3 オペラ・公演の感想

2017年3月18日 (土)

新国立劇場《ルチア》

◆ネタバレあり◆
新国立劇場の《ルチア》を見てきました。(公演2日目)
初日に友人から「すごかった」というメールをもらっていたんです。
友人からプルミエの感想メールが届くなんて、なかなかオツなものではありませんか。
それが、歌唱がすごかったのではなく、演出がすごかったって言うんですね。
だから事前に評判や感想を読んだりしないほうがいいって。
すごい演出って、どういうことだろう?
「美しい」ということだろうか?
「奇抜で意外性がある」ということだろうか?
「お金がかかっている」ということだろうか?
これまでに私がオペラの演出で「すごい」と思ったのなんて、フランコ・ゼッフィレッリ演出の舞台くらいじゃないだろうか?ゼッフィレッリの舞台は本当にすごいと思いましたよ。心の底から熱狂しました。
あとは、少し落ちますが、ロンドンで見た《ラ・チェネレントラ》に感心したことがあるなあ。身分の高低と、それを途中で入れ替えたりする人物描写が秀逸で、さすが演劇の国だと思いました。
それから、パリで見た《ルチア》は、演劇的なんだけど抽象的な感じで、こんなやり方があるのか・・・と新鮮でした。
新国の「トーキョー・リング」は、大掛かりですごいと思いましたけど・・・。
そう新国の《リゴレット》と《ナブッコ》は、舞台装置にすごいお金をかけていて、しかしそれが全く効果的でなく、お金をかければ良いものができるというものでもないのだなあという当たり前のことを再認識しました。それも「すごい」といえば「すごい」演出だったかもしれません。

さて今回の《ルチア》。幕が開くと、波が打ち寄せる岸壁。この波の表現が「すごい」のだろうか。それとも空の雲の映像が「すごい」のだろうか?
わりと普通っぽく進行していき、私としては特別に「すごい」と思うようなことが起こらぬまま、狂乱の場へ突入。
登場したルチアが槍みたいなのを手に持っており、その先にアルトゥーロ(本作中、最も気の毒な、殺された花婿)の生首が刺さっている。
ゼッフィレッリ演出の《トゥーランドット》でも、竿の先に生首が刺さっているのが出てきますね。西洋風のさらし首でしょうか?でも人の首を切るのはずいぶん力がいると思うけれど、ルチアにできるのかなあ?
このさらし首が例の「すごい演出」なのか?まあ確かに刺激的ではあります。(アルトゥーロを歌った歌手の顔に似せて作ってあったようです・・・)
舞台を刺激的にするために、脱いだり、血みどろにしたりするのが、西洋人は本当に好きですよね。
と思っていたところが!
婚礼を祝っていた広間の後ろの壁が上にひらけて、その奥から第1幕の「泉」の舞台装置が押し出されてきたのです。
こっ、これは!!!!!
ひょっとすると、狂ったルチアが見ている幻を全て舞台上に視覚化してみせようという新演出か!?
これかっ、これが「すごい演出」なのか!!
すると、あの泉の中から血まみれ女の幽霊が貞子のように這い出してくるのか?
薔薇の花が振り撒かれるのか?
今回の公演で話題になっている「グラス・ハーモニカ」は、雲形のゴンドラに乗って登場してルチアの頭上で演奏されるのか?
松明の炎が舞台上で火柱をあげてルチアの周囲で輪を描くのか?
司祭が出てくるのか?
エドガルドも出てくるのか?
エドガルドの最後のアリア「我が先祖の墓よ」の場面に死んだルチアが登場する演出はこれまでにも見たことがあるけれど、ルチアの狂乱の場にエドガルドが出てくるのはまだ見たことがない。
一体どんなふうに絡むのだろうか?
2人の演技はどうなるのだろうか?
と一瞬で妄想を膨らませたのですが、
それは実行されなかった・・・。
いつになったら「すごい演出」が出てくるのだろう?
ついに最後の場面になってしまった。
崖。
そして崖の向こうは海。
あの波が最後に津波となって、こちら側に押し寄せてくるとか・・・?
おや?アリアを歌うエドガルドの足元に、四角く切り穴が開いている。
あの穴から、ルチアの幽霊が出てくるのだろうか?
むかし、勘三郎さんが「四の切」の狐忠信を演じた時、スッポンが下がっていて、下がっていたらあそこから出てくるって分かっちゃうじゃん、分かっちゃったら面白くないじゃん、と思ったら、予想外にまるで弾丸ロケットのようにスッポーン!と狐忠信が宙に飛び出して来たことがあって、最高に興奮した。
一体ルチアは、あの切り穴からどのように登場するのだろうか?
きっと背中から羽根が生えていて、宙乗りで天上へ向かって飛んで行って、それをエドガルドが宙乗りで追いかけていくに違いない。
・・・と思ったら、実際はその穴はルチアの死体を埋めるための墓穴であった。
なぜルチアの墓穴が事前に掘ってあるのか!?
まるで死ぬのが分かっていたようではありませんか??
エドガルドは、ルチアの遺体を抱きあげたままアリアを歌い続け、すごく元気そうで、全然死なない感じだけど、どうするんだろう・・・と思ったら、アリアを歌い終わったエドガルドが舞台奥の崖っぷちのほうに向かって走っていく。
こっ、これは!!!!!
まさかルチアの遺体を抱いたまま海へ飛び込むのか?!
サンタンジェロ城の屋上からトスカが身を翻すみたいに海へジャンプか?!
これが例の「すごい演出」なのか?!
1階席ではなく4階席を選ぶべきだったか?!
と思ったら、崖っぷちで立ち止まったままで幕が下りてしまった・・・。
?????

