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2019年7月

2019年7月30日 (火)

失敗

尾上右近さんの自主公演「研の会」のチケットを発売日に取り忘れてしまいますた。
気がついて慌てて電話したところ、すでに完売・・・。キャンセル待ちの中に加えていただきました。
たまにあるんですよね、チケットの取り忘れ。
取り忘れたチケットは、見たい気持ちが足りなかったのだと諦めるしかない、と友人に慰められ、それももっともなのですが、でも私が「研の会」を見たい気持ちは普通の人には絶対に負けませんよ。うえーん。

2019年7月28日 (日)

物価

カップ型のアイスクリームがすごく小さくなっていてビックリ。ハーゲンダッツは前の半分くらいの大きさになった??
ちくわが短くなったり、ポテトチップスがちょびっとしか入っていなかったり。
バターやチーズ、ナッツ類は5年前の倍くらいの値段になっていますね。
これで消費税が上がったら、どうなってしまうのでしょうかね。
だんだん品揃えが貧弱になっていくんですかねえ。


よもやま

池袋に新しい劇場ができるそうですね。

「ハレザ池袋」
「池袋西口公園野外劇場」

ともに豊島区の施設で、今秋オープンだそうです。
すでに「東京芸術劇場」という東京都の施設があるわけですが、そんなに新しい劇場を作っちゃって大丈夫なんですかねえ?東京芸術劇場の芸術監督である野田秀樹さんは、劇場の広報誌の中で、せっかく面白いプロダクションを海外から招聘しても客が入らなくて残念だとかって言ってましたけど・・・。

バレエ団体は「劇場がない、劇場がない」ってずっと言ってるみたいですけどね・・・。
バレエはダンサーの足元が見えないと困るので、前の席の客の頭が邪魔になる劇場ではなかなか上演できないんですよね。って言うと、適した劇場はほとんど存在しないことになるわけですね。適していなくても仕方なく上演するのだけれど、客の集まりが悪いんですね。見えない劇場には行かないですよね。(よっぽど見たいものでない限り)

国よりも、都や区のほうが財政に余裕があるのかなあ・・・と思うのです。出している広報誌をいろいろ見比べると、国立劇場の冊子が頭抜けて貧相ですしねえ。

東京文化会館と新国立劇場が共同でオペラを上演したわけですが、都のお金と国のお金が混ぜ合わされており、かなり大掛かりなプロダクションでした。
ところで、新国立劇場は四面スライド舞台や迫りを備えていますが、東京文化会館は舞台袖が下手に一面しかなく、迫りもありませんので、低いほうに合わせて舞台を作ることになるわけなのです。
東京文化会館は、舞台機構が粗末なのですが、吊り物のバトンは過去の大改修の成果によりすごい強度を持っているのだそうです。
それで今回の《トゥーランドット》の不思議な舞台装置が出来上がったみたいです。

東京文化会館で《トゥーランドット》を見た時、姫のいる宮殿が微妙にゆらゆら揺れていて、怖かった・・・。

新国立劇場の舞台機構はたいへん充実しているのですが、そのぶん設備整備に莫大な維持費がかかっています。あまり使いもしない舞台機構のために莫大な維持費がかかっている。そのお金はもっと別なことに使えばよかったのに、と残念に思うのです。

トゥーランドットの謎

物語を書こうとする時、その手法は大きく2つに分けられると思うのです。

①現実にあった出来事を基にして、そこから話を作り込んでいくもの
②現実の事件に基づいていない、まるきりの作り話

①の例としては、《椿姫》《蝶々夫人》が挙げられます。
ただし、実際にあった出来事と、それを基に作られた物語とは、全く別個のものであり、混同してはいけないと思います。


②は、更に2つに分けられると思います。
A:現実にあった話であるかのように書かれたもの
B:現実には絶対に起こり得ない話

Aの例としては、遠藤周作の『沈黙』が挙げられます。実際の出来事に基づいた作品なのかと思うと、そうではない。ただし、実話に見せかけるために相当量の取材を行っていると思います。
《マノン・レスコー》もAに属すると思いますが、「元ネタが全くないところから書かれた」というわけではなさそうな感じ。

