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2019年2月

2019年2月28日 (木)

よもやま

●北方領土はロシアに取られ、沖縄の美しい海はアメリカに捧げ、日本は一体どうなっているのだか?

なぜこの時代にアメリカの基地を拡張しなくてはいけないのか、理由がさっぱり分からない。

そもそも、日本とアメリカはなぜ戦争をしたのでしょうか?日本のアジア侵略を正義の国アメリカが食い止めた、からですか?そのアメリカがなぜいま日本の国土を侵略しているのでしょうか?意味が分からない。

●AIの発達によって4割の職業が不要になる、などと言われます。その一方で、少子化によって日本の労働人口が激減し、外国人労働者がさらに増加する、などとも言われます。余るのか、足りないのか、一体どちらなのでしょうか?
現状のAIなんかあまりにショボすぎて、私の仕事の代わりなどとても出来そうにないけれど。

2019年2月25日 (月)

区別つきますか?

あれは1年ほど前のことでした。
(この記事は1年前に書こうと思ったのですが、書く時間がなかったのです)

当時、私は国立劇場の編集企画室で働いておりました。昔は「編集係」という名称だったと思うのですが、いつからか「編集企画室」となった部署です。係の名前を変えたがる権力者がいるらしく、だんだん覚えにくい名前になっていく傾向があるようです。

同じ係に、就職して1年ほどの新人さんがいました。1年目の人に伝統芸能のプログラムの編集業務をさせるというのも、すごい職場だなあといつも思います。

その新人さんから尋ねられたのです。「柳川さん、長唄と清元って区別つきますか?」って。その方は、実際に聞いてみて、区別がつかなったそうなんです。
見分け方として、よく「肩衣の色が違う」とか「見台が違う」などと言われますが、新人さんが知りたいのはそういうことではなく、あくまでも音楽としての違いが分からなかったということなのです。
・長唄は「唄い物」、清元は「語り物」であり、「語り物」にはストーリーがある
・清元のほうが全体的に声域が高い
・三味線の音色が明確に違う
などと説明しましたが、聞いて分からなかったものは仕方がない・・・。

私が歌舞伎を見始めた頃は、歌舞伎で演奏される音楽について、大学のサークル(歌舞伎研究会)の先輩が説明してくれましたし、「この演目で使われる音楽は●●」というように演目とセットで自然に覚えていきました。第一、その頃は志寿太夫さんが活躍していたのですから、清元と言えば志寿太夫であり、間違えようがなかったのです。

このあいだ、就職して10年くらい経つ方から「義太夫と長唄の区別がよく分からない」と言われて、非常に驚きました。

「清元節」「常磐津節」「義太夫節」というように、語り物には名称の後ろに「節」が付きますけれども、この「節」というのが何なのか考えてみますと、「真っ直ぐでない」という意味ではないでしょうか。竹で言えば、真っ直ぐなところと、曲がっているところがあり、曲がっているところが「節」です。つまり、語り物は旋律がくねくね曲がっているわけです。

日本の音曲には楽譜がありません。三味線には譜がありますけれども、声には楽譜がない。楽譜に書き起こせないくらいに複雑だからだと思います。浪花節の形容で「まるでチョウチョが舞うような」というのを聞いたことがありますが、予測できないくらいヒラヒラと細かく変化し続けて、音を「点から点」で表現しているのではないので採譜できないのです。

竹本住太夫師匠が、よく「私は不器用で、覚えが悪くて」と仰っていました。楽譜に書けないくらい複雑なものを、耳で聞いて全部覚えなくてはいけないわけです。

鶴澤清介師匠にインタビューをさせていただいたことがあるのですが、最近の若い太夫の浄瑠璃は唱歌みたいだと仰っていました。手本を手本のとおりに聞き取る能力がないのだそうです。頭の中で勝手に簡略化してしまう。まるで音符から音符へと辿っていくように簡略化。

つまり、聞き取るだけのことでも、能力が必要とされるわけです。能力がないと聞き取れないのです。

現代人は先に西洋音楽に接するので、音楽というのは点と点をつないでゆくものだと思い込んでいるのではないでしょうか。西洋音楽では、1つの音符から次の音符へ移る時は基本的に「レガート(滑らかにつなぐ)」であり、他のつなぎ方には、たかだか「ポルタメント」「ポルタート」「グリッサンド」「スタッカート」くらいの変化しかありません。

百年に一度の声と言われた伝説のオペラ歌手マリア・カラスは、
ベルカントとは歌い方です。それは訓練であり、歌う方法、歌へのアプローチです。単に音に触れるだけでは絶対にいけません。例えば、レガートとは「すべること」ではなくて、レガートなのです。レガート、ポルタート、ポルタメント等には区別があり、数千の表現があります。何年も声をコントロールして、そうしたことができるようにする。ベルカントとはまさしく訓練なのです。
と言っています。音符に書かれていないことを表現できたことで、マリア・カラスは歴史に名を残したのだと思います。(「単に音に触れるだけ」とは、「楽譜に書かれたとおりに歌っているだけ」という意味でしょう)
そして、ベルカントについて説明する時、音と音とのつなぎ方について言及している点がたいへん興味深いところです。