歌手はエンリーコを歌ったアルトゥール・ルチンスキーが良かったですね。(でも名前は覚えられなさそう)

2016年9月11日 (日)

藤原歌劇団《カプレーティ家とモンテッキ家》

食パンはサン・ジェルマンのエクセルブランが好きです。

「涙について」
どうして子供はあんなに泣くのだろう
どうして大人はこんなに泣かないのだろう
大人のほうが子供より悲しいのに

藤原歌劇団の《カプレーティ家とモンテッキ家》を両キャストとも見てきました。
オーケストラは断然2日目のほうが生き生きしていたように思うのですが、どうしてなのでしょう・・・。
指揮の山下一史さんは、知らない人でしたけれども、なかなか良かったですね~。

オペラを見る時は、なるべく事前に音楽を聞き込んで予習するようにしているのですが、仕事が忙しかったので今回は予習なし。
まあ前にも見たことがある作品だし・・・と思ったのですが、すっかり忘れていました。
こんな話だったっけ・・・?
ロメオとジュリエッタはずっと反発しあっていて、ラブラブな瞬間は1回もなかった。すれ違いの恋人たち・・・。
ジュリエッタの死はあっさりしすぎだろう。
しかし、ジュリエッタが死ぬ前に嘆くと、ロミオと同じことを嘆くことになるわけか~~。
ちょっとだけ《ルチア》の最後の場面に似ていた。

『妹背山婦女庭訓』の2人は相手のことばかり、親は子供のことばかり考えているというのに、ロメオとジュリエッタは自分の悲しみしか口にしない。(それがアリアというものか・・・)

字幕の日本語が読みづらくって・・・。
「お持ちですか・・・希望を?」みたいな感じで、全てが倒置になっている。
語順が乱れすぎていて、どこまでが一文なのか理解不能。
イタリア語の語順なのでしょうか。
日本語よりイタリア語の得意な人が訳しているのでしょうか?
そのわりに、齋藤の齋より難しい漢字が出てきていましたが・・・。(字幕でよく出せたなあ!)

2人きりになったら、2人きりでしかできないことをしてほしいよ。

みんなが去っていったことを確かめる
 ↓
すばやくジュリエッタに駆け寄る
 ↓
ひょっとして生き返るのでは?と体を揺すってみる
 ↓
本当に死んだんだと絶望する

とか・・・。

あんまりラブラブじゃなかった。
バルコニー・シーンとか、みんなが知っているような場面は一切なかった。
こんな話だっただろうか・・・。
なぜあの場面が抽出されたのだろう。

《ロミオとジュリエット》を日本語でオペラにしてみたらどうでしょう。
「おおロミオ、あなたはなぜロミオなの」
などの名ぜりふを、そのまま使って。
(笑ってしまうかな?)

