4 アリア翻訳シリーズ

2012年6月 5日 (火)

世の空しさを知る神

オペラ・アリア 歌詞翻訳シリーズ
ヴェルディ作曲《ドン・カルロ》より
エリザベッタのアリア

「世の空しさを知る神」 Tu che le vanità conoscesti del mondo

お義父様、
世の空しさを知るお義父様
今は霊廟深く
安らかに眠っておられるけれど
天上でもまだ泣くことができるなら
私の悲しみのためにお泣きください
そしてこの涙を
主の御許へお運びください

カルロは来るでしょう
そう、そして旅立ち、二度と戻らない
彼の将来を見守ると
私はポーザ侯に誓いました
その運命に従えば
彼には栄光が開けるでしょう
けれど私の人生には
早くも黄昏が訪れました

フランス
気高くも愛おしい大地
フォンテーヌブロー
私の心は飛んでいく
あの森で私は永遠の愛を誓い
神も聞き届けてくださいました
けれどその永遠も
たった一日で終わってしまった

イベリアの地の
美しい庭園よ
いつかカルロがここで再び
夕闇に足を止めることがあったなら
野も小川も
泉も森も花も
皆そろって
私たちの愛を讃えてほしい

さようなら、金色の美しい夢
失われた幻
絆は引き裂かれ
光は闇となった
もう一度さようなら、青春の日々
激しい苦悩の果てに
この心が望むものは一つ
霊廟の安らぎばかり

お義父様、
世の空しさを知るお義父様
今は霊廟深く
安らかに眠っておられるけれど
天上でもまだ泣くことができるなら
私の悲しみのためにお泣きください
そしてこの涙を
主の御許へお運びください
天上でもまだ泣くことができるなら
どうかこの涙を
主の御許へ


エルトン・ジョンは、ミュージカル《ライオン・キング》や《アイーダ》の作曲者として知られていますが、代表作は何と言っても「Your Song」でしょう。この「Your Song」というタイトルを日本語に翻訳する場合、いくつかの選択肢があります。

①あなたの歌
②君の歌
③お前の歌
④あんたの歌
⑤あなた様の歌
⑥お前さんの歌
⑦汝の歌
etc

どれを選んだとしても、間違いではないでしょう。自動翻訳機にかけたら、「①あなたの歌」になるのではないでしょうか。ただ、歌詞の内容を考えると、「②君の歌」がしっくり来るように思います。「③お前の歌」でも悪くない。
④や⑤は、間違いではないとは言え、悪趣味であると感じますね。

しかし、この曲が日本で発売された時、邦題は「僕の歌は君の歌」というものでした。「Your Song」という原題には、どこにも「僕の歌は」に相当する部分はありません。これは誤訳ではないか、翻訳者の越権ではないか?
けれど待ってください。もし「君の歌」という邦題にした場合、歌詞に書かれている「この歌は君のもの」という内容ではなく、「君に関することを歌った歌」だとイメージする人が多いのではないでしょうか。いや、その可能性のほうが高い。そうした誤解を回避するために、「僕の歌は君の歌」という邦題は、有効であると思う。レコード会社は、邦題を決定する権力を持っている。

どんな翻訳にも、翻訳者の考えというのは紛れ込んでしまうものですし、それは悪いことではない。当たり前のこと。それが翻訳というものです。

《ドン・カルロ》のエリザベッタのアリアは、通常「世の空しさを知る神」と訳されますが、歌詞を読むと「神」ではなく「Tuあなた」なのであり、更に内容を考えると「カルロ5世」を指しています。そこで「世の空しさを知る神」というタイトルは誤訳である、使うべきでない、「世の空しさを知るあなた」が正しい、と言われることがあります。

しかし、私の考えでは「世の空しさを知るあなた」も誤訳です。
カルロ5世はエリザベッタの義理の父に当たります。義理の父に向かって「あなた」と呼びかけることは日本では絶対にないからです。直訳としては正しくても日本語としては全く不自然だと思います。

つまり、どうやっても日本語に変換できないタイトルなのだと思います。全ての言葉が日本語に置き換えられるわけではないと思います。そうした時、翻訳者が自分の考えや好みを翻訳に反映させるのは決して悪いことではありません。またオペラの翻訳の場合、翻訳された日本語は詞になっていなければいけない。言葉として美しいものでなくてはオペラの翻訳にならないでしょう。意味さえ伝わればいいというわけにはいきません。

