていた伝説の物語が、やっと姿を現したという画期的な出来事だったんです。他の公演と同列に論じてほしくないのです。何十年もやる人がいなかったんですから。A日程に通ったおそらく全員が『慶安太平記』連続読みを初めて体験したという、伝統芸能の世界では滅多に起こらない奇跡的な現象だった。
それはもちろん完璧ではなかったし、特に1話目は出来が良くなかったし、全編に亘って言い間違いがありました。でも今この人1人しか出来ないことをやっているのだし、ここが駄目だったとか、変だったとか、どうでもいいわけなんです。松之丞さんだけのことじゃなくて、「講談にはまだそれだけの力があった」という歓喜の公演だったわけ。

彼女の声は第一幕のカバレッタではずれた。反カラス派は喉を鳴らし、ブーイングを浴びせる者もいた。親カラス派は彼女を援護した。私たちの大半はひたすら彼女が続けてくれるよう祈った。勇気をふり絞って彼女は歌い続けた。悲しいことに、声がはずれることなど大した問題ではないと悟らない愚か者がいた。私は激怒した。この馬鹿どもは、些細なきずはあっても彼女のノルマは最も偉大な解釈であり、確実に現代最高の歌唱だと理解出来ないのだろうか。(p347
フランコ・ゼッフィレッリ:著、木村博江:訳『ゼッフィレッリ自伝』より

2019年1月14日 (月)

『慶安太平記』備忘録

神田松之丞さんの『慶安太平記』5日間・全19話の連続読みが終了しました。私はA日程を聞くことができました。

昨年7月に銀座博品館劇場で行われた松之丞7DAYSも7日間すべて聞いたのですが、この時『慶安太平記』から「宇都谷峠」と「鉄誠道人」が口演されました。ですから、私がこの2話を聞くのは今回が2回目でした。博品館の時は全日程、三味線と鳴物が呼ばれていましたから、「鉄誠道人」の炎が燃え上がる場面では、民衆の狂気とか、真言の異様な雰囲気が、鳴物によってものすごく増幅されていて、圧倒されました。今回は鳴物が入っていなかったので、ずいぶん趣きが異なりました。(今回の出囃子は録音でした)

1日目は普通に黒い着物を着ていたと思うのですが、2日目から「暑い」ということで白っぽい麻の着物(生成り?)になりました。
4日目の「鉄誠道人」と、5日目の「正雪の最期」は、真っ白い着物でした。照明が当たると、松之丞さんの体の周りにオーラのような光の帯が見えました。鉄誠道人の白と、正雪の最期の白は、同じ白でも違う白に見えました。
「鉄誠道人」のあとの「旗揚げ前夜」と、「正雪の最期」のあとの「一味の最期」は、着替える間もなく出てきて、白い着物の上に黒の羽織を着ていました。そして幕が下りるまで羽織は脱ぎませんでした。

「宇都谷峠」では暗転が使われていました(松之丞さんが全く見えない)。他にも、物語の内容に合わせて照明の明るさが変化する場面がいろいろありました。

5日間とも途中の休憩は10分1回でした。男性トイレにも長い行列ができていました。おじさん多かったですよね・・・。(私もおじさんですケド)
終演時間は日によって多少前後しましたが、だいたい21時10分くらいでしたでしょうか。5日目にはサイン会があり、ポストカードにサインしていただきました。松之丞さんは、「(会場が)寒くてすいません」ってずっと謝っていました。

A日程の最終日に、「B日程は演出を変える」と言っていました。

ブログに『慶安太平記』のことを書いても、検索で引っかからないんですよね~。「神田松之丞 慶安太平記」とかで検索しても、このブログは引っかからない。昔はYAHOO!にも「ブログ」というカテゴリーがあって、もっと公演の感想とか報告が出てきたように思うんですけどね。かと言ってツイッターでは280文字しか書けないし、もう公演のレポートとかは流行らないんですね・・・。

2019年1月13日 (日)

新橋演舞場・夜の部

「鳴神」の冒頭で、「祭壇を建立しようとしたら許されなかったので龍神を滝壺に押し込めた」というようなことを言っていました?それでは上人がただの悪人みたいじゃないですか?上人は約束を反故にされたから怒っているのではないのでしょうか??

