《ランスへの旅》あれこれ
《ランスへの旅》は、フランス国王シャルル10世の戴冠を祝うために作られたオペラで、最後の場面はシャルル10世への讃歌となるため、現代人とは何の関係もなく、演出に苦心するところである、というようなことが言われたりします。
しかし、ワーグナー作曲のオペラの中にも「ドイツ万歳」という結末を迎える作品がありますし、他にも「(キリスト教の)神を讃えましょう」というような、多くの日本人にとって何の関係もないオペラもいくつか存在します。
イタリアに行ってたくさんの絵画を見て回りますと、そのほとんどが「キリスト教」か「ギリシャ神話」を題材にしたもの、あるいは「貴人の肖像画」が多いのです。私の生活には関係のないものです。そして、誰もが美しいと感じるはずの花鳥画は実に少ない。しかし、私はキリスト教徒ではないのにもかかわらず、イタリア絵画を楽しむ能力を持ち合わせているのです。それはイタリア人からすれば不思議なことだろうと思います。一番肝心な点を抜きにして、でも充分に作品を楽しんでいるのです。
能楽、文楽、歌舞伎を見ておりますと、仏教を信仰する心がないと肝心のところは理解できないだろうと感じます。しかし、肝心のところが理解できていなくても、結構楽しめてしまうのです。日本人は結構楽しんでしまいます。
ヨーロッパ各国の貴族が集う物語を、日本人歌手だけで演じる不思議な公演《ランスへの旅》。むかしの日本のオペラ歌手は、西洋人を演じるために化粧、鬘などで必死に変装しようとし、「それが面白かった」とも言えますし、他方で「それがかえってもの寂しい雰囲気を醸していた」面も否めない。現代のオペラ歌手、歌手だけでなくストレートプレイの俳優も含めて、日本人はそういうことをあまり、しなくなった。そのまま舞台に出てきて普通に外国人を演じている。私はむかしの舞台を知らないので、よく分かりませんが、フランス人らしさ、ドイツ人らしさ、ロシア人らしさ、イギリス人らしさ、そういうものを表すのは主に「衣裳」の役割となったのでしょうか。
《ランスへの旅》では、大勢の歌手が出てきて歌唱を競うわけですが、最も難しい役はドン・プロフォンドではないかと私は思うのです。この人の歌うアリアは、まだランスへ行けると思っていた時間の高揚感が込められており、たいへん美しい歌ですが、前半は各国の特徴を早口で歌い分ける技巧的なものとなっています。蘇演にあたってこの役を再創唱したルッジェーロ・ライモンディの録音が残されていますが、よくぞこれだけ歌い分けたと深い感銘を覚えます。本当に信じられない名演です。歌唱の力だけで国を歌い分けるなんて。
教会が国王に冠を授けることを祝う特殊なオペラ《ランスへの旅》は、1825年、一時的に王政が復活した特殊な状況下のフランスで初演され、その後1984年まで上演されなかった。現在では、ヨーロッパ各国で上演されており、共産国であるロシアでさえも上演されているわけですが、劇中に参加していない国でも上演されているものなのでしょうか?推測ですが、イスラム教の国々ではまず上演されないと思うのです。中国でも上演されなさそうです。共産主義のロシア人は、このオペラの結末をどのような気持ちで鑑賞するのでしょうか。
日本人による《ランスへの旅》は、非常に珍しい花なのではないかと思ったのです。ヨーロッパ人が見たら、きっと驚くでしょう。
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