« 国立能楽堂のホームページが酷い | トップページ | 研の會 »

2019年9月 1日 (日)

市川海老蔵展

日本橋高島屋で開催されている「市川海老蔵展」を見てきました。
衣裳、舞台写真、舞台映像、インタビュー映像が主に展示されていました。
代々の市川團十郎ゆかりの品などがもっと展示されているのかと思っていましたが、そういうものは少なめでした。十代目團十郎関連の品がいくつか見られたのが珍しい感じでした。

むかし、国立劇場の資料展示室で「市川団十郎展」をやったことがあると思いますが、代々の團十郎の書や画が展示されていて、俳優でありながら書や画にも秀でているという「文化人としての多面性」を感じることができました。むかしの国立劇場の資料展示は豪華だったんですよね。いまは予算を削られ、すっかりしぼんでしまって・・・。

むかし、江戸東京博物館で十二代目市川團十郎丈の講演会があったのですが、代々の團十郎が書、画、俳句、漢詩などの英才教育を受けていたという話題になり、聞き手が「そんなにたくさん、大変なんですね」と言ったところ、團十郎丈は「そんなのは普通じゃないですか」と話していらっしゃいました。團十郎が大変なのは普通のことなんですね。

ところで、いまの海老蔵さんも、そのような英才教育を受けたのでしょうかねえ?

展示会場で流された映像の中に、花火を借景として海老蔵さんが立ち廻りをする野外公演の映像がありました。次々と打ち上げられる花火の中に、市川家の紋である「三升」をかたどった花火があって、驚きました。四角い花火って、どういう仕組みになっているのだろう?しかも、四角形の一角からその対角に向かって色を変えながらキラキラと輝いていくという、見事な花火でした。すごい。

展示会場に掲出されていた代々の團十郎の錦絵は、複製画に見えたのですが、どうなのでしょうか。

« 国立能楽堂のホームページが酷い | トップページ | 研の會 »