昔は歌謡曲にさえ節があったものですが、日本の音曲からだんだん節が消えてきているように感じます。人間業とは思われない、まるで魔法を聞いているような声の魅力が。特徴がなくなってきたと言うのでしょうか。

ダブル高田

新国立劇場の《紫苑物語》で主役を歌った髙田智宏さん。プロフィールを読んでいて、あれ?この人、新国のオペラ研修所出身だと思っていたのに、・・・違っていた。何でそんな思い違いをしたのだろう。

と不思議に思っていたら、同時期に上演されていた二期会の《金閣寺》に高田さんが出ていた。この人、《紫苑物語》と《金閣寺》に掛け持ち出演してた!?と驚いてよく見たら、高田智士さんという、似た名前の別の人だった。そして、こちらの方がオペラ研修所出身だった。

顔があまりに似ていて区別がつかない・・・。

(私は《金閣寺》は見ていません)

2019年2月24日 (日)

風や水

いま私が住んでいる古いマンション、洗濯物が飛ぶんですよね~。いろいろ対策を立ててみるのですが、風がすごいみたいで、吹っ飛んで行っちゃうんです。一人暮らしを始めて4か所目なのですが、以前は1度もそんなことはなかったんですけどねえ。

建物を建てる時に、入口はどちら向きでなくてはならないとか、トイレはどの方角が良いとか、いろいろ決まり事がありますでしょう。そして、通りの突き当たりの建物はどうだとか、角の建物はどうだとか、いろいろ言われます。そういうのって、中国や韓国から「風水」として伝わって来たものですよね。建物を建てる時に、すごい制約を受けていると思うのですが、ヨーロッパにも同種の制約はあるものなのでしょうか?日本の近代建築の技術はヨーロッパから輸入したものでしょう。技術はヨーロッパで、考え方の根本は中国なのでしょうか?

私は舞台や美術が好きなので、いろいろな劇場や美術館へ出かけていくわけですが、設計が駄目な建築が異様に多いと思うのです。
「入口がどこだか分からない」
「最寄り駅から歩いていくと、まず楽屋口が見える」
「まず関係者用の駐車場が見える」
「表方(観客のためのスペース)と裏方(スタッフのためのスペース)が混在している」
「無駄に上ったり下りたり、やたら階段が多い」
「無駄に中をぐるぐる歩かされる」
「使用されていない階段がある」
「使用されていない部屋がある」
「備品(パーテーション等)が出しっぱなしになっている(=倉庫がない)」
心当たりがおありでしょう?

別に風水など勉強したことがなくても、「良い設計」「駄目な設計」は誰にでも分かると思うのです。ところが、「駄目な設計」「駄目建築」が異様に多いのが日本の公共建築です。そして関係者同士で褒め合っている。なぜなのでしょうかねえ?

よもやま

今日、木馬亭に行って来たんです。
自由席だったので、早めに行くつもりだったのですが、出遅れて開演10分前くらいになってしまいました。でも2列目の中央に座れました!

木馬亭ねえ、木馬亭。あんまり快適じゃないんですよね。椅子の横幅が狭くて、隣のおじさんの肩や肘がずっと当たります。

舞台の引き幕が2か所(?)かぎ裂きに破れてるんです。あの幕を新しくするのには、いくらくらいかかるものなのだろう。あーあ、木馬亭の幕を新しくしてくれる金持ち(後援者)は存在しないものなのでしょうかねえ?日本の金持ちは一体何にお金を使ってしまうのでしょう?あの幕、ヒラヒラしていて、ちょっと薄すぎじゃないですかね?私にお金があれば素敵な幕を寄贈するところなのに・・・。

公演の内容は、とっても良かったんです。

客席で、映画監督の周防正行さんの姿を見かけました。このあいだ、テレビで玉川奈々福さんと対談していましたけど、最近よく浪曲を聞かれるのだそうです。
周防監督は、私と誕生日が同じで、10月29日生まれなんですねえ。
他に10月29日生まれの有名人と言いますと、高畑勲さん、中村福助さん、高嶋政宏さん、つんくさん、堀江貴文さん、前園真聖さんなどがいらっしゃいます。「浮き沈みの激しい人」が多い印象があります。10月29日はさそり座なのですが、私自身の好不調と照らし合わせてみますと、時期が全然重ならない、関係ない、なので「星座占いというものは全く当たらない」と私は感じています。
しかし周防監督と私とは「最近よく浪曲を聞く」という共通点があるのでした。

2019年2月19日 (火)

あれこれ

2月の文楽公演で「帯屋」が上演されていました。「帯屋」は人気演目で、わりとよく上演されますけれども、ここで言う帯屋が「帯を売る店」ではないってこと、知っていましたか?長右衛門は、預かった刀の研ぎを差配していますでしょう。客の注文を受けて、何かを調達したり、調整したりする店だったそうです。