「雨が降らないのは凧揚げにはいいが、これから苗代時に向かって百姓が困るであろう」というようなことを言っていました?凧揚げは正月、苗代時って5月くらいなのでは??

「俊寛」の、「もしやと礼紙〔らいし〕を尋ねても」のくだりで、礼紙が登場しなかった・・・。と思って検索してみたら、包み紙のことも礼紙って言うんですかね?

「鏡獅子」の弥生の衣裳が綺麗でした。さすが成田屋。囃子方がすごい気合いが入ってました。

必死のお願い

国立劇場の「5月文楽公演」の演目が発表になりました。『妹背山婦女庭訓〔いもせやま おんなていきん〕』の通し公演です。第1部と第2部に分けて上演されますが(別料金)、午前10時30分開演で午後9時終演予定、10時間以上の公演となります。

ここで、このブログをお読みいただいている方々に、私からお願いがあるのですが、5月文楽公演『妹背山婦女庭訓』は、どんなことがあっても絶対に見逃さないでいただきたいのです。そして、絶対に「通しで」見ていただきたい。
(時間がないとか、お金がないという理由で、「第2部だけ見る」という選択はあるかもしれませんが、「第1部だけ見る」というのはあり得ない選択です。話が尻切れトンボになりますので。)

私が初めて文楽を見たのは平成4年の『本朝廿四孝』、2度目が平成5年の『妹背山婦女庭訓』でした。自分でチケットを取ったのではなく、母親がチケットをくれたのでした。
私は貧乏学生で、見たい歌舞伎も満足に見られない状況でしたから、文楽のチケットを自分で買うことは考えたこともありませんでした。この2つの文楽公演を生で見られたことは、今でも感謝しています。

この時の『妹背山婦女庭訓』は本当に衝撃的なほど感動しました。こんなにすごい物語が日本にあったのかと驚きました。
「妹山背山の段」では、若い恋人が川越しに会話を交わす序盤から涙が止まらなくなり、そのあとずっと泣きっぱなし。体中の水分が全て涙になって流れ出るのではないかと思いました。見終わったらもう放心状態で、「カタルシスって、こういうことをいうんだなあ」と思ったものです。

「カタルシス」を実際に体験する機会というのは、そう度々あるものではないと思います。

この時の上演では、「妹山背山の段」は第1部で上演されました。今度の5月は、この段が第2部で上演されます。つまり、見せ場が第2部に集中しているのです。
そうすると第1部が売れなくなってしまうということで、平成5年の上演時は、話の順番を入れ替えて「妹山背山の段」を無理やり第1部に押し込んだわけなのです。でも研究者の方々からは原作からの改変を批判されていました。
今度の5月公演では、『妹背山婦女庭訓』が久々にやっと本来の姿を現すという記念碑的な公演となるでしょう。

文楽公演で、時代物の通し上演が減っていますけれども、やっぱり実現するのが大変なんですよね。お客様には分からないことでしょうけれども・・・。
平成5年の上演時とは、太夫の陣容もだいぶ変わり、この作品の本来の魅力をどの程度再現できるのかまるで予測がつきませんが、とにかく名作であり、貴重な機会なのですから、「絶対に見逃さないでいただきたい」と強くおすすめしておきます。

謎の歌

神田松之丞さんの『慶安太平記』5日間・全19話連続読みを聞いてきたわけなのです。こういう公演があったらいいのに、とずっと思っていたので、本当に嬉しかった。奇跡を見るような思いでした。

聞いていて謎だったのは、話の中で西行の歌が披露されなかったことです。終盤の重要な場面で、「松平伊豆守(知恵伊豆)が、ここで西行の歌を引いた」という話が出てきて、その歌自体は紹介されなかったのでした。(A日程だけとかじゃないですよね・・・?)
もう気になって気になって、活字本で調べてみようかと思っているところです。

講談社は、講談の速記から社を興したそうですし、何か記録が残っているのではないかと思っているのですが、どうでしょう?