私は、「世の空しさを知る神」というタイトルは良く出来たタイトルだと思います。神は世の空しさくらい知っているに違いありませんから。

実際のところ、「Tuあなた」という呼びかけで始まるインパクトであるとか、関係代名詞、言葉の並び順と旋律のつながり、そうした要素を日本語で表現するのは不可能なこと。100%楽しむためには、原語で理解する以外にないのです。もともと無理なことをしている。
私ならば日本語に訳すとき、逐語訳として正しいかということよりも、日本語として美しいか、不自然でないかというほうを重視します。

オペラの字幕を見ていて納得できない場合は、自分の頭の中で、好みの日本語に変換してしまえば良いのだと思います。

このアリアでエリザベッタは、自分の苦悩を、義理の父であるカルロ5世に訴えます。周りにいる人々はお馬鹿さんばかりで、エリザベッタの高貴な悲しみを理解できるはずがない。かと言って神様に直接訴えるのは存在が遠すぎる。身近な人に分かってほしかったのだと思います。

話しかけている対象はカルロ5世ばかりではなく、次々と変わっていきます。オペラ全幕を把握していないと理解できないアリアですね。

(私は、このアリアに関して、もう日本語に翻訳しなくても楽しめる段階に入りました)

2012年2月12日 (日)

私は神の下僕

オペラ・アリア 歌詞翻訳シリーズ
チレア作曲《アドリアーナ・ルクヴルール》より
アドリアーナのアリア

「私は神の下僕」 Io son l’umile ancella

大袈裟ですわ、みなさん
さらっていただけですのに

私は神の下僕〔しもべ〕にすぎません
言葉を授かり、人々に伝えます
詩の抑揚、人の葛藤のこだまです
繊細な楽器、その手のままに
優雅に、陽気に、残酷に、私の名はただの「忠実」
この声ははかない吐息
〔あかつき〕までに消えていくのです


●このアリアの歌詞の中に「creator」という単語が出てきますが、これは「創作者」とも訳されますし、「創造主」とも訳されます。
①「せりふ(台本)を作った人」と考えた場合→作家、詩人
②「私を作った人」と考えた場合→神
これまで日本では「神」と訳されることが多かったですし、私もそう思います。
il fragile strumento,
vassallo della man
の部分は、「神の手が奏でる通りに忠実に音を出しているだけの楽器、それが私です」という意味だと思います。

●『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎、大澤真幸:著より
橋爪 日本人は、神様はおおぜいいたほうがいい、と考えます。
なぜか。「神様は、人間みたいなものだ」と考えているからです。神様は、ちょっと偉いかもしれないが、まあ、仲間なんですね。友達か、親戚みたいなもんだ。友達なら、おおぜいいたほうがいい。友達がたった一人だけなんて、ろくなやつじゃない。
(中略)
一神教のGod(神)は、人間ではない。親戚でもない。まったくのアカの他人です。アカの他人だから、人間を「創造する」んです。
「創造する」って、どういうことか。わかりやすいのは、モノです。モノは、つくることができて、壊すこともできる。所有したり処分したり、好きにできる。モノは、つくったひとのもの。つくったひとの所有物なんです。
Godが人間を「創造した」のなら、Godにとって人間は、モノみたいなもの。所有物なんです。つくったGodは「主人」で、つくられた人間は「奴隷」です。人間を支配する主人が、一神教の「God」なんですね。


●オペラや絵画を見るときには、キリスト教の知識が欠かせないと思いますが、私たち日本人には馴染みが薄く、分かりづらい部分が多いものです。橋爪大三郎、大澤真幸:著『ふしぎなキリスト教』 (講談社現代新書)は、なかなか分かりやすくまとまっていると思います。私もまだ冒頭部分しか読んでいませんが・・・。
たとえばこの本の29、30ページを読むと、《ドン・カルロ》のフィリッポ2世×宗教裁判長のやり取りが理解できます。17ページを読むと、《サロメ》を理解する参考となります。24~32ページを読むと、《ナブッコ》を理解する役に立ちます。おすすめします。

Mite, gioconda, atroce,の部分は、3つの異なる顔(表情)で歌わなければいけないと思います。パッパッと表情を変えながら歌う。名女優なんだから、そのくらいするでしょう。

2012年1月 8日 (日)

《夢遊病の彼女》二重唱

オペラ歌詞翻訳シリーズ
ベッリーニ作曲《夢遊病の彼女》より
愛の二重唱


アミーナ
エルヴィーノ、やっと来てくれたのね!

