5 2007年ペーザロの旅

2013年6月29日 (土)

ペーザロ写真

もうずいぶん昔のことになってしまいましたが、2007年にペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルに行ったときの写真です。読んでいる方には興味のない写真ですみません。写真の整理(データの消去)をしたいので・・・。

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↑ ロッシーニ劇場の前で。とても小さな劇場でした。こんな小さな歌劇場があるのか・・・とビックリ。

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↑ ロッシーニ劇場の内部。舞台が近い・・・。

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↑ こちらは広めの会場、アドリアティック・アレーナ。普段は体育館で、フェスティバルの間はオペラ会場となる。フローレスが出演するオペラなどは、こちらの会場。ホテルからちょっと離れていて、バスで行き来する。近くにショッピングモールがありました。

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↑ ペーザロの町から近いウルビーノにも行きました(ペーザロからバスで往復)。壁に囲まれた小さな町でした。ラファエロの生家がある町です。ラファエロの生家は閉まっていて見られませんでしたが・・・。

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↑ 坂が多い。この町で食べたポルチーニのパスタが激ウマでした。美術館もあって、面白い町でした。

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2007年9月27日 (木)

記事

ちょいと古いですが、こんな記事を見つけました。

http://www.asahi.com/culture/music/TKY200709070250.html

30歳…若いねぇ。

2007年9月 9日 (日)

ペーザロの印象

●ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)のオペラ公演は、会場が2箇所。街の中心部から専用バス(無料)で20分ほどのアドリアティック・アレーナと、ペーザロ駅の近くにあるロッシーニ劇場。

●アドリアティック・アレーナは、大きめの市民体育館みたいな感じ。近くに大型スーパーがある他は、周りに何もありません。仮設のわりには立派な舞台と客席ですが、会場の雰囲気を楽しむ…という喜びはありませんね。ここでは延べ4公演を見ましたが、全て前方の端の席でした。そのため、はっきりしたことは分かりませんけれども、わりと見やすく、音響も悪くありませんでした。

●ロッシーニ劇場は、とても小さな劇場で、なかなか趣きがありましたが、見やすい席と見づらい席の差が激しく、見えない席は全く見えない。南座よりも遥かに見づらい。ほとんどギャンブルですね。鷹揚な気持ちでいないと耐えられないかも。

●会場は日本人だらけでした。ロッシーニのレア演目を字幕なしで楽しめる日本人がこんなに大勢いるなんて…と驚きました。ただ、この期間はオペラハウスがオフシーズンですし、夏休みに海外でオペラを見ようとなると、そもそも選択肢が少ない、ということもあるでしょうね。

●ROF公演の感想としては、期待していたほどには水準が高くなかったのが残念でした。8公演見たうち、私が「海外まで見に来た甲斐があった」と思えたのは1公演だけ。テノールが揃った≪オテッロ≫は最高に興奮しましたが…。

●夏の音楽祭ということで、通常のオペラハウスに望むような演出はもともと期待していなかったのですが、会場の制約もありますし、「一杯道具がデフォルト」と思っていたほうがよさそうです(つまり、幕が開いてから閉じるまで1つの大道具しか出てこない、ということ)。舞台袖の広さや奥行きを考えても、あまり大がかりなことは出来そうにありません。あとは演出家が、場面によってどれだけ変化を持たせられるか、工夫次第でしょうか。それから、照明は機材自体がイマイチかも。

●演目によって、3つのオーケストラが振り分けられているのですが、それほど良い出来ではありませんでした。たぶん。

●とにかくROFと言えば、世界中のロッシーニ歌手が一箇所に集結して、その演目のベスト・キャストを組む…というイメージだったのですが、もはやそれは無理なことなのかもしれません。全体的に「若い歌手が持てる力を出して頑張っていた」そんな印象が強いです。もちろん素晴らしい歌手もいましたが、数が少なかった…。

●ペーザロは海が遠浅で美しく、近郊からの海水浴客で賑わっていました。私はもう海で泳いだりしないので、海辺を散歩した程度でしたが。

●私は日本ロッシーニ協会に入会しておりまして、ペーザロでは協会の方にお誘いいただき、食事をご一緒しました。高名な音楽評論家の方や、初めてお会いする方、ロッシーニを好きな方々とお話させていただくのは、とても楽しく得難いことでした。オペラの終演が深夜となるので、お誘いいただかなければホテルに帰って食事抜きになっていたのではないかと…。料理はどれも美味しく、ボリュームがあり、また値段が安くて感激しました。海辺の街なので魚介類ももちろんですが、その他の料理も美味しかったです。

