3 オペラ・公演の感想

2018年5月16日 (水)

《チェネレントラ》フェスティバルホール

このあいだの土曜日、大阪のフェスティバルホールで《チェネレントラ》を見てきました。
好きな演目なのです。
この演目は東京でも上演されたばかりですが、大阪では主役のチェネレントラがスカラ座に同役で出たことのある脇園彩さんで、オーケストラもプロのオーケストラなので、行くことにしたのでした。

「スカラ座に出たことがある日本人オペラ歌手」というのは、何人くらいいるものなのでしょうか。有名なのは林康子さんで、蝶々夫人役を筆頭に何度も出演していると思いますが、中島康晴さんが出演したのはスカラ座の公演だけれど劇場はアルチンボルディ劇場だった?そして若手公演だった?脇園彩さんが出たのは若手公演の短縮版だった?
よく分からない。
スカラ座の上演記録をネットで調べれば分かるのかもしれない。
スカラ座に出たら、日本でももっと話題になっていいような気がしますが・・・。

フェスティバルホールは、去年グルベローヴァのルチアを聞いて「いい音響だなあ」と思ったのですが、今回《チェネレントラ》を聞いたらオケの音がこもっている感じでイマイチでした。歌手の声もあまり響いていないようでした。オケピットがすごく深く掘られていました。今回、私はかなり前のほうの席で見たので、座席の位置が《ルチア》の時と違っていて、聞こえ方が異なっていたのかもしれません。

脇園さんはちょっと不調だったようですが、テノールの小堀さんは絶好調で、喝采を浴びていました!

2018年5月 4日 (金)

歌手はA、オケはB

ここ数年、国内オペラの上演で、歌手の歌とオケの演奏のテンポが激しくズレる、という事象が見受けられます。私がオペラを見始めたのは平成9年からですが、前はそういうことはなかったと思うのです。歌手はAというテンポでしか歌えない、オケはBというテンポでしか演奏できない、歌い出した途端に「あっ、AとBが噛み合わない!」と分かり、曲が進むにつれてズレが激しくなっていく。オケの音が舞台上の歌手に聞こえていないのでは?といぶかるくらいにズレていく。でもそれは一部の歌手だけで、ほとんどの歌手はオケと同じテンポで歌えている。
歌手はずっと大声で歌っているから、年を取ると耳が他の人より遠くなるのでしょうか・・・?
ポップス歌手だと、コンサートの時に舞台上で、イヤホンを使ってバンド演奏(と言うかドンカマ?)を聞いている人も多いようですが・・・。
劇場の音響というものは、客席の観客にどう聞こえるかという視点で設計されているわけですが、舞台上の出演者に聞こえるように公演ごとに工夫することを「返し」などと呼ぶ。
「私だけオケの音が聞こえていないんです」なんて歌手のほうからは言えないわけですし、「返し」の設計は指揮者の責任なのではないかと私は思うのです。そしてイヤホンを使う方法でも全然かまわないと思う。

2018年4月23日 (月)

新国立劇場《アイーダ》

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新国立劇場の《アイーダ》を初日と最終日に見てきました。

平成10年に開場記念として上演された時は、客席がすごく盛り上がって、みんな立ち上がって前のほうへ押し寄せ、20~30分のあいだ拍手が鳴り止まなかった記憶がありますが、今回はわりと冷めたノリでした。もうみんな何回も見て、見慣れてしまったのでしょうか。
私はすごく興奮して、凱旋の場を見ながらどんどん心拍数が上がってきて、このまま客席で死ぬのじゃないだろうかというくらい感動しました。同じ演目でよくこんなに何回も興奮できるものだと自分で感心するほどです。

職場の若い人たちに、今度の新国の《アイーダ》は絶対に見てね、高いとか言わないでそれだけ元手がかかっているんだから、絶対ね、と言って回ったのですが、それで
・見る人
・やっぱり見ない人

