5 2006年ニューヨークの旅

2006年12月18日 (月)

《トスカ》メトロポリタン歌劇場

ニューヨーク旅行記

プッチーニ《トスカ》メトロポリタン歌劇場

2006年11月25日20時ソワレ

トスカ:アプリーレ・ミッロ

カヴァラドッシ:ウォルター・フラッカーロ

スカルピア男爵:ジェイムズ・モリス

指揮:ニコラ・ルイゾッティ

演出:フランコ・ゼッフィレッリ

●トスカ役のミッロが登場すると拍手が沸き起こりました。人気あるんですね。第1幕の愛の二重唱が終わって引っ込むときにさえも拍手が起こり、ちょっとビックリ。だいたいメトのお客さんは、幕が開くと舞台美術のすごさに先ず拍手しますし、幕切れにカーテンが下り出すと音楽が続いていても即、拍手。とても庶民的な(?)感じです。でも、カーテンコールは非常にアッサリしています。

●ミッロは、感情がコロコロ変わる気分屋のトスカを、うまく演じていました。「でも瞳は黒くしてね」の部分などで、たびたび笑い声が起こります。「可愛いおバカさん」という感じ。ゼッフィレッリは「トスカはおバカさん」というようなことを自伝に書いていますが、ミッロはまさに「その通り」という演技でした。高い声も強く出ています。ミッロは以前「歴代、世界最高のアイーダ」と評されたことのある実力の持ち主。しかし、やっぱり「年を取ったなあ」という印象が拭えません。大味な箇所も散見され、特に「歌に生き、恋に生き」は随分な出来栄えでした。

●カヴァラッドッシ役のフラッカーロは、「高い声が安定して出る」というだけのテノール。感情表現なども、ごく淡白で、とても不満の残る歌唱でした。

●3人の主要人物の中で、一番面白かったのはスカルピア役のモリス。少し軽めの声ながら、声量があり、この役の地位の高さを思わせるような、品のあるイヤらしさ(何じゃそりゃ)を醸していました。

●第3幕のサン・タンジェロ城の場面は、映像では、セリを使って下から牢獄を出していましたが、今回はセリの使用はありませんでした。ずっと屋上の装置。私はメトでトスカを見るのは2回目だったのですが、前回もセリは使っていませんでした。しかし、空の色がだんだんと朝焼けに赤くなっていく様を見せたほうが、確かに、効果的ではないかと思いました。

●前回メトで見たときの記憶では、「星は光りぬ」を歌っている間はまだ夜空だったようなイメージがあったのですが、その時点ですでに「かなり朝が近い」感じになっていて意外でした(第3幕の幕開きの段階から、星は1つも見えていません)。まあ、カヴァラドッシが見ている星は「過去に光っていた星」なので、それでも良いのかもしれません。あんまり急激に朝になるのも興ざめですしね。

●私がニューヨーク旅行をするのは、これが4回目だったのですが、一番初めにメトで見たオペラは《トスカ》でした。マリア・グレギーナ、リチャード・リーチ、ホワン・ポンス、指揮はネッロ・サンティ、演出はもちろんゼッフィレッリ。1階の1列目。もう、度肝を抜かれました。グレギーナは「フォルティッシモとピアニッシモの落差が激しい歌手」ということで、私はとても好きなんです。トスカは一番の当たり役ですよね。リーチは、肩をプルプル震わせながらの「フルスロットル歌唱」で痺れました。2人とも、第3幕後半の二重唱には声が疲れ気味でしたが、「これだけ歌えば、そりゃあそうでしょう」と思える入魂の名唱でした。サンティの指揮も、ゆったりめのテンポを好む私にドンピシャ。最高の《トスカ》体験でした。

●「初めて見るオペラは何がいいか」なんて話題になったりすることがありますが、私は《トスカ》がお勧めですね。

2006年12月 5日 (火)

