3 オペラあれこれ

2018年2月27日 (火)

注目のオペラ歌手

東京芸術劇場が研修という名目で若い人にタダ働きさせようとしていてビックリです・・・。定められたレポートを提出すると月18万円?出る場合もある(必ずではない、そして交通費は自腹)らしいけれど・・・。よっぽど財政に困っているのだろうか・・・?どういう人が応募するんだろう??

さて~~、最近、絶対に生で聞いてみたい!!と思えるオペラ歌手の出現がめっきり少なくなっているような気がしませんか?
グルベローヴァ、グレギーナ、テオドッシュウ、バルトリ、デセイ、パヴァロッティ、ドミンゴ、フローレス、シラグーザ、フルラネットetc
夢中になった黄金の歌手たちも、年を取ったり、来日しなくなったり・・・。
しかしその嘆きは、ひょっとすると、海外で人気のある歌手が日本では話題にならなくなって、単に自分が知らないだけかもしれないのです。
オペラ総合雑誌『グランドオペラ』が休刊になって何年が経つでしょう。
(バレエの雑誌『ダンスマガジン』は休刊にならないんですね・・・)

私は過去にニューヨークのメトロポリタン歌劇場に行ったことがあるのですが、インターネットでチケットを取ったところ、その後ずっとメトのメルマガが送られてくるようになったのです。すごく頻繁に送られてきて、公演の話題はもちろん、ライブビューイングやオリジナルグッズのことまで、写真や動画が組み込まれた綺麗なメルマガなのです。海外のオペラハウスは、紙のちらしにはあまり力を入れておらず、ホームページやメルマガを主力広告媒体にしているように思います。
日本はまだ紙媒体が主力ですね。紙のちらしだと、一通りぱらぱらと見るわけですし、手に取った人への訴求力は強いと思いますが、来場した人の手にしか渡らず、範囲が狭い。
私も、能の公演に行くとちらしをたくさんもらって、また行こうと思うのですが、一旦途切れるとそのまま何も分からなくなってしまう、なんていうことがありますね。
(そこで能楽公演情報サイト「柳の下」が活躍するわけですが・・・)

先日、メトからのメルマガにオリジナルグッズの紹介が出ていて、「コジ・ファン・トゥッテ・スカーフ」なる水玉のスカーフが販売されていた。これはあれでしょうか、「私はいつでも誰でもOKよ」という女の印なのでしょうか?アメリカらしい素敵なスカーフですね。

そして!!現在メト一押しのソプラノが、ソーニャ・ヨンチェヴァであるらしい。

おととい、久しぶりに渋谷のタワーレコードに行ったら、試聴機にソーニャ・ヨンチェヴァのヴェルディ・アリア集が入っていたので、聞いてみました。「世の空しさを知る神」のすごくいい所で時間制限がかかってプツッと切れてしまい、思わずCDを買ってしまいました。(タワレコの思う壺)
このソプラノは現在、世界的に売れっ子みたいですから、オペラ好きの皆さまはぜひチェックしてみてくださいね。
(いつか日本にも来るのだろうか・・・?)

2018年2月25日 (日)

燕尾服

演奏会形式のオペラというのは昔からありますけれども、今後はもっと増えていくのではないでしょうか。舞台装置なし、衣裳なし、譜面台あり、というような公演が増えていくような気がするのです。「この作品はむしろ演奏会形式でこそ最大限に音楽を楽しめるのです」などと強弁するケースが見受けられますが、本気なんですかね?
しかし、予算がなくて、中途半端に学芸会のようになってしまうよりは、演奏会形式のほうが幾分マシである、ということは大いにあり得ると思います。
演奏会形式といっても、女性歌手はたいていドレスやアクセサリーを役に合わせて工夫するものですが、男性歌手は役柄と関係なく一律で燕尾服が多い。この燕尾服というものが、日本人の体形に合わないと私は思うのです。肩幅、お腹まわり、上半身にだけすごいボリュームが出て、下半身とバランスが取れない。もっと何か、自分の体形に合ったカッコいい服を着たほうが良いのではないかと・・・。

それにしても、パヴァロッティはすごく太っていて足も短かったけれど、燕尾服が似合わないと思ったことはないなあ・・・。単に仕立ての技術の違いなのでしょうか?

