3 オペラ・公演の感想

2019年2月 7日 (木)

タンホイザー

新国立劇場で《タンホイザー》を見てきました。
この作品を見るのは人生で2度目でした。
私はキリスト教徒ではないので、話がよく分からないんですよね。
でも、とてもドイツらしい作品だと思いました。
聖か俗か、100か0か、というような極端な発想ですとか、
(どちらも浮世離れしている印象)
教会は許さなかったけれど主は許した=教会はいらない的な考え方ですとか、
ナントカ侯万歳みたいなところとか、
いかにもドイツらしい感じがします。

エロ踊りが全然エロくないのは日本の風土に合わせたものなのでしょうかねえ?
ドイツの歌劇場だったら絶対に脱ぎますよね・・・?

オペラでは「エリーザベト」と書かれることが多く、ミュージカルでは「エリザベート」と書かれている。一体どちらなのか?と前から思っていたのですが、《タンホイザー》の中で何度も出てくる言い方を確認したところ、全て「エリーザベート」と言っているようでした。「エリーザベト」でもなく「エリザベート」でもなく「エリーザベート」!あなたも確認してみて!!

2018年12月 8日 (土)

オペラ彩《トスカ》

和光市の「サンアゼリア」という名前のホールで上演された《トスカ》を見て来ました。オペラ彩〔さい〕という特定非営利活動法人が主催する公演でした。

トスカ、カヴァラドッシ、スカルピアの主役3人は、新国立劇場で今年上演された「高校生のためのオペラ鑑賞教室《トスカ》」で同じ役を歌った小林厚子さん、村上敏明さん、須藤慎吾さんでした。
オペラ彩ではここ数年、高校生の団体が公演を見に来ていましたが、今年はいませんでした。演目が《トスカ》だから今年はやめにしたのでしょう。見識というものですね。

現在、無数にいるオペラ歌手の中で、最も演技力があるのは須藤慎吾さんだと私は思っているのです。スカルピアは、その演技力を遺憾なく発揮できる演劇的な役。須藤さんのスカルピアは前にも見たことがありますが、違うプロダクションですから演技も違っていました。第1幕の「テ・デウム」の最後に祭壇へこうべを垂れるところなんて、まさに名人芸といった感じで、思わず「うまい!」と言いそうになってしまいました。
私は、須藤さんのイヤーゴを見たいとずっと思っていて、2年前にやっと上演されてチケットも早々に買ってあったのに、仕事の都合で見に行けませんでした。もう見られないのだろうか・・・。何事も一期一会ですねえ。

私がこれから是非見たいと思っているもの
・狂言「靭猿」
・今井勉さんの平曲(たぶん無理だけれど曲目は「大原御幸」で)
・ケルビーニ作曲のオペラ《メデア》
・須藤慎吾さんのイヤーゴ(オーケストラ、合唱付き)

カヴァラドッシの村上敏明さんは、ナポレオン勝利の報が届いた後の雄叫びVittoria!が素晴らしかったですね。ここの聞かせどころを意外とあっさり済ますテノールが多い中、興奮度も最高潮でした。

私の好きな現役指揮者はネッロ・サンティとヴィート・クレメンテなのです。(これは私の好みのことを言っているので、良し悪しを論ずるものではありません)
オペラ彩では、《マリア・ストゥアルダ》《マクベス》《ラ・ボエーム》《トゥーランドット》をヴィート・クレメンテが振っていて、今回が5回目の出演でした。(私は5演目すべて見ました)
今日のクレメンテは、指揮をしながら自分でも歌っている場面がやたら多く、もともと要所要所で「アッ!」という掛け声でオケや合唱のタイミングを合わせる人ではあるのですが、今回はもうずっと歌い続けていて、特に「チヴィタヴェッキア」のやり取りがある件りや、第3幕の冒頭部分などは、まるで「クレメンテ・リサイタル」といった趣きでした。最初にこの指揮者を聞いた時は、こんなに実力のある人がなぜ日本の、しかも2日間だけの公演で指揮を?と不思議に思ったものでしたが、注意する人がいないと、こういうふうになってしまうのかなあと思いました。やっぱり指揮者も歌いたくなるものなのでしょうかねえ?

