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2019年3月25日 (月)

あなただけよ

モーツァルトのオペラには、よく「恋愛の相手は誰でもいい」という柔軟な考えの人物が登場しますが、その一方で「この人でないと駄目」というような、意固地なキャラクターもオペラにはよく登場します。ウェルテルはその代表格。

新国の《ウェルテル》を見た人に感想を聞いたところ、「ウェルテルの気持ちが全く理解できない」という人がいました。「ソフィーのほうが可愛いのに」と言っていました。それを聞いて、きっとこの人は、「この人でないと駄目」という種類の恋をしたことがないのだろうと思いました。

別の人の感想では「シャルロットが許せない」というのがありました。「変に気を持たせるところが許せない」のだそうです。きっとこの人は、「この人でないと駄目」という種類の恋しかしたことがないのだろうと思いました。

シャルロットは、実はウェルテルのことが好きだったらしいけれど、現実には母親の決めた婚約者アルベールと結婚した。つまり「アルベールでないと駄目」というわけではなかった。母親が別の人を指定したら、別の人と結婚したのだろう。

結局、どちらが幸せなのだろう?

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3 オペラあれこれ」カテゴリの記事

コメント

「フランチェスカ・ダ・リミニ」は聴きに行くことにしました。フランチェスカは「この人でないと駄目」というタイプの様ですね。交通の便が結構不便なのですが、春休みなので、思ったより多くの人が来るかも知れません。
ところで先日ツィンメルマンのピアノコンサートに行きましたが(3/17付記事清元「傀儡師」に投稿した3/18付hukkatsコメント参照)、最近『セドリック・ティベルギアン(以下Tibと略記)』が来日し、ピアノ演奏会をしていることが気になっていたので、先週都合をつけてみなとみらいホールで聴いて来ました。Tibはフランスのピアニストで国際的に著名という程では有りませんが、1975年生まれ、パリ高等音楽院を出て間もなく1983年にロン・ティボーコンクールで優勝、その後世界各地で演奏活動をしている40歳前半の知る人ぞ知るピアニストです。生演奏を聴くのは今回が初めてですが、昨年6月「ショパン・フェスティバル2018 in 表参道」で、寺田悦子さんがバッハとショパンの前奏曲を続けて演奏したのを聴きに行った時(2018.4/23付記事「新国立劇場≪アイーダ」に投稿した6/9付hukkatsコメント参照)に、前もってショパンの前奏曲をCDで聴いておいたのが、Tibの2016年Londonでの録音でした。その時、比較としてバッハの前奏曲(hugaを除く)をグールドの演奏で聴いておきましたが、随分世界が異なる演奏だなと感じたものでした。それもその筈今回Tibの演奏を聴いて、広いレパートリーの中でもDebussyをかなり得意とするピアニストだということが分かりました。第二部の演奏でDebssyの12のエチュードを演奏したのですが、中でも1個1個の音を丁寧かつ大事に大事に鍵盤から拾い上げる様に演奏したり、消え入るようなppの音を、顔を鍵盤に触れる位近づけて傍耳を立てるが如く音を確認しながら弾いているところが印象的でした。Debssyの美しくおしゃれで軽妙な音の響きが身に滲み込んできました。前後しますが前半の1部はBrahms1曲とBeethoven1曲。両曲ともかなりの技量を要します。Brahms「Variationen über ein Tema von Robert SchumannOp.9」この変奏曲はシューマン作曲のテーマを基とした1分程度の変奏16曲から成り、病んだシューマンに捧げられました。先々週聴いたツィメルマンの「Sonate für Klavier Nr.2 fis-moll Op.2」の力強い荒々しさに対し、傷心のシューマンを慰めいたわる優しい雰囲気に満ちている。Tibはその辺りをうまく表現出来ていたと思います。次にBeethovenの「15variationen mit einer Fuge Es Dur Op35」。序奏で所謂「エロイカ主題」が登場し以後主題の様々な15変奏が演奏された。ほとんど僅かなミスも無かったと思います。結構器用なピアニストですね。ただ、補助者に楽譜をめくらせながらの演奏はちょっと気になりました。ほとんど楽譜は見ていなかった様ですが。
予定のプログラム終了後、拍手喝さいに答えてアンコールを一曲演奏。Debussy のPréludes Ⅰより第10曲 「La cathédrale engloutie」です。鐘の音と解されるゆったりした音の響きから始まり、それが強くなり又弱くなって次第に消えていく。「海に沈む寺院」と題された曲でした。高台のモンサンミッシルが大潮で海下に沈むイメージが頭に浮かんだ。いつの日かそういう時が来ないとは言えません。縄文海進という時代も有りましたしね。

タイトルでいろいろ想像が広がりますね。

「月いづく 鐘は沈める 海の底」 芭蕉

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