そう言えば、知らないほかのお客さんが、『慶安太平記』を事前に本で読んできたという会話を交わしていて驚きました。本と高座とで内容がだいぶ違っていたと言っていましたが、先に本で読んでしまったら、つまらなくならないのかな・・・?

2019年1月12日 (土)

松之丞チケット

神田松之丞『慶安太平記』連続読みA日程に行ってきたわけなのです。(この話題はしばらく続きます)
チケットが取れなかったらどうしようかと心配したのですが、結果的には、かなり良い席が取れました。私は、こういうところに人生の幸運を全て使ってしまっているのではないかと自分で思うのです。

むかし、私が落語にハマったのは平成7年のころで、当時はひと月に7回くらい落語会に行っておりました。特に柳家喬太郎さんはよく聞きました。ほとんど追っかけ状態でしたから、顔も覚えられていましたねえ。今は存在しない文芸坐ル・ピリエとか渋谷ジャンジャンとかに行って、「落語ジャンクション」なんかを見ていたのです。でも喬太郎さんは当時からすでに人気があったけれど、チケットが取れないという心配はしたことがなかったですね。志ん朝師匠、談志師匠は取りづらかったかなあ。でも志ん朝の『火焔太鼓』だって、談志の『文七元結』だって、私は生で聞いたんですよ。すごいでしょう。
ところが松之丞さんの公演はチケットが取れない場合があります。一体どうなっているのでしょうか?去年11月、有楽町よみうりホールでの「まっちゃんまつり」は、チケットが取れませんでした。かなり客席数の多い広い会場なのに、驚きでした。

今回の『慶安太平記』は、5日間通し券と、公演日ごとの単券が販売されました。さらに、5日間通し券には「5日間同席番号」と「公演日ごと座席選択可(日によってバラバラ)」の2種類がありました。
豊島区民の先行発売日と、普通の先行発売日と、一般発売日とがあり、私は普通の先行発売日に取りました。
「5日間同席番号」を取ろうと思っていたのですが、瞬殺で完売でした。それで急遽「公演日ごと座席選択可」で予約したのですが、4日目は前方の席がすでに埋まっていましたね。今回の公演は、5日間通しで見る人がほとんどだったそうですけれども、たぶん4日目だけ「鉄誠道人」目当てに単券で買った人が結構いたんじゃないかと私は推測しています。
(あうるすぽっと=301席)

仮に「5日間同席番号」を取った場合に心配なのは、「隣の席の客がずっと変な人だったらどうしよう」ということでしょう。(私はむかし、新国立劇場のオペラのシーズンセット券で、そのような経験が実際にありました)
ところが公演に5日間通ってみますと、「5日間同席番号」の席と、「公演日ごと座席選択可」の席は、入り乱れて設定されていたようで、「隣が5日間ずっと同じ人」にならないように配券が工夫されていたみたいなんです。
「5日間同席番号」と「公演日ごと座席選択可」が別のエリアに分かれているのだろうと予想していたのですが、そうではなく、私の隣が「5日間同席番号」の人だった日があったのです。(隣の知らないおじさんから、チケットをどうやって取ったか訊かれて、少し話をしました)
私は結果的に「公演日ごと座席選択可」のチケットだったので関係ないのですが、「5日間同席番号」の人も快適に過ごせるようにいろいろ工夫されていたのかなあと思って、この心遣いには感服いたしました。

10日間連続で通うことも考えましたが、「大勢の人が見たいと思っているのだし」と諦めました。また数か月後には連続読みをやりたいというご本人のお話でしたが、チケットが取れますかねえ?

