世の空しさを知る神
オペラ・アリア 歌詞翻訳シリーズ
ヴェルディ作曲《ドン・カルロ》より
エリザベッタのアリア
「世の空しさを知る神」 Tu che le vanità conoscesti del mondo
お義父様、
世の空しさを知るお義父様
今は霊廟深く
安らかに眠っておられるけれど
天上でもまだ泣くことができるなら
私の悲しみのためにお泣きください
そしてこの涙を
主の御許へお運びください
カルロは来るでしょう
そう、そして旅立ち、二度と戻らない
彼の将来を見守ると
私はポーザ侯に誓いました
その運命に従えば
彼には栄光が開けるでしょう
けれど私の人生には
早くも黄昏が訪れました
フランス
気高くも愛おしい大地
フォンテーヌブロー
私の心は飛んでいく
あの森で私は永遠の愛を誓い
神も聞き届けてくださいました
けれどその永遠も
たった一日で終わってしまった
イベリアの地の
美しい庭園よ
いつかカルロがここで再び
夕闇に足を止めることがあったなら
野も小川も
泉も森も花も
皆そろって
私たちの愛を讃えてほしい
さようなら、金色の美しい夢
失われた幻
絆は引き裂かれ
光は闇となった
もう一度さようなら、青春の日々
激しい苦悩の果てに
この心が望むものは一つ
霊廟の安らぎばかり
お義父様、
世の空しさを知るお義父様
今は霊廟深く
安らかに眠っておられるけれど
天上でもまだ泣くことができるなら
私の悲しみのためにお泣きください
そしてこの涙を
主の御許へお運びください
天上でもまだ泣くことができるなら
どうかこの涙を
主の御許へ
エルトン・ジョンは、ミュージカル《ライオン・キング》や《アイーダ》の作曲者として知られていますが、代表作は何と言っても「Your Song」でしょう。この「Your Song」というタイトルを日本語に翻訳する場合、いくつかの選択肢があります。
①あなたの歌
②君の歌
③お前の歌
④あんたの歌
⑤あなた様の歌
⑥お前さんの歌
⑦汝の歌
etc
どれを選んだとしても、間違いではないでしょう。自動翻訳機にかけたら、「①あなたの歌」になるのではないでしょうか。ただ、歌詞の内容を考えると、「②君の歌」がしっくり来るように思います。「③お前の歌」でも悪くない。
④や⑤は、間違いではないとは言え、悪趣味であると感じますね。
しかし、この曲が日本で発売された時、邦題は「僕の歌は君の歌」というものでした。「Your Song」という原題には、どこにも「僕の歌は」に相当する部分はありません。これは誤訳ではないか、翻訳者の越権ではないか?
けれど待ってください。もし「君の歌」という邦題にした場合、歌詞に書かれている「この歌は君のもの」という内容ではなく、「君に関することを歌った歌」だとイメージする人が多いのではないでしょうか。いや、その可能性のほうが高い。そうした誤解を回避するために、「僕の歌は君の歌」という邦題は、有効であると思う。レコード会社は、邦題を決定する権力を持っている。
どんな翻訳にも、翻訳者の考えというのは紛れ込んでしまうものですし、それは悪いことではない。当たり前のこと。それが翻訳というものです。
《ドン・カルロ》のエリザベッタのアリアは、通常「世の空しさを知る神」と訳されますが、歌詞を読むと「神」ではなく「Tuあなた」なのであり、更に内容を考えると「カルロ5世」を指しています。そこで「世の空しさを知る神」というタイトルは誤訳である、使うべきでない、「世の空しさを知るあなた」が正しい、と言われることがあります。
しかし、私の考えでは「世の空しさを知るあなた」も誤訳です。
カルロ5世はエリザベッタの義理の父に当たります。義理の父に向かって「あなた」と呼びかけることは日本では絶対にないからです。直訳としては正しくても日本語としては全く不自然だと思います。
つまり、どうやっても日本語に変換できないタイトルなのだと思います。全ての言葉が日本語に置き換えられるわけではないと思います。そうした時、翻訳者が自分の考えや好みを翻訳に反映させるのは決して悪いことではありません。またオペラの翻訳の場合、翻訳された日本語は詞になっていなければいけない。言葉として美しいものでなくてはオペラの翻訳にならないでしょう。意味さえ伝わればいいというわけにはいきません。
私は、「世の空しさを知る神」というタイトルは良く出来たタイトルだと思います。神は世の空しさくらい知っているに違いありませんから。
実際のところ、「Tuあなた」という呼びかけで始まるインパクトであるとか、関係代名詞、言葉の並び順と旋律のつながり、そうした要素を日本語で表現するのは不可能なこと。100%楽しむためには、原語で理解する以外にないのです。もともと無理なことをしている。
私ならば日本語に訳すとき、逐語訳として正しいかということよりも、日本語として美しいか、不自然でないかというほうを重視します。
オペラの字幕を見ていて納得できない場合は、自分の頭の中で、好みの日本語に変換してしまえば良いのだと思います。
このアリアでエリザベッタは、自分の苦悩を、義理の父であるカルロ5世に訴えます。周りにいる人々はお馬鹿さんばかりで、エリザベッタの高貴な悲しみを理解できるはずがない。かと言って神様に直接訴えるのは存在が遠すぎる。身近な人に分かってほしかったのだと思います。
話しかけている対象はカルロ5世ばかりではなく、次々と変わっていきます。オペラ全幕を把握していないと理解できないアリアですね。
(私は、このアリアに関して、もう日本語に翻訳しなくても楽しめる段階に入りました)
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