ニューヨーク旅行記
ロッシーニ《セビリアの理髪師》メトロポリタン歌劇場
2006年11月24日(金)20時
アルマヴィーヴァ伯爵:ファン・ディエゴ・フローレス
フィガロ:ペーター・マッテイ
バルトロ:ジョン・デル・カルロ
ロジーナ:ディアナ・ダムラウ
ドン・バジーリオ:サミュエル・レイミー
指揮:マウリツィオ・ベニーニ
演出:Bartlett Sher
●今回のニューヨーク旅行は、フローレスのアルマヴィーヴァ伯爵を見るのが目的でした。本当なら、どうせ海外旅行に行くのであれば、なるべく長く滞在してたくさん見聞きしたいところなのですが、現地3泊の短い日程でも実行してしまったのは、ひたすらフローレスのアルマヴィーヴァ伯爵を見るためです。
●フローレスは2002年のボローニャ歌劇場日本公演でアルマヴィーヴァ伯爵を歌っています。しかし私は見逃してしまいました。当時、私はまだフローレスに興味がなかったのです。テレビで見たことはありましたが、何か「あまり感情を込めずに歌う人」という印象で、魅力を感じませんでした。
●その公演から数ヵ月後にチェチーリア・バルトリのベスト・アルバムが発売され、CD屋の試聴機で《ラ・チェネレントラ》のアリアを聴いた私は、突然ロッシーニにハマってしまいました。で、「悲しみと涙のうちに生まれ」が収録されているCDをいろいろ買って、聞き比べをするようになりました。次に、「このアリアって、アルマヴィーヴァ伯爵のアリアと同じメロディーなんだよな…」ということで「もう逆らうのはやめろ」が収録されているCDを次々に買う。「買ってみたらアリアがカットされていた!」という目にも遭いつつ、フローレスのロッシーニ・アリア集に辿り着いた私。聞いた時のショック、「な、なぜ私はこれを聞きに行かなかったんだ…!!」と、それ以来、悔しい思いを4年間ずーっと持ち続けてきました。
●今回やっと巡ってきた、フローレスのアルマヴィーヴァ伯爵を生で聞くチャンス。海外旅行というものは、いくら自分が行きたいと思っても、まず第一に職場の状況が許さなくては叶いません。職場の同僚には本当に感謝しています。
●チケットは、自分で普通にインターネット予約しました。メトのホームページにはなぜか発売日が記されておらず、こまめにチェックしていたのですが、あるとき気づいたら予約が開始されていました(アクセスの集中を防ぐために、わざと売り出し日を伏せていたのではないかと思うのですが…?)。あわてて手続きしたら、オーケストラ・プライム、D列105番(1階4列・中央やや下手寄り)の席が取れて、ひとまずホッとしました。オーケストラ・プレミアムという、1番値段の高い席種は、すでに売り切れていました。
●メトの1階席は、9列目くらいまで、前の人の座高によっては見づらいと思います(一応、いくらか千鳥配置になってますけど)。今回、私の前の席は、背の低い方だったのでラッキーでした。
●さて、《セビリアの理髪師》の新演出は、メトでは25年ぶりとのこと。滑車の付いた扉を何枚も使って、場面転換をしていました。わりと、ありがちな演出。オレンジの木が頻繁に出てきましたが、どうということもありません。伯爵とフィガロがオレンジでキャッチボールをしたりしてましたけど。
●アルマヴィーヴァ伯爵は、客席から登場しました。中央ブロックわきの通路(上手)に、いつの間にか立っていて、オケピットの上をたどって舞台へ。(客席を使ったのは、その時だけでした。)
●今回の演出の目玉は「銀橋〔ぎんきょう〕」だったと思います。銀橋というのは、宝塚歌劇の用語であり、他のジャンルでは何と呼ぶのか分かりません。「パッセレール」が正式名称だと紹介しているサイトもありました。銀橋は、歌舞伎で言えば「花道」に相当するような、歌手と観客の距離が近くなる舞台機構。オケピットの「へり」を、ぐるっと歌手が歩けるようにしてあります。宝塚では常設の舞台機構ですが、メトではもちろん仮設で、板が渡してありました。で、ときどき、オーケストラよりも手前側に歌手が出てきて歌うんです。メトの6階席だったら、銀橋だろうが本舞台だろうが大した違いはないのかもしれませんが、1階4列での「銀橋パワー」のすさまじさと言ったらありません。大音量のロッシーニ、これまで体験したことのない興奮でした。1幕の最後の重唱なんて、そりゃあもう…。
●ただし、オケピットの周りを板で囲まれているため、オーケストラの音響はモゴモゴでした。特にフォルテピアノ(←たぶん)とギターの音は、とても変な響きでした。(それを差し引いても、私は銀橋の恩恵を思いっきり享受しましたけど、他の席だったらどうなのかは分かりません。)
●フローレスは、本当に「いつの間にこんなに表現豊かになっちゃったの?」というくらい感情を込めて歌っていて、期待以上に素晴らしかったです。「私の名を知りたければ」の甘いこと!またコメディーのセンスも優れていて、音楽教師の振りをしてバルトロの館に入り込む場面なんて、めちゃくちゃ笑えました。それから、意外と「他の登場人物との身分差が明確」な演技でした。結構「威張りんぼ」な感じ。しかし、そうでなければ「逆らうのは」「やめろ」なんてアリアは歌えません。アルマヴィーヴァ伯爵は特別な人なのです。フローレスは、そのように演じていました。