2018年2月10日 (土)

2017年のオペラ

時の過ぎるのは早いものですねえ。

昨年見たオペラを振り返りますと・・・。

まず、グルベローヴァの来日が大きな出来事でした。
ルチアが聞けるということで、とても期待していました。
しかし、来日1発目に開催されたすみだトリフォニーホールでのリサイタルが、思ったほど良くなかったんですよね。この1年でずいぶん衰えたなあと感じたのです。もちろん、それでも素晴らしい公演ではありましたけれども、これではルチアを歌っても3点変ホ音は出ないんじゃないかなと危惧しました。(実際は出しましたけど)
大阪でのルチアもチケットを取ってあったのですが、これなら東京から行くほどじゃなかったかなと思ったくらいでした。
ところが、大坂公演はすごく調子が良かったみたいで、素晴らしい出来映えでした。本当に大阪まで行った甲斐がありました。
フェスティバルホールは再開場後は初めてでしたが、音響も良かったですし、なかなか洒落た雰囲気でした。
エドガルド役は、アンドレア・ロストと一緒に歌ったテノールのほうが感動しましたけどね。
グルベローヴァのルチアは、昔の録音を聞くと歌い方に変な癖があってあまり好きじゃなかったのですが、途中からずいぶん歌い方が変わりましたね。生で聞けて良かった。

去年はやたらとルチアを何度も見ていた気がします。日本のオペラは同じ演目ばっかり上演しますよね。
光岡暁恵さんのルチアは、オーケストラのテンポ設定が私の好みではなかったのですが、それでも緻密に計算された歌唱に引き込まれました。光岡さんのルチアは何度か見ていますが、去年12月の公演でやっと完成されたという印象がありました。

そして去年私が一番感動したオペラは、オペラ彩が12月23日に上演した《トゥーランドット》ですね。村上敏明さんがカラフ全曲を歌うのは初めてだったそうです。その1年くらい前に「いまカラフを歌いたい」と村上さんが言っているのを聞いたのですが、ここで実現したわけです。村上さんが歌いたいって言っても、藤原歌劇団は舞台を用意してあげないんですね。どうしてなのでしょう?
トゥーランドットは鈴木慶江さん、リューは佐藤美枝子さんでした。鈴木さんにトゥーランドットみたいな重い声の役が合うのかなと心配したのですが、いざ聞いてみたら素晴らしい歌唱でした。ビックリ。佐藤さんのリューも、どこまでもずっとフレーズが繋がっていくかのような大きな歌唱で感動的でしたね。カラフの村上さんは、絶好調というわけではなかった。

私は、オペラを振る指揮者の中では、ネッロ・サンティとヴィート・クレメンテが好きなんです。あまり指揮者にはこだわりがないつもりだったのですが、そうでもないみたいで、結構好みが分かれますね。話題の指揮者は次々に登場しますが、たいてい私の好みじゃないのです。
オペラ彩の《トゥーランドット》を振ったヴィート・クレメンテは、本当にすごい才能だと私は思っているのです。音がキラキラと輝く。なぜ極東の地方都市で2日間だけの公演に出演しているのか、とても不思議です。もっと世界的な名声を得ていい人のはずなのに。
しかし考えてみますと、有名な歌劇場でたくさんの制約に縛られて出演するより、小さなプロダクションで自分の好きなようにじっくり準備をしたほうが、好きなものを作れるのかもしれません。
結果に満足できないと、やっている甲斐がありませんからね。

2017年7月23日 (日)

オペラよもやま

あれは先月17日のこと、仙川フィックスホールという120席くらいの小さなホールで、村上敏明さんのリサイタルを聞いてきたのです。自由席だったので、1階1列目中央に座ってしまいました。もうすごい迫力。
私がオペラを見始めたのは今から20年前。ちょうど新国立劇場ができた平成9年でした。この頃は、すごく大勢の若手テノールが一気に出てきた時期でした。今も活躍している人もいるし、名前を聞かなくなった人もいます。昨今は、それほど大勢のテノールは出てこない。若いテノールは本当に人数が少なくなりましたね。
私は文学部日本文学科を出ているのですが、大学入試のとき、文学部だと就職で困るんじゃないかなと思って迷ったのです。そして予備校の先生から「今の時代、何をやったって生きていけるんだから、好きな道に進むべきだ」と言われ、法学部をやめて文学部を選んでしまいました。そうしたら在学中にバブルがはじけ、就職には苦労しましたよ、ええ。進路が時の経済状況に左右されることはありますよね。日本も高度成長とかオイルショックとかバブルとか、いろいろな時代があって、テノールが登場する時期、登場しない時期というのがあるのでしょうね。でもマリア・カラスなんていうのは貧困の中から出てきたわけで、不況だからオペラ歌手が出てこないってこともないと思いますけども。
その頃出てきたテノールの中で、村上敏明さんは最も輝いている部類で、今回見ていて本当にカッコいいなあと思ったのです。夢を実現させて、継続させている人ですから。マンリーコのアリアなんて最高にカッコよかったですね。

