3 オペラ・映像 録音の感想

2014年4月29日 (火)

八千草薫『蝶々夫人』

八千草薫主演のオペラ映画『蝶々夫人』を見てきました~。以前から存在は知っていたのですが、初めて見ました。いや~、素晴らしかった!
オペラの演奏が始まる前に、長崎の遊廓の様子を描いた短い場面があり、蝶々さんとピンカートンの馴れ初めが描かれていました。ピンカートンはイタリア語で、蝶々さんは日本語で喋っていたかな・・・。
オペラの演奏が始まると、そこから八千草さんはずっとイタリア語の口パク。セリフが入ったりはしません。知らない歌手の録音でしたが、演奏もなかなかのものでした。(映像は八千草薫、声はオペラ歌手)
着物を着た演技というものが、脇役までビシッと美しくて、こんな映像はもう2度と作れない。芸者の踊り1つ取っても、「すでに失われた日本の美」という感じでした。
蝶々さんが婚礼のために行列を作って日本庭園を下りてくる場面は、あまりの美しさに涙が出ました。
ちょっと不可思議な音楽のカットが入っており、その点だけが残念でした。愛の2重唱の一部とか、「物乞いになるくらいなら死ぬわ」と歌う場面がカットされていました。どうしてそんな少しばかりカットをするのやら・・・。戦後のことで、いろいろ制約があったのでしょうか。(1955年公開映画)
全編ローマで撮影したそうですが、よくこんなセットを作れたなあ・・・。
外国の方々にも、この映画を広く見てもらって、《蝶々夫人》の美の規範としてほしい。真似できないだろうけど・・・。

2008年7月10日 (木)

バルトリのコンサートDVD

●バルトリのコンサートDVD(「マリア~バルセロナ・コンサート2007」)を見よう…と思ったら、何と日本語字幕が付いていないではありませんか!2枚目のドキュメンタリーDVDには付いているのに。どういうことなのでしょうか…。付属のブックレットに対訳が載っていますが、映像を見ながらなんて読んでいられませんよね。字幕を入れるのって、そんなにコストがかかるものなのでしょうかねえ。日本語字幕を入れないなら、輸入盤とさして変わらないのでは?意図が分からない。

●取りあえず、何曲か聞いてみました。《チェネレントラ》、《オテロ》、《夢遊病の娘》、「ラタプラン」、《計算ずくの詩人》。最高に素晴らしい。

●《チェネレントラ》のアリアは、前回の来日コンサートでも歌いましたが、あの時はわりと、サラッと歌い流していた印象でした。この映像では、とても表現豊かに歌っています。シャイー指揮の全曲CDより更に深くなったように思います。私は幸運にも、昨年の大晦日、チューリッヒ歌劇場でバルトリのチェネレントラを見ることができましたが、この映像とだいたい同じような歌唱だったと思います。ただし、チューリッヒでは最後の高音にトリルは付けていませんでした(この映像では付けています)。バルトリのトリルって、いつも不思議なのですが、ちゃんとトリルになっているのでしょうか…。

●《夢遊病の娘》のアリアは、もう少し前のレチタティーヴォの部分から歌ってほしいところなのですが(歌詞が素晴らしいので好き)、この映像では、ああ信じられないAh! non credea mirartiから歌っています。カヴァティーナとカバレッタの繋ぎ方も、ちょっと不自然な感じがします。しかし、バルトリの表現力、技巧の冴えがたっぷり楽しめました。いま歌っているのが、悲しい内容なのか、楽しい内容なのかさえ分からないような歌手も多い中、バルトリは声の色だけでもそれが伝わってきます。ソプラノが歌う時のような超高音は出てこないわけなので、高音フェチの私にはちょっと物足りないかも、なんて心配もありましたが、出すべき高音は出していますし、逆に低音の装飾音に格別な味わいがあり、聞いていて興奮しますね。必聴だと思います。

●オーケストラには指揮者がいない形。珍しいですね。メリハリがあって、盛り上がっています。会場のカタルーニャ音楽堂も美しい。こんなのが見られるなんて、ちょっとスペインが羨ましいです。

2008年6月20日 (金)

