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2019年3月28日 (木)

どうでえ、義公

3月の歌舞伎座で、『傀儡師』が上演されました。
私は1度も見たことのない演目だったので、楽しみにしていました。

筋書に掲載された出演者の聞き書きによりますと、今回の幸四郎さんの『傀儡師』は、坂東流の振付だったのだそうです。

十代目の三津五郎さんは『傀儡師』を踊ったことがあったのでしょうか?どうして私に『傀儡師』を見せてくれなかったのだろう。

『傀儡師』が上演されるのは、歌舞伎公演では平成3年以来だそうですが、国立劇場などの日本舞踊公演では、ときどき上演されています。踊りの上手い人でないと踊れないし、また下手な人が無理して踊る必要もない演目なので、「踊りの名人の証し」のようなものなのだと思います。

この踊りは、人形遣いが人形を遣うという設定ですが、舞台上では人形遣い本人が人形の役を次々と踊るという複雑な構成になっています。内容は、世話物から「八百屋お七」、時代物から「源義経」が取り上げられています。そして詞章の上でクライマックスとなるのが「奇妙頂礼どら娘」と「どうでえ、義公」の2か所だと思うのです。非常に味わい深い表現ですが、観客にどの程度伝わっているのか、はなはだ心もとない。

「どうでえ、義公」は、出版された本によって「どうだえ義公」「どうだ義公」「どうで義公」など様々な書き方があるようですが、舞台上の清元は「どーでー、よしこー」というふうに言っています。
能の『船弁慶〔ふなべんけい〕』や、そこから派生した歌舞伎の『船弁慶』などで有名な知盛のせりふに「いかに、義経」というのがありますが、「どうでえ、義公」は「いかに、義経」を砕けた言い方で言っただけであり、内容は同じだと思います。
つまり「久しぶりだな、最近どう?」「どうしてる?」「How are you?」というような意味。
アメリカ人のことを「アメ公」と言ったり、警察官のことを「ポリ公」と言ったり、忠犬の名前が「ハチ公」だったりすることから分かるように、相手を小馬鹿にしたような言い方ですね。

この「どうでえ、義公」を、一体どんなふうに語るのかなと思っていたのですが、義経に対する知盛の恨みなんて全然感じさせない飄逸な表現でした。予測を裏切るというのか、こういうのが清元の醍醐味なんだなあと思いました。