1日目に、売店で林康子さんの伝記を見つけ、明日買おうかな~と思ったら2日目は売店が休みだった。
劇場の売店は、経営が大変なのね。公演が不定期ですし・・・。
劇場の運営は大変。

このオペラを見終わって、ロメオがカプレーティ家なのかモンテッキ家なのか、答えられる人は何人いるだろうか・・・。

2016年9月 7日 (水)

オペラ紅白歌合戦

●今月の標語
「大江戸線 リュックを背負った 田舎者」

清原選手が捕まって一番驚いたことは、こんな有名人であっても、こんなにも長期間バレないものなのか・・・、という点です。ということは、麻薬の使用がバレることは、ほとんどないのでは?蔓延状態??

第1回オペラ紅白歌合戦に行ってきましたよ。(第2回のことは言及していなかったけれど、あるのでしょうか・・・)
サントリーホールに行くのは久しぶりでした。久しぶりすぎて、溜池山王の駅で迷ってしまいますた。昔はもっと頻繁にサントリーホールへ行っていたように思うのですが、オペラ関連の公演が減っているせいでしょうか。

フルオーケストラでオペラアリアをひたすら聞き続けるような機会は、滅多にないような気がします。6時半に開演して、15分の休憩を挟み、終演は9時半近かったでしょうか。
歌手1人あたりの持ち時間が限られているためか、ベルカント系の曲は少なめでしたが、それでも佐藤美枝子さんがたっぷり「鐘の歌」を歌いました。すごかったです、佐藤さんの「鐘の歌」。ベルニーニの大理石彫刻を見るような、完璧に計算され尽した歌唱。名人芸をじっくり堪能しました。

ソプラニスタの岡本知高さんの歌を初めて生で聞いたのですが(「ある晴れた日に」)、想像していたよりもちゃんとした歌でした。マイクを使うのかな~と思っていたので・・・。
最後に全員で「乾杯の歌」を歌ったのですが、岡本さんが男性ブロックにいながら女声パートを歌っていたのが大ウケだった。

牧野正人さんが「私は町の何でも屋」を歌ったのですが、全編にわたってマイムが付いていて、髪をとかしたりカットしたり、あっち向いたりこっち向いたり、すごい演技力でした。日本のバリトンの間で、「フィガロの振付」が代々つたわっているのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。日本人がやるのは何度か見たことがあるけれど、外国人がやるのは1度も見たことがない。知らないだけなのでしょうかねえ?

半田美和子さんを初めて聞いたのですが(「きらびやかに着飾って」)、これまた演技力に優れていてビックリでした。

永井和子さんが、1人だけ昭和から抜け出てきたようなドレスで、目を引きました。

水口聡さんが「ある日青空を眺めて」を歌い終わったあと、かなり長い静寂があって、みんなどこで拍手していいのか分からなかったみたい。このアリア、どこで拍手していいのか分からないのね。私が率先して拍手すべきだったのだろうか。あの静寂を破って拍手するのは度胸がいりますよ。この日は一体どういう客層だったのだろう?「鐘の歌」の途中で、もう終わったと勘違いしたおじさんのブラボーがかかっていたけれど・・・。すごい度胸だなあ。字幕がない歌を初めて聞く人が、あんなに長時間楽しめるものなのだろうか・・・。

村上敏明さんは、「誰も寝てはならぬ」のあと、酸欠になったのかフラついていました。最初は冗談なのかと思いましたが、マジっぽい感じでした。倒れるのかと思った・・・。

あんなに素晴らしくても、佐藤美枝子さんがフルオーケストラで「鐘の歌」を歌うのは、一生に数回なのでしょうねえ。本当に貴重な公演でした。

NHK紅白と同じように「麻布大学野鳥研究部」が客席の判定をカウントし、結果は紅組の勝利でした。

ところで!
来年2月、ついに須藤慎吾さんがイアーゴを歌うそうです!!
(新国立劇場中劇場、2月15日)
私はこの日をずっと待っていた・・・。
きっと最高の演技を見せてくれるに違いありません。
早速チケットを予約してしまいました。

