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2019年6月 3日 (月)

オフシアター歌舞伎

中村獅童さんが中心となって行われた「オフシアター歌舞伎」に行ってきました(5月28日)

歌舞伎が上演されるなんて想像したこともない2つの会場で、同じ配役で『女殺油地獄』が続けて上演されましたが、私は後半の新宿FACEのほうを拝見しました。会場は歌舞伎町のビルの7階にありました。昔はリキッドルームというライブハウスだったそうで、現在はプロレスの興行などが打たれています。歌舞伎町で歌舞伎が上演されたのは初めてのことでしょうか?

普段はプロレス会場だけあって、舞台は四方から客席に囲まれています。ちょっと能舞台のような空間ですが、舞台には屋根も柱もありません。客席はパイプ椅子です。私は南の席を取りました。客席の横幅がとても狭いです。役者は小まめに立ち位置を変えて、どの席にも芝居が届くように工夫していました。ある役者の顔がすごく良く見える場面と、見えない場面とがあり、それが頻繁に入れ替わる感じでした。見え方にムラがある会場でした。

開演前には舞台が白い幕で取り囲まれていて、そこに映像が流されていました。波とか泡とか歌舞伎町の町とか新聞記事とかがコラージュされているような映像でした。そして、ピロピローとかキュルキュルーみたいな電子音が流れていました。しかし芝居が始まると、映像を用いたり電子音楽を使うような場面は一切ありませんでした。
衣裳も普通の『女殺』という印象で、ちらしの写真のような飛んだ衣裳ではありませんでした。与兵衛の借金を取り立てにやって来る役を赤堀雅秋さんが演じていましたが、この人だけ衣裳の様式が違っているように見えました。(赤堀さんは自毛で髷を結っていた?)
ちょっとエコーがかかった竹本の音楽が時折スピーカーから流れていました。

90分で『女殺』が上演できるのかなと疑問でしたが、実際は休憩なしで2時間くらいやっていました。しかも見たことのない場面まで挿入され、かつ「逮夜」まで上演されました。

獅童さんは、貧乏ゆすりをしたり、歌舞伎座ではやらないような独自の不良像を造形していました。獅童さん以外の方も含めて、全体的に本気モードと言いますか、絶叫系の演技が多かったような気がしますね。
殺しの場面はすごく暗い照明で、糊を溶いた水を流すようなことはなく、ハアハアという役者の息遣いが聞こえてきました。お吉の海老反りは北東の方角に向けてなされました。

いろいろな方角に向けて演技をしていましたが、重要な演技は北東か南東に向けて行われることが多く、東が正面という扱いだったようです。終演時のお辞儀も最初は東でした。

赤堀さんが脚本を書いたそうで、分かりやすい言葉に言い替えたり、ちょっとした笑いが入ったりしていましたが、それほど極端な改変はありませんでした。

母の述懐が短くなっていて、「根性の直る薬には、母が生き肝を煎じて飲ませと言う医者あらば、身を八つ裂きも厭わねども」というセリフはカットされていました。文楽で上演されると私はよく泣くくだりですけれども、現代の客には大仰に映るのかもしれません。そこが面白いのにね。

最後の場面で与兵衛が「南無阿弥陀仏」と唱えます。今回の公演では、七左衛門への当てつけのように「南無阿弥陀仏」と言っていました。
私の考えでは、与兵衛のこの「南無阿弥陀仏」は、自分が助かりたいと思って口にしている言葉なのです。「誰でも救ってあげます」「悪人でも救ってあげます」というのが「南無阿弥陀仏」の力であり、それを自分が本気で信じられたら本当に救われるわけでしょう。救われると本気で信じたら救われますよね。死ぬ時に「私は救われる」と信じられたら、救われたのと同じ。
「この上まだ救われるつもりなの?」「こんな悪人でも救われてしまうの?」「それでいいの?」と最後に観客に思わせて宙ぶらりんな気持ちにさせるところに、『女殺油地獄』の醍醐味があると私は思うのです。

全体的に獅童さんの情熱が感じられる公演でした。





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