Bの例としては、《ファウスト》が挙げられます。「悪魔に魂を売って若返る」という、現実にはありえない話ですね。
『ドラえもん』『スターウォーズ』『ドラゴンボール』などもBに分類されます。
しかし、『スターウォーズ』を作った人々は、「まるで現実の出来事であるかのように」すなわちAとして作りたかったのかも知れず、そもそも明確に分類できるようなものではないのかもしれません。

歌舞伎のストーリーは荒唐無稽なものが多いとよく言われますが、意外とBの作品は少ない気がします。破天荒な内容の「関の扉」も、登場人物は大伴黒主や小野小町など歴史上の人物ですし、全く理解不能な詞章の「三社祭」も、三社権現の縁起話ですし・・・。妖術使いの仁木弾正にもモデルがいますし。『連獅子』などはBと言えるかもしれません。
鎌倉権五郎などは、「役柄がBである」と言えるでしょうね。

Bの作品には、「現実っぽさ」を最初から放棄したものがあり、例としては『浦島太郎』『一寸法師』『桃太郎』『舌切り雀』、そして《トゥーランドット》が挙げられます。そういう話のことを、日本では「お伽噺」と呼ぶ。要するに「暇つぶし」ですね。(「ひつまぶし」ではありません)

「人生は壮大な暇つぶし」などとも言われます。

そういう類いの物語は、はなから「現実っぽさ」に頓着しておらず、むしろ「現実からかけ離れているところが面白い」と言えるのではないでしょうか。
「話がおかしい」などと言っても仕方がないのです。

そう思った上で、なお《トゥーランドット》は変な話だと思いました。初めて見た時、たいへん驚いたのです。《ランスへの旅》でランスへ行けないっていうのと同じくらい驚いた。
それは「カラフが3つの謎を解いたのに、姫が拒絶する」という点です。自分で決めたルールを自分で破るんですよ。「そんなことが許されるのか!?」とたいへん驚きました。

そんな姫に対し、カラフが1つだけ謎を出すわけですが、その設問内容にも驚きました。
「なぞなぞ」というものは、「考えれば分かる」「分からなくても、答えを聞けば『そうだったのか!』と納得できる」というような質問のことだと思うのです。(実際、トゥーランドットからの設問は3つともそのようになっています)
ところがカラフが出した謎は「知っていれば答えられる」「知らなければ答えられない」という別種のもの。
「それは『なぞなぞ』ではないのでは!?」という急展開に、私はたいへん驚いたのでした。

2019年7月26日 (金)

国立劇場のホームページが酷い

国立劇場のホームページがあまりにも酷い、という話を連続で書いているところです。これまで新国立劇場はホームページを2~3回リニューアルして見やすく工夫しているのに対し、国立劇場はもう20年近く酷い状態のままずっと放置されています。この一件だけを見ても、「計画」や「評価」といった膨大な作業が何の役にも立っていないということがよく分かると思います。

どういうところが酷いのか具体的に書きますと、国立劇場のホームページには「公演検索」というボタンがあります。「劇場を選ぶ」「ジャンルを選ぶ」「公演期間」とあって、いくつもプルダウンから条件を選び出さなければ検索できません。そんな面倒くさいことをする人がいるのでしょうか?「ジャンルを選ぶ」と言っても、もともと国立能楽堂ではほとんど能・狂言しか上演しませんし、国立演芸場ではほとんど演芸しか上演しない、それは劇場の名前を見れば誰でも分かることです。

すでに1度「国立劇場」のページを開いているのに、「公演検索」でまた「国立劇場」をもう1度選択しなくてはいけない状態なんて、おかしいと思うのです。「公演検索」よりも「公演カレンダー」が欲しいわけなのです。どこの劇場のホームページにも、普通は「公演カレンダー」がありますよね?国立劇場のホームページは、必要のない「公演検索」があって、必要な「公演カレンダー」がない状態なのです。一番重要な公演情報が根本から駄目なのです。


試してみていただきたいのですが、「公演検索」の「ジャンルを選ぶ」で「文楽」を選択すると、「文楽素浄瑠璃の会」がヒットしないのです。ヒットしない公演は「存在しないもの」と思われてしまいます。