2016年7月 3日 (日)

佐藤美枝子 Canta Bellini

千葉県の小さなホール、はなみがわ風の丘HALLで佐藤美枝子さんの《夢遊病の女》を聞いてきました~。(6月26日)
ゲストは山本康寛さん。

●曲目
アミーナのアリア「気もはればれと」
エルヴィーノとアミーナのデュエット「受け取っておくれ、君に捧げるこの指輪を」
エルヴィーノのアリア「すべては終わってしまった」
-休憩25分-
ショパン 夜想曲第20番
アミーナのアリア「ああ、信じられない」

アミーナとエルヴィーノしかいないので、曲目も少なめ・・・。
もう1つの二重唱(眠っている時にも私のことを思い出して~)も歌ってくれるかな~と思っていたのですが、それはナシ。
曲のあいだに、オペラ演出家の岩田達宗さんの解説がありました。
岩田さんは、テノールの山本さんのことをやたら持ち上げていて、今日これが聞けた人は後で自慢できます、などと言っていました。確かに山本さんは素晴らしい歌唱でしたが、岩田さんは佐藤さんのことは全然褒めていなくて、大丈夫だったのでしょうか・・・。

佐藤美枝子さんは、休憩の前と後とでドレスを着替えていましたが、どちらも純白の花嫁衣裳で、こんな小さな会場で、そこまでするのか~~と驚きました。キラキラなアクセサリーも変えていましたね~。綺麗でした。
アンコールで、ベッリーニ作曲《カプレーティ家とモンテッキ家》のジュリエッタのアリア「ああ幾たびか」を歌いました。
アミーナの花嫁衣裳と、ジュリエッタの花嫁衣裳と、同じでありながらも意味合いが変化しているのが面白かった。
佐藤さんの「ああ幾たびか」は、これまで他で聞いたこともないようなドラマチックな歌唱で、涙を流しながら歌っていました。素晴らしかった、ぜひ全曲を聞いてみたい!
佐藤さんは、11月にプーランク作曲の《人間の声》、12月に《ラ・ボエーム》のミミを歌うようです。もっといろいろ聞いてみたいですね。《アンナ・ボレーナ》《ノルマ》《ロベルト・デヴェリュー》とか。

山本さんのエルヴィーノは、二重唱はスタイリッシュに、アリアは情熱的に歌っていて、良かったです。
このあとペーザロに行くそうですが、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルで役がもらえるかどうかは、まだ決まっていないそうです。リーベンスコフかベルフィオールを歌いたいって言っていました。
来年2月には、びわ湖ホールで《連隊の娘》を歌うらしいです。快進撃ですね。
アンコールは「オー・ソレ・ミオ」でしたが、Canta Belliniという会で「オー・ソレ・ミオ」はどうかなあ・・・。
《清教徒》のアリアとか歌ってくれればよかったのに。←

藤原歌劇団《ドン・パスクワーレ》B

藤原歌劇団《ドン・パスクワーレ》のBキャストを見てきました~。
全体的にまとまっていて、Aキャストより楽しめました~~。

金曜日の夜のAキャスト初日終演後に、心の友Yさんに会って、「明日も見ますか?」と訊いたところ、「明日は新国の研修所の《ジャンニ・スキッキ》に行くから見ないよ」と言われました。
「あっ、じゃあ似た話ですね・・・」
「えっ、どこが?」

《ドン・パスクワーレ》と《ジャンニ・スキッキ》のどこが似ているのかご説明いたします。
「好きな人と結婚して、遺産が転がり込んできてハッピーエンド」という点が似ている。
ついでに《愛の妙薬》も、似た話である。
「好きな人と結婚して、遺産が転がり込んできてハッピーエンド」
それは最強のハッピーであり、それ以上のハッピーはちょっと思い浮かばない。