繁斎の重要なセリフに、「油は繁斎、灯心は長右衛門」「暗いと言うては掻き立て」というのがあります。いま、行灯を使ったことのある人はいないでしょう。でも油や灯心は知っているでしょう。しかし、「掻き立て」という行為は、説明しないと分からないと思うんですよね。プログラムに、そういうことを解説してくれるページがずっと欲しかったんですよね。毎回同じ解説でもいいと思うんですけどね。(必要な説明が入っているならば)

ところで、くどいようですが、国立劇場の
5月文楽公演は必ず見てくださいね。必ず第1部・第2部を通してご覧いただきたいのです。片方だけ見るというのは残念な選択です。必ず両方、絶対に見逃さないでください。見せ場は第2部に集中していますが、第1部も頑張って見てください。名作『妹背山婦女庭訓』が、このように整った形態で上演されるのは、今回が最後なのではないかと私は思っております。どうか絶対に見逃さないでください。心よりお願い申し上げます。

2019年2月18日 (月)

オペラ公演の男性率

新国立劇場で、日本製の新作オペラ《紫苑物語》が初演されました。
パラパラとプログラムをめくっていたら、スタッフの男性率がすごく高くて、ちょっと驚きました。歌手なら圧倒的にソプラノが多いはずなのに、オペラの世界って意外と男性社会なのかなと思いました。

2019年2月17日 (日)

レレレとららら

「舞台日記」などというタイトルのわりには、行った公演の記録を全然書いていない当ブログですが、2月13日(水)に「一之輔のすすめ、レレレ」、翌14日に「ららら♪クラシックコンサート」に行って来たのです。「レレレ」(落語)と「ららら」(オペラ)が続くなんて、我ながら幅の広い趣味だなあと思いました。

「ららら♪クラシックコンサート」は、テレビ収録用の公演ではなく、司会者がEテレの番組と同じく高橋克典さんであるというだけの、普通のコンサートでした。毎回テーマが変わるそうですが、4回目の今回はオペラ特集だったので、行って来たのです。出演者にインタビューするコーナーがあるのが特色でした。

オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団でした。司会者が紹介するまでNHK交響楽団だと思っていた・・・。あとで友人が「NHKニューイヤーオペラだって東フィルだよ」と言うので、「まさか」と思ったのですが、調べたらやっぱり東フィルでした。(N響はオペラを演奏したい人々ではないから)

周りぢゅうの客が爺さん婆さんだらけで、とても行儀が悪く、雑音も多く、ゆるい雰囲気の公演でした。

テノールの宮里直樹さんを久しぶりに聞きました。ずいぶん前にロドルフォを聞いたことがありますが、日本語訳詞上演でしたし、今ひとつパッとしなかった記憶があります。今回の1曲目「人知れぬ涙」も、あまり感動しませんでした。ところが、《リゴレット》の二重唱が大変素晴らしく、興奮しました。ちょっと最後が決まらなかったけれど、あれはまあいいでしょう・・・。

それで、5月に宮里直樹さんと今井俊輔さんの演奏会があるというちらしが配られたので、行ってみようかなと思ったのですが、
・ちらしに演奏曲目が1曲も書かれていない
 
・平日の昼公演
 
・チケットの購入時、座席が選べない
という点が引っかかり、やめておくことにしました。

それにしても、オペラ関連で「平日の昼公演」が急激に増えているような気がするのです。つまり、どんどん客の高齢化が進んでいるみたいです。私は仕事があるので、ついていけなさそう・・・。

2019年2月16日 (土)

ならば手柄に

日本人はいつまで馬鹿を大臣にさせておくつもりなのでしょう?

さて、最近、『慶安太平記』の講談速記本を部分的に読んでみたわけなのです。明治34年に発行された本ですが、全ての漢字にルビが振ってありました。いわゆる「総ルビ」です。「様子」「用意」「手柄」のような、誰でも読める易しい漢字にもルビがあります。主人公の名前「正雪」という漢字はたびたび登場しますが、出てくるたびに毎回ルビ。ただし、なぜか漢数字にだけはルビがなく、例えば「無二無三」には「む」だけ2回ルビが振ってあります。「六尺棒」は「しゃくぼう」だけにルビ。この本だけでなく、そういうルビの振り方をしている本はわりと見かけますね。この時代の慣習だったのでしょうか?

「玄関」には「げんくわん」とルビが振ってあります。声に出して読む時、実際に「くわん」って言っていたんでしょうかね。文楽や歌舞伎でも、「か」が「くわ」って発音されることがありますね。最近とんと聞きませんけど。

「ルビを振る」というのは、編集者にとって大変手間のかかることですけれども、その「手間」よりも「必要性」が編集者や発行者の心の中で上回っていたのでしょうね。私は大学生の頃、歌舞伎の筋書にルビがほとんど振られていないことを大変残念に思っていました。歌舞伎に出てくる固有名詞は、ルビがないと絶対に読めないでしょう。読めないと調べようもありませんし。現在は読めなくてもインターネットで検索できるかもしれませんが、そんなことをする人がどれだけありますかねえ。歌舞伎は難解と言われるのも、一因には、筋書にルビがないせいだと私は思っているのです。ですから、自分が編集担当だった時には、ルビ振りにはかなり執念を燃やしました。「ルビが多すぎて馬鹿みたい」と言われたこともありました。しかし私は、知らない人に向けて説明したいのであり、漢字が読めなかったくらいでこの素晴らしい作品を分からなかったなんて言わせたくなかった。「舞台を見ていれば実際に耳で聞くわけだからルビは不要」と言われたこともありました。しかし、舞台を見る前、見た後にもルビは絶対に必要であると私は固く信じておりました。