公演情報は「本日の公演」「今月の公演」「来月の公演」「再来月以降の公演」の中から選択することになるのですが、「再来月以降の公演」とは、あまりに大ざっぱだと思いませんか?
国立演芸場や国立能楽堂の「再来月以降の公演」なんて、下にずらずらと文字ばかりの情報が出てきて、びっくりしてしまいます。なぜ月ごとに整理できないのでしょうか。

いま、国立劇場のホームページで「来月の公演」のボタンを押すと、「大劇場の公演」の欄に「来月の公演予定はありません。」と表示されます。いえ、実際は公演がないわけじゃないんです。8月は、玉三郎さんや海老蔵さんが出演予定でチケットが発売と同時に完売した「古典芸能を未来へ」という話題の公演があるのです。貸し劇場の公演だから手抜きをして公演情報がまだ入力されていないだけなんです。いつも月末に、翌月分の貸し劇場公演をまとめて掲載するみたいです。つまり月のはじめのほうの貸し劇場公演は、ほんの数日しかホームページに情報が載せてもらえない状態です。

「古典芸能を未来へ」は、大劇場で行う公演を、隣の小劇場でライブビューイングするという珍しい企画。話題の公演ですし、国立劇場は初めてというお客様も多いと思うのです。そういう方が国立劇場のホームページをチェックすることもあると思うんですね。そこで「来月の公演予定はありません。」なんて表示が出たら、国立劇場に対して、すごくマイナスの印象を持つと思いますけどねえ。

ちなみに貸し劇場は、ほとんどの公演が「その他」のジャンルに分類されています。「その他」って、会主に対して失礼じゃないんですかね?

2019年7月25日 (木)

オッフェンバック・イヤー

子供の頃に憧れた職業の中で、「コピーライター」というものがありました。
つまり「広告の宣伝文句を考える」というような仕事です。
限られた短い文字数で注目を集め、商品を売る。
俳句みたいで楽しそう、と単純に思ったものでした。
一説に、一番の売れっ子コピーライターで「1行で2千万稼ぐ」と言われていました。
1行2千万、うはうは、うははは。

憧れの職業、
なれる職業、
なれない職業、
なり方の分からない職業、
職業選択の不自由。

キャッチコピーというものを目にする機会が激減したように思う。
気の利いたコピーを見かけない。
売る気があるのかと不思議に思ったりもする。

今年はジャック・オッフェンバックの生誕200年記念なのだそうです。
オッフェンバックで一番有名な作品は、オペレッタ《天国と地獄》で、これは作品名を知らない人でも曲を聞けば分かるでしょう。
あとはオペラ《ホフマン物語》くらいでしょうか。
《美しきエレーヌ》《ジェロルスタン大公妃殿下》の映像が昔ちょっと話題になったことがありましたが、日本ではまず上演されないですよね?

何だかんだ言っても、記念年になると上演機会が増えるんですよね。去年はロッシーニ没後150年だったのですが、通常年の倍以上、ロッシーニ作品が上演されたと思うんです。

ケルンのオッフェンバック・イヤーのキャッチコピーで「YES,WE CAN CAN」というのを見かけました。なかなか洒落ているコピーだなと思いました。
今どき、オッフェンバックを見に行っても、お目当てのカンカンが見られるのかどうか、怪しいものだと誰もが思うでしょうから・・・。

2019年7月21日 (日)

新国のトゥーラン

ただいま上演中の《トゥーランドット》を見た!
上野の東京文化会館でAキャスト、初台の新国立劇場でBキャストを見たのです。
今回の演出はハッピーエンドではないという演出家の謎めいた言葉が事前に出回っていました。初日が開いてずいぶん経ちますが、まだネタバレしちゃ駄目なんですか。いつまで駄目なの?札幌公演が終わるまで??
よく「ネタバレするなんて酷い!」などと言う人がいますが、初日が終わったら基本的にネタバレするものだと私は思っていますけどね。「オペラの公演で一番重要なのは初日」と昔から相場が決まっています。演出家のフランコ・ゼッフィレッリは初日が終わると帰ってしまったそうですし、マリア・カラスのライヴ録音も初日ばかり。人の口に戸は立てられません。なぜ初日が重要なのか、考えてみてください。
このブログは常に「ネタバレあり」のブログですので、よろしくお願いします。