遺産のあるお年寄りは、遺産を誰に・どうやって渡すか、いろいろ画策するのかもしれない。
遺産のある年寄りが親戚にいる若者は、どうやって遺産をゲットするのか、いろいろ画策するのかもしれない。
私には関係のない世界ではありますが・・・。
(エルネストは絶望のアリアみたいなのを歌いますが、プラスからプラマイゼロになっただけで、それは普通のことです)

日生劇場は、2階席のほうが格段に音響が良いですね。
同じプロダクションで聞き比べて、びっくりしました。
でもオペラは双眼鏡を使うと字幕が読めなくなるし、2階席から見る場合は、字幕がなくても楽しめるように事前の予習が重要ですね!

2016年7月 2日 (土)

藤原歌劇団《ドン・パスクワーレ》A

《ドン・パスクァーレ》と書きますと、「バャリース」みたいな感じで、どう読めばいいのか分からない、ということになります。
今回のタイトルは《ドン・パスクワーレ》でした。

ピアノ伴奏でわりと上演されている演目のような気がしますが、私は映像でしか見たことがなくて、しかも久しぶりに見たので、こんな話だったっけ・・・と思いました。

亡くなった永竹由幸さんが、《ドン・パスクワーレ》は見ていて可哀想になるとテレビで言っていました。(自分も爺さんだから身につまされて、とか何とか)

私は今回《ドン・パスクワーレ》を見ていて、この話は「結婚を他人に決められたくない」という話なのではないかと思ったのです。
相手をよく知らないまま結婚してしまうと、「こんな人だとは思わなかった」ということになりかねない。

「いやな人だなあ」と思った人が、よく付き合ってみたら実はいい人だった、ということは滅多にありません。いやな人は出会ってすぐに分かりますし、いやな人はずっと永遠にいやな人です。
芝居を見に行って、「この人の隣に座っているのはいやだなあ」と思う確率は非常に高いものですが、見て1秒で「この人は駄目な人」と分かります。駄目な人はハズレなくずっと駄目、向こうが居眠りでもしない限りは。

逆に、「いい人だなあ」と思った人が、実はいやな人だった、ということは時々あるものです。つまり人というものは誰でも自分を良く見せたくて実際よりも背伸びしているものですし、背伸びは常にしているわけにいかないのですから。

自分を良く見せようとする人はいるけれど、自分を悪く見せようとする人はいない。

すなわちノリーナは、「こんな酷いことを、あなたは甥に対してやろうとしているのよ」という形の復讐をしているのでしょう。

親というものは子供に対して権力をふるう場合がありますが、いやなら出ていけば良いので、金のない親は権力もないのではないかなあ。
エルネストの悩みは贅沢な悩みですね。
仕事してるのかな?

藤原歌劇団《ドン・パスクワーレ》の初日を見たのですが、ノリーナの佐藤美枝子さんと、エルネストの許昌(シュー・チャン)さんが良かったですね。ノリーナはかなり歌いまくりの役でした。
オーケストラとテンポがズレズレな歌手がいたのですが、指揮者のせいなのか、歌手のせいなのか・・・?

舞台装置は、なかなか綺麗でしたよ。
衣裳は、ちょっとアジア人には向いていないタイプの衣裳でしたかねえ・・・。
日生劇場の照明の地明かりは、2つの色が分離していて綺麗じゃない感じ。

明日も見に行く予定です。

2016年6月24日 (金)

日生劇場《セビリアの理髪師》

このブログもいろいろな話題に触れますが、一番アクセス数が多いのは「オペラ公演の感想」を書いた時です。
(私としては「一番どうでもいい話」なのですが・・・)

私は変わり者なので、私の感想は参考にしないでいただきたいのですが、日生劇場の《セビリアの理髪師》を2日間見て、一番感動したのは久保田真澄さんのバルトロでした。こんなに素晴らしいバルトロは世界的に珍しいと思ったのです。
例の早口も本当にすごかった。オケが追いつかないくらいだった。
伯爵がわざとバルトロの名前を何度も間違えるところのリアクションなども最高でした。

