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2019年4月13日 (土)

『鵜飼』あれこれ

久しぶりに、能『鵜飼』を見てきました。
番組の中に解説の時間が付いていたのですが、「うがい」ではなく「うかい」と言っていました。「鵜使い」は「うづかい」ではなく「うつかい」と言っていました。「三卑賎」は「さんぴせん」ではなく「さんひせん」と言っていました。
※三卑賎=『阿漕』『善知鳥』『鵜飼』

この『鵜飼』の謡の中に、「鉄札〔てっさつ〕」という言葉が出てきます。浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」にも出てきますね。

今〔いま〕、浄玻璃〔じょうはり〕の鏡にかけ、鉄札〔てっさつ〕か金札〔きんさつ〕か、地獄極楽の境〔さかい〕。

この「今」というのは「now」「今ここで」ということでしょう。
「浄玻璃の鏡」というのは、閻魔大王のもとで裁きを受ける時に、生前の行いが映し出される鏡のこと。「そら、お前はこれだけ悪いことをしたのだから、地獄へ落ちるのは当然だろう」と本人に認識させるためのものなのではないかと思いますが…。
そして、生前の悪行が記されているのが「鉄札」で、善行が記されているのが「金札」なのだそうです。1枚に1つずつ記されている。しかし、「鉄札のほうが多いから地獄行き」とか、「金札のほうが多いから極楽行き」とか、単純な数の問題ではないみたいです。『鵜飼』では、鉄札が無数にあって、金札がたったの1枚だったのに、救われることになった。その1枚だけの金札というのが、「一晩、旅の僧を泊めてあげた」っていうことなのですが、なぜ旅の僧を泊めてあげると救われるのか?

現代では、知らない人が突然やって来て「泊めてください」と言っても絶対に泊めないと思いますが、江戸時代などはわりと泊めてあげたのだそうです。「みんなが旅の苦労を知っていた」ということもあると思いますし、「お互い様」ということもあるでしょうが、宗教的な理由も大きかったみたいですね。「困っている人を助けることによって、困っている自分がいつか助けられる」ということではないでしょうか。
また仏教では、特に僧侶を大切にもてなすことが重要視されています。「仏法僧〔ぶっぽうそう〕」「三宝〔さんぼう〕」などと言って、仏と法と僧の3つが大切なのです。「仏の大切さ」と「法の大切さ」は誰でも分かると思いますが、僧がなぜ大切なのかというと、仏の教えを理解し、実践し、広める役割を担っているからでしょう。宗教というのは「教え」なので、教わらないと分からないのです。自分で考えついたら教祖様になってしまいます。そんな人は数百年に1度しか現れません。別に、僧が自分たちに有利になるように三宝の中に僧を組み込んだわけではないのです。僧がいなければ教えも存在できない。全ての僧侶は人々を救いたいという心を持っているがゆえに仏教を広めようとするわけでしょう。しかし、縁なき衆生は度しがたいのです。仏縁があれば救われるのです。鵜飼の男は自分で仏縁を作っていました。

ところで、あなたの金札はいま何枚ですか?私の金札ははたして何枚ありますかねえ…。(思い浮かばない)

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