エルヴィーノ
ごめんよ、
少し遅れてしまった
今日の良き日、二人の絆に
天使の恵みがあるように
亡き母の墓前にお祈りしてきたんだ
僕は言ったよ
「僕の妻を祝福してください
彼女は全てを持っています
母さんが父さんを幸せにしたように
彼女も僕を幸せにしてくれます」
母が聞いた言葉は、
その通りになると思うよ

アミーナ
嬉しい祝福ね

合唱
その通りになりますように

エルヴィーノ
さあ皆さん、
結婚の証人になってください

公証人
エルヴィーノは花嫁に何を贈りますか?

エルヴィーノ
僕の農場、僕の家、
僕の名前、
僕の持っている全てを

公証人
アミーナは?

アミーナ
私が差し上げられるのは、この心だけ

エルヴィーノ
ああ、その心が僕の全て!

受け取ってほしい、この指輪を
母が祭壇で受けたものだよ
二人の愛を祝福してくれるよ
これが母にとって神聖だったように
僕たちも信頼の証しにしようよ

合唱
早くも天に記された
誓いは二人の心のままに

エルヴィーノ
これで僕たちは夫婦だ

アミーナ
夫婦!なんて甘い言葉でしょう

エルヴィーノ
この可愛いスミレの花を
君の胸にさしておいて

アミーナ
清楚な花ね

エルヴィーノ
この花を見たら僕を思い出して

アミーナ
それには必要ないのに

エルヴィーノとアミーナ
神様が二人を結びつけてくださった
あの日から、ずっと
僕の心は君とともに
君の心は僕とともに

合唱
早くも天に記されたecc

アミーナ
どんなにあなたを思っているか
伝える言葉があればいいのに
けれども私のこの声は
気持ちに応えてくれないの

エルヴィーノ
全て、ああ全てがこの瞬間に
君の情熱を伝えてくる
君のまなざしから
可愛いしぐさから
僕の心はその顔の奥に
君の全てを読み取るよ
僕までが有頂天になる
君のときめきに、君の喜びに

合唱
こうして恋人たちは瞳の中に
お互いの心が読めるのですね
いつも思いを分かち合いなさい
いま二人がそうしたように

リーザ
こんな屈辱、
もう我慢できないわ←


2010年11月11日 (木)

亡くなった母を

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ
ジョルダーノ作曲《アンドレア・シェニエ》より

マッダレーナのアリア
「亡くなった母を」 La mamma morta


La mamma morta m'hanno
ラ マンマ モルタ マンノ
alla porta della stanza mia
アッラ ポルタ デッラ スタンツァ ミア
Moriva e mi salvava

モリーヴァ エ ミ サルヴァーヴァ
poi a notte alta
ポイ ア ノッテ アルタ
io con Bersi errava,
イオ コン ベルスィ エッラーヴァ
quando ad un tratto
クアンド アド ウン トラット
un livido bagliore guizza
ウン リヴィード バリオーレ グイッツァ
e rischiara innanzi a' passi miei
エ リッシアラ インナンツィ ア パッスィ ミエーイ
la cupa via

ラ クーパ ヴィア
Guardo

グアルド
Bruciava il loco di mia culla

ブルチァーヴァ イル ローコ ディ ミア クッラ
Così fui sola

コズィ フイ ソーラ
E intorno il nulla

エ イントルノ イル ヌッラ
Fame e miseria

ファーメ エ ミゼーリア
Il bisogno, il periglio

イル ビソンニョ イル ペリーリオ
Caddi malata,
カッディ マラータ
e Bersi, buona e pura,
エ ベルスィ ブオーナ エ プーラ
di sua bellezza ha fatto un mercato,
ディ スア ベレッツァ ア ファット ウン メルカート
un contratto per me

ウン コントラット ペル メ
Porto sventura a chi bene mi vuole

ポルト ズヴェントゥーラ ア キ ベーネ ミ ヴオーレ
Fu in quel dolore
フ イン クエル ドローレ
che a me venne l'amor