に分かれ、さらに
・見て感動する人
・見ても感動というほどではない人

に分かれるのでした。

私なんか開場記念の時まわりの人に吹聴されて3回も見て、それに飽き足らずフランコ・ゼッフィレッリ演出の別の演目を見るために海外まで行っちゃったのですから、まんまと思う壺にはまったという感じです。
開場記念の時、「《アイーダ》はやればやるほど赤字だから二度と上演されることはない絶対に」と聞かされたものですが、5年ごとに再演され、今日までよくやりましたよねえ。
「初演時の舞台装置は自らの重みで銚子の倉庫の中で朽ちた」と聞きました。本当かな。初演時の舞台装置はイタリアで作って船で運んで来たものだけれど、再演時の舞台美術は日本で作ったものだと聞きました。幕内の噂がどこまで本当なんだか・・・。

今回、アムネリス役のエカテリーナ・セメンチュクにたいへん感動しました。特に第4幕第1場。(初日よりも最終日のほうが数段、優れていた)
暗がりの中、同じ布であるにもかかわらず時に金色に時に漆黒にと色を変える衣裳を着て、姫君のあられもない、檻の中の猛獣のように歩き回り、取りすがり、泣きわめくアムネリス。どんなに権力があっても思いどおりにならぬ恋。そして王女と神官の対決。
「王と聖職者の対決」とか「呪い」というのは、台本作者が変わっても通奏低音のようにヴェルディ作品の根底に流れている。つまりそれがイタリアということだろうか?アムネリスは女である分、表現が生々しい。
セメンチュクは、客席のほうぼうを何箇所も指さして、呪いの言葉を叫んでいた。「この呪いなら本当に効くかもしれない」と思った。呪いには「効く呪い」と「効かない呪い」があると思う。何がそれを分けるのだろうか?

世界的に見て、ゼッフィレッリ演出の舞台は、どんどん上演されなくなって減ってきている。新国の《アイーダ》を初めて見た時から、そうなるだろうと思っていた。
新国の《アイーダ》は5年後にまた再演されるだろうか?

2018年3月19日 (月)

二期会《ノルマ》

二期会の《ノルマ》2日目を見てきました~。
本当は2日間ともチケットを買っていたのですが、1日目は急に気が変わって別の公演を見に行ってしまいました。
2日目にノルマ役を歌う予定だった大隅智佳子さんが諸事情により休演ということで、初日に歌った大村博美さんが2日続けてノルマを歌いました。ノルマの連投なんて聞いたことがありませんが、立派に歌い切りました。両日聞いた人たちの話では、初日より2日目のほうが好調だったと評判でした。

東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ〈セミ・ステージ形式〉の第1回だそうですが、客席最前列が6列目で、5列目までは椅子が外されていました。その分せり出した舞台の手前にオーケストラが陣取り、オケの奥の高くなっているところで歌手が歌い、さらに奥側に合唱がいました。合唱は椅子に座っていて、歌う時だけ立ち上がっていました。歌手がオケの向こう側で歌うので、かなり遠く感じました。オケの手前で歌う場面も少しありましたが、ノルマはずっと向こう側でした。声にエコーがかかっている感じでした。(オーチャードホール)
舞台奥の壁に映像がずっと投影されていて、星空とか洞窟とか走る馬とか滝とか炎が出ていました。あまり効果的とも思えませんでしたが、「清らかな女神よ」を歌っている時に満月が出て来たのは良かったかな・・・。
衣裳は男性が燕尾服、女性はドレス。ノルマは白い巫女っぽいドレス、ロイヤルブルーのドレス、黒のドレス、あずき色のドレスの4着。アダルジーザは白いウエディングドレスみたいなドレス、緑のドレスの2着でしたか。クロティルデは黒のドレスでした。
驚いたのは、合唱がずっと譜面を見ながら歌っていたこと。《ノルマ》のような有名な作品でも譜面を見るのか・・・と不思議に思いましたが、合唱の人たちにとって、歌詞を覚えるのは相当な負担なのでしょうね。逆に言えば、譜面を見て良いのなら、もっとフランス語のオペラなんかも上演できるようになるのかも知れません。

「清らかな女神よ」のカバレッタの繰り返しはカットされていました。ノルマがポリオーネを尋問する2重唱では、これまで聞いた記憶のない繰り返しが入っていました。第1幕の最後はノルマが高く上げて歌っていました。