《ラ・ボエーム》メトロポリタン歌劇場

ニューヨーク旅行記

プッチーニ《ラ・ボエーム》メトロポリタン歌劇場

2006年11月25日(土)13時30分マチネ

ロドルフォ:ロランド・ビリャソン

ミミ:アンジェラ・マランビオ

指揮:プラシド・ドミンゴ

演出:フランコ・ゼッフィレッリ

※ビリャソン以外は私の知らない歌手でした

●「オペラで好きな作品を5つ挙げよ」と言われたら、相当悩んで結局は決められないと思いますが、私の場合《椿姫》と《ラ・ボエーム》の2つだけは即決。絶対はずせない作品です。

●オペラをいろいろ見聞きしていますと、「そのストーリー展開は無理があるのでは…?」と思うことも多く、まあ、それはそれで楽しいのですが、やはりプッチーニ+イッリカ+ジャコーザ組の作品は「詞章に納得がいく」という点で傑出しています。言葉が美しい。豊かな詩情を感じます。

●私は《ラ・ボエーム》を見ると、ライヴでも映像でも、かなりの高確率で泣きます。「よく飽きないよなぁ」と自分でも感心します。第4幕で泣くのはもちろんですが、私は第1幕から泣くときもあるのです。「冷たい手を」「私の名はミミ」を聞いていると、悲しくないのに理由もなく泣きます(初めて泣いたときは、自分でも驚きました)。

●これまで私が《ラ・ボエーム》を見て一番泣いたのは、メトで、クリスティーナ・ガッラルド・ドマス&マルチェッロ・ジョルダーニが出演したときでした。第4幕で、ショナールが去って行って2人っきりになるところ、オーケストラが盛り上がり、私はもう声を出して泣きそうになるのを必死で堪えていた。そこへ、ドマスの「驚異の強力ピアニッシモ」が始まって、「絶対に物音を立てられない緊張感」が客席を支配し、私は呼吸ができなくなりました(本当です)。し、死ぬ…。舞台をちゃんと見ていられないくらい泣きました。(ドマスはメトの女王であってもおかしくないと思います。)

●しかし、数日後に同じキャストでもう一度見たら、全然感動しませんでした。それはメトの土曜マチネ公演だったのですが、オーケストラが駄目だったのです。メトの1日2回公演は、ソワレが通常オケ、マチネが二軍(若手?)オケだと思います。歌手が同じ配役でも、「オーケストラが違うと、こんなに違うものなのか」と実感しました。

●私がメトで《ラ・ボエーム》を見るのは、今回で5回目でした。また土曜のマチネ公演だったので、あまり期待していなかったのですが、案の定オケがイマイチ。全てのフレーズで歌手よりも微妙に遅れていました。全体のまとまりもありません。ドミンゴの指揮も私の好みではありませんでした。

●楽しみにしていたビリャソンのロドルフォは、細かい演技をいっぱいしていて、取り分け、ミミの唇に・頬に・首筋に・何度も何度もキスしていたのが印象的でした(まあ、鍵を探すフリをして手を握るようなヤツですからね)。でも、期待していたほどは良くなかったんです。フォルティッシモとピアニッシモの幅が狭い感じ。表現にあまり深みがありません。ただし、泣く演技は最高でした。第4幕最後の泣き方、これはロドルフォを演じる上で最も難しい部分なのではないかと思うのですが、ビリャソンの泣き方は素晴らしく、私もボロ泣きしました。

●ミミ役のマランビオは太っていました。私は別にミミが太っていても構わないのですが、容姿が役に適わぬ場合、それを埋め合わせる特別な何かがなければ…、と考えます。しかし、その「特別な何か」は、彼女にはありませんでした。なぜ、この人がメトに…?いやしかし、メトは他の歌劇場に比べて公演数も多いですし、常に優秀な歌手を揃えることはできないでしょう。優秀な歌手というのは、残念ながら、それほど大勢いるわけではありません。