2018年12月 3日 (月)

オペラ歌手紅白対抗歌合戦

オペラ紅白歌合戦に行ってきました。今年で3回目だそうです。
仕事の都合で遅れてしまい、休憩後からの拝見となりました。
村上敏明さんの「ある日青空を眺めて」、笛田博昭さんの「見よ、あの恐ろしい炎を」、須藤慎吾さんの「祖国の敵」の男声3人が大変素晴らしく、興奮しました。
前半が見られなくて残念~。
佐藤美枝子さんが《夢遊病の娘》の最後のアリアを歌いましたが、繰り返しがカットされていたのが残念でした。佐藤さんは《夢遊病の娘》の全曲を歌ったことがあるのでしょうか?

来年のオペラ紅白も12月3日にサントリーホールで上演予定だそうです!

2018年10月28日 (日)

グルベローヴァ日本最後のリサイタル

エディタ・グルベローヴァの日本最後のリサイタルに行ってきました。
10月24日(水)ミューザ川崎シンフォニーホール(ピアノ伴奏)
10月28日(木)サントリーホール(オーケストラ)

無事に聞けるのかなと思ってドキドキしてしまいました。人生、途中で何が起こるか分かりませんからね、お互いに。
職場で3人の方にグルベローヴァを知っているか訊いてみたところ、3人とも知りませんでした。そりゃあ普通の会社だったらそうでしょうけれども、ウチは普通じゃないのですが、そんなものなのでしょうか。

グルベローヴァと言えば、いろいろな思い出があります。
ヴェッセリーナ・カサロヴァと2人のコンサートの時、《ばらの騎士》の二重唱が演奏されて、私はまだ《ばらの騎士》を見たことがなくて何のことを歌っているのか全然分からなかったのですが、天上から音楽が降り注いでくるような感覚にとらわれたのを覚えています。
それからドニゼッティ作曲のいわゆる「チューダー朝・女王三部作」のコンサートの時も、《アンナ・ボレーナ》に少し馴染みがあるくらいで、内容が分からなかったのですが、とにかくすごい、すごいと感動しました。

本当にたくさん楽しませていただいて、私はツェルビネッタを聞き損ねたことだけが心残りです。私は貧乏人だったので高額なオペラ公演を敬遠してしまったのですが、今にして思えば、どんなにお金を払ってでも見ておけば良かったと思うのです。後悔先に立たず、ですね。

ペーター・ヴァレントヴィッチは、ピアノも指揮もとても良かったですね。ピアノ・ソロ「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をテーマとした即興演奏」はすごい迫力でした。

今回の公演は、曲目も新鮮で、心から楽しみました。グルベローヴァも好調でした。
アンコールで《蝶々夫人》の登場の場面を歌ったのには驚き、そして泣きました。

大袈裟でなく、この世の奇跡を見るような、敬虔な気持ちになりました。このような偉大な人物が世に出現する有り難さみたいなものを、しみじみと感じたのです。

おそらく訪れた人すべてに、今日は日本のオペラ史にとって特別な日という思いがあり、会場はたいへん盛り上がりました。終演時に舞台の前に客が詰めかけて、グルベローヴァに差し出す手が千手観音みたいにたくさんたくさん伸びていました。

帰りに友人と「オペラの楽しみが減ってしまうね」などと話していたのですが、家に帰ったら、東京プロムジカが幕を閉じるというお知らせが届いていました。(デヴィーアのフェアウェル・コンサートは延期だそうです)

日本のオペラの1つの時代が終わった感じがいたします。
グルベローヴァと同じ時代に生きられたことに感謝。

2018年9月19日 (水)

あれこれ

郵便局のサービスがどんどん低下していますね。そう感じませんか?