2019年1月10日 (木)

あうるすぽっと

池袋の「あうるすぽっと」で、神田松之丞さんの講談を聞いてきたわけなのです。私は今回初めてあうるすぽっとに行ったのですが、初めて行く劇場にはいつもワクワクするものです。
あうる(OWL)というのは、梟のことだそうです(英語)。
池袋駅の有名な待ち合わせ場所が「いけふくろう」という梟の像で、単なるダジャレですけれども、「池袋と言えば梟」ということになっているんですね。
劇場の中は壁も天井も真っ黒で、あまり個性もありませんが、高座は見やすく、音響も良かったですね。

照明が綺麗だなあと感じたのですが、まだLED化されていないのだそうです。松之丞さんは、照明がすごく暑いと言っていました。
LEDだと熱はあまり出ないにしても、光の綺麗さは格段に落ちますよね。
街のイルミネーションも、LEDになって全然綺麗じゃなくなりました。(LEDだから全部駄目というわけではないと思いますが・・・)
日生劇場、東京文化会館、オーチャードホールの照明はLEDだと思いますが、もう全然綺麗じゃないですね。

7話目の「宇都谷峠」で、真っ暗になる場面がありました。照明が消えて、高座が全く見えない。でも、暗転しても客席の足元灯の光だけどうしても残ってしまうんですよね。どこの劇場も、暗転の時に非常灯は消すけれど、足元灯は消せないんですよね。「完全な闇」というのは、いまや存在しないものなんですかね。

舞台が見やすくて、照明が綺麗で、音響が良ければ、それが劇場にとって一番大切だと思うので、満足しなくてはいけないのかもしれません。でも、やっぱり他の要素も気になりますよね。
あうるすぽっとは、フロア全体のスペースには余裕があるにもかかわらず、トイレのあたりがとても狭い。そして、ホワイエやトイレに行くためにはモギリの外に出なくてはいけない謎の構造になっていて、チケットを持っていないとトイレにも行けないのです。客席の左右の壁にある出入口も常に閉鎖されていて、設計が根本的におかしいと思いました。設計のまずさを運用でカバーして何とか使っている、という印象でした。誰でも入ってよいエリア、チケットを持っている人だけが入れるエリア、スタッフだけが入れるエリア、そういうエリア区分が設計時に何も考えられていない感じがします。
日本橋劇場、なかの芸能小劇場、国立能楽堂、国立劇場なども区分がおかしいです。日本の公共建築は、おしなべて設計の水準が非常に低いと私は感じています。

講談のあらすじについて

講談師・神田松之丞さんの『慶安太平記』連続読み5日間公演に行って来たわけなのです。公演では毎日、無料配布のプログラムが各座席の上に置いてあり、『慶安太平記』の解説(主にあらすじ)が書かれていました。つまり全19話が5枚で説明されていました。
昨年発行された神田松之丞:著『講談入門』にも、『慶安太平記』のあらすじが書かれていて、どちらも長井好弘さんの文章ですが、今回の公演プログラムのほうが文字数はかなり多い。
ところが、公演プログラムに書かれたあらすじと、松之丞さんが高座で実際に語った内容との間に、いくつか食い違いがあったのです。
このことに松之丞さんも高座で触れていましたが、長井さんは速記本を読んであらすじを書いたと思うが、講談の内容は語る人によって異なるので、今回の公演とは内容が違っているところもある、ということでした。

特にメモを取ったわけではなく、すでに記憶が薄れてきておりますが、食い違っていた点を以下に挙げておきます。(間違っていたらごめんなさい)

8話目「箱根の惨劇」
・「遅まきながら登場の正雪一行だ」→正雪一行は伝達が酒を飲むところからすでに登場していた。

9話目「佐原重兵衛」
・「上野の茶店で短冊に歌を認めているのを目撃した正雪が」→正雪が目撃したのではなかった。「上野の茶店で短冊に歌を認めているのを」という部分もちょっと違っていたような?