●期待ほどでもないロドルフォ、凡庸なミミ、絶叫するムゼッタ、老けて見えるマルチェッロ、好みじゃない指揮。それでも4幕では泣いてしまいました。ゼッフィレッリの演出が最高に素晴らしい。

1.気を利かせて席をはずすショナールを、ロドルフォが扉のところまで見送りにいく。

2.扉が閉まり、「やりきれない」というような顔で気もそぞろなロドルフォ。

3.寝たふりをしていたミミが、ロドルフォに向かって手を差し伸べながら、必死に起き上がろうとする。

4.それに気づいたロドルフォが、ミミのもとへ走り寄り、ぎゅっと抱きしめる。

5.ふくきちがボロボロに泣く。

上記の演出がゼッフィレッリのやり始めたものなのか、従来からあるものなのか分かりませんが、「そのように演じれば泣く」「そうでなければ泣くとは限らない」というくらい、動かしようのない優れた演出だと思います。

●演出に関して私は、「新しい」とか「今までと違う」ということ自体にはあまり魅力を感じません。優れた演出は何回同じであっても構わない。上記の演出と違う新しい演出で私を感動させてもらえたらなら、それは大変素晴らしいことだと思いますが、可能性は低く、かえって作品の魅力を損ねてしまうことの方が多いですね(経験上)。オペラの演出では、「スタンダードを外すことによって、かえってつまらない」っていうの、多すぎます。(ただし、それが喜劇である場合は、「新しい」ということ自体が価値を持つことも大いにあると思いますが。)

●ゼッフィレッリ演出の舞台美術の美しさ、これは生で見なければ本当のところは分かりません。幕が開いた瞬間に「美しい」と圧倒される舞台。《ラ・ボエーム》第4幕の空の色なんか、信じられないくらい美しい。ドラマと一緒に色が移ろっていく。それは写実的なものではなく、非常に絵画的な美しさだと思います。しかし絵画と違って立体的で、照明によって光を発し、時とともに変化していく。別の面白さがあります。メトの巨大な舞台を埋めつくす美、映像には映りません。

●第2幕、クリスマス・イヴのパリの場面では、群集1人1人が別の演技をしている。もちろん子供も。そして、ストーリーの流れに合わせて、自然に人数が増えたり減ったりする。ムゼッタがアリアを歌いだすと、みんなマネキンみたいに動きを止める。軍楽隊は、舞台の上段から現れて、下手、上手へと移動し、音も一緒に動いていく。よく言われることですが、ゼッフィレッリの群集処理は傑出しています。

●ゼッフィレッリの美意識というのは、完全にヨーロッパの美意識だと思いますが、それがいまヨーロッパでなくアメリカで花開くというのは、不思議なものだなあと思いますですね。まあ、「お金のあるところで花開く」ってことなのでしょう。「お金のために美を諦めない」「やりたいことは全部やってある」というところが素晴らしいと思います。ただし、「お金があれば誰にでも出来る」というわけではありません。いつまで見られるんでしょうね。

●第3幕で「春になったら別れましょう」って歌ってますけど、もう1回2人で部屋に戻るのでしょうか?あんなにキッパリ別れのアリアを歌っておきながら、トホホ…。でも、いいんです。《ラ・ボエーム》は、全てが美しい詩なんですから。

2006年11月29日 (水)

フローレス

●昨日ちょっと書き忘れたのですが、フローレスは1ヶ所トリルを使っていたと思います。そして、ちゃんと決まっていたんじゃないかなぁ。どの場面かは忘れてしまいました。ずっと興奮していたので…。

●メトは今回の《セビリアの理髪師》をネット中継していたはずなのですが、私は録音しそこねてしまいました。いつも失敗ばっかり…。しょぼん。録音された方は、フローレスのトリルを確認してみてください!