ウチの近所のパン屋の定番「コロッケパン」が、突然ひと回り小さくなっていて驚きました。その数日後、よく利用するおにぎり屋のおにぎりまで小さくなっていて驚愕しました。

もう従来のサービスが支えられなくなっているみたいですね・・・。

日本の将来を考えると明るい材料が見当たらないのですが、あまり考えないようにしましょう・・・。

さて先日、新国立劇場オペラ研修所の「世界若手オペラ歌手ガラコンサート LE PROMESSE 2018」に行ってきたのです。(このようなコンサートは普通「ガラ」とは言わないと思いますが)
日本人歌手・・・多くの修了生の中から選ばれた優秀な人たち
外国人歌手・・・少数の現役研修生の中から選ばれた優秀な人たち
出演歌手の選ばれ方が日本と外国とで異なっている点が気になる公演でした。日本人の出演歌手はすでに何度も主役を歌っていますし、年齢的にも若手とは言えません。
また、このような研修発表コンサートに合唱の出演は必要ありませんし、生花や舞台装置も不要だと思いました。
聞いたことのない曲も混じっていて、字幕が欲しいところでした。対訳が無料配布されましたが、読む時間がありませんでした。
出演した歌手の中では、「冷たき手を」と「清らかな住家」を歌ったテノール、チャン・ロンがたいへん素晴らしかったですね。ちゃんと演技付きでアリアを歌ってくれました。「清らかな住家」を生で聞くのはいつ以来だったでしょうか・・・。好きな歌なのです。
(好きな人が住んでいる家を「住家」とは言わないと思うので翻訳が変ですね)
この日にアリアが歌われた《シモン・ボッカネグラ》《アドリアーナ・ルクヴルール》《タンクレディ》《ファウスト》など、新国で1度も上演したことがないですよね?

この新国の研修発表会のあと、サントリーホールのブルーローズで上演された《アドリアーナ・ルクヴルール》を見てきました。実在した名女優を表題役に据えた名作オペラ。名女優を演じるのは、さぞかし演じ甲斐があることでしょう。(マリア・カラスは適役だったのになぜ全曲演じなかったのだろう?)
私はこの作品が好きですし、これまでにも見たことがありますが、あまりにも久しぶりすぎてストーリーを忘れていました。そして、字幕付きで見ても詳しい物語は結局分からなかった・・・。
劇中でアドリアーナが「フェードル」の一節を朗唱する場面があるのですが、字幕に「フェドーラ」と出ていたような気がして、私の見間違いかもしれませんが、この場面は出演者の好みによって選択できるようになっているのだろうか、「フェドーラ」だったらどういうふうに公爵夫人を罵倒するのだろうか、などと期待に胸を躍らせていたところ、普通に「フェードル」が朗唱されたのでした・・・。

そう言えば、またマリア・カラスの映画が製作されたのだそうです。「私は、マリア・カラス」という邦題で、作中の半分以上が初公開の素材(未完の自叙伝、秘蔵映像・音源、手紙など)で構成されているのだとか。
またカラス映画が作られるのか・・・と驚きつつ、また見に行ってしまうのだろうなあ。
あーあ、マリア・カラスを演じられるような大歌手が出てこないものですかねえ。

2018年8月 4日 (土)

《ベアトリーチェ・ディ・テンダ》

南條年章オペラ研究室の、ピアノ伴奏演奏会形式によるオペラ全曲シリーズで、ベッリーニ作曲の《ベアトリーチェ・ディ・テンダ》を見てきました。
(7月27日(日)、サントリーホールブルーローズ)

主役のベアトリーチェを出口正子さんが歌いました。私が出口さんを見るのは久しぶりでした。多少の傷はありましたが見事な歌唱でした。藤原歌劇団で歌った《清教徒》《夢遊病の女》を見てみたかったですね。

さて、この《ベアトリーチェ・ディ・テンダ》は、オーケストラ・合唱付きでは日本で上演されたことがないのではないでしょうか。ベアトリーチェのフィナーレのアリアが稀に演奏されるくらいですね。
グルベローヴァがチューリッヒ歌劇場で歌った時の舞台がNHKで放送されたことがあります。DVDにもなっていますが、それが唯一の日本語字幕付きでしょうかね。
テオドッシュウの映像も出ていますが、NHKの冠が付いているのに日本語字幕が入っていない!!なぜ~