●行きのボローニャ空港で、見知らぬ方から「ふくきちさんですか?」と声をかけられてドッキリ。何度か一緒に食事させていただきました。このブログがきっかけで人と知り合ったりするのは、不思議な感じがします。意外と読んでる人いるんだなぁ~と思って。

2007年8月24日 (金)

ロッシーニ《オテッロ》2

ペーザロ旅行記

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)

《オテッロ》

2007年8月14日(火)20時 Adriatic Arena Teatro

オテッロ:グレゴリー・クンデ

デズデーモナ:オルガ・ペレチャツコ(?)

エルミーロ:ミルコ・パラッツィ

ロドリーゴ:フアン・ディエゴ・フローレス

イアーゴ:ホセ・マヌエル・ザパタ

指揮:レナート・パルンボ

ボローニャ歌劇場管弦楽団

演出:ジャンカルロ・デル・モナコ

●オペラが目的の海外旅行は、今回で6回目。これまでは、もちろん演目によって当たり外れはあったけれど、目当てだった演目が外れだったことはありません。期待以上に感動・興奮して帰ってくるのが常でした。もう「打ちのめされた」「人生観が変わっちゃう」くらいの感動だったわけです。ところが今回のペーザロ旅行は、どの演目も期待ほどじゃなくって、これならフローレスが出演するヨーロッパの歌劇場に行った方が、ちゃんとしたプロダクションをまとめて見てこられるなぁ…、なんて思っていたのです。(今回はオペラ以外に、ペーザロならではの楽しみもありましたけれど、それについては別に書きます。)

●ところが、そんな私のペーザロ旅行に救い主が現れた!それがグレゴリー・クンデ様でございます。休演したフィリアノーティの代わりにオテッロを歌ったのですが、これがまあ最高のオテッロでして、太い声なのによく転がり、高音までパーンと駆け上がる、天晴れ武者ぶり。ヴィジュアル的にも、この役にふさわしい凛々しさを備え、演技も堂々としたもの。11日に見たときは、オテッロ役のボートマーが出てくるたびに気分が盛り下がる(=水を差される、とも言う)感じだったのが、この日は嘘みたいに興奮が連鎖してゆく。この作品って、登場人物が入れ替わりに歌っていくような、いわゆる「番号オペラ」だと思うんですけど、歌手が揃うと、次の場面へちゃんと興奮がつながっていくんです。「ロッシーニのオペラは、優れた歌手によって真の価値をこの世に出現させる」ってことを、今回のペーザロ旅行で目の当たりにいたしました。いかに作品そのものが素晴らしくても、感動は上演次第。いえ、何の作品でもそうなのでしょうけれども、特にロッシーニ、ましてや《オテッロ》。オテッロ、ロドリーゴ、イアーゴ、3人ものテノールがビシッと揃うなんて、この世の奇跡?ペーザロの奇跡?と思って、救い主クンデ様に感謝を捧げました。

●グレゴリー・クンデ様は、2000年、《ドン・ジョヴァンニ》のオッターヴィオ役で新国に出演しています。見たはずですけど、記憶にない。ペーザロの町で売っていたクンデ様のロッシーニ・アリア集CDを買ってみたのですが、意外と声が荒れています(オテッロでは、そんなことはなかったのですが…)。高音を無理して出しているような部分も感じられました。しかし、強弱・緩急、また装飾音などによって、曲想に変化を持たせようという意図があり、なかなか私の好みのテノールです。聞いていて、とても面白い。ただ、《ラ・チェネレントラ》のドン・ラミーロ王子のような優男系の役を演じるには、声が太すぎるように思いました。やはり勇士の役、そうオテッロを歌うために生まれてきたのでは?というくらい、今回の公演では輝いていたのです。