●これも昨日の書き込みの補足ですが、メトのPLAYBILLは、東京文化会館みたいに「欲しい人はどうぞお持ちください」というようなものではなく、入場時に案内の人が1人1人に手渡しします。真ん中の数ページだけが公演日によって差し替えられ、日付、配役がちゃんと記載されています。他のページは1ヶ月共通だと思います。その表紙がフローレスというのは、本当にすごいことです。座頭扱いです。しかし、メトはフローレスの予定を押さえていて《セビリアの理髪師》を上演するんだからエライ。

●フローレスの予定は今後6年間びっしり埋まっている、などと言われていますが、その6年分のスケジュールが知りたい…。今後の自分の人生設計のために…。

ブロードウェイ・ミュージカル《RENT》

ニューヨーク旅行記

ミュージカル《RENT》ネダーランダー・シアター

2006年11月23日(木)20時

●11月23日は、今回のニューヨーク旅行の初日でしたが、ニューアーク空港に到着するのが夕方で、マンハッタン入りは夜になってしまうので、何も予定していませんでした。メトロポリタン歌劇場は公演のない日でしたし、まあ初日はどうでもいいやと思っていたのです。しかし飛行機の中で、「うまく行けば8時開演のミュージカルになら間に合うかも」と急に思い立ちました(計画性なし)。持って行ったガイドブックには、いくつかの作品が紹介されています。さて、何を見るか…。今度日本にくる《ヘアスプレー》もやっているみたいですが、いきなり英語上演を見ても理解できるはずがありません。《オペラ座の怪人》ならば、劇団四季でも映画でも見たことがあるので理解できそうですが、「同じものを見てもなぁ」と、積極的な気持ちになれませんでした。《オペラ座の怪人》の舞台美術が、ブロードウェイと劇団四季とで違うのか同じなのか、ちょっと興味がありましたが…(数年前に見た劇団四季の《オペラ座の怪人》は、舞台美術が実にショボくて驚きました。昔はあれが豪華だったんですかね…?)

●それで、少し迷ったうえ、《RENT》を見ることにしました。プッチーニの《ラ・ボエーム》から想を得たということで、「見たことがなくて」「でも、少しは理解できそう」という理想的な作品。私は《ラ・ボエーム》大好き人間なので…。(バス・ラーマン演出のブロードウェイ版《ラ・ボエーム》も見たことがあります。)

●空港→バス→マンハッタン、そして直接劇場へ。ボックスオフィスには数人並んでいました。「11月23日はThanks Giving Dayなので特別料金」という貼り紙がしてあります。「感謝祭と特別料金と何の関係があるんだろう」と思いましたが、大した値上げではありません(クリスマス・イヴにも特別料金らしい←これには納得)。窓口で当日券を1枚頼むと、100ドルだと言われて、現金で払いました。そうしたら、チケットと一緒に50ドル戻してきて、割引しますと言われました。何てラッキーな!当日券はみんな割引なのか、現金で払ったから割引なのか、海外からの観光客だからオマケなのか、よく分かりませんでした。席は、かなり上手(ほとんど端っこ)でしたが、それほど大きな劇場ではないので見やすかったです。

●予習なしで、どの程度理解できるものなのか。数年前、やはりブロードウェイで予習なしに見た《42ND STREET》は、分かったような分からないような不思議な体験でした。さて、いざ《RENT》が始まると、最初のセリフのところで「ひょっとしたら少しは聞き取れるかも」と思ったのですが、それは一瞬の幻、その後ずーっと意味不明。ええっと、あれがマルチェッロ、あれがロドルフォ、あれがミミ、…あとは分からない、人物が識別できない。誰と誰が付き合ってるの…?