日本ロッシーニ協会 例会

日本ロッシーニ協会 例会

映像鑑賞《エルミオーネ》

虎ノ門・オカモト屋ビル4階会議室

2008年6月15日(日)13時30分

講師:千代田晶弘

●今年の夏、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで上演される《エルミオーネ》の予習会でした(私はペーザロには行きませんが…)。映像素材は1988年にマドリッドで上演されたもの。主な配役は、

エルミオーネ:モンセラ・カバリエ

アンドロマカ:マルガリータ・ツィンマーマン

ピッロ:クリス・メリット

オレステ:ダルマシオ・ゴンザレス

指揮:アルベルト・ゼッダ

演出:フーゴ・デ・アナ

とにかく、「予習でこんなすごい映像を見ちゃっていいの?」というくらいの名演でした。特にメリットが素晴らしかった。彼の全盛期の映像らしいです。

●ロッシーニの作品は、台本が納得しづらいものも多いのですが、ラシーヌの悲劇を原作としているだけあって《エルミオーネ》は、なかなか良さそうな感じでした(日本語字幕のない映像だったので、何とも言えませんが…)。ラシーヌの原作『アンドロマック』では、登場人物それぞれに見せ場が用意されていますけれども、ロッシーニの《エルミオーネ》は、エルミオーネとピッロにフォーカスしているようですね。

●ラシーヌの『アンドロマック』は以前読んだことがありますが、とても面白い戯曲でした。ロッシーニ《エルミオーネ》の台本は、ほとんどラシーヌに準拠しているらしい(?)ので、ぜひお読みになると良いでしょう。

●《エルミオーネ》は、片思いの連鎖の物語です。

オレステはエルミオーネが好き

  ↓

エルミオーネはピッロが好き

  ↓

ピッロはアンドロマカが好き

  ↓

アンドロマカはエットレ(故人)が好き

そして、アンドロマカにはアスティアナッテという幼い息子がいるのでした(亡きエットレの忘れ形見)。で、エルミオーネとピッロは婚約しているのでした。みんな、叶わぬ恋に苦しむのでした。それでもってエルミオーネは、「本当に私のことを好きなら、ピッロを殺してきて!」とか、「何で殺したのよ!あの時は気が動転していただけよ!それくらい分かりなさいよ!」とかってオレステに言うのでした。

●オレステはアガメムノンの息子なのですが、この世代まで来るともうギリシャ神話とは言わないのかな…。よく分からない。一応、ギリシャ神話くらいは一通り知っておくべきかな~とはいつも思うのですが。

●これは前にも書きましたが、好きな人が自分に好きになってくれないことを、マイナスの感情に転化させてはいけません。それでは本末転倒と言うものです。仕方のないことなのです。むしろ、そのほうが普通、と思っていてもいいくらいです。これだけ大勢の人がいて、私を好きになって当然、と思う理由がありません。「誰を好きになるのか」という感情は、自分の理性で決められるものではありませんが、しかし「それで、どうするのか」という行動は、自分で決められます。人間たるもの、常に誇りを持って、見苦しくないようにしなくてはいけません。

●ギリシャ神話やギリシャ悲劇なんかは、人間のマイナスの感情を倍増させて表現したりなんかしていて、あけすけなんですけれども、まあ芝居の中では何をしようと勝手ですし、激しくないと劇にならないですからね。そういう極端なものを見る楽しみというのも、あるのではないでしょうか。普通のことは舞台にのせても仕方ありません。

●先日、日本語字幕つきの《エルミオーネ》のビデオを借りることができたので、今度見てみるつもり。面白い詩章だと良いのだけれど。

2008年5月24日 (土)

《連隊の娘》METライブビューイング

ドニゼッティ《連隊の娘》METライブビューイング

2008年5月11日(日)18時30分 品川プリンスシネマ

●《連隊の娘》は、それほど好きな作品でもないのですが、大好きなデセイとフローレスの共演ですから見逃すわけにいきません。METライブビューイングは初めてでしたけれども、ちゃんとした映画館で画面・音響・客席配置が揃っていれば、3500円でも納得できます。品川プリンスシネマは見やすくて良かった。