普通だったらどこかへ運ばれていくはずのリューの死骸がいつまでも舞台に残ったままだったので、おや?とは思っていたのです。トゥーランドットがリューの死骸にずっと寄り添っていたので、「これは最後にトゥーランドットがリューの死骸に口づけして衝撃のラストを迎えるのか!?」と思ったら、トゥーランドットがナイフを手に立ち上がってカラフのもとへ近づいていったので、「これは最後にトゥーランドットがカラフを刺し殺して衝撃のラストを迎えるのか!?」と思ったのです。そうしたら全然違うラストだった・・・。
リューが死んでいるのにハッピーエンドはあり得ない、とかって演出家が言ってるようですが、「あり得ない」って言い出したらこの話は全部「あり得ない」と思いませんか?「朝までに彼の名前が分からなかったら全員死刑」ですよ?どんだけ恐怖政治なの?一番有名なアリア「誰も寝てはならぬ」のバックコーラスで「もうすぐみんな死ぬ~、死ぬ~」って歌っているんですよ?こまわり君じゃあるまいし・・・(古い)
例えば「浦島太郎」で、「浦島太郎だけ年を取らないのはあり得ない」とか「箱を開けると急にお爺さんになるのはあり得ない」とか「開けるとお爺さんになる箱をお土産に贈るのはあり得ない」とか言っても仕方がないと思いませんか?子供のころ「どうして?どうして?」と言ったら「そういう話なの!」と一喝されたものでしたよ。まず話を肯定しないと疑問も意味をなさないと思いませんか?

《トゥーランドット》は有名な演目ですけれども、私は最初、この作品が好きではなかった。何でこんなに何度も「サングエ」なんだろうかと思いました。ピン・パン・ポンの三重唱にいたっては、「この場面を作曲する時間があったら先に終幕を作曲してから死んでくれれば良かったのに」と恨んでいたほどでした。それが何度も聞いているうちに、だんだんと好きな場面が増えていき、ピン・パン・ポンの三重唱の味わい深さというものが分かってくるようになったのです。

今回の演出でピン・パン・ポンがどういう人たちなのかよく分かりませんでしたけれども、三重唱を歌う時は「体制側の服装」をしていないと、ぼやきの悲哀が出ないと思いました。

今回の歌手は圧倒的にAキャストが優れていて、Bキャストはイマイチでした。でもBキャストが良かったという感想もネット上で見かけました。「人それぞれ」「どちらが良かったという感想に意味なし」
しかしAキャストには音程が不安定な歌手が2人いて、Bキャストにはオケとテンポがズレる歌手が4人いた、これは感想ではありません。

今回、結末を変更したことによって感動した人って、どれくらいいるんですかね?私はフランコ・ゼッフィレッリ演出の《トゥーランドット》を愛していて、今回の演出には全く感動しませんでした。
このプロダクション、絶対に再演されないですよね?1度きりのドッキリ演出のために、どれだけの税金を投入するのでしょうか?
読み替え演出に接するたびに、「そんなに変えないと楽しめないのなら、無理して上演しなければいいのに」と思うんですけど。

《トゥーランドット》で言いますと、あり得ないおとぎ話ではありますが、だから駄目だとは私は思わないですね。「命を懸けた恋」というのがカッコ良いではありませんか。

聞き取り能力について

日本には様々な伝統芸能がありますが、西洋の伝統芸能であるオペラやバレエと比べて、言葉の重要性の割合が格段に高いと感じます。オペラの世界で一番偉いのは作曲家、バレエでは振付家。日本の芸能では「作」と言えばすなわち「台本を書いた人」のことであり、作曲家や振付家は名前さえ伝わっていない場合が多いです。どんなに優れた作曲や振付であっても。
そして落語などの話芸の場合、台本もなく口承で伝わり、従って作者さえ不明、ということも多いですね。(多いと言うか、ほとんど?)
このすごい話の作者が不明だなんて、一体どういうことなの?と不思議に思うこともあります。
しかしまあ考えてみれば、言葉自体はもともと自分で考え出したものではありませんし、借りてきたものだと思えば、やがて「その土地のもの」へと帰っていくのではないかという気もいたします。