11話目「牧野兵庫(下)」
・「淡島の大蛇退治に参加」→この場面なし。

13話目「加藤市右衛門」
・「私もいざという時には算盤を投げ出しお家再興にかける」→このセリフはなかった?そして、弥五右衛門は正雪のもとへ走っていない?

15話目「旗揚げ前夜」
・「刺客として放った砲術の達人・次郎吉が」→知恵伊豆を狙撃しようとしたのは正雪だった。
・「逆に手裏剣で命を落とす」→狙撃に失敗した正雪は舟で逃げた。

16話目「丸橋と伊豆守」
・堀の深さは石を投げた水音で測っていたのではなく、水の濁り方だった。
・松平伊豆守は、忠弥に直々に声を掛けたのではない。(連れてこさせた)
※「同様に妻にもらした」のは後醍醐天皇自身のことではないので注意。

19話目「一味の最期」
・「火責め」「石を抱かせての牢問」の描写はなかった。


※6話目「戸村丹三郎」の、「褒美のかわりに」と強引に宗矩に立ち会いを挑むが、という部分も何か違っていたような気がしますが、すでに記憶が薄れてきております・・・。

2019年1月 9日 (水)

松之丞A日程

「講談師 神田松之丞 新春 連続読み『慶安太平記』完全通し公演2019」のA日程に行って来ました。全19話を5日間で語るという企画で、A日程とB日程の2サイクル(5日間×2周)となっており、私は前半のA日程、「前夜祭」を含めて6日間連続で池袋の「あうるすぽっと」に通いました。

「前夜祭」は忠臣蔵物3席で、『慶安太平記』とは関係のない番組でした。連続読みという負担の大きい会の前に、なぜ更に「前夜祭」という負担を増やすのかよく分かりませんでしたが、ここで読まれた『大高源吾』に強い衝撃を受けたという話はすでに書きました。

松之丞さんは、1日目に、「B日程のほうが出来がいいに決まっているのに、なぜAにしたんですか」なんて言っていました。私もチケットを取る時に、ちょっと迷ったのです。
迷ってなぜAにしたのかというと、まず「新春」という時期がわざわざ選ばれたのだから、まだ本当に新春を感じられるA日程がいいなと単純に思ったのが1つ。そして、この公演を絶対に絶対に聞き逃したくないという欲求がありました。

このあいだツイッターで、文楽の太夫の豊竹咲寿太夫さんが、「早ければあと30年や40年で人生が終わってしまう」と書いていてビックリしました。「30年は死なないという自信はどこから来るのだろう?」と不思議に思ったのです。私は「早ければ明日死んじゃうかも」と思って生きましたから・・・。
つまりB日程だと自分が死んでしまっている可能性があるわけですし、そこまで行かなくても怪我や病気や、見られなくなる理由はいくらでもあるわけですから。少しでも早く見ておいたほうがいいと思ったのです。

私は、こういう会を本当にずっと前から待っていたんですよねえ。もう起こらないと思い込んでいたのです。この世の奇跡を見る思いがしました。5日間、ちゃんと行けるのかドキドキしました。
きのう、「明日5時半からの会議に出てください」と言われて、最終日の7時開演に間に合わない!!と思ったのですが、優しい上司のおかげで間に合いました。そこはやっぱり勤め先が日本芸術文化振興会だからかなあと思いました。
5日間聞くことが出来て本当に有り難いことでした。

2019年1月 7日 (月)

NHKニューイヤーオペラ

1月3日の夜、NHKホールでニューイヤーオペラコンサートを見てきました。
私は平成9年にオペラを見始めたのですが、NHKニューイヤーオペラを生で見るのは今回が初めてでした。これまで、良い席が取れなかったので行かなかったんですね。(今回も良い席というわけではなかったのですが)

近年は、年末にサントリーホールで「オペラ紅白」という公演が恒例となっております。(こちらはNHKの主催ではありません)
「オペラ紅白」のほうは、1人あたりの持ち時間を長めに取っていて、自由度が高いように感じます。一方「ニューイヤーオペラ」のほうは、短めの有名なアリアばかりという印象でした。(NHKは永遠に初心者向けですね・・・)
「ニューイヤーオペラ」は舞台横に字幕が付いているのが良かったです。