●最近、《夢遊病の女》→《夢遊病の娘》とか、《アルジェのイタリア女》→《アルジェのイタリア娘》などと、古来のタイトルを変更して表記する場合があります。場合があるって言うか、それをするのは藤原歌劇団だけですけど…。しかし、申すまでもありませんが「女」と「娘」は同じ意味ではありません。《連隊の娘》を《連隊の女》にしたら、どうでしょうか?マリーが回されてしまいます。そういうわけで、《アルジェのイタリア娘》は別におかしくありませんが、《夢遊病の娘》にはとても違和感があります。日常会話で「娘」という言葉を「若い女」という意味で使うことはまずありません。LA SONNAMBULAは《夢遊病の女》で良いのです。もし《夢遊病の女》というタイトルに何か冷たさ、無機的な響きを感じてイヤだというのなら、私であれば《夢遊病の彼女》とでも訳すかな。《夢遊病の娘》じゃ絶対イヤ。ダサいんだもの。

●以前、スカラ座の《連隊の娘》の映像を見たことがあります。デヴィーアが真面目に歌っていて、少しも面白くなかった。で、スカラ座の《連隊の娘》がつまらないのをゼッフィレッリのせいにしている人が少なからずいますが、スカラ座の《連隊の娘》はゼッフィレッリの演出ではありません。ゼッフィレッリが担当したのは舞台装置と衣装であり、演出はフィリッポ・クリヴェッリという別の人です。そして舞台装置だけに関して言えば、今回のMETよりスカラ座のほうが良くできていたと私は思います。METの舞台美術は変化に欠けるし、引きの画面になると上空が寂しい感じでした。

●この作品の中で1番有名なアリアはテノールの「友よ!今日は何て楽しい日」でしょう。ハイC(高いドの音)が9回も出てくるので有名です。しかし私は、自分が普通にハイCを出せるものですから、取り立ててすごいアリアだとは思わないんですよね~。皆様にお聞かせできないのが残念ですが、2点E(ミの音)くらいまで普通に出ます。Fも出るかも。そういう人、日本人には大勢いると思います。ポップス歌手でも、高い音域で歌ってる人いっぱいいますよ。また清元でも常磐津でも、高音はバンバン出てきます。何か、そういう高音部は、山台の端っこに座った「実力は未だしでも高音だけは得意な若手」が担当する決まりになってるみたいですけど…。例えば常磐津の「関の扉〔せきのと〕」でも、「二人が夜もすがら」なんてところは、とても高い音で語られます。前編のクライマックスですから、私なら若造に任せたりせずに自分で語ります(笑)。

●日本人は背の低い人が多いですけれど、背が低い=小柄ということは声帯も短いということであり、高音が得意な人、いっぱいいると思います。しかし、そのような高音の出る人が、オペラ歌手に憧れる可能性は低い。子どもの頃にオペラ歌手に憧れる人が増えれば、日本はテノール天国になると思うのですが…。(テノール天国、なんて素晴らしい天国なのでしょう…。)

●しかし、残念ですが普通の日本人は子どもの頃にオペラ歌手に憧れたりはしません。ここはひとつ、オペラ好きな親御さんたちに頑張っていただいて、お子さんをオペラ歌手へと導いていただきたい(笑)。ものにならなかったとしても、それはそれで別の楽しい人生が開けるのではないかと思うのですが、どうでしょう?

●高音部はつまりクライマックスってことでもありますが、「友よ!」のアリアは高音続きなので、かえって盛り上がりに欠けるきらいがあるように思います。私はむしろ第2幕のアリア「マリーのそばにいるために」のほうが好きかな。フローレスは時間が止まりそうなくらいたっぷり歌っていて最高でした。

●マリーは実家に連れ戻されて、淑女たる訓練を受ける。すっかり身につける。しかし、それがイヤでたまらない。「淑女」と「連隊の娘」という全く異なる2つのキャラクターを行ったり来たりする、それがこの作品の1番面白いところだと思うのです。2つの身分を行ったり来たりする役は、オペラの中によく出てきます。しかし、それを演じられる歌手は現在ほとんどいません。サザランドは見事に演じていました。サザランド主演の《連隊の娘》の映像は実に面白かった。今回のデセイは期待していたほどではありませんでした。「連隊の娘」のお転婆キャラはいきいきと演じていたけれど、「淑女」のキャラはぼんやりしていた。期待しすぎていたのかも。

●演出を現代っぽくすると、人々の身分差が消え去り、みんな同じ地平に立っているような印象になってしまう。貴婦人たちが「マリーは連隊の娘」と聞いて蔑むのも、現代だと「何が悪いの?」って感じです。