今度、新国立劇場で、日本製の新作オペラ《紫苑物語》が初演されるのですが、これが発表された時、「しえんものがたり」なのか「しおんものがたり」なのか私は分からなくて、読み方が分からないと頭の中でずっと「保留」ですわ。宙ぶらりんです。だって新宿御苑なら「えん」ですし、鹿苑寺金閣なら「おん」でしょう。紫苑は誰でも知っている言葉なんですか。知らない私が馬鹿ですか。長唄の歌詞に出てきた気もしますが・・・。仕事に関係あるからネット検索して調べましたが・・・。読めない作品を誰が見るのかと不思議に思うのです。

先日、文楽公演の番付を読んでおりましたら、「女三の宮」にルビが振られていませんでした。この作品解説はいったい誰に向けて書いているのだろうかと不思議に思いました。すでに知っている人にはこの解説は不要であり、まだ知らない人には読んでも分からない。

ルビの話はこれくらいにしまして、この『慶安太平記』の速記本に、次のような記述がありました。

「ヤイ、汝等〔うぬら〕は何がために逃げるぞ、捕手〔とりて〕といたして向ひながら逃げるといふのは卑怯であらう、我れを全体何者と相心得〔あひこころえ〕る、由井民部之介正雪の門人清水八蔵といへる者である、卒〔い〕ざや来たつて成らば手柄に召捕つて見よ」

「ならば手柄に」というフレーズは歌舞伎が好きな人にはお馴染みで、「星満々たりと言えども月の光に勝つこと能わず、ならば手柄に搦めてみよ」でしたっけ?「ならば手柄に」の「ならば」は、何が「ならば」なのだろうか?この前に何か言葉が省略されているのだろうか?などと思っていたのですが、「ならば」は「成らば」であり、この一語だけで「出来るものならやってみな」という意味になるのでした。まあ、そういう意味だろうとは昔から思っていたわけですが、「成」という漢字で目から入ってくると、ハッといたしました。長く歌舞伎を見ていても、自分にとっての新しい発見があるものでございます。

2019年2月15日 (金)

『慶安太平記』西行の歌

1月の上旬に、神田松之丞さんの講談『慶安太平記』の連続読みを聞いてきたのです。
1日およそ2時間、5日間連続で計10時間にも及ぶ公演でした。稗田阿礼じゃあるまいし、よくもまあ、こんなに長い話を覚えられたものだと思いました。本当に鮮烈な快挙でした。こんなことをやる人は、ずっと出てこなかったのですから。

とても面白い物語だったのですが、よく分からないところがあったのです。
この『慶安太平記』の内容は、由井正雪が浪人を集めて徳川幕府の転覆を企てたものの、直前に露見し、失敗に終わるというものです。
もくろみが幕府側に漏れたと悟った由井正雪は、すぐに切腹してしまうのですが、同志の中には、諦めの悪い人もたくさん残っていました。そこで幕府側の松平伊豆守が、西行の詠んだ和歌を口にすると、謀反の野心に燃える浪人たちの残り火がサッと消える・・・というような場面がありました。
ところが、肝心のその和歌が、高座で紹介されなかったのです。松平伊豆守が西行の和歌を口にした、ということだけが語られて、和歌自体は登場しなかった。そんなことがあるものなのでしょうか?

これはあれでしょうか、松尾芭蕉が『おくのほそ道』で一番憧れていた松島の句を詠まなかったみたいな、歌川広重の浮世絵の富士山が画面からはみ出して山頂が描かれていないものがあるみたいな、「わざと山場を描かないことによって作品のスケールが倍増する」というような特殊技巧なのでしょうか?

その西行の和歌が気になって、何か調べる手蔓はないものかと考えました。職場の図書室に、神田伯龍の速記本『慶安太平記』があったので、事が露見した後の部分を読んでみました。しかし、西行の和歌は登場しませんでした。そのような場面自体がなかったのです。

この速記本は、神田伯龍の講演を、丸山平次郎という方が速記し、明治34年に発行されたものですが、物語の内容は松之丞さんの高座と全然違っています。演者によって、こんなに違うものなのかとビックリしました。

その伯龍の速記本の中に、面白い記述がありました。企てが露見し、正雪が潔く計画を諦める場面の述懐です。

目的の達せざると知りながら世間を騒がせ人に生命を捨てさせるも無益なこと、凡そ桜花〔さくら〕は七日を盛りとして何時もその内に散ればこそ、これに勇士の最期を擬〔なぞら〕えることである。我が国は敷島の大和魂を桜花に譬〔たと〕えて、潔く最期を遂ぐるこそ武士たるももの本意と存ずる。「人は武士、花は桜木」とはここを以て申すのではありませぬか。