ところであなた、どの程度聞き取れていますか?
私の場合、落語・講談・浪曲であれば、ほとんど全て聞き取れています。稀に「知らない固有名詞が聞き取れない」ということはあるかもしれないけれど、「えっ、ちょっといま何言ったのか分からなかった」ということはほとんどないです。これから耳が遠くなってくると、どうなるか分かりませんが・・・。(すでに遠くなり始めている)
志ん生の録音を聞いていると、聞き取れないところがありますけどね・・・。(滑舌悪くないですか?)
このあいだ講談を聞いていて、「おわい屋は黄色」という言葉が聞き取れてしまい、脳にこびりついてしまいますた。他のお客さんは聞き取れていたのでしょうかね。やってる人は聞いてる人が聞き取れると思ってやってるんでしょうかね?客をどの程度、信用しているのでしょうか?
立川談志さんは「自分の客は頭がいい」と言ってましたけど、背負ってますよねえ。でも確かに、分からない人は寄ってこないのかもしれません。

しかし、これが「歌舞伎音楽」ということになると、あまり聞き取れていないと思う。文楽で上演される演目であれば、床本でテキストを読む機会があるので、目から頭に入っているということがありますけれども。

古いVHSのビデオテープを捨てようと思っているんですけど、「捨てる前に1度は見なくては」と思うと、見る時間がなくてなかなか捨てられません。「見ないで全部捨てる」というのが「断捨離」ですよね。そこまで悟れないのです。煩悩だらけで。
先日、團十郎さんと玉三郎さんの「落人」の映像を見たんです。もう信じられないくらいの名演で、しかもNHKの映像もなかなか良く撮れているのです。まるで絵が動いているみたい。原作にない道行をよくもまあこんなにも美しく作り出したものだと改めて深く深く感動しました。作者は誰だろうと思って検索してみたら、三升屋二三治〔みますや・にそうじ〕の作だそうです。知っていましたか?
原作の『仮名手本忠臣蔵』では、おかる勘平は山崎でいつの間にか夫婦暮らしをしているわけで、その唐突な変貌ぶりに昔の観客は驚いたのでしょう。でも現代の客は先にあらすじで読んでいるから驚きません。
「落人」には「2人が夫婦になる瞬間」が描かれていて、おかるが初めて自分はお前の「女房」だと口にする場面がありますね。玉三郎さんの演じるおかるが、初めて「女房」と口にする直前、一瞬だけチラと勘平のほうを見る目づかいのすごさ、まさに神業、この一瞬に宇宙の全ての美が凝縮されていると思いました。儀式も誓いもなく、ただ好きな2人がお互いに夫婦と思えば夫婦なのだという衝撃の一瞬です。世界中の人がこの映像を見てくれたらいいのに。
しかし果たして自分は「落人」の詞章が聞き取れているのか言いますと、あまり聞き取れていない気がしたのです。何度も見ている演目ですが、聞き取れているような、聞き取れていないような、不思議な演目です。

歌舞伎の演目で言うと、「馬盥」のような演目は、いまだにセリフを聞き取れていないような気がします。言葉そのものが聞き取れないというよりも、何を言っているのか中身がよく理解できない、という感じでしょうか。