その翌日18日、日生劇場で《ラ・ボエーム》を見てきました。これが珍しく日本語上演だったのですね。
今どき日本語上演の《ラ・ボエーム》なんてありえないし、馬鹿馬鹿しいと思ったのですが、テノールの宮里直樹さんが素晴らしい声だという噂を聞いており、一度生で聞いてみたかったのです。私がテノールの諸役の中で最も好きなのはロドルフォであり、つまりその宮里直樹さんがオケ・合唱入りの《ラ・ボエーム》に出演する機会は今後あるのかどうか分からないし、たとえ日本語上演であっても機会を逃してはいけないと思ったわけなのです。実際、なかなか良い声でした。
この公演はオペラを初めて見るであろう高校生を主な対象としていて、地方を含め10回くらいある公演のうちの2回だけが一般発売されたものです。一般発売されたこの2公演以外の、対象となる高校生は無料招待なのだそうです。招待される高校生と招待されない高校生はどのように選別されているのでしょうか?公表されていない。クローズドの公演に芸術文化振興基金という公的資金が流れていることが不思議ですね。
ところで、初めて見るオペラが日本語訳詞上演であるというのは、オペラファンを増やすために効果的なことなのでしょうか?
私はオペラの日本語訳詞上演をあまり見たことがなくて、オペラを見始めた1997年か1998年に二期会の《フィガロの結婚》を日本語訳詞上演で見たのと、佐渡裕さんが2013年に兵庫でやった《セビリャの理髪師》が日本語上演だった。あとは杉並区民オペラ2回と、今回の日生劇場の《ラ・ボエーム》くらいでしょうか。
日本のオペラ公演で初めて字幕が使用されたのは、1986年なのだそうです。それまで日本のオペラ団体は日本語訳詞上演が普通だったそうな(原語上演もしていたけれど)。そして新国立劇場が開場する1997年、日本のオペラ公演から日本語訳詞上演がほぼ消えた。私が見た二期会の《フィガロの結婚》は、日本語訳詞上演の最後の時期だったのではないかと思う。それ以降は、子供向けの公演やオペレッタなど、ごく限られた分野だけに日本語訳詞上演が残った。
そして、ここにきて俄かに日本語訳詞上演のリバイバルだ。現在オペラ公演を企画する人たちは日本語訳詞上演でオペラに馴染んできた人たちであり、オペラの普及のために日本語訳詞上演が必要であると判断したのでしょう。
現実問題として、オペラの観客層の高齢化が著しい。同じ伝統芸能では、バレエの観客は若い人もかなり多い。歌舞伎や文楽も若い客はいる。オペラと能楽の観客の激しい高齢化は何なのだろう?この世代とともにこの芸能も消滅していくのだろうかと思うくらいです。言葉の壁があるのですね。言葉は、分からない人には全く分からない。全く。
しかし私個人は字幕付き原語上演によってオペラに取りつかれた人間であり、日本語訳詞上演だったらここまでオペラを見ていないだろうと思う。
日生劇場の《ラ・ボエーム》では、第一幕の最後の部分、Amor! Amor! Amor! が、日本語で「愛よ!愛よ!愛よ!」と歌われていました。音符に乗らないんですよねえ。もし日本語で「愛よ!愛よ!愛よ!」と歌うことがあるとしたら、絶対に別なメロディーになると思うんです。
そして全体的に、聞いていて「気恥ずかしい」。
オペラを見ていて、「これが母国語だったら直接的に理解できるのに残念だなあ」と思うことがよくありますが、逆に「異国語だから美しい夢として聞いていられる」という側面があるのではないでしょうか?
昨日、杉並区民オペラの《カヴァレリア・ルスティカーナ》&《道化師》を見てきたのです。日本語訳詞上演でした。杉並区民オペラは珍しく一貫してずっと日本語訳詞上演を続けていて、その理由は、なるべく幅広い年齢層の人に合唱として参加してほしい、子供から年配の方まで歌ってほしい、となるとやはり日本語が良い、ということだそうです。
サントゥッツァの呪いの言葉、Bada!(覚えていろ、覚悟しておけといった意味)は「バカ」、 spergiuro!(裏切者)のあたりは「地獄へ落ちろ」と歌われていましたかねえ・・・。
原語上演では感じない低俗さを感じてしまいました。(それはそれで私も楽しみましたが・・・)
日本語訳詞上演がオペラの入口になるかどうか、私はちょっと疑問に思うのです。

2017年6月30日 (金)