この部分を読んで私は、本居宣長の詠んだ和歌「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」を思い出しました。しかし、「もののあはれ」で有名な本居宣長は、慶安よりもずっと後の時代の人でありました・・・。

2019年2月13日 (水)

ししのほらいり・ほらがえり

きのう、お江戸日本橋亭に講談を聞きに行ってきたのです。

私がお江戸日本橋亭に行くのは20年ぶりくらいでしたでしょうか。わりと頻繁に行っていたのに、パタリと行かなくなり、あっと言う間に20年。たどり着くのに道に迷って、うろうろ歩き回ってしまいました。街の激変ぶりに改めて驚いた次第です。
でもお江戸日本橋亭は変わっていなかった・・・。

前座が神田松麻呂さんという若い男性で、初めて聞きましたが、講談の世界に入ってきた若者というだけで応援したくなりますね。
当日、入口で配布された番組に、松麻呂さんだけ演題が記されていなかったので、帰りがけに受付のおじさんに松麻呂さんのやったネタは何て言うんですかと尋ねたら、「自分は聞いていなかったので分からない」と言われました。そんなものですかね。

私は平成7年に日本芸術文化振興会に就職して、最初に配属されたのが国立演芸場でした。窓口で切符を売ったり、受付に座っていたりしました。(今はその仕事は外注されているので職員はやりませんが)
お客様から「あのネタは何て言うネタですか」と質問があると、お答えしなくてはいけないので、メモしておいたり、自分で分からなければ訊いたり調べたりしたものでした。

しかし今はインターネット時代なので、あとで検索するとしっかり書き込まれていたりします。松麻呂さんがやったネタは「井伊直人〔いいなおと〕」だそうです。

この話の中で、「ししのほらいり・ほらがえし」という言葉が出てきました。歌舞伎舞踊『春興鏡獅子』の冒頭で、爺さんが口にする言葉ですね。「井伊直人」の中で説明されてました。
『鏡獅子』のセリフだから「獅子のほらいり」なのかと思っていたのですが、「イノシシ」を表す「シシ」なのだそうです。これは長刀〔なぎなた〕の技の名称で、掛けられた者が「イノシシが穴に飛び込むみたいに無様にひっくり返る」ところから「シシのほらいり」と言うのだそうな。漢字で書けば「猪〔しし〕の洞〔ほら〕入り」となりますか。「シシのほらがえし」は、「その逆」と言っていましたので、反対側にひっくり返すことでしょう。「猪の洞返し」と書くのでしょうか。

『鏡獅子』の場合は、角兵衛獅子の技の名前ということになるでしょうけれども、この長刀の技と関係があるのか、ないのか?よく分かりませんが・・・。

私もたいてい田舎育ちですが、イノシシが歩いているところは一度も見たことがありません。「実際に見たことがない」という点で、猪も獅子も同じようなものなのかもしれません(?)

2019年2月11日 (月)

中正面

2月10日(日)、喜多能楽堂で行われた三世茂山千之丞襲名披露公演に行って来ました。

私の隣の席のおばさんが、上演中ずっとメモを取っていて、気持ち悪くて死にそうでした・・・。去年の12月末にも、やはり狂言の会で、メモを取っている人の隣だったことがあった。そういう気持ち悪い人が流行りなのでしょうか?まあ、どのジャンルにも変な客というのはいるものだと思いますが・・・。

この公演の切符を電話で予約した時、一般発売開始の10時きっかりに電話がつながって、この声は童司さんご本人なんじゃないかな?と思ったのです。(確かめませんでしたが・・・)
その時の予約番号が90番だったのですが、たぶん前日の会員発売で89人が予約したわけでしょう。1人2枚ずつ予約しても180枚くらいでしょう、これは結構良い席が取れたんじゃない?なんてニヤニヤしながら待って、届いた切符を見てみたら、中正面だったんです。中正面・・・??

私が中正面で見るのは、人生で2回目だったのではないかと思う。基本的に正面席の前方でしか見ないんです。脇正面にも数回しか座ったことがありません。前回、中正面で見た時は『関寺小町』をどうしても見たくて、もうどこの席でもいい!というので中正面に座ったのでした。
普通だったら取らない中正面席。

中正面というと、お金のない学生とかが仕方なく座る安い席、というイメージです。千之丞襲名は全席均一料金なのに中正面席、がびーん。
さすがに人気があるんだなあ、見られるだけ幸運と思わないといけないなあ、しょぼーん、と思っておりました。

ところが、実際に座ってみますと、目付柱は全然気にならなかった。意外にも、なかなか良い席だったのです。
考えてみれば、正面席に座っていても、一の松が見えなかったり、揚幕が見えなかったりするのはよくあることで、どの席に座ってもどっちみち見えない瞬間はあると思うのです。
そして狂言の場合、仕手柱と脇柱を結ぶ対角線上で会話が交わされることが多いので、必然的に、中正面に向かって演技が展開することが多いようなのです。
この場面は、私に向かって上演されているのではないかしらん、と思うようなこともありました。とても良い席だった。
でも、ちょっと位置がずれると、名乗りが全く見えないとかいう酷い目に遭いそうな気もしましたが。