●言葉が分からなくても、メロディーとか振付で結構楽しめました。しかし「言葉が分かれば、もっと楽しめるのに」という、自分がこの作品を完全には楽しめていない不満が残りました。

●なぜ私は英語くらい聞き取れないのだろうか、もう何年英語を勉強していると思ってるんだよ、こんなにシンプルな言語は他にないだろ!などと自分に腹を立てていると、ストーリー上一番重要と思われる「お互いがHIVであることを告げる場面」で、主役の2人が突然日本語を話し始めた。ぎこちないアクセントで「アイシテル」と何度も歌いあう。一体どうしたんだ、日本人観光客へのサービスか、…そんなわけない、よくよく聞けばそれは「アイシテル」ではなく、“I should tell you”だった。でも、「愛してる」も“I should tell you”も、言わんとする中味は同じことかもしれないなぁ、なんてボーッと考えていたら、何度も繰り返される“I should tell you”が、いつしか“I love you”に変わったのでした。うーん、出来すぎている。英語と日本語の意図せぬ掛け言葉、私はそこが一番面白かった。

●英語は全然分からなかったのですが、「モー with me」っていう部分に爆笑。でも私は恥ずかしくて「モー」とは叫べませんでした。周りの人はみんなノリノリでしたが…(お客さんは全般的にノリが良くて、イェーとかヒューヒューみたいな何だか分からない掛け声を連発していました)。しかし、この場面は、ちょっと全体から浮いていたような気が…。

●ミミの振る舞いや服装は、あんまり私の好みじゃなかった…。なはは。泣けませんでした。

●ケバケバしい女装で登場していたゲイが、最後の最後に普通の青年の格好で出てきたのは何だったんだろう?ニューヨークでは、そうしないと終われないのだろうか…?

●いま《RENT》の日本公演をやっていますし、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、「そのミミのラストの展開は、ちょっとどうだろう…」と思ってしまいました。でも、そこがミュージカルらしさなのかな。

●日本に帰ってきて、インターネットでストーリーを調べていたら、

【音楽史跡とオペラの旅】http://www.nakash.jp/opera/index.htm

に詳しく出ていました。このサイト、「談話室」はよく覗かせていただいていますが、「レントの部屋」は読んでいませんでした(トップページの下の方)。行く前にチェックしておけばよかった…。改めてあらすじを読んでみると、「本当にそんなことしてたっけ??」と狐につままれたようです。今度、映画版でも借りて見てみようと思います。日本版のも見てみたいなぁ。

2006年11月28日 (火)

《セビリアの理髪師》メトロポリタン歌劇場

ニューヨーク旅行記

ロッシーニ《セビリアの理髪師》メトロポリタン歌劇場

2006年11月24日(金)20時

アルマヴィーヴァ伯爵:ファン・ディエゴ・フローレス

フィガロ:ペーター・マッテイ

バルトロ:ジョン・デル・カルロ

ロジーナ:ディアナ・ダムラウ

ドン・バジーリオ:サミュエル・レイミー

指揮:マウリツィオ・ベニーニ

演出:Bartlett Sher

●今回のニューヨーク旅行は、フローレスのアルマヴィーヴァ伯爵を見るのが目的でした。本当なら、どうせ海外旅行に行くのであれば、なるべく長く滞在してたくさん見聞きしたいところなのですが、現地3泊の短い日程でも実行してしまったのは、ひたすらフローレスのアルマヴィーヴァ伯爵を見るためです。

●フローレスは2002年のボローニャ歌劇場日本公演でアルマヴィーヴァ伯爵を歌っています。しかし私は見逃してしまいました。当時、私はまだフローレスに興味がなかったのです。テレビで見たことはありましたが、何か「あまり感情を込めずに歌う人」という印象で、魅力を感じませんでした。

●その公演から数ヵ月後にチェチーリア・バルトリのベスト・アルバムが発売され、CD屋の試聴機で《ラ・チェネレントラ》のアリアを聴いた私は、突然ロッシーニにハマってしまいました。で、「悲しみと涙のうちに生まれ」が収録されているCDをいろいろ買って、聞き比べをするようになりました。次に、「このアリアって、アルマヴィーヴァ伯爵のアリアと同じメロディーなんだよな…」ということで「もう逆らうのはやめろ」が収録されているCDを次々に買う。「買ってみたらアリアがカットされていた!」という目にも遭いつつ、フローレスのロッシーニ・アリア集に辿り着いた私。聞いた時のショック、「な、なぜ私はこれを聞きに行かなかったんだ…!!」と、それ以来、悔しい思いを4年間ずーっと持ち続けてきました。