私はグルベローヴァの映像を見たことがありますが、その時はストーリーが全然理解できませんでした。
しかし今回の公演で私は分かったのです。《ベアトリーチェ・ディ・テンダ》は、《アンナ・ボレーナ》に似た話であると。(台本はどちらもフェリーチェ・ロマーニ)
もちろん枝葉には相違点がありますが、話の根幹はほぼ同じ。

《アンナ・ボレーナ》は、マリア・カラスの録音でお馴染みの曲ですが、冷静に考えると、かなり不思議な内容であると思います。
ペルシーも、エンリーコも、不思議なことを次々と口にする。
そして、なぜ裁判官に引き渡されることが不名誉なのか、理解しがたい。
しかし実際に上演されますと、そのような理解の範疇を超えて、巨大な興奮の渦に巻き込まれるのが、怒涛の第1幕フィナーレです。
テオドッシュウがアンナ・ボレーナを歌った時、本当に客席中が興奮のるつぼでした。私も珍しくブラーボと叫んだ。

《ベアトリーチェ・ディ・テンダ》は、「《アンナ・ボレーナ》のベッリーニ版」と思えば、理解が進むと思います。

たしかグルベローヴァが日本最後のリサイタルでアリアを歌う予定だったなと思って調べてみたら、大阪公演でしか歌わないらしい。なぜ~

2018年5月29日 (火)

《湖上の美人》セレンディピティ・オペラ

5月20日(日)、汐留ホールで、ロッシーニ作曲《湖上の美人》を見てきました~。
天井が配管むき出しの小さなレンタルスペースで、客席は80席ほどでしたでしょうか。珍しい演目で宣伝もほとんどしていなかったわりに、満席でした。もうちょっと広いホールだったら嬉しかったのですが、小さな空間だけに声の迫力がありました。
合唱なし、ピアノ伴奏、衣裳付きの演奏会形式という小規模な公演ながら、個性的な歌手が揃い、素晴らしい演奏でした。滅多に聞かない作品ですが、改めて曲の良さを感じました。お金をかけた大規模な公演でも感動しないこともあれば、小規模な公演でもすごく感動することもあります。やっぱり好きな作品だと聞いていて血が騒ぐ感じがしますね。
来年はベッリーニ作曲の《清教徒》が上演されるそうです。

2018年5月16日 (水)

《チェネレントラ》フェスティバルホール

このあいだの土曜日、大阪のフェスティバルホールで《チェネレントラ》を見てきました。
好きな演目なのです。
この演目は東京でも上演されたばかりですが、大阪では主役のチェネレントラがスカラ座に同役で出たことのある脇園彩さんで、オーケストラもプロのオーケストラなので、行くことにしたのでした。

「スカラ座に出たことがある日本人オペラ歌手」というのは、何人くらいいるものなのでしょうか。有名なのは林康子さんで、蝶々夫人役を筆頭に何度も出演していると思いますが、中島康晴さんが出演したのはスカラ座の公演だけれど劇場はアルチンボルディ劇場だった?そして若手公演だった?脇園彩さんが出たのは若手公演の短縮版だった?
よく分からない。
スカラ座の上演記録をネットで調べれば分かるのかもしれない。
スカラ座に出たら、日本でももっと話題になっていいような気がしますが・・・。

フェスティバルホールは、去年グルベローヴァのルチアを聞いて「いい音響だなあ」と思ったのですが、今回《チェネレントラ》を聞いたらオケの音がこもっている感じでイマイチでした。歌手の声もあまり響いていないようでした。オケピットがすごく深く掘られていました。今回、私はかなり前のほうの席で見たので、座席の位置が《ルチア》の時と違っていて、聞こえ方が異なっていたのかもしれません。

脇園さんはちょっと不調だったようですが、テノールの小堀さんは絶好調で、喝采を浴びていました!