会場で聞いておりますと、かなり拡声しているように感じました。NHKホールであまりオペラを見たことがないので、よく分かりませんが・・・。

《トスカ》の「テ・デウム」では、NHKホールのパイプオルガンが使われていました。(司会の方がそのように言っていたと思います)
パイプオルガンがない劇場で《トスカ》を上演する時はどうしているのだろう?と不思議に思いました。

伊藤晴さんと大西宇宙さんの声を聞くのは初めてなので楽しみにしていたのですが、若手だからということなのでしょうか、二重唱のみだったこともあり、実力がよく分からなくて残念でした。

1階客席の後ろのほうで、合唱指揮者がペンライトで指揮していました。でも合唱からは沼尻さんの指揮が見えていたと思うのですが、それでは駄目なのでしょうか・・・?指揮と合唱指揮の役割分担は、どういう仕組みになっているのだろう?

2019年1月 6日 (日)

日を選ぶ

いま、杉浦日向子:著『一日江戸人〔いちにちえどじん〕』(小学館文庫)を読んでいるところです。杉浦日向子さんは江戸風俗研究家でした。むかし、NHKのコメディー番組「お江戸でござる」に出演して、江戸の習慣を解説していたことでよく知られていると思いますが、早くにお亡くなりになりました。2005年没、享年46歳だったそうです。私はいま47歳で、杉浦さんが活躍されていた年齢を知らず過ぎていたことに自分で驚いております。

『一日江戸人』は、ずっと前に買ってあったのですが、ずっと読んでいなかったのです。買ったのに読んでいない本や、聞いていないCD、見ていないDVDが山のようにあるというのに、さらに新しい本を買ってしまう自分は、何か得体の知れぬ恐ろしい病気にでも罹患しているのではないか・・・と疑う今日この頃です。

『一日江戸人』は、江戸時代の風俗を1項目あたり数ページにて、イラスト入りで解説したものです。気楽な内容ですが、私にはとても1日では読めません。
「師走風景」という項目で、次のようなことが書かれていました。
十三日 煤払い 江戸の初期は12月20日が定例だったが、この日が三代家光の忌日にあたるため、以降は13日となった。(p105
このブログの昨日の記事に、講談で聞いた『大高源吾』のことを書きましたが、江戸の煤払いが12月13日に行われていたことが、ちょうどタイムリーに『一日江戸人』の中で解説されていたのでした。


さらに、このように書かれていました。
この日、江戸中の家が一斉に大掃除をします。それは、この日が江戸城の煤払いの日にあたるからですが、実際は広大な江戸城が一日で掃除できるわけもなく、一日から十二日までに掃除しておいて、十三日に完了の祝儀のみを行いました。大きな店では大掃除が終わったのを合図に、祝儀と称して、主人をはじめに、番頭、手代など次々に胴上げをされます。主人や番頭の時は、さすがに丁重に扱いますが、だんだん下っ端になると、高く放り上げておっことしたり、下女の裾をまくったり、髷を引っぱったり、どさくさにまぎれて、日ごろのウップンを晴らそうと、もみくちゃになったそうです。(p103-104
☆煤払い終了後の胴上げのはやし音頭は√めでためでたの若松様よ 枝も栄えて葉も繁る おめでたやぁーサッササッササ(p105
これは、『妹背山婦女庭訓』の「三笠山御殿」で、お三輪が官女から受ける仕打ちそのままではありませんか。江戸の風習を歌舞伎に取り入れたものだったのですね。(これは文楽ではやりません)

ところで命日と言いますと、現代では年に一度、「亡くなった月と日にちが同じ日」を思い浮かべると思いますが、むかしは「月が違っても日にちが同じであれば命日」であり、従って「毎月やってくるもの」でした。(同月同日の命日のことを特に「祥月命日〔しょうつきめいにち〕」と言い、それ以外を「月命日〔つきめいにち〕と言います)