だから、座席の位置も実際に自分が座ってみて、経験によって好みが出来てくるのではないかと思いました。

能の場合は、「遠く橋掛かりの向こうから霊がこちらにやってくる」という雰囲気を味わいたいので、やっぱり正面席の脇柱寄りがいいかなあと私は思うのですが、どうですかねえ。

横浜能楽堂の館長をしていた山崎有一郎さんは、中正面が一番だって仰っていたそうですけど・・・。
内田樹さんは、いつも脇正面だそうです。

いくら好みの席などと言っても、自由に席を選べるような公演はない(というかそういう公演には行かない)わけですが・・・。

新千之丞さんの「花子」の装束を、ニッポン画家の山本太郎さんが描いたそうで、開演前に装束が展示されていました。

ニッポン画家・山本太郎
洒落ている・・・。

新作の「二人山伏」がすごく面白かった!配役も素晴らしかった。島田洋海さんのトボけた味わいが光っていました。

千之丞さんは、すごく二枚目な感じでした。狂言師に二枚目っていうのも変ですけど・・・。真面目な好青年という感じ。(実際はどうか知りませんが)

私は、先代の千作・千之丞ご兄弟は1度しか生で見たことがないですねえ。すごいインパクトでしたよね・・・。

2019年2月 8日 (金)

つぶやき

寺や神社に行くと、宗教施設というより、商業施設みたいだよなあと感じることがありませんか?

キリスト教という宗教の存在を知ったのは、何歳くらいのことだっただろう?全く覚えていない。おそらく、世界史の授業で教わったのではなかったろうか。それは「教義」ではなく「出来事」なのであった。宗教裁判、十字軍、免罪符、宗教改革・・・。何か暗いイメージ。大きな争いの元というような。

講談の『慶安太平記』「鉄誠道人〔てっせいどうじん〕」の中に、「免罪符」という言葉が出てきた。はて、日本に免罪符があっただろうか?「鉄誠道人」という話は、キリスト教を日本風に翻案した物語なのではないかと思った。

浅草寺って、第二次世界大戦で焼失していますでしょう。みんな何を拝んでいるのかなあと不思議に思う。本尊を誰も見たことがない。浅草寺で手を合わせる人の大部分が、自分がいま何を拝んでいるのか知らないだろうと思うのです。そうして「健康」とか「平穏」とか「幸福」とか「幸運」とかを祈っている。

私は、目に見えないものの存在とか力というものを信じていますが、それが「唯一」とか「万能」とか思わないですね。万能にしては、創った世界が馬鹿すぎるような・・・。

2019年2月 7日 (木)

タンホイザー

新国立劇場で《タンホイザー》を見てきました。
この作品を見るのは人生で2度目でした。
私はキリスト教徒ではないので、話がよく分からないんですよね。
でも、とてもドイツらしい作品だと思いました。
聖か俗か、100か0か、というような極端な発想ですとか、
(どちらも浮世離れしている印象)
教会は許さなかったけれど主は許した=教会はいらない的な考え方ですとか、
ナントカ侯万歳みたいなところとか、
いかにもドイツらしい感じがします。

エロ踊りが全然エロくないのは日本の風土に合わせたものなのでしょうかねえ?
ドイツの歌劇場だったら絶対に脱ぎますよね・・・?

オペラでは「エリーザベト」と書かれることが多く、ミュージカルでは「エリザベート」と書かれている。一体どちらなのか?と前から思っていたのですが、《タンホイザー》の中で何度も出てくる言い方を確認したところ、全て「エリーザベート」と言っているようでした。「エリーザベト」でもなく「エリザベート」でもなく「エリーザベート」!あなたも確認してみて!!

2019年2月 5日 (火)

紅海で溺れるファラオ

先日、仕事で読んでいた書類に、堀内康雄さんの名前が載っていたのです。
ああ堀内さんはいい声だったなあ、好きだったなあ、最近はどうしているのかな?と思ってちょっと検索してみたところ、「
Web バリトン 堀内康雄」というサイトがありました。

その中の「フォトギャラリー」を見ていると、「営業マン時代」という写真が掲載されており、そうそう堀内さんってサラリーマンからオペラ歌手に転身されたんでしたね。

下のほうに「Questo Mar Rosso...」というタイトルで、堀内さんがマルチェッロを演じた時の写真が掲載されているのですが、油絵の前でポーズを取っている、その油絵がまさに「ファラオが紅海で溺れているところ」なんです。この小道具、たいてい絵が反対側を向いていて見えないのですが、こんなに精巧に描かれた小道具は珍しいですね。この公演のために誰かが描いたのでしょうか?すごい!こういう小道具を用意する情熱が最高ですね!