そして、ドン・バジリオの伊藤貴之さんの怪演も素晴らしかった。

私は中井亮一さんの伯爵を追いかけて兵庫にも行ったし名古屋にも行ったことがあります。名古屋の中井さんの伯爵は最高でしたよ。あの時はすごく興奮した。
今回は、ちょっと調子が万全ではなかったようですね。
声をセーブしながら歌っているようでした。
中学生向けの一般非公開の公演で月・水と歌い、私たちが見た一般公演(土)は3回目だったらしい。全曲の伯爵の3回目だったら喉が疲れていても仕方がない・・・。
でもフローレスやシラグーザは、よほど強靭な喉なんだなあ・・・。

オペラ公演にカットが入る理由が分かった気がしたのです。
いろいろ都合や事情がありますから・・・。

《ランスへの旅》のリーベンスコフがとても良かったので、山本康寛さんの伯爵には期待していたのですが、中井さんの表現力の豊かさに比べると、ちょっと硬い感じでしたね。
こちらもすでに何度か歌っていたみたいです。
聞いた話によれば、山本さんは回数を重ねたほうが良くなってきているそうです。
若いんですね。
大アリアは立派でした。
今月末に山本さんの《夢遊病の女》エルヴィーノを聞く予定。

あとは中島郁子さんのロジーナと上江隼人さんのフィガロが表現力があって良かったです。中島さんと上江さんには終演後に握手してもらっちゃいました。エヘ。

全体としては19日(日)の公演のほうが私としては楽しめましたね~。
座席の位置も関係あると思いますが・・・。

そうそう、《セビリアの理髪師》を見るたびに不思議に思い、そしてすぐに忘れてしまうのだけれど、フィガロには娘がいるのですか。ロジーナがお菓子を包んであげたって嘘をつくのだけれど、どういう娘なんだろう・・・。

2016年4月24日 (日)

《アンドレア・シェニエ》書き忘れ

新国の《アンドレア・シェニエ》、かなり高水準な公演だったと思うんですけど、そのわりに客席があまり盛り上がっていなかったような気がするんです。
昔だったら、もっと客席が熱くなっていたんじゃないか・・・と不思議に思いました。
ひと幕が終わる度に、ギロチン形の幕が下りてきていたので、拍手しづらい雰囲気があったのかもしれません。
アリアを歌い終わった時に、「ひょっとして、ここでは拍手が起こらないのかしらん?」という一瞬の静寂が怖かった・・・。

休憩時に見渡せば、客席は、歩くのにも難儀するほどのお年寄りが大半。(大袈裟でなく)
この世代とともに、日本のオペラも消えていくのでしょうかねえ・・・。

私の隣の席のおばさまは、お連れの方と、マリオ・デル・モナコ&レナータ・テバルディの公演は素晴らしかった的な話をしていた。過去の感動が現在の感動を阻害する、ということはあるでしょうね・・・。

マッダレーナ役とジェラール役は、劇の進行とともに「変化」していかなければいけない、ということを、隣の席のおばさまは説いておられました。(隣に座っていたから聞こえてしまったのです)

そこまでの演技力をオペラ歌手に求めるのは、なかなか難しいものがありますよ、ええ。

今まであまり感じたことがなかったのですけれども、今回の《アンドレア・シェニエ》では、日本人歌手と外国人歌手の演技の様式の違いが際立っていて、日本人歌手がみな滑稽に見えました。かつらや衣裳のせいもあると思いますが、なかなか厳しいものがあります、混成キャストの場合。

《アンドレア・シェニエ》新国立劇場

新国の《アンドレア・シェニエ》最終日の公演を見てきました~。
初日のチケットを取ってあったのですが、行けなくなってしまって、急にチケットを買い直したのです。そうしたら、たまたまタイミングが良かったのか、1階1列目中央の席が空いていて、ムヒョ~と勇んで劇場へGO!
一抹の不安はあったのですが、やはりと言うか何というか、浮浪者みたいなじいさんの隣の席でした・・・。