徳川家光が亡くなったのは慶安4年4月20日だそうですが、それがために12月20日の煤払いを13日に変えるというのは、いかにも不便なものですね・・・。

『仮名手本忠臣蔵』の「七段目」に「逮夜〔たいや〕」という言葉が出てきます。逮夜というのは 「命日の前夜」のことですが、ここでも判官が亡くなった日とは月が違いますね。

『一日江戸人』の「将軍の一日」という項目の中に、次のような記述があります。
将軍家には代々知縁の忌日が多く、月の大半は精進日で魚介酒類はダメ。(p63
偉い人の生活は、いろいろ不便だったのですね・・・。

赤穂浪士の討ち入りは12月14日で、浅野内匠頭が切腹したのは3月14日でしたから、月は違いますが、命日には違いありません。
討ち入りの決行日を決めるに当たっては、様々な要素が勘案されたのでしょうねえ。

待たれた宝船

新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

吉右衛門さんの新しい写真集をめくりながら、数々の当たり役を生で何度も拝見できたことの幸せを感じておりました。
『松浦の太鼓』も当然、度々見ております。
この芝居の中に、
・年の瀬や 水の流れと 人の身は あした待たるる その宝船
という連句が出てきますね。
きのう、いま人気の講談師・神田松之丞さんの独演会に行って来たのですが、『大高源吾』がかかり、私はこの句の意味を全然理解していなかったという衝撃の事実が判明したのです。昨夜、講談を聞いて初めて分かったのでした。もう二十年以上も、意味が分からないまま、意味が分かっていないということさえも分からないまま、『松浦の太鼓』を見ていたのです。本当に驚きでした。

この句には、「表の意味」と「裏の意味」と、2つの意味があったのです。
「裏の意味」とは、もちろん、「明日14日は主君・浅野内匠頭の命日」「いよいよ討ち入りの日」「私は突然浪人となり、人の身というものは水の流れと同じように予測ができない、制御不能なものであるということをしみじみ実感したが、明日その苦労がやっと報われる」というような意味でしょう。この「裏の意味」は、私も『松浦の太鼓』を初めて見た時から、つまりこの句を初めて聞いた時から、分かっていました。ところが「表の意味」を分かっていなかった。

大高源吾は、煤〔すす〕払いのための笹を売り歩いていますが、江戸では煤払いが12月13日と決まっており、14日になるともう笹を買う人はいなくなってしまうのだそうです。それで14日からは、町ではお正月用品が売られるようになり、笹を売っていたような人は、今度は宝船の絵を売り歩くようなことがあったのだそうです。それで宝井其角は、「笹はあまり売れなかったけれど、明日から宝船の絵がたくさん売れるといいなあ」という意味だと解釈した、という講談でした。

つまり子葉(大高源吾)は、初めから2つの意味を持たせて付句〔つけく〕をしていて、今日は「表の意味」が分かり、明日になると「裏の意味」が分かるという「タイマー」をセットしていたわけなのです。そして、そのタイマーが機能する前に「裏の意味」を判読したすごい人が松浦侯ということなのでした。

其角は初め「表の意味」しか分からず、後から「裏の意味」を知ることになるのですが、私は逆に「裏の意味」しか分からず、20年以上も経ってから「表の意味」を知ったのでした。(まさかそんな人がいるとは、大高源吾も予想しなかったでしょう・・・)

松之丞さんは、この話は講談から歌舞伎に伝わったものと言っていました。きのう講談の『大高源吾』を聞かなかったら、私は一生「表の意味」を知らぬまま死んでいたに違いありません。

この句は、実在した大高源吾が詠んだものではなく、後世の創作であるらしいのですが、こんなにすごい句を創作で思いつく日本の話芸の神々しさを体験した特別な一夜でございました。電気で打たれたように痺れました。

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