●今回やっと巡ってきた、フローレスのアルマヴィーヴァ伯爵を生で聞くチャンス。海外旅行というものは、いくら自分が行きたいと思っても、まず第一に職場の状況が許さなくては叶いません。職場の同僚には本当に感謝しています。

●チケットは、自分で普通にインターネット予約しました。メトのホームページにはなぜか発売日が記されておらず、こまめにチェックしていたのですが、あるとき気づいたら予約が開始されていました(アクセスの集中を防ぐために、わざと売り出し日を伏せていたのではないかと思うのですが…?)。あわてて手続きしたら、オーケストラ・プライム、D列105番(1階4列・中央やや下手寄り)の席が取れて、ひとまずホッとしました。オーケストラ・プレミアムという、1番値段の高い席種は、すでに売り切れていました。

●メトの1階席は、9列目くらいまで、前の人の座高によっては見づらいと思います(一応、いくらか千鳥配置になってますけど)。今回、私の前の席は、背の低い方だったのでラッキーでした。

●さて、《セビリアの理髪師》の新演出は、メトでは25年ぶりとのこと。滑車の付いた扉を何枚も使って、場面転換をしていました。わりと、ありがちな演出。オレンジの木が頻繁に出てきましたが、どうということもありません。伯爵とフィガロがオレンジでキャッチボールをしたりしてましたけど。

●アルマヴィーヴァ伯爵は、客席から登場しました。中央ブロックわきの通路(上手)に、いつの間にか立っていて、オケピットの上をたどって舞台へ。(客席を使ったのは、その時だけでした。)

●今回の演出の目玉は「銀橋〔ぎんきょう〕」だったと思います。銀橋というのは、宝塚歌劇の用語であり、他のジャンルでは何と呼ぶのか分かりません。「パッセレール」が正式名称だと紹介しているサイトもありました。銀橋は、歌舞伎で言えば「花道」に相当するような、歌手と観客の距離が近くなる舞台機構。オケピットの「へり」を、ぐるっと歌手が歩けるようにしてあります。宝塚では常設の舞台機構ですが、メトではもちろん仮設で、板が渡してありました。で、ときどき、オーケストラよりも手前側に歌手が出てきて歌うんです。メトの6階席だったら、銀橋だろうが本舞台だろうが大した違いはないのかもしれませんが、1階4列での「銀橋パワー」のすさまじさと言ったらありません。大音量のロッシーニ、これまで体験したことのない興奮でした。1幕の最後の重唱なんて、そりゃあもう…。

●ただし、オケピットの周りを板で囲まれているため、オーケストラの音響はモゴモゴでした。特にフォルテピアノ(←たぶん)とギターの音は、とても変な響きでした。(それを差し引いても、私は銀橋の恩恵を思いっきり享受しましたけど、他の席だったらどうなのかは分かりません。)

●フローレスは、本当に「いつの間にこんなに表現豊かになっちゃったの?」というくらい感情を込めて歌っていて、期待以上に素晴らしかったです。「私の名を知りたければ」の甘いこと!またコメディーのセンスも優れていて、音楽教師の振りをしてバルトロの館に入り込む場面なんて、めちゃくちゃ笑えました。それから、意外と「他の登場人物との身分差が明確」な演技でした。結構「威張りんぼ」な感じ。しかし、そうでなければ「逆らうのは」「やめろ」なんてアリアは歌えません。アルマヴィーヴァ伯爵は特別な人なのです。フローレスは、そのように演じていました。