新国立劇場の不思議

新国立劇場主催のオペラ公演の良席を、チケットぴあが、
特別販売手数料514円を上乗せして販売したり、
ぴあプレミアム会員に優先的に販売したりするのは、
一体どういう仕組みなのでしょう?
また、人気公演だけチケットぴあの貸切日を設定して、
一般料金より高くチケットを販売するというのは、
一体どういう仕組みなのでしょう?
新国の良席はチケットぴあのものなのですか。
世の中よく分からない仕組みが多くて・・・。

2016年11月 6日 (日)

ノルマの指輪

ブログのログインパスワードも忘れてしまうほどご無沙汰しておりました。
みなさんお元気ですか。

 

長く生きておりますと、いままで分からなかったことが突然分かるようになることがあり、なんだ、そんなことだったのか、と思ったりするものです。それが正解かどうか知らないけれど、何でも自分で納得できればいいのでしょう。

 

マリア・カラスはオペラの世界で最も成功した歌手の1人ですが、その人生を辿ると、「ローマ事件」なる出来事が出てきます。
1958年1月2日ローマ歌劇場で、風邪気味の不調をおして《ノルマ》に出演したマリア・カラスは、有名なアリア「清らかな女神よ」の直後に「それが100万リラの声か?ミラノへ帰れ!」という野次を受けて第一幕の途中で降板。イタリア大統領が臨席する特別な公演だったこともあって大スキャンダルとなり、以後イタリア中の歌劇場から締め出しをくらう。カラス本人は「喉の不調による降板」と主張したが、「野次られたのが気に食わなくて気まぐれで降りた」と悪口を言われ続けた。

 

これがもし日本だったら、マリア・カラスのほうではなく、野次った人のほうがずっと非難され続けただろうと思うんです。だってその野次のせいで世紀のプリマのノルマを聞く千載一遇の機会を逃してしまったんですよ。
マリア・カラスは歌い方がユニークだったので、アンチ・カラス派なる人々が少なからずいたそうですが、カラスのノルマを聞きに行ってカラスに野次る感覚というのが、私にはよく理解できなかった。
しかし今日、《ノルマ》の舞台を見ていたら、このオペラの歌詞はまるでローマに喧嘩を売っているような内容だなと感じ、キリスト教の総本山であるローマの客の中には、この異教徒の物語を見て不快に思う人も当然、一定数いるであろうと思ったのであった。
ローマで《ノルマ》を上演するのは、他で上演するのと状況が違う。
ローマ事件で野次った人の気持ちが理解できる日が自分にやって来ようとは思わなかった・・・。

 

マリア・カラスが最も愛するオペラ《ノルマ》。最大の当たり役であり、その魅力を存分に引き出すがゆえに選ばれた演目。キリスト教によらぬ愛の成就の物語という点で、ギリシャ悲劇の復活を目指したオペラの初期理念を最も体現している作品とも言えよう。
ローマ人であるために、マリア・カラスのノルマを楽しめなかったのだとしたら、何とお気の毒なことであろう。

 

マリア・カラスの舞台写真集を持っているのですが、ノルマ役で左手の薬指に指輪をしている写真が残っている。
巫女が左手の薬指に指輪をしているというのは、どういうことであろうか?
オペラ歌手は、リサイタルの時には、どのような内容のアリアを歌う場合であっても、既婚者は指輪をして出てくる・・・ことが多い。
しかし舞台ではどうだろう。
未婚の役で指輪をすることは、あまりないだろう。
(マルセロ・アルバレスやジュゼッペ・フィリアノーティは、アルフレードで指輪をしていましたが・・・)
しかし、今日《ノルマ》を見ていて分かったんです。
ドルイド教徒にとっては、左手薬指の指輪には何の意味もないだろうと。
けれど、ノルマにとっては特別な意味があったのだろうと。
しかしその意味を仲間のドルイド教徒は理解できないし、
そのことを知っていてノルマは巫女でありながら指輪を楽しんでいたのかなと。
ポッリオーネが誓いの言葉と一緒にくれた指輪を。

2016年9月19日 (月)

《カプレーティ家とモンテッキ家》あれこれ

ベッリーニ作曲《カプレーティ家とモンテッキ家》の台本を書いたロマーニは、シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の内容に関する知識がない状態でオペラの台本を書いたそうですが、それにしても、ずいぶんストーリーが違うものですね・・・。

第2幕冒頭、薬を飲む場面で、ジュリエッタは「死ぬこと自体は怖くない」と言いながら、その舌の根も乾かぬうちに「薬を飲むのが怖い」などと逡巡する。
死ぬことは怖くないけれど、自分の死が「自殺扱い」になってしまうのは怖い、ということでしょうか?
キリスト教では自殺が固く禁じられています。
つまり自分を殺すということは、自分を作った神を否定することになるわけでしょう。
人生はハッピーエンドでなければなりません。

思っていたように効けば薬、
思っていたように効かなければ毒。
毒と薬は裏表。

一時的に仮死状態になる薬。
誰が考え付いたのだろう。
吉野川を真横に首が流れていくのよりもシュールな薬。
『ロミオとジュリエット』はSFだったのか?