●しかしデセイは本当に元気いっぱいに魅力的に演じていました。声の透明度が落ちていくのが気にかかるけれど、歌う女優だから仕方ありません。

2008年5月12日 (月)

《ルチア》ミラノ・スカラ座

オペラ・映像の感想

《ルチア》ミラノ・スカラ座

1992年・ライヴ収録

指揮:ステファノ・ランザーニ

演出:ピエラッリ

演奏:ミラノ・スカラ座管弦楽団

合唱:ミラノ・スカラ座合唱団

エンリーコ(ルチアの兄):レナート・ブルゾン

ルチア:マリエッラ・デヴィーア

エドガルド:ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ

アルトゥーロ(ルチアの婚約者):マルコ・ベルティ

ライモンド(牧師):カルロ・コロンバーラ

アリーザ(ルチアの侍女):フロリアーナ・ソヴィッラ

ノルマンノ(エンリーコの腹心):エルネスト・ガヴァッツィ

●よく分からないのだけれど、かなり歌とオーケストラがずれているんですよね~。特にブルゾン。スカラ座はリハーサル期間を充分に取っている劇場というイメージがあったのですが、そうでもないのかな…?合唱も、それほどレベルが高いとは感じられませんでした。

●通常はカットされることが多いルチアとライモンド(牧師)の二重唱や、嵐の場も上演されていました。カラス・ファンの私には馴染みの薄い場面…。ストーリー上は重要かもしれませんが、音楽的にはやはり一段劣る印象。他の場面があまりに素晴らしいから、ダレ場と感じてしまうのかも。生で見たらそれなりに面白いのかな。(ラ ヴォーチェ公演のとき、自分が見た日は上演されたのか覚えていない…!)

●デヴィーアは、始終冷静なところがあまり好きになれない。狂乱の演技もイマイチですね…。ラ ヴォーチェ公演のときはすごく感動したのですが。

●アルトゥーロ役がマルコ・ベルティ!この役、意外と良いテノールが歌うことが多いですね。将来有望なテノールが歌う役なんでしょうね。

●演出はイマイチ。と言いますか、《ルチア》の演出に満足することって少ない気がします。

●新郎新婦が初夜の床入りの時間に、別室で知り合いが踊ってるのって、どうなんでしょうねぇ…。

●この作品、最初は「あたりは沈黙に閉ざされ」と「狂乱の場」ばかり何度も聞いていたのですが、だんだん第1幕の二重唱が好きになり、エドガルドの指輪取りの場面が好きになり…と、好きな場面が増えてきました。そしていま私は、なんか蛇足っぽいと思っていた「我が先祖の墓」にすっかり夢中。スコーラ程度の歌でもボロ泣き。(一番好きなのはジュゼッペ・ディ・ステファノかな。死に方がうまい。)こんな大規模なテノールのアリア、他にあまりないのではないでしょうか。もう歌詞が美しくてねぇ。剣を突き立ててからのチェロの演奏なんかも最高。歌いながら死んでいく、とっても演劇的なアリアですね。

●そのアリアの最中にライモンド(牧師)が、「神よ、彼をお許しください」って言っていることに、今回初めて気がつきました。つまりエドガルドは、キリスト教で禁止されている自殺をした、罪人なのですね。キリスト教が自殺を禁じているのは、自分を殺すのは他人を殺すのと同じ、自分の命は自分のものではない、自分は生かされている、ってことなのかな…。いえ、よく知らないのですが。ルチアもエドガルドも罪人で、天国には行けないのだろうか、でもエドガルドは「神様が天国で二人を結びつけてくださるだろう」って何度も何度も言っていて、私はボロ泣きしてしまいました。2人はもう充分この世で苦しんだのですから、どうか天国で結ばせてあげてください。

2007年12月 2日 (日)

ナクソス島のアリアドネ

●ついに私は見た、R.シュトラウス作曲《ナクソス島のアリアドネ》の映像を。今まで1度も見たことなかったんですね。歌舞伎だと、有名演目はもうたいてい見ちゃったんですけども、オペラは見ていない作品が山と残っていて、先々楽しみ。「初めて見る楽しみ」は1回しかないですからね(当たり前)。