1 歌舞伎あれこれ」カテゴリの記事

コメント

確か今度海老蔵から團十郎に襲名するのでしょう?あれもうしたんでしたっけ?まだですよね。門外漢の私でも『市川團十郎』と聞いたら特別な響きを感じます。歴史に残る大みょうせきなのでしょう。益々精進されてこれまでにない新しい業績も作り上げて、きっと立派な團十郎になられることでしょう。
ところで一昨日金曜日サントリーホールでオーケストラ演奏及びVnコンチェルトを聴いて来ました(2019.8.30.19h~≪ミカエル・ジャレル管弦楽曲≫@サントリーH)。サントリーホールでは財団50周年を記念して、8月下旬に『サマーフェスティバル2019』を行っており、その一環としてスイス出身の現代音楽作曲家ジャレルをテーマ作曲家として選び、その手になる②「四つの印象…Vnとオケのための協奏曲」と③「...これまでこの上なく晴れわたっていた空が突然恐ろしい嵐となり...」の二曲、及びジャレルが推薦した横井佑未子(ジャレルの弟子)作曲の①「メモリウムⅢ」と、アルバン・ベルク(20世紀初頭に活躍したオーストリアの作曲家)作曲、④「管弦楽のための3つの小品 作品6」の合計四曲が、休憩を挟んだ前半と後半で演奏された。管弦楽演奏はパスカル・ロフェ(仏)指揮の東京交響楽団(大野和士音楽監督)、②のVn演奏はルノー・カプソン(仏)。正直言って、私は古典音楽に毒されている(?)せいか現代音楽は余り興味が持てないのです。進んで聴きたいと思ったことはないのです。でも今回のフェスティバルでは、もう一人のキーマン大野和士が語る現代オペラのクロニカルを、聴いてみたいと当初思ったのですがその日の都合が悪く、もう一人のキーマン「ミカエル・ジャレル」という名前を以前“欧州で活躍する作曲家”と何かで読んだ記憶があり、また演奏予定の資料を見るとベルクの曲以外は、『世界初演』とか『日本初演』という言葉が踊っているので、頭の中の既存の「現代音楽のイメージ」を若しかしたら払拭出来るいい機会かなと思って、急遽チケットを取ったのでした。
先ず①ですが、それほど広くないサントリーホールのステージ一杯に、所狭しと様々な楽器が鎮座しているのに少し驚く。特に打楽器群が通常のオケでは使わないものが多くあります。のど自慢に似た鐘とか金属の大、中、小の金属皿をぶら下げた様な楽器とか、木箱の上にハンマーが置いてあるといった具合です。プログラムを見るとTam TamとかTomTomsなどと書いてある。この曲は10分程の曲で「改訂版世界初演」という事らしいのですが、何のことはない2013年にフランスのラジヲ番組で初演放送された曲に手を加えたという事らしい。作曲した本人によれば、『一部変奏された同じ曲』として受け取ることもあるだろう”し“印象に残りやすい素材と残りにくい素材の違いは何だろうか、どれだけの情報をどれだけの時間、記憶に留めておけるのだろうか”という“記憶に関する実験・経験が、出来る場”としての曲だそうです。ということは、変奏曲以前の原曲を聴いていないと実験には参加出来ないですね。作曲者のための実験曲ですね。兎に角、演奏は弦部門より打や金管部門の音が優越していて、目をつぶり冥想して聴いていましたが、あたかも墓地の墓石の間を魑魅魍魎の集合が暫く飛び回り、朝の到来と共にそれが一陣の突風に吹き飛ばされ、静寂に戻る情景が浮かびました。
次の②は当該Vn独奏者に捧げられた曲で世界初演という事です。ルノー・カプソンはたびたび来日しているフランスのヴァイオリニストで、2015年にN響との共演で、メンデレスゾーンのコンチェルトを弾いた時の印象が鮮烈だったので、また聴いてみたいとも思ったのでした。でも曲を聴いてVn奏者は疲れるだろうなと思う位速いピッチカートだけで演奏したり、小さな音の連続でジャジャジャジャ、ジャジャジャジャとせわしく速いテンポで弓を動かす奏法など、まるで独楽鼠か働き蟻が休みなくせわしく働いているが如く、演奏し終わったカプソンさんは憔悴しきっているようにも見えました。オケの演奏も変わっていて、シンバルの様な金属を支柱で支え、それを弓でこすって音を出したり、トランペットの吹き口を手の平で叩いて音を出したり、チューバも手でたたいていました。それにしてもチューバの弱音器は大きいですね。①と②では演奏後作曲者の横井、ジャレル氏ともに客席からステージに呼び寄せられ挨拶していました。
 20分の休憩の後、③と④のオケ演奏。客席は一瞥した限りでは、前半の7~8割の入りが若干減って6割位になっていたでしょうか?③はプログラムによると静と動のコントラストを意識している作品の様ですが、実際聴くと、スタートの動から静⇒動⇒静⇒動⇒静の細かい変化があり、タイトルの『恐ろしい嵐となり』は、他のケースの様な非常に激しい嵐の演奏というよりは、突風が吹いた程度に感じました。全体としてオーケストレーションの纏まり感より、器楽部門部門の分散的交錯といった感が強かった。①もそうでしたが弦部門の活躍は余りなくて目立たず、打と金管の目立った曲でした。トロンボーンやトランペット等金管は弱音器を頻繁に使用し、トランペットの一人など異なる4種類もの弱音器を前の小さなテーブルに並べて、せわしく外したり付け替えたりしていた。
最終曲④はウィーンで生まれウィーンで活躍、50歳で早逝したベルクの作品で、前奏曲、輪舞、行進曲の3曲から構成されます。全体としてオーケストレーションの纏まりのある響きで、第3曲の多重に織りなす分厚い感の音は迫力がありました。ここで特筆すべきは打楽器です。最終場面で大きなハンマーが頑丈な四角い木箱楽器を、最初控えめに強く2回と弱く1回、暫くして最後強く大きく1回、そして最後の最後もう1回箱が壊れるのではないかと思われる位強くたたき下ろされ終了したのでした。これはマーラーの影響でしょう。
 全体を聴いた感想は、自分の頭にある現代音楽の固定観念を変えることはなかったものの、大変面白い見ていても楽しい演奏会でした。


海老蔵さんは来年、團十郎を襲名する予定です。チケットが取れるのか心配です・・・。

現代音楽と言いますと、オペラでダッラピッコラ作曲の《囚われ人》、ラッヘンマン作曲の《マッチ売りの少女》などを見た記憶がありますが、全く理解不能でした・・・。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 国立能楽堂のホームページが酷い | トップページ | 研の會 »