マルチェッロは、急に思いついたようにファラオを海に溺れさせるわけですが、もともと、どういう絵を描くつもりだったのでしょう?
改めて考えてみると、これは「出エジプト記」を描いた絵ですね。モーゼが割れた海を渡って脱出するスペクタクルな場面は、映画や舞台映像では見たことがありますが、油絵ではあまり見た記憶がありません。モチーフが壮大すぎるからでしょうか?それも「渡る前」「渡っている最中」の絵なら分かりますが、「モーゼが渡ったあとファラオが溺れるところ」を描こうと思いつくのは、やっぱり寒さの腹いせなのでしょうねえ。

堀内さんのマルチェッロの写真、かっこいいなあ。2006年、名古屋の公演みたいですね。

2019年2月 3日 (日)

2月文楽公演・第3部

国立劇場の2月文楽公演・第3部を見てきました~。素晴らしかった~。
中将姫はあまり上演されませんが、千歳太夫さんの語り、富助さんの三味線、簑助さんの中将姫がものすごい迫力で、面白かったです。千歳さんの顔を見ているだけで楽しい。あの声は千秋楽までもつのかしらん。
阿古屋は、寛太郎さんの三曲が素晴らしかったですね。また、国立劇場の小劇場は音響が良くて、邦楽の演奏には最高です。
空席があるのがもったいない。ぜひ多くの方に見ていただきたい公演です。

国立劇場小劇場の客席の絨毯があまりにも古くなっていると感じていたのですが、張り替えられていました。「張り替えられていた」と言いますか、古い絨毯の上から部分的に継ぎ張りされていたという感じ?こんな張り方があるんだ・・・と思いました。そして、新しいのに早くも汚れている感じ?絨毯にもいろいろありますからねえ。国立劇場は本当にお金がないんですね。
平成15年に独立行政法人になってから、毎年1%ずつ運営費が削減されていますしね。劇場の建て替えの話がずっと止まったままで、施設の整備もしていませんし、本当に貧乏くさくて、外国人には恥ずかしくて見せられない感じですね。

二月歌舞伎座・夜の部

今月の歌舞伎座の夜の部を拝見したのですが、もう素晴らしい公演でした。

吉右衛門さんの熊谷はもちろん何度も見ているのですが、今まで見た中で一番感動しました。すごい白熱の舞台でした。歌六さんの弥陀六が、熊谷に拮抗する充実度でしたねえ。「制札の見得」というと熊谷の見せ場ですけれども、弥陀六にも制札を使った見得があるわけなんですよね。歌六さんのこの制札の見得がもう最高で、絵が動いているみたいでした。こんな弥陀六は初めて見た、という感じでした。

そして玉三郎さんの美代吉、私はもちろん初めて見たのですが、さすが「芸者の神様」と言われた玉三郎さんだけあって、魅力が横溢していました。仁左衛門さんの三次も、出番は短いはずなのに鮮烈でした。

もう1回見ます。

坂東玉三郎トークショーその8

昨年11月14日、金沢で行われた玉三郎さんのトークショーに行って来たわけなのです。

客席からの質問を受け付けるコーナーがあったので、私も何か質問しようかなと迷いました。玉三郎さんと言葉を交わす千載一遇の、人生に一度の好機。でも恥ずかしいから質問できませんでした。
質問するとしたら何を質問しようかなと考えたのですが、「スマホはお使いになりますか?」というのが思い浮かんだ。
玉三郎さんがスマホを使っているところは、あまり想像できない感じがします。

私自身はスマホを使ったことがなく、絶滅寸前の(?)ガラケー派です。職場にパソコンがあり、家にもパソコンがあるのに、移動中までネットに繋がっていなくてもいいんじゃないかと思っているのです。独身で家族と連絡を取ることもありませんし。ここ1年で急速に老眼が始まって目がショボショボですしねえ。画面が小さすぎますよね。文字を打つのにも不便ですし。お芝居のチケットを取るのにスマホがあると便利かなと思うことが年に数回あるくらいでしょうか。

どんどん話が逸れて恐縮ですが、むかし、「歩きながら本を読んでいる人」「歩きながら新聞を読んでいる人」「歩きながら雑誌を読んでいる人」などがいたら、それは「あぶない人」「おかしな人」「近づいてはいけない人」と思ったものでした。私の頭の中では、「スマホを見ながら歩いている人」も同じカテゴリーに分類されています。つまり、現代では町中が「おかしな人」で溢れている状態です。
「歩きながら本を読んでいる人」は、ひょっとすると「おかしな人だけれどすごく頭のいい人」である可能性もあったわけですが、「スマホを見ながら歩いている人」には、その可能性すらない。

むかし、電車の中でスポーツ新聞を読んでいる人を見かけると、「この人は馬鹿なんだな」と思ったものでした。
いま、YAHOO!のニュースのトピックスなどを見ていると、内容はほぼスポーツ新聞みたいなもので、普通の大人が読むものではないと感じます。と言いますか、読んでもいいけれど、それだけでは困ります。
むかしは家に新聞があり、子供の頃は難しくて読めなくても毎日身近に置かれていて、大人になったらこういう内容も分かるようになるものなのだと思ったものでした。