●ロッシーニの《オテッロ》は、ロドリーゴの比重がとても大きいところが特色です。オテッロと対照的な役柄として、対等のポジションを与えられています。それだけに、最高の聞きどころは、2人の対決の二重唱でしょう。クンデとフローレスの二重唱はもう最高に盛り上がりました。声の音色の対比も素晴らしかった!(フローレスは、この二重唱をカサロヴァと一緒に歌った録音がありますが、比較になりません。やはりオテッロ役はテノールのものだと思います。)

●この作品の合唱に動きをつけるのは、非常に難しいものだと思う。今回は、演奏会形式に毛の生えたような演出でした。この作品の合唱が生き生きと動くさまを是非見てみたい。

●デズデーモナが歌う「柳の歌」には、「狂乱の場」の萌芽を感じる。それはルチアの「狂乱の場」のような激しいものではないけれど、突然「イザウラ、イザウラ!」と言い出すデズデーモナには、もう周りが見えていない。エミーリアがいることは分かっているにしても、外界をシャットアウトして、ただ自分の心の中の風景を綴っている。

●私は子どものころ空想癖が強くて、よく「目を開いているのに何も見ていない」という状態になった。友達に注意されたりした…。『めぞん一刻』の五代君みたいな感じ(分かります?)。

●狂乱の演技、「目を開いているのに何も見ていない」という演技は、歌舞伎俳優はみんな出来ます。巧拙はあるにせよ、これが出来ないと「保名〔やすな〕」が踊れません。それほど難しくないと思う。ところがオペラ歌手は、ほとんどの人が出来ないんです。突飛なことをするのが狂乱、などと思っているんじゃないですか。歌舞伎では演技法が共有されているのだけれど、オペラだと個人の技量だのみになってしまう。今回デズデーモナを歌ったオルガ・ペレチャツコは、「やろうとして失敗」という印象でした。ただウロウロしているだけになってしまって…。

●「柳の歌」のripetevaの部分の音形は、柳の枝が風に揺れているさまを表していると思う。「柳の歌」は4節形式になっている。形を変えながら4回歌われる。2節目のripetevaの部分は、1節目の音形に少し装飾音を付けて歌う。しかし3節目の同じ箇所demiei lamentiは、2節目のripetevaの装飾音を更に発展させて歌っちゃ駄目なんです。その直前にne piu ripeta(もう繰り返さないで)と歌っているからです。柳の枝を、装飾音で揺らしちゃ駄目なのね。カバリエの録音なんか上手く歌っていると思う。楽譜にどう書かれているか知りませんが、歌手や指揮者の感性が問われる部分だと思います。今回のパルンボは全然駄目でした。

●今回の公演と関係ありませんが、「柳の歌」はカバリエの録音が最高です。このアリア、つい「終わり方があっけない~」なんて思ってしまいますが、カバリエはピアニッシモを引っ張って決めています。すごいです。(もう手に入らないアリア集かもしれませんが…。)

●この作品は台本に不思議なところがあって、「オテッロとロドリーゴの決闘は、どうなっちゃったの?」「イアーゴは誰が成敗したの?愛の神って何のこと?」「なぜエルミーロは突然オテッロを許すの?」など、終盤に疑問が噴出します。でも、いいんです。どうでもいい場面は、いちいち説明しなくていいの。

●ロッシーニの《オテッロ》の主題といいますと、「この人は私のことを好きなのか、好きでないのか?…疑いだしたら答えは分からない」「他人の考えていることは結局分からない」ってことだと思う。ちょっと哲学チックです。ヴェルディの《オテッロ》はまた趣きが違う。「栄光と挫折」とか、「苦悩する英雄」とか、「嫉妬」とかですね。

●「この人は私のことを好きなのか嫌いなのか」ということは、人間関係の最も基本となる情報であり、何となく伝わってしまう、分かる、などと言います。子どもなんかは、親から愛されているかどうか、敏感に察知するものではないでしょうか。しかし、本当のところは分からないものだと思う。人間は嘘がつけるから。嘘がつける言葉で、一体何を伝え合おうというのか?