「人間保護色説」というのがあるでしょう。カメレオンと同じで、人間は環境で変わる、美しい空間で生活している人は美しい人になり、汚い空間で生活していると汚い人間になるト。
一流の会社で働いていると一流の人になっていき、三流の会社で働いていると優れた原石もずっと石ころのままであるト。
されば私の隣の席のじいさんは、こんなに毎日毎日美しい舞台を見ているのに、どうして美しくならないのだろう、「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、人は変わらない、ずっと変わらない、年を取ると本来の性質がただ濃くなっていくのだ、という気がいたすのでございます。

カルロ・ヴェントレが超絶かっこよかった~~。
何と輝かしい声だろう!
数あるテノールの名アリアの中でも、私は「ある日、青空を眺めて」を偏愛しているのですが、この第1幕のアリアよりも、今回は終幕の二重唱や、第二幕や、分けても「五月の晴れた日のように」のアリアに深く感動しました。
台本作家が同じイッリカであるためか、プッチーニに似ていると感じる場面が多いですねえ。
《トスカ》のカヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」を「辞世の歌」と解説している文章を見かけますが、ああいうのは「辞世」とは言わないと思うんですよね。
書き残すか、別に聞いている人がいるか、何らかの形で死んだあとに遺らないと「辞世」とは言わないと思う。
辞世のある人生はかっこいい。
シェニエの第1幕のアリアは、その場で考え出した即興詩。第4幕のアリアは、牢の中で事前に考えてあった辞世。しかし、その辞世はまだ書きあがっておらず、アリアの途中で読み終えてしまい、その部分からやはり即興詩に切り替わるんですね。辞世を即興で詠むことができたら最高にかっこいい。「事前に用意していなかった感情のほとばしり」のようなものを、ヴェントレは良く出していた。
イッリカはいいなあ。

アンドレア・シェニエは実在の詩人だそうですが、その詩を私は読んだことがない。なぜだろう・・・?

2016年4月13日 (水)

《ウェルテル》新国立劇場

まあ~豪華なプロダクションでした。新国はよく金がないと言いますが、あれだけ豪華な舞台美術は今日日メトロポリタン歌劇場でも無理でしょう。
ちょっとアンリ・シダネルみたいな、アンティミストな雰囲気でしたね。
歌手が揃っていて素晴らしかったのですが、4階席で歌手の表情までは見えなかった・・・。
字幕を追うために双眼鏡も使えないし~~。
「春風よ」のアリアと、最後の場面だけ双眼鏡でガン見してしまいました。
西洋人は舞台でブチューとキスして、すごいなあ。
弱音になると、隣の席のおじさんの鼻息が響いて、何だか興ざめでした。

新国は、公演収支が大赤字なのに、なぜあんなにジャブジャブとお金をつかえるのだろう?

先日、国立劇場で新派の公演を見て、トイレに行き、
「おや?こんなところにゴミが置いてあるぞ?」と思ったら、
それはゴミではなく消臭剤だった。
こんなゴミみたいな汚っぽい消臭剤があるものなのか・・・とショックを受けました。

国立劇場のペーパータオルはゴワゴワなのにちぎれやすい安物で、
新国立劇場のペーパータオルはフワフワなのにちぎれない最高級品。

国立劇場の2階3階には案内係が1人もいないのに、
新国立劇場は4階まで何人も配置されている。
国立能楽堂は「ここに係員がいなければ誰でも自由に客席へ出入りできてしまいますよね?」という場所にさえ係員を置けないくらい貧乏なのに・・・。しくしく。

国立劇場のちらし立てはすごい安物なのに、
新国立劇場のちらし立ては超高級品。

国立劇場のロビーには新国立劇場のちらしがたくさん置いてあるのに、
新国立劇場のホワイエには国立劇場のちらしはありませんでした・・・。

国立劇場は、ずいぶん気前がいいんだなあ。
大劇場のロビーに新国立劇場の劇場紹介大看板なんて、
何のために出しているのだろう?
ただ汚っぽいだけのように思うけれど・・・。

ところで、
ピストルで自殺するときに、胸を撃つ人がいるのかなあ。
あのピストルの音は、どうやって出しているのかな。

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