●まず、グルベローヴァ主演のスタジオ収録版を見て、次にデセイ主演のザルツブルク音楽祭ライヴを見てみました。素晴らしい…。こんなすごい作品だったなんて感激。もっと早く知っていれば良かった…とは言わないことにしよう。こういうのは巡り合わせだから。

●「私たちは偶然島に居合わせた陽気なグループ」っていうセリフに心酔。もう台本作家の才能に惚れ込みました。台本が良いオペラは最高ですね。

●グルベローヴァが自ら1番好きな役と言うだけあって、歌も演技も唖然とするほど、神がかり的な名演。イタリア物より合っているのでしょうね。スタジオ収録なので口パクなのですが、本当に歌ってるみたいに見えるし。それに比べてアリアドネ役のヤノヴィッツはバレバレのリップシンク。ヤノヴィッツが歌い始めると眠くなる…。

●「偉大なる王女様」のアリアだけ何度も聞いたことがあったのですが、これまで意味がさっぱり分からなかった。グルベローヴァのコンサート映像でも見たことがあります。すごく良かったけれど、意味が分からなかった。意味の分からないアリアなのだと思っていた。こんなアリアだったなんて…。同じ言葉が歌われているのに、こんな意味だったなんて…。ホフマンスタール、すごすぎ。

●ザルツブルクの映像は、時代設定を現代に移し変えた「読み替え演出」ってやつでした。前半はツェルビネッタの描き方とか結構面白かったんですけど、後半になったら俄然つまらなくなった。前半と同じセット。楽屋裏と舞台上と変わりばえがしないって、どういうことなんだろう…。読み替え演出って、そういうの多いですね。

●それで、読み替え演出の話ですけれども。セリフと違うことをやってますでしょう。「洞穴」「王女」「魔女」などは、比喩として受け止められるんですけれども、アリアドネとバッカスの最後のやり取りで、神がどうしたとか歌い始めるともう駄目で、「二人狂乱」っていう新趣向だろうか?などと思ったことでした。やっぱり現代演出は私の好みじゃないのかも。デセイの「偉大なる王女様」にも感動できませんでした。グルベローヴァ主演の映像の方が断然面白かったです。

2007年10月22日 (月)

《フィガロの結婚》ザルツブルク音楽祭

オペラ・映像の感想

モーツァルト《フィガロの結婚》

ザルツブルク音楽祭 2006年

フィガロ:イルデブランド・ダルカンジェロ

スザンナ:アンナ・ネトレプコ

伯爵夫人:ドロテア・レーシュマン

アルマヴィーヴァ伯爵:ボー・スコウフス

ケルビーノ:クリスティーネ・シェーファー

マルチェッリーナ:マリー・マクローリン

バルトロ:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ

ドン・バジリオ:パトリック・ヘンケンス

バルバリーナ:エヴァ・リーバウ

ウィーン国立歌劇場合唱団

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:ニコラウス・アーノンクール

演出:クラウス・グート

装置・衣装:クリスティアン・シュミット

収録:2006年7-8月、ザルツブルク モーツァルトハウス(ライヴ)

●2006年にザルツブルク音楽祭で上演された≪フィガロの結婚≫をDVDで見ました。(英語字幕だったので、レチタティーヴォの部分はチンプンカンプンでしたけど。)

●序曲が始まると、アーノンクールの指揮が遅いテンポで、私の好みではありませんでした。序曲(と言うか最初の数小節)で先が分かってしまうというのも寂しいものですが…。テンポって指揮者によって全く変わってくるわけですけど、どんなテンポでも楽しめる達人になれたらいいのに~。私は、ゆったりテンポが好きだと自分で思っていたのですが、モーツァルトやロッシーニは早い方が好きなのかも?何度も聞いていると感覚が変わってくることもありますけどね。

●楽器の音色とか、オケの規模なんかも公演によって違いますし、自分の好みの演奏を楽しめばいいかな、と思います。音楽って「優劣」ではなくて「好きずき」なんですよね。技術的な上手い下手はあるにしても。

●アーノンクールの指揮は、全体的には遅いテンポですが、場面によって早くなっている部分もあって不思議。スザンナの最後のアリアは、とっても良かった(好みだった)です。