ケ ア メ ヴェンネ ラモール
Voce piena d'armonia e dice
ヴォーチェ ピエーナ ダルモニア エ ディーチェ
Vivi ancora
Io son la vita
ヴィーヴィ アンコーラ イオ ソン ラ ヴィータ
Ne' miei occhi è il tuo cielo

ネ ミエイ オッキ エ イル トゥオ チェーロ
Tu non sei sola

トゥ ノン セイ ソーラ
Le lacrime tue io le raccolgo

レ ラークリメ トゥエ イオ レ ラッコールゴ
Io sto sul tuo cammino e ti sorreggo

イオ スト スル トゥオ カンミーノ エ ティ ソッレーッゴ
Sorridi e spera
Io son l'amore
ソッリーディ エ スペーラ イオ ソン ラモーレ
Tutto intorno è sangue e fango

トゥット イントルノ エ サングエ エ ファンゴ
Io son divino
Io son l'oblio
イオ ソン ディヴィーノ イオ ソン ロブリーオ
Io sono il dio che sovra il mondo
イオ ソーノ イル ディーオ ケ ソヴラ イル モンド
scendo da l'empireo, fa della terra
シェンド ダ レンピレーオ ファ デッラ テッラ
un ciel
Ah
ウン チェル アー
Io son l'amore, io son l'amor, l'amor
イオ ソン ラモーレ イオ ソン ラモール ラモール



亡くなった母を運ぶ人々が
私の部屋の前にやって来ました
母は死んで私を守ったのです
それから深夜、ベルシとともに家を出ました
途端に閃光が道を照らし
振り返れば、家が炎に包まれていました
こうして孤独になり、全てを失くし、
飢餓、惨状、
貧困、危険、
さらに病魔
優しく清らかなベルシは
私のために春を売りました
私は大切な人まで巻き添えにしました
そのような苦しみの時
私に愛が訪れたのです
美しい声が
語りかけてきます
もう一度生きなさい
私がその命となろう
私の瞳の中に君の姿が見えるだろう
君は一人じゃない
君の涙は私が拭おう
君の先に立ち導こう
笑って、希望を持ちなさい
私は愛です
全てが血と泥ばかりだと言うのか?
私は神聖、
私は忘却、
私は神、
この地上に楽園を作るため
天から降りてきた
私は愛、私が愛なのです


●マッダレーナは貴族の娘なので、革命の民衆から命を狙われるようになりました。あまりに辛いので死んでしまいたいと思ったのですが、「生きなさい」と励ましてくれる人に出会います。それはもちろんアンドレア・シェニエです。つまりこの歌詞の「Vivi ancora!もう一度生きなさい」という部分から終わりまでは、かつてシェニエがマッダレーナに言って聞かせた言葉なのです。歌の途中で、言葉の様式が変化しているのが分かりますか。前半は、マッダレーナの状況報告が淡々と告げられますが、途中からガラリと抽象的な言葉に変化しています。シェニエが言った言葉に変わったからです。詩人の言葉をそのままなぞったので、そこからは詩になっているのです。そこからは日常会話じゃないのです。
死のうと思った自分を助けたシェニエを、今度は私が救うつもりである、そのためなら何でもする、という覚悟をマッダレーナは歌っています。シェニエがマッダレーナにしたことを、マッダレーナがシェニエにしようとしている。シェニエの言葉は今、マッダレーナの言葉となったのです。
それを聞いてジェラールは、負けたと思います。シェニエの愛に負けたわけです。あるいは、ずっとマッダレーナを抱きたいと思っていた、けれどそれは、自分が本当に望んでいたことではなかった、ということが分かった。

●マリア・カラスは1955年にスカラ座でマッダレーナを歌い、ライヴ録音が残っています。録音状態は良好とは言えませんが、カラスのアリアは最高。天空を切り裂く高音のフル・ヴォイス。アリア集に納められたスタジオ録音より何倍も素晴らしい。ゾクゾクします。私は最初に聞いたときボロボロに泣きましたよ。ぜひご一聴あれ。

2010年8月13日 (金)

見よ、あの恐ろしい炎を

オペラアリア歌詞翻訳シリーズ

ヴェルディ《イル・トロヴァトーレ》より

マンリーコのアリア「見よ、あの恐ろしい炎を」

 

マンリーコ:
Di quella pira l'orrendo foco

ディ クエッラ ピーラ ロレンド フォーコ
Tutte le fibre m'arse avvampò

トゥッテ レ フィーブレ マルセ アッヴァンポ
Empi spegnetela, o ch'io tra poco

エンピ スペンニェテラ オ キオ トラ ポーコ
Col sangue vostro la spegnerò

コル サングエ ヴォストロ ラ スペンニェロ
Era già figlio prima d'amarti

エラ ジャ フィーリオ プリマ ダマルティ
Non può frenarmi il tuo martir.