●むかし聞いた話で、いい加減な記憶ですけれども、養子を取ると、その子がわざと悪いことをするようになるのだそうです。まれに、そういうことが起こるらしいです。わざと悪いことをして、養父母がどこまで自分のことを愛しているのか試そうとする。1度許すと、次はもっとエスカレートした悪さをするようになる。

●オテッロは、なぜデズデーモナの言うことではなくイアーゴの言うことを信じてしまうのか。当時はケータイもメールもありませんし、気持ちを伝える手段が限られていた、ということも勿論あるでしょう。しかしデズデーモナは、何度かハッキリと自分の気持ちをオテッロに伝えています(E ver: giurai…Sono innocente.)。もっと何度も何度も言えば伝わったのでしょうか?

●ヴェルディの《オテッロ》では2人は完全なる夫婦なのですが、ロッシーニの《オテッロ》では自分たちで誓い合っただけで、親が許しているわけではありません。これは1つ大きなポイントだと思います。オテッロは、初めから「自分じゃ駄目なのかも」と感じていました。(登場のアリアにも、そういう気持ちが出ていますね。)

●最後の寝室の場面で、デズデーモナがAmato ben!(愛しいあなた)と言ったとき、オテッロは、彼女が寝ているのか起きているのかを気にします。そして寝顔を見て、今の言葉は嘘で言ったのではない、と分かる(寝ていると嘘はつけないから)。しかし、ロドリーゴに向けて言ったのだ、と勘違いしてしまう。…勘違い?

●同じ言葉を真ん中にして、言う側と聞く側、考えていることは別々です。聞く側は、「自分はこう思う」という形で聞く。その人だけの考えなんです。言った人の考えとは別。だから、「言葉があれば伝わる」ってわけではないんです。

●「この人は私のことを愛しているのだろうか?」という、考えても分からないものより、「私はこの人のことを愛しているか?」という基準で生きていくのが、いいのではないかと思います。そもそもオテッロはデズデーモナのことを愛していたのだろうか?好きだったのは間違いないだろうけれど…。

2007年8月23日 (木)

ボルドーニャ、タッディア ベルカント・コンサート

ペーザロ旅行記

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)

パオロ・ボルドーニャ、ブルーノ・タッディア ベルカント・コンサート

2007年8月14日(火)17時 ロッシーニ劇場

指揮:パオロ・ポンツィアーノ・チャルディ

G.ロッシーニ管弦楽団(?)

●パオロ・ボルドーニャは《泥棒かささぎ》でファブリツィオ(ジャンネットの父親)を歌った人。ブルーノ・タッディアは《イタリアのトルコ人》で詩人プロスドーチモを歌った人です。

●ボルドーニャは「私はスターである」という雰囲気を発していました。本当にスターかどうか知りませんが…。アラーニャをちょっと三枚目寄りにしたような顔。途中で声の調子が悪くなった箇所があり、本人は不本意そうでした。が、すぐに立ち直りました。

●タッディアは、視覚的な表現力の高い人で、表情や身振り手振りで役の感情を表現できてしまう。表情がくるくる変わって面白い。飽きない。レアな曲ばかりで詞の内容は全然分からないのに、ギューっと引き込まれていく。音域はあまり広くないようだけれど、歌もしっかりしていました。すっかり大ファンになった。

●タッディアの演技術は、ちょっとマチュー・レクロアールに似ていると思いました。

レクロアールはこんな人↓

http://fukukichi.blog.ocn.ne.jp/collect/2007/06/post_4cad.html

●タッディアの演技術は、一体どこで身につけたものなのでしょうかね。どこかの演劇学校?それともイタリア・オペラの伝統的なもの?他には誰が出来るの?同じ舞台に立っているのに、どうしてボルドーニャはその演技術を盗もうとしないの?謎が謎を呼ぶデュオ・リサイタル。低音男性2人というのも珍しいけれど。

●指揮は私の好みでした。ただしオーケストラはかなり低レベルでした。

●曲目は、ロッシーニとドニゼッティのオペラから、アリアと二重唱。これなら「ベルカント・コンサート」と称しても納得。知らない作品ばかりでしたが、とても楽しかった。アンコールは《ラ・チェネレントラ》の二重唱でした。

ロッシーニ《泥棒かささぎ》2

ペーザロ旅行記

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)

《泥棒かささぎ》

2007年8月13日(月)20時 Adriatic Arena Teatro

●2回目の《泥棒かささぎ》。同じプロダクションの2回目観劇ともなりますと、自分の好みでない部分を脳内消去って言うかキャンセル機能が働き(ある程度は)、10日の公演よりは楽しく見ることができました。この日の座席は3列4番。10日の1列1番と違って、幸い首も痛くならず、水浸しになった舞台も見えました。