しかし、よく言われることですが、「理解」と「感動」はまた別のものであることも確かなのです。実体験として。

さらに「能楽」の場合、もう全然聞き取れないですね。私は能を見る場合、必ず事前に詞章を確認します。それも、ただ詞章を読むだけでなく、注釈が付いているものを入手します。
よく能楽師の方が「気軽に見に来てください」とか言いますけれども、事前に詞章を読まずにいきなり舞台を見て能に感動するなんてことがあるのでしょうか?活字で何度も読み直していてもすぐには入ってこないのに。(事前に詞章を読んでいてさえ聞き取れない時があります)
能の観客は「能を習っている人」とイコールだった時代が長く、詞章を諳んじている前提で演じたものだったそうです。しかしそういう時代は終了したので、現代は「能の事前講座」というものが盛んに催されています。そもそも能楽師は「演じる人」であると同時に「教える人」でなくてはならず、能の上演自体は昔のとおりであっても、教え方は時代に合わせてどんどん変化していくものでしょう。事前の「見る準備」も含めて楽しい、というふうに舞台をプロデュースする方向へ、シフトせざるを得ません。能楽師は腕の見せどころですね・・・。

2019年7月20日 (土)

海老蔵さん・・・

海老蔵さん、ちょっと痩せすぎじゃないですかねえ?
『義経千本桜』の三役を勤めるだけでも大変なのに、十三役早替わりって、もう本当にびっくり企画ですよ。まさか誰も考えつかない。普通に「千本桜通し上演」じゃ駄目なんですかね??
お体を大切になすってくださいね・・・。

Who cares?

私は大学2年の時、平成4年から歌舞伎を見始めたのです。とても貧乏だったので、見たい公演を全て見ることは出来ませんでした。食費を削って歌舞伎を見ていたんですね。文字通り「3度のメシより歌舞伎が好き」という状態でした。その後、平成7年に就職してからは、お給料がもらえて、見たい公演がいろいろ見られるようになりました。だいたい平成10年の片岡仁左衛門襲名披露あたりから、それまで3階B席でばかり見ていたのが、1等席でも見ることが多くなりました。平成13年4月から16年3月まで大阪勤務でしたが、3年間の内ふた月ばかり、歌舞伎座を見ることできず悔しい思いをしました。その頃は本当に忙しくて、仕事をしているか芝居を見ているか寝ているかくらいしかない生活でした。そして東京勤務に戻ってからは、毎月欠かさず歌舞伎座の昼夜公演を見ていると思うんです。
4時15分開演だった時に、4時30分開演だと勘違いしていて、最初のほうが少し見られなかったという経験がありましたが、それ以外は全部見ているんじゃないかと思います。国立劇場の歌舞伎を見ないことはあっても、歌舞伎座を見ないことはなかったのです。
それが!今月15日!!まさかの公演中止。7月公演はすでに完売しているので、海老蔵さんが復帰してもしなくても、歌舞伎座連続観劇の記録はストップか?!がびーん。大ショック!!

ショックショックと言っていたら、「不可抗力だからノーカウントでいいんじゃないですか」と慰められ、でも見た人がいるのに自分が見ていないのは諦めきれない!!
「お百度参りじゃあるまいし、一回欠けたからって何だっていうの?」「誰が気にするの?」とも言われました・・・。まあ、確かに・・・。

しかし、見たり見なかったりが混ざっていると、あとになって見たんだか見ていないんだか分からなくなってしまう、ということがありますよね。感動しなかった舞台のことは見たことさえ忘れてしまう。でも、毎回見ているのだったら、忘れてしまっても間違いなく見ているのです。

そうしたら18日に復帰するという公式情報が出て、しかも「戻りチケット」が入手できたのです。普段だったら絶対に買わない2階後方の席で、高額でしたが、背に腹は代えられない。「明日は早退して歌舞伎座へ行きます」と宣言し、届けを出しました。
ところが17日の夜になって、復帰取り消しの松竹からのメールが!!私の47年の人生の中でも屈指のびっくり体験でした。1度宣言した復帰を取り消すなんて、一体どうしたことなのでしょうか??