ノン プオ フレナルミ イル トゥオ マルティル
Madre infelice, corro a salvarti,

マードレ インフェリーチェ コッロ ア サルヴァルティ
O teco almeno corro a morir

オ テーコ アルメーノ コッロ ア モリール

 

レオノーラ:
Non reggo a colpi tanto funesti

ノン レッゴ ア コルピ タント フネスティ
Oh quanto meglio sarìa morir

オ クワント メリオ サリア モリール

 

マンリーコ、ルイス、手下たち:
All'armi, all'armi
eccone presti

アラルミ アラルミ エッコーネ プレスティ
A pugnar teco, teco a morir.

ア プニャール テーコ テーコ ア モリール

 

マンリーコ:

火刑台〔かけいだい〕に恐ろしい炎が燃える

俺の全血管まで燃え上がるぜ

下衆野郎ども今すぐ火を消せ、さもなくば

お前らの血しぶきで消してやるぜ

あなたを愛する前から私は母さんの息子だった

あなたの嘆きも私を引き止めることはできない

可哀想な母さん、今すぐ助けに行くよ

無理なら、せめて一緒に死ぬ気さ!

 

レオノーラ:

こんな苦しみは耐えられません

いっそ死んだほうがましです!

 

マンリーコ、ルイス、手下たち:

武器を取れ、武器を取れ、今すぐに

共に戦い、共に死のう!

 

●かなりテキトーに訳してみました。共に歌おう!

 

●この歌、1行おきに脚韻を踏んでいますね。さすが吟遊詩人…。でも、そんなことをしているヒマはないハズでは?

 

●そのような(韻を踏んだりなどの)詩のテクニックが、《カヴァレリア・ルスティカーナ》には使われていない気がする。

 

Tutte le fibre m'arse avvampòって、どう訳せばいいのか、よく分からない(←語学力なし…)。火刑台が燃えると言っているのだろうか?俺の体が燃えるようだと言っているのだろうか?その両方だろうか?「その両方」を1行で表す詩のテクニックが、イタリア語にも存在するだろうか?日本語だったら、普通にできることだろうけれど。

 

●私の友人が、このアリアのことを「ピーラ」と呼んでいてビックリだった。何か、とてもマニアックな感じ…。ちなみに私自身は「マンリーコのアリア」と呼ぶ。

 

●私はこのアリアを初めて聞いた時、歌詞の意味を知らないまま、先入観なしでCDを聞いたんです(輸入盤アリア集、対訳なし)。どんな歌詞かな~と頭のなかで想像して、「船が出るぞ、帆を上げろ、出船だ!出船だ!」という歌に違いない!と思いました。あとで日本語訳を呼んで、メロディーから想像する雰囲気と全然違っていて、驚きました。歌詞とメロディーの関係について考えさせられるアリアですね。

 

●数秒前まで愛の誓いをささやいていた女に対して「あなたを愛する前から私は母さんの息子だった」とは、一体どういう言い草なのでしょうか。しかも実は息子じゃないのだ!意味が分からない…。(そこがいい?)

2010年7月18日 (日)

《カヴァレリア・ルスティカーナ》二重唱

《カヴァレリア・ルスティカーナ》より

トゥリッドゥとサントゥッツァの二重唱

 

トゥリッドゥ:いたのか、サントゥッツァ

サントゥッツァ:あなたを待ってたのよ

トゥリッドゥ:復活祭だ、教会へ行かないのか

サントゥッツァ:いいえ、話があるの

トゥリッドゥ:母さんを探してるんだ

サントゥッツァ:話があるの

トゥリッドゥ:ここでは駄目だ

サントゥッツァ:どこ行ってたの?

トゥリッドゥ:どういう意味だ

フランコフォンテさ

サントゥッツァ:違うわ!