ジュリエッタは父親に何の赦しを乞うているのだろうか?
あの長々しい場面の代わりに、
違うわ、あれは夜鳴きうぐいす、
いや朝を告げるヒバリだよ、
なんていう二重唱を歌っていたほうが、ずっとロマンチックなのに。
ジュリエッタは父親に何の赦しを乞うているの?
父の期待に自分が応えられないことを詫びるの?
人は他人が望むようには生きられぬもの。
好きに生きればいいのに。

ロメオと最初から駆け落ちするのと、
一旦死んだことにしてから駆け落ちするのと、
何が違うのだろう。

ロメオはなぜ毒を携帯しているのだろう?
レオノーラも毒を携帯していた。
みんな携帯しているものなの?
それでもキリスト教徒なの?

2016年7月19日 (火)

パヴァロッティTシャツと私

Photo

私が一番好きなソプラノはマリア・カラスで、
一番好きなテノールはルチアーノ・パヴァロッティであります。

確かおよそ18年ほど前に、パヴァロッティTシャツを購入したのですが、1度も袖を通さぬまま今日まで来てしまいました。
【私がこのTシャツを着て行ける場所は日本に存在しない】

なんでも風水的には、古い衣類は新しい出会いを妨げるのだそうで、パヴァロッティTシャツは、
写真を撮って→捨てる
ということに決めました。
断捨離野郎ふくきち。
(あの世に持っていけるのは思い出だけ)

2

10秒セルフタイマーによる自撮りだよ!
(どうして購入してしまったのかは謎・・・)

2016年6月22日 (水)

セビリアの理髪師~食事付

先日、日生劇場の《セビリアの理髪師》を見てきたのですが、2日間見たうちの1日、「食事付」というのにしてみました。

セビリアの理髪師~食事付

ロッシーニ風のマカロニというのを、初めて食べました~~!!
マカロニの中に、特製ソースが注入されているのです。冷製でした。

コースの料理に合わせて、ロッシーニ作曲のピアノ曲が流れてきました。
ワインも料理に合わせて用意されていましたね。
料理と音楽とお酒がコーディネイトされているのです。
(私はお酒はほとんど飲めないので最初にシャンパンを飲んだだけですが)

う~ん、お酒が飲めたらもっと別な人生だっただろうに・・・。
ワインを「美味しい!」「何千円・何万円払ってでも飲みたい」と感じる味覚があったならば・・・。
(その代わりに「何千円・何万円払ってでも見たいオペラ」を神は私に与えたもうたのだと思いますが・・・)

日生劇場は、急にオペラの公演が増えた気がしますね。
今まで東京文化会館やオーチャードホールで上演していたものが、だんだん客の入りが悪くなってきて、会場が大きすぎるということになり、小さめの日生劇場にスライドしてきたのでしょうか。

日生劇場で来年上演予定の《ラ・ボエーム》に、宮里直樹さんの名前が出ています。話題の大型テノールらしいのですが(体型のことではない)、早くもロドルフォが聞けるんですねえ。

2016年6月18日 (土)

ビッグニュース!!

来シーズンの新国立劇場《セビリアの理髪師》に出演が予定されているマキシム・ミロノフは、最後の場面の伯爵の大アリアを歌う予定だそうです!!
このプロダクションでは、これまで「歌えるはずなのに歌わないテノール」が出演して残念だったのですが、それは歌手のせいではなく演出家のせいではないかと囁かれていました。
ミロノフ君の場合は、本人のたっての希望で歌うことになったそうです。

ブラウンリーは立派に歌えるのになぜ希望しなかったのだろう?
という話になったのですが、
「同じ出演料で、歌わなくていいなら、歌わないんじゃない普通?」
という結論に至った。
歌いたいという欲望と、
歌う負担、リスク、労力と、
どちらが大きいものだろう、
オペラ歌手にとって。

アレーナ・ディ・ヴェローナで雨が降って公演が中断した時の、
出演歌手の嬉しそうな顔が目先にちらつく。

アルマヴィーヴァ伯爵が大アリアを歌うか歌わないか、
そんなに気にするのはお前だけだよ、
という話もあり・・・。

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