セミ・ステージ形式ということでしたが、演技は普通にしていましたね。でも舞台セットとか小道具は一切なかったので、「鎌で寄生木を刈るふり」「ナイフを持ったふり」というような「エア演技」が多かったですね。子役も登場しないので、「子供を抱いたふり」もしていました。

アダルジーザ役を冨岡明子さんが歌ったのですが、細かい音符がくっきり聞き取れて、意外と強い声も出ていましたし、とても良かったですね。

2人のノルマを聞こうと思って2日間チケットを買っていた人は、結構不満だったみたい。どうしてカヴァーキャストが歌わないのか不思議ですね。休演したのに歌わないのではカヴァーではないのでは??私は大隅さんのノルマを過去に聞いたことがあるので、聞いたことのない大村さんのノルマで不満はありませんでしたが・・・。
「体調不良」なら仕方がないと諦められるけれど、「諸事情」っていうのは何なのでしょうかね?

2018年2月24日 (土)

東京芸術劇場《真珠とり》

東京芸術劇場オペラコンサートシリーズの第5回、ビゼー作曲の《真珠とり》を見てきました~。このシリーズももう5回目か~、《ドン・カルロス》も良かったし、《サムソンとデリラ》も良かった・・・と思って、残りの2つがどうしても思い出せない。ネットで調べてみたら《青ひげ公の城》と《コジ・ファン・トゥッテ》だった。(興味がなくて行かなかったのであった)

ジョン・健・ヌッツォを久しぶりに聞いた!!私は彼がブレイクする前に大阪のホテルの宴会場みたいな所でリサイタルを聞いて、「何ていい声なんだろう」と思ったのです。その後、皆さんご存じのとおり、彼にはいろいろな事があった。久しぶりに見る彼は、かなり年を取っていた。年月が過ぎたのだから当然の事だけれど・・・。けれど、声は相変わらず、いい声だったのですよ。すぐに「あっ、ヌッツォの声だ」と分かる個性的な声でありながら、ちゃんと綺麗。美声。素晴らしい、宝の声。山あり谷ありの人生を歩いてきながら、彼はちゃんとこの才能を自分で守っていたんだなあと、聞いているこちらも感慨深いものがありました。


全曲を見ての感想は、「不思議な作品だった」ということだった。
まず、一番有名なナディールのアリア「耳に残るは君の歌声」だ。このアリアだけは何度も聞いたことがあった。私はてっきり、真珠を採るために海に潜った男が、揺れる波を見上げながら、その向こうにいる恋する女を思い起こして歌う歌だと思っていた。つまりそれは「心の声」なのであり、海の底から聞こえてくる「聞こえるはずのない美しい歌」のはずだったのだ。
ところがこのナディールは、オペラが始まってから
一度も海に潜らないのだ!!それどころか、森で豹やジャガーを捕まえて暮らしていたと言う・・・。そして、海で真珠を採って暮らしている人々に向かって、あなたも明日には私と同じような立場になるかもしれない、などと言う。まあ人生には何が起こるか分からないから、そうしたこともあるのかもしれない。
全曲を聞いたことがないゆえに思い描いていた私のこのアリアのイメージ、フランス語が分からないから見ていた美しい幻、非常に美しい、それは今日、はかなくも消えていったのだった。美しいヌッツォの声と一緒に。

私の人生が思いがけない方向へ急展開したとしても、豹やジャガーは追いかけないと思う・・・。せいぜい兎や鳥ぐらいだろう。

公演の前には、ヌッツォはアリアの最後の高音のピアニシッモを出さないのではないか?と友人と噂していたのです。「楽譜に書かれていないらしい」「出さない上演も珍しくないらしい」「いろいろな歌い方があるらしい」・・・。
しかしヌッツォは歌っていました。(繊細なファルセットで)

そうして結局、ナディールは罪を犯したのか?犯していないのか?
それは、わざと分からないように書いてあるのだと思う。
禁断の恋だから、はっきり書いては駄目なのでしょう。
『伊勢物語』の69段とか、『源氏物語』の「賢木」とか、前例があるんですよ。
はっきり書いていなくても、大人なら分かります。
決まってるじゃありませんか。

2017年7月27日 (木)