トゥリッドゥ:サントゥッツァ信じてくれ、サントゥッツァ信じてくれよ

サントゥッツァ:嘘言わないで

あの小道であなたを見たわ

それに明け方、

ローラの家の近くで見た人が

トゥリッドゥ:ああ!つけたのか!

サントゥッツァ:違うわ、絶対。旦那のアルフィオが

さっき話していったのよ

トゥリッドゥ:それが愛されたお返しか?

俺が殺されてもいいのか?

サントゥッツァ:そんなこと言わないで!

トゥリッドゥ:それなら放っておいてくれ、同情を引こうったって駄目だ

サントゥッツァ:やっぱり彼女を愛してるのね?

トゥリッドゥ:いいや

サントゥッツァ:ローラのほうが綺麗だものね

トゥリッドゥ:やめろ、愛してない

サントゥッツァ:愛してるくせに、愛してるくせに、あの雌豚

トゥリッドゥ:サントゥッツァ!

サントゥッツァ:あの女が私から盗んだんだわ

トゥリッドゥ:気をつけろサントゥッツァ、俺はお前の奴隷じゃないんだ

くだらない嫉妬につきあってられるか

サントゥッツァ:ぶってよ、ののしって、愛してるから許してあげるわ

でもあまりにも苦しすぎるの

ローラ:グラジオラスの花々

天国には愛らしい天使たち

でも一番美しいのは、彼に決まり

(ローラ登場)

あらトゥリッドゥ、アルフィオを見なかった?

トゥリッドゥ:知らないね、いま来たばかりさ

ローラ:たぶん鍛冶屋のところね

すぐに来るでしょう

あなたたち広場でミサを聞くつもり?

トゥリッドゥ:サントゥッツァと話が…

サントゥッツァ:今日は復活祭で神は全てお見通しだって話してたのよ

ローラ:ミサには行かないの?

サントゥッツァ:行かないわ。罪のない人だけが行くんでしょうよ

ローラ:じゃあ私は神に感謝して大地に口づけするわ!

サントゥッツァ:ご立派、ご立派、ローラ!

トゥリッドゥ:行こう、行こうぜ

ここに用はないんだ

ローラ:あら、まだいなさいよ

サントゥッツァ:そうよ、いなさいよ、まだ話があるの

ローラ:神のご加護を。私は行くわ

(ローラは教会へ)

トゥリッドゥ:おい!何てこと言うんだ

サントゥッツァ:お望みどおりよ!

トゥリッドゥ:ああ、畜生!

サントゥッツァ:この胸を引き裂けばいいわ!

トゥリッドゥ:知るか!

サントゥッツァ:トゥリッドゥ、聞いて!

トゥリッドゥ:どけ!

サントゥッツァ:トゥリッドゥ、聞いて!

いや、いやよトゥリッドゥ、まだここにいてくれなきゃ

それじゃあ私を捨てる気なの?

トゥリッドゥ:なぜ追うんだ、なぜ探るんだ

教会の中までか?

サントゥッツァ:あなたのサントゥッツァが泣いて頼んでるのよ

どうしてそんな酷いことができるの?

トゥリッドゥ:どけ!言っただろう、どけ!煩わせるな

怒らせておいて悔やんでも無駄だ

サントゥッツァ:覚えていろ!

トゥリッドゥ:お前が怒っても知ったことか!

(トゥリッドゥはサントゥッツァを突き飛ばして教会へかけていく)

サントゥッツァ:呪いの復活祭をあんたに、裏・切・り・者!

 

●オペラを日本語に翻訳するとき、「!」はあまり使わないほうが趣味が良いと思うのですが、この作品ばかりは、たくさん使ってしまいます。

 

●現代人は目に見えないものをあまり信じませんが、呪われたら運勢は急降下すると思います。マントヴァ公が平気なのは、彼に罪の意識がないから。トゥリッドゥは、自分が悪いと知っているので、呪われてしまうわけです。(しかし、悪気のない人に呪いは利かないとしても、呪いではなくいつかその報いを受けることになるでしょう。)

2009年10月15日 (木)

柳の歌~アヴェ・マリア


オペラアリア歌詞翻訳シリーズ

 

ヴェルディ《オテロ》より

デズデーモナのアリア

 

「柳の歌~アヴェ・マリア」

 