●フローレスと比べると、共演者は完璧とは言えません。しかし、私は充分に満足しました。フィガロ役のペーター・マッテイは、ロジーナとの二重唱なんかでは細かい音符が追いきれませんでしたが、この役に1番必要な「愛嬌」があって、良いフィガロでした。長身で、スチール写真よりも二枚目、舞台栄えする容姿も良。バルトロ役のジョン・デル・カルロは、最初のアリアの終盤には早くも声がかすれ始め、「最後まで歌えるのか?」と思いましたが、持ち直して立派に歌いました。風貌が役に適っていたと思います。ロジーナ役のディアナ・ダムラウは、細く軽い声のソプラノ。低い音を避けて歌っていましたが、私は「高い装飾音を付加するロジーナ」は大好きなのでOK。「今の歌声は」の後奏ではスペイン風に踊っていましたし、溌溂とした感じでした。ドン・バジーリオ役のサミュエル・レイミーは、「年を取ったなぁ…」という印象。全てのフレーズを、オケよりも微妙に遅れて歌っていました。細かい音符は追えていません。「陰口はそよ風のように」は繰り返しをカット(ええ~っ)。でも、深みのある声の迫力は素晴らしく、また1番声量がありました。
●2幕の前の休憩時に、私の右隣に座っていたご夫婦が席を入れ替えました。2幕から私の隣に来たおじさんは、カサついた手をずっとモミモミさせながらリズムを取っています。私は自分でも心が狭いなぁと思うのですが、そういう雑音が我慢できないんです。歌舞伎なんかですと、多少うるさくても大らかな気持ちでいられるのですが、オペラや文楽は音楽劇ですから、雑音は気になります(なりますよね…?)。それが優れた舞台であれば、なおさらです。日本だったら私は「やめていただけませんか」と言います。おしゃべり、ビニール袋、ガム、何度も言ったことがあります。しかし、ここはアメリカ、さすがに言えません。手をモミモミさせてるくらいで…。いやしかし私は、この状態で「もう逆らうのはやめろ」を聞くのだろうか…、4年間待ったこのアリアを雑音の中で…、と考えたら耐えられなくなって、結局思い切って注意してしまいました。私は英語をしゃべれないんですけど、火事場の馬鹿力、英語で言いましたですよ。ほとんどテレパシーというか、念波ですね。おじさんは注意されて少し戸惑ったようでしたが、いい人だったのでしょう、私が言ったことを素直に受け止めてくださいました。怒り出したりしなくて良かった…。
●私は気が小さい人間なもので、おじさんに注意したら激しくドキドキして(←だったらするなよって感じですが)、もう全身が心臓になったみたいでした。しかも、それから程なく、おもむろに「もう逆らうのはやめろ」に突入。心臓バクバク、死ぬかと思いました。
●いざアリアが始まってみると、CDで何度も聞いているのに、生で聞くとまた格別。私が初めてこのアリアを聞いたとき、何の予備知識もなく聞いた衝撃もすごかったですけれど、いま一応メロディーも歌詞も覚えていて、それが見事に正確に歌われていくすごさ…。ああ、生きていて良かった、と思いました。
●「もう逆らうのはやめろ」は、A-B-Cの3部構成になっています。フローレスはオーソドックスに、Aの部分をバルトロたちに向かって、Bの部分をロジーナに向かって歌いました。銀橋で歌うかと思ったのですが、ずっと本舞台で歌っていて、さすがにこの超絶技巧アリアをオケの手前で歌うのは難しいんだろう…、勝手も違うだろうし…、でも充分すごいけど…、なんて思っていたら、Cの部分でフローレスが、1人で上手側から銀橋に移動し始めた!カモン、カモン、カモン、フローレス!!そして彼は本当にやって来た。私の真正面、4列先でフローレスが、この至難のアリアの中でも音符密度が1番濃い部分を歌ったのでした。1列目だったら、ぐっと見上げなきゃいけないし、きっと私の席はメト数千席中の最良席。すごい声量で超絶技巧が顔に体にぶつかってきました。
●もう少し詳しく書きますと、Cの部分は更に3つに分かれており、どんどん音符が細かくなっていくわけですが、銀橋の上手寄りで1つ目の部分を歌い、中央で2つ目の部分を歌い、下手寄りで3つ目の部分を歌って、最後のfelicitaの一語をもう一度中央に戻って歌い上げ拍手喝采、という感じだったかと記憶しています。
●フローレスは、早いパッセージを歌いきるために、首や肩、全身を動かして利用しているように見えました。(義太夫節でも、首の動かし方が重要だったりするらしいですけど…。)見ていてすごい不思議、面白い動きでした。そして、とても綺麗だった。
●ロッシーニの難しい曲を歌えるテノールは、ロッシーニが現役で活躍していた頃にはいたのでしょうが、その後は全く出なかったわけですよね。そう考えると、いまフローレスを生で聞けることは、本当に有り難いことです。歴史上でも稀有な存在です。
●メトでは、フローレスとクリスティーナ・ガッラルド・ドマスだけ別格の扱いをしていました。劇場前の看板はフローレスだらけ。無料で配られるPLAYBILLの表紙もフローレスでした(翌日見た《ラ・ボエーム》でも《トスカ》でも、フローレスが表紙のPLAYBILLが配られました)。それだけの特別扱いを受けても他の歌手に文句は言わせない、「明らかに」別格の歌手であると思います。
●でも、カーテンコールの1番最後はマッテイ、次がダムラウ、フローレスは3番目でした。何でなんだろう…?
●私は常々思うのですが、同じものを見ても、感動する人と、何とも思わない人がいますでしょう。私はこの《セビリアの理髪師》を見ていて、脳内麻薬が出てくるのが自分で分かりましたし、心拍数も尋常じゃない、身体が物理的に興奮しました。その日の夜は、興奮して明け方まで眠れませんでした。好きな対象は人それぞれ違うのでしょうけれども、そんなに興奮できるものが自分にもあるということ、それを実際に見ることができたということ、そのことに、ただただ感謝したいと思います。
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