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コメント

観た事のない初めての舞台は楽しみと同時にどのようなものになるか少し不安な気持ちになるのはオペラも同じです。メルカダンテ作曲のオペラ「Francesca da Rimini」の本邦初演を観てきました。(2019.3.27.@テアトロ・ジーリオ・ショウワ)今回の公演概要には聴き慣れない単語が沢山有りました。先ず「メルカダンテ」。このオペラの基となったのがダンテの「神曲」だそうなので、ダンテと関係あるのかな?と思ったら関係なく、ダンテは13世紀後半に活躍した詩人であるのに対し、メルカダンテは19世紀に活躍した音楽家です。次にFrancesca(以下Fと略記)は女性の名前だと推測出来ますが、Rimini は何?これはイタリアの古い歴史を有する都市の名称で、イタリア半島を長靴とすれば、ふくらはぎの上部あたりのアドリア海に面した都市。ダンテの生きた時代(13世紀)はマラテスタ家が支配、Francesca(ラヴェンナの領主の娘)が当時のRimini当主と政略結婚させられたのが問題のそもそもの始まりでした。本邦初演?実は別の作曲家リッカルド・ザンドナーイ(伊)やセルゲイ・ラフマニノフ(露)が同じ物語で同名のオペラを作曲(20世紀初頭)、日本では2010年に首都オペラという団体がザンドナーイのオペラを神奈川県民ホール(今年9月に英国ロイヤルオペラが来日公演する予定のホールです)で本邦初演している様です。又METライブヴューイングで映画化もされました。(オペラではないですが、チャイコフスキーによる管弦楽曲も作曲されています。)従って、今回の「本邦初演」はメルカダンテのオペラが初めて演じられたという意味だと思います。多くの音楽作品が作曲されたということは、ダンテの「神曲」のこの物語が当時いかに知られていたかを意味します。14:00スタートで17:30頃までほぼ3時間を超える結構長いオペラでしたが、メロディが綺麗なので歌手の歌を堪能できました。Fを演じたのは、ソプラノのLeonor Bonilla(以下Boと略記)、Fの夫でRimini当主Lanciotto(以下Lと略記)をテノールのAlessandro Luciano(以下Luと略記)、Fの不倫相手でLの弟であるPaolo(以下Pと略記)をアルトのAnna Pennisi(以下Peと略記)。この三人の歌う場面が多く、その他にFの父Guidoを小野寺光、Fの友人Isauraを楠野麻衣、Lの家臣Guelfoを有本康人が演じました。男性のP役を女性歌手が歌うのは、女性の方が綺麗に見えてPの役柄に相応しいからでしょうか?歌の感想は一言でいうと『聴衆の耳は確か』ということです。各歌手の出来栄えは歌い終わった後の拍手・喝采の大きさ、掛け声の様子にそれが現われていました。
BoのFは素晴らしかった。歌を聴きながらどういう訳かデセイの歌声を思い出していた。オペラ開演挨拶の折江教授の言葉にもあったベルカントらしい歌い振り、またRiccardo Mutiのいう聴衆に迎合しない正確な歌(実は翌3月28日、イタリア・オペラ・アカデミーin東京の一環としての「リッカルド・ムーティによる≪リゴレット作品解説」、を文化会館大ホールで聴いたのですが、ムーティーの話として、リゴレットに限らず多くのイタリアオペラで、得てしてベルカント歌手は聴衆受けのする大きな声で最後を歌いきったりして大喝采を浴びようとするが、作曲者はその様なことを意図した楽譜は書いていないことがあるといった趣旨の現状ベルカント歌唱批判を展開していました。)、歌い終わる最後のppの微妙な響きなどなど、満足の得られる演奏でした。P役のPeもBo程ではないが潤いのある伸びやかな歌唱を披露、両者のduetは大きな拍手を浴びていた。それに比しL役のLuは、体調が思わしくないのか、風邪でも引いているのか、時として大きな立派な声を出したかと思うと、オケの音にかき消される程小さくなったり、全体としての出来具合があまり芳しくありませんでした。でも演技の方はババロッチー張りの貫禄あるひげ面と体躯で堂々と演じていました。それにしてもダンテの地獄篇からとったという物語は悲惨すぎる悲劇ですね。いつも(先だって観たグノーのオペラ「ロメオとジュリエット」の時も、これまで何回も見た「La traviata」でもその他でも)思うのですが、‘モーちょっと何とかすればハッピーエンドになれるのにナー’と。駆け落ちすれば、敵を倒せば、大きな手の庇護を受ければ、などのif, if。でもそれでは物語にならないナー?神曲の原題は「喜劇(Commedia)」だそうですけれど。欧州一の古い大学ボローニャ大学で学んだダンテは詩人でもあり哲学者でもあり政治家にもなりました。(ボローニャと言えば「ボローニャ歌劇場来日公演」まであと三か月を切りましたね)ダンテは生まれ育ったフィレンツェ(あのメディチ家のフィレンツェの100年以上も前ですが)の政治家になるも失脚し、政治的に追放されてしまった。35歳くらい。その後数年以内に地獄篇を書きました。現世で道ならぬ恋をした者は地獄に落ちるというキリスト教の教えに従ってダンテは地獄編第五歌で、Francescaのことを記しているが、何となく同情的に感じられる。それもその筈、Francescaの物語は実話に基づいていて、ダンテ20歳のころの一大スキャンダルですが、政治亡命の後ダンテが身を寄せたのは、Francescaの子孫であるラヴェンナ公のGuido Novelloの庇護の下でした。第五歌で、Francescaの霊の話を聞いたダンテは“私も哀憐の情にたえかね、死ぬる思いに気遠くなり倒れ伏した。(集英社文庫「新曲」p71より)”と言っています。私見によれば、当時の世情はキリスト教の教義の実現どころか教会も競って争い、戦争で流血の絶えない悲惨な現実が広がる生き地獄のような光景も珍しくない時代でした。そうした時代の倫理観により断罪されたFrancescaに憐憫の情を示して、暗に権力を批判していると読めます。それにしても、地獄編を読み進むとセミラミス(ロッシーニ「セミラーミデ」)、ディド(ヘンリー・パーセル「ディドとエアネス」)、クレオパトラ(ヘンデル、「ジュリアス・シーザー」)、エレーナ(エクルズ「パリスの審判」、オッフェンバック「美しきエレーヌ」)、トリスターノ(ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」)ジャンニ・スキッキ(プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」)などなど、時代が下がって皆オペラ化された主人公たちの名前が続々出てきて、皆地獄に落ちています。スキッキも情状酌量にはならなかったのですね。法を犯した罪人はみな地獄送りということでしょうか。親鸞の「善人なおもて往生す況んや悪人をや」とは大違いですね。


毎年8月にロッシーニ・オペラ・フェスティバルを開催しているペーザロに行った時、ボローニャから電車に乗って行ったら、途中でリミニ駅を通りました。

日本で上演されるオペラって、すごい有名な作品か、すごいマイナーな作品か、あまりに両極端ですよね・・・。
もっと中間に位置するような、例えばロッシーニだったら「タンクレディ」「ギヨーム・テル」だとか、ドニゼッティだったら「ルクレツィア・ボルジア」「ロベルト・デヴリュー」とか、ベッリーニの「海賊」とか、ヴェルディ「エルナーニ」「ルイザ・ミラー」、あるいは「ファウスト」「マノン」「ユグノー教徒」「ボリス・ゴドゥノフ」とか、CD持ってるのになかなか上演されない演目が上演されたら嬉しいんですけども。

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