(エミーリア:「彼は落ち着きましたか」)

そのようね。寝室で待っているように言われたわ

エミーリア、お願いよ

私の花嫁衣裳をベッドに広げてちょうだい

聞いて。もし私があなたより先に死んだら

私をそのヴェールで包んでほしい

(エミーリア:「そんなこと、お忘れなさい」)

私はとても、とても悲しいの

〔鏡の前にぼんやりと座る〕

私の母には可哀想な召使いがいたの

綺麗な人だった

名前はバルバラ

愛していた人から、やがて捨てられたの

彼女はよく歌っていたわ

柳の歌という歌を

〔エミーリアに向かって〕

髪をといてちょうだい

今夜は頭から離れないの

その単純な歌が

「歌いながらも泣いていた

さみしい野原で

哀れな女

柳よ、柳よ、柳よ

腰をおろして

うなだれた

柳よ、柳よ、柳よ

歌いましょう、歌いましょう

柳が私の髪飾り」

〔エミーリアに向かって〕

急いで、オテロが来るわ

〔歌を続ける〕

「川は花咲く丘を行き

心の傷はうめいてる

そして彼女の瞳から

苦い涙があふれ出る

柳よ、柳よ、柳よ

歌いましょう、歌いましょう

柳が私の髪飾り」

「枝の影から鳥が飛び

甘いこの歌に舞い降りる

彼女があまりに泣いたので

あたりの岩まで溶けだした」

〔指輪を外して、エミーリアに〕

この指輪をしまってちょうだい

可哀想なバルバラ!この話は決まって

こんなふうに終わったわ

「あの人は栄光のために生まれ

私は愛する…」

そこに。声がするわ

静かに、扉を叩くのは誰?

(エミーリア:「風ですわ」)

「私は愛するために、そして死ぬために

歌いましょう、歌いましょう

柳よ、柳よ、柳よ」

エミーリア、さようなら、目が熱い

涙の知らせだわ、おやすみなさい

〔エミーリア、去ろうとする〕

ああ、エミーリア、エミーリア、さようなら

エミーリア、さようなら

〔エミーリアはデズデーモナを抱きしめてから去る。

デズデーモナは聖母像の前にひざまずく〕

恵み深き聖母マリア、あなたは

妻や娘たちの中から選ばれた

祝福されしお方、どうぞ祝福を

あなたのうちより生まれ出る御子、イエスにも

祈りたまえ、あなたの前にひざまずく者のため

祈りたまえ、罪ある者のため、罪なき者のため

そして虐げられし者のため、そして虐げし者のため

彼もまた哀れなる者ゆえに、憐れみを垂れたまえ

祈りたまえ、過酷な運命の前に

無力なる者のため

我々のため、我々のため、あなたから祈りたまえ

祈りたまえ、いつの時も

我々の死の時にも

祈りたまえ我々のため、祈りたまえ我々のため、祈りたまえ

〔祈りを繰り返し、そのうちのひと言ふた言が聞き取れる〕

聖母マリア

死の時にも

アーメン

 

●シェイクスピア『ハムレット』に登場するオフィーリアは、ハムレットに捨てられて狂ってしまい、柳の木から川に落ちて溺れ死にます。何でも、あちらの国では、柳は「死」を象徴しているらしいです。ミレイの有名な油絵「オフィーリア」の解説にそう書いてあったのを、美術館で読んだことがあります。

 

●このアリアの中にもil salce funebreというフレーズが何度か出てきます。「salce=柳」「funebre=不吉な、悲しい、陰気な、葬式の」。

funebreはあえて訳しませんでした。)

 

●正確に言うと、この部分は「アリア」とは言わないらしいです。《オテロ》にはアリアがなくて、ヴェルディが書いた最後のアリアは《ドン・カルロ》の「世の空しさを知る神」なのだそうな。でも、どう見てもアリアだと思うんですけどね~。

2007年11月 3日 (土)

確かにあの朝の曲だわ

オペラアリア歌詞翻訳シリーズ

マイヤベーヤ《北極星》より

カトリーヌのアリア

「確かにあの朝の曲だわ」

これは絶対、彼が毎朝お兄様と一緒に

吹いていた曲だわ

私には分かる、あなただってこと、そうよ!

ラ、ラ、ラ!