●歌手もプレミエよりのびのび歌っていました。特にルチア役のクレオパトラは、プレミエではすごく緊張していたようですね。

●どの作品でも、「ここだけは外せない」っていう演出ポイントがあると思うんです。《泥棒かささぎ》でいえば、例えばニネッタがお金を落としてしまうところ、ここはどうしたって不自然な演技になりがち。それをうまく見せるのが演出家の力というものです。しかし今回は「あ、ありえない…」って唖然とする手順でお金を落としていました。たぶん。(いえ、私の席からはよく見えなかったんです。プレミエの日は全く見えなかった。)

●私の記憶が正しければ、若干のカットがありました。スプーンがなくなって、犯人は誰だ?となったときに、かささぎが「ニネッタ、ニネッタ」と言うはずなのですが、その部分がカットされていました(たぶん)。今回の演出では、かささぎが登場せず、「少女の夢の中のいたずら」という設定になっていたので、少女が「ニネッタ、ニネッタ」と言ったりしたら、いたずらの範囲外になってしまう。それでカットされたのではないかと思うのですが…。

●設定を変えたときに、あくまで台本どおりやるのか、それとも詞章を変更するのか。私は、どうせ設定を変更するのなら、セリフにも手を入れるべきだと思います(今回は「セリフの変更」ではなく「単なるカット」でしたが)。見ていることと聞いていることにズレが生じるのは、あんまり許容できなくって…。今回の演出は、設定を変えていても物語全体で統一感があり、そういう意味ではよく出来ていると思いました。

●「指揮者が好みでない」というのは、ものすごいマイナス要因でして、感動までには至りませんでした。

2007年8月21日 (火)

ロッシーニ《ランスへの旅》

ペーザロ旅行記

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)

《ランスへの旅》

2007年8月13日(月)11時 ロッシーニ劇場

指揮:園田隆一郎

ボローニャ歌劇場管弦楽団

演出:エミリオ・サージ

●私はロッシーニ好きなのですが、《ランスへの旅》は取り分け好きな作品です。音楽も素晴らしいけれど、詞が洒落ていると思う。この演目の解説の類いを読むと、たいてい「音楽は素晴らしいが、台本は…」みたいな書き方をされているのですが、違います。《ランスへの旅》の詞章は大変に優れていると私は思うのです。ドラマ性の濃淡と詞章の優劣は全く関係ありません。詞というものには、いろいろなタイプがあります。日本の音曲にしても、義太夫のような骨太のドラマもあれば、清元のような艶っぽいもの、あるいは長唄みたいに言葉遊びだったり、単に情景を描いただけでストーリー性の淡いものなど、さまざまです。「ドラマ性が弱い=詞として劣っている」なんてことは絶対にありません。この作品は、他のオペラと、ちょっとタイプが異なっているだけなんです。そう思います。

●さて。ペーザロの《ランスへの旅》は、去年、藤原歌劇団が借りてきて日本で上演したものと同じ演出。この作品で一番重要なのは、「いろいろな国の人が集まっているという雰囲気」だと思うのですが、全員同じ衣裳ですし、何て変化がない演出なんだろう…と藤原公演では不満を感じたものでした。ところがペーザロで見てみますと、みんな同じ衣裳であっても、歌手たちは髪の色も顔立ちも全く異なる多国籍キャスティング。作品が持つ雑多な雰囲気が充分に(ある意味では原作以上に)出ていました。そう思うと、なぜ藤原はこの演出を借りてきたのか非常に不思議。だってほとんど日本人歌手で上演しようというのに、同じ演出では効果が出るはずもありません。たとえ予算には限りがあるにせよ、若い演出家に一から創らせてみる、というようなことがなぜ出来ないのか…。過去の公演のことながら、大いに不満を感じてしまいました。ペーザロの《ランスへの旅》は、あの状況で上演してこそ効果が出るように、少ない予算で演出されたものです。

●研修発表公演なので(チケット代も激安)、技巧的に危ない歌手も混ざっていましたが、それなりに楽しみました。なんと日本人の歌手も出演していて、ベルフィオーレ役を中井亮一さんが勤めていました。舞台を盛り上げようという熱意が伝わってきて、私は彼が一番面白かったです。

●こんなことを書くのはナニですが、中井さんは典型的な日本人声だと思いました。同じような声種の日本人男性は大勢いるはずです。だから、日本でロッシーニがちゃんと上演されれば、観客の中から未来のスター・ロッシーニ歌手が出てくるのではないか、…などと夢想いたしました。もちろん中井さんにも更なるご活躍を期待しております。「私はペーザロで中井亮一のベルフィオーレを見た!」ってみんなに自慢できるような歌手になっていただきたいですね。期待してます!!