杉並区民オペラ

こんばんは。ベンデッタ・アブ郎です。
先日、杉並区民オペラで《カヴァレリア・ルスティカーナ》と《道化師》を見てきたのです。日本語訳詞上演でした。
アルフィオが「ムーチが鳴ーる、ムーチが鳴ーるぞー!ムーチが鳴ーる、ムーチが鳴ーるぞー!」と歌っていたのが強く記憶に残っております。まあ確かにそう言っているわけではありますが・・・。

サントゥッツァ役の小泉詠子さんがすごい演技力で、みじめったらしい女を写実的に描き切っていました。冒頭の場面で何と「つわり」の演技がありました!
サントゥッツァが妊娠していることを観客は知識として知っていますが、舞台上ではそれが描かれることが少ない。「つわり」を「つわり」と分からせる演技って、なかなか難しいと思うんですよね~。

そしてシルヴィオを歌った井上大聞さんもすごい演技力でしたね~。オペラの演技はもっと誇張されていてもいいかなと思いますが、スタイリッシュな、抑制の効いた感じの演技でした。拒絶している女を無理やり口説く役というと、他に《ノルマ》のポッリオーネなどがありますが、演技力が重要なんですよね。演技力がないと全然面白くない場面になってしまう。
ネッダ役の塩田美奈子さんも良かった。私は塩田さんを追いかけて名古屋まで《椿姫》を見に行ったことがあります。もうずいぶん昔のことですね~。滅多に見ないですよね。

ネッダのA stanotte e per sempre tua sarò.という台詞がうまく翻訳できてなかったみたいでしたけど・・・。

2017年3月18日 (土)

新国立劇場《ルチア》

◆ネタバレあり◆
新国立劇場の《ルチア》を見てきました。(公演2日目)
初日に友人から「すごかった」というメールをもらっていたんです。
友人からプルミエの感想メールが届くなんて、なかなかオツなものではありませんか。
それが、歌唱がすごかったのではなく、演出がすごかったって言うんですね。
だから事前に評判や感想を読んだりしないほうがいいって。
すごい演出って、どういうことだろう?
「美しい」ということだろうか?
「奇抜で意外性がある」ということだろうか?
「お金がかかっている」ということだろうか?
これまでに私がオペラの演出で「すごい」と思ったのなんて、フランコ・ゼッフィレッリ演出の舞台くらいじゃないだろうか?ゼッフィレッリの舞台は本当にすごいと思いましたよ。心の底から熱狂しました。
あとは、少し落ちますが、ロンドンで見た《ラ・チェネレントラ》に感心したことがあるなあ。身分の高低と、それを途中で入れ替えたりする人物描写が秀逸で、さすが演劇の国だと思いました。
それから、パリで見た《ルチア》は、演劇的なんだけど抽象的な感じで、こんなやり方があるのか・・・と新鮮でした。
新国の「トーキョー・リング」は、大掛かりですごいと思いましたけど・・・。
そう新国の《リゴレット》と《ナブッコ》は、舞台装置にすごいお金をかけていて、しかしそれが全く効果的でなく、お金をかければ良いものができるというものでもないのだなあという当たり前のことを再認識しました。それも「すごい」といえば「すごい」演出だったかもしれません。