天国の喜び、幸せな夢

この曲は甘く優しく胸にしみるわ

私を酔わせて麻痺させるの

花の香りとともに

春の聖なるメロディーに魅了される

ラ、ラ、ラ、彼だわ

満開の花たち

私を夢中にさせる

ばらの香りね

ある春の日に

この曲で人生に舞い戻る

ああ!

●12月のスミ・ジョーのリサイタルで演奏されるというので、テキトーに訳してみました。スミ・ジョーのフランスオペラ・アリア集に収録されています。もうね、すんごい超絶技巧アリアなんです。詞の内容はどうでもいいかも(笑)。いえ、主人公は狂乱していて、この場面で正気に返るらしいです(?)。こんな曲、生で聞く機会は滅多にないでしょうねぇ。

2007年7月20日 (金)

ああ信じられない

オペラアリア歌詞翻訳シリーズ

ベッリーニ《夢遊病の女》より

アミーナのアリア

「ああ信じられない」 Ah! non credea mirarti

ああ、もう一度だけ彼に会いたい

別の花嫁と教会へ行ってしまう前に

(ロドルフォ:聞いたか?)

(テレーザ:あなたのことよ)

空しい夢

聞こえるわ

聖なる鐘の音

彼が行ってしまう

捨てられてしまった

私は悪くないのに

(全員:健気な心!)

神様、私の涙を見ないでください

もういいんです

私がつらい分だけ、

彼を幸せにしてあげてください

それが私の最後の願いです

そうです

消えそうな心からの

それが最後の願いです

(全員:ああ、あれこそが愛の言葉だ)

〔指に指輪を探す〕

指輪、私の指輪、彼が取って行った

でも、面影までは奪えないわ

それはここに、

この胸に刻まれているから

〔胸の花を取る〕

永遠の愛の証し

いつもここに

花よ、お前にもう一度口づけを

もう一度口づけを

けれど、お前は枯れてしまった

ああ信じられない、こんなにも早く

枯れた花を見ることになるなんて

過ぎ去った愛と同じに

お前もたった一日

たった一日の命だった

(エルヴィーノ:悲しみに耐えられない)

過ぎ去った愛と同じに

(エルヴィーノ:悲しみに耐えられない)

たった一日の命だった

どうかこの涙を受けて

それで花がよみがえるのならば

けれど枯れた愛は

私の涙でも戻らない

ああ信じられない

ああ信じられないecc.

●1955年3月ミラノ・スカラ座のマリア・カラスの歌唱、ぜひ聞いてみてください。「カラスのキャリアの頂点」だと思います。

2007年5月22日 (火)

私の名はミミ

オペラ・アリア歌詞翻訳シリーズ

プッチーニ《ラ・ボエーム》より

「私の名はミミ」

ええ、みんな私をミミと呼ぶの

でも本当の名はルチア

私の話は簡単

刺繍をして暮らしています

穏やかに静かに

楽しみはユリやバラを育てること

私の好きなものといえば

甘い魅力を持ち

愛や、春や、

夢や、幻を語ってくれるもの

それを詩と言うのでしょう

分かるかしら?

みんな私をミミと呼ぶの

なぜか知らないけれど

ひとりで食事をしています

ミサには行かない、

でもお祈りは欠かしません

ひとりで生きているの

向こうの小さな部屋で

よく眺めているわ

屋根を、そして空を

でも雪解けになれば

最初の太陽は私のもの

四月の太陽のファースト・キスは私のもの

ファースト・キスが私のものなの

鉢のバラが芽を出すと

その葉を見つめます

花の香りは何て優しいの

でも私の刺繍の花は

悲しいけれど香りがないの

話はこれでおしまい

こんな時間に迷惑なお隣さん、

そんなところかしら

●このアリアは、「ただの会話の部分」と、「詩に憧れを持つ女性が歌った詩の部分」とが混ざっていて、「会話から詩へと飛翔する高揚感」が眼目となっています。「会話の部分」は本当にロドルフォに話しかけているように。「詩の部分」は、心ここにあらずといった感じで、別世界を描くのがポイントではないでしょうか。つまり、歌の途中で様式が変化しているわけです。

●ライナ・カバイヴァンスカのマスタークラスを聴講したことがあります。カバイヴァンスカが注意すると、生徒の歌が、本当にロドルフォに話しかけているみたいに変化していくのが面白かったです。

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