●フローレスと比べると、共演者は完璧とは言えません。しかし、私は充分に満足しました。フィガロ役のペーター・マッテイは、ロジーナとの二重唱なんかでは細かい音符が追いきれませんでしたが、この役に1番必要な「愛嬌」があって、良いフィガロでした。長身で、スチール写真よりも二枚目、舞台栄えする容姿も良。バルトロ役のジョン・デル・カルロは、最初のアリアの終盤には早くも声がかすれ始め、「最後まで歌えるのか?」と思いましたが、持ち直して立派に歌いました。風貌が役に適っていたと思います。ロジーナ役のディアナ・ダムラウは、細く軽い声のソプラノ。低い音を避けて歌っていましたが、私は「高い装飾音を付加するロジーナ」は大好きなのでOK。「今の歌声は」の後奏ではスペイン風に踊っていましたし、溌溂とした感じでした。ドン・バジーリオ役のサミュエル・レイミーは、「年を取ったなぁ…」という印象。全てのフレーズを、オケよりも微妙に遅れて歌っていました。細かい音符は追えていません。「陰口はそよ風のように」は繰り返しをカット(ええ~っ)。でも、深みのある声の迫力は素晴らしく、また1番声量がありました。

●2幕の前の休憩時に、私の右隣に座っていたご夫婦が席を入れ替えました。2幕から私の隣に来たおじさんは、カサついた手をずっとモミモミさせながらリズムを取っています。私は自分でも心が狭いなぁと思うのですが、そういう雑音が我慢できないんです。歌舞伎なんかですと、多少うるさくても大らかな気持ちでいられるのですが、オペラや文楽は音楽劇ですから、雑音は気になります(なりますよね…?)。それが優れた舞台であれば、なおさらです。日本だったら私は「やめていただけませんか」と言います。おしゃべり、ビニール袋、ガム、何度も言ったことがあります。しかし、ここはアメリカ、さすがに言えません。手をモミモミさせてるくらいで…。いやしかし私は、この状態で「もう逆らうのはやめろ」を聞くのだろうか…、4年間待ったこのアリアを雑音の中で…、と考えたら耐えられなくなって、結局思い切って注意してしまいました。私は英語をしゃべれないんですけど、火事場の馬鹿力、英語で言いましたですよ。ほとんどテレパシーというか、念波ですね。おじさんは注意されて少し戸惑ったようでしたが、いい人だったのでしょう、私が言ったことを素直に受け止めてくださいました。怒り出したりしなくて良かった…。

●私は気が小さい人間なもので、おじさんに注意したら激しくドキドキして(←だったらするなよって感じですが)、もう全身が心臓になったみたいでした。しかも、それから程なく、おもむろに「もう逆らうのはやめろ」に突入。心臓バクバク、死ぬかと思いました。

●いざアリアが始まってみると、CDで何度も聞いているのに、生で聞くとまた格別。私が初めてこのアリアを聞いたとき、何の予備知識もなく聞いた衝撃もすごかったですけれど、いま一応メロディーも歌詞も覚えていて、それが見事に正確に歌われていくすごさ…。ああ、生きていて良かった、と思いました。

●「もう逆らうのはやめろ」は、A-B-Cの3部構成になっています。フローレスはオーソドックスに、Aの部分をバルトロたちに向かって、Bの部分をロジーナに向かって歌いました。銀橋で歌うかと思ったのですが、ずっと本舞台で歌っていて、さすがにこの超絶技巧アリアをオケの手前で歌うのは難しいんだろう…、勝手も違うだろうし…、でも充分すごいけど…、なんて思っていたら、Cの部分でフローレスが、1人で上手側から銀橋に移動し始めた!カモン、カモン、カモン、フローレス!!そして彼は本当にやって来た。私の正面、4列先でフローレスが、この至難のアリアの中でも音符密度が1番濃い部分を歌ったのでした。1列目だったら、ぐっと見上げなきゃいけないし、きっと私の席はメト数千席中の最良席。すごい声量で超絶技巧が顔に体にぶつかってきました。