さて今回の《ルチア》。幕が開くと、波が打ち寄せる岸壁。この波の表現が「すごい」のだろうか。それとも空の雲の映像が「すごい」のだろうか?
わりと普通っぽく進行していき、私としては特別に「すごい」と思うようなことが起こらぬまま、狂乱の場へ突入。
登場したルチアが槍みたいなのを手に持っており、その先にアルトゥーロ(本作中、最も気の毒な、殺された花婿)の生首が刺さっている。
ゼッフィレッリ演出の《トゥーランドット》でも、竿の先に生首が刺さっているのが出てきますね。西洋風のさらし首でしょうか?でも人の首を切るのはずいぶん力がいると思うけれど、ルチアにできるのかなあ?
このさらし首が例の「すごい演出」なのか?まあ確かに刺激的ではあります。(アルトゥーロを歌った歌手の顔に似せて作ってあったようです・・・)
舞台を刺激的にするために、脱いだり、血みどろにしたりするのが、西洋人は本当に好きですよね。
と思っていたところが!
婚礼を祝っていた広間の後ろの壁が上にひらけて、その奥から第1幕の「泉」の舞台装置が押し出されてきたのです。
こっ、これは!!!!!
ひょっとすると、狂ったルチアが見ている幻を全て舞台上に視覚化してみせようという新演出か!?
これかっ、これが「すごい演出」なのか!!
すると、あの泉の中から血まみれ女の幽霊が貞子のように這い出してくるのか?
薔薇の花が振り撒かれるのか?
今回の公演で話題になっている「グラス・ハーモニカ」は、雲形のゴンドラに乗って登場してルチアの頭上で演奏されるのか?
松明の炎が舞台上で火柱をあげてルチアの周囲で輪を描くのか?
司祭が出てくるのか?
エドガルドも出てくるのか?
エドガルドの最後のアリア「我が先祖の墓よ」の場面に死んだルチアが登場する演出はこれまでにも見たことがあるけれど、ルチアの狂乱の場にエドガルドが出てくるのはまだ見たことがない。
一体どんなふうに絡むのだろうか?
2人の演技はどうなるのだろうか?
と一瞬で妄想を膨らませたのですが、
それは実行されなかった・・・。
いつになったら「すごい演出」が出てくるのだろう?
ついに最後の場面になってしまった。
崖。
そして崖の向こうは海。
あの波が最後に津波となって、こちら側に押し寄せてくるとか・・・?
おや?アリアを歌うエドガルドの足元に、四角く切り穴が開いている。
あの穴から、ルチアの幽霊が出てくるのだろうか?
むかし、勘三郎さんが「四の切」の狐忠信を演じた時、スッポンが下がっていて、下がっていたらあそこから出てくるって分かっちゃうじゃん、分かっちゃったら面白くないじゃん、と思ったら、予想外にまるで弾丸ロケットのようにスッポーン!と狐忠信が宙に飛び出して来たことがあって、最高に興奮した。
一体ルチアは、あの切り穴からどのように登場するのだろうか?
きっと背中から羽根が生えていて、宙乗りで天上へ向かって飛んで行って、それをエドガルドが宙乗りで追いかけていくに違いない。
・・・と思ったら、実際はその穴はルチアの死体を埋めるための墓穴であった。
なぜルチアの墓穴が事前に掘ってあるのか!?
まるで死ぬのが分かっていたようではありませんか??
エドガルドは、ルチアの遺体を抱きあげたままアリアを歌い続け、すごく元気そうで、全然死なない感じだけど、どうするんだろう・・・と思ったら、アリアを歌い終わったエドガルドが舞台奥の崖っぷちのほうに向かって走っていく。
こっ、これは!!!!!
まさかルチアの遺体を抱いたまま海へ飛び込むのか?!
サンタンジェロ城の屋上からトスカが身を翻すみたいに海へジャンプか?!
これが例の「すごい演出」なのか?!
1階席ではなく4階席を選ぶべきだったか?!
と思ったら、崖っぷちで立ち止まったままで幕が下りてしまった・・・。
?????

歌手はエンリーコを歌ったアルトゥール・ルチンスキーが良かったですね。(でも名前は覚えられなさそう)

2016年9月11日 (日)

藤原歌劇団《カプレーティ家とモンテッキ家》

食パンはサン・ジェルマンのエクセルブランが好きです。

「涙について」
どうして子供はあんなに泣くのだろう
どうして大人はこんなに泣かないのだろう
大人のほうが子供より悲しいのに

藤原歌劇団の《カプレーティ家とモンテッキ家》を両キャストとも見てきました。
オーケストラは断然2日目のほうが生き生きしていたように思うのですが、どうしてなのでしょう・・・。
指揮の山下一史さんは、知らない人でしたけれども、なかなか良かったですね~。

オペラを見る時は、なるべく事前に音楽を聞き込んで予習するようにしているのですが、仕事が忙しかったので今回は予習なし。
まあ前にも見たことがある作品だし・・・と思ったのですが、すっかり忘れていました。
こんな話だったっけ・・・?
ロメオとジュリエッタはずっと反発しあっていて、ラブラブな瞬間は1回もなかった。すれ違いの恋人たち・・・。
ジュリエッタの死はあっさりしすぎだろう。
しかし、ジュリエッタが死ぬ前に嘆くと、ロミオと同じことを嘆くことになるわけか~~。
ちょっとだけ《ルチア》の最後の場面に似ていた。