2018年5月 4日 (金)

歌手はA、オケはB

ここ数年、国内オペラの上演で、歌手の歌とオケの演奏のテンポが激しくズレる、という事象が見受けられます。私がオペラを見始めたのは平成9年からですが、前はそういうことはなかったと思うのです。歌手はAというテンポでしか歌えない、オケはBというテンポでしか演奏できない、歌い出した途端に「あっ、AとBが噛み合わない!」と分かり、曲が進むにつれてズレが激しくなっていく。オケの音が舞台上の歌手に聞こえていないのでは?といぶかるくらいにズレていく。でもそれは一部の歌手だけで、ほとんどの歌手はオケと同じテンポで歌えている。
歌手はずっと大声で歌っているから、年を取ると耳が他の人より遠くなるのでしょうか・・・?
ポップス歌手だと、コンサートの時に舞台上で、イヤホンを使ってバンド演奏(と言うかドンカマ?)を聞いている人も多いようですが・・・。
劇場の音響というものは、客席の観客にどう聞こえるかという視点で設計されているわけですが、舞台上の出演者に聞こえるように公演ごとに工夫することを「返し」などと呼ぶ。
「私だけオケの音が聞こえていないんです」なんて歌手のほうからは言えないわけですし、「返し」の設計は指揮者の責任なのではないかと私は思うのです。そしてイヤホンを使う方法でも全然かまわないと思う。

2018年4月23日 (月)

新国立劇場《アイーダ》

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新国立劇場の《アイーダ》を初日と最終日に見てきました。

平成10年に開場記念として上演された時は、客席がすごく盛り上がって、みんな立ち上がって前のほうへ押し寄せ、20~30分のあいだ拍手が鳴り止まなかった記憶がありますが、今回はわりと冷めたノリでした。もうみんな何回も見て、見慣れてしまったのでしょうか。
私はすごく興奮して、凱旋の場を見ながらどんどん心拍数が上がってきて、このまま客席で死ぬのじゃないだろうかというくらい感動しました。同じ演目でよくこんなに何回も興奮できるものだと自分で感心するほどです。

職場の若い人たちに、今度の新国の《アイーダ》は絶対に見てね、高いとか言わないでそれだけ元手がかかっているんだから、絶対ね、と言って回ったのですが、それで
・見る人
・やっぱり見ない人

に分かれ、さらに
・見て感動する人
・見ても感動というほどではない人

に分かれるのでした。

私なんか開場記念の時まわりの人に吹聴されて3回も見て、それに飽き足らずフランコ・ゼッフィレッリ演出の別の演目を見るために海外まで行っちゃったのですから、まんまと思う壺にはまったという感じです。
開場記念の時、「《アイーダ》はやればやるほど赤字だから二度と上演されることはない絶対に」と聞かされたものですが、5年ごとに再演され、今日までよくやりましたよねえ。
「初演時の舞台装置は自らの重みで銚子の倉庫の中で朽ちた」と聞きました。本当かな。初演時の舞台装置はイタリアで作って船で運んで来たものだけれど、再演時の舞台美術は日本で作ったものだと聞きました。幕内の噂がどこまで本当なんだか・・・。

今回、アムネリス役のエカテリーナ・セメンチュクにたいへん感動しました。特に第4幕第1場。(初日よりも最終日のほうが数段、優れていた)
暗がりの中、同じ布であるにもかかわらず時に金色に時に漆黒にと色を変える衣裳を着て、姫君のあられもない、檻の中の猛獣のように歩き回り、取りすがり、泣きわめくアムネリス。どんなに権力があっても思いどおりにならぬ恋。そして王女と神官の対決。
「王と聖職者の対決」とか「呪い」というのは、台本作者が変わっても通奏低音のようにヴェルディ作品の根底に流れている。つまりそれがイタリアということだろうか?アムネリスは女である分、表現が生々しい。
セメンチュクは、客席のほうぼうを何箇所も指さして、呪いの言葉を叫んでいた。「この呪いなら本当に効くかもしれない」と思った。呪いには「効く呪い」と「効かない呪い」があると思う。何がそれを分けるのだろうか?

世界的に見て、ゼッフィレッリ演出の舞台は、どんどん上演されなくなって減ってきている。新国の《アイーダ》を初めて見た時から、そうなるだろうと思っていた。
新国の《アイーダ》は5年後にまた再演されるだろうか?

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