しかし、時代の流れは誰にも変えられませんね。

トークショーに話を戻しますと、この催しには副題が付いており、「美とココロと歌舞伎と」というものでした。
玉三郎さんが仰いますには、現代はインターネットなどでいろいろな情報をすぐに得ることができるけれど、直接人に会って、そこから生まれる縁を大切にし、そうした縁から生まれる仕事に1つ1つ誠実に取り組んでいきたい、とのことでした。それがこのトークショーで一番重要なお話だったのではないかと私は思いました。

2019年2月 2日 (土)

言う権利

先月1月4日から9日まで、池袋の「あうるすぽっと」で、神田松之丞『慶安太平記』連続読みを聞いたわけなのです。
連日、夜7時開演で、4日は前夜祭(ネタは義士伝)、5~9日が『慶安太平記』連続読みでした。

客席がすごく寒かったのです。
4日の前夜祭で、私は仲入り後にコートを着たまま聞いていました。
5日の冒頭で、松之丞さんが言うには、昨日のアンケートで「客席が寒かった」という声が多かったので、今日は温度を1度上げた、1度違うとだいぶ違うと思う、ということでした。
ところが5日の1話目の出来が良くなくて、この「出来が良くない」というのがどういうことなのか経験のない人には分からないと思うのですが、松之丞さんの講談って会によって同じネタでも出来が違うんですよ。完成品を提示しているのではなく、変化するんですね。良い時と、良くない時があるんです。

それで2話目の始めに、「温度を上げるのはやめます」と宣言がありました。「暑いと話が頭の中で回ってしまう」と言っていました。そこからもう極寒の客席。みんなコートを着たまま講談を聞いたのです。
6日から松之丞さんは季節外れの麻の着物でした。会場入口では、ブランケットの貸し出しと、ホッカイロの配布がありました。
そのような状態でみんな聞いていたのですが、風邪を引いて途中で脱落した人もいたそうです。(9日の終演後にサイン会があり、私がサインをもらう時に松之丞さんがそう言っていました。サイン会で松之丞さんは「寒くてすみません」とずっと言っていた)

そうじゃないと出来ないと言うんですから、寒くても仕方がないと思うんです。温度を上げて出来が良くないよりは、温度を下げて最高の高座をみんな聞きたいでしょう。これを出来る人は1人しかいなくて、その人がそうじゃなきゃ出来ないと言うんですから、仕方ないでしょう。
オーロラを見たければ寒いのを我慢しなければならないのと同じですよね・・・。

何でもマリア・カラスの例を出すのは恐縮ですが、天下のメトロポリタン歌劇場からの出演依頼をマリア・カラスが断った、という逸話があります。全体的に音域が高めの可憐なヴィオレッタと、全体的に音域が低めの悪女マクベス夫人、この2役をオファーされたのでした。メトロポリタン歌劇場としては、両極端の2役を日替わりで歌わせることで話題にしたかったのでしょうが、カラスは「私の声はエレベーターではありません」と断った。交互には歌えないそうです。「この2つの役を両方歌える歌手は私1人しか存在しないのですから、その上演の仕方について私には言う権利があると思います」だそうな。(メトロポリタン歌劇場からの次のオファーは6年後)

あうるすぽっととその客たちは松之丞さんの要求を呑んだわけですが、これが歌舞伎座や国立劇場だったらどうか、どうなるか?というのは私には分からない。客の関心度もいろいろですし、会場が大きくなるほど、ファンじゃない人も混じってきますからね・・・。

去年7月、博品館での「銀座7DAYS」でも、1席目の松之丞さんは汗だくでした。暑いのが本当に苦手なんですね。
でも2席目で状況を立て直したところがすごいと私は思ったのです。

地獄八景のネタバレあり

先日の記事の中で、落語は一通り聞いた、というようなことを書きましたけれども、実のところまだまだ聞いていないネタがたんとございます。
雲助師匠が手がけるようなレアネタですとか、上方落語など全然聞いていないですし。
また「饅頭こわい」など、省略形でしか聞いたことがない気がするのです。
それから「あたま山」も聞いたことがないと思う。「思う」っていうのも曖昧ですが、忘れちゃってるだけということもあり得るわけです。
私ももう47歳ですし、「聞いたネタを忘れてしまう」ということもあるのですが、忘れたらもう1度新鮮に楽しめて、1粒で2度おいしいからまあいいか!と思う。

それでいて、はっきり鮮明に覚えている場合もあるのです。
米朝師匠の『地獄八景』は大学生の頃に録音で1回聞いたことがあるだけなのですが、地獄へ行って、「えっ?芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫の鼎談が行われる?それはぜひ聞いてみたい、なになに、テーマは『自殺について』?」というようなくだりがあったと記憶しています。そんなことを考えつくなんて、本当にすごいと感動しました。そんな鼎談が現実に聞けたなら、ってドキドキしてしまう。

まだ聞いていないネタを求めて狙い撃ちで落語に行く、というのもいいかなと思いますが、あまりガツガツせずに、のんびり気長に聞くのがいいな、とも思います。

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