『妹背山婦女庭訓』の2人は相手のことばかり、親は子供のことばかり考えているというのに、ロメオとジュリエッタは自分の悲しみしか口にしない。(それがアリアというものか・・・)

字幕の日本語が読みづらくって・・・。
「お持ちですか・・・希望を?」みたいな感じで、全てが倒置になっている。
語順が乱れすぎていて、どこまでが一文なのか理解不能。
イタリア語の語順なのでしょうか。
日本語よりイタリア語の得意な人が訳しているのでしょうか?
そのわりに、齋藤の齋より難しい漢字が出てきていましたが・・・。(字幕でよく出せたなあ!)

2人きりになったら、2人きりでしかできないことをしてほしいよ。

みんなが去っていったことを確かめる
 ↓
すばやくジュリエッタに駆け寄る
 ↓
ひょっとして生き返るのでは?と体を揺すってみる
 ↓
本当に死んだんだと絶望する

とか・・・。

あんまりラブラブじゃなかった。
バルコニー・シーンとか、みんなが知っているような場面は一切なかった。
こんな話だっただろうか・・・。
なぜあの場面が抽出されたのだろう。

《ロミオとジュリエット》を日本語でオペラにしてみたらどうでしょう。
「おおロミオ、あなたはなぜロミオなの」
などの名ぜりふを、そのまま使って。
(笑ってしまうかな?)

1日目に、売店で林康子さんの伝記を見つけ、明日買おうかな~と思ったら2日目は売店が休みだった。
劇場の売店は、経営が大変なのね。公演が不定期ですし・・・。
劇場の運営は大変。

このオペラを見終わって、ロメオがカプレーティ家なのかモンテッキ家なのか、答えられる人は何人いるだろうか・・・。

2016年9月 7日 (水)

オペラ紅白歌合戦

●今月の標語
「大江戸線 リュックを背負った 田舎者」

清原選手が捕まって一番驚いたことは、こんな有名人であっても、こんなにも長期間バレないものなのか・・・、という点です。ということは、麻薬の使用がバレることは、ほとんどないのでは?蔓延状態??

第1回オペラ紅白歌合戦に行ってきましたよ。(第2回のことは言及していなかったけれど、あるのでしょうか・・・)
サントリーホールに行くのは久しぶりでした。久しぶりすぎて、溜池山王の駅で迷ってしまいますた。昔はもっと頻繁にサントリーホールへ行っていたように思うのですが、オペラ関連の公演が減っているせいでしょうか。

フルオーケストラでオペラアリアをひたすら聞き続けるような機会は、滅多にないような気がします。6時半に開演して、15分の休憩を挟み、終演は9時半近かったでしょうか。
歌手1人あたりの持ち時間が限られているためか、ベルカント系の曲は少なめでしたが、それでも佐藤美枝子さんがたっぷり「鐘の歌」を歌いました。すごかったです、佐藤さんの「鐘の歌」。ベルニーニの大理石彫刻を見るような、完璧に計算され尽した歌唱。名人芸をじっくり堪能しました。

ソプラニスタの岡本知高さんの歌を初めて生で聞いたのですが(「ある晴れた日に」)、想像していたよりもちゃんとした歌でした。マイクを使うのかな~と思っていたので・・・。
最後に全員で「乾杯の歌」を歌ったのですが、岡本さんが男性ブロックにいながら女声パートを歌っていたのが大ウケだった。

牧野正人さんが「私は町の何でも屋」を歌ったのですが、全編にわたってマイムが付いていて、髪をとかしたりカットしたり、あっち向いたりこっち向いたり、すごい演技力でした。日本のバリトンの間で、「フィガロの振付」が代々つたわっているのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。日本人がやるのは何度か見たことがあるけれど、外国人がやるのは1度も見たことがない。知らないだけなのでしょうかねえ?