2007年8月20日 (月)

ロッシーニ《イタリアのトルコ人》

ペーザロ旅行記

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)

《イタリアのトルコ人》

2007年8月12日(日)20時 ロッシーニ劇場

セリム:マルコ・ヴィンコ

フィオリッラ:アレッサンドラ・マリアネッリ

ジェローニオ:アンドレア・コンチェッティ

ナルチーゾ:フィリッポ・アダミ

プロスドーチモ:ブルーノ・タッディア

ザイダ:エレーナ・ベルフィオーレ

指揮:アントネッロ・アッレマンディ

ボルツァーノ・エ・トレント・ハイドン管弦楽団

演出:グイド・デ・モンティチェッリ

●この日は、昼間は近郊のウルビーノにバス旅行。小さいながらも、大変趣きのある町でした。そして夜はもちろんオペラ。

●ロッシーニ劇場は小さな劇場で、平土間は12列くらいしかありません(前の人の座高によってはとても見づらい)。あとは1~4階のボックス席。5階は天井桟敷(←当日券、入口も別らしい)。ボックス席は、1つのボックスに5人座るようになっていて、1列目が2席、2列目が2席、3列目は1席というのが標準的。椅子は固定式ではなく、動かせる(つまり普通の)椅子。3列目の席は、椅子の足がとても長くなっている場合もあるし、なっていない場合もある。

●私はこの日、2階ボックス席(わりと中央のボックス)の2列目だったのですが、舞台が見えない。誇張ではなくて、1列目の人の背中と頭で、舞台が全く見えませんでした。前の人の体が大きいわけでもないのに…。仕方がないので立って鑑賞。私だけでなく、ほかにも立って見ている人が何人かいました。昼間は歩き回って、夜は立ち見。少し左足に重心をかけて(そうしないと柱で見えないから)、長時間じっとしているのは大変でした。終盤は足が痛くなって「もうどうでもいい~」という気分になってしまいました。(途中で帰ってしまった人もいました。)

●さて、座席の話はいいとして、肝心のオペラですけれども、幸いなことに指揮者が私の好みの演奏だったんです。ああ、これこれ、これが聞きたかったんだよね~って感じで、やっぱり指揮が自分の好みであるっていうのは大きいなと、改めて実感しました。

●歌手は、《泥棒かささぎ》と同様に若手中心。技巧的にはわりとキッチリしていましたが、「ずっと同じ声量で歌い続ける歌手」が高い割合で混ざっていたため、ソロ・アリアが続く場面では全然盛り上がらない。重唱は、指揮のパワーあってか、結構興奮しました。でも、オーケストラ自体の能力は、あまり高くありませんでした。

●若い歌手たちの演技が淡白な感じで、どうも「言われたことをやってます」みたいな、ブッファとしてのノリに欠けるきらいがありました。そうした中で、詩人プロスドーチモ役のブルーノ・タッディアだけは最高の演技を見せていました。私は今まで2種類の映像を見て、どうもこの詩人の役は分からない、腑に落ちないと思っていたのが、タッディアの演技を見ていたら「そうか、こういう役だったのか!」って理解できた。つまりプロスドーチモという役は、自分がいま思いついた新しいアイデアに夢中になって周りが見えなくなる、ジェローニオやナルチーゾから「気が狂ったのか」と言われてしまうような、ちょっとエキセントリックな人物なんです。タッディアの表情や身振りの面白さといったらない。ああここはイタリアなんだなぁ…と思いました。