●歌手は「見た目で選びました」って感じでしょうか。声楽的には、それほど高レベルとは思いませんでした。伯爵のアリア、音程が上ずってませんか?ケルビーノは、か細い声で淡々と歌い続けているし…。伯爵夫人はビブラートが細かくて肺活量ないし…。マルチェッリーナのアリア、あの歌唱ならカットした方が良かったのでは…。比べてみると、今回の新国の歌手も決して劣っていないなぁと思いました。

●装置や衣裳が現代風になっているせいか、身分差とかキャラクターの個性のようなものが消え去っているような気がしました。フィガロも伯爵夫人も普通の人っぽい。フィガロの愛想のなさとか、伯爵夫人の感情表現の大仰さとか…。

●アリアでは、歌手に振付がなされていて、ゆったり踊りながら歌ってました。最近の演出家は、とにかく画面を静止させないように腐心するようですね。振付があれば、どんな歌手でもそれなりに形になりますし、有効な手かもしれません。ミュージカルっぽくなりますけど。

●≪フィガロの結婚≫のアリアって、音域さえ合えば誰でも歌えそうじゃないですか。超高音も超低音も出てこないし、音符も細かくないし、あまり劇的でもないし。しかし、だからこそ面白く歌うのは難しいんだろうな~と思います。

●全体的に重い雰囲気の漂っていた公演ですが、ネトレプコは役に合っていてチャーミングでした。

2007年8月 5日 (日)

《イタリアのトルコ人》カーン劇場

先日、≪イタリアのトルコ人≫の映像を見ました。フランスのカーン劇場というところで上演されたもの。この映像を見るのは2度目だったのですが、内容をすっかり忘れていました。もう、ストーリーに納得がいかない~。いくつか良さそうなアリアもありますが、いくら音楽が良くても、詞に共感できないと、面白くないなぁと思いました。もっとも、演出によって大きく印象が変わりそう。この映像では衣裳も照明もダメダメですし、別のプロダクションだったら、もう少し楽しめるかも…?(いやしかし、女性はこういうオペラを見て、イヤじゃないのでしょうか。)

2007年7月 8日 (日)

《泥棒かささぎ》

日本ロッシーニ協会

ROF予習会2007

ロッシーニ《泥棒かささぎ》

講師:吉田光司

2007年7月8日(日)13時30分 虎ノ門・オカモトヤビル

●日本ロッシーニ協会の例会で《泥棒かささぎ》の映像を鑑賞。(3時間を超す大作なので、間に解説を入れながら多少カットがありました。)

●かささぎと言いますと、名前は知っているけれど身近な鳥ではなく、「かささぎの渡せる橋」のような、ちょっとロマンチックなイメージを持っていました。ところが今日の解説で「かささぎ=カラス+九官鳥のイメージ」という話が出て、なるほど!と腑に落ちました。舞台を見るときは、かささぎの飛び方とか喋り方も楽しみですね。

●この作品は、「ニネッタどうなっちゃうの~?」とハラハラしながら見る1回目が一番面白いのでは…と思っていたのですが、2度3度見てもしっかり楽しめますね。ジャンネット登場のアリアや、ニネッタがピッポに十字架を渡す場面が特に好きです。

●今日は参加者がとても多くて、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルにも大勢行かれるようです。私も今年初めてペーザロへ行く予定。作品、歌手、演出、街の様子、美味しい食事も含め、楽しんでこようと思います。

2007年6月24日 (日)

《アルチーナ》シュトゥットガルト州立歌劇場

オペラ・映像の感想

ヘンデル《アルチーナ》

シュトゥットガルト州立歌劇場 1999年

●約2時間50分。眠気と戦いながら、何とか最後まで見ました。私がこれまで見たオペラ映像の中でも、屈指のつまらなさ。演出が酷すぎます。しかも歌手は総じて十人並み。

●男装の若い女性を演じるヘレーネ・シュナイダーマンは、最初から最後まで奇妙なおばさんに見えました。アリス・クートは二枚目っぽく見えて良かったかな。タイトルロールのカテリーネ・ナグレシュタットはとても美人でした。でも全員、歌が平板でした。

●この作品については予備知識がなかったのですが、ストーリーが強引すぎる感じがしました。

●駄目な演出家は、印象に残る絵面を作り出せない。場面や役柄の変化を描けない。ずーっと同じトーン。

●この映像は、《アルチーナ》の「唯一の日本語字幕つき映像」なのですが、この作品にとって不幸なことだと思いました。

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