でも、職場の同僚が、復帰の延期を予言していたので、その予言が当たったことにも驚きました。

すると今度は19日に復帰するという公式情報が出て、またしても「戻りチケット」が入手できたのです。15日に取っていたチケットと同じ、3階A席でした。だいぶ後ろになってしまいましたけど。意外と入手できるものなんですねえ。早退の日にちを変更する手続きを取りました。

本当に見られるのかな?と半信半疑で歌舞伎座に行ったら、ちゃんと観劇することができました。ホッ。

「待ってました!」「復帰おめでとう」などの大向こうはありませんでした。
大向こうは最初1人しかいなかったみたいですが、「川連法眼館」になったら人数が増えていましたね。大向こうって、サラリーマンが退勤してから駆け付けるものだったのでしょうか??
序幕の劇中口上みたいなので、海老蔵さんが「3日間休んでしまいました。今日は精一杯勤めます」というようなことを仰っていました。

2019年7月15日 (月)

海老蔵さんの休演

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今日は歌舞伎座の夜の部を見る予定だったのですが、行ってみたら公演中止でした。
正面入口に人だかりが出来ていて(開場時の人だかりはいつものことですけれども)、トランジスタメガホンで公演が行われないことが告げられていました。よく聞こえなくて何が起こったのかと思いました。
張り紙には「体調不良により」と書かれていたので、何の病気だろうかと心配しましたが、海老蔵さんのブログによれば「急性咽頭炎」とのことです。
いろいろなことが起こりますね・・・。もう本当にショック。
7月の歌舞伎座はチケットが完売していますので、海老蔵さんが復帰しても・しなくても、もう私はこの公演を見られないんだなあと思ったら、ガックリ来てしまいました。
ずっと歌舞伎座を見てきたのも、これで途切れてしまうんだなあ・・・。

国立劇場のホームページが酷い

国立劇場のホームページが酷いということをシリーズで書いているわけなのですが~。
どういうところが酷いのか分からない人もいるみたいなので、具体的に書いていきたいと思うのです。

大阪の国立文楽劇場でもうすぐ「夏休み文楽特別公演」が始まるのですが、第1部と第3部は「あらすじ」もないし「見どころ」も書かれていないですよね。チケットがかなり売れ残っているのに、宣伝が弱すぎるのではないでしょうか?特に第3部の演目なんて、20年以上文楽を見ている私でも見たことがないくらい珍しい演目なのに、何の説明もない。イヤホンガイドが借りられるのかどうかの表示もない。こんな難しいタイトルの作品、自分には分からないんじゃないかと思われても仕方ないですよね?
恋のもつれから殺人にいたる物語で、予備知識がなくても気軽にお楽しみいただけますとか、殺しの場面では暑い夏の夜に涼を感じていただける「本水」を使った雨が降りますとか、何か宣伝文句はないものなのでしょうか?現状は外題と場名だけですよね?それで客が入るほうが不思議じゃないでしょうか?


「国立能楽堂ショーケース」も、「萬福寺の梵唄」も、「稚魚の会・歌舞伎会合同公演」も、「この公演はこういう公演です」という宣伝文句が一切ない。そうして「ちらしが張ってあるじゃないの」とかって言うんですよ。しかし、ちらしのpdfを開いて細かい文字を読む人はいないと思います。

そして英語版ホームページでは「Obakushu Daihonzan Manpuku-ji no Bonbai 」などと書かれている。これは英語なのでしょうか?

2019年7月13日 (土)

希望シリーズ「そのままの灰皿」

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これは、国立劇場の写真なんです。
むかし、喫煙場所の灰皿だった。
ところが何年前でしたか、世の中の分煙化の流れに乗って、
このスペースは禁煙になった。
で、灰皿の上に板を置いて、黒い布テープで固定してある。
私はですね、これは仮の処置だと思っていたんです。
綺麗に整備し直すまでの経過措置。
ところが、これが変わらない。
もう何年も経っているのに、一向に変わらない。
お金がないわけじゃないと思うんですよ。
他のことには使っています。

 

私が、
これっておかしくない?どうしてずっとこのままなのか、変だと思いませんか?
と言うと、
私より下の世代の人は、そうですよねえ、何でこのままにしてるんでしょうねえ、
と同意してくれる。
私より上の世代の人は、こんなものなんじゃないの、これでも昔よりは良くなったほうですよ、
と反論されてしまう。

 

昔よりは良くなった、
確かにそうかもしれない。
昔はもっと酷かったんです。
国立劇場へ行くのに、どうしてこんな裏寂しい道を歩かなくてはいけないのだろうかって思ったものでした。
何だか知らないけれど、歩きづらい砂利の上を、みんなでジャリジャリ歩いていた。
さびしい感じだった。