●もう少し詳しく書きますと、Cの部分は更に3つに分かれており、どんどん音符が細かくなっていくわけですが、銀橋の上手寄りで1つ目の部分を歌い、中央で2つ目の部分を歌い、下手寄りで3つ目の部分を歌って、最後のfelicitaの一語をもう一度中央に戻って歌い上げ拍手喝采、という感じだったかと記憶しています。

●フローレスは、早いパッセージを歌いきるために、首や肩、全身を動かして利用しているように見えました。(義太夫節でも、首の動かし方が重要だったりするらしいですけど…。)見ていてすごい不思議、面白い動きでした。そして、とても綺麗だった。

●ロッシーニの難しい曲を歌えるテノールは、ロッシーニが現役で活躍していた頃にはいたのでしょうが、その後は全く出なかったわけですよね。そう考えると、いまフローレスを生で聞けることは、本当に有り難いことです。歴史上でも稀有な存在です。

●メトでは、フローレスとクリスティーナ・ガッラルド・ドマスだけ別格の扱いをしていました。劇場前の看板はフローレスだらけ。無料で配られるPLAYBILLの表紙もフローレスでした(翌日見た《ラ・ボエーム》でも《トスカ》でも、フローレスが表紙のPLAYBILLが配られました)。それだけの特別扱いを受けても他の歌手に文句は言わせない、「明らかに」別格の歌手であると思います。

●でも、カーテンコールの1番最後はマッテイ、次がダムラウ、フローレスは3番目でした。何でなんだろう…?

●私は常々思うのですが、同じものを見ても、感動する人と、何とも思わない人がいますでしょう。私はこの《セビリアの理髪師》を見ていて、脳内麻薬が出てくるのが自分で分かりましたし、心拍数も尋常じゃない、身体が物理的に興奮しました。その日の夜は、興奮して明け方まで眠れませんでした。好きな対象は人それぞれ違うのでしょうけれども、そんなに興奮できるものが自分にもあるということ、それを実際に見ることができたということ、そのことに、ただただ感謝したいと思います。

2006年11月27日 (月)

帰国

ニューヨーク旅行から帰ってきました。

●11月23日ミュージカル《RENT》ネダーランダー・シアター

●11月24日《セビリアの理髪師》ファン・ディエゴ・フローレス、ペーター・マッテイ、ジョン・デル・カルロ、ディアナ・ダムラウ、サミュエル・レイミー、指揮:マウリツィオ・ベニーニ

●11月25日マチネ《ラ・ボエーム》ロランド・ビリャソン、アンジェラ・マランビオ、指揮:プラシド・ドミンゴ

●11月25日ソワレ《トスカ》アプリーレ・ミッロ、ウォルター・フラッカーロ、ジェイムズ・モリス、指揮:ニコラ・ルイゾッティ

3泊の旅行でしたが、初日は空港に着いたのが夕方でしたから、実質2日半の短い旅。それでも大変充実していました。《RENT》は予定に入れていなかったのですが、当日券で入りました。また、旅行記を書いていきたいと思います。今日は疲れたのでもう寝ます…。

2006年11月20日 (月)

ニューヨークへの旅

9月末にヨーロッパ旅行へ行ったばかりだというのに、今週ニューヨーク旅行を予定しているワタクシ。そんな贅沢をしていていいのか…と思わなくもないのですが、ふだん必死に生きているのですから、それくらいはお許しください神様。

●11月24日《セビリアの理髪師》ダムラウ、フローレス、レイミー

●11月25日マチネ《ラ・ボエーム》ビリャソン

●11月25日ソワレ《トスカ》アプリーレ・ミッロ、ジェイムズ・モリス

今回の目的はフローレスのアルマヴィーヴァ伯爵。絶対に生で観たい。ビリャソンのロドルフォも楽しみですが、メトのマチネ公演はオーケストラが二軍であり、歌手は同じでも演奏はかなり落ちます。ちょっと残念。

フローレスのアルマヴィーヴァ伯爵は、数年越しの夢でした。今が1番いいんじゃないかな…などと思いますけど。本気で嬉しい。