●演出は古典的なもの。《泥棒かささぎ》に輪をかけて美しくないホリゾント幕が使用されていて、ちょっとゲンナリしました。が、私はオーソドックスな演出が好きなので、それなりに楽しみました。トルコの船がゆらゆら揺れながら出てきて素晴らしかった。また、一番の聞かせどころであるフィオリッラとジェローニオの二重唱では、3部形式の2部目が「フィオリッラの色仕掛け」という演技になっていて、これは是非そうあるべき、優れた演出だと思いました。

●ロッシーニの作曲ではないというアルバザールのアリアも歌われていました。たしか歌っていた。予習の範囲外だったので、歌の内容は不明。

●第1幕は「結構いいかな」と思ったのですが、第2幕はあまり面白くありませんでした。フィオリッラ役が弱かったのが痛い…。ヴィンコも悪くありませんでしたが、取りたてて良いというほどでもないような?とにかくタッディアが光り輝いていました。あと指揮が好みでした。

2007年8月19日 (日)

ロッシーニ《オテッロ》

ペーザロ旅行記

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)

《オテッロ》

2007年8月11日(土)20時 Adriatic Arena Teatro

オテッロ:フェルディナンド・フォン・ボートマー

デズデーモナ:オルガ・ペレチャツコ(?)

エルミーロ:ミルコ・パラッツィ

ロドリーゴ:フアン・ディエゴ・フローレス

イアーゴ:ホセ・マヌエル・ザパタ

指揮:レナート・パルンボ

ボローニャ歌劇場管弦楽団

演出:ジャンカルロ・デル・モナコ

●そもそも、今回ペーザロ旅行を決意したのは「フローレスとフィリアノーティが同じ演目で共演するから」でした。ところがフィリアノーティは虫垂炎をこじらせて(?)休演。代役は「それ誰でしたっけ?」というような歌手。気持ちが凹みました。

●オテッロの代役はダブルキャストになっていて、この日はフェルディナンド・フォン・ボートマー。新国の《セビリアの理髪師》でアルマヴィーヴァ伯爵を歌ったことがあります(←大アリアはカットされた)。かなりのヘナチョコ・テノールでした。声質が軽くて、フローレスの方がオテッロに向いているのでは?などと思ってしまいました。高いDは出していましたが、その前のフレーズを低く変形させて喉を休めていました。演技もイマイチで、やたら腕を振り回すし、手紙もろくに読めないし…。

●オペラって、やっぱり歌手が揃わないと駄目ですね。フローレスは最高に素晴らしくて、ソロ・アリアなんかメチャ盛り上がるのですが、ボートマーとの二重唱になると、「本当はもっといいはずなのに」って感じで、シューっと冷めてしまう。盛り上がりがブツッと途切れてしまうのでした。

●この作品は、いろいろな組み合わせで二重唱が歌われます。二重唱って、2人の歌手の格の違いがハッキリ分かってしまう。片方だけ良くても、2人の力が拮抗していないと盛り上がりません。

●演出は一本調子で変化に乏しいものでした。最初のうちは「おっ!?」と思う部分もあったのですが、持ち駒が少ないと言いますか、すぐ「ずーっと同じ」になってしまいました。合唱の登場・退場が全て同じパターンだったのが象徴的。でも、おかしな演出で邪魔されるよりは良かったのかも。主要な登場人物は、普通に演技していました(?)。

●物語上は場面が変化しているのに、装置も照明も変化しない…という演出。予算の都合なのでしょうか。でも、「あれは金かかってるよなぁ」という部分もあったりして、よく分からない。「金を有効に使うのには才能が必要である」というのは誰でも知っていることではあります。「なぜ、そんな金の使い方をするんだ!」という例は、身近にいくらでもありますもんね…。

●デズデーモナの婚礼の場面。いったん華やかな雰囲気に満たされ、相手がオテッロではなかったことが分かり物語が別方向に展開する…その程度の変化さえ描けない演出なのでした。ジャンカルロ・デル・モナコ。