 

戦後の何もないところから、よくここまで来た。
昔は映画館も汚かった。
昔は駅も汚かった。
昔は新幹線の中も汚かった。

 

私は国立劇場のこの灰皿跡の美しくなさにもう本当に耐えられないのですが、
上の世代の人は何とも思わないみたいなんです。
美しいものを普通に見ている若い世代の人たちが、
いつか国立劇場を美しく変えてくれるのじゃないかと思って、
私はずっと待っているのです。

 

※これは6年くらい前に、このブログに書いた記事の再掲です。

 

 

国立劇場のホームページが酷い

「国立劇場のホームページが酷い」という話をずっとしているわけなのですが、今回は国立能楽堂のホームページのことです。(国立劇場も国立能楽堂も、運営しているのは同じ人々)

国立能楽堂では、能楽を題材とした公開講座を毎月行っているのですが、この情報をホームページ上で探し出すのはとても難しいと思います。内容は意欲的なものなのにもかかわらず、宣伝が行き届かず、「公開講座があることをすでに知っている人」しか応募できないような状況です。ひっそりと掲載された情報もわずかなもので、「今回はこのような内容の講座です」という案内文も一切なく、数文字のテーマが書かれているだけ。講師の略歴や顔写真もないし、「講師から内容について事前にひとこと」もない。あまりに不親切すぎると思いませんか?

2019年7月10日 (水)

翔之會

私は国立劇場(の事務棟)で働いているのですが、敷地内のちらし立てに「翔之會」のちらしがあったので手に取ったところ、『京鹿子娘道成寺』を踊るのは鷹之資さんではなく、愛子さんだったことが判明しました・・・。鷹之資さん→二十歳→『娘道成寺』という頭があったので、てっきり鷹之資さんが『娘道成寺』を踊るのだと思っておりました・・・。

2019年7月 9日 (火)

ベルカント情報

新宿にあるガルバホールという小さな会場で、ドニゼッティの「女王三部作」が上演される予定だそうです。オペラカフェマッキアート58という、二期会オペラ研修所・第58期牧川クラス修了生の団体だそうです。もちろんピアノ伴奏ですが。
なかなか聞く機会のない貴重な上演ですね。

2019年7月 7日 (日)

トゥランド・トゥーラン

●今年の2月に亡くなったドナルド・キーンの新著『オペラへようこそ!』が本屋に平積みになっていました。パラパラと立ち読みしたのですが、「トゥーランドット」のことが「トゥランド」と書かれていて、何のことだか一瞬分かりませんでした。
英語圏の方からすると、さぞかし日本のカタカナ表記に納得のいかないところがあることでしょうね。
私が思いますには、「トゥーランドット」を実際の発音に近くカタカナで表記すると「トゥーランドッ」になるのではないかと感じますが、どうでしょうか。
カタカナ表記は、原語の発音に近いほうが良いのだろうとは思いますけれども、どう頑張っても同じにはなりませんし、日本人同士で同じ表記を共有していることのほうが大切なのではないかという気がいたします。原語に近い発音を求めて表記がくるくる変わったり、1人だけ異なる表記を用いたりするのは、おかしなものです。そもそも、外国人と会話する時にカタカナ発音が通用するとは誰も思っていないでしょう。(イタリア語はわりと通用するかもしれませんが)

●私は日本芸術文化振興会に勤めているのですが、新国立劇場の職員の方と話していると、「トゥーランドット」のことを「トゥーラン」と省略して言う人が多いですね。「ドン・ジョヴァンニ」のことを「ドンジョバ」と略す人も多いです。あとちょっとなのに、少しばかり省略してどうするのだろう?と不思議に思います。
私などは、十七代目の中村勘三郎から、外題を省略してはいけないと厳しく仕込まれたので、作品のタイトルを省略して言うことはありません。(言ったとしたらそれは冗談)
私は十七代目中村勘三郎に会ったこともないし、生の舞台を見たことさえないのですが、ものの本にたびたび書かれているのですから、そう思っちゃいますよねえ。



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