半田美和子さんを初めて聞いたのですが(「きらびやかに着飾って」)、これまた演技力に優れていてビックリでした。

永井和子さんが、1人だけ昭和から抜け出てきたようなドレスで、目を引きました。

水口聡さんが「ある日青空を眺めて」を歌い終わったあと、かなり長い静寂があって、みんなどこで拍手していいのか分からなかったみたい。このアリア、どこで拍手していいのか分からないのね。私が率先して拍手すべきだったのだろうか。あの静寂を破って拍手するのは度胸がいりますよ。この日は一体どういう客層だったのだろう?「鐘の歌」の途中で、もう終わったと勘違いしたおじさんのブラボーがかかっていたけれど・・・。すごい度胸だなあ。字幕がない歌を初めて聞く人が、あんなに長時間楽しめるものなのだろうか・・・。

村上敏明さんは、「誰も寝てはならぬ」のあと、酸欠になったのかフラついていました。最初は冗談なのかと思いましたが、マジっぽい感じでした。倒れるのかと思った・・・。

あんなに素晴らしくても、佐藤美枝子さんがフルオーケストラで「鐘の歌」を歌うのは、一生に数回なのでしょうねえ。本当に貴重な公演でした。

NHK紅白と同じように「麻布大学野鳥研究部」が客席の判定をカウントし、結果は紅組の勝利でした。

ところで!
来年2月、ついに須藤慎吾さんがイアーゴを歌うそうです!!
(新国立劇場中劇場、2月15日)
私はこの日をずっと待っていた・・・。
きっと最高の演技を見せてくれるに違いありません。
早速チケットを予約してしまいました。

2016年7月 3日 (日)

佐藤美枝子 Canta Bellini

千葉県の小さなホール、はなみがわ風の丘HALLで佐藤美枝子さんの《夢遊病の女》を聞いてきました~。(6月26日)
ゲストは山本康寛さん。

●曲目
アミーナのアリア「気もはればれと」
エルヴィーノとアミーナのデュエット「受け取っておくれ、君に捧げるこの指輪を」
エルヴィーノのアリア「すべては終わってしまった」
-休憩25分-
ショパン 夜想曲第20番
アミーナのアリア「ああ、信じられない」

アミーナとエルヴィーノしかいないので、曲目も少なめ・・・。
もう1つの二重唱(眠っている時にも私のことを思い出して~)も歌ってくれるかな~と思っていたのですが、それはナシ。
曲のあいだに、オペラ演出家の岩田達宗さんの解説がありました。
岩田さんは、テノールの山本さんのことをやたら持ち上げていて、今日これが聞けた人は後で自慢できます、などと言っていました。確かに山本さんは素晴らしい歌唱でしたが、岩田さんは佐藤さんのことは全然褒めていなくて、大丈夫だったのでしょうか・・・。

佐藤美枝子さんは、休憩の前と後とでドレスを着替えていましたが、どちらも純白の花嫁衣裳で、こんな小さな会場で、そこまでするのか~~と驚きました。キラキラなアクセサリーも変えていましたね~。綺麗でした。
アンコールで、ベッリーニ作曲《カプレーティ家とモンテッキ家》のジュリエッタのアリア「ああ幾たびか」を歌いました。
アミーナの花嫁衣裳と、ジュリエッタの花嫁衣裳と、同じでありながらも意味合いが変化しているのが面白かった。
佐藤さんの「ああ幾たびか」は、これまで他で聞いたこともないようなドラマチックな歌唱で、涙を流しながら歌っていました。素晴らしかった、ぜひ全曲を聞いてみたい!
佐藤さんは、11月にプーランク作曲の《人間の声》、12月に《ラ・ボエーム》のミミを歌うようです。もっといろいろ聞いてみたいですね。《アンナ・ボレーナ》《ノルマ》《ロベルト・デヴェリュー》とか。

山本さんのエルヴィーノは、二重唱はスタイリッシュに、アリアは情熱的に歌っていて、良かったです。
このあとペーザロに行くそうですが、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルで役がもらえるかどうかは、まだ決まっていないそうです。リーベンスコフかベルフィオールを歌いたいって言っていました。
来年2月には、びわ湖ホールで《連隊の娘》を歌うらしいです。快進撃ですね。
アンコールは「オー・ソレ・ミオ」でしたが、Canta Belliniという会で「オー・ソレ・ミオ」はどうかなあ・・・。
《清教徒》のアリアとか歌ってくれればよかったのに。←

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