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2019年4月 5日 (金)

当て振り

日本舞踊の用語で「当て振り〔あてぶり〕」という言葉があるじゃないですか。
十八代目の中村勘三郎さんが、むかしテレビで「日本舞踊っていうのは基本的に全部、当て振りだからねえ」と言っていたと記憶しています。
それで私は、「歌詞の通りのことを体で表現すること」が「当て振り」なのだと思い込んでいました。
歌詞に振りを当てる。歌詞の通りの振りを当てる。
ところが、ある時、それは勘違いであるということに気付いたのです。

「当て字」という言葉がありますが、これは、漢字を、本来の意味と違うように使うことですよね。
例えば「夜露死苦=よろしく」などです。
漢字の読み方を借りてきているだけで、意味は全く関係ない。
関係ないけれど、字づらが面白い。
面白いから、たまに使われる。

日本舞踊の「当て振り」も、振りが歌詞と関係ないけれどそこが面白い、例えば『関の扉』の関兵衛の「生野暮薄鈍」などが「当て振り」であり、そして、頻度としてはそれほどたくさん出てくるわけではない。

ということが分かった。何年前のことだっただろう?

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コメント

『オペラ』を日本語で表現する時は『歌劇』が今ではほとんどでしょうが、これも当て字の一種と考えられなくもありません。以前には、『楽劇』『阿百拉』などの当て字もあった模様です。
ところで、この間の日曜日、マーラーを聴いて来ました。交響曲第2番ハ短調“復活”です。最近あちこちでマーラーが演奏されている様ですね。hukkatsを名乗っているからにはこの曲は聴かざるを得まいと思い出かけて来ました(2019.3.31.14h~@みなとみらいホール)。マーラーの録音ソフトは、ベートーベンやシューベルトやハイドンやバッハ程の数は持っておらず、ワルターが振ったウィーンフィルやバイエルン放送交響楽団、クーベリックのニューヨークフィルの演奏を時々聴く程度でした。今回は上岡敏之指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏です。上岡さんは神奈川県立の名門、湘南高校から藝大に進んだ異才で、その後ドイツのオケを基盤に活躍、今日の地位を築いた様です。この第2番は100分近くの大曲ですが、会場入り口に「今日は休憩なしの演奏となります」との張り紙がありました。演奏開始直前にトイレに行き、戻ったら2000人程のホールはステージ後ろの二階席正面がごっそり合唱団のため空いている他は、9割方埋っていました。指揮者がやや背を丸めて登場すると、弦約六十人、管約四十人、打約十人の100人を超える規模の演奏者が一斉に挨拶着席、一糸乱れぬ音を出し始めた。
第一楽章はラッパ音が高らかに鳴り響き続け、楽章三分の二くらい進んだパッセジの終わりの音は打楽器でタッタッタダダン!と小気味よく終わる箇所あり、演奏の歯切れが良く潔い感じでした。 第二楽章は弦のアンサンブルが長い楽章で、映画音楽等にも使えそうな優雅な調べ有り。(マーラーの交響曲第5番の第4楽章は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」に利用された。) 第三楽章、冒頭ティンパニーのダダーン、ダンダンという音から導入され軽妙な舞曲風の弦主流の調べから楽章の半ば近くなりラッパが主導するモチーフのメロディが全楽器で鳴り響くのだが、この部分に来ると高岡指揮は疾風怒涛の如く一気に演奏、走り去った、そのテンポの速さにやや驚く。その後変奏がしばらく続いた後再び4分の3くらい進んだ終盤で同様な一気に駆け抜けた演奏の箇所を通過して、ベートーベン風の曲が流れて終了、次のアルトの歌から始まる第4楽章に引き継がれました。非常に短い第四楽章ではmezzoのKathrin Göringが“O Röschen rot…(ああ、赤い小バラよ)”と静かに歌い出した。この歌は、19世紀初頭に編纂されたドイツ民衆詩集『Des Knaben Wunderhorn』を基にマーラーが作曲した同名の歌曲集から転用された「Urlicht(原光)」です。昇天したキリストが天の神のもとに行きたいという気持ちを穏やかに表現したもので、中間部で “天使が行くのを妨げてもそれは出来ない、何故なら「Ich bin von Gott.(私は神からの存在)」”とやや憤慨して歌うがすぐに穏やかになり“神が光で導いて下さる”と歌い終わるのでした。短い歌なので歌手の演奏の良し悪しは余り目立ちませんでしたが。続いて長大な(約30分の)第5楽章は金管のけたたましい音で始まり、ホルンとトランペットが大活躍します。この交響曲は全体的に金管楽器を重用しており、弦はそれらを繋ぐバインダーの役割という感がありました。楽章中盤になると待機していた合唱団が静かに歌いだした。ソプラノが続きます。森谷真理さんという方、オラトリオ歌手の様な静謐な歌い。次第にソプラノとアルトと合唱が交互に又は重なって歌い最後のクライマックスで“Sterben werd’ich,um zu leben(生きるために死ぬのです)”“Aufersteh’n wirst du(汝は復活するであろう)”と締めくくられました。総じて上岡指揮は堅実かつ誠実な演奏との感がした。また曲の一番強い印象はやはり弦以上に管楽器や打楽器特にティンパニーが大活躍した点です。CDでは音が感じなかった鉄琴なども生演奏では心地良いアクセントとしてはっきり聴こえた。またよく知られた打楽器のほかに、ラテン音楽のマラカスの様な音がしたので、あの楽器は何だろうとパーカッション演奏者の手が動くごとに背伸びしてまで見たのですが何か分かりませんでした。後ほど調べたら、『ルーテ (むち)』という楽器の模様。通常木の板をたたき合わせますが、マーラーの 第2番の交響曲では竹を裂いた物をたたいていた様です。ドイツ語では「枝」という意味の楽器「ルーテ」。日本語では「むち」と表記されマーラーは使いたい音色を考えて、細く長い枝を束ねたものを叩く音に辿りついたそうです。2番はマーラーの独奏性に溢れた楽器登用の交響曲とも言えそうです。



「阿百拉」をオペラと読むのは知らないと読めないですね・・・。

マーラーは5番と9番しか聞いたことがありませんが、そのうち全部聞いてみたいと思っています。

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