●衣裳や鬘は大変凝っていました。ロドリーゴ役のフローレスは長髪!少女漫画の王子様みたいでした。

●イアーゴ役はホセ・マヌエル・ザパタ。クリス・メリットが歌う予定だったのですが、調子が悪くて初日で降板してしまったそうです。プログラムには何も書かれていなかったので、私はずっとそれがメリットだと思って見ていました(ザパタだと分かったのは終演後)。これがなかなか良い歌唱で、ロドリーゴとの二重唱は実に素晴らしかった。それから特筆したいのは、彼の視覚的な役づくり。私は完全に夢中になった。白塗りの顔、急カーブを描いてつりあがる細眉。鬘の分かれ目の髪のほぐれ具合。両手に黒い革の手袋、右手の人差し指に緑色の大粒宝石の指輪が光っている(手袋の上からしている)。かなり太った体に、ピッタリの軍服。T字型の黒いステッキ。扉の陰で盗み聞きしている様子がもう最高にキモイ~(注:褒め言葉です)。この演出では、イアーゴの影武者みたいなのが大勢出てきて黒衣の役をするのですが、同じ格好で出てきたそれらの影武者など足元にも及ばぬほどザパタのヴィジュアルは決まっていました。目が釘付け、心臓を射抜かれたって感じ。急な代役のため、彼の舞台写真だけ販売されていなかったのが何としても惜しい。

●ロッシーニの《オテッロ》では、イアーゴもかつてデズデーモナに恋していた(そして振られた)という設定になっているんですね。この設定が秀逸。ロドリーゴと一緒に「我々はかつて同じ苦しみを分かち合った…」とかいう二重唱を歌う。すごいヘンな歌。もう最高。

●デズデーモナは、オテッロ、ロドリーゴ、イアーゴと、3人から求婚されているんですね~。モテるからって、幸せになるとは限らないのね。

●指揮のパルンボは「手堅くまとめていた」という感じでした。

●フローレスのソロ・アリアでは、ほかの部分に比べてかなりテンポが遅くなっていましたが、それはフローレスの希望によるものだと思う。「遅い部分は遅く、早い部分は早く」という、変化に富んだアリアになりました。彼のロッシーニ・アリア集に収録されているものより格段に素晴らしい。高い音を伸ばすために、1つの単語の途中でブレスを入れていて、ちょっとそれは反則技なのではないかと思いましたが、そのブレスのあまりの見事さ、もう何でも許すという気になりました。歌い終わると、ものすごい拍手喝采でした。

●デズデーモナは、ずっと同じ声量で歌う歌手でした…。音域は広く、コロラトゥーラの技巧も申し分ありませんでしたが、声量がありません。演技力もなく、あんまり悩んでいるように見えませんでした。もっともそれは、演出による部分も大きかったようです。全体的にあどけなさを強調したデズデーモナでした。

●ROFの過去の舞台映像をいくつか見ますと、演出はそれほどでもないけれど、演奏はさすが、こんな端役にまでこれほどの歌手を揃えるなんて…と思っていたのですが、実際は、歌手を揃えるのはなかなか難しいことなのでしょうね。何と言ってもロッシーニですからね…。

エヴァ・メイ ベルカント・コンサート

ペーザロ旅行記

ロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)

エヴァ・メイ ベルカント・コンサート

2007年8月11日(土)17時 ロッシーニ劇場

ピアノフォルテ:Alexander Schmalcz

●1時間強のミニ・コンサート。これはとても良い席で見ることができました。曲目が日本で事前に分からなかったので、予習はしていません。歌曲がメインで、「どこがベルカント・コンサートなの…?」という感じでした。

●エヴァ・メイは、声がずいぶんとハスキーでした。曲間には何度か咳払い。そして、声と同じくらいの大きさの音でブレスをしていました。喉の調子が悪いのかと思いましたが、後で友人に聞いたところによると「去年の来日コンサートでもこんな感じだった」とのことでした。なんだか、美声のイメージがあったのですが、違ったみたい…。

●まったり系の曲が多く、軽く歌っている感じでした。曲目ごとに多少アプローチを変えていたように思います。歌詞の意味が分からないので、充分には楽しめませんでした。

●予定曲目の中に、ヘンデル《アルチーナ》のアリア(モルガーナのアリアTornami a vagheggiar)があったので楽しみにしていたのですが、繰り返しはバッサリとカットしていました。なら歌わなければいいのに…。

●アンコールは2曲。最後にR.シュトラウスの「アモール」を歌いました。私はこれに一番感動しました。しかし、なぜペーザロでアンコールにR.シュトラウスなのか、永遠の謎。

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2017年9月
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